ファルシャーネーベル(act17)

 下から突き上げるような震動に続き、天井からパラパラと埃が落ちる。

 よろめいた狼は「何だぁ!?地震か!?」と声を上げながら、廊下の壁に手を付き、窓の外を見た。

 天井から下がった電灯がグラグラ揺れているが、外の電線は何とも無い。

「…地震じゃねぇのか?」

 呟いたアドルフは、しかしその目を鋭くする。

 視線の先で、庭の一角…、庭園の側溝付近から、もうもうと粉塵が上がっていた。

「地下で何かあった…?ガス管でも爆発しやがったか!?」



 立ち込める粉塵に、ラドが噎せる。

 床や天井など、砕けた石と保管品の残骸から立ち昇る灰色の埃に遮られ、視界はゼロに近い。

 見渡す事も出来ない倉庫の中で、

「どうだ?ラド…」

 キーンと続く耳鳴りに混じり、フランツの囁きが聞こえた。

「これが俺の力!俺を縛っていた力!親が忌み嫌い、軍が利用しようと考えた力!選ばれた特別な存在が宿す大いなる力…!

「ヴィーゲンリート」だ!」

 熱を帯びた声で叫ぶフランツが、高笑いを響かせながらラドを突き飛ばした。

「見ろよ。あの少尉さんも木っ端微塵だぜ!」

 雑多な破片が散らばる床に、突き倒されて四つんばいになったラドは、目を見開いて前を見た。

 もうもうと立ち込める粉塵が少し収まり、視界が開けて目の当たりにした惨状を前にしても、何が起きたのか判らなかった。

 ミオの姿は無い。

 ドアも無い。

 通路と倉庫を隔てていた壁は崩れている。まるで爆破されたように。

 フランツとラドの前にあった物一切合財は砕け散って、崩落した天井の一部も含めた瓦礫に埋まっている。

「ラド、宝剣が入った像がどこにあるのか教えろ」

 フランツが囁きかける。優しく。

「幼馴染のよしみで、お前だけは殺さないでくれって頼んでやるよ。大丈夫だって。俺は期待されてるから顔が利くんだぜ?

皆、この選ばれた力に一目置いてるんだ。そもそも、このくだらない町の中で、お前は特別なんだ。死なせたくなかったから、

薬も飲ませてやったんだぜ?」

 嘘だった。

 猫なで声で語りかけるフランツは、品物が手に入ればラドを殺して行くつもりだった。

 連れて行っても邪魔になるだけだ、と。

 むしろ、どうせここに置いていっても死ぬのだから、せめて苦しまないように殺してやるのは親切な事ではないかとすら思っ

ている。

(家もないし、家族もないし、もう生きていたって仕方ないだろ?なぁラド)

 そんな事を考えているフランツに、ラドは答えない。

 呆然と、能力による破壊の波が蹂躙した、瓦礫だらけの倉庫を眺めている。

「ちっ…」

 フランツは舌打ちをする。

 ぼやぼやしていたら上からアメリカンショートヘアーの仲間がやってくる。自分の能力が敗れるとは思っていないが、複数

人で来られたら面倒くさいと感じた。ラドが在り処を言わないなら…。

「ん?」

 さっさと殺して離脱しよう。そう思ったフランツは、背後から聞こえたガラン、という音で振り向いた。

 そこには、跳ね飛んだ瓦礫が当たって床に倒れていた、布が掛けられた何か。その砕けた何かの破片が散らばる裾側に、金

属の光が見て取れる。

「これ…か?」

 眼を輝かせて歩み寄り、慎重に布を摘み上げて覗き込んだフランツは、横たわる銀色の剣を目にする。

「こいつだ…!」

 式典などで何度か見たあの宝剣だと確信し、黒兎は柄を取って剣を見つめた。

「ん?鞘は何処に…」

 呟いたフランツがハッと振り返るのと、その頬を掠めて何かが通り過ぎるのは同時だった。

「な、何で…!?お前、何で生きて!?」

 フランツの目が映しているのは、瓦礫の中から立ち上がり、袖に仕込んだワイヤーを打ち出したミオの姿。

 落ちた天井や破砕された椅子の破片などに埋もれていた少年は、あちこちに傷を負って血まみれになりながらも、まだ生き

ていた。

 頭から流れ落ちる血で顔の右半分を染め、左目のみで発するその眼光は、それでもフランツに寒気を覚えさせる。

 底なしの闇を覗いているような、光の無い目が…。

「あ、アイアンハート…さん…!」

 ラドが声を発したその時には、ミオは壁面に打ち込んだワイヤーを巻き取り、その勢いを使ってフランツに飛び掛っている。

 実は、ミオは立ち上がるのもやっとの有様だった。自力で詰め寄ろうにも足がおぼつかない。ワイヤーの巻き取りに頼って

接近しなければならないほど、ダメージは深刻。

 トンファーは吹き飛ばされてしまったので、ナイフでの刺突で仕留める心積もりで、体ごとぶつかって行こうとしたミオだっ

たが、

(浅かった…!)

 飛んだ瞬間にワイヤーのフックが壁面から抜け、勢いが不足している。

 横っ跳びに避けたフランツを牽制するようにナイフを放り、太腿に装着した鞘から二本目を引き抜いたミオは、ラドの脇を

駆け抜けて通路に向かうフランツを目で追う。

 目的を果たしたら一目散。厄介な判断ではあったが、ラドを盾に取られるよりは良い。

 着地したミオは、足が痛んでバランスを崩し、転倒しかけたが、何とか踏ん張って留まる。

 そこへ…。

「おい!何があった!?…ってうおぉ、すげぇ散らかし様…!」

 異常に気付いて駆け下って来たアドルフが、崩れた壁の向こうから顔を出した。

 運が良い、と喜んだミオは、しかし…。

「軍人さん!ガス管が爆発しました!手当てできるひとを!」

 フランツが上げた声でハッとした。

 簡単にバレる嘘だった。が、事情を知らないアドルフに一瞬の隙を作るには充分だった。

「何!?誰が怪我した!?ミオか!?」

 フランツから目を離し、粉塵が舞う倉庫内を凝視するアドルフ。その首筋へ、剣光が閃いた。

 ガッ、という音と共に切れた被毛が散る。

 しかし、弾かれたのはフランツが振った剣の方だった。

 反射的に動いたアドルフの目が、自分を狙ったフランツを映す。

 切り付けられ、被毛が一房飛んだ首筋では、火花のような物がチラチラ散っていた。

 アドルフ・ヴァイトリングの能力は、フェンスターラーデン。

 国外ではエナジーコートと呼ばれる事が多いその能力は、生命力を元にして力場を形成するという物。個人差はあるが、こ

の能力で産み出されるフィールドは、概ね銃弾を弾くほどの防御力を有する。

「てめぇっ!」

 諸々の事情を排除し、敵対行為だけで純粋に敵だと認識したアドルフは、首筋でパチパチとスパークが散るのも収まらない

まま、即座に、右手で懐から拳銃を抜き出した。

 理屈抜き、直感による敵と味方の篩分け。恐ろしく無駄が無いとともに躊躇も思考もない、反射的な反撃準備。瞬き一つの

間に現れたスタームルガーの銃口は、フランツの眉間にビタッと据えられている。

「ちぃっ!」

 飛び退きながら、フランツは耳を立てて口を開け…。

「アドルフ准尉!対爆!」

 鋭く走ったミオの声に、アドルフの左手が疑問も思考も飛ばして反応し、前方に翳される。

 その動きに導かれるように、アドルフの被毛内の空間に展開されていた薄い力場が腕に集中し、そこから風で引っくり返っ

た傘のような形で展開、放射された。

 アドルフのフェンスターラーデンは、出力こそ並のエナジーコートと変わりないが、極めて持続性が高い。

 狼特有のスタミナ配分が能力にも反映されているのか、瞬間最大出力こそ平凡ながら、その総量を変えない範囲であれば極

めて柔軟に、そして精密に展開させる事が可能。

 ミオの対爆の声に反応して展開された力場は、本来手投げ弾などを封殺するための物で、目標物を包み込み、威力を減殺す

る効果がある。

 今回はこれが、フランツが発した衝撃波が拡散する前に包み込み、破裂した。

「くっ!」

 閉じ込められて炸裂の威力を弱められた衝撃波が突風と化して通路や倉庫を掻き回す中、フランツはすぐさま身を翻し、奥

の方へと駆け出した。

「ちぃっ!」

 立っているのもままならない、閉鎖空間で暴れまわる強風で体を揺さぶられながら銃撃したアドルフだったが、銃弾は壁や

天井に当たり、甲高い音を立てるばかり。

「…どうせ行き止まりだろう!」

 悪態をついたアドルフは、収まりつつある突風の中、「ミオ!無事か!」と声を掛けたが…。

「はい…、何とか…」

 ラドに肩を借りているアメリカンショートヘアーの姿を目の当たりにし、ジェラシーに胸を焦がすアドルフ・ヴァイトリン

グ准尉、二十六歳、独身。

 ザッザッと足早に歩み寄り、ラドを突き飛ばす格好でミオを奪い、肩を貸したアドルフは、

「すぐに姉御に手当てして貰おうな!」

「いいえ、追撃が先です…!」

「そうだな!追撃だな!任せとけ!おらカエル!ぼさぼさしてねぇでミオに肩貸せ肩ぁ!」

 自分で突き飛ばして位置を変わっておきながらこの言い草。なんとも傍若無人な物言いである。

「でもって姉御の所につれてけ!俺が言ってたっていやぁ姉御も四の五の言わねぇで治してくれ…」

「貴官に何か言われなくとも、四の五の言わずに治すが?」

 威勢のいいアドルフの声を遮ったのは、イズンの低い声。

 太い脚で瓦礫を跨ぎ越し、巨体で粉塵を押し退けて倉庫に入ったイズンに、

「お早いお着きでしたね姉…ゴーッ!?」

 額へストレートを打ち込まれ、引っくり返るアドルフ。

「アイアンハート准尉。一体何があった?」

 ミオを抱擁しながら、イズンが問う。

 瞬く間に出血が収まったミオは、「フランツさんがラグナロクと内通していました…」と、単刀直入に報告した。

「今、宝剣を持って、地下の奥のほうに…」

「ヴァイトリング准尉。何故追わない?」

 ジロリとイズンに睨まれたアドルフは、「た、ただいま!」と、わたわた通路にまろび出て、フランツを追った。しかし…。





「残念だ」

 とてもとても低い声で唸ったイズンからかなり離れた所で、アドルフは小さくなった。

 行き止まりだ、と根拠無く吐き捨てていたが、実際には地下一階はそのまま庭園の物置に通じていた。屋外作業用の道具を

出し入れし易いように。フランツはそこから屋外へ出たようで、アドルフが地上に出た時には既に姿をくらましていた。

 つまり、隠し通路でも何でもない、普通の動線でまんまと逃げられた訳である。

「いやでもあの場合は負傷者の防御が優先って言うか…」

「一理ある」

 珍しく言い訳が認められてホッとしたアドルフだったが、

「追撃が予想される事態であれば、の話だがな。…つくづく残念だ…」

 突き落とすように続けられてしゅんとなった。

「だがそれでも、タイミングよく駆けつけられた事は確かだ。援護としては申し分ない」

 少しだけ褒められて尻尾をパタタッと振ったアドルフは、「…それにしても…」とイズンが視線を逸らすと、もっと褒めて

欲しそうな、名残惜しそうな顔になる。

「あの蛙君…。ただの民間人とは思えない機転だな…」

「誰だってできますぜ!あの程度は!」

 自分の話題を打ち切って関心をラドに向けられるのが面白くないアドルフが、殊更大きな声でそう言ったが、イズンはそれ

に答えず、「気になる事は、もう一つ…」と呟き、礼拝堂を見回した。

 そこにはもう避難民達の姿はなく、残っているのはイズンとアドルフのふたりだけ。皆はイズンが立てた防衛プランに従っ

て部屋を変えている。

 静かな礼拝堂で、イズンは傍の長椅子を見つめながら、背もたれの上に手を置いた。

 何の変哲もない普通の椅子である。多少は頑丈だが主な材質は木で、金属は鋲などに使われているだけ。

(あの部屋の惨状…。咄嗟に長椅子を盾にしたと言っていたが、それだけで、アイアンハート准尉の傷があの程度で済んだの

はおかしい…)

 破壊範囲から見て、直接浴びないように遮蔽した程度では、大した防御にならない事は明らか。長椅子の影に身を隠したと

しても、ろくに衝撃を遮ってくれなかっただろうと、状況を見れば判る。

(まさか…。アイアンハート准尉のノンオブザーブには、わたくしがまだ把握していない力が…?)

「何ですかい?気になる事って」

「いや…。大したことではない」

 小さく頭を振ったイズンに、「…にしても、畜生あの野郎…!」と、アドルフは拳を平手に打ちつけて、憤りとやる気をア

ピールした。次は必ずやりますよ、と。

「あの裏切者は、何だって裏切る気になって裏切りやがったんでしょうね?」

「…残念な表現のようで、なかなか面白い表現だ…」

「えへ…!」

 褒められたような気がして頭を掻き、笑顔で舌を出すアドルフに、「蛙君が記憶していた彼の言葉から察するに、現状に不

満があったようだ」とイズンは目を閉じて応じた。

「マジで何なんですかあのカエル野郎は…」

「大したものだ。予備知識もなく、判らない事だらけの発言を正確に記憶するのは、誰にでもできる事ではない」

 そしてイズンは、ラドから伝え聞いたフランツの発言について思い返す。

「「自分は選ばれた」という考え方は、時と場合により非常に魅力的だ。「逸脱した」という事を「選ばれた」とすり替えら

れれば、気持ちも楽になる」

 目を開けて、イズンは椅子の間を静かに歩き始め、礼拝堂正面の大きな十字架を見上げた。

「だがひとは往々にして、選ばれた者だと思い込む事で歪む。そして、歪んでいる事に気付かず、偽りの満足感に囚われる。

そうなると、自分たちひとりひとりは世界にとってどうでもいい、ちっぽけな存在であるという、受け入れ難く哀しい現実を

直視できなくなってゆく。自分が居なくなっても地球は回り、明日が来る。悲しんだ友人や知人達も、自分の事を憶えてはい

ても、降り積もる今に対処するしかない。そんな「当たり前」が判らなくなる…」

 はぁ、とアドルフは曖昧に頷いた。判るような判らないような、手のひらに乗せたのに指の隙間から零れて行く水を眺めて

いるような、そんな状態でイズンの言葉を聞いている。

「そうして「見失った」者の中からも、世界に害をばらまく敵が生まれる。性質の悪い事に、口だけで終わらない者が、その

ベクトルへ向かう時に、な…。実に性質が悪い。意思と力を備えている者ほど冗談では済まない脅威、世界の敵となる…」

「口だけのヤツは役にも立たねぇし、たいして害にもならねぇって事は判りますね」

 うんうん頷く狼。これは経験で判っている事だった。本当にヤバい奴は、鋼のような意思を持っている、と。

「そして逆に、見失わずに世界の不寛容さと向き合い、それでもなおそこに生きる者の営みを尊い物と受け止められる者は、

世界の敵の敵となり得る。…少佐や、ジークフリートのように…」

 ジャイアントパンダが思い浮かべたのは、しかし挙げた名とは別の人物。

(准尉にも、その条件は整っている…)

 年下の、灰色の同僚の顔だった。

「「選ばれた」…などと喜んでいられる者は幸せだ。…本当に選ばれてしまったら、大変なのにな…」

「はい?何です?」

 憂いを帯びた表情で呟かれたイズンの言葉は、アドルフの耳には届かなかった。



「ぼぼ、僕はー…!銃なんてー、撃った事もー…!」

「つべこべ言わず握れ!良いか?死にたくないなら牙を剥け!」

 手を胸の前に上げ、首を左右に振っているヒキガエルの腕を掴み、ギュンターは無理矢理銃を渡そうとする。

「ギュンター君…。そんな脅す風に言ったら逆効果なんじゃ…」

 宥めようとするアメリカンショートヘアーだが、しかしギュンターは聞く耳持たず、ラドを逃がさない。

 ここはラドの治療にも使われた神父の部屋。ラドは無傷だが、ミオはコートが何箇所も裂け、被毛にあちこちに乾いた血が

こびりついた酷い格好になっていた。

 イズンに治療して貰ったものの、傷自体は塞がり切っておらずカサブタのまま。これ以上快復を促すのは、疲弊しきったミ

オの体には負担が大きいからと、イズンがあえて治療を止めた結果である。

 傷など癒せるとはいえ、イズンの能力は無制限に万能な快復を保証する物ではない。あくまでも生物が持つ自己治癒能力を

促進しているだけなので、傷や病の治癒に伴う本人の体力の消耗は避けられないし、治せる傷には制限もある。

 例えば、心臓を銃弾が貫通し、本来なら数秒で死に至るような場合でも、細胞そのものの治癒を早める事で容易に穴を塞ぎ、

死を回避させられる。

 しかし、腕一本が丸々失われていた場合は、イズンにも元通りには治せない。欠損した手足が生えてくるような生物ならば

話は別だが、自然には生えてこない欠損した部位は、単に切断面の傷を治すだけになってしまう。治すならば、切断された部

位を繋げなければならない。

 治せるのは、あくまでも「時間を置けば自然治癒する」傷。無から有を産み出す能力ではないため、四肢などの欠損や、修

復不可能な部位などについてはカバーし切れない。治して貰えるからと、無鉄砲な戦い方ができる訳ではない。

「銃なんて持ちたくないー!」

「ええい、分からず屋め!」

 ギュンターは強硬な姿勢を崩さず、腕を掴まれながらもあとずさるラドを壁際まで追い詰めて捕まえた。

「あ!ちょっとー!やめてー!…ぁんっ…!」

 悲鳴を上げるラドは、しかし途中で妙な声を漏らす。ギュンターがその豊満な胸や腹回りを手で探り始めたので。

「ちょ、ちょっとー!何し…あふっ!」

 こそばゆくて妙な声を上げながら顔を赤らめるラドを無視して、ギュンターはヒキガエルをその場でターンさせると、今度

は背中側を確かめて…、

「…胸の内ポケットは、肉厚なせいで余裕も無い。ここは厳しいな…。太腿も腰の横も無理だ。変に出っ張って上着越しに判

る…。となれば、腰の後ろ…背中側が適当か」

 べろっと上着を捲ってズボンのベルトを掴み、そこに挟む形で拳銃を押し込む。

 勘違いしそうになったラドだったが、ギュンターにはその気は全く無い。銃を何処に携帯させるべきか考えながらの、ただ

のボディチェックだった。

「や、やだよこれー!」

「我慢しろ。いいか?」

 ギュンターは厳しい顔と口調でラドを向き直らせ、指を突きつけた。

「俺達は全力で君を守る。だが、それでも力が及ばない事も有り得る。…悔しいが、今はそんな状況だ…!」

 民間人に武器を取らせ、自衛を促すこの行為は、ギュンターにとっては恥辱以外の何物でもない。それは自分の力の無さ故

の事なのだから、と。それでも今回、青年はあえてヒキガエルに銃を握らせた。

「出来ることならそれを使わせたくない。だが、それ以上に君に死なれたくない。だから…頼む」

 青年騎士はラドの両肩を、力を込めて強く握る。

「嫌でも、怖くても、それを持っていてくれ」

 ギュンターにとって、ラドは防衛行動に齟齬を生じさせた犯人であると同時に、協力し、貢献してくれた人物でもある。何

よりミオが守り抜いた大切な相手なのだから、どうあっても死なせたくはない。

「生きろ!俺にはこんな事しか言えないが…、とにかく生きろ!死ぬまで生きろ!生きて、生きて、生き抜いてくれ!頼む!」

 それは、ちぐはぐで纏まっていない、おかしな言葉だった。

 だがそれだけに、きっと口が上手でないだろうこの青年騎士が、何とか伝えようと心の底から発した純粋な言葉だという事

は良く判る。

 ラドは頷きもしなかったし、返事もしなかったが、それでも…、

「…う…、うぅ~…!」

 怯えながらも、もう銃を外そうとはしなかった。

「…話は済んだかな?少尉」

 唐突にかけられた声に一同が振り向くと、入り口ドアを塞ぐ白と黒の巨体が目に入った。

「済みません。お待たせしました」

 騒々しい場面を見せてしまった事を恥じたギュンターが一礼すると、イズンはその腰へ視線を向けた。

「「それ」は、使えそうかな?」

「ええ」

 力強く頷いたギュンターが、新たな得物の柄をポンと叩いた。





(この辺りなら…)

 霧がキラキラと陽光を反射させる町中を、フランツは足早に進んでいた。

 そして太い二車線道路の真ん中へ出ると、懐からボールペンを取り出し、カチカチと数回、リズムを刻んでノックする。

 手持ち無沙汰にペンの先端を出したり引っ込めたりしているようにも見えるその動作は、通信だった。

 そうしてペンを鳴らし終えて、間もなく…。

「首尾は、どうだった…?」

 枯れ木の間を寒風が吹き抜けるような、掠れた声がフランツの背後から響いた。

「はっ!問題なく!」

 素早く振り向いた黒兎は、恭しく跪く。

 目深にソンブレロを被った、人間の老人に。

 フランツが両手で捧げ持った剣へ、灰色に濁った、瞳孔も虹彩も判らない瞳を向ける老人は、名をフレスベルグ・アジテー

ターという。

 霧に始まる一連の事件の首謀者にして、ラグナロク最高幹部、中枢のひとり。

 たくわえた真っ白な顎髭はサンタクロースのようでもあるが、その表情の無い顔は穏やかさとは無縁で、くすんだ輝きを帯

びた濁った瞳ともども、不気味としか形容できない雰囲気を醸し出している。

 齢70を超える高齢でありながら、背筋は伸び、老いを感じさせない。しかしそこには若さもなく、まるで化石と化した枯

れ木が佇んでいるような、独特な空虚感があった。

「対象を監視いたしましたが、試作の経口ワクチンは一応効果がございました。一応と申しますのも、感染を完全に防ぐ事は

できず、発症寸前までは至る模様でございまして…。ただし、その後は時間こそかかりますが、完全に快復いたします」

 ラドに飲ませて確かめたワクチンの効果について報告するフランツは、せわしなく口を動かしながら、次いで宝剣を水平に

寝かせる形で両手に捧げ持つ。

「それと、お耳に入れておりました品はこちらに!これが宝剣でございます!機能などはまだ確認できておりませんが…」

 熱を帯びた声で告げるフランツは、しかし…、

「違うな…」

 老人の声に遮られ、顔を上げた。

 フレスベルグの瞳は、フランツが両手で掲げる剣の先に向いている。

 銀メッキが僅かに剥がれて下の鉄が覗く、極々小さな傷がそこにあった。

「な!?ば、馬鹿な!?そんなはず…!」

 気付いたフランツが慌てて確認する。

 見た目は行事の際に目にする、教会に保管されていた宝剣そのもの。

 しかしその剣は、柄も刀身も一つの鉄塊で造られ、メッキでそれらしく仕上げられた物…。刃挽きされた模造剣だった。

「ラド…!騙したなラドっ!!!」





 若き騎士の腰に吊るされたそれは、本当の宝剣。

 フランツが逃げ去った後、ラドは言った。

 あの宝剣は偽物だ、と。

 最初に案内した倉庫にあったのは、本物の宝剣がいたまないようにと作られた、式典用の代理品。

 本物は一つ手前の倉庫に、オリジナルのセントジョージ像と一緒に保管されていた。

 フランツが怪しいと感じていたヒキガエルは、念の為にこの偽物が保管してある部屋へと幼馴染を誘導していたのである。

つまり黒兎は、窮地を脱しつつ目的を果たしたと思いながら、その実まんまと偽物を掴まされていた。

 ラドから説明を受けた際には、その用心深さと閃きに、一同も声を失ったが…。

「でも、機能はまだ良く判ってないんでしょ?」

「ああ。何でこんな能力を持っているのか、さっぱりだが…」

 ミオの問いに顔を顰めたギュンターは、柄を弄りながら顎を引いた。

「刀身に精霊銀が練りこまれている。頑丈なのは確かだ」

 刃渡りは40センチほどで、刃は肉厚。ずっしりと重いかと思えば、鞘から抜くと丁度良い重さ。やや短い刀身は、振り疲

れないだろう重量バランス。鍔元には朱い石が埋め込まれていたとおぼしき窪みがあった。

 問題はその機能。手にして鞘から引き抜いた際に軽い眩暈を覚えたギュンターは、宝剣が宿す能力についてもある程度目星

をつけたが…。

「手にした者から思念波を吸い取る剣、か…。それも急激なものではなく、じわじわと…」

「盗み出そうとするヤツをこらしめるトラップなんじゃ?」

 アドルフがそう言うと、イズンは頷きながら「残念だが、そうだったとしても解除方法が判らない」と応じる。

「エアハルト騎士少尉には、注意して扱って貰うほか無い」

「承知…!」

 口元を引き締めるギュンター。

 副作用はあるが、現代科学で造られる剣を遥かに超えた強度を持つ得物である。仮の相棒としては申し分ない。

「しかし、本当に野郎は奪いに来ますかね?」

 アドルフが唸ると、ミオはラドを見遣った。

「可能性は、ゼロとは言えません…」

 不安げに身じろぎするヒキガエル。

 フランツが宝剣を奪いに戻って来た場合、在り処を知っているだろうと目星をつけて、真っ先にラドを襲うのは目に見えて

いる。

 先にギュンターが帯びた剣に気付けば話は変わってくるが、これからの作戦行動では青年騎士は主戦力の一角を担う。ラド

の守りに配しておくことはできないし、逆にラドをギュンターの傍につけておくのも危険である。

 ギュンターがラドに拳銃を押し付けたのは、そんな事情があったから。

「来るなら来やがれ!と言いたいトコだが…」

「ええ。来ても、コンラッドさんを狙わないで欲しいというのが本音です…」

 面倒くさそうな顔のアドルフと、憂いの表情を見せるミオ。

 アドルフには迷いが無い。しかしミオは…。

(…コンラッドさんには、彼と交戦する所を見せたくないな…)





 一方、町を包囲するラグナロク…フレスベルグ指揮下の部隊の一角では、ハスキーが双眼鏡を手に、町役場の庁舎屋上を窺っ

ていた。

(フレスベルグ様との通信が途絶えた…)

 ちらりと目を遣った先には灰色のアメリカンショートヘアー。表情も感情もないその猫は、同タイプ同士で通信を行なえる

生体端末…いわば念話装置である。

 この機能を用いて、ハスキー達は主の指令を受け、指示を仰いでいたのだが…。

(何者かが水晶を破壊したとしか思えない。しかし教会と警察署、どちらからも出撃が見られない。となればそれ以外の何者

かの仕業という事になるが…)

 ヘルが破壊した水晶は、思念波由来の通信…主に念話を妨害すると同時に、特定の念話についてはブースターとなる機材で

あった。本来ならば通話相手が限られる生体端末達は、ブースターのおかげで

 封じ込めた思念波による作用で、発散し切ってしまえばただの水晶になってしまう、せいぜい二日程度しか継続使用ができ

ない品なのだが、この機材が惜しい訳ではない。

 何者が、どんな手段で探り当て、破壊したのか。これを確かめる必要があった。

(目立った動きは無い。姿もここからでは…)

 先に、別の隊が飛行物体を撃墜しようとして失敗し、反撃を受けて音信不通になった。破壊者はそれではないのか、とも思

うのだが、確認しようにも、ハスキーの位置からは貯水槽が邪魔になって問題の場所が見えない。

「他の隊でも確認できていません」

 同種と通信した猫が無機質な発音で報告する。

「連絡待ち、か…」

 舌打ちするハスキー。その尖った耳に、

「問題ねェ」

 出し抜けに野太い声が届いた。

 体ごと向き直ったハスキーは背筋を伸ばして敬礼し、周囲の兵士もそれに倣った。

 隊に歩み寄る影は、体格が良いハスキーが並に見えるほどの巨漢だった。

 背中側が黒く、内側の肌は白い。分厚く盛り上がった筋肉に全身を覆われた逞しい体付きをしている。顔には白く目を思わ

せる紋様が入り、後頭部から背中にかけては三角の大きなヒレがある。

 ごついブーツと迷彩柄のズボンを身に付けているが、この寒い最中にも、上半身には迷彩柄のアーミーベストを羽織っただ

け。しかもそのベストはサイズがやや不足しているようで、脇腹の半ばまでしか丈がなく、肌が大きく露出している。

 分厚く太く大きい、筋肉の塊のような体躯をしているその2メートル強の巨漢は、雄の鯱だった。

 鯱はハスキー達に顎をしゃくり、町の中央を示す。

「客はレディ・ヘルだ。視察だとよ。大将の居所教えてやったぜェ」

「レディ・ヘル?ではさっきの…、飛行物体の迎撃失敗は…」

「ああ、飛行物体ってなァ、レディ・ヘル御自身だったってェ訳だ。こっちの早とちりで手ェ上げたって事になる」

 ハスキーは身を固くした。自分が直接指示した訳ではないが、誤認により中枢へ攻撃したとなれば問題にされて当然。指揮

の一部を委ねられた者として連帯責任を取らされる可能性もある。

 そんなハスキーの心情を見透かしてか、黒い肌に目立つ、ずらりと並ぶ歯を見せて鯱は笑い、その肩を分厚い手でポンポン

叩いた。

「グフフフフ!ビビる事ァねェ。不問だとよ」

「…は?」

「作戦行動中だって事、連絡体制も制限された状況だったって事、そんな部分を鑑みて、砲撃の件は痛み分けって事にすると。

反撃で小隊二つ潰したからオアイコだってな。そういうトコは理性的に済ますからなァあのひとは。まァ、後は大将が説明責

任を果たすだけだ」

 ホッとするとともに、ハスキーは上官の表情をそれとなく覗いながら口を開く。

「…この作戦の概要は、他の中枢も把握していない…という事ですか?視察が突発的な物だったにせよ、内容を御存じであれ

ばレディ・ヘルも頭上を飛行したりなど…」

「そいつァ、お前ェはまだ知る必要がねェ事だ」

 問いを遮られたハスキーは、「失礼しました」と頭を下げる。

「俺様は持ち場に戻る。後は任せたぜ」

「はっ!」

 敬礼して見送るハスキーと、その部下達に背を向けると、鯱は片足を軽く上げ、ドンと地面へ踏み下ろした。すると、その

足と地面の間からブシュッと水が溢れ出る。

 地下水の噴出に見えるが、それにしては透明度が高く、全く濁っていない。しかもその水は瞬く間に固形化し、一枚の氷板

に変わってしまう。

 それはまるで、サーフボードのような形状だった。そのボードの底面からは激しく霧が噴出しており、まるでホバークラフ

トのように地面から僅かに浮いている。

 能力により形成した氷のサーフボードに足を乗せると、鯱は地面を蹴って斜面を滑走し始めた。

 巧みにボードを操って、木々の隙間を器用に縫いながら町の方へ下り、瞬く間に見えなくなった巨体を、敬礼で見送ったハ

スキー…エインフェリア、グリスミルは胸の内で呟く。

(ふん…。上から目線で物を言えるのも今の内だぞ、単細胞め…)

 顔にも声にも出さず、反感を悟られる事もなく、鯱を嘲るグリスミル。

 星の廻りが悪くて手柄に恵まれていないだけ。実力でも資質でも自分が遥かに上。

 いずれ自分もエージェントになってみせる。それだけに留まらず、いつかは鯱の上になって、顎で使ってやる。

(そのためにも、ただ命令に従っているだけでは駄目だ…。アクシデントが生じれば、命令違反を咎められずに戦功を上げら

れるのだが…)

 野心を胸に、グリスミルは謀略を巡らせる。

(あの黒兎を抱き込んだまでは良い。が、予想通り不慮の事態がまず起こらないシチュエーションだ。…せめてイレギュラー

な存在が混じり込んでいれば、荒れる目もあったのだが…)

 タイプが近い能力者という事もあり、友好的な態度で接してやった黒兎からは、それなりの信用を得られた。隙と余裕があ

れば手柄を立てろ。そう吹き込んで、状況が掻き回される可能性も撒いておいた。

 期待は出来ない。だが絶対に荒れないとも言えない。

 警察署はともかく、民間人が集まっただけの教会がまだ落ちていない事実を把握しているグリスミルは、そこに何かがある

事を少しだけ期待している。

(さあ、ツキが回ってくるかどうか…)