砂地を踏み締める靴が、サリリと軽く音を立てる。

 注意深く踏み出すそのつま先が、体で判る自分の間合いと相手の間合いが重なる境界を察知し、グレートーンのアメリカン

ショートヘアーは逆手に握ったナイフを心もち下げた。

 向き合うのは精悍な面構えの狼。

 背が高く、引き締まった筋肉質な体をしており、サイズで言えばアメリカンショートヘアーを上回る。

 だが、緊張の度合いは狼の方が強い。

 ふたりが向き合う砂地は、砂漠そのものの感触を産むよう深い状態にされているが、頭上と四方は鉄の色。壁のそこかしこ

には砂を入れ替えるためのゲートがあり、眩さと気温をかなりの幅で調整できるように、天井には無数のライトが灯り、大型

の空調口がいくつも開いていた。

 そこは五十メートル四方のトレーニングルーム。ヴァイスリッター管轄下の基地…ナハトイェーガーのメインベース内に造

られた、世界中の多種多様な環境を再現する部屋のひとつである。アメリカンショートヘアーと狼が握っているナイフも刃が

潰された訓練用の物だった。

 猫の青年の名は、ミオ・アイアンハート。独国の特殊機関ヴァイスリッター内の、これまた特殊な部隊であるナハトイェー

ガーで第一分隊の指揮官を務める若き少尉。

 狼の名はアドルフ・ヴァイトリング。同じくナハトイェーガー所属の少尉であり、第二分隊の指揮官である。

「もう二分近く動かんな…」

 厳つい顔の肥った中年猪が壁面パネルのデジタル表示を見遣って呟くと、隣で丸っこい若蛙が「アドルフ少尉が腕を上げた、

って事ですかねぇ」と、タオルで汗をぬぐいながら頷く。

 猪はフリードリヒ・ヴォルフガング・ミューラー特務曹長。若い蛙はコンラッド・グーテンベルク軍曹。共にミオの部下で

あり、第一分隊のメンバーである。

 向き合って身構えるふたりを遠巻きに見守るのは各隊の隊員達。姿がないのは第三分隊の指揮官と、ナハトイェーガーの総

司令官である少佐のみ。ふたり以外の隊員が全てここに集合している。…とはいえ、ナハトイェーガー自体が少人数の特殊部

隊のため、ここには全部で十五名しか居ないのだが。

 軍人らしく眼光鋭い者が多いが、中には堅気に見えない、一癖も二癖もありそうな人相の悪いメンバーも居る。その、堅気

に見えない中のひとり…マヌル猫が「フン」と鼻を鳴らした。

 腰に訓練用の大振りな山刀を吊るしたその男は、骨太で厚みのある肥満気味のゴツい体躯に加え、体毛がモフモフと立って

いるのでやたらとまるっこく見える。ずんぐりむっくりの丸っこい顔と小さい耳は、それだけ見れば可愛いと言えなくもない

が、いかんせん目つきが悪く、極め付けに縦一文字の刀傷が右目を上下に跨いでいるので、愛嬌という単語とは縁遠い顔つき

になっていた。

「「違う」、と言いたげだなブルーノ?」

 猪が目を向けると、マヌル猫は肩を竦めた。

「ラドにオッサン、よぉ~っく見ろよ。アドルフのくそったれは大して上達しちゃあいねぇぜ?相変わらず素人に毛が五、六

本も生えたって程度だ」

 自分よりも階級が上のアドルフを辛辣にこき下ろすマヌル猫の名は、ブルーノ・ハイドフェルド。階級は曹長となっている。

 ブルーノはそう言ったものの、実際の所アドルフのナイフ格闘術は一般的な兵士の水準を上回っている。その能力と得物故

に用いる機会が少ないにもかかわらず、である。それでも、ナイフのみでの戦闘にかけてはミオとイズンを凌ぐブルーノから

すれば、「拙い」の一言にふされてしまう。

「ミオちゃんにビビッてんだろうが、腰が引けてらぁ。あれじゃあ勝てる喧嘩も勝てやしねぇし、負ける喧嘩なら当然ひっく

り返せやしねぇ。刃物向けあう喧嘩ってのはな、腕前に「度胸」も含まれんだよ」

 これに対し、元リッター配下で白兵戦経験も豊富なミューラーは、「一理ある」と顎を引いた。

「えぇ~?そういう精神論的な物なんですかぁー?」

 意外そうに問うラドは、猪に「物なのだ」と応じられた。

「慎重さに繋がる臆病さは重要だが、腕が縮まり腰が引ける臆病さは首を絞める。臆病さを慎重さに留める「度胸」は重要な

物だぞ?」

「へぇ~、正直意外ですねぇー。まっとうな兵隊さんだったミューラー特曹とー、元ゴロツキのブルーノ曹長が同じ意見だな

んてー」

「元ゴロツキ?」

 眉根を寄せるミューラー。

「誰がゴロツキだデブガエル」

「じゃあ…、元追い剥ぎか、元強盗か、元山賊ですかねぇ?」

 ラドの発言で、ミューラーは目を剥いた。

(結局ラドもブルーノの過去を知らんで言っとるのか。しかし、いくらなんでも上の者に対して酷い言い様だな)

 自分はともかくとしてブルーノは別の小隊の者。冗談にしても失礼だと、嗜めようと口を開きかけたミューラーは…、

「おいラド。簡単に纏めるんじゃねぇ」

 ブルーノがブスッとしながら口にした言葉で、「ん?」と眉根を寄せる。

「でも見た目からしてまさにー、全部統合した感じじゃないですかー?」

「いい度胸だ。次はお前を指名してトコトン揉んでやろうか?」

「えーっ!?勘弁ですよー!もうヘトヘトなんですからー!」

 顔を顰めたブルーノにヘッドロックをかけられて、拳で頭を軽くグリグリされると、ラドが堪らず悲鳴を上げた。ブルーノ

の指導は本人が手加減しているつもりでも正直キツい。

 とはいえ、ブルーノとラドは仲が良い。より正確にはブルーノが年若いメンバーに対して分け隔てなく甘いとも言える。今

も本当には怒ってはおらず、スキンシップまじりで嗜めているだけのヘッドロックである。が…。

「………」

 その様子を見ているミューラーは訝しんでいた。

 先ほど、元追い剥ぎだの元強盗だの元山賊だのと述べたラドを咎めたブルーノは、妙な言葉を返していた。「適当な事を言

うな」ではなく、「簡単にまとめるな」と…。

 疑問を感じた猪の表情に気付いたブルーノは、ひょいっと肩を竦めた。

「だいたい合ってるんで。…流石に山賊はやってなかったが…」

「合ってる!?」

 ミューラーが声を大きくした、まさにその瞬間…。

「しゅっ!」

「ふっ!」

 膠着していたアドルフとミオが同時に動いた。そして、ミューラーが目を戻した時には既にすれ違っている。

「っくそ!」

 アドルフは脇腹を押さえて呻いた。一方でミオは、素早く振り向いてファイティングポーズを取っている。もしも傷が浅く

て相手が動けたとしてもすぐさま追撃に移れる…、そんな体勢である。

 鮮やかな一撃必殺。見守っていた隊員達から一斉に息が漏れる中、アドルフはバツが悪そうに脇腹をさすりつつ、「加減し

たろ?」と顔を顰めた。

「いいえ、全力の全速です」

 構えを解いて微笑んだミオだったが、アドルフは「ウッソだー、攻め込める隙、結構見つけてたんじゃねーのー?」と、両

腕を上げて降参のポーズ。

「ま、愛ゆえに?斬り付けるに斬り付けられなかったと、そういう事に…」

「黙れ小便タレのアドルフ。ミオちゃんはなぁ、部下の前で醜態晒すてめぇが可哀相だから手心加えてやったんだよ。顔を立

てられたって事も判んねぇのか?」

 アドルフの言葉を遮ったのはブルーノ。その手には既に抜いてある山刀。

「クラゲみてぇにフニャフニャなてめぇには、ちょいとキツめのレクチャーが要るな。構えろ糞タレワンコロ」

「あぁん!?誰にものを言ってんだコラ毛玉猫!」

 売り言葉に買い言葉、牙を剥き出しにするアドルフ。

 ミオは穏やかにほほ笑んだまま、ゆっくりと後退して場を譲りながら…、

(ふたりともやる気満々だ。計量とかでプロボクサーが見せる、闘志を高めるパフォーマンスの真似かな?本気みたいで迫力

あるなぁ)

 ふたりが完全に本気で心底罵り合っている事に、まったく気付いていなかった。

 仕事から離れたところでは、率直に言って致命的なまでに察しが悪い青年将校は、

「お疲れ様ですぅ~!流石でしたー!」

「お疲れ様でした!いやぁお見事ですな!」

 先を争ってタオルを差し出す部下二名の下心も、勿論察していない。

(今夜は少尉の匂いがするタオルでー…、グッグッグッ…!)

(今夜は少尉の汗が染み込んだタオルで…、グフフフッ…!)

 しかしそんなふたりの目論見は…。

「有り難うございます。でも、まだあまり汗かいてませんから」

 にこやかな上官にあっさりやんわり砕かれた。

『そ、そうですか…』

 声を揃えてガックリしたふたりは、

(アドルフ少尉、汗ぐらいかかせて下さいよねぇー)

(少しは根性見せて貰えませんかな?アドルフ少尉)

 マヌル猫を相手に、なぜかナイフコンバットではなく掴み合いになって砂煙を上げながら転げまわっている狼へ、冷たい視

線を向けた。


 日本で任務に就いていたミオ達第一小隊がベースに戻ってから、今日で四日目。アドルフ率いる第二小隊が二日前に戻った

ので、基地には珍しく三つの小隊全てが揃い、久々に頭数が多くなっていた。

 任務が次々降りてくるナハトイェーガーで、隊員の殆どが揃っている日はそう多くない。情報共有は離れていても可能だが、

顔を突き合わせていなければできない事もある。こんな場合は後者が優先されるので、今日は隊員同士での訓練が実施されて

いた。

 第三小隊長のイズンが同席していないは、ヴァイスリッターが作戦で五名の重傷者を出したため、臨時で現場まで手伝いに

出ているせい。つまり、常時綱紀粛正を促し続けている単独システムであるジャイアントパンダが不在となっている今日、訓

練後に何をするかと言えば…。



「うぉっしゃー!今期も殉職者無しに、かんぱーい!」

『かんぱーい!』

 テーブルに行儀悪く片足を乗せてジョッキを振り翳したアドルフの声に、隊員達が唱和する。

 少佐も不在でイズンまで居ないとなれば、当然のように無礼講の酒盛りが始まる。アドルフ曰く「猫の居ぬ間に鼠が踊る」

…つまり鬼の居ぬ間に洗濯という事なのだが、もちろんイズンに聞かれたらネックハンギングで締め上げられる。「残念だ…」

と、残念さを全く窺わせない、むしろ躊躇いのない腕力で容赦なく。

 とはいえそれを告げ口する者は居ない。こういう時ばかりは全員気持ちが一緒である。

 会議室に机を並べて酒を持ち込み、用意した料理は、塩漬け豚肉をタマネギや香辛料と共に煮込んで作ったアイスバインや、

ソーセージにケチャップとカレー粉で味付けをしたカリーブルスト、ジャガイモとじっくり柔らかく煮込んだ牛スジ肉たっぷ

りのグーラッシュなど。

 隊員達がそれぞれ野外活動で自炊し慣れているのもあるが、殆どの隊員は入隊直後にイズンから直々に狩猟と自炊レッスン

込みのサバイバル&ゲリラ戦特訓を受けるため、不味い料理が出来上がることは無い。なお、メンバー中でもミューラーとラ

ドの自炊はヴァイスリッター形式の仕込みなので、得意とするレパートリーが若干異なっている。

 隊員達の殆どは肉とジャガイモが主食のドイツ兵。ビールとワインが大好き。酒盛りは大声での会話と共に進み、次第に酔

いが回る…のを待つ事なく、チビチビとシュバルツェカッツェを舐めていたミオの隣にドッカと腰を移してくる男があった。

「ようミオちゃん。付き合いきれねぇなら無理しねぇで、ジュースでも良いんだぜ?」

 既に黒ビールを浴びるように飲んでいながらも、酔いを殆ど窺わせないマヌル猫が、アメリカンショートヘアーの隣に椅子

を持って来て背中を軽く叩く。その目は、今まさに椅子を持って引っ越して来ようとしていたアドルフの動きを視界の隅で捉

えていた。

(やろうっ!)

 睨む狼。鼻で笑うマヌル猫。

 ミオに対して馴れ馴れしいし甘いブルーノだが、ミューラーとラドの敵対心を買う事は無い。基本的に子供好きで若人の世

話を焼きたがる性分のマヌル猫は下心皆無。席を移して来たのもアドルフへの牽制だと解っているので、若干ジェラシーを感

じはするが咎めない。

 だが、今夜はブルーノが牽制してもなお、アドルフは諦めなかった。予定通りに椅子を持って来て、ミオを挟んでブルーノ

と反対側に座ると、尻に近い位置で背中を撫でつつ「飲んでるかミオ?」とワインの瓶を取って口を向けた。

 なお、ドイツの酒席文化ではお酌という行為は嫌われる。自分のペースで飲むのが基本であるため、アドルフのように酒を

注ごうとするのは「無理強い」と取られるので。

「ミオちゃんは好きに飲んでんだ。邪魔してんじゃねぇぞモヤシアドルフ?」

「ああ?酒の席だってのに目障りで汚ぇ雪だるまが置いてあんなぁ?」

 ミオを挟んで散る視線の火花。さぞ居心地が悪いだろうと思いきや、アメリカンショートヘアーは笑顔のままである。二名

の不仲をちっとも察していない。

(とはいえあれでは少尉も落ち着いて歓談に耽る事ができんし、話しかけ辛くもある。何とか問題児少尉を退かせんものか…)

 そう思案するミューラーの横で、音も無く席を立ったものがあった。

 ソーセージ盛りの皿を手にし、上官達の前へスッとあてがったラドは、「お疲れ様でーす」と声をかけつつアドルフの肩に

手を置いている。

 何気ない、さりげない、不自然さの無いただの挨拶。…に見えた。が、直後にアドルフはゴダァンッと騒々しい音を立てて

唐突に突っ伏し、盛大にいびきをかき始めた。

 倒れかけたジョッキをタイミングよく掴んで止める、何もかも判っていたようなラドの手元を、目をまん丸にしながら見つ

めたミューラーは…。

(あの指輪は!?)

 猪は目を剥く。蛙のプックリした指には、普段はつけていない地味な指輪が嵌っていた。

 それが、ナハトイェーガーでテストを重ねている最中の催眠薬入り暗器の試作品だと気付いたミューラーは、しかし見なかっ

た事にした。むしろグッジョブだと心の中で褒めた。

(悪魔め!だが良し!)

(グッグッグッ!)

 高度なアイコンタクトを交わす猪と、小さくガッツポーズする蛙。流石に宴会の席かつアルコール摂取後という事もあり、

アドルフの注意力も弱まっていた。一応狼の意思に関係なくフェンスターラーデンも展開されていたのだが、指輪の針は無毒

無害を装う精霊銀配合特殊合金なので、いい人面でこれを貫通。発案者であるイズンの意図が見え隠れしているように錯覚し

てしまう暗器である。

「アドルフ少尉ー、飲み過ぎですよー」

 自らが昏睡させたアドルフを涼しい顔で引き起こしにかかったラドは、

「盛り上がって羽目を外し過ぎグゥ…」

「ヒキガエルー!?」

 誤って指輪の針で自分の手の平を刺して昏倒し、頭を机にぶつける寸前でミューラーに抱えられた。驚きの手際のよさと、

ビックリなうっかりである。

「…アドルフ少尉もラド軍曹も疲れていたんでしょうか?」

「酒の飲み方ぐれぇ覚えろってんだまったく…」

 全く気付かずきょとんとしているミオと呆れ顔のブルーノ。疲労がたまっていた所へ休暇前のテンションに任せてハイペー

スで飲んで潰れたのだろうと考えており、真相には全く気付いていない。

「おい第二。この酔いどれアドルフどっかに持ってけ」

 ブルーノは顎をしゃくって第二分隊の若手へ指示すると、自らも立ち上がってミューラーに歩み寄り、ぐんにゃりしている

ラドを寄越すよう促す。

「どっこいしょっと…。そこらに寝かしとくのもなんだから部屋に戻して来るぜ。オッサンとミオちゃんはゆっくりしてな」

 雑なようで気が利くマヌル猫に蛙を預けた猪は、両側が空席になった上官の隣へ席を移した。ミオに近付きたそうな他の隊

員達を牽制するように、時折視線を走らせながら。

「明日からの休暇は、もうご予定がお決まりですかな?」

 にこやかに話しかける鼻息の荒い猪。ミオは基本的に嗜む程度しか酒を飲まないので、これまでにミューラーの前で酔い潰

れた事は無い。無いのだが、そこは万が一という事もあるしもしかしたらという事もあるし無いとは言い切れないしでもしも

そうなったならば下心ある輩の手に預ける事になどならぬよう忠実なる自分が責任持ってお部屋までお送りしなんなら介抱し

て差し上げねばと考えると自然と鼻息も荒くなる。

「久方ぶりの休暇ですからな!休息は勿論大事ですが、もしも買い物など行かれるのであれば、このミューラー運転手を務め

させて頂きますぞ!」

 分厚い胸をドンと叩いたミューラーは、「有り難うございます」とミオが綻ばせた顔でデレッと表情を緩ませ…。

「明日はギュンター君と釣りに行く約束をしているんです」

 予定が入っていた事を知ってちょっとガッカリ。

「そうでしたか…。たまの休日、思い切り羽を伸ばされますよう!坊ちゃんをよろしくお願い致します。お二人そろっての釣

果も期待しとりますぞ!」

 理解を示すミューラーは、しかし脳内で、川原でずぶ濡れになった坊ちゃんと少尉がアハハウフフと水を掛け合って子供の

ように水遊びに興じる姿を妄想している。無論透けシャツ。安定のフリードリヒ・ヴォルフガング・ミューラー特務曹長38

歳独身である。

「はい、お世話になってきます」

 嬉しそうににこやかな笑みを浮かべるミオと、ミューラーはそのまま談笑し続けて…。



 宴も終わって喧騒もおさまった基地の通路を猪がゆく。フラフラと揺れる、頼りない足取りのアメリカンショートヘアーに

肩を貸して。

「もう少し、すぐそこですからな少尉?」

「………」

 今にも閉じてしまいそうなほど瞼を下ろしているミオは、声にならない返事で口元をモニョモニョと動かした。

(しかし少尉にしては珍しい…。酔い潰れるまで酒をお召しになるとは…)

 すっかり千鳥足のミオではあるが、体が軽いので支えるミューラーの苦にはならない。静まり返った廊下を進み、アメリカ

ンショートヘアーを私室まで送り届けた猪は、

「では少尉、失礼してお体を楽に…」

 力なくストンとソファーに腰掛けたミオの前に回り、ワイシャツの襟に指を掛けて上から二つボタンを外してやる。そして、

今にも眠ってしまいそうなミオの顔をチラリと窺うと、

「こちらも緩めておきましょうな…」

 ゴクリと唾を飲み込み、ベルトのバックルに指をかけた。別にそこから先の事までするつもりは無くとも行為その物に興奮

してしまうフリードリヒ・ヴォルフガング・ミューラー特務曹長38歳独身。

 されるがままにベルトをシュルンと抜かれたミオは、コクリ、コクリ、と時折頭を揺らす。そのまま眠ってしまいそうだと

感じたミューラーは、

「失礼して、ベッドまでお送りさせて頂きます」

 クタンとしているミオの手を取って立ち上がらせた。が、足元がおぼつかないミオはバランスを崩し、ボフンとミューラー

にしなだれかかる。反射的にしがみ付いたミオの弱々しい手に鼻息を荒くしつつ、ミューラーは「失礼」と繰り返し囁くと、

お姫様抱っこで軽々とミオを抱え上げた。

 ベッドまで運び、そっと降ろし、うつらうつらしながら視線を向けてくるミオの顔を見下ろして、「ごゆっくり…」と言い

残したミューラーは踵を返す。そして思う。

(今なら…。今ならば…。少尉が泥酔しとる今ならば…)

 ゴクリと、喉が鳴った。

(こっそりと持ち出してもバレんのでは…?そう、ゴミ箱の中身などを…!)

 大胆な奇行を幾度も為しながらも、酔っている間に本人に好き勝手を働くという所までは発想が及ばない、奇妙な常識ライ

ンを無意識に堅持してしまうフリードリヒ・ヴォルフガング・ミューラー特務曹長38歳独身。

 さてゴミ箱は…、と視線を巡らせたミューラーは、しかしすぐさまビクンと背筋を反らした。

 尻尾を握られている。そっと、弱々しく。

 驚きながらも腋の下から覗くような格好で見遣ると、トロンと目を細めている眠そうな顔のミオが、房つきの尻尾を掴んで

いた。

「どうかなさいましたかな?」

 もしかしたら水が飲みたいのだろうか?それとも吐きたいのだろうか?ミオの要望がどんな物なのか考えつつ、声を聞こう

と腰を折って上体を下げたミューラーは…。

「少尉?」

 首元に伸びたミオの手を不思議そうに見つめ、次いでポロシャツのボタンを外すその手に疑問を覚え、

「少尉…?」

 その手が下がって脇腹に触れ、何かを探すように擦った後、裾を捲ると…。

「少尉!?」

 流石におかしいと感じて目を大きくした。が、この時にはもうアンダーシャツごとポロシャツをベロンと捲り上げられ、鳩

尾の辺りまで露出させられている。

(こ、これは一体全体どうした事か!?少尉は何を…)

 困惑する一方で、ミューラーの口元がだらしなく緩む。ミオの手が肉付きの良い脇腹をサワサワと撫でてくる。曲面を確か

めるように、前屈みで肉の寄った腹をさする指が、やがて厚い胸へ至ると、ミューラーは「うっ!」と小さく呻いた。

 硬くなった小豆のような乳首を、ミオの細い指が強く摘む。

「はうっ!少…尉…!」

 クリクリと、指先で挟んで擦るように乳首を刺激されたミューラーは、たちまちカッカと体が火照った。

 ゾクゾクと背筋を走る快感。腰と膝が震えて、体勢を崩したミューラーは慌ててドッとベッドに手をつく。その反動でベッ

ドが揺れ、ミオの軽い体が弾んだ。

「はぐっ!」

 歯を食い縛ったミューラーの尻で、尻尾がビンと反り返る。

 ミオの顔に上から押し付ける格好になってしまった胸…その右乳首にカリリと、軽く歯が立てられた。乳房を強く吸われ、

甘噛みされ、ブルルッと身震いする猪の腰に、ミオの手が触れる。ベルトに触れて、探るようになぞり、バックルの留め金を

外すしなやかな指先。

 チュパッ、チロッ、ヒチャッ…。

 乳を吸い、舐め、愛撫するミオの口が立てる淫靡な音に、ベルトを引き抜くその手つきに、ミューラーの体の芯は反応して

いた。下着の中でムクムクと大きくなった肉棒が、ジッパーが締まったままのズボンの生地に頭を押さえつけられて苦しい。

「しょ、少尉…、ふぐっ!な、何…を…!?」

 ベルトを外した細い指が、ズボンのホックを探って外す。ジッパーを摘み、ジー…ッとゆっくり下げる。開放されてグンと

せり出したのは、怒張した肉棒で盛り上がったボクサーブリーフ…ギュンターに勧められて購入した、オシャレなデザインが

若々しい人気ブランド品。ただし少しキツい。

 その、引き伸ばされた薄い生地越しに、ミオの指がツツッと先端を撫でると、ミューラーの腰が派手にガクンと揺れた。

「あ、あ、あぁ…!」

 声を震わせてミューラーの体が下がる。立っていられなくなって前のめりに崩れた猪は、華奢なアメリカンショートヘアー

を下敷きにしてしまい、慌てて「す、済みません少尉!」と謝るが、ミオは苦しくないのか、下になったまま舌を休ませず、

乳首を刺激し続けている。

 ベッドに肩をついて体重を逃がし、激しく喘ぐ。横臥する格好になったミューラーの股間に、しなやかな指が這った。

「ふぐっ!?しょ、少尉!?」

 目を剥くミューラー。テントを張ったアンダーウェア越しに、怒張した亀頭をミオの細指が撫でる。

「そ、そんな…!しょ、少尉いけません…!そんな所に…、触れては…!あっ…!」

 腰を引こうとするも、あまりの出来事に困惑し、緊張し、ギクシャクし過ぎてままならない。

 フリードリヒ・ヴォルフガング・ミューラー特務曹長38歳独身。普段からあれこれ妄想している割に、いざとなったらタ

ジタジである。

 清廉潔白で見目麗しい若き将校…しかも直属の上官が自分の秘部を淫靡な手つきで撫でる…。そんなシチュエーションに背

徳感と快感が綯い交ぜになった興奮を覚えてはいるのだが…。

「しょ、少尉…?ワシまだシャワーを浴びとりませんので…!」

 引き攣った愛想笑いを浮かべるミューラー。しかしミオは無反応。

「酒も結構飲んで、あ、汗もかいとりますので…!」

 やや震え声で訴えるミューラー。しかしミオは無反応。

「あ、あちこち臭いますので…!」

 フリードリヒ・ヴォルフガング・ミューラー特務曹長38歳独身。普段からあれこれ妄想している割に、いざとなったらヘ

タレの見本である。


 ややあって、気付けば猪はベッドサイドに立たされていた。

 促されてバンザイしたミューラーは、ベッドの上に立ったミオにシャツを引っ張り上げられ、頭上へスポンと抜かれ、さら

に片足ずつ交互に上げさせられ、ズボンを、そしてパンツを、順番に脱がされる。
僅かに開けた口からハァハァと熱く荒い息

を零すミューラーの股間では、股間の厚い肉に根元が埋まった陰茎が屹立していた。

 肉棒を覆う厚皮は先端がめくれ、赤々と血色の良い亀頭が露出していた。皮下脂肪への埋没部が大きいにも関わらず長さは

並で、丸々とした亀頭は大きく、棒自体も太い。陰嚢も大きくずっしりしており、なかなかの巨根と言えるサイズである。

 生まれたての姿にされたミューラーに対しミオは着衣したまま。その差がいくばくかの興奮を伴う羞恥を掻き立てて、猪は

背を丸めて腰が引けた姿勢になりながらも、鈴口からタラタラと透明な液体を垂らしている。

 しばしボーっとミューラーの裸体を眺めていたミオは、おもむろにボフンと、倒れ込むように身を預けた。反射的に抱き止

めたミューラーは、陰茎がミオのシャツに触れて汚してしまうと忌避感を覚えるも、胴に腕を回されて抱きつかれていると、

細かな事が考えられなくなってくる。

(あああああ…!しょ、少尉が…!少尉がワシにハグを…!裸で抱き合って…!)

 ミオは脱いでいないのだが、互いの衣類の量が半分に減っているのでミューラー的には既に充分ネイキッドハグらしい。

 背中に回った手が背骨の窪みに沿って上下に動き、撫でる指先はやがて尾の付け根に触れ、そこを摘む。

「あ!しょ、少尉…!ワシ、そこは弱っ…!ブフゥ…!」

 尾の付け根をクリクリと、指で挟んで圧迫されて、ミューラーの尻尾はビンと立ち、陰茎がビクンビクンと反応する。さら

に、胸に舌を這わせたミオに乳首をコリコリと甘噛みされ、鼻の奥をいびきで鳴らすような吐息を漏らす猪。

 ミオの手は前に戻ると、まるで焦らすように下腹部の肉の段差の下に入り、ボヨンボヨンと揺すって弾ませ、その下の陰茎

を上下に揺らす。

 ブシュー…、ブシュー…、と蒸気混じりの鼻息を吹いているミューラーの呼吸は、唐突に止まった。

「フゴッ!?」

 キュッと、陰茎が掴まれた。脈打つ肉棒は充血して熱をもち、それだけにミオの手は少しひんやりしているように感じられ

て、握られるだけで心地良い。

 タラタラと我慢汁を垂れ流す太い男根を、ミオの華奢な手が愛撫する。

「はっ!?」

 たっぷりした陰嚢の下に手を入れて揺する。

「ふひっ!」

 下面を手の平で付け根から先端側へ繰り返し撫でる。

「ふごっ!」

 陰茎の付け根を埋める贅肉に指先をめり込ませ、硬くなったその上部を指圧するように押す。

「ぶごぉっ!」

 カタカタと体が震え、力が入らなくなるミューラー。

「ふぐっ!ふひっ!しょ、少尉!そんな、弄られたら…!た、耐えられ…!」

 しごかれている訳ではない。本格的な刺激は与えられていない。まだ前戯に過ぎない愛撫なのだが、ミューラーの膝は笑い、

腹はふいごのように上下し、上気して息が激しく乱れ…。

「あ。あ、あっ…!だ、駄目です少尉!ワシ…、ワシ、も…、もぉ…!」

 ブルルッと、猪の体が激しく震えた。そして…。

「もぉ我慢できなぶごぉおおおおおっ!」

 ドブッと、尿道を脈打たせて込み上げた白濁した液体が、鈴口を押し広げて迸った。タプタプの陰嚢に蓄えられた精液が堰

を切って溢れ、陰茎に触れているミオの手も、袖も、ズボンも、ドプドプピュクピュク脈動するように繰り返し発射された精

液で汚されてゆく。バタタッ、ボタボタッと床を鳴らして落ちた白濁液が小さな水溜りを作り、ミオの爪先を濡らした。

「も…、駄目…、です…!」

 腰が砕けて膝が折れ、落下してゆくような感覚を覚えたフリードリヒ・ヴォルフガング・ミューラー特務曹長38歳早漏は…。




「はっ!?」

 パッチリ目を開け、明かりが灯っている天井を見つめた。

 ガバッと身を起こせば、そこは自分の居室にあるソファーの上。窓の無い部屋なので外の明るさで時間を窺う事はできず、

壁に埋め込まれた内線電話兼放送スピーカーのデジタル表示で、午前五時という時刻を確認する。

 部屋の明かりはつけっ放し。服装は宴の時のまま。ソファーとセットのローテーブルには持ち帰ってきたポテトフライの残

りと、中身が僅かになったワインの瓶。

 汗だくの顔をツツッと一筋、しずくが伝って行った。

「…夢…、か…」

 ふぅ。とため息をつき、座り直して膝の上に肘を置き、背を丸めて前屈みになり、考え込む顔になったミューラーは…、

(…………………えがった!!!)

 夢の内容を反芻して悦に入る。

 少し酔いが回って早めに就寝するというミオを見送り、酒豪のブルーノと膝をつき合わせて飲み語り、後片付けは翌朝とい

う事にしてメンバーも三々五々帰ってゆき、ブルーノら四名の隊員と一緒になって最後に引き上げた…というのが実際の流れ。

夢で見たような事は何も無かった。

 シャワーを浴びるついでに、夢の影響でギンギンに硬くなっている股間を宥めてから寝ようと、ソファーから腰を浮かせた

ミューラーは、ドア脇の換気スイッチを押しに行ったところで、

「む?はてな…?」

 ブックスタンドに立ててある郵便物や封筒の類の中に、真っ白な封筒がある事に気付いて摘み上げた。どうやら他の文書類

に混じっていたのを纏めて掴んで立てていたらしい。

 白い封筒には見慣れた署名と、赤い封蝋…エアハルト家の印章が見られた。

(坊ちゃんから…!)

 フゴフゴ鼻を鳴らしながら封筒を胸に抱くミューラー。電子機器と通信網が発達したこの時代においても、エアハルト家で

の倣いがそうさせるのか、それとも個人の性格故か、ギュンターは改まった用事等を手書きの文で伝える。

 ひとしきり封筒を胸に抱いたり頬ずりしたりして愛撫した後、文机に持って行って専用ナイフで丁寧に開封した猪は…。

 

―続けての任務ご苦労だった。第一分隊もやっと休暇に入れるそうだな。実は、休暇の初日にミオと一緒に農園傍の

堀まで釣りに行く予定だが、お前も来られないだろうかと考えた。たまには外で、釣った魚をその場で焼いて食うの

も良いものだろう。お前の好きなラム肉も持ってゆくから、ちょっとしたバーベキューはどうだ?もし用事が無けれ

ばラドも一緒に誘ってやってくれ。彼にはもう故郷も、家族や昔馴染もないのだから、たまにはな…。勿論、お前を

含め無理にとは言わない。休暇の時ぐらい上官達と顔を合わせたくないかもしれないが…。お前がナハトイェーガー

に転属してからお互い顔を見る日も少なくなった。たまには労わせて欲しい―

 

                     親愛なる我が傅(めのと)フリードリヒへ 不出来な方のエアハルト

 

「んのぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!?」

 頭を抱えて仰け反るミューラー。ギュンターが記した手紙の日付は一昨昨日、おそらくミオを誘ったすぐ後に手紙を寄越し

た物と思われる。

「こうしてはおれん!」

 もう朝である。時間がない。部屋を飛び出したミューラーはドドドドッと廊下を駆けて蛙を叩き起こしに向かった。ここで

ラドを出し抜いて独りで行こうという考えがチラリとも頭を過ぎらないあたりがフリードリヒ・ヴォルフガング・ミューラー

特務曹長38歳独身である。

「起きろヒキガエルッ!さっさと!とっとと!目を覚ませガマガエル!」

 布団に包まっているラドをひっくり返し、寝ぼけているので服を着せてやりながら、

「何ですか特曹ー…、汗臭いー…」

「しまったぁあああああああああああああああああああああああああああああああっ!」

 シャワーも浴びていない事を思い出し、出かける準備を済ませるようラドに言いつけると、慌しく身支度に向かう。それを

見送ったラドは…、

「…スピー…」

 ベッドにポフンと倒れ込むと、寝息を立て始める。

 なにはともあれ、休暇になっても慌しい第一分隊であった。

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