Gymir Sparkles

「…で、前の二頭の仲間もやっぱり怪物染みていた、と…」

 関節が外されていたリスキーの右手首を嵌め、固定してやりながら、ヤンは硬い表情で呟いた。

 外出中の札を出して診療所を締めたヤンの家。手当てするヤンと負傷者のリスキー、そして彼を連れて来たルディオの他、

カムタもこの場に顔を揃えている。

 リスキーと黒豹が交戦状態に入った時、気配を察知した獣は表出するなりカムタの家を飛び出していた。少年は後から事情

を知った形だが、医師と同じく表情が硬い。

 一方ルディオは、ヤンの家に保管されていた冷凍食品や乾物の類を解凍したり湯で戻したりして貰って、片っ端からガフガ

フと胃袋に詰め込んでいる。

「正直、許される事なら交戦を回避したい相手です」

 添え木して手首を固めて貰いながら、リスキーはチラリとルディオを見遣る。

 獣から引き継いで記憶等を追認したルディオはこう言った。「勝てるかどうか、わからない」と。獣は気配だけで相手の実

力を察し、そう感じたらしい。リスキーを救出してすぐさま離脱したのも、軽率に交戦するのは危険と判断した結果だった。

 大急ぎで補給し、備えているルディオの姿を見るまでもなく、リスキーは言う。「…ですが、もう逃げられません」と。

 ギュミルの危険性は相対したリスキーには理解できた。戦闘能力という点のみならず、追跡者、工作員としての手腕も自分

以上。もはやこの島から逃げられはしない。息を潜めてやり過ごすのも不可能。何と言っても…。

「負傷したからといって素直に医者にかかるとは考えないでしょうが、薬品の類がある場所として候補に上がるのはこの診療

所です。実際のところ、ツテの無い土地で補給も見込めない状況でしたら、私は病院なり薬局なりへ潜り込んで物資を失敬し

ます。ですから…、彼は近い内に必ずこの診療所を確認しに来ます」

 リスキーはじっとヤンの目を見つめていた。

「迎撃します。本部に援護を依頼した所で、この島の狭さを考えれば、助けが来る前に居場所を突き止められます。他に手は

ありません」

 ヤンもじっとリスキーの目を見返している。説明と主張に納得した訳ではない事が表情から判るが…。

「医者の端くれとしては止めるべきだが…、止めても事態は好転しない、か…」

「その通りです先生」

 殺し屋は頷く。確信を込めて。

「手段は破壊的ですが、彼はプロです。必要であれば何でもする一方で、メリットのない被害を出すような真似はしないので

しょう。…だからこそエルダーバスティオンも私達も、彼らの高い危険度を把握しながらも実態を掴めなかったのですが…」

 船着場近辺で爆発と轟音。駐在も現場へ向かって島はちょっとした騒ぎになっている。動くとしたら騒ぎが落ち着いてから

だろうとリスキーは予想を立てた。

「それまでに、迅速に隠密に迎撃準備を済ませます。ただし、直接彼とやりあうのは私とウールブヘジンだけ。先生と坊ちゃ

んは…」

 リスキーはふたりを順番に見て、きっぱりと言った。

「もしも私達が帰らなかったら…、例え何があっても、知らぬ存ぜぬで通して下さい」

 半ば反射的に「馬鹿を言うな」と反対しかけたヤンだったが、リスキーの射るような視線に黙らされた。

 自分と獣が敗れれば抗う術は無くなる。そして下手に逃げれば怪しまれる。

 だからこそ、リスキーが授けられる行動方針はこれしか無かった。

「………」

 カムタは無言でルディオの背中を見遣る。「X2U」の三文字を映す瞳は不安で揺れていた。

「くれぐれも、加勢に駆けつけようなどとは考えないで下さい。不確定要素が入れば勝算が薄れます。今度の相手には、それ

では勝てません」

 念入りに釘を刺し、リスキーは席を立った。

「大丈夫です。地の利はこちらにあります」

 殺し屋のそんな言葉を、ヤンは鵜呑みにしなかったが、反論はできなかった。






 そして、島に黄昏が訪れ、新月の夜が空を覆った。






 月が消えたその夜、瞬く星の下で黒豹は波を踏み超え、濡れた砂地に上陸する。

 乗って来たクルーザーを自動航行で離岸させ、戦闘服に身を包んだ黒豹は船影が十分に遠退くのを見送った後で、クルリと

向きを変えた。

 砂浜から眼光鋭く島を見遣ったその瞬間、虫の声すら止んだ。

 意図的に放たれた威嚇の殺気が、島を駆け抜けた。


 ガチャンと、グラスが砕け散った。

「あ」

 突然寒気を憶え、取り落として割ってしまったグラスを見下ろし、テシーはドアを見る。

 隙間風…ではない。首を傾げたテンターフィールドは、突然沸き起こった寒気に再び身震いしてから、ガラスの破片を片付

け始めた。

(何か落ち着かないな…。嵐が来る訳でもないのに…。先生か誰か来ないかな…)

 人恋しい気分になりながら、しかしテシーは気付いていない。

 それが、本能的な不安による物だという事には。


「………」

 太った虎は窓を見遣る。

 何となく落ち着かない気分を味わった。強風で窓が揺すられた時など、その音にビクついたりした際、こんな気持ちになる。

 視線を戻し、数十分前までリスキーが座っていた椅子を見る。

 勝算はある。彼は三度もそう言った。記憶にある限り、リスキーがそこまで強調した事は初めてだった。今まではむしろ、

油断が事故に繋がらないように言葉を選んでいたように思えたのだが…。

「………」

 無言のまま立ち上がり、ヤンはウッドデッキに出た。

 新月の、静か過ぎる夜。

 不安を胸に、医師は仲間の帰りを待つ。


 銀の煌きを目の高さに上げ、その腹を見つめる。

 ルディオは自室で腰の後ろに鞘を固定し、ガットフックナイフを抜いていた。

 漂着した時から持っていたナイフ。自分と同じく、普通の存在ではない武器。

「アンチャン…」

 ナイフを見つめていたルディオは、そこに映り込んだ背後の少年の顔に目を向けた。

 部屋の入り口に立つカムタ。その肩にはフレンドビー。

「大丈夫だよな?」

 大丈夫じゃない、とでも言ったらこの少年はこっそりついてくるだろうと判っていたので、ルディオは「たぶん」と応じる。

 ナイフを鞘に収め、腰の後ろに装着したルディオが振り向くと、ぼふっと、カムタは身を預ける格好で抱きつき、飛んで離

れたバルーンは少し下がってホバリングする。

「アンチャン…」

 呟いたきり、カムタの声は途切れた。感触を確かめるように、温もりを確かめるように、存在を確かめるように、ルディオ

の被毛に顔を埋め、擦りつける。

 理解している。リスキーがあんな目に遭わされた上に、獣が一度は離脱した相手…。それがどれほど危ない存在なのかはカ

ムタにも判る。リスキーは勝てると言ったが、それは自分達を安心させるための方便なのだと、ヤンと同じく察している。

 太い胴に腕を回し、胸に顔を埋め、力一杯抱きついて来る少年を、ルディオはそっと抱き締め返した。

「美味いメシ作って、待ってるからな…!」

「うん」

「ちゃんと帰って来なきゃダメだからな…!」

「うん」

「それから、それから…」

「うん」

「!?」

 声を詰まらせて硬直したカムタを抱いて、ルディオは視線を上げる。ホバリングしていたフレンドビーは素早く回頭し、警

戒して廊下の前後を窺う。

 獣も感知していた。危険な何かが接近している事を。

 一瞬ジワリと琥珀に変わっていた瞳が元に戻り、獣の警戒心がルディオにも伝わる。

「じゃあ、行って来るなぁ」

 キュッと、カムタを抱き締めてから、ルディオは少年を放す。

「…うん!待ってるからな!」

 帰って来る。必ず。

 そんな決意を胸に、ルディオは大きく頷いていた。


「星が綺麗ですね」

 カンテラ型のトーチを片手に、足元を照らしながら青年が呟く。「良い夜です」と。

「ああ」

 見上げた空に瞬く星々を認め、頷く。「そうだな」と。

 黒豹はしかし、すぐに視線を戻して青年を見つめた。美しいとは思う。そう表現される光景なのだと知っている。だがそこ

に感情は伴わない。ギュミルはそういう風に造られている。

 少し先を歩く青年の後ろを、武装したギュミルはゆっくりと歩む。

 診療所近辺で待ち構え、威嚇の殺気に反応したリスキーは、予想した通りにやってきたギュミルを発見した。

 茂みに潜んでいた青年は、悠然と歩んできて足を止め、視線を向けて来た黒豹の態度に苦笑を禁じ得なかった。身を隠すの

も無駄…。これほど格が違うと、感心や恐怖より呆れが先に立つのだと知って。

 リスキーはギュミルに対しても敬語を用いるようになっているが、これは個人的な敬意による物。相容れない敵同士ではあ

るが、専門分野ですら自分を大きく上回る手錬に対し、敵対心以外の物を覚えてしまうのは職人の性とも言える。

 一方ギュミルも、ラグナロクと聞いて態度を改め、畏怖の念を覗かせて対峙する青年に一定の評価を下している。戦闘では

相手にはならないが一端の職人ではあり、何より礼儀を弁え品格を備えている、と。

 ひとの来ない場所へ案内すると提案したリスキーに対し、ギュミルは異を唱えず従った。これは青年が予想した通りだった

が、誘いに乗るのは絶対の自信に裏打ちされてのこと。観念した。あるいは罠を用意した。または徹底抗戦の心積もり…。ど

れであったとしても構わないというのがギュミルの考えである。

「私はその場に居合わせませんでしたが」

 木立がぐるりと囲んだ砂浜へと降りて行きながら、リスキーはそう切り出した。潮騒が穏やかに響く砂浜。思えばショーン

を始末したのもここ。景観の良さとは裏腹に、不思議と物騒な事に縁があるポケットビーチだと、皮肉に思う。

「カラカルとコヨーテはここで戦闘し、打ち倒されました」

「ほう」

 ギュミルは静かに声を返し、「「誰によって」という所までは話さないつもりか?」と問う。

「いいえ。こちらも聞きたい事がありますから、知っている限りは正直に話しますよ。何せ…」

 ギュミルは足を止める。リスキーはそのまま足を進め、入り江の砂浜中央に近付いてゆく。

 青年の歩みと共に移動するカンテラの光が、そこに立っていた人影を次第に浮かび上がらせる。

「どうあろうと貴方が我々を始末するつもりである事は理解しています。同じ立場なら私も見逃せません。これは、仕方のな

い事です…」

 光に照らし出されたのはセントバーナードの巨漢。黒豹はその顔へひたりと目を据える。

 足を止めたリスキーが振り返る。待機していたルディオ…今や炯々と琥珀の瞳を光らせている獣の傍らに並んで。

「ですから最後に情報交換と行きましょう。何せ私達も一月からこれまでの半年以上、判らない事だらけであがいて来ました。

死ぬなら死ぬで少しでもスッキリしたい所です」

「………」

 リスキーの言葉を聞きながら、ギュミルは無言でじっと獣を見つめ続けていた。

 驚きがその目に宿っている。疑問がその顔に浮かんでいる。

 まさか。

 そんな思いが黒豹の表情に出てしまっている。それほどまでに予想外の事態だった。

「…ご存知ですか?彼が何者なのかを。彼には記憶が無く、調べるにも手掛かりがありませんでした。知っているんですね?

貴方は彼の事を」

 リスキーは問う。ギュミル達はおそらくルディオの「味方」ではない。だが獣の、そしてルディオの過去を知っているはず

だと、黒豹の反応で確信を得ながら。

「…まさか、とは思ったが…。まだ生きていたのか」

 黒豹が呟く。信じ難いと声音に孕ませて。

「同僚…ですか?ブーステッドマンなんですか?彼は…」

「ブーステッドマンではない」

 リスキーの言葉を遮って述べると、ギュミルはふたりに向かって静かに歩き出した。

「その男は「エインフェリア」だ」

「…エインフェリア?それは、より高性能な、ブーステッドマンの枠におさまらない何か…」

 リスキーの問いに、「いいや、そうではない」と黒豹は応じる。その瞳は獣を見据えたまま、僅かにも外れない。

「そもそもの製造工程からしてブーステッドマンとは異なる。優れた資質を持つ「素体」を基にして製造された人型兵器。そ

れが我々エインフェリアだ」

 やはり、とリスキーは顎を引く。

 合点が行った。自分達や既知の組織の技術力では到底再現不能な性能は、ラグナロク製という事ならば説明が付く。他の組

織とは比較にならない技術力を持つ黄昏であれば、自分達の常識で計れないモノも実用可能にしてしまうかもしれない、と。

 続けて、具体的にはブーステッドマンとどう違うのか問おうとしたリスキーは…、

「ただし、その男は廃棄処分されたはずだった」

 ギュミルが続けた言葉で、発しかけていた声を飲み込んだ。

「失敗作だった。素体に問題があったのか、それともチップに不具合でもあったのか、ソレは擬似人格の形成に失敗した。何

も感じず、何も考えず、自発的な行動や柔軟な判断が望めない、極々単純な命令に従うだけの機械にも劣る代物にしかなれず、

それ故に兵器として正規登録されなかった」

 黒豹は足を止める。ふたりと4メートルほどの間合いを保持して。

「後に、ある実験の被検体となったが、その結果として暴走し、研究者を含む関係者を殺害し、鎮圧に入った護衛数名を返り

討ちにした末に、ようやく破壊された。…はずたっだのだが…。…その男について知っているのはこの程度だ」

 ギュミルは訝って目を細めた。

(ガルムロスト…。あの事件の折、空母二隻が沈んだ騒ぎで死体を回収する余裕はなかったと聞く。暴走体自体はシャチが仕

留めた…、これは記録映像でも確認した。あの男が仕留め損なうとは考え難いが…、後に息を吹き返したと考えるべきか?)

 同僚の顔を一瞬思い浮かべた黒豹は、ウォッシュとホニッシュでは敵わなくとも不思議ではないと納得する。

(取り押さえに入ったエインフェリア…、しかもエージェントまで含む戦力を、たった一体でほぼ全滅させたのだ。あの二頭

には荷が重い)

「さて、今度はこちらの番だ」

 ギュミルは問う。ONCは何を狙っているのか?エルダーバスティオンは何をしているのか?優先して入手すべき情報はあ

るが、まず確認すべき事は…。

「その男をどうやって手懐けた?」

 一瞬リスキーは口ごもった。誤魔化そうとした訳ではなく、説明し難い経緯があるのだろうとギュミルは解釈する。何せ、

能面のように情報を遮断していた青年の顔に、刹那の間だったが明らかに困ったような表情が浮かんだので。

「とりあえずお答えしますが…、それに関しては私も、そして彼自身も判っていない事があるので、推測混じりになるのはご

容赦下さい」

 リスキーは獣を見遣る。ギュミルから一瞬たりとも離れない琥珀の目を。

「彼は…、おそらく偶然、この諸島に流れ着いたのでしょう。私にとっては上にも報告していない秘密の味方でした。そもそ

も私も彼もこの半年間あれこれ調べていた程で、過去や身の上はわからないままでした。「どうやって手懐けたのか」…とい

う点につきましては…、これも運よく協力関係になれたとしか」

 そしてリスキーはギュミルに伝える。ONCが起こした第一の流出事故と、ショーンのせいでさらなる悪化を引き起こす結

果となった第二の流出事故について。

「…私はその流出物を追跡し、処分する役目を担っていました。彼はその折に偶然この島へ漂着したようです。…最初は私も

危うく殺されかけましたが、何も無い時は大人しい上に、始末するべき共通の物も存在していたので、運よく共闘関係を結べ

た…といったところです」

 リスキーは説明しながらも、例え死んでも譲れない、カムタとヤンの情報だけは伏せている。自分と獣が始末されればギュ

ミルの目的も達せられるし、ヤンとカムタを当たったところでそれ以上の情報は出ないので無駄骨になるだけ。隠してはいる

が相手に不利にもならない、誠実な対応である。

「正直、用事が済んだ後についての事は不透明でした。私も上に報告していませんでしたし、彼はこの諸島の環境を気に入っ

ているようなので、最後の流出物にけりがついたら、そのまま別れていたかもしれません」

「では、エルダーバスティオンの目的は?」

 薄々察した様子でギュミルが問い、リスキーは素直に頷いた。

「おそらくですが、我々ONCの流出物対策活動を怪しんでの事ではないかと。ただ、別の目的がある可能性も否定はできま

せんが、こちらでは推測もできていません」

 黒豹はしばし黙した後、「無駄骨か」と低く呻いた。

 そもそもONCの動きを同僚が察知したのが、ギュミル側での事の起こりである。単なる事故処理という理由が判明してし

まえば、他愛のない情報を大きく捉えてしまっただけに見えて来る。

「…もう一つ。お前達は「ワールドセーバー」に関して何かを掴んだ訳ではないのだな?」

「………?」

 リスキーは僅かに眉根を寄せた。

「ワールド…?組織の名ですか?それともレリックの類でしょうか?」

 耳慣れない言葉に戸惑うリスキーに対し、

「いや、知らないならそれで構わん」

 その反応に偽りは無いと見たギュミルは、それ以上の情報を齎さなかった。関係の無い事だったと判断して。

「最後の質問だ。お前達が倒した二頭はどうした?」

「遺体は本部へ送りました。ラボで解析にかけられたようですが、そこの位置情報は私も知りません」

「遺憾だが、仕方あるまい…」

 失態を犯した部下達に苛立つギュミルだが、不満はとりあえず抑える。

「こちらからは以上だ。確認すべき事はまだ残っているか?」

「一つ提案が」

 圧を放ち始めたギュミルに喰らい付くように、リスキーは言葉を捻じ込んだ。

「こちらとしては、見逃して頂けるならそちらの邪魔をする気はありません」

「残念だがONCの者」

 青年の言葉を遮る黒豹。圧に反応した獣が一歩進み、リスキーよりも前へ出ている。

「こちらには始末しなければならない理由がある。その男が我々にとって抹殺すべき存在である事に代わりはない。放置する

事で我々に生じるリスクについては…、判るな?」

 機能停止したエインフェリアについてはさして問題ない。生命活動の停止に次いで、細胞と遺伝子、各種改造の痕跡は速や

かに劣化し、チップも変質して内部情報がほぼ失われるので、得られる物は少ない。

 だが、活動中の個体となれば話が別である。技術レベル的に理解は困難だろうが、時間をかければ解析は進み、その過程で

解析側の技術力も上がってゆく。廃棄対象を解析され、技術を応用されるのは、ラグナロク側にとって面白くない結果になり

かねない。

「…そうですね…。では本当の最後に…そう、二つだけ質問を」

 リスキーは人差し指と中指を立てて左手を掲げる。

 本当はもう一つ引っかかっている事があったはずなのだが、開示された情報の衝撃が強過ぎたのか、疑問なのか違和感なの

か無知故の落ち着かなさなのかはっきりせず、問いに纏める事ができなかった。ここで下手に時間稼ぎなどと受け止められて

話を切り上げられたらかなわないので、リスキーは確実に問いたい事に絞る。

「私達の事を知っているのは貴方だけですか?…端的に言いますと、私達がもしも貴方に勝てた場合の話ですが、これ以上そ

ちらの組織の手が迫る事はありますか?」

 ギュミルは静かに目を細めた。

 もしも勝てたとして、その後も生き延びる事は出来るのか?これは納得できる質問である。

「故あって、部下二匹を連れた独断行動をしていた。まだ主にも同僚にも何の報告もしていない。つまり万に一つこの場を切

り抜けられたならば、お前達は生き永らえる事ができる。いつまで、とは言えんが、さし当たっては、な」

 黒豹は正直に述べた。絶望へ挑む者へのささやかな対価として。

「では、最後の質問です。よろしいですか?」

「答えられる事であれば教えよう」

 寛容に頷いたギュミルへ、リスキーは問う。

「彼の、本当の名前を教えて下さい。そちらで製造された以上、何らかの呼称はしていたのでしょう?」

 返答は、しかし無かった。

 黒豹はいわく云い難い顰め面で、開いた口から出たのは…。

「失敗作故にソレには固有名が与えられていない。知っているのは、便宜上「ガルム十号」と呼ばれていた事と…、事故記録

においては「ガルム・ロストナンバー」と記載されている事だけだ」

「…そうですか」

 手放しには喜べないが、仮の名であろうと知れたのは僥倖。カムタとヤンに伝えようと胸に刻み込み、リスキーはカンテラ

型のトーチを足元に下ろすと、左手をベルトにかけトキシンテープを引き出した。

「二対一になりますが、こちらも手は選べません」

「構わん」

 応じたギュミルの両手を確認し、もはや驚くのにも慣れてリスキーは呆れた。二本の警棒が、既にその手の中にある。

 音も無く、伸縮式の警棒が伸びた。グリップを含めて70センチ強、雌雄一対のこの殴打武器こそがギュミルの得物。必要

でなければ抜かない事すら多いこの武器を、黒豹は今回初めから握る。

 リスキーが左手にトキシンテープを巻くその間に、獣が黒豹へ踊りかかった。同時に、青年の足が降ろしたカンテラを蹴り

飛ばし、あちこち壊れたカンテラが破片と光でギュミルを牽制する。

 蹴り散らした砂を後方に爆散させ、刹那の間にカンテラの残骸と共に肉薄したその時には、獣はその拳をギュミルの頭部へ、

突進の勢いを乗せて繰り出していた。が…。

 ガッと硬い音が響く。上体を柔軟に反らした黒豹は、交差させた警棒二本を下から獣の腕へ接触させ、押し上げて軌道を変

える。飛翔したカンテラは、僅かに首を傾けたギュミルの耳の先を掠め、落ちる途中で灯りが消える。

 そして、ギュミルの右足が砂から離れ…。

 バヂッと、一瞬奔った閃光に、リスキーの目が焼かれる。

 右ストレートを防がれた獣の全身で被毛が逆立ち、その巨躯がビクンと痙攣した。

(電気ショック!やはりあの警棒はスタンガンの類か!)

 光ったのはギュミルの警棒。常人であれば即死を免れない高圧電流を浴びせられ、流石に動きを止めた獣を、黒豹の右脚が

蹴り上げた。

 メヂャッ…。

 そんな、怖気に襲われるような嫌な音を、リスキーは聞いていた。

 ギュミルの前蹴りは獣の股間に入っていた。睾丸を潰したその蹴りは、体格で上回る獣を上空へ弾き上げる。

 月の無い空へ打ち上げられた獣へ、ギュミルはスッと右手の警棒を向けた。

 直後、黒豹と獣を青い雷光が結ぶ。

 大気を引き裂き、闇夜を切り裂き、耳をつんざく轟音は、まるで雷のようで…。

(あの武器はヤバい!)

 追い討ちを受けた獣が、煙を上げながら放物線を描く。その落下を待たず、リスキーは間合いを詰めていた。

 蹴りを放った不安定な姿勢…と見えて隙が無い。確実に反応され、反撃が来ると察しながらも突っ込んだ青年は…。

「む…」

 蹴り足を戻すそのアクションを、踵落としの要領で迎撃に変えたギュミルは、間合いギリギリで身を投げ出したリスキーを

捉え損ねた。

 寸前で砂地に転がったリスキーは、トキシンテープを巻いた左手で隠し持っていた、細い鉄串を放る。カムタが調理に使う

串を三分の一程に斬り、先端を研いで尖らせた暗器。尖った先にはトキシンテープから猛毒が付着していた。

 本来は問題にならない牽制だが、ギュミルはリスキーの攻撃に「無意味な物はない」と判断する。警棒を振るって弾き、踏

み下ろしたその右足で砂を蹴り散らして青年に浴びせた。

「つっ!」

 砂粒が肌を食い破って突き刺さる、目くらまし所ではない牽制。横っ飛びに距離を取ろうとしたリスキーは、

「!」

 寸前で思い止まり、逆へ跳んだ。間髪要れず、先に跳ぼうとした方向へ青い電撃が迸る。

 勘の良さに感心しつつも、ギュミルは鋭く回頭した。

 リスキーの攻撃でさらなる追撃が阻まれ、煙を上げながら落下した獣は地面に衝突すると、その衝撃で麻痺が解けたように

跳ね起き、即座に黒豹へ突撃する。

 また同じように防がれる…と思いきや、ギュミルは警棒を打ちつける形で掴みかかる手を弾いただけ。獣の右腕を軽々と打

ち払う筋力も恐ろしいが、リスキーが戦慄したのは…。

(ウールブヘジンを、真っ向勝負で上回っている…!)

 獣が、正面切っての戦いで圧倒されていた。能力も恐ろしいが、それを抜きにしても、ギュミルはその戦闘技能だけで大き

く上を行く。

 フック気味に叩き付けようとした獣の左拳は、しかしギュミルに届かない。

 グヂャッ…、と音がして拳が止まっていた。黒豹の膝と肘に挟まれ、砕き潰された手から出鱈目に骨が飛び出している。

(シャチ達と同じ闘法だな。…だが研鑽がまるで足りていない。コンバットプログラムそのままで特にカスタムされていない。

知る者にとってはむしろあしらい易い物だ。なるほど確かに、並みのエインフェリアでは敵わないだろう性能は持ち合わせて

いるようだが…)

 右肘と膝で獣の左手を潰したまま、残る足で軽く跳ねた黒豹は、鋭く腰を捻った。

「未熟」

 獣の脇腹を回し蹴りが捉え、あっさりと吹き飛ばす。信じられないほど軽々と飛んだ巨体は、砂地でバウンドしながら十数

メートルも遠ざかる。そこへ、ギュミルの警棒が向けられた。

「させません!」

 あえて声を発したリスキーは、背後から低い姿勢で急襲している。

 指を揃えて突き込む左の毒手。しかしこれを予期していたように、ギュミルは肩越しに視線を送った。

 その確認と同時に、腋の下を潜って警棒の先端がリスキーに向いている。

(一か八か!)

 痛みでまともに動かない右手を、リスキーはこのタイミングで使った。

 放ったのは小瓶。中に液体が入っているそれを認めた瞬間、黒豹は放電を取り止めて、素早く、しかしインパクトの瞬間に

は柔らかく接するように、ローリングソバット気味に靴底で瓶を掬い取り、遠くへ送り出すように蹴り放す。

 自分も巻き込まれるのを覚悟して液体爆薬を使用したリスキーは、旋回する黒豹の警棒がひたりと自分に据え直される様を

見て、考えの甘さを思い知った。

(捨て身ですら無理とは…!)

 刺し違えるつもりでかかっても、余裕をもってあしらわれる。獣と同等の身体能力に加え、戦闘技術でその遥か上を行く超

戦士…。こんな時に備えて準備して来たつもりだったが、それでもなお対策不足だった。

 獣が動きを止めるほどの電撃。自分が浴びたら命は無いと確信しつつ、せめて一矢報いる事はできないかと、青年は思考を

巡らせ…。

(え?)

 突如ギュミルが身を翻し、体を大きく捻って回避行動を取った。

 ヴヴンッと大気が震え、黒豹が足を離したばかりの砂地から、砲撃でもされたように砂が弾け飛んで砂塵が上がる。

 四つん這いで着地し、砂の上に長く溝を残して止まった獣は、そこから能力でギュミルを攻撃していた。

(予想以上に丈夫だな。まだ動きが鈍らない)

 またも正面きって突進してくる獣へ、黒豹は向き直りつつ構える。

 繰り出された拳はあちこちから骨が飛び出しているが、獣に躊躇いは無く、ギュミルにとっては工夫も無い。

 避けつつ太い腕を右の警棒で打ち落とし、身を戻す動作で左脚を浮かせ、体が泳いだ獣の腹へ膝を入れる。

 さらに左の警棒で顔面を叩き上げ、上がった顎めがけて後ろ回し蹴りを入る。

 仰け反ってよろけ、無防備に晒されたその胸へ、両の警棒をくるりと回して逆手に握った拳を突きつける。

 直後、バヂュンッと激しい発光と音が撒き散らされ、全身から煙と異臭を上げた獣が膝から崩れ落ちた。

(違う!武器ではない…!あの放電は能力によるものか!)

 電撃操作に類する能力は、その複雑さと制御の難しさがネックとなり、使いこなすのは極めて難しい。ただ対象に向けて放

射するだけならともかく、自分も浴び兼ねない至近距離で扱うのは特に。それを、ふたり掛かりの攻撃を凌いだ上で圧倒しな

がら、苦も無く使いこなす…。

 力を測るどころか底が見えない黒豹に戦慄しつつも、リスキーはその背中めがけて走っていた。

 獣は動きを鈍らせながらも、膝立ちのまま黒豹に掴みかかる。

 その腕を無造作に払う警棒。血飛沫が上がったのは、打撃の衝撃で獣の腕が大きく裂けたせい。

 怯まず、獣は黒豹の足へ手を伸ばす。

 ギュミルは半歩退いてこれを避けると、即頭部へ強烈な蹴りを叩き込んで横倒しにする。

 なおも動きを止めず、起き上がろうと砂地に両手をついた獣の背へ、黒豹が大きく振り被った警棒が叩き付けられた。

 バッと、鮮血が上がる。

 先端で抉るように殴られた獣の背で、あちこち焦げてボロボロになったベストが、ザックリ切れていた。

 斬り裂かれた「X2U」を血に染め、なおも立ち上がろうとする獣めがけ、今度は首筋へ一撃入れようとしたギュミルは…。

「…「右手」ではないな。「手」そのもの…。その自信はそう、当たれば殺せる毒手の類という事か。…いや違う」

 その呟きに、既に背後から飛び掛っていたリスキーは青褪めた。肩越しに向けられた黒豹の目は、青年の左手のみならず足

も意識している。
二本目のトキシンテープは左脚に巻いた。腕を落とされようとも…むしろ、腕を囮にして蹴りを入れられれ

ばと目論んだのだが…。

(読まれた…!)

 格下と油断して貰えれば付け入る隙もあった。だが、戦力的に相手にならないと見ながらも、ギュミルはリスキーを舐めて

はいなかった。

 ボヅッ…。そんな音を青年は聞いた。

 クルクルと、指を広げた手が夜空を舞う。

 リスキーの左手は、手首から千切れて飛んでいた。振り向きざまにあまりにも速く、あまりにも強く叩き付けられた警棒に、

関節も骨も筋も肉も皮膚も、文字通り断ち割られて。

(だが!)

 左手を切断されながらも、殺し屋は怯まない。リスキーは宙で身を捻り、その足の甲をギュミルの即頭部へ送り込む。擦過

傷でもいい、傷がつかなくとも接触できればいい、起死回生の一撃は…。

「そのテープ状の物が「武器」か」

 微かな光の反射を見て取ったギュミルは、リスキーの膝へ逆の警棒を叩き入れていた。断ち壊すのではなく弾き飛ばす殴り

方ではあったが、リスキーは機動性と体術の要である膝まで砕かれる。

 そして、体勢を崩したそこへ、ギュミルはとどめの回し蹴りを放ち…、

「…ふん」

 微かに笑いが零れた。見事だと、感心混じりに。

(しまった!これも気付かれた!)

 リスキーの脇腹に反射が見える。攻撃を受ける事も見越し、リスキーは自分の胴に残りのテープ二本を巻いていた。

 ピタリと止まった蹴り足が軌道を変え、リスキーの即頭部を狙う。勢いが削がれたとはいえ、まともに入れば即死する蹴り

を、青年は咄嗟に肩で受けた。

 天地が渾然と混じり合う。砂が巻き上がり、衝撃が全身を侵し、五感が一時喪失する。

(下手に触れるのは危険、か。あわよくば抱えるなり掴むなりして、そのテープに接触させようというのだろう。溶解液の類

とは考え難い。異臭も無いが、おそらくは毒物か)

 ギュミルは蹴り足を素早く戻して体勢を整えると、蹴り飛ばされて砂地で二転三転するリスキーへ、警棒をスッと向けた。

 細く、青白い電光が警棒を這う。その放電が青年を襲う、まさにその瞬間…。

「む?」

 ザッと、間に飛び込んだ者があった。

 炯々と光る琥珀の瞳。大きく広げられた両腕。

 盾になるように立ちはだかった獣へ、黒豹はもう一本の警棒も添えて雷撃を放つ。

 最大出力の大放電。放射状に広がるはずのそれは、獣の体へ収束して浴びせかけられた。

 破裂するような音を立てて、大気が裂かれ、燃え、光り、焦げつき…。

「う…」

 ようやく五感が戻り、酷い耳鳴りと眩暈に襲われながらも、リスキーは手首から先が無くなった左腕と、手首を負傷して固

定されている右手を使い、上体を起こす。

 肉が焼けてタンパク質が焦げた匂いが周囲に立ち込めている。

 どうなったのか、状況を把握しようと視線を上げた青年は…。

「………」

 絶句し、目を見開き、次いで歯を噛み締める。

 そこに、もはや何の文字も残っていない、ズタズタになって焦げた布切れだけがこびりついた、広い背中があった。

 膝立ちで、なおも腕を広げたままでいる黒焦げの肉塊から、焦げた表面がポロポロと崩れ、ひび割れたり剥がれ落ちたりし

た隙間から生焼けの肉が覗く。

 ゆっくり、巨体がうつ伏せに倒れる。ズン…と、重々しい響きと砂塵を上げて。

「旦那さん…。どうして…」

 リスキーが呟く。

 計算外だった。あるいは自分にかまけている黒豹の隙を突いてくれればと、そんな所には期待していたが、身を捨てて自分

を守りに出るとは思ってもいなかった。

「どうして…」

 答えが無いのは判りきっていた。

 完全に停止していた。

 横倒しになり、炭化した表面がボロボロと剥離してゆく黒焦げの巨躯からは、呼吸はおろか、あらゆる動きが消えていた。



(雷…?)

 ボウルを放り出した少年は、小走りに玄関へ出て夜空を仰いだ。

 視界いっぱいに広がる新月の星空を見上げ、カムタは押し黙る。

 雷が落ちたような音は止んでいた。

 そもそも雲ひとつ出ていなかった。

 空耳なのかと思うほど静かだった。

 柵に入れられた鶏達は息を潜めているように沈黙し、身じろぎもしない。

 言い付けを守ってカムタの部屋に居るフレンドビーも、ベッドの上で置物のように静止している。

 カムタは胸に手を当てる。

 痛い。苦しい。不安で重い。脈打つ鼓動で胸が痛い。体温が上がって息が苦しい。肌にはフツフツと玉のような汗が浮く。

(アンチャン…。リスキー…)

 少年は、いつしか手を組んで跪き、頭を垂れて祈っていた。

 シバの女王へ、どうか皆にご加護をと…。





















 背の高い草が揺れる。

 ぼんやりとその葉先を眺めながら、ルディオは瞬きした。

(…あれ?)

 きょとんとして周囲を見回す。

 見渡す限りの、灰色の草が伸びた草原。

 頭上には太陽が白く輝き、空は明るい灰色。

 全てが黒白の、色が無い世界。

 どこまでも広がる果ての見えない草原に、セントバーナードはポツンと立っていた。

 自分は何をしていたのだろう?何処に来たのだったろう?

 ルディオはしばし考え…。

(あ、そうだ。リスキーと待ち合わせして、それで…)

 いつの間に夜が明けたのだろうか?意識が飛んでいる間に全て終わったのだろうか?それにしても、島にこんな場所はあっ

ただろうか?

「…カムタは?」

 ふと、少年の顔が思い浮かんで再び周りを見回した。次の瞬間…。

「居ねぇよ。もし居たら一大事だぜ?」

 ルディオは垂れ耳をピクリと震わせた。背後…すぐ近くから聞こえた声で。

 振り向けば、そこに男がひとり座っていた。

 灰色の草むらに半ば埋もれた、直径2メートル半ほどの、テーブルのような腰掛けのような灰色の岩。そこに尻を乗せ、分

厚い胸の前で腕組みし、流した右脚の膝へ左脚の足首を乗せる格好で組み、男はルディオを見つめている。

 大きな男だった。ドラム缶のような太くて肉厚な体躯に、電柱のような手足がついている。肥満体のように見え、しかし体

積の大部分は分厚く強靭に発達した筋肉で構成された、重々しい極端な固太り。

 犬の獣人で、その被毛は茶と黒が混在するエリアと、白い部分に大別できた。黒い鼻と目元。垂れた耳。頭頂部から鼻に抜

けて両側の茶と黒を隔てる白いラインが特徴的で…。

「…あれ?」

 ルディオは首を傾げる。

 その魁偉な容姿には見覚えがあった。と言うよりも、良く知っている容姿だった。

 それもそのはず、そこに居る大兵肥満のセントバーナードは、ルディオと瓜二つの姿をしている。背丈も、体型も、被毛の

カラーパターンすらも。

 異なるのは衣類。ルディオの南国の装いに対し、巨漢はクリーム色のサマーセーターを腕まくりして身につけ、デニム生地

のズボンを穿いて、ゴツいブーツを着用していた。

 そして、もう一点異なるのは虹彩の色。ルディオのトルマリンのような瞳に対し、巨漢の瞳はブラウンである。

 ルディオはふと気付く。黒白の世界で、自分とその男だけが色彩を帯びている、と…。

「あ~…。まぁ、何だ…」

 巨漢は顔を顰め、軽く目を閉じて頭をガシガシ乱暴に掻いた。その仕草は、苛立っているようにも、困っているようにも見

えて、同時に…。

「ここは「はじめまして」…とでも言やぁいいのか?」

 ムスッと半眼になった巨漢は、

「…何とか言えよ」

 ぼんやり顔で黙り込んでいるルディオに、顎をしゃくって発言を促した。

「アンタは、もしかして…」

 セントバーナードは、自分と良く似たセントバーナードの顔を眺め、「それは違う」と気付く。

 直感した。「相手が自分に」似ているのではない。「自分が相手に」似ているのだと。

「ああ、そうだ」

 巨漢は右手を上げ、立てた太い親指で自分の顔を指し示す。

「おれが「ハーキュリー・バーナーズ」だ」