第四十三話 「巨獣の目覚め」
バベルを包囲するブルーティッシュの一団。
その中で、じっと白い塔を見上げていたダウドは、不意に何かに気付いたように、視線を海へと向けた。
「どうしたの?」
問いかけるネネにも答えず、白虎はその金色の瞳で水平線を睨みつけていた。
「…今になって…、出てきやがったか…!」
呟いたダウドの声には、強い緊張と、隠し切れない敵愾心が滲んでいた。
ネネの感覚を持ってしても捉えきれない遥か海上。
そこに居る者の気配を、ダウドは本能で感じ取っていた。
「ユウト、大丈夫か?」
治まらない呼吸の乱れを感じ、タケシはユウトを振り返る。
「ん…。ちょっと疲れちゃっただけ…。でも、まだまだ平気だよ」
ユウトは口の端を微かに上げて笑みを返した。
強がりである。
負った傷には応急処置を施し、出血こそ止まっているが、失った血はどうしようもない。
両手は連壊熊撃衝の反動で亀裂骨折し、フェンリルとの戦いで肋骨も三本折れている。
二度の狂熊覚醒により全身の筋肉は酷使され、各所の関節もガタガタであった。
上昇した回復力も、歩き詰めで体力自体が戻っていない今では十分に発揮されていない。
薄いオーラコートをギプス代わりにして体を補強し、無理矢理動かしているような有様だ。
相棒の痩せ我慢に気付いてはいたが、タケシは引き返せとは言わなかった。
いや、言えなかった。
聞き入れるようなユウトではないし、力ずくで追い返す訳にもいかない。
この一連の事件に対し、自分が業を背負っているように、ユウトもまた、ラグナロクに対する業を背負っている。
その事を、タケシは深く理解していた。
(いざとなれば、身体を張って護り抜く…)
そう心に決めると、タケシはそれっきり口を閉ざし、上を目指す。
青年が見せた、気遣わないという態度こそが、今の自分への何よりの気遣いである事を感じ、ユウトは口元に微かな笑みを
浮かべる。
タケシが誰よりも自分を理解してくれている事が、ユウトには、とても嬉しかった。
階段を登り切った大部屋で、二人は足を止めた。
正面に幅の広い階段があり、見上げるその先に、入り口で見た物と同じデザインの大扉があった。
「早かったですね」
階段の一番上に腰掛け、ロキは二人を見下ろして言った。
「…ロキ…!」
タケシは半身になって北天不動を抜き放ち、ユウトは僅かに足を開いて身構え、グレーの髪をした少年を見上げる。
「シノブとフェンリルを退けましたか…。ですが、こちらの調査は先ほど済みました」
ロキは立ち上がると、タケシに微笑みかける。
「どうやら、この扉はあなた方でないと開けられないようです。入り口と同じですね」
タケシは鋭い瞳に疑念を宿す。
「なぜ、俺達でなければ開かない?俺達とこの塔には何の関係がある!?」
ロキは肩を竦めた。
「あなた達は、バベルの為に生まれたのですよ」
意味が解らず、困惑したタケシに、ロキはすっと手を伸ばした。
「さあ、扉を開けて貰えますか?それが貴方達の「生まれた理由」でもあるのですから」
タケシは息を吸い込むと、はっきりと言った。
「断る。この塔が何なのかはまだ解らないが、感覚が教えてくれる。…これはヤバいものだ。決して触れてはいけない…、誰
の手にも触れさせてはいけないものだ…!」
「そうですか…。協力して貰えないなら仕方ありませんね…」
ロキが薄く笑うと、右手に持った石版がうっすらと光った。
「ならば、死体にして、腕の一本でも頂きましょう。こちらとしては、扉を開けられさえすれば良いのですからね」
ロキが伸ばした左手の先にオレンジ色の光が灯る。
次の瞬間、大気を飲み込みながら巨大化した光球が、火球となって二人に放たれた。
咄嗟に横へ跳び、左右に分かれたユウトとタケシの間で、炎球が爆発し、炎を撒き散らす。
荒れ狂う炎を裂いて飛び出したのは、金色の大熊だった。
「おおおおおおおぉぉぉぉおっ!」
全身に燐光を纏い、炎を退け、大きく跳躍したユウトは、咆吼を上げながら宙を駆け、ロキに肉薄する。
禁圧総解除。自分に残された力があと僅かである事を把握しているユウトは、残る力を振り絞り、出し惜しみ無しの短期決
戦に臨んだ。
全体重と突進の勢いを乗せて繰り出した拳はしかし、ロキの眼前で不可視の壁に阻まれる。
宙に在りながら身体を反転させ、続け様に後ろ回し蹴りを繰り出すが、それすらもロキには届かない。
ユウトは見えない壁に弾かれるように吹き飛ばされると、宙で体勢を立て直し、四つん這いになって階段の中ほどに着地する。
「お父さんとはぐれて迷子になってたっていうの、ウソだったんだね!?」
「ええ。私は嘘つきですから。そうそう、あの時のアイスクリーム、とても美味しかったですよ」
にっこりと微笑むロキに、ユウトは顔を顰めて言い返す。
「悪人だと知ってれば奢らなかったよ。ボクの200円返せっ!」
再度突っ込み、繰り出されたユウトの拳は、またしても不可視の壁に止められた。
「無駄ですよ」
微笑みながら言ったロキに、しかしユウトがニッと不敵な笑みを返す。
直後、その背後に駆け込んでいたタケシが、大熊の脇をすり抜けて刀を一閃した。
空間の歪みを纏った北天不動は、不可視の壁をやすやすと切り裂いてロキに迫る。
しかし、ロキはひらりと後方へ舞い、金色の切っ先から逃れた。
「見えない盾も、その予備動作の無い動きも、風を操作しておこなっている。違うか?」
「ご名答。さすがは私の教え子です。もう少し細かく補足すると、大気と気流そのものの操作ですね。障壁については圧縮し
た空気を思念波で縛り、固形化させています」
満足げに笑ったロキに、青年は胡乱げに目を細めた。
「種明かしとは余裕だな…。ハンディのつもりか?」
「まあそんな所です。もっとも、原理を教えた所で、私と貴方達の戦力差は僅かも縮みませんがね」
「その油断、高くつくぞ?」
言いながら、タケシは大きく刀を振りかぶる。
放たれたホロウエッジから、まるでバネ仕掛けのような動きでロキが逃れた。
「空間の断裂までは防げないようだな」
「残念ですが、さすがにそれは無理ですね」
あっさり頷いたロキに、飛び出したユウトが再度接近戦を挑む。
「それは無駄だと…」
「ホントに無駄かな?熊撃衝!」
言いかけたロキの目の前で、壁に阻まれたユウトの拳が閃光を放つ。
閃光を火花のように撒き散らしながら、ユウトの拳は凝縮された大気の壁にめり込んでいく。
「これはすごい…」
浸食されていく壁を目前にしながらも、感心したように言ったロキの口調には、焦りは全く感じられない。
少年は興味深そうな表情を浮かべたまま、すっと左手をユウトに向ける。
背筋を走る戦慄に、ユウトは拳を引き、反射的に後ろへ跳んだ。その目前で白い霜が舞い、一瞬後に氷の柱が出現した。
もしも反応が遅れれば、ユウトは大気ごと凍結させられ、氷柱に閉じ込められていたところだ。
再び距離を置いて自分を睨むユウトに、ロキは楽しげな笑みを浮かべて小さく頷く。
「勘も良いですね。フェンリルが一目置くのも頷けます。…素体として極上のポテンシャル…。殺すには少々惜しいですね…」
今度は自分が、と進み出たタケシを、ユウトが横に腕を伸ばして制した。
「タケシ、あの壁、厄介だけれど攻めるチャンスにもなる…」
ちらりと視線を向けたタケシに、ユウトはロキに聞こえないよう、小声で囁いた。
「あの壁を出してる間は、あの妙な移動はできないみたい」
「…だが、今もそうだったが、障壁を破れる空間操作を使用すれば、瞬時に障壁を解除してかわされるぞ」
「そこで、力押しさ」
ユウトは口の端を微かに吊り上げた。
「あの壁はいくらでも防げる訳じゃないらしい。耐久限界があるみたいだ」
小声で言うユウトに、タケシも声を潜めて問い返した。
「限界?」
青年は、依然として余裕の表情を崩さないロキの様子を窺う。
「精神力は底抜け…、少なくともまだまだ余力がある…。空気も周辺に無尽蔵にあるだろうに、何故だ?」
「詳しくは解らないけど、攻撃を止められる寸前に、あいつの周りに風が集まって凝固するのを感じた…」
ユウトは接触の間に、その鋭い五感で感じ取った現象をタケシに説明する。
「殴ると、それがこっち向きに噴出されて来るような感じ…。攻撃を加えた分だけ、壁は小さく、薄くなってく。これは今の
熊撃衝で確認できたよ」
金熊は確信を込めて小さく頷いた。
「一度固めたら、追加で強化する事はできないみたい。一回解除して作り直してるから、たぶん間違いない」
「…つまり、一度に障壁の耐久力を越えるだけの衝撃を加えれば…」
「破れるはずだよ。張り直す間も与えないで、一気に押し込みさえすればね」
「ならば、手はあるな…」
二人は頷き合うと、ロキに向かって身構えた。
「やれやれ、やっと相談が纏まったかと思えば、ただの二人同時攻撃ですか?同じ事ですよ」
呆れたように肩を竦めて見せたロキに、ユウトとタケシは口元を吊り上げ、不敵な笑みを浮かべて見せた。
「ボクらの1+1を、2だとは思わない方がいいよ?」
「そういう事だ…」
タケシは右足を前に出し、北天不動と鞘をしっかり握って構え、その隣でユウトは左足を前に出し、両の拳をぎりっと固める。
互いに背中合わせになって構えると、二人は同時に床を蹴った。
接近する二人めがけ、ロキは無造作に手を突き出し、火球を放つ。
二人は高速接近する火球と接触する寸前で、同時に左右に跳んでそれをかわす。回避した二人の遥か後方で、バベルの内壁
に当たって火炎が炸裂した。
回避して左右に分かれた位置から、ユウトとタケシは急激に進路を変え、さらに速度を上げつつ挟み込むようにロキに肉薄する。
「弐拳!」
「弐刀!」
ロキに続く術を発動させる隙すら与えずに接近し、タケシが、ユウトが、左右から同時に攻撃をしかける。
『重殺連舞(じゅうさつえんぶ)!』
刀が、拳が、ロキの両側からまるで雪崩のように間断なく打ち込まれる。
自分の精神力と大気によって形成された不可視の障壁が、見る間に削られ、薄くなってゆくのを感じ、ロキの顔色が変わった。
「熊撃衝!」
ユウトの渾身の一撃が、薄くなった壁を完全に打ち砕く。
勝機を得たと確信したタケシの北天不動が、金色の尾を引き、障壁を失って無防備になったロキめがけ、宙を走る。
が、その一太刀がロキの喉元を捌く寸前に、タケシの身体は横に突き飛ばされた。
次の瞬間、轟音と同時に、閃光がタケシの目を灼いた。
青白い閃光に一瞬目がくらみながらも、横から突き飛ばされた青年は、目を覆いながらなんとか踏ん張る。
「危ない所でしたよ…」
光で痛めた視神経が回復し、視界が徐々にはっきりしてくる。
青白い光が焼き付き、チカチカする視界に、ロキの前に立つ、ユウトの後ろ姿が映った。
「おまけに、仕留めるつもりが、逃がされてしまいました」
焦げ臭い、肉の焼ける臭いが鼻を突いた。
ユウトはこちらに背を向け、動かない。
「彼女に感謝する事ですね」
ぐらりと、ユウトの身体が傾いた。
後ろへと倒れるユウトに、タケシは手を伸ばす。
ジャケットを掴んだが、炭化した繊維は青年の手の中で崩れ、ユウトの身体は引き留められず、そのまま階段を落ちてゆく。
全てがスローモーションに映るタケシの視界の中で、ユウトはバウンドしながら階段の下まで転がり落ち、うつぶせに倒れ
て動かなくなった。
その周囲の白い床に、ドロリと、赤い水溜りが広がってゆく。
「ユウトぉぉぉぉぉおおおおっ!!!」
階段を転げ落ちるように駆け下り、タケシはユウトの上体を抱き起こす。
衣服がボロボロと崩れ落ち、焼け焦げた被毛がパラパラと散る。
雷撃に貫かれたユウトの腹には、まるで内側から破裂したような、周囲が焼け焦げた大穴が開き、血がドクドクと溢れ出ていた。
僅かに上げられた瞼の下から、焦点の合わぬ蒼い瞳が、タケシの顔を見つめる。
何かを言おうと開いた口から、ゴボリと血が溢れ出た。
「喋るな!くそっ!何故俺を庇ったりなどした!」
タケシは泣きそうに顔を歪め、上着を脱いでユウトの傷に押し当てる。
濃紺のジャケットは瞬く間に血を吸って赤黒く染まるが、青年が上から発泡スプレーを振ると、凝固して出血を食い止め始める。
「…ぶ…、じ…?」
あちこち焼け焦げた顔を向け、ユウトはタケシの顔を見つめる。
「ああ、お前のおかげで助かった…」
「…よ、良かっ…、色男…が…、台無し…なら…、な…く…」
「何て真似を…!俺の事などどうでも良いのに…!」
苦しげに笑みを浮かべたユウトの頬を、タケシは指先で優しく撫でる。
「…少し休んでいろ…。あとは、俺に任せてくれ…」
タケシが力強く頷いてみせると、ユウトは微かな笑みを浮かべ、そのまま目を閉じた。
ユウトの傷は、絶望的なまでに深かった。
傷口が炭化しており、ユウトの優れた回復力も全く役に立たない。
青年はそっとユウトの身体を横たえ、右手に北天不動を、左手にその鞘を掴んで立ち上がった。
「…傷つけたな…。ユウトを…、傷つけたな…!」
タケシはロキに背を向けたまま、肩を震わせる。静かな、しかし赫怒を宿した声音が、ロキの耳に届いた。
ゆっくり、ゆっくりと振り向いた青年がロキを見上げる。ロキの姿を映すその黒い瞳が、不意に紫紺の輝きを宿した。
「…ロキ…」
自分を見上げるその瞳に、紫紺の光が宿っている事を見て取ると、ロキは、その声に畏怖の響きを滲ませて呟いた。
「…還って来ましたか…、ベヒーモスが…!」
タケシは刀と鞘を目前で交差させ、
「…5秒やる。消えろ。さもなくば…」
凄みの効いた声で、静かに、囁くように言った。
「…お前を殺す…」
ロキはゴクリと唾を飲み込む。
絶えず浮べていた微笑の仮面と余裕の表情に代わり、その顔には緊張の色が滲んでいた。
「…私を殺すとは、大きく出ましたね…。ですが、二人掛かりでも無理だった事を、貴方一人で…」
ロキの言葉が終わらぬ内に、タケシは交差させた刀と鞘を、左右へと振り抜いた。
反射的に身を伏せたロキの頭上で、十字型に空間がパックリと裂け、暗黒色の大口を開ける。
「…5秒経った…」
タケシはそう呟くと、左右に振った得物を上へと振り上げる。
大気を操作し、横にスライドしたロキのすぐ傍で、二条の空間の断裂が、下から上へと走った。
続けざまに刀を振り下ろすと、空間の断裂はロキめがけて上空から走る。
次いで鞘を横に薙ぐと、断裂は横からロキに牙を剥く。
その様子はまるで、刀と鞘とで空間の断裂を指揮しているようにも見えた。
それは、空間の断裂を指定した座標に直接出現させる。ホロウエッジとディストーションのあわせ技であった。
ホロウエッジのようには軌道が読めず、ディストーションのような発動の隙も無い。
しかも、それだけの真似をしながら、タケシは全く疲労を覚えていない。それどころか、無限にも等しい力が湧き上がるの
を感じていた。
「…これは…、まさか…!?バベルが力を与えているのですか…!?」
かわすだけで精一杯のロキが、驚愕に声を震わせる。
(バベルとリンクできる事は知っていましたが…、この力…、バベルを隷属させ、力を引き出している!?)
タケシは次々と空間を絶ち割りながら前進し、ロキとの間合いを詰める。
「っく!」
焦りの表情を浮かべたロキは、大きく腕を振るい、階段を封鎖する巨大な氷の壁を出現させる。
「おおおおぉぉっ!」
青年が腹の底から獣じみた怒号を発すると、氷の壁は周囲の空間ごと歪み、消失した。
フォルテディストーション。しかし広範囲空間歪曲はこれまでと違い、一切の予備動作も、集中時間も無く、ただ一声の雄
叫びだけで放たれていた。
この時、この場におけるタケシは、完全に己の能力を引き出し、バベルから流れ込んでくる強大な力を自分の物としていた。
「ならば…!」
ロキはタケシめがけて左手を伸ばす。
タケシは僅かに目を細め、喉の奥で獣じみた唸りを漏らし、目前の空間に大穴を開ける。
ユウトを一撃で破壊する雷光を放ったロキは、しかし驚愕に目を見開いた。
眩く輝く青白い閃光は、タケシの前にポッカリと開いた大穴に飲み込まれ、タケシにはダメージを与える事無く消滅する。
やはり何の予備動作も無く、唸り声一つで出現させた空間の穴を閉じると、タケシは紫紺の瞳でロキを見据えた。
「無駄だ。…俺にはもう、お前の力は届かない…!」
続けて攻撃を加えようと、再び腕を伸ばすロキ。その手が、手首からポロリと落ち、階段の上に転がった。
手首から失われた自分の腕を、呆然と見つめてロキは呟く。
「素晴らしい…。彼らにこれほどの力が…」
その瞳に、すでに目前に迫った青年の姿が映り込んだ。
まるでその場から消え、一瞬で移動したかのように、突然目の前に現れたタケシの動きに、ロキは全く反応する事ができな
かった。
「これまでだ、ロキ…!」
空間の歪みを纏った刀と鞘が、ロキの両肩に潜り込み、胴の中央で交差した。
刀と鞘はそのまま両脇腹へと抜け、ロキの体はバツの字に切り裂かれる。
肩から両腕を、そして鳩尾から下の胴体を切り離され、胸と首だけになった少年が、床に落ちてゴボリと血を吐き出す。
「残念ですね…、もう少しで、バベルの最奥を見られたというのに…」
タケシはロキを見下ろした。その瞳が紫紺の輝きを失い、漆黒に戻る。
「…教えろ…。バベルが俺に力を与えている。そう言ったな?どういう意味だ?」
その時、尋ねるタケシの後方で、ユウトが寝かされているよりもさらに後ろの階段から、シノブとフェンリルが支えあって
姿を現した。
「貴方は…、いえ、貴方達は…、バベルを創った者が生み出したのです…」
「…バベルを建造した者の子孫…?そういう事か?」
タケシの言葉に、ロキは首を横に振る。
「いいえ、…バベルと同じように、その製作者が作り出した存在…」
ロキの言葉の意味が、青年にも、そしてシノブにも、一瞬飲み込めなかった。
「…正確には、そのコピーです。バベルの鍵として生み出された一族の末裔、裏帝(りてい)の血族、不二沙門…。貴方達は
そのコピーですよ…。ラグナロク製レリックヒューマン「ベヒーモス」その一号こそが、不破武士…、貴方です…」
「うそ…?」
掠れたような呟く声に、タケシは振り返る。真っ青な顔をしたシノブが、彼のすぐ後ろに立っていた。
「残念ながら本当です…。シノブ、貴方はタケシの次に生み出された存在…。サキモリは三番目です…」
「シャモンは…?シャモンはこの事を!?」
シノブの問いに、ロキは薄く笑った。
「知っています…。知った上で、貴方達を保護しようとしていた…。貴重な存在である彼女の発言力で、貴方達は実験動物の
ような扱いだけは受けずに済んだのです…」
ロキは激しく咳き込み、血塊を吐き出した。
「不二沙門の遺伝子を使い…、人為的にレリックヒューマンを生み出す…。そうして生まれたのがベヒーモス…。本来生物が
獲得できるはずのない空間干渉能力は、貴方達がレリックと同源の存在だからこそ行使できる力…」
自分を支えていたものが全て、音を立てて崩れてゆくような感覚に囚われ、シノブはその場にがくりと膝をつく。
虚無感と喪失感に抗い、タケシは、食い縛った歯の隙間から声を絞り出した。
「俺は…、俺達は…、作られた生命、なのか…」
ロキは薄い笑みを浮べたまま、虚ろな瞳でタケシを見つめる。
「命の出来上がった状況など、どうでも良い事です。重要なのはそれがどのように移ろい、変ってゆくか…。貴方達を、もう
少し観察していたかったのですが…、そろそろ、限界…ですかね…」
ロキは疲れたようなため息をつくと、そのまま動かなくなった。その体が白く変色し、ザラリと、砂のようになって床に崩れる。
衣類とグリモアだけを残して塵になったロキを見下ろし、タケシはがっくりと項垂れているシノブの肩に手を置くと、静か
に告げた。
「戦いは終わりだ…。降りよう…」
シノブはふらつきながら立ち上がり、タケシに頷いた。
青年は小さく頷き返すと、階段の下に視線を向け、飛ぶように駆け下りる。
倒れたユウトの脇には銀狼が屈みこみ、うっすらと輝く両手を、彼女の腹の傷の上に翳していた。
今の銀狼には敵意が全くない事が、タケシにははっきりと感じられた。
ユウトは短く、浅い呼吸を繰り返している。
電撃で神経が焼き切れ、もはや苦痛すら感じていないのか、その顔は苦しげには見えず、傷さえなければ穏やかに眠ってい
るようにさえ見える。
その事が、タケシにはかえって不吉に感じられた。
死を前に、苦痛から開放されているような、感じたそんな印象を、頭を振って追い払う。
フェンリルは微かに焦りを滲ませた口調で呟いた。
「思わしくない…!力場の放出を応用し、細胞を活性化させているが…、神代本人の生命力自体が弱りきっているうえ、傷口
が炭化して治癒能力がほとんど働かない…」
舌打ちをした銀狼の顔には、明らかな苛立ちが浮かんでいた。
いましがた、命をかけて拳を交えたばかりのユウトを、今やフェンリルは、死なせたくないと強く思っている。
「一刻も早く外的な治療を受けねば、そう持たんだろう…」
「だが、無理に動かすのもまずい…。おぶって塔を下りれば傷に響く…。何か…」
何か方法は無いか?青年は周囲を見回し、一点で視線を止める。
「あの先には、何がある…?」
階段の上、扉を見据えてタケシは呟く。
「この塔自体がレリックと聞いている…。中の事まではさすがに知らないが…、あるいは何か使えるものがあるかもしれん」
フェンリルの言葉に頷くと、タケシは階段を登り始めた。
その横に無言で進み出たシノブが並ぶ。青年の視線を受けたシノブは、
「…私も…、この塔の正体を知らなければいけないわ…。そして…、これからの事を決める…!」
自分に言い聞かせるようにそう言った。
タケシは頷き返すと、同じ宿命を背負った妹、シノブを伴って扉の前へと進む。
「開けるぞ」
「ええ…」
タケシは腕を伸ばし、扉に触れる。
青年の指先に軽く押され、音もなく、ゆっくりと扉が開いた。
扉の隙間から眩い光が溢れ出す。
新旧二人のベヒーモスの前に、バベルの最奥は、ついにその姿をさらした。