僕とお化けと熊と白猫
僕が住んでいる東護町。その町外れには、深い森がある。
森の中には十何年も前から動いていない工場があって、そこにはお化けが出るというありがちな噂がある。僕達の学校じゃ
有名な話だ。
返せないほどの借金を抱えて首を吊った社長の幽霊が出て、「いちま〜ん…、にま〜ん…」と、毎晩お金を数えているだと
か、挽肉を作る機械に巻き込まれた従業員のお化けが出て、自分の体を使った人肉コロッケを一個千円で売りつけようとする
だとか、とにかくお化けの正体については、らしい物から怖いのかどうか微妙なものまで、いろいろな噂がある。
でも、工場の元持ち主である社長さんは、実はウチの近所に建つ立派な屋敷に住んでいて、今もきちんと会社を経営してい
たりする。…当然ながらまだ生きている。
それに、その工場は精肉工場ではなく、布なんかを織る工場だった。従業員をすり潰してハンバーグの材料にしたっていう
挽肉の機械なんて、元々置いてなかったわけ。
つまり、噂のほとんどはどこかから流れてきた別の怪談がくっついたものだ。
そんなだから、僕は皆が怖がる廃工場をそんなに恐れてはいなかった。
夏休みに入って二日目の今日。僕はクラスの友達二人と一緒に、廃工場に探検にやってきていた。
少し気になるクラスメートのミヨちゃんに、廃工場なんて怖くないから、探検して中を確かめて来て報告する。…と言った
のが、お化けに興味の無い僕が、わざわざ探検に来ることになった理由だ。
ヤブ蚊を追い払いながら森の中を進んで行くと、外壁がコケで濃い緑に染まった工場が見えてきた。
沈みかけた夕日をバックにした工場は、お化けを信じていない僕が見ても不気味だった。
「なぁ公平、ヤバイって、なんかブキミオーラ出てるって」
「ほんと、もう何か出そうな気がしてきた…」
友達が口々に言う。四年生にもなって情けないなぁ。…とは言うものの、僕も不気味に感じてるのは確かだけれど…。
周囲の様子を窺いながら、僕達はゆっくりと工場に近づいて行った。
僕は先頭に立って工場の割れた窓の中を見つめ、ゆっくりと歩く。
確かに気味は悪いけれど、お化けが出るなんて信じていないから、他の二人よりは堂々としていると思う。
入り口を探して遠目に様子を窺うと、工場を囲んでいる金網のフェンスが、一ヵ所大きく破れているのが分かった。
そこから入ろうと横に移動を始めたその時、僕の目の隅で何かが動いた。
視線を巡らせると、工場の割れた窓の向こう、機械が無くなってがらんとしている工場の中で、黒い何かがふわっと動いた。
それは暗がりの中で、洗濯物が風になびくように、ふわりふわりと大きく動き、そしてふっと暗闇の中に消えた。
なんだろう今の?まさか、本当に?
「こ、こここここここーへー…」
「みみみみ見た見たみみ見た…」
僕の後ろで、二人はガタガタと震えだした。
「かかかかえろっ!やばいって!ここやばいってホントに!」
今の黒いのが何なのか確かめてみたかったけど、二人は探検どころじゃない様子だった。
仕方なく、僕達は暗くなり始めた森の中を引き返した。
その日の夜遅く。僕はこっそりと家から抜け出すと、懐中電灯を持ち、愛車(自転車)にまたがり、一人で森に向かった。
あの黒いのが何なのか、とにかく気になった。お化けならお化けで、お化けじゃないならお化けじゃないで、はっきりさせ
ないとイマイチすっきりしない。
お化けなんて信じてない。けど、居たら居たでちょっと面白いかも。
森の入り口で自転車を停め、暗い森の中を進む。
お化けは怖くないけれど、暗いのはやっぱりちょっと怖いかもしれない。
工場が見えた所で、僕は懐中電灯を消した。そしてフェンスの穴を抜け、夕方にあの黒いのを見た、割れた窓の傍にそっと
近付く。
中を覗いたけれど、暗くて良く見えない。しかたないのでガラスの残っていない窓を探して中に入ってみる事にした。
窓から忍び込んでみたら、当然だけど中は真っ暗闇だ。窓から入るうっすらとした月の光だけが頼りだった。
月が満月に近いから助かったけれど、大きく欠けていたら何も見えなくなっただろう。
僕は黒いのが動いていたあたりに目を懲らし、目が慣れるのを待ってそっと近付く。そうしたら、黒い何かがひらりと動く
のが見えた。
一瞬呼吸を止めた僕は、黒いのをじっと見つめ、それからちょっとがっかりした。
遮光カーテンっていうんだったかな?学校の体育館なんかにある黒いカーテン。あんな布が、一つだけポツンと取り残され
ていた機械に被さっていた。
幽霊の、正体見たり、黒カーテン、ってか。
僕は黒い布をはぎ取り、機械を見た。すっかり錆び付いている機械は、やっぱりお化けとはなんの関係も無さそうだった。
それから僕は、はぎ取って床に放り出した布を見る。
窓からはあまり風も入らないのに、なんで動いていたんだろう?この機械の回りだけ、風の通りが良いのかな?
僕は機械をぐるっと回り込んで、そしておかしなものを見つけた。
錆びた機械の裏側。蛇腹のビニールパイプの間に、押し込められるようにして何かが詰まっていた。
暗い中でも目立つ真っ白いそれは、取り出してみるとおかしな感触の石だった。
大きさは僕の手に乗るくらい。厚さといい形といい、まるで石鹸みたい。暗くてよく分からないけれど、表面はすべすべし
て、何か模様のような文字のようなものが彫ってある。
一応戦利品って事で、僕は石を尻ポケットに突っ込んだ。
見晴らしの良い空っぽの工場には、ぱっと見、他に探検できそうな所はなかった。
明日、また友達を誘って来よう。黒いひらひらがお化けじゃ無かった事を説明すれば、一緒に来てくれるだろう。ミヨちゃ
んに探検の成果を報告するには、証人くらいは居た方が良いだろうし。
僕は窓に向かって引き返し始め、そしてある事に気付いた。
さっき床に放った布が見あたらない。
床を見回して布を探した僕は、変な音に気付いて動きを止めた。すぐ後ろで、衣擦れのような音が聞こえた。
はっと振り向くと、黒い人影が僕のすぐ後ろに立っていた。
いや、人じゃない。人の形っぽく見えるけど、それは捻って一塊になった黒い布だった。
驚いて後ずさると、黒布人形の後ろで、錆び付いた機械がギギギッと音を立てて動き出した。錆をパラパラと落としながら、
機械は人の形になる。
僕が確認したのはそこまでだった。なぜなら、もう窓に向かって走り出していたから。
廃工場にお化けが出るっていうのは、どうやら本当だったらしい。
さっきまでは、居たら居たで面白いかもしれない。とか思っていたけれど、やっぱり全然面白くない。
どこをどう走っただろうか?
転んで、起き上がって、走って、曲がって、後ろを振り向いて、まだ追いかけてくるのを確認して、僕は森の中を必死で突っ
切った。
黒布はヒラリヒラリと木の間を縫って追いかけてくるけれど、機械の影は見えなかった。
途中でポケットから懐中電灯が落っこちたけれど、拾っている余裕はもちろん無い。
しばらく必死に走ったら、やっと木が切れて、道路に出られた。が、そこは車の通りも人通りも少ない、田んぼ沿いの寂し
い道路だった。
振り返ると、まだ黒い布が追いかけて来ている。
腕と頭は人間っぽく付いていたけど、胴体と足の部分はひらひらとほどけた布の形になって、まるで…、なんて言ったかな、
あの妖怪?…そうだ、一反木綿って言ったっけ?あんな感じに宙を飛んで追いかけてきていた。
布の胴体をバサロ泳法のように波打たせて飛んでくる様子は、宙を這い進む潰れた芋虫みたいで薄気味悪い。
僕は道路を必死に走って、灯りのある方へと逃げた。
今まで馬鹿にしてて悪かった。やっぱりお化けって怖い。
民家の灯りが近付いた頃、僕は一反木綿にすぐ後ろまで追いつかれていた。
僕はへとへとだったけれど、一反木綿はちっとも疲れていないようだった。
さすがはお化け。死なないし、病気もなんにもないと歌にもあるだけの事はある。本当かどうかは知らないけれど。学校が
ないとしたら少し羨ましい。
もうだめだ。捕まって絞め殺されるか、簀巻きにされて海に沈められるに違いない。苦しくないのはどっちだろうか?それ
と、後者の場合は一人一殺で、一反木綿も海の底だから、一応ドロー扱いだろうか?
そんな事を考えながら、前のめりになって必死に足を動かしていた僕は、ふと、前の方の地面、電柱についた灯りの下に、
白い小さな何かが居る事に気付いた。
近付いていくと分かったけれど、それは一匹の白猫だった。
真っ白な身体に、鈴の付いた赤い首輪をした猫は、僕と一反木綿の方をじっと見つめていた。
逃げろよ、お前も一緒に簀巻きにされちゃうぞ?あ、でも猫と一緒に簀巻きにされるなら、海に沈んでもあんまり寂しくな
いかな?不思議にもそんな呑気な考えが頭をよぎった。
僕と白猫の間がほんの少しに迫った時、チリンっと、鈴の音が鳴った。
白猫はすごいスピードで僕の脇をすり抜けてジャンプした。驚いて振り返ったとたん、僕はバランスを崩して前のめりに転
んだ。
白猫は小さな身体で、勇敢にも一反木綿に飛びかかっていた。一反木綿の頭らしい部分に飛びついて、爪を立てて前脚を素
早く出したり引っ込めたりする。
なんか、前にこういうの見たことがあるな…。あ、そうだ。知り合いの家の猫が、布張りのソファーの上で爪を立てて中身
を引っ張り出そうとしていた時、こういう愉快な動きをしていたっけ。
白猫がマシンガンみたいに素早く、爪を出した手を出したり引っ込めたりする度に、ビッビッビビッと、糸が切れて布が裂
ける音がした。
一反木綿は痛がっているように身を捩って、腕で白猫を振り払おうとしたけれど、白猫は捕まらないように、ひらりひらり
と一反木綿の身体にまとわりつき、思う存分に爪で掻きむしった。
たまらなくなったのか、一反木綿がひらりと上空に逃げると、白猫はすとんと着地し、僕の傍に駆け戻ってきた。そして僕
の顔を見上げて、にゃー、と一声鳴くと、素早く走り出す。
僕が呆然と見送ると、白猫はじれったそうに振り返り、もう一度鳴いた。
まるで「ついてこい」って言ってるみたいだった。僕は訳が分からないながらも、この白猫が助けてくれようとしているよ
うな気がして、素直に後ろを追いかけた。
駆けていく白猫を追いかけていく内に、なんだかずいぶん寂しい場所に入り込んだ。だいぶ走ってたどり着いたそこは、道
が入り組んだ住宅地だった。夜も遅くて人通りも無いし、灯りもまばらだ。
もしかして、この辺の民家で助けを呼んだ方が良いんじゃないだろうか?そんな事を考えながら、僕は白猫の様子を覗う。
白猫は時々立ち止まっては、何かを聞くように耳をピクピクと動かし、何かを探すように走っている。
何となくだけれど、白猫は目的を持って動いているような気がした。だから僕は白猫を信じてついてゆく事にする。
それからいくらも走らないうちに、少し後ろの方で、バタバタッと布がはためくような音がした。
振り返ると、やっぱり一反木綿だった。一反木綿は僕らの少し後ろの方で、暗い夜空がそのまま切り取られたようにふわり
と舞い降りると、僕の肩ぐらいの高さで水平になってスピードを上げた。
一度は白猫に撃退されて逃げたくせに、なかなか頑張り屋さんだ。やっぱりお化けは執念深いものなんだろうか?
白猫は今度は飛びかからず、ちらりと後ろを振り返っただけで、ひたすら前に走った。僕もそれを追いかけて走る。
白猫を先頭に、僕、一反木綿と続く列は、横から見たら奇妙なものだろうな。
そんな事を考えていたら、前の方から微かに何か聞こえてきた。
「…ったらぁ〜、やだねぇ〜。やだねったらぁ〜、やだねぇ〜」
歌だ。しかも演歌。加えて言うならおばさん達に絶大な人気を誇る美形演歌歌手の代表曲だ。ちなみに僕のお母さんもファ
ンだったりする。
次いで、暗い夜道の先に人影が見えた。どうやらその人影が歌っているらしい。
きっと酔っぱらいだ。でもこの際贅沢は言わないから、酔っぱらいにでも助けてもらいたい。
前を走る白猫が、にゃーん、と鳴いた。走りながら鳴いたせいか、正確には、にゃあぁあぁあぁあん、と声が変に震えていた。
「はこぉ〜ねぇ〜、は〜ちりぃ〜のぉ〜………お?」
真夜中に、近所迷惑になるのも気にせず、気持ちよさそうに歌っていた酔っぱらいの声が途切れた。白猫の声でこっちに気
付いたのか、人影が立ち止まっていた。
助けてヨッパライダー。もうベロンベロンに泥酔してる酔っぱらいも馬鹿にしないから。
だが、人影の姿を確認した僕は、希望が粉々に打ち砕かれるのを感じた。
ギラギラと輝くモサモサした毛。電柱みたいにぶっとい手足。冗談みたいにボリューム満点の胴体の上に乗っているのは獰
猛そうな顔。そこで蒼い目がランランと光っている。
野球グローブみたいなでっかい右手には、コンビニの袋が下がっていた。袋の口から顔を覗かせていたので、中にチョコチッ
プスとイチゴマシュマロ、歯磨き粉などが入っているのが確認できた。
近付くにつれてはっきりと見えてきた人影の正体は…、いや、人じゃないし。あれクマだよ。ばかでかいクマだよ。しかも
酔っぱらいかもしれないよ。
本能的に食われると思った。絞め殺されるのと、簀巻きにされて沈められるのと、食い殺されるのと、どれが一番ましだろ
うか?たぶん食われるのが一番痛い。食われた事は無いけど賭けてもいいくらいに確実。
ああ、でも一反木綿よりもクマの方に近付き過ぎている。このままだと僕は夜食にされてしまうだろう。デザートはチョコ
チップかマシュマロ、あるいはその両方だ。歯磨き粉も買ってあるから虫歯対策もバッチリ。
ミヨちゃんに告白する事もなく、工場探検の話を皆に自慢する事もなく、僕は町中で甘党のクマに食べられるっていうまさ
かの最期をとげるのか?
死んだふりをすれば助かるって聞いたことがあるけど、直前まで走ってて目の前で死んだふりをしても騙せるものだろうか?
そんな間抜けなクマが居たら面白いかもしれない。かもしれないけど、今の状況はあまり面白くない。っていうかぶっちゃけ
泣きたい。
そんな風に考えながらも、足は白猫を追いかけて勝手に走る。
クマがコンビニの袋を地面に置き、のそっと動いた。
もう終わりだ。お父さんお母さん、先立つ不孝をお許し下さい…。
僕がそんな事を考えた瞬間、クマは凄いスピードで僕の脇をすり抜けた。
大きな体が信じられないほど素早く動いて、巻き起こった風が僕の髪と服をかき乱す。まるですぐ隣をダンプか何かが猛ス
ピードで走り抜けたような感じだった。
驚いて振り返ったとたん、僕はまたバランスを崩して前のめりに転んだ。
クマはほんの一瞬のうちに、一反木綿と僕の間に割って入っていた。そしてボーリングの球のようなゲンコツを振り被り、
飛んできた一反木綿の頭めがけて振り下ろす。
飛んできた勢いを加え、でっかいゲンコツで頭を殴られた一反木綿は、地面にベタッと張り付いた。いいパンチ持ってるな
クマ。世界狙えるんじゃない?
いかにお化けといえども、カウンターで放り込まれたクマのチョッピングライトはさすがに効いたらしい。一反木綿は地面
にはりついたままピクピク…、いや、モゾモゾと動いている。
クマVS一反木綿の異種格闘技戦だ。さあ、立てるか一反木綿?
一反木綿はふにゃふにゃと動きながら立ち(?)上がる。なかなかガッツがある。そしていきなりブワッと広がり、クマの
身体にからみついた。
クマは何やら不思議そうに、自分の身体に巻き付いた一反木綿を見つめ、
「変な感触だと思ったら、布かキミは…」
呑気な口調でそう呟いた。いや、一反木綿選手に絞め技かけられてるんだろクマ?何とかしないといけないだろ?
心の中でつっこみを入れつつも、ただ見守るだけの僕の視線の先で、クマは自分の身体に巻き付いた一反木綿をひっ掴むと、
端っこを口に咥え、端っこを片手で掴み、思いっきり引っ張った。
凄い力で引っ張られた一反木綿の布製の体が、ビリリリリッとあっさり引き裂かれる。
やっぱり千切られると痛いのか、一反木綿は暴れ始めた。でも、クマはそれをしっかり掴んだまま、ビリビリと布製の体を
裂いていく。ふはははは。お化けがゴミのようだ。
一反木綿を執拗なまでに細かく引き千切りながら、クマは僕に視線を向けた。
「大丈夫?怪我は無い?」
クマの正体は、熊の獣人だった。良く見ればきちんと服も着ている。
考えてみれば、こんな町中に本物のクマが居る訳もない。僕が獣人をあまり見慣れていない事と、本物並に大きかったのと、
少しパニクってたせいで見誤ったんだ。
冷静に考えれば、コンビニでお菓子や歯磨き粉を買って、演歌を歌いながら町中を徘徊している野生のクマなんて居るはず
がない。居たら居たで少し面白いかもしれないけれど。…いや、面白くなかった。さっきは滅茶苦茶怖かった。
ビリビリに千切られて、細かい布になって路上に散乱した一反木綿は、もうピクリとも動かない。さすがに死んでるらしい。
お化けに対して「死んだ」という表現がはたして正しいかどうかは分からないけれど、とりあえず心の中で合掌。
「マユミちゃん。この子を助けてくれたんだね?えらいえらい!お手柄お手柄!」
ふと見ると、熊の獣人さんは白猫の前で屈み込み、太い指で喉を撫でていた。
白猫は気持ちよさそうに目を細め、喉をゴロゴロと鳴らしている。知り合いなんだろうか?
「事務所に寄ってきなよ。鯨缶あるから」
クマさんの言葉に、白猫は嬉しそうに、にゃーん、と鳴いた。
「さてと…」
クマさんは立ち上がると、僕に視線を向けた。
さっき見た時は怖そうに見えたけれど、声は高く澄んでいて、顔つきも優しそうだった。
金色の毛は月明かりでキラキラと輝き、蒼い目は綺麗に澄んで穏やかだ。青いティーシャツの上に白いベストを羽織って、
白いズボンを穿き、足にはゴッツいシューズを履いている。
ついでに言うと酔っぱらってないっぽい。どうやらしらふでナチュラルハイだった模様。
「布のゴーレムなんて妙チクリンなのに追っかけられてたキミ。ズボンのポッケに入ってる、その珍しいものを見せてくれな
いかな?」
言われてから、工場から持って来た石の事を思い出した。
僕は尻ポケットに入れておいた石を取り出し、クマさんに差し出す。いつ気が付いたんだろう?
クマさんは石を受け取ると、顔の前に翳して、目を細めて見つめた。
手で触っただけだったから、何が彫ってあるのかこれまで気付かなかったけど、石の表面にはなんだか複雑なマークが彫っ
てあり、真ん中にビー玉ほどの大きさの、透明な石が埋め込んであった。
「やっぱりグリモアかぁ。コピー品、それもかなり粗悪…。どっかの違法な術師が隠しておいたんだろうけど…、子供に見つ
かるような所に隠さないでよねぇ。しかもありあわせの物で作ったガーディアンゴーレムまでつけて、ホンット迷惑だなぁ…」
クマさんは納得したように頷き、ブツブツと呟いた。
言ってる意味は分からないけれど、どうやらこの石の事も、黒布のお化けの事も知っているようだった。
「これ、何処で見つけたの?」
町外れの森に建っている廃工場で見つけたと話すと、クマさんはフムフムと頷いた。
「この石の近くに、他に何か無かった?」
少し考え、それから機械が変形して動き出した事を思い出す。あまり足が速くないのだろうか?森を抜けた時には見えなく
なっていたけれど。
その事をクマさんに伝えた途端、ズシッと音がした。僕が走ってきた方を振り向くと、あの錆び付いた機械が変形した人形
が現れていた。
その姿はまるで、錆び付いたロボットみたいだ。
「とりあえず、これも片付けないとね」
クマさんはそう呟くと、ベストのポケットに石を入れ、指をポキポキと鳴らす。
クマさんは確かに良いパンチ持ってるけれど、ロボットはクマさんよりもさらに大きい。ボロボロに錆びてはいるけど、そ
こがなんか逆に強そうだ。
ほら、幾多の戦いを潜り抜けた歴戦の勇士って感じ?廃工場の機械が変形したロボットが本当にそうかは分からないけれど。
「ちょっと下がっててね」
クマさんはそう言って腕を伸ばし、僕を後ろに押しやった。大きくて分厚い手は、これ以上ないほど優しい力加減で僕を下
がらせた。
後退した僕の足元に白猫が擦りより、顔を見上げて、にゃ〜ん、と鳴いた。なんだか「心配するな」と、言っているように
感じた。
クマさんは少し腰を落として、左足を前に出し、右足を後ろに下げ、ロボットと向き合って構えた。
その格好はなんとなく強い空手家みたいだ。体形は太めでずんぐりむっくりしているのに、何やら様になってて格好良い。
ロボットは無造作にズシズシと歩いてくると、クマさんめがけて腕を振り下ろした。無茶苦茶作業機械っぽい動きだった。
やっぱり歴戦の勇士ではない模様。
鉄の腕がクマさんの頭に命中したと思った瞬間、ガイィンと音がして、ロボットの腕が勢い良く跳ね上げられた。
クマさんが前に出していた左腕を素早く振り上げて、ロボットの腕を跳ね除けたらしい。なんだか左手がぼんやりと光って
いるように見えた。
クマさんは体勢を崩したロボットの顎めがけ、後ろに引いていた右足を蹴り上げた。今度は足がぼんやりと光っているよう
に見えた。
ゴイィンッと金属音が響いて、ロボットの身体が浮き上がる。すごいぞクマ空手。世界を狙える良いキックだ。でも足痛く
ないの?
クマさんはどうやら痛くないらしく、僕の心配をよそに、振り上げたままにしていた足を、尻餅をついたロボットめがけて
振り下ろした。
今度はゴシャンッという音が響いた。クマさんが振り下ろした踵は、ロボットの頭をメッチャリ潰して、胸の真ん中あたり
までをUの字型にへこませていた。ロボットの下の道路はへこんで、ヒビが入っている。
それでも立ち上がろうとする頑張り屋さんなロボットめがけ、クマさんは左腕を大きく引き、容赦なく正拳突きを繰り出した。
「熊撃衝!」
必殺技?クマさんが叫んで繰り出したパンチが命中した途端、カメラのフラッシュみたいな強い光が辺りを照らした。 パ
ンチをくらったロボットの胴がベッコリとへこんで、吹っ飛ばされながらバラバラになる。圧倒的じゃないか我が軍(?)は。
近所迷惑な騒々しい音をたてて、バラバラになったロボットに背を向けたクマさんは、
「いっちょあがりぃっ!」
そう言って手をパンパンと叩くと、ベストのポケットから携帯を取りだした。
「あ、カズキさん?偶然にグリモアのコピー品を回収しました。ついでにゴーレム二体排除完了。監査と回収お願いします。
グリモアは後でボクがそっちに持って行きますね」
どこかに電話をかけ終えると、クマさんは僕に向き直って石を取り出して見せた。
「これ、結構危ないものなんだ。ボクが預かっておくね」
クマさんの言うことにゃ、どうやらお化けに追いかけられたのは、この石が原因らしい。もちろん僕には異議なんてない。
一も二も無く頷いた。
再びベストのポケットに石をしまい入れるクマさんに、こいつらはやっぱりお化けなの?と聞いて見たら、なんだかちょっ
と困ったような顔をしてから、
「あ〜、うん。なんだったらお化けって事で良いと思うよ?」
と、ちょっと微妙な答えが返ってきた。
「もう夜も遅いし、これから警察に事情を聞かれるのも面倒だから、キミは帰った方が良いね」
警察?お化けと喧嘩しても、やっぱり傷害罪とか暴行とかの罪に問われるんだろうか?いや、もう死んでる(?)っぽいか
ら、下手をすれば殺人罪?僕を助けたばかりに、クマさんはブタバコにブチ込まれてしまうのだろうか?クマなのに。
「んははは!心配してくれてありがと。でも、警察は現場確認に来るだけ、ボクは罪に問われないから大丈夫だよ。一応こう
いうのもボクの仕事の一部だからね」
僕が心配になって尋ねると、クマさんは面白そうに笑ってそう答え、自分が歩いてきた方を指さす。
「ここを真っ直ぐ行けばタクシー乗り場に出るから。ボクはちょっと残らなきゃいけないから送ってはあげられないけど、一
人でも平気?」
大丈夫だと告げると、クマさんは笑みを浮かべて僕の頭を優しく撫でた。
「面倒な事になるといけないから、今日の事は誰にも話しちゃだめだよ?警察にはボクが上手く言っとくから」
クマさんはそう言うと、水色のナイロン製の財布を取り出す。口が×になっている兎のキャラクターがプリントされていた。
外見に似合わず、意外にも可愛い趣味をしている。
「じゃあこれタクシー代。気をつけて帰るんだよ?」
クマさんは財布から五千円札を取りだし、僕に握らせた。多過ぎると言ったら、
「一応、口止め料って事で」
と、悪戯っぽく笑った。お金はどうでも良かったけれど、口止めはもちろん承諾した。
僕はクマさんに見送られ、白猫に付き添われ、暗い路地を明るい方へと歩き出す。少し歩いた所で、クマさんがまた誰かに
電話をかけているのが微かに聞こえた。
「…あ、ごめん、ちょっと遅くなる。買い物は済んだから。うん…帰ったらさぁ…」
タクシーがつかまると、白猫はその場にチョコンとお座りした。
助けてくれてありがとう。とお礼を言ったら、にゃ〜ん、と鳴いて尻尾を左右に揺らした。「どういたしまして」と、言っ
ていたように思う。
タクシーのドアが閉まり、走り出すと、白猫はクマさんの居る方に戻っていった。
クマさんの名前を聞きそびれた事に気付いたのは、タクシーで自宅に帰り、こっそりベッドに潜り込んだ後だった。
あ。懐中電灯、森の中に落として来ちゃったんだ。あと自転車、森の入り口に停めたままだったな。
歩きじゃ遠くてダルいけど、自転車は起きたら取りに行かなくちゃ。…懐中電灯は…、よし、諦めよう。
次の日、僕は友達に、廃工場には近づかないようにと告げた。
やる気まんまんだったのにどうしたのか?と、二人には意外そうに聞かれたけれど、クマさんと約束したから、昨日の事は
何も話さなかった。
ミヨちゃんに探検の話をしてやれないのは残念だけど、しょうがない。
僕は夏休みの内に、両親に頼みこんで、空手教室に通わせてもらう許可を貰った。
どうやらお化けは実在するっぽい。でも、クマさんはお札も十字架も呪文も使わないで、パンチとキックでお化けをやっつけた。
僕もあのクマさんみたいに強く、かっこよくなったら、いつかもう一回、あの廃工場を探検に行ってみよう。