ファルシャーネーベル(act10)
靴音も殆ど立てず、細い足が霧を巻いて街路を歩む。
その後に、太い脚が続く。
先を行くミオから3メートルほど離れて、ラドはその導きに従った。
行く先は教会。今現在住民の避難場所になっていると、ミオから説明を受けている。
もっとも、取りこぼしがないように住民を探し、避難させて回るのに精一杯のミオは、自主的に避難した者も含めた住民の
顔ぶれまでは確認できておらず、フランツが居るかどうかは知らないのだが…。
「あの…」
ラドがぽつりと声を漏らし、ミオが足を止めて振り返る。
ずっと無言だったヒキガエルに「はい?」と応じたミオは、
「さっきは…ゴメンー…」
俯いたヒキガエルに詫びられ、きょとんとした。
「た、助けてくれたのに、酷い事言って、責めたりしてー…。僕は…、怖くて…、お礼も言わないでー…、それであんな、酷
い事まで…」
「…平気です」
ミオは少し目を細めた。
「…怖くても、責めても、間違っていませんよ。この状況で平静を保っていられないのは当たり前です。それに…、どんな理
由があっても、ぼくがひとを殺めた事は変わりはありません」
せめて、寛容で居られるところは寛容でありたい。そう改めて思いながらミオは言葉を紡いだ。
それに、ラドの目の前で知り合いを躊躇い無く排除したという事実には違いない。
怪物に変質した者が治療などで元に戻る可能性もあるのではないかと考えながら、今この時の状況に対する手立てとして、
命を断つ事を選んだ。
良い事もあると思いながら最悪に備える。言葉にすれば短いこの意識と姿勢を保つ、ただそれだけが何と難しい事か…。
だから、どんな罵りを浴びせられても不当とは思えなかったし、覚悟もしている。そこへ冷静になって詫びてくれたそれだ
けで、望外の有り難さがあった。
「教会までもう少しです。頑張れますか?」
「うん…。あ」
前に向き直ったミオに頷いて、ラドはふと思い出した。
先程襲われた際に失禁したので、パンツもズボンも小便でグショグショになっている。
「どうかしましたか?」
「え?あ、んーん、や、やっぱり何でもー…」
明るいところに行ったら染みに気付かれるし、臭いでも気付かれる。だが着替えたいなどと言える筈も無い。それこそ、見
えている家屋の殆どにアレが潜んでいるかもしれないのに…。
「…!」
意識したら不快感が急に増し、ややガニ股気味で歩き出そうとしたラドは、先を行くミオがスッと水平に上げた腕に歩みを
制止された。
「どうし…」
ラドの言葉も途切れる。
ふたりの行く手、ついさっきまで何も居なかったそこに、影があった。
それは、膝の上まで覆う霧の上へ、ヌッと柱のように突き出している。
円形の広いつばを持つ帽子。
マントのように足元まで覆う外套。
口元に蓄えたサンタクロースのような白い髭。
20メートルほど先に立つその人物は、人間の老人に見える。
「朱石泥棒…」
ポツリと呟いたのはラド。
警戒し、構えるミオは…。
(何だ…コレ…!?)
冷や汗が、全身にジワリと浮いていた。
しなやかな尾は毛が逆立って太くなり、力んだ肩は小刻みに震えている。
以前は判らなかった。
北原のベースで出会った中枢にも、そのエージェントにも、エインフェリアにも感じなかった。感じ取る事ができなかった。
だが、今のミオには判る。訓練を受け、力に触れ、感覚が研がれた今のミオには…。
(まずい…!まずいっ…!)
冷静でさえ居られれば、相手と自分の力量差を見誤ったりはしない。
本能が警告していた。
ソレに近付くな、と…。
ちらりとラドを見遣る。
自分ひとりだったなら、一も二もなく離脱を選択する所だが、ラドが一緒である。
やにわに、老人と思しきその人物は片手を上げた。
反射的にラドの真正面へ移動して盾となり、ナイフとトンファーを携えた手を前面で肩の高さに上げ、防御体勢に入るミオ。
少年の持ち味は身の軽さと機敏さ、柔軟性から来る回避力なのだが、自分だけ避けられてもラドをカバーできない。何をさ
れるか、何をして来るか判らないのである。盾となってヒキガエルを守る以外の選択はできなかった。
老人の周囲でふわりと霧が渦巻く。
キュッとかすかな音を立てて踏ん張り、備えたミオの前方で、霧が急激に動いた。
「なっ!?これ…!?っぷ!」
老人が差し伸べた手の先…つまりミオとラドの方へ霧が押し寄せる。
速さはそれほどでもないが、路地を埋めて民家一階を埋める高さまで重なって殺到する霧は避けようもなく、ミオとラドは
すっぽりと霧の波に飲み込まれた。
目を細めながら、吸い込んだ霧に噎せるふたり。
濃過ぎる気体を肺が異物と認識して
ほぼ無風にも関わらず、まるで風を受けて押し流されたような急激な霧の移動。それは白い大波が殺到するような物で、ミ
オ達の周囲では高さ2メートル半以上がすっぽり霧に沈んだ。
「えふっえふっ!うぇっ!」
霧を吸ったラドが咳き込み過ぎてえずいたが、ミオにはそちらを気にかける余裕はない。
濃厚な霧が視界を埋め、相手の姿が見えなくなっている。
ノンオブザーブで光を屈折させて視界を得ようにも、周囲を万遍なく霧が埋めている状態では、屈折させても視界は確保で
きない。曲げた視界のその先も濃厚な白い霧にしかならない。
(まずい!今来られたら…!)
音を頼りに相手の移動を察知しようとしたミオだったが、しかし…。
「…?」
霧が徐々に高度を下げ、元通り足元に溜まり、何事もなかったかのように視界が戻る。
攻撃は無かった。老人は一歩も動かずそこに立っている。
意図が掴めないミオは…、
「…なるほど。経緯は判らぬが、ラグナロク製という事か…」
しゃがれた声を耳にし、一瞬遅れて、老人が喋ったのだと気付いた。
老人はしばしじっと、その視線をミオに固定していたが、やがてラドの方へ目を向けた。
視線を向けられた事に気付いて、ピクンと身を震わせたヒキガエルの姿を、老人の鳶色の瞳は長らく映していたが…。
「変質の兆しは無し…。成果はまずまず、か…」
そう呟いた老人は、コツリと足音を鳴らし、ふたりに背を向けた。
コツコツと、微かな足音を残して立ち去る老人。
身構えたまま一歩も動けないミオ。凍りついたように固まっているラド。
やがて、ふたりが我に返ったその時には、もう老人の姿は何処にも見えなかった。
「…ふー…」
息を漏らし、肩の力を抜いたミオは、ラドを振り返って「大丈夫ですか?」と無事を確認する。
「え?あ、う、うんー…」
曖昧に頷いたラドは、老人の目を思い出して身震いした。
まるで実験動物でも視ているような、感情の籠らない目を…。
「行きましょう。変な事ばかり起こってますから…、これ以上はゴメンです」
ミオは前方を入念に窺い、それからルート変更を決め、ラドを促して歩き出した。
(何者か…はちょっと置いといて…。とにかく助かった…!早く移動しなきゃ!…あのお爺さんはマズい。凄く…。そんな感
じがする…!)
横手の路地に入り、怪物が居ないルートを探し、ミオとラドは移動を再開した。が…、
「今度はなにー…!?」
再び上がったミオの腕に制止され、ラドは小声で悲鳴を上げた。
「音が聞こえませんか?」
耳をピンと立てて周囲を窺い、顔を上に向けて建物の上から漏れる音はないかと探りながら、ミオが問う。
「音ー…?」
サイレンすら止んだ夜に耳を澄ますラド。
そして、ふたりは聞いた。
「これってー…。え!?」
「これ、車の音ですよね!?」
そう。それは車の音。タイヤの音。エンジン音。走行音。
運転している者は怪物ではない。その音の出所には、まだ無事なひとが居る。
「ど、何処ー!?」
「しーっ!耳を澄ませて…」
ふたりは申し合わせたように逆方向を向いて背中合わせになり、音を探った。やがて…。
「あっちだー!」
「そっちです!」
ラドが向いていた方の通りの先を示し、ミオも振り向いて同意する。
「行っちゃったら大変です!走りますよ!」
「う、うん!」
駆け出すミオがラドの手を掴む。
ヒキガエルの体は一瞬強張った。
(…無理もないけど…)
そう。いくら頭で納得しようと、事実は事実。深く刻み込まれた忌避感は簡単には拭えない。
目の前で友人の母が死んだ。既に違う何かになっていたとしても、その姿をしたものが殺された。
ラドにとって、ミオは殺人者。
しかし…。
(…あれ?)
手を引いて駆けながら、ミオは違和感を覚えた。
ラドの体の強張りが、たちまち消えて行ったので。
(気持ちを切り替えたのかな。仕方がないって…)
そう考えたミオだったが…。
(こうやって手を引かれるの…、フランツ以外は初めてだなー…)
細い路地。自分を導く手。ラドは幼い頃の事を思い出す。
息を乱さず走るミオと、息を弾ませるラド。
高くならないように気を遣ったバラバラな足音が、路地の壁に小さく跳ね返る。
そのバラけた足音に、ミオは違和感を覚えた。
足音が、多い。
「止まってください!」
「えーっ!?」
急停止するミオ。しかし運動不足のラドはアメリカンショートヘアーほど機敏な真似ができず、体を前に泳がせ、手を繋い
だままのミオを引っ張る格好でつんのめった。
「あわー!」
「おっ!とっ、とっ、とぉっふ!痛いっ!」
手を振り解く事もできず、べシャッとうつ伏せに転んだラドの巻き添えになって体勢を崩して、路面に片膝をつきながら思
わず悲鳴を上げたミオは、
「あいたたたー…!お腹打って…ウエッ!」
「しーっ!」
呻いたラドを静かにさせ、眼差しと、ナイフを握った手を、背後…自分達が来た方向へ向けた。
ふたりが転んだ今でも、反響する足音が続いている。一泊遅れてその異常に気が付いたラドが、ヒュッと喉を鳴らして息を
吸い込み、止めた。
ゆっくりと身を起こすミオ。そろそろと起き上がり、庇われるままその背後へ移動させられるラド。
ふたりの目が、霧の溜まった路地の先を窺い、やがて駆けて来る影を認める。
(「アレ」じゃない。まともなひとの走り方だ…!)
ミオが気付いて警戒を緩める。
まだ距離があり、駆け寄ってくる者の姿は闇に紛れてはっきり見えないが、その走るフォームはマラソンランナーのように
整っていた。
程なく、その人影は姿を鮮明にしてゆき…。
「あっ!フランツー!?」
ラドが素っ頓狂な、しかし安堵と喜びもふんだんに混じった声を上げた。
黒兎の方もその声に応じ、駆け寄りながら片手を上げる。
「無事でしたか!」
ふたりの傍まで駆けて来たフランツは、まずミオの様子を確認して敬礼した。そして…、
「ラド!何で出歩いているんだ!」
間髪入れず幼馴染のヒキガエルに苦言する。
「だ、だって!フランツが心配で…」
「俺はお前が心配だよ!こんな状況なんだぞ町は!?」
「だ、だ、だから心配してたんだよー!もしかしたら出歩いてるんじゃないかって思ってたら、こうやってホントに出歩いて
るしー!危ないじゃないかー!」
「危ないかどうかは俺が決める!それに俺は軍人だ!…いや、今はまだ予定だけど…」
胸を張って応じ、一転して小声で付け加えたフランツは、
「ん?どうした?」
幼馴染が涙ぐんだ事に気付いた。
「フランツ…!フランツー…!」
「おいラド…」
グシュグシュと鼻を啜るラドの肩に、フランツは「しっかりしろよ。な?」と手を置いた。
「まぁ、怖くて当たり前だ。普通じゃないからな。ケダモノ共が徘徊してる、こんな状況は…」
違う。とは言えなかった。
そんな事で泣いている訳ではないと、言えなかった。
ついさっき彼の母が死んだ事を、告げられなかった。
それは、ミオに配慮しての事でもある。この場でその事に触れてもミオが辛い思いをするし、フランツがどんな反応を見せ
るか判ったものではない。
ミオは知らない。自分が目の前の兎の母親だったものを屠った、その事実を。
フランツは知らない。自分の母親が怪物と化し、目の前の猫に屠られた事を。
胃が痛くなった。吐き気がした。抱え込んだその秘密は重く、深刻過ぎた。
「とにかく、ふたりとも声を少し抑えて…」
辺りから怪物が殺到してくるのではないかと心配したミオが小声で注意を促し、フランツは表情を引き締める。
「フランツさん、無事で何よりでした。とりあえず移動を急ぎましょう。今、車の音が聞こえたんですけど…」
ミオは耳をピクピクさせて先ほど聞いた車の音を探ったが、既に離れてしまったようで、位置は判らなかった。
だが、走り去った方向には目星がついている。
音が聞こえた方向が判っているのは勿論、音そのものがしっかり認識できた事からそう離れていないはずだと察しがつき、
距離もある程度絞れている。
(位置的に考えれば、太い通りを南下していったはずだから…。たぶん、教会の方向に向かってた…よね?)
教会には明かりも灯っており、見張りが窓から外を窺っている。猟銃などの銃器も数丁あり、充分とはいえないが武装され
ている。向かった車が敷地内にさえ逃げ込めば、援護射撃で怪物達を排除している間に教会内に駆け込んで、助けられる可能
性は高い。
(もちろん、ぼくが行って手助けしたほうが可能性は上がる!)
ミオはラドとフランツを交互に見て、頷きかけた。
「教会に向かいます。もうすぐですから、慎重に、でもしっかり急いで進みましょう」
かくして、三名の移動が始まった。
先頭を行くミオと、後ろを固めて警戒するフランツの間で、ラドは重たくなった気がする腹を抱えて、暗鬱な気分で歩を進
める…。
「明かりが…!」
助手席のシェパードがホッとしたように漏らす。
後部座席のギュンターは、椅子の間から身を乗り出して前方を睨んだ。
「出てくる時には随分排除したんだが…、また増えているな」
教会間近まで迫ったパトカーのヘッドライトが、教会正門付近に群がる怪物達を照らした。
その数、三十以上。
「排除する。車は止めずに、片付け終わるまでそのままぐるぐる走り回ってくれ」
「は?そんな真似ができるか!」
無茶を咎めようとしたシェパードは、
「非常時だ。ユーターン禁止ぐらいは破っても仕方ないだろう?」
道路標識に視線を飛ばしながら少しずれた返答を寄越す青年の顔を、ポカンと口をあけて見つめた。
「そ、そんな事を言っ…」
「判っている。そんな事を言うものではないと。だが今は目を瞑って貰いたい!」
話を聞け。と心底思ったシェパードだが、言葉を続ける前にギュンターが後部ドアを開けてしまった。
「あ!?お、おいコラ!」
ハンドルを握る警官が慌てて速度を落とすが、気遣いなどは無用だった。
走行中のパトカーから飛び出したギュンターは、まず両脚で着地、次いで体を丸め、転がって勢いを殺す。
青年が纏うコートは特別製。コートとしてはやや重いのが難点だが、甲冑を着用できない任務においてはリッターの基本装
備となる逸品。
リッター独自の技術が注ぎ込まれた外套は、防弾防刃に加え、極めて高い対衝撃性能まで併せ持つ。衝撃に反応し、コート
内に仕込まれた小型の袋が吸気し、マイクロエアバッグとして着用者を保護する機能が付加されていた。
このエアバッグは自動的にゆっくり排気して元に戻るため、機能発揮後も動きを妨げず、数十回使用できる耐久性も備えて
おり、このような補給やメンテナンスが見込めない状況でも信頼に足る鎧となる。
ダメージを負わずに地面を転がり、体勢を整えようとするギュンターに、音と動きに反応した怪物が三体迫った。
転がる先には、上から覆いかぶさるように両腕を振り上げて襲い掛かる屈強な男性。しかし…。
「ふんっ!」
転がっていたギュンターは両足を突き出して踏ん張り、仰向けに、そしてスライディングのような格好に、さらには足の踏
ん張りと勢いをかち合わせる格好で上体を起こす。
中腰になったギュンターは、一転して前傾し、低い姿勢で飛び込む。
直後、弧を描く銀光。
ボッ、と音を立てて飛んだのは、ギュンターに襲い掛かろうとした怪物の首。
ザザザッとブーツの底を鳴らして怪物の脇を滑りぬけ、両脚を大きく開いて立つギュンターが、剣を振り切った体勢で勢い
を殺し、振り返る。
その振り返る動作に、回し蹴りが含まれていた。
背後から迫った二体目の化け物は、こめかみに右の爪先を打ち込まれ、頭蓋を歪に変形させられながら側転のような動きで
吹き飛ぶ。
一見するとただのトレッキングブーツに見えるが、ギュンターが履いている靴はれっきとした軍靴である。カーボン製のプ
ロテクターが特殊合成皮革の下に内蔵されており、断熱性と軽量さを併せ持つ強靭な防具となったこの靴は、鈍器としても充
分な威力を発揮した。
ただし、やはり少々重いのが難点ではあるが。
蹴りを放った勢いで捻転したギュンターの体は、一回転しつつ左の軸足を折って姿勢を低くする。
深く腰を落としたその状態で、振り抜いた右足を踏ん張り、初めと同じ向きになったそこから、今度は逆回転。
脇に寄せて構えた剣を、しっかりと握った両腕でフルスイングした先には、三体目の怪物の姿。
振り向く動作をスイングの勢いに込め、振るわれた剣が夜気を切り裂き、軌道上に入った怪物の右腕を逆袈裟に切り上げ、
宙に飛ばす。
「しぃっ!」
裂帛の気合はその直後。切り上げた剣先を引き戻すように、全身を使って剣を振り下ろしたギュンターは、怪物の頭部前側
半分を見事に両断してのけた。
ブンッと剣を一振りし、ギュンターは次の相手に狙いを定め、一気呵成に駆け出した。
四体目は袈裟に胴を裂かれた後に、返す剣で頭部を上下に分断される。
五体目は脇を切り抜けられ、胴を半ばまで切断された後に、後ろからのローリングソバットで頭部を破砕される。
六体目はギュンターの右腕を掴みながらも、左手一本に持ち替えた剣で顎下から頭頂部までを串刺しにされる。
体液にぬめった得物を一振りし、大きくスーハーと呼吸して息を整え、ギュンターはさらに戦闘を続行する。
しかしその得物は真剣ではない。警察署にあった調度品…つまり模造の剣で、刃は丸く潰れている。これで怪物を切り捨て
るには、並々ならぬ膂力と剣速が必要だった。
(なまくらだが、メリットもあるな)
七体目の右目に剣を突き刺し、脳を破壊しながら、ギュンターは考えた。
(最初から刃が無ければ、毀れる事も…無い!)
八体目は、跳躍の勢いと体重を乗せた唐竹割りで、頭の上から股下まで真っ二つに断ち割られた。
これが、リッターである。
ひとの身で人外に抗し得る者達。連綿と受け継がれた技術と力を伝える者達。中世から続く、怪物殺しの騎士団…。
万全の装備も無く、連携する仲間も無く、それでもなお、若輩の騎士が怪物の群れを蹴散らしてのける。
「気に入った」
九体目を排除し、ギュンターは不敵な面構えで笑った。
「金属バットもそうだったが、鈍器もなかなか悪くない…!」
身に宿す闘争心と胆力こそが、ギュンターが持つ最大の長所。
かつてギュンターはミオと出会った北原で、遥かに格上の相手と直感しながらも、ラグナロクのエージェント、ウル・ガル
ムに臆さず立ち向かった。
仲間が惨殺される最中、相手の攻撃を分析して正体に目星をつけ、奇手を交えて切り結んだその実績からも恐怖に屈しない
その胆力は窺えるが、青年の真骨頂はまさにその、恐れに冷静な判断を阻害される事無く、かつ闘争心を損なわずにいかなる
場面にも対応できる、強靭なメンタリティにある。
結果的にハティの助勢が入って生還したものの、もしもギュンターが怯えて竦んでいたならば、あの巨漢が割って入る前に
殺されていただろう。
息を整え、しかし休まず、剣を振り、駆け、怪物を屠る赤髪の青年。
その姿は、御伽噺に登場する、怪物と戦う英雄達を連想させた。
「はは…!どっちが怪物だか判りゃしないな…!圧倒的じゃないかあのお兄ちゃん…!」
しばし言葉も出なかったシェパードは、呆れ返るほど頼もしい青年の力戦に勇気付けられ、窓をあけて拳銃を突き出す。
「言われたとおりにボケッと指を咥えてたら、警官の面子丸潰れだ!」
ハンドルを握る同僚に向きを調整させ、射角を確保したシェパードが発砲する。
狙い易いのは胴体だが、頭を潰さなければ怪物は沈黙しない。
ヘッドショット以外は効果的ではない。そんな、極めて難度の高い射撃を、走行中のパトカーの窓から敢行するシェパード。
跳弾が心配なのでギュンターへの援護はできないが、そもそも青年は心配するのが馬鹿馬鹿しいほど圧倒的なので、とにか
く離れた所から数を減らす事に専念する。
しかし…。
「新手か!?」
暗がりから駆けて来る三つの影を視界の隅に捉え、シェパードは舌打ちした。
そして銃弾を装填し直しながら目を凝らし…、
「…違う。怪物じゃない…!?」
驚きに目を見張った。
闇に同化するような黒いコートを着込んだ、細身で華奢なその姿には見覚えがあった。
ボテボテと走るヒキガエルと、周囲を警戒する黒兎を大きく引き離し、単騎突出するその影は…。
「あれは…、まさか昼間の、あの品の良いお兄ちゃんか…!?」
無事だった事を喜びながらも、驚愕を禁じ得ないシェパード。
前傾姿勢で疾走してくるアメリカンショートヘアーは、気付いてそちらに向き直った怪物に向かって素早く手を振った。
仰け反る怪物。その脇を駆け抜けながら、額にめり込んだナイフを素早く引き抜いて回収し、
「グーテナハト(おやすみなさい)…」
呟きながらくるりと逆手に握り直す、猫の少年。
「来たかミオ!これで百人力だ!」
親友の到着に声を張り上げ、一層気合を込めて振られたギュンターの模造刀が、怪物の胴を両腕ごと上下に分断する。
「リミッター、フルカット…!」
黒いコートを翻し、ミオ・アイアンハートが戦線に踊り込んだ。
「アイツ、民間人を助けるのか…」
夜空に近い高みから、見下ろす狐が小さく漏らす。
「違法組織の構成員とは思えなくなってきたな?それにあの若い剣士…、あれ、剣さばきから見てリッターじゃねーのか?」
ヘイムダルはフンフンと小刻みに頷き、眼下の戦闘を観察する。
町の住民達が避難する、教会の屋根の上から。
「リッターの若造と、同じデザインで色が違うコートを着込んだ小僧、か…」
狐は目を細め、軽く首を縮めた。
「こいつはたまげた。元ラグナロクがリッターと仲良しだと?いったい何がどうなったらそんな事になるってんだ?ん~?」
空を切り裂く剣が、突き出されるナイフが、唸りを上げる軍靴が、振り抜かれるトンファーが、怪物達を沈黙させてゆく。
その光景を眺めながら、ヘイムダルは口の端をクイッと吊り上げた。
「訂正訂正。こいつは、つまんねー任務なんかじゃねーな…!」