第三十八話 「魔王の戦槌」

「う…、ううん…」

低く呻き、ユウトは薄く目を開ける。

見馴れない天井に壁、そして傍らには…、

「気が付いたか…」

パイプ椅子に座っていたタケシが腰を浮かせ、安堵したように微笑んでいた。

「ここは…?」

頭を押さえて体を起こしたユウトは、周囲を見回し、どこかの狭い部屋の寝台に寝かされていた事に気付く。

寝台は他にも二つあり、壁際にはロッカーが並んでいた。

タケシはここが港地区に建つホテルの一つ、従業員用の休憩室である事を説明すると、ユウトが気を失っている間に起こっ

た出来事を話して聞かせた。

「戦闘機はあらかた特自が撃退、残りは空母へ引き上げた。もともと拠点爆撃用に用意していたのだろう。あちらの主力はあ

くまで陸戦部隊だな。だが、空母に攻撃をしかけようとした特自の戦闘機も返り討ちに遭い、現在は引き上げている。最新護

衛艦以上の対空能力を持つ空母とは、まったく恐れ入る…」

「つまり、戦闘機やヘリで空母に直接攻撃を仕掛けるのは無理って事?」

「そうなる。犠牲が増えるだけだ。もっとも、得られた情報はここまでだ。どうにも電波の通りが悪く、携帯が機能しない」

携帯電話のモニターを見つめ、接続不可を確認しているタケシから視線を外し、

「…ごめん…」

ユウトはしょぼんと耳を寝せ、大きな体を縮めた。

「ボクがヘマをしたせいで、敵の指揮官を見逃さなきゃならなかったんだね…」

「気にするな。どのみち、あのまま戦った所で勝ち目は薄かった」

相棒にそこまで言わせる相手が気になり、ユウトはタケシの顔を見つめた。

「何者なの?その、ロキっていう相手…」

「俺がラグナロクに居た頃、指令を持ってきていた中枢のメンバーだ。俺にレリックや危険生物の知識を教えた教官でもあり、

中枢の最高顧問でもある。…いや、今では少々事情が変わっているようだが…」

(…ん?…ロキ、…ロキ…?…なんだか何処かで名前を聞いたような…)

なんとなく覚えがあるが、どこで聞いたのかが思い出せず、ユウトは首を捻る。

青年はそんな相棒を見ながら目を細め、それから思い出したように口を開いた。

「…そういえば、お前にアイスを奢って貰ったとか言っていたが…?」

「…アイスを…?」

ユウトは眉根を寄せて考え、そして「あっ!」と声を上げた。

「タケシがエンドオブザワールドを使ったあの日、迷子の男の子と会ったんだ!その子だ、確かにロキって名乗った!」

「すでに会っていたのか…。そいつだ。ロキは10歳ほどの少年の姿をしている」

タケシの言葉に、ユウトは動揺を隠せない様子で、

「あの子が…!?そんな…」

「気を遣う必要は無い。あいつは姿形こそ子供だが、あの姿のまま百年以上生きている」

「でも…、やりにくいなぁ…」

ため息をついたユウトは、気持ちを切り替えるように頭を振り、身体をずらしてベッドのへりに腰かける。そして自分の身

に起こった事を話し始めた。

「フェンリルと、ラグナロクの兵隊、部隊の方は、仲が良く無いのははっきり判った。ほとんど仲間割れだったよ」

「ふむ…。おそらく、少数の特殊部隊である、ロキに率いられた彼らと本隊の方では、互いに牽制し合う間柄なのだろう…」

ユウトは悲しげに目を伏せ、囁くように言った。

「…酷いものだったよ…。部下を捨て駒にして、ボクもろともにランチャーで吹き飛ばそうとした…。悪いのはあっちだって

判ってるけど…、上官の手で殺された彼らが、ちょっとだけ可愛そうだ…」

ちょっとだけとは言いながら、目に見えて悲しげに項垂れるユウトの横に、青年は腰かける。

「ラグナロクは、優れた軍隊だ。機械的な意味でな…。量産できる兵士の命など、消費戦力として簡単に使い捨てられる…」

「…キミは…、幼い頃からそんな中で過ごしてきたんだね…」

ユウトが漏らした吐息のような言葉に、タケシは目を閉じて頷く。

「ああ。中に居るうちは、それを異常だと認識する事は無かった。お前とアリスとの生活を通し、平穏と自由を知ったからこ

そ…、外側から改めて見たからこそ…、今は嫌悪感を覚えるがな…。…お前が気に病む事ではないんだぞ…」

「…ん…」

小さく頷くと、ユウトは身体を倒し、タケシの膝の上に頭を乗せる。

もしもタケシがラグナロクを抜けていなかったなら、例え殺されなかったとしても、今日、あるいは二年前の今日、敵同士

という立場で、戦場で向き合っていたかもしれない…。そう考え、無性に温もりが恋しくなったのだ。

頭を優しく撫でてくれるその手の感触に、その膝の温もりに、ユウトは心の底からほっとした。

「狂熊に飲まれて、意識が消える寸前に、ちょっとだけ聞こえたんだけれど…、フェンリルと、瀕死の兵士が、世界を変える

とか、そんな事を言ってたんだ…。ラグナロクの最終的な目的って、何なの…?」

「…世界を、正しい姿に作り変える事だ…」

「正しい世界?」

「ああ。今のこの世界は、偽りの姿だとラグナロクでは言っている」

ユウトは首をねじり、タケシの顔を見上げた。

「…正しいって、どういう風に?ラグナロクは、どんな風に世界を変えるっていうの?」

「…貧富も身分の格差も無い世界だそうだが…、まぁ、怪しげな宗教と同じ、繰言だろう」

ユウトは思う。それが本当だったらどんなに良いだろう?種族も身分も関係なく、全ての者が平等に、手を携えて歩める世界…。

金熊は一瞬そんな世界を夢想し、そして小さく息を吐き出し、身を起こした。

それが本当にラグナロクの目指すものだったとしても、何も知らない者をも巻き込む、武力を恃みとしたやり方は、到底正

しいとは思えなかった。

主義主張の違いがあれば、そこに争いが生じる。歴史は話し合いだけで進んできた訳では決してない。

その事を理解していてもなお、ユウトにとってラグナロクの行動は、決して受け入れられないものだった。

「っと…!」

ユウトは気配を察して慌しく起き上がり、居住まいを正す。タケシもまた気配を感じ、静かにドアに視線を向けた。

二人が見つめるドアが静かに開くと、両手一杯に荷物を持った少女と白熊が姿を現す。

「やっぱりだめみたいです。どこに行っても携帯が繋がりません」

「ホテルの電話も全部ダメっス。回線自体が通じてないっスね…」

口々に言った二人は、起き上がっているユウトに気づくと、一度驚き、それから安堵したように笑顔を見せた。

「とりあえず飯を食いながら、これからの行動について話し合おう。状況の整理もしておかなくてはな」

タケシはアケミから紙袋を受け取り、中身を机の上に出し始めた。アルも自分が抱えてきた袋から、次々と食料を出してゆく。

手伝おうとして立ち上がりかけたユウトは、体の感覚が鈍い事に気付き、狂熊覚醒を使用した事を思い出す。

(でも…、どうしたんだろう?前ほどの消耗は感じない…?これまでなら、目覚めた後は動くのも辛い程だったのに…)

首を傾げて考え込むユウトに、タケシは缶詰を開けながら視線を向けた。

「しっかり食って、体力を回復させておけ。夜明けと同時に動くぞ」

タケシの言葉に頷きながら、ユウトは自分の体に起こった変化について、仮定を立てていた。

瀕死に追い込まれて目覚めた後、ユウトの体は僅かに、だが明らかに変化を起こしている。

目覚めをきっかけに得た、身体能力の底上げに、治癒能力の上昇…。

あるいは、狂熊覚醒に耐えうるだけのキャパシティを、今になって自分の体も具えつつあるのかもしれないと。



「やはり通信手段も押さえられたか…」

タケシは自分の携帯も確認しつつ、静かに呟いた。

四人はテーブルを囲み、食事を摂りながら今後の方針について話し合っていた。

 他と連絡がついたのは、アケミがカズキにラグナロクが動いている事を伝えたのが最後だった。

あれから四時間が経つが、状況に変化はあったのか、それとも無かったのか、全く掴めていない。

パンや肉類を貪るように口に押し込みながら、ユウトが口を開く。

「ふぁぶひふぁんほへんふぁふはほへはまふぁ、ひんふぁいひらふぁいべひょ」

口の中に物が詰め込まれているせいで、ユウトが何を言っているのか解らず、アルとアケミが首を傾げた。

「「カズキさんと連絡が取れたなら、心配いらないでしょ」と、言っている」

タケシが当たり前のように通訳し、ユウトが頷く。

青年はしかし、表情を曇らせて黙考した。

(…だが、警視庁内部にはラグナロクの息がかかった者が居ると見て間違いあるまい…。カズキさんの進言が、きちんと伝わ

るかどうか、伝わったとして聞き入れられるかが問題だ…)

「でも、増援を当てにする前に、ボクらだけでも効果的に妨害できる方法を考えないとね」

ユウトは口の中の物を飲み下し、ミネラルウォーターのボトルに手を伸ばしながら言う。

タケシは腕組みしたまま黙り込み、しばしの後、ちらりとユウトに視線を向けた。

「策はある。が…」

ユウトは手を止め、タケシの目を見つめる。その瞳に理解の色が浮かぶと、タケシは続けた。

「ユウト次第だ。今の体調でもやれるか?」

ユウトはこくりと頷くと、不敵な笑みを浮かべてソーセージの束を掴む。

「食料と氷と水、たっぷり用意しておいて。フェンリルとも決着をつけなきゃいけないんだから、ガス欠になったら困るからね」



最初の一筋の朝日が、天へと駆け抜けたその時、タケシは海際に建つホテルの屋上から、洋上に浮かぶラグナロクの空母を

見下ろしていた。

「行けるね。射程内だよ」

傍らのユウトがそう言うと、タケシは後ろを振り返った。

アルとアケミが青年の顔を見つめ、頷いてみせる。

「作戦開始だ。巻き込んで悪いが、アケミも手伝ってくれ」

「はい!」

返事をした傍らの少女を静かに見下ろし、アルは少女を護り通す決意を新たにする。

起死回生の一手となるこの作戦は、絶対に成功させなければならない。

かなりの危険を伴うが、アケミにも手を貸して貰わなければならないのだ。

決して少女が傷つく事のないよう、アルは命に代えても護り抜くつもりだった。

「ではユウト、頼む」

青年の言葉に頷くと、ユウトは足を肩幅に開き、ぐっと腰を落とす。

両腕は、ピタリと両脇に引きつけられ、握られた拳は手の甲を足下に向けられていた。

深呼吸をするように、ユウトは深く、長い、独特な呼吸を始めた。



空母のブリッジで、艦長は昇る朝日の輝きに目を細めた。

様々な計器類が並び、上陸した各部隊の行動状況が送られてくるブリッジは、前線の兵を統括する司令部としての役割を果

たしている。

各部隊の状況を示す大型モニターは、町の港区全域において制圧が完了している事を示していた。

この空母が放っている特殊なジャマーの影響下は、一般の通信網は阻害されるものの、味方同士の通信だけは齟齬無く行え

るようになっていた。

作戦の成功を確信し、艦長は陸地へと視線を向ける。その途端に眩い輝きを目にし、顔を顰めた。

ビルが朝日を反射しているのだと思い、目を背けようとした瞬間、艦長は気付いた。

(…おかしい…?同じように並ぶ他のビルからは光が無い。朝日を反射する角度が違うのだな…。それなのにあの建物だけは…?)

「艦長!海岸に高エネルギー反応です!」

クルーの声に、艦長は即座に指示を返した。

「砲撃を受ける前に回頭し、離脱する!陸上部隊は全力で阻止せよ!」

彼が口にした「砲撃」という言葉に、クルー達は一瞬訝しげな表情を浮かべた。

港区は制圧下にある。この空母を砲撃できるほどの火力を有する特自の部隊も到着してはいない。一体、何から砲撃される

というのか?クルー達にはそれが解らなかった。

回頭を命じた艦長の背を冷たい汗が伝う。

二年前、彼は首都を攻めた空母の一隻を指揮していた。

その際に彼の空母のすぐ傍で、僚艦は陸からの一発の「砲撃」で沈められた。

戦況を大きく変容させたその砲撃を、ラグナロクは畏怖を込めてこう呼んでいた。

魔王の戦槌、と…。



アルとアケミは、目を逸らす事ができずにユウトを見つめていた。

深い呼吸を初めたユウトの身体は、次第に燐光を帯び始める。

朝日の照り返しを受け、金色の身体が輝いているのかと思ったが、じきに二人はそうでは無いことに気付く。

燐光は徐々に強まり、やがてユウトの身体は完全に光に包まれた。

その後も光は強まり、今ではユウトの身体自体が眩く発光しているように見える。

周囲の気温が下がっているように感じ、アケミは身震いした。

「もう少し離れていたほうが良い。かなり冷えるぞ」

タケシは目を細め、空母の動きを見つめながらそう言った。

「これ、何なんスか?ユウトさんは、一体何を…?」

「神代家の三大奥義の一つだ」

アルの問いに、タケシは視線を洋上へ向けたまま答える。

「エナジーコートとは、自分の生命エネルギーを力場として展開し、肉体を強化する護りの能力と言われている。だが、それ

は違うという事を、ユウトは俺に教えてくれた」

ユウトは周囲の声も耳に入っていない様子で、目を閉じ、意識を集中させている。

「エネルギーの操作。それこそがユウトの能力の本質だ。自分のものだけではなく、大気中に満ちるエネルギーをも身体に取

り込み、それを一気に放出する。エネルギーの取り込みから放出までに時間がかかるのが難点だが、破壊力は申し分ない。実

際に二年前の首都で、ユウトは空母を一隻沈めて見せた」

アルは驚きのあまり言葉を失う。空母が沈められ、ラグナロクが撤退したという話は聞いていたが、それがユウトの手によ

るものだとは聞かされていなかった。

「来たぞ」

タケシが顔を上げ、短く呟く。

程なく、何機ものヘリのローター音が聞こえ始めた。

遠くから近づいてくるラグナロクの攻撃用ヘリに向かって、タケシは刀を大きく振りかぶり、一閃した。

剣先から放たれたホロウエッジが空を裂き、四人を確認し、火器の発射射程に入ろうとしていた先頭のヘリを、虚ろなる断

裂が真っ二つに両断した。

近くのビルに激突し、炎を上げるヘリを目にし、他のヘリは回避行動を取る。

「一機残らず落とせ!ユウトの邪魔をさせるな!」

「うっス!」

アルは返事をしながら、傍らに山積みになった机に手をかける。

ホテルの事務室から失敬してきたスチールデスク、その足を片手で掴んだアルは禁圧解除をおこなう。そしてその場で大き

く振り被り…、野球のピッチングを思わせるモーションで投擲した。

事務机は砲弾のような勢いで飛び、狙い違わずヘリの操縦席に飛び込む。

スチールデスクという名の凶悪な砲弾をコックピットに放り込まれ、コントロールを失い落下してゆくヘリ。

「ナイスピッチだ、アル」

「どもっス!昔リトルリーグに居たっスからね。溶かし込んだ木のヌカってヤツっス」

「…昔とった杵柄、か?」

「あ、ソレっス」

迫り来るヘリに、二人はそれぞれ、空間の断裂とスチールデスクを次々と投げつける。

悪い冗談のような光景に、アケミはポカンと口を開けたまま、墜ちてゆくヘリを眺めていた。

「一発来るっスよ!」

アルの声に、アケミは我に返る。ヘリの一機が撃墜間際に放ったミサイルが、こちらめがけて飛んでくる所だった。

少女の左腕が素早く動き、指先がミサイルを指し示す。

その途端、ミサイルは強力な重力の鎖に絡め取られて急激に角度を変え、ほぼ真下に落ちてゆき、地上で爆発した。

「まだまだ来るぞ!」

タケシの言葉通り、次々とミサイルが飛んで来るが、アケミの放った重力波は、正確に、確実に、ミサイルを片っ端から落

としていく。

たった三人だけで構成された難攻不落の防衛ラインは、20機もの攻撃ヘリを完全に押さえ込んでいた。

やがて、臆したのか、ヘリが遠巻きに離れ始めたころ、ユウトは目を開けて呟いた。

「お待たせ、準備完了っ…!」

エネルギーをかき集められる中心となった屋上は、かなり気温が下がっていた。

足下には霜が張り、屋上の床全体がビシビシと音を立てて凍りついてゆく。

その上には大気中の水分が凍結して漂い、輝いていた。

美しいダイアモンドダストの中で、ユウトの身体は強く、眩い光を放っている。

「当然だが気付かれたようだ。空母が回避行動に移り、遠ざかっているが、行けるか?」

「もーまんたいっ!」

タケシの問いに、金熊は不敵な笑みを浮かべて見せた。

ユウトは全身に溜め込んだエネルギーを両手に集中させる。

全身から放たれていた光が弱まり、代わりに両手が強く発光し始める。

握り込まれた両拳は、まるで地上で輝く二つの太陽のように、眩い輝きを放った。

「奥義…、轟雷砲(ごうらいほう)!!!」

ユウトは大きく一歩踏み出しながら、両腕を勢い良く突き出す。開かれた両の掌から、眩い閃光が迸った。

発射の反動でユウトの巨躯が後方へと押しやられる。

金熊の両手から放たれた閃光は射角を広げつつ、屋上の床を削り取り、手すりを融解させ、冬の朝の大気を熱し、運悪く射

線上に入ったヘリを消失させ、3キロ沖合の空母へと伸びた。



「艦長!目標排除にあたったヘリ部隊が潰走!高エネルギー反応は依然健在です!」

「馬鹿な!?ヘリ20機だぞ!?」

空母のブリッジで、艦長が顔を蒼白にして叫んだその時、海岸線で一際眩い光が瞬いた。

それを確認した一瞬の後には、彼らは空母ごと閃光に飲み込まれていた。



轟雷砲に飲み込まれた空母は爆発を起こし、跡形もなく吹き飛んだ。

「すっ…げぇ…!」

沖合で上がった爆炎を眺め、アルは呆然と呟いた。その隣で、アケミも呆けたような表情で頷く。

残っていたヘリは帰る場所がなくなり、混乱をきたしていた。

「よくやった。ユウト」

発射の反動でかなり後ろまで後退していたユウトは、タケシの労いに笑みを返すと、ぐらりと揺れ、そのままうつ伏せに倒れた。

「ユウトさん!?」

驚いて駆け寄ったアケミに、ユウトは疲労の色が濃い顔に笑みを浮かべてみせる。倒れた周囲で霜が溶け、水蒸気が上がっ

ていた。

「大丈夫。ちょっと体が熱だれしちゃっただけ。…悪いけど体に氷水かけてくれる?もう一歩も動けないや…」

アケミは頷くと、あらかじめバケツにくんでおいた、半分凍った水をユウトの身体にかけ始めた。

「済まない、無茶をさせたな…。どれくらいで動けそうだ?」

タケシの問いに、体中から湯気をあげながら、ユウトはなんとか腕を動かしてみる。

「もうしばらくかかりそう…」

「よし、少し休もう。空母が沈んだ以上、おそらく通信が復活するはずだ。カズキさんと連絡を取ってみる」

ユウトは頷くと、ブロックアイスの袋を掴み、袋を破って中身をむさぼり始める。

ゴリゴリと氷を咀嚼するユウトの傍で、タケシは携帯を手に取った。その携帯が突然鳴りだし、一同は顔を見合わせて固まる。

『お!?タケシか!?やっと繋がった!』

「カズキさん!?」

タケシは驚きの声を上げ、電話の相手を知った三人は、安堵の表情を浮かべた。

『ユウトも一緒か?』

「はい、今隣に居ます」

『そうか…、この町の調停者は、この一晩の内に大半が殉職した…。確認できるだけで、二十数人しか残っていない…。お前

達が無事で、本当に良かった…』

カズキの沈痛な声を聞きながらタケシは思う。ロキの言ったことは、やはり本当だったのだと。

「ラグナロクが相手ですから…。警察はどう対応を?」

『…三時間前、マーシャルローの発令を進言したが…、済まない、却下された…』

「却下!?」

タケシは思わず聞き返し、苛立たしげにカズキは吐き捨てる。

『くそっ!首都は大事でも、地方の町はどうでも良いってのかよ!お上は!』

(やはり、ラグナロクの手が回っていたか…。しかも、思っていたよりも上の方まで…)

タケシは心の内で呟いたが、口にしたのは別の事だった。

「…ラグナロクの幹部クラスと接触しました。取り逃がしてしまいましたが、この町に眠るバベルを起動させるのが、今回の

目的だという情報を聞き出せました。おそらく、奴らは封印点の位置も特定しているでしょう」

『なんだと!?』

カズキは声を上げ、しばし沈黙した。

『だが…、まだ何とかなるはずだ。さっき助っ人が到着したからな』

タケシは眉を潜め、三人は通話の内容を気にして耳をそばだてる。

「助っ人…、とは?」

『ああ、マーシャルローの却下が決定された時点で、だめもとで連絡を取ってみたんだが、快く協力を承諾してくれた。国内

最大、最強のチームがな!』

カズキは希望を込め、その助っ人の名を告げる。

タケシは一瞬驚きの表情を浮かべ、そして三人に告げた。

「ダウドが…、ブルーティッシュが来てくれたぞ!」



「ここを抜かれたら、住民が避難している区域に侵入される…。死んでも阻止しなければならない」

ラグナロクの部隊に追い込まれた、ある調停者チームは、死を覚悟し、これよりまさに最後の交戦に望もうとしていた。

ショッピングモール内に車でバリケードを築き、これまでなんとか凌いできたが、応援も来ず、多勢に無勢。死傷者も多く、

次の攻撃を凌ぎきれるかどうかも定かではなかった。

リーダーがメンバーの顔をゆっくり見回す。いつか任務を一緒にこなし、ユウトにサインを頼んだ、長銃を持った調停者だった。

「悪いが、皆の命、ここで散らせてもらう事になるかもしれない」

メンバー達は一様に憔悴しきった顔をしていたが、それでも笑みを浮かべて頷いた。全員が人々を護る事に誇りをもってい

る。根っからの調停者だった。

バリケードにしていた車が、銃弾を受けて甲高い音を立てた。それを皮切りに、集中的な一斉射撃が行われ、調停者達は身

を低くして反撃の機会を待つ。

射撃が途切れた瞬間を見計らい、リーダーが反撃の指令を下そうとしたその時、彼らの背後から突然声が響いた。

「取り込み中悪いが、港への最短ルートはこの道で良いのか?」

その場にそぐわぬのんびりとした声に、メンバー達が振り返る。

大柄な白虎が、身の丈程もある巨大な漆黒の剣を肩に担ぎ、調停者達を眺めていた。

散発的に銃弾が飛んでくる中、男は伏せもせず、メンバー達を見つめている。

「あ…貴方は…」

驚愕の表情を浮かべ、口を開くリーダー。自分が目にしているものが一瞬信じられなかった。

白虎は飛び来る銃弾に、小うるさそうに顔を顰めて呟く。

「えぇい鬱陶しい、落ち着いて話もできん…」

言うが早いか、白虎は無造作にバリケードに歩み寄ると、ひらりとその上に飛び乗る。

「おうおう…、雑魚どもが群れやがって…」

目の上でひさしを作り、白虎は物陰や建物の中から発砲して来る敵を数える。

飛び交う銃弾は、何故か男にかすりもしない。

まるで弾丸自体が、この男の体に触れる事を恐れ、避けているかのような錯覚を覚えさせた。

白虎は片腕一本で巨大な剣を振りかぶると、

「唸れ、ダインスレイヴ…!」

呟きながら、大きく横薙ぎにした。

しかし実際には、この男が剣を振るうのを誰も見ることはできなかった。巨大な剣はその場に居合わせた誰の目にも見えぬ

速度で振るわれた。

凄まじい突風が巻き起こり、モール内を吹き荒れる。

いや、それはもはや風ではない。放たれた衝撃波がモール内を荒れ狂い、ショーウインドウのガラスをことごとく粉砕し、

ベンチや看板を破壊し、建物の壁にひびを入れて削り取り、潜んでいたラグナロクの兵を吹き飛ばした。

剣の一振りで巻き起こされた衝撃波が収まった後のショッピングモールは、竜巻にでも蹂躙されたような有様となっている。

男の剣、そのただ一振りで、その場にいたラグナロクの兵は全員が戦闘不能になっていた。

「ダウド…グラハルト…!」

リーダーの調停者は、羨望と敬意、畏怖を宿した瞳で、バリケードの上の白虎を見上げた。

その視線を背中に浴びながら、ダウドはモール内の惨状を前に、がりがりと頭を掻く。

「少々やりすぎたか…?」

ダウドは振り向くと、リーダーに再び問いかけた。

「で、港へはここを真っ直ぐで、あっているか?」

「は…、はい」

「そうか、有り難うよ。ところであんた、長瀬冬也(ながせとうや)…って言ったよな?」

言葉を交わすのが初めてのダウドに名を呼ばれ、リーダーは意外そうに目を丸くした。

「そうですが…、私をご存知なので…?」

「国内のチームのリーダーは、ほとんど顔を覚えているんでね。それに、ライフルを扱わせれば国内屈指の調停者…、前々か

らそんな評判を聞いている」

自分のような小規模チームのリーダーの事を、国内最強の調停者が覚えている…。その事に、トウヤは胸が熱くなった。

「かなりきつかったろう?後は俺達に任せて、少し休んでいてくれ」

白虎は微かな笑みを浮かべると、調停者達の後ろに視線を向けた。

調停者達の後ろに、ブルーティッシュのメンバー達がいつのまにか整列していた。その数は優に300を超える。

「総員、戦闘準備!」

ダウドの腕がさっと上がり、号令が下されると、ブルーティッシュは一斉に武器を構えた。

「これより、敵、襲撃部隊殲滅戦を開始する!俺に続けぇっ!」