第三十五話 「運命の聖夜」

リビングで一人、タケシは腕を組み、テーブルの上に置いた刀を見つめていた。

長曽根虎徹…。青年が調停者資格を取った際、当時身元引受人であったカズキから贈られ、これまでに最も信頼し、長らく

愛用して来た。

これまでに危険生物を何体斬っても背は伸びず、刃も殆ど零れず、四年以上に渡って使用し続けた愛刀…。

その太刀はしかし、先日の戦闘の折に、ほぼ中央から真っ二つに折れてしまっていた。

手入れは欠かさなかったのだが、これまでの激しい戦闘で、徐々に疲労を溜め込んでいたのだろう。

「長らく世話になったな…、虎徹…」

タケシは軽く目を閉じ、悼むように愛刀に黙祷を捧げると、虎徹と折れた刃を拾い上げ、鞘に収めて布で縛る。

「ただいま〜」

玄関で声が聞こえ、タケシはソファーから立ち上がる。

「おかえり、ユウト」

迎えた青年の顔に穏やかな笑みが浮かぶ。その笑みに、ユウトもまた笑みを返した。

「お土産があるんだ!」

朝に「ちょっと出てくる」と言い残して事務所を出て、半日以上も留守にしていたユウトは、

「土産?」

聞き返すタケシに、右手に下げていたアタッシュケースを持ち上げ、ニィっと笑って見せた。



ユウトはタケシと並んでソファーにかけると、テーブルの上に置いたアタッシュケースを開けた。

タケシはケースの中を覗き込み、その中に収められたものを瞳に映して目を細める。

「これは…」

中に収められていた物が何なのか悟ったとたん、タケシは絶句した。

ケースの中には、赤い布の上に並べられた金色の金属塊が三つ収められていた。

一見、金の延べ棒にも見えるそれらは、まるでそれ自身が発光しているように、赤い布の上で照明を反射し、柔らかく輝い

ている。

「まさか…、これは全てラインゴルドか!?」

「ピンポーン」

驚きを隠せない青年を面白そうに眺めながら、ユウトは頷いた。

「これだけの量…、一体何処から?」

金色のインゴットの輝きに、気圧されたように首を引きつつ見つめる青年は、この金属がどれほど希少なものか良く知っていた。

エネルギーを蓄積する性質を持ち、精錬すればそれ自体が金剛石以上の硬度を持つようになる、現代文明では精製不可能な金属。

「インゴット三本…、ブルーティッシュ本部規模のビルが六つは建てられるぞ…」

三つのインゴットは、フレイアがユウトに遺した遺産だった。母を喪い、帰国したユウトに、遺言状を預かっていたトシキ

から渡されたものである。

「ん〜…。まぁ良いじゃない。ボクが持っててもどうせ使い道が無いんだから。どうせなら有効活用しないとね」

「有効活用?」

首を傾げたタケシに、ユウトは笑みを深くする。

「相楽堂なら、コレを加工できるでしょ?」

相棒が何を言っているのか理解し損ね、タケシはさらに首を捻る。

「だ〜か〜ら〜!これを加工してキミの刀を打って貰うの!」

「は!?」

目をまん丸にし、タケシは大きな声を上げた。

「何を言っている!ラインゴルドを刀に加工するなど、聞いた事が…」

「でも、コレの合金を使ってる武器は、数こそ少ないけどあるでしょう?」

「それはほとんどメッキ加工だろう!?そもそも、このレアメタルは加工賃が半端ではない!」

「三本もあれば、刀を作ってもまだ余るでしょ?それを加工賃にして貰えば良いよ」

「し、しかしだな…、これはお前の物で、俺の為に使う訳には…」

「持ち主自身がキミの為に使いたいって言ってるんだから良いじゃない。それに…」

ユウトは照れたように微笑んだ。

「元々、使い道が思いつかなくて悩んでたんだ。母さんが遺してくれたものだって思ったら、換金するのも何となく気が引け

てね…。でも、キミに使って貰えるなら、こんなに嬉しい事はないよ…」

「ユウト…」

ユウトは相棒に微笑みかける。

「遠慮なんてしないでよ?ボクが持ってても宝の持ち腐れなんだからさ。相楽堂の若旦那に頼んでみようよ。ね?」

タケシはしばし迷った後、

「…済まない。…ありがとうユウト…」

そう言って、深々と頭を下げた。

ユウトは照れ笑いしながら、タケシに顔を上げさせる。

「お礼の言葉なんかより…、こっちが欲しいな?」

ユウトは目を閉じ、顔を突き出す。

青年は微苦笑を浮かべ、ユウトの首に腕を回して抱き寄せると、唇を重ねた。



「これで…、刀を…ですか…!?」

相楽堂の地下室、レリックがところ狭しと並べられた、一般客は立ち入れない部屋で、若旦那は声を上げた。

その視線の先では、ユウトとタケシが持ち込んだレアメタルのインゴットが、机の上でキラキラと輝いている。二人が持ち

込んだラインゴルドは、若旦那も、そして店員達も初めて目にする量だった。

驚きを隠せない様子で黄金色に輝くインゴットを見つめる若旦那に、ユウトが頷く。

「タケシが持つに相応しい、この世で一本の名刀を、作って頂きたいんです」

若旦那は呆気に取られたように、ユウトとタケシの顔を交互に見た。

「タケシさんの刀を…、ですか…。いやしかし、これだけ高純度のラインゴルドを…、しかもそれだけで刀を作るなんて、当

店の刀匠にもそんな経験は有りませんし、聞いた事だって勿論有りません…。それにしても…」

若旦那は訝しげにユウトの目を覗き込んだ。

「何があったんです?これまでタケシさんが刀を購入するのを、快く思っていなかったはずでしょうに…」

「趣味で買い集めるのは今だって反対ですよ」

若旦那に苦笑いで応じると、ユウトは自分の被毛と同じ色のインゴットを、指先でそっと撫でた。

「今回は特別です。大事な人から貰った物だから、大事な人の為に使いたいんです。ボクが持ってても、有効には使えないから…」

若旦那は「ふ〜む…」と唸ると、心を決めたように頷いた。

「判りました。お引き受け致しましょう。天下一の大業物を、必ずやご用意致します!」

「そうこなくっちゃ!」

「済まない。宜しく頼む、若旦那…」

若旦那と店員達に深々と頭を下げると、ユウトとタケシは笑みを交わした。



それからの数日、タケシは地下の情報屋を通して町中の情報を集めた。

ユウトはカズキからの緊急呼び出しを一人でこなし、青年が活動する時間を作った。

空いている時間は全て修練につぎ込み、密度の高い日々が瞬く間に過ぎ去ってゆく。

そして十二月も、あと数日で終わろうとしていた。



「本当ですか!?」

12月22日の夜、榊原明美は、アルビオン・オールグッドからの電話を受けていた。

『本当っス!学校も休みに入るんで、年明けまで休みを貰えたっス!』

驚きの声を上げたアケミに、受話器の向こうのアルが嬉しそうに応じた。

『明日で学校も終わりっスから、用事片付けて、なんとかイブまでにはそっちに着くようにするっスから!』

喜びのあまり声を上ずらせ、アケミは白熊に尋ねる。

「いつまで居られるんですか?」

『正月三が日まで大丈夫っス。迷惑でさえ無ければ、またカルマトライブの事務所に厄介になりながら仕事を手伝おうかと思っ

てるっスけど、今日急に決まった事なんで、ユウトさん達にはまだ連絡取ってないっス』

久し振りにアルに会えると知って嬉しくなり、少女の声は思わず大きくなった。

「私、お願いしてみます!アルは出発の準備に専念して、早くこっちに来て下さいね!」

アケミはアルとの電話を終えると、すぐさまユウトの携帯に連絡を入れた。



そして、翌12月23日。古美術商、相楽堂の地下で、タケシは机の上に置かれた一振りの刀を見つめていた。

相楽堂の店員達がひしめき合うその部屋の中央、若旦那の前、赤布が敷かれた机の上に、その太刀は寝かされていた。

タケシの横から覗き込んだユウトが、漆黒の鞘に収まった刀をまじまじと見つめる。

鞘は艶を消した黒漆塗り。縁と頭はくすんだ銀。柄巻は漆黒の革巻柄。鞘と同色の鍔は楕円形で肉厚。

鞘に収められた上から、凛とした空気を纏うその太刀を見つめ、ユウトはゴクリと喉を鳴らした。

「…タケシ、抜いてみたら?なんだかボク、ドキドキしてきちゃった…」

青年は頷くと、そっと左手を伸ばし、鞘の中程を掴む。

太刀をゆっくりと手元に引き寄せたタケシの顔には、驚きの色が浮かんでいた。

「…重過ぎず…、軽過ぎず…、なんと理想的な重量とバランスだ…」

タケシは若旦那に視線を向ける。若旦那はこくりと頷き、青年を促した。

「どうぞ、お確かめ下さい…」

青年は頷き返すと、黒革巻の柄に右手を添えた。

ゆっくりと両手が左右へ引かれると、僅かな手応えの後、音もなく鞘が滑り、くすんだ銀色のはばきに続いて刀身が顔を覗

かせた。

店員達からどよめきが洩れ、ユウトの口からは吐息が吐き出される。タケシは目を大きく見開き、その先反りの刀身に見入った。

抜き放たれたその刀身は、まるで黄金を溶かし込んだような金色で、ユウトの体と全く同じ色であった。

金色の燐光を放つ刀身には、美しい刃紋が浮き出して見える。鋭くも美しい大きっさき。そしてゆるやかな曲線を描く鋭利

にして強靭な刃先。

「この感触…、手触り…、まるで、ずっと昔から使っていたように手に馴染む…」

「それはそうでしょう。稀代の刀匠が、タケシさん唯一人が使う為に打ったのですから」

驚いているタケシを前に、若旦那は満足気に口元を綻ばせた。

その美しさに一時見とれた青年は、日本刀特有の細い身幅に、何かが浮かんで見える事に気付く。先端に近い所に一つの点

がある。離れて付け根付近には七つの点。こちらはその配列から、北の空を巡る連なった七つ星を連想させた。

「これは…、ひしゃく星か?」

呟いた青年に、若旦那が頷く。

「太刀の銘に合わせ、刻んだそうです」

青年と金熊の視線を受けながら、若旦那はタケシの為にあつらえられた刀を見据え、口を開いた。

「柄長24.5センチ。刃長77.7センチ。柄巻きは黒鮫革、鞘は黒鋼の黒漆塗り仕上げ。刀身はラインゴルド超剛性チタ

ン合金。刀匠、総州九郎正宗が与えた銘は、北天不動(ほくてんふどう)。あの気難し屋も太鼓判を押した、一期一振の大業

物で御座います」

「…北天不動…」

「つくづく、熊と縁があるねぇキミは」

ユウトの呟きを聞き、青年は目で問う。ユウトに代わって若旦那は、

「北天のひしゃく星は大熊座の一部です。それと、現在の北極星は小熊座の星ですね」

と、青年に説明した。

納得して頷き、再び太刀に見入ったタケシに、若旦那は苦笑を浮かべ咳払いした。

「もう一つ。不要かとは思いましたが、私の意見で鍔に飾りを彫らせて頂きました」

言われて鍔を見たタケシは、そこに掘り込まれた文字を見て、目を丸くした。

「…きずな…」

覗き込んだユウトが呟く。分厚い鍔には、意匠化された「絆」の一文字が掘り込まれていた。

母の遺産を手放して、ユウトがタケシに贈る一振りの刀…。その心意気を汲んだ若旦那の粋なはからいに、ユウトとタケシ

はすっかり感じ入っていた。

青年はその文字をじっと見つめた後、一つ大きく頷き、金色の刀身を鞘にするりと収める。

「大業物、北天不動。確かに受け取った。…俺も、得物に恥じない働きをしないとな」

カチンと音を鳴らして刀を納め、笑みを浮かべるタケシ。その横で満足気に頷くユウト。

そして二人は、若旦那と店員達の笑顔と拍手に包まれた。



クリスマスイブを明日に控えたその夜。

中身の濃い修練で汗を流した後、二人はリビングでくつろいでいた。

「ねえ、明日はイブ…なんだけど…」

ユウトはそう切り出すと、タケシの反応を覗った。

「あんまり浮かれる訳にもいかないだろうけど…、アル君も来る事だし…、あ、アル君はアケミちゃんと出かけるかな…?で

もほら、年に一度だし、ケーキとか買って来てさ…」

ユウトはごもごもと呟く。「そんな場合ではない」とたしなめられるかと思ったが、意外にもタケシは頷いた。

「そうだな、少しくらい羽を伸ばしても良いだろう。考えて見れば、俺はクリスマスというものを良く知らない」

ユウトはちょっと驚いたが、嬉しそうに笑みを浮かべる。

このところ、タケシはずいぶんと表情豊かになり、周りのことにも興味を示すようになっている。ユウトにはその事が嬉し

い。青年が見せ始めた新鮮な面に触れるのが、楽しくて仕方が無かった。

「ところで、クリスマスは何の記念日だったかな?…昔の正月か?」

「…違うよ…」

…が、やはり一般常識の欠落は、まだあまり埋まってはいなかった。



そして、クリスマスイブ。

ケーキを手に菓子屋を出たユウトは、ショッピングモールに何本も飾られているツリーに視線を向けた。

煌びやかにデコレーションされたツリーを見ながら、ユウトは微笑む。

一昨年のクリスマスには大切なものを失い、昨年のクリスマスはタケシと一緒に過ごしながらも妙な遠慮があり、祝う事も

無かった。

正直なところ、クリスマスの事を思うたびに、切ない気分を味わっていたのだ。

だが、今年は違う。互いの想いを確かめた今、恋人同士としてイブを迎える事ができた。

その事が、ユウトには本当に嬉しかった。



事務所のリビングは、ささやかながらもクリスマスの飾り付けが施された。

ユウトはシャンペンをグラスに注ぎ、鳥モモやケーキ、コーンスープなどをテーブルに運ぶ。ずっと憧れていた、ささやか

ながらも二人だけのクリスマスパーティー…。

タケシはユウトが満面の笑みで席につくと、ゴホンと咳払いした。

「あー、その…、クリスマスについて、少し調べた。…それで…」

タケシは落ち着かない様子で、ごもごもと呟く。

この青年にしては非常に珍しい様子に、ユウトは一瞬「何か悪いものでも食べたのだろうか?」などと考える。

青年はそわそわしながら、テーブルの下に手を入れると、可愛いラッピングが施された、手の上に乗るサイズの小箱を取り

出し、ユウトに差し出した。

「その…、クリスマスプレゼント…だ…」

顔は思い切り横を向き、視線を明後日の方向に向けていた。その目が、様子をうかがうようにチラリとユウトに向けられる。

次の瞬間、青年は慌ててユウトに向き直り、腰を浮かせた。

「ど、どうした?何か失敗したか?」

ユウトは、タケシの顔を見つめて涙ぐんでいた。

慌てて尋ねるタケシに、ユウトは目尻を拭いながら笑う。

「ち、違うよっ!まさかプレゼントを貰えるなんて、考えてなかったからさ。…嬉しくて、つい…。ありがとうタケシ…」

ユウトは小箱を受け取ると、目を細めた。

「開けてもいい?」

「ああ。だが、あまり期待はするなよ?」

ユウトは包みをほどくと、小箱を覗き込んで静かに、大きく息を吸い込んだ。

大きく見開かれた蒼い目が、小箱の中の銀のネックレスを見つめて潤む。

薄蒼い輝きを放つ小さな真珠がはめ込まれたネックレスは、貝を模した可愛らしいデザインのものだった。

「…うれしい…」

涙が出そうになるのを堪え、ユウトは微笑む。

「良かった…。どういうものが良いのか、判らなくて悩んだ…」

実は、最寄の交番の監査官や、相楽堂の若旦那に意見を求め、さんざん悩んだ末に決めた一品である。

「ちょっと貸してみろ。つけてやる」

タケシはユウトからネックレスを受け取り、細い銀の鎖を首に回した。

認識票と並んで、自分の胸元に下がったネックレスを見下ろし、ユウトはうっとりと目を細めた。

「ありがとう…。…大丈夫?ボクなんかで、似合うかな?」

「ああ、よく似合っている」

タケシは満足そうに微笑み、ユウトは照れたように頬を掻いた。

「えぇと…、ボクのプレゼントは…」

「一足早く、もう貰っているぞ?一生かけても返しきれないほどのプレゼントをな」

タケシが席に戻りながら微笑むと、ユウトは恥かしげに目を伏せ、うつむいた。

「…どうした?」

様子がおかしい事に気付き、タケシは訝しげに眉根を寄せる。ユウトはしばらく黙り込んだ後、勇気を出し、心を決めたよ

うに一つ頷いた。

「プレゼントは…、ぼ…、…ボクで良いかな…?」

言った後、ユウトは視線を落とし、床を見つめる。

言ってしまった…。もう後戻りはできない。

もしかして、呆れられているだろうか?ベタベタなプレゼントだが、果たして自分にもこのセリフは許されるのだろうか?

そんな事を考えながらちらりと視線を上げたユウトは、呆然として動きを止めているタケシに気付く。

一瞬、意味が通じなかったのだろうかとも思ったが、どうやらそうでは無いらしい。青年は、耳まで真っ赤になっていた。

「…やっぱりダメかな?」

ユウトがおそるおそる尋ねると、タケシは、

「それは…、つまり…、お前が…」

最後まで口にする事はできなかった。

ユウトは少しうつむき加減で、恥じらいながら頷く。

「タケシになら…、ボク…、全部あげても良いと思ってた…」

それから、完全に下を向いてごもごもと呟いた。

「じ、実は…、ボク、初めてだから…。そのっ…詳しくないし、あんまり上手じゃないと思うけど…。あ、もちろん、タケシ

が嫌じゃなかったらの話だけど…。…やっぱり…、ボクとじゃ、イヤかな…?」

「そんな事は無い!」

真っ赤な顔のまま声を上げたタケシは、少し間を開け、小声で尋ねた。

「いいのか?…最初の相手が、俺で…」

ユウトは顔を上げ、恥ずかしそうにタケシに微笑みかけた。

「うん…!」

タケシの中で、恥ずかしさよりも、ユウトへの愛しさが強くなった。

「…ボクの全部を、キミにあげる…」

ユウトはテーブルの上に身を乗り出し、顔を突き出して目を閉じる。

何を求めているのか理解したタケシは、同じようにテーブルの上に身を乗り出した。

唇の先が軽く触れ合った瞬間、タケシとユウトの携帯が同時に鳴った。

まるで誰かに見られたかのように、二人は慌てて身を離す。

「何もこのタイミングで…」

「もう!誰なの、こんな時に…」

文句を言いながら携帯を取り出すと、小さなウィンドウにメッセージが浮かんでいた。

タケシとユウトの顔色が、同時に変わった。

付近の調停者全てに対する出撃要請、エマージェンシーコールが、二人の携帯に届いていた。



駅の改札をもどかしそうに抜けた白熊は、少女に駆け寄って笑みを浮かべた。

「久しぶりっス!」

「お久しぶりです!元気でしたか?アル!」

二人は再会の挨拶を交わしながら、手を握りあった。

「…ん?」

アルはアケミの手の冷たさに眉を寄せる。

「もしかして、ずいぶん前から待ってたんじゃないっスか?」

「え?そんな事…」

少し恥ずかしそうに言ったアケミは、小さくくしゃみをした。

「きょ、今日は冷えますね…」

照れ隠しに言ったアケミの手を持ちあげると、アルは「はぁー」と息を吐きかける。

かじかんだ手を揉みほぐすようにして、暖かい息を吐きかけるアルの顔を、アケミは頬を赤らめながらぼーっと見詰める。

「手袋ぐらい、したほうがいいっスよ?」

「はい…。お昼頃は暖かかったので、うっかり…」

アルは目を丸くする。

「昼って…、9時間も待ってたんスか!?」

アケミは口元を押さえ、「しまった!」というように目を見開いた。

「だからあまり厚着じゃないんスね…。風邪ひくっスよ?」

心配そうに言うと、アルはファー付きのコートをばさりと広げ、アケミの肩にかける。

「ちょ、ちょっとアル…」

周囲の視線を気にし、恥ずかしそうに抗議したアケミには構わず。白熊は少女の体をピタリと脇に抱き寄せた。

「これならいくらかは寒くないっスよね?」

「こんなふうに前を開けていたら、アルが寒いじゃないですか…」

「この程度は平気っス。オレ太ってるし、脂肪と体毛のおかげで寒さに強いっスから!」

笑いながら言ったアルに、アケミは仕方がないな、と苦笑する。

そのままくっついて歩き出し、二人は駅を出た。

「疲れていませんか?先に何か食べてから出かけましょうか?」

「疲れてはないけど、腹はちょっと減ってるっスかね」

楽しいクリスマスイブを送れる事を、アルもアケミも、この時までは疑いもしなかった。

「それなら、あそこのレストランで食事にしましょう」

アケミが駅前のアーケードにあるビルを指さした時、その先で、空が赤く光った。

ドォンという凄まじい音。続いて地面が激しく震えた。

悲鳴を上げて身を竦ませたアケミを、アルは抱え込むようにして庇いつつ、鋭い目で行く手を睨んだ。一瞬前まで笑みを浮

かべていたその顔は、既に戦士の顔つきになっている。

街の空を覆う薄い雲が、赤い光によって下から照らされる。

人々の不安げなざわめきの中で、アルにはその光が何なのか、はっきりと理解できた。

「何でしょう?今の…。港の方みたいですけど…」

こわごわと呟いたアケミに、アルが応じる。

「何かが爆発したみたいっス。…かなり広い範囲で火が上がってる…」

不意に、アルの懐で携帯が鳴った。嫌な予感を覚えつつ、白熊は携帯を取り出す。

「え…、エマージェンシーコール…!」

アルは出撃要請を確認すると、コートを脱いでアケミの体にかける。

「ついてないけど仕事っス…。行かなくちゃ…」

一瞬引き留めようとしたアケミは、それを堪える。

アルは調停者なのだ。そして今、彼の力が必要とされている。聡明な少女には、その事が嫌と言うほど理解できていた。

「結構ヤバそうっスから、アケミは真っ直ぐ家に帰るっス。一人で大丈夫っスか?」

「はい。平気です」

頷いたアケミに、アルは辛そうに顔を歪めた。

「悪いっス…。片付いたら、すぐ連絡するっスから…」

そう呟くと、アルは手荷物から上着を取り出す。

バサリと翻して白熊が腕を通したのは、濃紺に彩られたジャケット。ブルーティッシュの制服である。

アルは着替えなどを入れたバッグは放り出し、武器を納めたキャリーバッグだけを担ぎ、爆発音の聞こえた方向へと駆け出した。

「アル!」

少女は思わずその背に声をかけ、白熊は足を止めて振り返る。

「…気をつけて…」

「うっス!」

アルはアケミの不安を吹き飛ばすように、口の端を吊り上げて笑いかけ、再び前を向いて走り出す。

アルの体温が残るコートにくるまれたアケミは、妙な胸騒ぎを覚え、コートの前をしっかりとかきあわせた。