Fatal Ignition(act1)

 首都を守護する調停者チーム、ブルーティッシュの本部ビル。

 その詰め所であり要塞でもあるチームの「家」、メンバーが住まう居住区画の通路を、大柄な北極熊がのっしのっしと歩く。

 上機嫌に立てた短い尻尾をピコピコ振っているのは、ブルーティッシュの若手調停者アルビオン・オールグッド。見上げる

ような巨体に骨太な体格、太り肉で恰幅も良い北極熊だが、まだ高校三年生である。

 その隣を歩むのは、妙に丸っこくて一見すると種族が判り難い、狐の少年。背丈は並より少し低めだが、肉付きが良過ぎて

真ん丸に見える。

「アル君…、背伸びた?」

「うス。今2メートルちょい越えっス」

 どうりで、とノゾムは納得する。数ヶ月ぶりに再会する友人は、記憶にあるより顔を見上げ難くなっていた。

「成長期なんスよ。オトコザカリ」

「育ち盛り?」

「え?育ち盛りのカッコイイ系がオトコザカリじゃないんス?」

「違うかも」

「覚えとくっス…。で、ノゾムは試験勉強バッチリなんスか?」

「一応、備えては来たけれど…」

 やや不安げなノゾムに、「オレが通るぐらいだから大丈夫っスよ!」とアルは気楽に笑いかけた。学校の成績はともかく、

こういった実戦用技能試験にはとことん強い少年である。

「ノゾムの部屋は~…、1832、1832と…、あ、ここっス」

 フロントで貸与されたゲストルーム用カードキーをドア横のスキャナーに翳し、ドアを押し開けたアルは、ノゾムを中に通

すと得意げに胸を張った。

「うわ…。高級ホテルみたい…!」

 リビングとベッドルームを合わせて70平方メートルに及ぶゲストルームは、アルの期待通りノゾムを驚かせた。

 生活品を完備したこのような部屋は本部内に何室もあり、ブルーティッシュが要人を迎え入れたり保護したりする場合にも

使用されている。窓は特殊加工を施された強化ガラスで、多少の衝撃ではびくともしない上に、外から見た場合は内部の像を

大幅にずらす特殊な屈折処理が施してあるため、ガラスを破るほどの威力を伴うの狙撃でもターゲットを暗殺するのは難しい。

対象の長期保護も見越した機能性と過ごし易さは、サブリーダーのネネがかつて参謀だったトシキに相談して突き詰め、用意

させた物である。

「メンバーの部屋もこういう感じなの?」

 革張りのソファーに歩み寄りながら尋ねたノゾムに、「まさか!オレ達の部屋はこんなじゃないっスよ」と応じつつ、アル

は室内の案内を始めた。

 世間の学生は夏休み中にあたるこの時期、ノゾムは銃火器類使用免許類を取得するため首都に赴いた。地元でも試験はある

のだが、薬品、爆発物などの免許も取得したかったので、短期間に取得試験が多く開かれる首都が良いと判断しての事である。

 十日間の滞在で必要な免許を一気に揃える一種のプチ合宿なのだが、これはアルの誘いもあっての遠出。資格取得の合間に

首都見物と国内最大チームの見学も兼ねての遠征である。幸いにもブルーティッシュ本部に宿泊させて貰える事になったので、

旅の不安も幾分和らいでいる。

(首都になんて、中学校の修学旅行でしか来た事なかったし…)

 説明を受けながら、ノゾムは小さく笑みを零す。

 大事な試験を受けに来たのに、少しばかり旅行気分。外泊して夏の開放感を味わうのは一体何年ぶりだろうかと、狐は尻尾

を揺らしていた。



 次いで本部内の案内に移り、任務を終えて戻って来たエイルに挨拶して、試験前の実技指導を請け負って貰う約束を取り付

けた後、ノゾムはアルに頼んで部屋を見せて貰う事にした。

「ここがオレの部屋っス。ちょ~っと散らかってるっスけど…!」

 苦笑いする北極熊。一方狐は…。

(…ちょっと…)

 汚れて散らかり、雑然と様々な箱が詰まれた居間を呆然と見回した。

 腰高の棚が埋まるほど大量に壁際へ詰み重ねられているのは、仕事で使う装備…武装まで含めた品々の空箱や、プラモデル

の箱など。

 テーブルは作業台にされているのか塗料で汚れ、敷かれたカッティングマットの上にはナイフや棒ヤスリ、汚れた麺棒や爪

楊枝、瞬間接着剤の容器が転がり、作りかけの赤い人型機動兵器が金の装飾を光らせながら、頭部と両腕の無い状態で翼のよ

うな推進器を背面へ伸ばし、ニケ像の如き様相で立っている。

 周囲にはコンビニなどのビニール袋が真ん丸く膨れて転がっており、細切れになったマスキングテープや両面テープや細か

く切ったランナー、ティッシュ、菓子袋やジュースのパックなどが押し込まれていた。

 さらに、菓子やファストフードの空袋類、菓子箱などもゴッソリとゴミ袋に溜め込まれており、部屋の隅に二つほど転がさ

れ、加えて衣類もそこらに脱ぎ散らかされており、控えめに言ってかなり汚い。寝室を覗くのが怖くなる散らかり具合である。

週に一度はネネが掃除に来ているので、この散らかりっぷりは一週間程度での有様という事になる。

 ソファーの背もたれに脱いだまま掛けっぱなしのジーンズやハート柄トランクスなどを眺めるノゾムの表情で、北極熊も流

石に察し、「い、いつもはここまでじゃないんスよ?」と弁解する。実際はいつもこうなのだが。

「そ、そうなんだ…」

 と曖昧に応じたノゾムは、部屋を出たい気持ちと掃除したい気持ちを堪え、目に付いたボックスの一つに視線を向ける。

「あれ?新装備?」

「うス。防弾防刃ベスト、鼓谷製っス」

 見覚えのあるロゴが記された箱の上には、ブルーティッシュのエンブレムワッペンが左胸に縫い付けられた、袖無しベスト

が広げられている。

「前のはボロくなったし、ちょっとキツくなってきてたっスからね。最新モデルで支給して貰えたっス!」

「そうなんだ…」

 先と同じような言葉を口にしながら、ノゾムは少し羨ましくなった。

 アルは見てすぐ判るほど体が大きくなっているのに、自分は殆ど変化が無い。身長の伸びもほぼ止まっているし、体型は自

分なりに気をつけた結果でこの状態。危険生物と平気で肉弾戦ができる北極熊が、狐には羨ましくて仕方ない。

「今夜はエイルさんに射撃訓練見て貰うんスよね?なら晩飯は食堂っスね!メニューのオススメ教えるっス!」

「う、うん。…頑張らなくちゃ…」

 やや緊張気味で頷くノゾムは、

「オレも付き合うっスから!」

 そんなアルの言葉と笑顔で、「うっ、うん!有り難う!」と、硬かった表情を和らげた。



 臨海副都心。大観覧車を見上げる商業施設近辺は、近場でイベントなどが行なわれているわけでもないのに、かなりの数の

人出で賑わっていた。

 夏休みという事もあって若者が多く繰り出しており、そのおかげで飲食店をはじめ商業施設は連日大忙し。夏を楽しむ人々

の活気は、元々の気温に上乗せされているのだが…。

「そういえばさー」

「んー?」

「今日ちょっと涼しくねー?」

「えー?暑いじゃーん」

「でもさ、過ごしやすい気とかするよね?」

「あー、わかるー」

「何だろね?太陽カンカンだけど…」

「風もあんま無いのにね」

「ゲー、気温37度だって」

「え?マジでー?」

「やっぱちょっと過ごし易いかも?」

 スケールダウンされた自由の女神像を見下ろすデッキで、女学生達がワイワイ言い合う。気象データはともかく、体感して

いる暑さはそうでもないと。

 その歩行者デッキ上を、コツコツと独りの人間女性が歩いてゆく。

 サラリと長い髪。化粧気は無いがそれなりの顔。だが、野暮ったいディープグリーンのジャージの上下にハイヒール履きと

いう格好で、何処かチグハグな印象を受ける。

 女性は女子グループの近くを通り過ぎて…。

「あれ?」

 女学生のひとりが身震いする。

「ヒヤッとした」

 鳥肌が立った腕を撫でる娘も居る。

 気温が下がったように感じた一同は、しばし不思議がっていたが、やがて話題は別の物へ移る。海風が当たったのだろう。

そう無意識に解釈して。

 女学生達と同じ感覚を抱いた者は他にも大勢居たが、誰一人として気付かなかった。その妙な寒気は、自分達の周囲から熱

が奪われた結果だという事には。

 野暮ったいジャージ姿の女性は、無表情で、望洋とした眼差しで、人ごみの中を歩いてゆく。

 誰一人として、その瞳の奥にチロチロと、オレンジ色の光が灯っている事には気付かない。

 大勢がその女性とすれ違ったが、誰一人として想像もしていなかった。自分達の中に一匹、ひとではない何かが紛れ込んで

いたという事を。




 そしてその日の夜、首都の一角。

 夜空に向かって伸びる無数の高層建造物の一つ、大手商社もオフィスを構えたビルの上に、ポツンと影が佇んでいる。

 手すりの外に立って夜景を見下ろす男は、その異常な立ち位置にも関わらず、衣類をはためかせる強風も意に介さず、落下

への恐怖も感じていない。

 黒布を肩からすっぽりと、マントのように羽織っている。足首まで届こうかという長さの衣の下には、半袖ワイシャツに紺

色のスラックスという有り触れた衣類。

 顔面を完全に覆いつくす仮面を着用しているため、その顔と表情は窺えない。

 面の形状は、この国の舞踊や祭りで用いられる狐面そのものだが、全体が黒く、濃紺の隈取が施されている。特徴的なのは

額に埋め込まれたカメラのソレを思わせるレンズで、古風なデザインと怪しさの中、その一点の印象は全体から妙に浮いて見

えた。

 男は時折腕を上げ、サッと、何かに指示するように振るう。応じる者はその場に居ないが、しかし確かに、その挙動に応え

て動くモノがあった。

 ビルの壁面。建造物の陰。あるいは屋上。建物同士の細い隙間…。光を避けたあらゆる暗がりを、無数の影が滑るように動

いてゆく。

 その範囲、視界内。

 その数、数百。

 夜化粧の首都を、黒影は人々に気付かれないまま移動してゆく。




 その数時間後。宵闇を衣に纏った首都の、とあるホテルで…。

「天気には恵まれましたけれど、…暑かったですね」

 微苦笑するアメリカンショートヘアーは、チャンネルを回してウェザーニュースを探す。シャワーを浴びてさっぱりしたが、

この国の首都の夏は未経験の暑さ…質が異なる熱だった。

「アイスティーが用意できておりますので、どうぞ喉を潤してください」

 そう声を掛けながら冷蔵庫からティーポットを取り出すのは、ビア樽のような体型のずんぐりした猪中年。厳めしい顔立ち

に立派な牙だが、愛する上官に向けるのは猫なで声で、表情もゆるみまくっている。

「気温が高くなる要素が集中している都市なんですよね~。前に来た事があるギュンター殿のお話だとー、同行していたイズ

ン中尉は涼しい顔をしてらっしゃったそうですけどもー…」

 デプッと太った青年ヒキガエルが口を挟む。ランニングシャツ姿でソーダバーを咥えながらモゴモゴと。

「…中尉殿は針の山の上も顔色一つ変えずに歩きそうな方だからな…」

 疑う気は起きない、と同意する猪。

「けれど、噂どおりに「ワショク」は素晴らしいですね。あの玄妙な味わいは本当に不思議で…」

「まったくもってその通りですな!」

 同意する猪だが、メニューをもっと肉と芋に振って欲しかったというのが本音である。それと味付けはもっと濃い方が好み

なのだが、アメショが嬉しそうなので黙っておく。

 アメリカンショートヘアーの青年と、猪の中年と、ヒキガエルの青年。独国の特殊部隊、ナハトイェーガー第一分隊の面々

は、ある任務のため来日していた。

 ただし、正規の入国ルートを使っていない。それどころか、ミオは「鉄谷」、ミューラーは「三浦」、ラドは「今野」と、

それぞれ偽造した身分証明書と調停者認識票を所持し、日本人になりすましている。

 元々ラグナロク製の量産兵士であるミオは、ロールアウトまでに様々な国の言語を覚えさせられており、日本語も堪能。ラ

ドは日本好きを公言しているだけあって語学力は勿論、いささか先入観に縛られて怪しいところはあるが、スラングの類やサ

ブカルチャーにまで詳しい。問題はミューラーで、日常会話がギリギリ行けるかどうかのカタコト。かなり怪しい会話スキル

なので、極力黙っているように心掛けているが、脚が短めだったり体型が寸胴だったりと、容姿は三名の中で最も日本土着の

獣人らしく見える。

 調停者の身分詐称と密入国が発覚すれば間違いなく国家間問題になってしまう。三名はかなり危ない真似をしているのだが、

これには止むを得ない事情があった。

「…ありますねぇ、反応」

 腕時計に偽装してある計器のログを確認したヒキガエルがポソリと呟くと、天気予報をチェックしていたアメリカンショー

トヘアーと、上官に茶を淹れようとしていた猪が、一斉に視線を向けた。

「間違いなく、か?」

 ミューラーの問いに「はい~」と頷くラド。気が抜けているような声とは裏腹に、その目は計器と接続したノートパソコン

のモニターに映し出される波形データを凝視している。

「この時間の反応は、駅に居た頃ですから…あの誤作動ですねぇ。でも、この時間は…」

「移動していた時間帯ですね」

 言葉を切ったラドが目を横に向けると、肩越しにモニターを覗き込む、鋭い目つきになったミオの顔。

「GPSの移動ログと同期できますか?」

「アイアイサー」

 タタタンと軽やかに指を躍らせたラドが、システムに同期データを出力させる。

 モニターの光を瞳に映しながら思案するミオ。

「臨海線で移動中…。この辺りは…」

「入管の近くですね~」

 応じるラド。小刻みに、過剰に、鼻から息を吸い込み続けてミオの匂いを味わっている。

「変電所や工場、野球場もありますな」

 ミオの後ろから参加するミューラー。こちらも猪っ鼻からスココココ…と空気を吸引中。

「で、やっこさんの残滓反応との一致率は?」

「この一番高い検知時間帯では、86パーセントと出てますね~」

 ミューラーの問いにラドが応じる。ミオはその数値を聞きながら、出国前の事を思い出していた。


「入国許可を出し渋られているそうだ」

 体格のいいジャイアントパンダと向き合うミオは、眉を潜めて口を開いた。

「丸二日経っているのに、まだ許可が貰えないんですか?」

「あらぬ疑いを持たれているようだ。我々ナハトイェーガーの活動詳細を伏せている以上、リッターの調査部門と見られても

無理はないのだが」

 ナハトイェーガー第三分隊長、イズン・ヴェカティーニ中尉の執務室。応接テーブルで向き合うミオは、彼女から淡々と少

佐からの伝言を聞かされていた。

 蜂蜜を少量入れた紅茶をかき混ぜるジャイアントパンダに「それはまぁ、正体不明過ぎる部隊ですけど…」と困り顔を見せ

たミオは、

「七ヶ月ぶりの痕跡なのに…」

 と肩を落とす。

 独国陸軍の不手際で世に放ってしまった、神話級の危険生物サラマンダー。現象生命体とも言えるこれを、ミオの第一分隊

は長らく追いかけている。空振りが続いた末にやっと所在を絞りこめる情報が入手できたのだが…。

「そこで、少佐からアイアンハート少尉への指示だが…」

 待機命令を覚悟し、顎を引いたミオは…。

「「第一分隊三名分の身分証明書と調停者認識票を偽造させた。密入国のサポートはブルーノ軍曹が行なう。速やかに潜入し

対象を探索せよ」…とのお話だ」

 イズンの言葉で目を丸くする。

「それって、発覚したら国際問題ですよね?」

「万が一の場合、責任は陸軍が負うという話になったそうだ。どうあってもサラマンダーの件は片付けたいらしい。見上げた

責任感と言える」

 沈黙するミオ。自分達の上官がこれほど強硬な手に出た上に、陸軍も責任の表面化を覚悟した。事態はもう、体裁を繕う事

を優先できる段階には無いのだと嫌でも実感できる。

(確かに。アレが都心で暴れたりしたら…)

 大型船の船底付近から天辺まで、一瞬で融解させて風穴を空けるような熱線を放つ存在である。しかも爆弾等とは違って一

度爆ぜれば終わりという訳ではない。「活きて」いる限り脅威は持続する。

「わたくしは同行できないが、上陸まではハイドフェルド曹長に送らせる。犯罪者のような入国手段になるが、致し方ない」

「命令、確かにお受けしました」

 決意を目に顎を引いたミオに、イズンはこの席で初めて表情を変化させた。

「「ミオ」。くれぐれも、無茶は程ほどに留めるよう心掛けなさい。今回は例え現地で何かあっても、増援が行けない任務な

のだから」

 普段はひたすらに厳しいイズンの、気遣う眼差しを受けながら、

「はい。善処します!」

 ミオは目を細めて、安心させるように大きく頷いて見せた。


「これから現地を確認しに行きます」

 背筋を伸ばしたミオは、装備を押し込めていたトラベルバッグへ歩み寄った。

「夕方にレンタカーの手続きを済ませておいて正解でしたな」

 ミューラーがザックを肩に背負い、

「それじゃあ別行動用に探知機起動しますね~」

 ラドはデータを均一化しておいた腕時計型の計器を再起動した。

 かくして、夜の狩人は不夜城都市へ打って出る。

 確保対象は伝承の存在。下手な刺激が大惨事に繋がる、危険極まりない炎の化身。




 同時刻。ブルーティッシュ本部にある射撃場では、丸い狐が両手で拳銃を握り、的を狙っていた。

「狙いをつける時でも片目を瞑ってはいけないのであります。拳銃は基本的に相手との距離が近い状況で使用する物でありま

すから、視界を狭めるのは危険であります」

「は、はい…!」

 ノゾムは緊張し、硬い表情で恐々と銃を握っている。その傍らに立ち、密着する格好で手を取り、足の置き位置や体の角度

を調整してやるのは、同程度の背丈のレッサーパンダ。ノゾムほどモチモチした太り方はしていないが、短身に見えるずんぐ

り体型である。

「対象を確保する寸前、相手に集中している瞬間、これらはそのままデリケートなタイミングとなるのであります。いざ追い

詰めたと思ったら横合いから仲間に不意打ちされる…などという取り逃がし方はしたくないでありましょう」

 年若い女性とはいえ、エイルは数々の戦いを潜り抜けてきた戦士である。レッサーパンダの指導は現場慣れしている者特有

の実戦的なアドバイスが主となっている。

「対象と銃口を射線で結ぶのではなく、立体視で距離を把握しながら狙うのがコツと言えるでありましょう。では…」

 身を離したエイルが「ファイア」と声を発するなり、ノゾムはトリガーを引き絞る。

 顎を引いて脇を締め、利き手に片手を添えてしっかり保持した拳銃が、乾いた破裂音とともに銃弾を吐き出した。

 吊るされたターゲットの、円の端にポツンと穴が空く。

「あ…、当たった…!?」

 ビックリしているノゾムの横で、ポフポフポフと拍手が鳴った。

「お見事であります」

 貸し出し用のグロック19を借り、10発外した後での命中。ただし、的の距離は標準の五割り増し遠くで、揺れるという

オマケつき。試験での実技テスト課題と比較すれば相当な高難度となっていた。

「狙撃するつもりで撃たないのがコツであります。拳銃は「こういう武器」でありますから」

 当たった事に驚いているノゾムにそう付け加えたエイルは、ブースの後ろ側で壁に寄りかかっているアルを振り返った。

「筋が良いと思うのであります。実技試験は大丈夫でありましょう」

「なら安心っス!エイルさんがそう言うなら試験パスは確定っス!」

 地元で先達から手解きされていた事もあり、ノゾムはエイルが少し指導しただけで変則射撃訓練にも対応できた。実技の方

は何とかなるというのがレッサーパンダの見立てである。

「分解組み立てはどうでありますか?」

「あ、そっちは得意です。トウヤさんに借りてたくさん教えて貰いましたから…」

 ノゾムは飲み込むように言葉を切る。射撃ブースの後ろ、アルが寄りかかっている壁に設置されているランプが赤く点滅し

ていた。

 その上方を見遣れば、電光掲示板に緊急出動の文字が流れている。

「今日の夜間出動って…、オレっス」

「自分もであります」

 さっと挙手したエイルは、「中座させて頂くであります」と断りを入れてブースを出た。

「あ、はい!有り難うございました!お気をつけて…」

 見送るノゾムへ、振り返らず肩越しに軽く手を上げて応じたエイルは、射撃練習場から姿を消す。続いてアルも、

「悪いっスけどオレも出るっス。今日は部屋でゆっくりしてるっスよ!」

 と、ヒラヒラ手を振って大股にドアへ向かった。

 その広い背中を、突っ立ったまま眺めるノゾムは…。


「お待たせっス!」

 アルが後部から乗り込むと、輸送車両の全体が大きく揺れる。

 東護に援護滞在していた頃に比べ、さらに大きく逞しく成長したアルは、武装も一新していた。得物は2メートルを越える

太い棍…打撃用のポール。左腰には大振りな諸刃のナイフ。腰の後ろにはソードオフショットガンを帯び、左前腕に円形のバッ

クラーを装着し、右腰には諸刃の短剣を吊るしている。

 総勢八名が左右の壁に背を預ける格好で向き合って座る荷台、エイルの隣につき、固定用ベルトを掴んだアルは…。

「同行願ったのでありますか?」

「え?」

 レッサーパンダに問われ、荷台の軽い揺れに気付いて手を止める。首を巡らせたシロクマの赤い瞳に映ったのは…。

「ノゾム!?」

 鉈状の得物を腰に帯び、夜間迷彩の黒い防弾ベストを纏い、短い脚を上げて車両後部からよじ登っている丸っこい狐の姿。

「えええええ何で来てるんスか?」

「お、お世話になるなら、手伝わなきゃって…!」

 少し苦労して荷台に上がったノゾムに、「ダメっスよ!」と推し留めるように開いた両手を向けたアルだったが…。

『時間が惜しい、さっさと後ろ締めろよ』

 助手席のアンドウが車内スピーカーで促し、「アンドウさん!?」とアルは声を大きくする。

「良いんじゃないか?」

 奥の席から壮年のベテランがそう述べると、

「ああ、仕事場見学って事にもなるだろう」

 別の中年メンバーも同意し、

「若い内は何でも勉強になるからな」

 さらに別の中年も頷く。

「ではヤマギシさん、席についてベルトを締めるのであります」

「は、はい!よろしくお願いします!」

 五人掛けシートはアルの隣が少々狭かったので、ノゾムはその反対側…目元が毛髪に隠れ気味のハイランドキャトルの隣に

腰掛ける。

「お、お邪魔します…」

 緊張気味に挨拶したノゾムをギロリと一瞥した牛は、返事もせず目を閉じた。

(ああ…。これはあまり良い組み合わせでは無いかもしれないであります)

 エイルはハイランドキャトルの顔を窺いながら、現地でのチーム分けに打診する事を考え始めた。



 アル達が「砲台場」と呼ぶ臨海埋め立てエリアが今回の現場。現地ではアンドウとドライバーが車で待機し、簡易司令部と

なる。

 待機場所は自動車道の下。ここからは関係者などしか入れない事になっている作業通路や点検路を主に使用するので一般人

との接触は殆ど無くなり、物々しい格好が問題になる事もない。

 実働部隊は3、3、2で分かれる予定だったのだが、ノゾムはこの中の二名組み…アルとエイルのペアに同行する事になっ

た。一応お客さんなので、戦力として安定したふたりを固めてお守りにしようという方針である。

 今回の出動は、臨海線近辺で「飛び回る影」が目撃されたというもの。その捜索と、危険生物やそれに類する秘匿事項案件、

あるいはそうでなくとも「危ないモノ」であれば捕縛なり処分なりの対処がチームの目的だった。

「アルビオンさん」

 簡単な情報共有と時刻合わせの後、通信機を借りたノゾムがアンドウにセッティングして貰っている間に、エイルは小声で

アルを呼び、皆から少し離れる。

「ノゾムさんのかつての所属チームについては、バスクさんには黙っておくべきでありましょう」

「何でっス?」

 つられて小声になりながら、アルはきょとんと首を傾げた。確かにあのハイランドキャトルは気難しいし付き合い難い男だ

が、エイルが言う「かつての所属を伏せる」理由が判らない。

「東護町での事件では、以前所属していたチームでバスクさんがお世話になっていた方が亡くなったのであります。そのため

でありましょうか、どうもあの町の調停者をよく思っておられないようなのであります」

「よく思ってない?何でっス?」

 カクンと逆側に首を傾げるアル。

「周りが有能であれば殉職しなかった。と、お考えのようでありまして」

「でもそれは…」

 連携も取れなくされていたあの状況では、周囲がいかに有能でもどうしようもなかった。そう言おうとしたアルだったが、

結局反論せず口をつぐむ。エイルは索敵に神経を割きながら続けた。

「そのバスクさんの知り合いが、ヤマギシさんのチームのリーダーだった方であります」

「!」

 絶句するアルに、エイルは「だからであります」と続けた。

「ヤマギシさんがチーム唯一の生き残りである事を知ったら、バスクさんがどのように思うかが懸念されるのであります」

「…ラジャーっス…」

 納得がいかない気持ちはあるのだが、ひとまず飲み下したアルは、「オレからノゾムにも言っておくっス」と囁いた。

「理由の詳細は話さないでおく方が良いと思うのであります。ヤマギシさんにとっても辛い記憶でありますからして、意識し

過ぎてしまう恐れも少なからずありましょう」

「じゃあ、東護町の調停者と仲が悪い、ぐらいに言っておくっス…」

 なんだかスッキリしないなぁと、装備を整えたノゾムを呼んだアルは、持ち場へ向かいながら話をした。

 ノゾムは「そうなんだ」と応じていた。少し寂しそうな声と表情が気になって、「別にノゾムが悪いわけじゃないっスよ!」

と、アルは笑って肩を叩いた。

「折角だから実物大モデルのトコが受け持ち範囲だったら良かったんスけどね。1/1スケール、ド迫力っスよ」

「それは今度昼間に…」

 ノゾムとアルの後ろから、同じ歩調でついてゆくエイルは…。

「…?」

 一瞬、ふと何か物音でも聞いたように耳を動かし、視線を上に向けた。

 だが、見えるのは道路を支える構造物が連なった人工空間のみ。視線を走らせたが、アルやノゾム、それぞれの受け持ち場

へ向かう他のメンバーも特に反応を見せていない。

 波の音を気配と感じてしまったのだろうかと、レッサーパンダは小首を傾げつつ歩き出した。

(…気付かれたかと思った)

 ソレは、遠ざかるレッサーパンダへ意図して注意と視線を向けないようにしながら、息を潜めて気配を殺す。

 エイルが最初に一瞥した鉄骨が交差する位置に、ソレは居た。片手で鉄骨のヘリを掴み、狭い足場で微動だにせず潜んで。

 エイルが目を向けながらも存在に気付けなかったのは、ソレの姿が「見えない」から。

 ノンオブザーブと呼ばれるその能力は「屈折」を引き起こす。可視光線を捻じ曲げ、音の反響を折り曲げるこの力により、

ブルーティッシュの運搬車両の真上に陣取りながらも気付かれなかったその青年の名は、ミオ・アイアンハート。

(流石はこの国最大のハンター集団ブルーティッシュだ。とても勘がいいひとが居る。迂闊に近付き過ぎたね…。けれど確認

はできた)

 アメリカンショートヘアーは音の屈折を巧みに利用してメンバーの打合せを盗み聞きした上で、移動してゆく隊員全員の容

姿と、見て判る範囲の装備を憶え、首に嵌めているチョーカー型通信装置でラドとミューラーへ連絡する。

 バックアップのラドは大型ゲームセンターの立体駐車場内にレンタカーを停めている。もう一方の実働隊であるミューラー

はミオとは離れた位置…海を挟んだ入国管理局側の埋立地に降ろされており、反応があったラインの東西から挟み撃ちの格好

で探索してゆく手はずになっていた。

(それはそうとして…)

 ミオは首を巡らせて、視線を飛ばす。

 手すりを乗り越え、道路下を抜けてゆく点検坑前へレッサーパンダと共に向かうのは、丸く太った狐と巨体の北極熊。

(駅前で会った子と、迎えに来た子だ…)

 ブルーティッシュの調停者だったのかと意外に思う反面、探知機の誤作動についても納得がいった。

(たぶん発火や燃焼の能力者なんだろうね。それと…)

 遠目に眺める白熊の後姿に、ミオは何とも言えない感覚を抱く。

(………)

 軽く頭を振って気持ちを切り替えたミオは、ルートがブルーティッシュと被らないよう頭の中でマッピングを開始しつつ、

移動を再開した。