第七話 「事務所の休日」
週に一度の事務所の定休日、タケシはまだ眠っているが、ユウトは毎朝のように早起きし、事務所前を掃除していた。
箒で丁寧に砂埃を掃き、階段の登り口にあるマットを綺麗にし、看板を水拭きする。
丁度やってきた牛乳配達のおばさんと、新聞配達のバイト学生と、にこやかに挨拶を交わす。
その場で一本蓋を開け、牛乳を飲みつつ、新聞の一面記事にザッと目を通しながらキッチンに入ると、タケシは昼まで起き
ないので、自分の分だけ簡単な朝食を用意し、野菜炒めとベーコンエッグを三人前、パン2斤をペロリと平らげる。
しっかり分別したゴミを集積所に出し、顔を合わせた近所の主婦達と挨拶を交わす。
…大きなお世話だろうが、見た目によらずマメである。そして、強面の外見にも関わらず、ご近所での評判もすこぶる良か
ったりもする。
午前9時。高視聴率男のタレントが司会している報道番組を見ながら、スーパーのチラシを確認する。家計簿をまとめ、不
足している、あるいは必要な品物を確認して、買い物用にチラシの裏にリストアップする。
それが終わると、今度は洗濯物を干し、リビングを軽く掃除する。それからしばらくして、いつの間にか11時を回ってい
たことに気づき、慌てて昼食の支度を始める。
…どこからどう見ても、やっている事は完全に主婦であった。しかも休日な割に、結構働いている。
卵焼きと味噌汁、焼き魚。炊きたての白いご飯と漬け物。純和風の昼食ができあがると、丁度良くタケシがリビングにやっ
てくる。
「おはよう」
「おはよう…」
ぼ〜っとした顔で返事をしたタケシは、ソファーに腰掛け、あてがわれた朝食兼昼食を、もそもそと食べ始める。向かい合
って座ったユウトが、食べながら色々と話しかけるが、青年からは短い返事か、頷きだけが返ってくる。
「…でね、牛乳だけじゃなく、亜鉛も一緒に摂った方が、骨へのカルシウムの吸着が良くなるんだって。こないだのテレビで
ムノさんが言ってた」
「そうか」
他愛のない会話、おいしい食事、のんびりと過ごす休日。表情に乏しいものの、こう見えて、タケシは割と上機嫌だったりする。
朝食兼昼食が済むと、購入したばかりのランドクルーザーに乗り込み、二人は買い物に出かけた。
日常雑貨と食品類、仕事上破れる事も多いため、予備も含めて衣類の補充は欠かせない。食料品については、仕事帰りなど
にこまめに買い足してはいるものの、それだけではユウトの旺盛な食欲を満たすには少々足りなかった。
タイムセールで修羅場と化したデパートの食料品売り場、そのまっただ中で奮闘するユウトを、タケシは少し離れた所から
見つめながら、静かに待つ。
黙っていれば美青年のタケシを、数人の女性が、通り過ぎながら興味深そうに見つめてゆくが、その様子は彼の眼中には入
っていない。
やがて騒ぎが収まると、戦利品をかごに詰め込んだユウトが、ニコニコと上機嫌で戻ってきた。どうやら戦果は上々のよう
である。
「お待たせ。会計を済ませて次に行こうか」
ユウトの言葉に黙って頷くと、タケシはそのかごにバニラ味のプロテインを入れる。ユウトは苦笑を浮かべると、かごを持
ってそのままレジに向かった。
次いで二人は相楽堂へとやって来た。
表向き骨董屋を営む店内で、店員に調停者である事を示す認識票を見せ、奥へと通されると、二人は着物を着た30代ほど
の男に迎えられた。
「いらっしゃいませ。今日は刀の事じゃ無さそうですね?」
ユウトが同行している以上、刀について長々と話をしに来た訳ではないのだろうと察し、若旦那はクスクスと笑う。
「今日は違います。ね?」
ユウトに横目でチラリと見られ、タケシは頷く。が、その顔は少し残念そうにも見えた。
「コマンドキャンセラーの試作品があると聞きました。少しで構わないので、見せてもらえないものかと思いまして」
「ああ、アレですか。構いませんよ」
若旦那は快く頷くと、二人を店のさらに奥の方へと誘い、厳重に施錠された地下への扉の前へと案内した。
「本当に試作ですけれど、まあ見て行って下さい」
ヨウスケはそう言って扉を押し開いた。同時に、中からオルガンのような音が聞こえてきた。
広い部屋の中央にはパイプオルガンのような機械が置かれ、周囲で白衣の男達、レリックの研究者達が、なにやら作業を行
っている。音はどうやらそれが奏でているらしかった。
音は騒々しいほどではないが、扉にも部屋にも防音が施されているのだろう。扉が開くまでは獣人であるユウトの耳にも何
も聞こえなかった。
「インセクトフォームに特定の音を聞かせると、与えられた命令を忘却させ、大人しくさせる事が可能だと研究で解り始めま
した。これが完成すれば被害は格段に減少します」
「それは良いですね。…ボクらは商売上がったりになるかもだけど」
「お互い様ですよ。全く、お互いに難儀な商売ですね」
苦笑して付け加えたユウトに、若旦那も苦笑いを返す。その横で、タケシは興味深く、食い入るように装置を見つめていた。
買い物と、開発中の新兵器の見物が済むと、二人は並んで、ショッピングモールをのんびりと歩いた。美青年のタケシと、
飛び抜けて大柄なユウトは否が応でも人目を引くが、二人は特にそれらを気にした様子も無く、屋台のクレープ屋に立ち寄っ
たり、電気屋の店頭のテレビに視線を向けたりしながら、ぶらぶらと歩いていく。
身体の大きいユウトが歩幅をタケシに合わせ、同じ速度で歩きながら時折話しかけているが、タケシは頷いたり、短く返事
をしたりするだけで、話しているのはもっぱらユウト一人である。青年はずっと無表情で、端から見れば機嫌が悪そうにすら
見えた。
「おう。今日は休みか?お二人さん」
声に振り返ると、二人のよく知る警官、カズキが、人混みのなかに私服で立っていた。
「カズキさん。今日は非番ですか?」
ユウトが愛想良く笑みを浮かべ、その隣では対照的に無表情なまま、タケシが軽く会釈をする。
「ああ。久しぶりに羽を伸ばしてた所だ。お前らは買い物か?」
「はい。もう済みましたけど、せっかく時間もあるから、散歩してから帰ろうかと」
カズキは、笑みを浮かべて説明するユウトの隣、無表情な青年に視線を向ける。
「なるほど、それでタケシが珍しく楽しそうなのか」
ぱっと見、無表情で不機嫌そうにさえ見えるのだが、二人を良く知るカズキにとっては違うらしい。言われてみれば、表情
に乏しいながらも、タケシの口元は僅かに弧を描いている。…ような気がしないでもない。
「さてと、俺はまだ買い物が有るから、ここで失礼するわ。気をつけてな」
「はい、また今度」
「…どうも」
タケシは別れ際にも殆ど口を開かない。仕事をしている時と、ユウトと二人きりで居る時以外は、実はいつもこんな感じだ
ったりする。
海の見える公園で車を停め、並んでベンチに腰掛け、二人は太平洋を眺めていた。
日は徐々に傾き始め、二人の影は海の方へと長く引き延ばされて行く。
「もうじき、丸二年だね」
ユウトの言葉に、タケシは頷く。二人の手には、500mlペットボトルのお茶があった。
「覚えてる?初めて会った時の仕事明け、ここでこれと同じお茶を飲んだっけ」
「ああ、お前のおごりだったな」
タケシの顔に、今度は誰の目にもはっきりと分かる微笑が浮かんだ。
「あの時は、今頃こんな事になってるなんて、想像もしなかったなあ」
「そうだな、初めて顔を合わせ、命の獲り合いをしたあの時の事、今ではひどく昔の事のように感じる」
ユウトは苦笑を浮かべ、タケシに問いかける。
「ねえ、あの時、本気で僕を殺すつもりだった?」
「良く思い出せないが、たぶんそうだっただろうな。もっとも、お前を殺す事は不可能だっただろうが」
「僕も同じ、今じゃどんな心境だったか全然思い出せないよ」
「命を取り合う間柄から、命を預け合う間柄に、か…。俺にしては上出来かもしれない」
軽く肩を竦めたタケシに、ユウトは再び苦笑した。
「もし、あの時に顔を合わせなければ、ボク達は見知らぬ同士だったんだね」
感慨深そうに言ったユウトに、タケシは首を横に振った。
「あの時会わなくとも、必ずどこかで出会っていただろう。そして…」
タケシは穏やかな微笑を浮かべた。
「どんな出会い方をしても、きっと俺達は、こうなっていただろうな」
ユウトは、呟いたタケシの横顔を見ながら、顔がカーッと火照るのを感じた。
日が沈み、残照が空を赤紫に染める頃、二人は全国チェーンの焼き肉店の暖簾を潜った。
個室をとった後、メニューから「お一人様三千円、食べ放題」のパックを見つけると、ユウトは迷わずそれを頼む。タケシ
は全てユウトに任せているのか、飲み物のオーダーにも口を挟まない。
「食べ放題の対象のお皿、全種類下さい」
「かしこまりました。全種………はふぃっ?」
一度返事をし、オーダー表に視線を落としたウェイターは、弾かれるように顔を上げ、ユウトを見る。聞き返す返事がおか
しな発音になっていた。
「あ、あと冷麺も2つ」
聞き間違いではないと察したのか、ウェイターは頷くと、メニュー表に書き込み、一礼して部屋を出て行く。二人きりにな
ると、それまで黙っていたタケシが口を開いた。
「今のウェイター、驚いていたようだぞ」
「そう?何でかなあ」
ユウトはメニューを開き、載っている肉類の写真を見ながら、半分上の空で応じる。
「ずいぶん良く食うな。と思ったのかもしれないな」
タケシの他意のない、しかしストレートな言葉に、ユウトはビクリと反応した。顔の前で立てたメニューの上から、そっと
目だけ覗かせる。
「…食べ過ぎ…だと思う?」
「基準が判らないから、どうとも言えないが。栄養を摂取する事は生存の基本だ。悪いことではないだろう」
少々ズレた意見が返ってきたが、否定的なニュアンスは感じられない。笑みを浮かべかけたユウトの顔は、しかし続く言葉
で引き攣った。
「もちろん、過ぎれば体に悪いが」
しばしの沈黙の後、ユウトは弁解するように言った。
「こ、これでも体型は維持してるんだよ?」
「……そう…か……?」
珍しく歯切れの悪いタケシの反応が、彼の見解を雄弁に物語っていた。
「…もしかして…少し太った…かな?」
否定してほしかったユウトの問いかけに、しかしタケシははっきりと首肯した。
「去年の冬前と比較すると、体全体、特に胴回りが少し丸みを帯びたように見える」
この言葉に、ユウトはしばし硬直し、やがて深いため息と共に項垂れる。
鈍感な、というより他人の感情の機微が全くといって良いほど読み取れないタケシにもはっきりと判るほどに、ユウトは落
ち込んでいた。もちろん、ユウトが落ち込んでいる理由は、青年には察せていないのだが…。
「どうした、ユウト?」
何かまずいことを言ったのだろうか?と、タケシは少し慌てたように尋ねる。
「やっぱり…、太いのは嫌だよね…」
フッと、視線を反らして半笑いを浮かべ、ユウトは呟く。
「それは、悪いことなのか?」
タケシは困惑したように尋ねる。
「いや、良いとか悪いとかじゃなくて…」
ユウトはしばらく口ごもり、それからタケシの顔を気まずそうにちらりと覗う。タケシはただただ困惑しているようだった。
その様子を見てユウトは気がつく。
「良くも悪くもない。それはつまり、現状維持で問題ない。ということだな?」
タケシは、つまり何も感じてはいなかった。良くも悪くも、ユウトの体重や体型には特に頓着していないし、どうとも思っ
ていないのである。
「ええと…、例えば、例えばの話だよ?ボクは少しダイエットするべきだと思う?」
ユウトはアプローチの方向を変えてみる事にした。
「戦闘においても、日常生活においても、動きに支障を来たしているようには見受けられない。減量の必要性は特に感じられ
ないが、違うのか?」
「いや、そういうんじゃなくてさ…。タケシ個人としては、ボクはダイエットした方がいいと思う?」
タケシは首を捻る。
「俺はそのままで構わないと思うが、駄目なのか?」
青年の頭には、痩身のユウトのイメージが浮かばない。正直に答えたタケシに、ユウトは顔を綻ばせた。綻ばせながらも、
(…これからは食生活に少し気をつけよう…)
とも思った。とりあえず、タケシの好みのタイプには(それがあるとしての話だが)太めも細めも判定基準に入っていない
らしい事が分かり、ユウトは少し安心した。
それはそれで少々張り合いがないのだが…。
食事を終え、事務所に戻ったタケシとユウトは、終わろうとしている休日の残り時間を、リビングでのんびりと過ごしていた。
タケシはソファーにかけて新聞を眺め、ニュースをチェックし、ユウトはテレビの前に陣取って録画しておいた料理番組の
ビデオを真剣な顔で見つめ、時折頷きながらメモを取っている。
夜も更け、時計を確認して新聞を畳んだタケシは、ビデオに集中しているユウトの後ろに歩み寄った。
「もう寝るの?」
「ああ、お休み」
ここまでは、普通の就寝の挨拶だった。が、
「ひゃうっ!?」
ユウトは奇妙な声を上げ、ビクリと身を竦ませた。タケシはユウトから身を離し、少し驚いたような表情を浮かべた。
「な、何?急に…」
ユウトは顔を赤くして、耳に手を当てて振り返った。タケシは困惑しているような顔で口を開く。
「いや、先週の昼間にテレビで、俺の知識に無いタイプのスキンシップの方法を見た。それで実践してみたが、何処か間違っ
ていたか?」
「そのスキンシップって…、ど、どんな番組で…?」
(まさか、真っ昼間から子供には見せられないような番組を…!?)
タケシに限って無さそうな行動だが、ユウトのイメージはダイレクトにそこへと飛んでいた。
「教育番組だ。取っ組み合ってじゃれあいながら、徐々に怪我をさせないよう、加減して噛む事を覚え、スキンシップ能力を
身につけていく。というような事を説明していた。子犬にもできるのだから、俺にも容易だと思ったのだが…」
「…それで、後ろから抱きついて耳を甘噛みな訳…?」
ユウトは納得すると同時に、深々とため息をつく。何やら少し残念そうでもあった。
「それはあくまでも、子犬や子猫同士のスキンシップの話だから。…例外もあるけど…」
「そうなのか」
タケシは納得したように頷く。この青年は少々、いやかなり一般常識に疎いところがある。それだけなら、世間一般を見て
も、さほど珍しい事でもないが、タケシについては、こうしてたまに常識の斜め上を飛び越えていくようなアクションを起こす。
本人は至って真面目だが、この場合、そこがなおさらタチが悪いと言えよう。
「では、お休み」
「う、うん…、お休み」
ユウトはドキドキとした自分の心音を聞きながら、リビングを出て行くタケシを見送り、彼の姿がドアの向こうに消えると、
目を閉じ、まだ感触の残る耳に触れた。
余韻に浸るかのように、しばしじっと目を閉じていたユウトは、やがて、はぁ〜っ、と激しく残念そうに深いため息をついた。
常識が欠けたタケシの行動は、時折こうしてユウトの心を乱す。…まあ、空騒ぎに終わるのだが…。
結局、今回の休日も、二人の間はあまり…、というか全然進展しないまま、終わりを迎えたのであった。