Fatal Ignition(act4)
ミオ達第一分隊が首都入りして、三日目の昼。ドイツ。
森の中の小川のほとりに、人影が二つ並んで座っていた。
一方は赤い髪が印象的な人間の青年で、大柄ではないが鍛え込まれて引き締まった、アスリートのような体格をしている。
もう一方は、幅がその二倍はあるジャイアントパンダ。単純に肥満しているのではなく、軽く曲げた二の腕や大腿部には尋
常ではない筋肉の膨らみが見える。
双方共に折り畳み式のチェアに座り、日差し避けのキャップを被り、手にしているのは釣竿。ゆったりした川の流れの中に、
波紋を立てて浮きが揺れている。
人間の青年はギュンター・エアハルト騎士中尉。独国の特殊機関、ヴァイスリッターの若き将校。ジャイアントパンダの女
性はイズン・ヴェカティーニ中尉。ヴァイスリッター内の独立部隊、ナハトイェーガーの第三分隊長。
ふたりとも釣果はなかなかで、糸を垂らしてから三十分と経っていないにも関わらず、クーラーボックスには活きの良い魚
が数尾おさめられていた。
余暇で釣りに興じている…ように見えるが、単に休暇をエンジョイしている訳ではない。ふたりの後方の木立の中、その姿
と川面が窺える位置には、軍服姿で鉈のような大振りのナイフと諸刃のダガー、そしてトンファーを腰に吊るしたガタイの良
いマヌルネコが、木に背を預けて腕組みし、注意と視線を四方へ走らせている。
ふたりをここまで護送し、密談を誰にも聞かれないように見張りつつ護衛しているのは、ブルーノ・ハイドフェルド。右目
を跨いで縦一文字に走る刀傷がトレードマークになっている、ナハトイェーガー第三分隊のメンバーである。
「サラマンダーの動向についての情報を売って寄越した「業者」は、他にも情報を売っていたようです」
ラジオに偽装した通信機からイヤホン経由で報告を受けながら、ギュンターはイズンに告げた。
「………」
イズンは答えず、竿を軽くゆすって話の続きを待つ。彼女よりもむしろ、通信チョーカー越しに骨導スピーカーで話を聞か
されているブルーノだった。
(おい…。それじゃあミオちゃんとオッサンとラドは、援護受けられねぇ状態で、サラマンダーを狙う他の連中とかち合っち
まうって事か…!?)
第一分隊を日本へ送り届けたのは他でもないブルーノである。仕事が済むまでには流石に入国許可もおりるはずなので、ミ
オ達は正規ルートで帰還する予定だった。だからブルーノもこうしてすぐに帰国したのだが、こうなって来ると…。
(何てこった!判ってりゃ近海なり海岸線沿いなりで待機してたのによ!)
焦るブルーノを他所に、調査員からの情報を受け取っているギュンターは話を続けた。
「「業者」が接触を持っている非合法組織、かつアジア圏で活動が認められる所、さらにサラマンダーに手を出せる規模…、
と絞って考えると、エルダーバスティオンにも情報を売った可能性は否定できません」
「なるほど。それは由々しき事態です」
表情一つ変えずに応じたイズンだが、内心ではため息が漏れていた。
エルダーバスティオン。古い組織の一つだが、極めて性質が悪い組織の一つでもある。本質が「商売」ではないので妥協が
無く、行動が徹底されている。ミオ達の腕を軽んじている訳では無いが、相手が「大国の軍隊同様の力を持った組織」となれ
ば話は違う。迅速な移動と潜入工作、速やかな目標の達成を主目的に少数で構築されているのが第一分隊であり、そもそも強
大な組織と小隊単位で真っ向から殴りあう事を前提に組織されてはいない。
「わたくしが行ければ何とかできるでしょうが…」
自分独りが加われば対処は可能だと、驕りも過信もなく事実として述べながら、イズンは目を鋭く細める。
「第一分隊の入国を渋られている以上、わたくしの入国許可もすんなり出ないでしょう」
US級(ユニバーサルステージクラス)…つまり戦略兵器級能力者であるイズンには厳しい渡航制限が課せられており、お
いそれとドイツを出る事ができない。US級能力者の無許可入国は、その国へ反応兵器の類を無断で持ち込むのと同レベルの
国際問題となってしまう。密航がバレた場合に独国やリッターが負うリスクはミオ達と比較にならないため、強硬策を取るの
は最後の最後。そして彼女の上官である少佐もまた、同様の理由ですぐ援護に向かう事はできない。
「リッターを動かすのは目を引きすぎる…。第二分隊は動けませんか?」
「例の「亡霊騒動」に当たっています。ヴァイトリング少尉ですから解決も時間の問題ですが、いま呼び戻すのは得策と言え
ません。となると…」
イズンが言葉を切り、ギュンターも口をつぐむ。直後、その背後に微かな足音が近付いた。
「お話中すんませんがね」
話しかけたのはブルーノ。ムッスリと不機嫌そうに難しい顔で、首を巡らせたふたりを見下ろす。
「隊規模での援軍は出せねぇ。騎士は目立つからダメ。けど、俺だけならどうですかい中尉方?」
マヌル猫は親指を立てて自分を示す。
「俺独り居なくたって第三分隊は回る。それに俺独り居りゃあ最悪の場合でも第一分隊を脱出させられる。…イズン隊長?」
特殊部隊員としてのブルーノの技能は、様々な乗り物を巧みに操れる操縦センスにある。合流さえできれば乗り物を現地調
達し、如何様にでも脱出させられる自信がある。
許可を求めるブルーノに、イズンは数秒視線を固定して…。
「危機に陥ってから動いても遅い…。先に打てる手としてはそれが適切か…」
思案を終え、ジャイアントパンダは顎を引いて一つ頷くと、立ち上がってブルーノと向き合った。
「ブルーノ・ハイドフェルド曹長。単独での日本国潜入、及び第一分隊の援護を命ずる。ただちに出立の用意を。少佐にはわ
たくしから報告する」
「ヤヴォール!(了解)」
ビシッと踵を合わせて背筋を伸ばし、敬礼するブルーノ。
「団長にも自分の方で報告を上げておきます。途中まではリッターの空路を用意できます。現地までの船は…」
「ああ、そいつなんですが…」
ブルーノは視線を上に向け、記憶を手繰る。
「軍事顧問非公式訪問の時に前に足になって貰った連中が居たでしょう?あの連中の手は借りられますかい?」
「と言うと…、密航送迎を請け負って貰った業者か?確かに、民間船舶に偽装してある上にフットワークも軽い、選択肢とし
てはアリか…。了承した。請け負えるようならすぐ準備してくれるよう、打診してみよう」
「へっ!さっすが坊ちゃんだ!話が早ぇ!…っと」
ニヤリと笑ったブルーノは、気安い発言を咎めるイズンの視線に気付くと、慌てて姿勢を正して口を閉じた。
「女性の姿、か…」
恭しく跪く男は、頭を垂れたまま、微かに興奮が感じられる老人の声を聞いた。
「映像は、修正をかけた際に誇張された訳ではないな?特殊な加工は何も?」
「は…。この「頭」に届く虫の見た物、そのままの映像にございます」
「素晴らしい」
老人の目が爛々と輝く。卓上の小さなモニターに映し出された、消えるように焼失してゆくコックローチと、佇む女性の姿
を見つめながら。
「捕らえられるか?これを」
老人の問いに、男は頭を垂れたまま応じる。
「既にご命令を頂いております。我ら一族、必ずやご恩に報い、御身の前へ炎の精霊を連れて参りましょう」
その左右には二名ずつ、男と同じ格好でデザインが少しずつ異なるマスクを携えた男女が控え、同様に頭を垂れている。
いずれの手にある品も狐面を模しており、額にレンズが埋め込まれているが、隈取の色や形が違っている。若くて二十代の
女性。最年長で五十手前と思われる男性。いずれも中東出身者を思わせる肌と顔立ちだった。
「期待しよう」
老人は目を細める。
虫を使うこの一族は、しかしそれだけが持ち味ではない。彼らが仕事の達成を成し遂げる事を老人は確信していた。
その翌日。
試験に挑むノゾムを見送った後、アルはアンドウと同じ班で見回りに出かけた。
エイルは夜間当番で、非番の日中はルームシェアしているイソギンチャク型の危険性が低くてある意味では危険な危険生物
と、シリーズは多いし破壊は派手だが話が面白いかどうかは微妙なハリウッドアクション映画のDVDをまとめて観賞する約
束をしていたのだが…、
「…と、言うわけだ。お前はどう思う?」
リーダーの執務室に呼ばれ、広げられた図面を挟んでダウドとネネの二人組みと向き合っていた。図面には数色の点がいく
つもつけられており、ある一色が妙な偏りを見せている。
点の位置は、ブルーティッシュがコックローチと遭遇した地点。色は一ヶ月以上前は青、
「先々週までは分布が広いでありますが、先週はやや南に偏り、今週に入ってからはさらに絞られているでありますね」
「アンドウ君が気にしたのよ。減らな過ぎるし偏り過ぎる、って」
「そこは同感であります、なにぶんデータが少ない新種でありますから、根拠に乏しい事柄を感覚で述べたくはないのであり
ますが…」
ネネの言葉にエイルも同意する。
これはいささか妙な状況だった。あの手の危険生物は、制御を離れた場合、あるいは制御困難に陥る状況を織り込んで、自
然繁殖が容易にはできないようにしてある。にも関わらずコックローチは纏まった数が常に確認され続けている。
これに対するエイルの仮説は三つ。
一つ。ブルーティッシュの予想以上の数が首都に流入しており、それらは意外と知能が高くてコミュニティーを作って生活
している。…ただし現在までに邂逅した中には、インセクトフォームレベルの知能を有していると思しき個体は確認できてい
ない。
二つ。流入した中に調整ミスで自然繁殖能力を獲得していた個体が何匹か混じっており、それが子を産んで増えている。…
しかし幼体や未成熟個体が確認できておらず、処理した中にも卵や生殖器を持つ個体は皆無のため、これは憶測レベル。
そして三つ目は…、この首都内で今も生産され続けている。
エイルが三つ目の仮説を口にし、ネネが細顎に手を添えて考え込むと、
「サラマンダーの件だが…」
ピアノ線のようなヒゲを弾きながら、ダウドが一見脈絡無く呟いた。
「俺がお前の親から情報を買うよりも早く、別の連中が嗅ぎつけていた…、って線はあるか?」
エイルは一瞬否定しかけたが、思い直して「可能性としては、国外で…という線が無くもないであります」と応じた。
「独自のルートを保有する組織が国外で情報を握ったのであれば、お師匠よりも早く嗅ぎ付ける事も、不可能とは言い切れな
いでありますね」
「それなら、こっちより例えば十日早くサラマンダーの話を掴んだとすればどうだ?」
「我々が知るよりも早くから虫を使って絞込みを始めていたのでは、という推測でありますね?そうであれば、変化が生じた
先週以前に情報を入手したという線が濃厚でありますから、十日というのは現実味がある数字であります」
「なら相手はエルダーバスティオンで決まりだな」
ダウドの断定にネネとエイルは頷いた。情報屋ユミルよりも先にサラマンダーの存在を嗅ぎ付けるには、サラマンダーが国
外に居た時点で動向を掴んでおく必要がある。加えて、首都内か近郊でコックローチを大量生産する設備や、使役する人材を
揃えられる人的資産も欠かせない。それだけの広い活動範囲と情報収集力、パイプ、各種資産を持ち、この国の首都でも活動
している組織となると、条件を満たせるのは極少数だった。
「気になるのはコックローチの使役者だ。ゴキブリ自体の数は金にあかして設備に無理させれば調達可能だが、活動範囲の広
さが異常だ。マスター登録を何十人でしていやがる?総数がもう連隊規模だぞこいつは」
「その点でありますが、以前お師匠から聞いた事で少々引っかかるのであります」
「あん?」
挙手したエイルは、ダウドとネネが見ているその手を、スポンと自分の顔…目元を隠すように被せた。
「昔の事らしいのでありますが、インセクト系を操作する範囲を劇的に伸ばす補助具となる、特殊なマスクの研究…という物
があったという話を聞かされたであります」
「あ~…、ソイツは…」
これを聞いた途端、ダウドは一転して難しい顔になった。
(確かに、ミーミルがそういうのを造った事もあった…。だが結局アレは使用者の資質に大きく依存する物で、狙ったような
利便性や汎用性とは程遠い品しかできなかったって話だ。ラグナロクでさえ実用化はできてねぇだろう。できてるんだったら
そんな便利なモンを使わねぇはずもねぇ。で、あのミーミルですら造れなかった、ラグナロクでも造れてねぇ品を、他が用意
できるかっていうと、だ…)
ガシガシと頭を掻くダウドが心底面倒臭そうな表情を浮かべると、ネネとエイルは顔を見合わせて肩を竦める。リーダーが
記憶を手繰りながら何を考えているのか、ふたりにも判っていない。
「…ネネ。全メンバーに通達だ。相手はたぶん中東の「虫使い」の流れを汲む何者か。擬似レリックによる能力増幅を受けて
いる可能性もある。遭遇した場合、隊査定で単独戦闘A以上の評価がついているメンバー以外は単身での戦闘は絶対に試みる
なと伝えておけ。推奨はA評価二名以上での接触だ」
「A以上?」
ネネが疑問の声を上げ、エイルも首を傾げる。ブルーティッシュ内での単独戦闘A評価となると、エイルが最低ラインとい
う事になる。さらにその二人がかりが推奨となると…。
「その一族は独自の武術と戦闘技能を持ってる。その中でも虫を使う事が許されるヤツは一人前…。連中で言う一人前っての
はつまり、特解上位調停者級なんだよ」
疑問の視線に答えてダウドは言った。苦々しい表情を隠そうともせずに。
エイルとネネを下がらせたダウドは、ドスンと椅子に尻を沈め、デスクの上に足を投げ出して組む。ポケットから煙草を取
り出し、太い指でクルクル回しながら思案にくれていたが、やがて、かつて参謀だった男の遺品であるライターで火を灯し、
煙を吸い込んだ。
(甲殻類や虫の類の対処には、トシキも詳しかったな…)
紫煙をくゆらせながら物思いに耽る白虎。
(今回の件に「アレ」が本当に絡んでいたとして、注意しなくちゃならねぇ事は他にもねぇか?)
記憶を辿る。前へ、前へ、昔へ、昔へ、まだこの国に尻を据えていなかった頃の、ずっと昔へ…。
ライトが照らすデスクの上に、立体映像が浮かぶ。
デスクの表面がモニターにもなっているそこで、ゆっくり回転している青い半透明の像は、仮面舞踏会で用いられる物にも
似たマスクの形状をしていた。
そこに、紫煙がプカッと塊で漂う。
「…思念波受信用の面積と機器搭載スペースを考えると、どうしても大型化するな…」
咥え煙草でモゴモゴ呟いたのは、大柄で太ったジャイアントパンダ。寝不足なのか疲れているのか、怠そうな半眼はやや充
血気味だった。
ジャイアントパンダが太い指を立体映像に伸ばし、ちょん、ちょん、とつつくような動作を挟みながら動かしてゆくと、映
像のマスクは引っ張られたり押し込まれたりしながら形状を変えてゆく。
「…この形状は合理的ではないな…」
バニーカチューシャのように仮面の上部を引き伸ばしたジャイアントパンダは、必要容積をクリアできているという空中の
ポップアップ表示を一瞥する。
「そもそも、私にデザインをさせる時点で合理的ではない…」
ブツブツと独り言を漏らすジャイアントパンダが、咥えていた煙草を摘んで灰皿に寄せ、トントンと指で叩いて灰を落とし
ていると、後方でプシュンと音を立ててドアが開く。
ジャイアントパンダが居るのは、ラボ最高主任の特権で占有している狭い部屋。独りの方が集中できるので、多くの場合は
ここに篭って延々と作業している。この部屋へ入れるのはIDコードに制限がかかっていない限られた上級職員か、ジャイア
ントパンダが教えた暗証コードを知る者だけ。特に、こんな明方に訪れる相手となれば二人に絞られるので、振り向いて確認
する事もない。そして、入って来た相手が予想した通りである事を、ジャイアントパンダは聞こえた声で確信する。
「よう。今日も徹夜か?好きだなぁ」
背中にかけられたからかうような声に、「好きでやっている訳ではない」と投げやりに応じたジャイアントパンダは、首を
左右に捻ってゴキゴキ鳴らすと、痒みが気になったのかうなじの辺りをボリボリ掻き始める。
「何だよ、また風呂入ってねぇのか?」
大股に歩む、体重を窺わせる重い足音がゴツゴツと近付く。ジャイアントパンダが「まだ二日だけだ」と生あくびしながら
応じると、即座に「入れよ!」とつっこみが入れられた。
億劫そうに首を捻って振り返ったジャイアントパンダの目に映ったのは、逞しい白虎。左胸にコンバットナイフを装着した
ベストを羽織り、アーミーシャツもズボンも全て迷彩柄で統一してある。その手には、湯気立つカップが二つと、両手に余る
ほどの量のサンドイッチが乗ったトレイがある。
「任務帰りか?」
「ああ。ま、大した事ねぇ任務だったがな、ディンのお使いってヤツで。それより差し入れだ。休憩したらどうだ?」
白虎がデスクの端に寄せてトレイを置くと、熱いコーヒーの香りがジャイアントパンダの鼻先に香った。そういえば食事を
摂るのも後回しにしていたと、嗅覚に連動する形で空腹を覚える。
ツナのサンドを無造作に掴み、大口を開けて突っ込む形で一口に頬張り、しばしモシャモシャと咀嚼してから熱いコーヒー
で流し込んだジャイアントパンダは、タマゴサンドを掴みつつ、デスクの立体映像をしげしげと見ている白虎に言った。
「任務に出向く兵士は、派遣場所によっては飯にも風呂にも満足にありつけないだろう。一日二日の入浴抜きや徹夜などに文
句を言うのは贅沢だ」
(「合理的」じゃねぇんじゃねぇのか?その言い分は)
白虎は笑っていたが、その意見を言う代わりに椅子を引っ張ってきて、早くも三つ目のサンドイッチを口に押し込んでいる
ジャイアントパンダの隣に座り、「で?」と質問を口にした。
「何だこの映像?今度は何作ってんだよ?」
「インセクトコントローラーだ」
二つ目のサンドイッチに手を伸ばしながら答えたジャイアントパンダは、虫使いの協力を得て、万人に利用できるシステム
を構築しようとしている旨を説明した。白虎には判り難い専門用語も多く、親切な説明とは言えなかったが、曖昧に濁す事も
適当に端折る事もない説明の仕方には、この男の性格と姿勢が表れている。
「なるほど少しは判った。が、話が長ぇのが玉に瑕だよな」
「説明させておいてそれか!?」
思わず声を大きくしたジャイアントパンダだったが、続いてクックッと苦笑いした。堪らず大声を出してしまう辺り、確か
に疲れているのかもしれない、と。
「ま、便利そうだとは思うが…、よっと」
白虎はサンドイッチを掴んでいるジャイアントパンダの、肘を曲げた腕の上から手を伸ばし、白衣の襟の下へ手を突っ込む。
そのまま豊満な胸を探るように手を動かしてまさぐり、内ポケットから煙草の箱を摘み出した。
一本失敬して箱を戻す白虎は一言の断りも無いが、ジャイアントパンダも咎めずにサンドイッチを齧っている。
そのまま、脇ポケットにも手を突っ込んでライターまで借りる白虎へ、
「結論から言うと、これは上手く行かないだろう」
付け加えるように言ったジャイアントパンダがズズッとコーヒーを啜る。
「は?」
「素養…適正の問題だ。虫使いの一族は先祖から連綿と受け継いで来た能力基盤があり、機材も必要で煩雑かつ大掛かりにな
るマスター登録作業すら必要なく、個人が独力で虫と契約できる。操作技能もその特殊な資質に基いた物だが…、彼らと同種
の資質を持たない者は、いくら機器で思念波を増幅しようと同じ結果を出せない。…出来上がるのは、コントローラーと言う
よりはブースターだろうな」
「ふぅん」
「しかも大型化が避けられない。当初のクライアントの要求は眼鏡のように目立たなくできる、偽装が利く物…という事だっ
たが、いつもながら現実が見えていない。想定されるサイズはこのとおりだ。偽装するにしても、ガスマスクぐらいのサイズ
にしかならない」
背もたれに体重を預けてふんぞり返り、椅子にギシッと抗議の声を上げさせたジャイアントパンダが顎をしゃくると、「い
いな、耳付きとか。子供が喜びそうだ」と、面白がった白虎が冗談めかす。
「いいのは耳か?」
「ああ。何だったら開き直って、全面を覆う獣の面にでもすりゃあいい」
軽く言った白虎が煙草をふかし、煙を立体映像のマスクに吹きかける。
「ついでに防塵防煙機能でもつけて、本当にガスマスク兼用にしちまうとかな。ダメか?」
「…いや。呼吸器保護機能に割く分はある程度小型化が利くし、何より、他の役割も持たせるのは合理的だ。それでもマスク
の下部がやや大型化するが…」
「日本人が祭りとかで使う狐の面みてぇにしたらどうだ?」
白虎はデスクに指で触れ、表示されたキーをトントンと叩いて参考資料を呼び出す。仮面の隣に浮かび上がった新たな像は、
文化財登録されている祭事用狐面の平面写真。
「お前は本当に日本が好きだな」
フィルターまで焦げ付いた煙草を揉み消し、新たに咥えながらジャイアントパンダが感想を口にすると、「悪いかよ?」と
白虎は子供のように口を尖らせる。
「悪くはない。…ああ、そうだな。悪くない」
ジャイアントパンダはしばし狐面を眺めた後、チョイチョイと立体映像を操作し、似せた形に整えた。
「…そうだな。視界は制限されるから、額辺りにカメラをつけて、内部に映像投影装置を…」
ブツブツと漏らしつつ、クルクルと立体映像を回し、ジャイアントパンダが思案しながら没頭する作業の手先を、白虎はそ
れからしばらく面白がって眺めていた。
「…特徴は頭部を覆う仮面型増幅器。各種ガス等への耐久性能あり。高性能光学処理装置搭載。ただし、超小型フィルターの
自己浄化機能には時間あたりの限界がある…。促せる注意はこんなところか」
吸殻を灰皿に押し付けて揉み消し、ダウドはひとりごちる。
「まったく、欠点が少ねぇモン作りやがって、あのワーカーホリックめ…」
ため息をつきながら首を伸ばし、天井を見上げる。
「フィンブルの遺産がまた一つ、か。下手に出来がいい分、自然に壊れちゃくれねぇらしい。頭が痛ぇぞ畜生め…」
その日の夜、ノゾムはまたエイルから射撃の手解きを受けていたが、折り悪くまた夜間出動命令が下った。
勉強になるから、という理由でノゾムが同行を申し出ると、エイルは数秒考えてから、班長となるメンバーに口ぞえすると
申し出た。
一方アルは、学校の課題を放り出していた事を咎められ、ネネの言いつけで部屋に篭っていたが…。
「お?感心感心、ちゃんと宿題やってんじゃねーの」
顔を出したアンドウから冷えたコーラのボトルを貰い、喜んですぐさまラッパ飲みする。
「ちゃんとやらないとノゾムと遊んじゃダメとか、勉強熱心さを見習いなさいとか、お説教されたんス…」
「そりゃーサブリーダーが正しいわな。全面的に」
肩を竦めたアンドウは、「比較されて大変だ」と呟く。
「片や勉強と試験しながら射撃訓練。片や学生の本分はそっちのけ」
「オレの本分は調停者の活動っス。勉強より仕事っス」
口を尖らせたアルは、
「あっちも仕事兼任だからそれは強みにならねーなー。さっきもエイルに同行して出て行ったみてーだし…」
「…へ?」
アルが目を丸くする。
「何だよ、聞いてねーのか?」
「全然!えー?ノゾムだけついてったんスか!?」
「エイルと一緒だ。心配要らねーだろ」
と、アンドウは軽く流したが…。
「嫌な感じがするっス…」
虫の知らせと言うべきか、アルは尻を浮かせながら口を開いた。
「現場どこっスか?」