Irreplaceable days
雨が降りしきる、美しい諸島の片隅で…。
「ん…」
小さく鼻の奥を鳴らし、少年は薄目を開ける。
屋根を叩く雨音もまだ遠い、夢と現の狭間にあるまどろみの中で感じるのは、柔らかな被毛の感触。
夢から覚めたばかりの瞳に映ったのは、目を開けているセントバーナードの顔。
いつもと同じ朝。けれど、今日からは少し違う朝。
向き合って横臥する格好のルディオに、抱えられるような姿勢で腕枕されていたカムタは、寝ぼけ顔をニマッと緩ませた。
「おはよう、アンチャン…」
そんなカムタの挨拶に応えたのは…。
「わっぷ!うはっ!ちょ、くすぐってぇよ!」
ベロベロと、熱烈な舌の接触。
犬がそうするようにカムタの顔を執拗に嘗め回して愛情表現してから、
「おはようカムタ」
ルディオは目を細めて笑いかけ、挨拶を返した。
ウールブヘジン…つまりドリュアスと共生関係にあるルディオの身体は、哺乳類のソレからだいぶ変質しているため、睡眠
時間をあまり必要としない。だから一晩中飽きもせず、カムタの顔を間近で見つめていた。
「も~…!」
笑い返したカムタは、ふと視線を下へ…つまり股間へ向ける。そこには、パンツを押し上げてくっきりと形が判る陰茎。
「やっぱ硬くなってる。毎朝こうなんだ」
「ん。おれも」
「え?」
さらりと頷いたルディオの股間を、上体を起こして覗いたカムタは…、
「…あはっ!ホントだ、一緒なんだな!」
パンツの生地を押し上げているモノの存在を視認して、嬉しそうに笑った。
普通の事。ルディオも同じ。言われたとおりだった、と。
「アンチャンはソレどうやって直してんだ?」
「しばらくしたら勝手に戻ってる」
「そっかー。やっぱほっとくしかねぇか」
本当は鎮める方法もあるのだが、どう教えるべきかとルディオは考える。と、その間にカムタはセントバーナードの手を握
り、エヘヘと顔を綻ばせた。
「リビング行こう」
「ん」
ベッドから身を起こし、ふたりで手を繋いだままリビングに向かうと、バルーンが待ってましたとばかりに寝床から飛び出
す。邪魔にされて追い出された不機嫌さは一晩で直っていた。
「おはようバルーン」
「おはよう」
朝の挨拶をすると、クマバチは少年の頭にポフンと着陸して落ち着く。
その羽音が小さく聞こえたのは、屋根を叩く雨の音がかなり強いせいだった。
「雨だなぁ、アンチャン」
「だなぁ」
並んだ少年とセントバーナードは、夜明け直前の外を眺めた。
庭がけぶるほどの強い雨。地面に叩きつけられた雨粒が、砕けて霧になって漂うほど。
「たぶん、ちょっとしたら少しはマシになると思うけど…」
空の明るさからそう推測する少年だったが、やはり以前ほどはっきりとは予想できない。経験則に裏打ちされているはずの
勘には、相変わらず原因不明の鈍りがある。
「こんだけ荒れてたら仕掛けにも期待できねぇな…。何もかかってなかったらテシーのトコに行って何か分けて貰って来よう」
「ん」
頷いたルディオを見上げ、カムタは笑う。
「アンチャン何か食いたいモンあるか?肉?」
問われた瞬間にルディオの尻尾が振れて、カムタは「よし肉分けて貰おう」と決断。
「何か飲んで少し待つか!ココナッツジュースあるな、まだ」
ルディオの大きな手を指を絡ませて握り、手を繋いだカムタが機嫌良く屋内キッチンに向かい、ふたりに続いてブブブンと
バルーンも飛んでゆく。
かくして、雨中の外出が決まった後、少年が干していた洗濯物の具合を見たりしている隙に、ルディオはノートパソコンの
前に座り、頼りになる検索ページへ「子供」「喜ぶ」「遊び」と打ち込んだ。
あのように愛を告げていても、所詮ルディオの理解度と発想では、独力でのスタートはこの辺りからである。
「肉?いいけど…」
大雨の中、作業予定も無いので傘をさして来店した少年とセントバーナードに、テンターフィールドの青年は首を傾げる。
「カムタも何も獲れてないのか?」
「え?オラ「も」って…?」
テシーはカムタの疑問に、「漁師連中殆ど不漁だってさ」と軽く顔を顰めながら答えた。青年もまた滅多に無い不漁に困惑
気味である。
雨季に天候が崩れやすいのはいつもの事で、それでも合間に獲物を確保するのがこの島の漁師。…なのだが、この雨季はど
うにも全員調子が良くないらしい。できたばかりの市場も閑散としていて、出荷もままならない状況だとテシーは語る。
「我らがダディも同じだ」
「親父さんもか!?」
肩を竦めたテシーの発言で、流石に驚くカムタ。
腕利きの船乗りである父親ですら、読み切れないので船を出しても無駄になりかねない、と皆に漁を見合わせるよう忠告し
ているのだと青年は語る。
「荒れるかもしれないって予感が常にあるから、船を出しても長くは沖にいられない。おまけに漁場も不安定ときたもんだ。
こっちも頼みの綱は輸入品だよ。…って訳で、いつもと逆で魚より肉類の在庫が多い。何肉が良い?あ、野菜も色々あるぞ?
ルディオさん、酒何か要る?」
カムタはテシーに欲しい物を告げながら、何だかすっきりしない気分である。目当ての食材が逆に余っているのは有り難い
のだが、島全体が不漁になるほどというのが腑に落ちない。
結局、牛のバラ肉とポークリブ、ジャガイモと根野菜類を分けて貰ったカムタは、
「あ!そうだ、悪いけど診療所にも寄ってくれないか?」
食材を濡れないように包装していたテシーから、頼まれ事をする。
「いつもだと先生が飯を食いに来る頃なんだけど、流石に今日は来るの大変だろう?」
ヤンは運動神経も体力も足腰もアレなので、大雨の中を店まで歩いて来られるのは何だか不安…。そんなテシーの頼みを、
カムタは快く引き受けた。
「先生に届けんだな?良いぞ」
「助かる!じゃあ玉葱オマケするか!」
「やった!」
そうして、食材類と安物のウイスキーを一瓶受け取ったふたりは、家に帰る前にヤンの診療所を尋ねる事になったのだが…。
「ああ、有り難う…。わざわざ済まないな、ふたりとも…」
腫れぼったい瞼の下からみえるヤンの目は、充血して真っ赤だった。
「先生、具合が悪ぃのか?」
ルディオと並んでいると窮屈な玄関で、カムタは医者の不養生というヤツではないかと訝る。
「いや…、昨夜は…その…まあ…あれ…。寝つきが悪くて…ふぁあ…」
理由を少年に説明する訳には行かない興奮の持続によって、すっかりヘトヘトになっている肥満虎医師は、グシグシと目を
擦って生欠伸。
従来の生真面目さが祟って「学習教材」を徹夜で観続けたヤンは、不慣れな興奮で脳が半分死んでいる。いわば視覚的に興
奮映像を見せられながらも「処理」は行なわないという一晩だったため…、有り体に言って十一時間耐久生殺し体験を享受し
たような物である。
「大丈夫か?…ダメそうだな…。飯温めるよ、お邪魔します」
テシーから預かった食事をこの状態のヤンの手で火に掛けさせるのは危ういと感じたカムタは、そのままキッチンへ。
「済まない…」
断る理由も無いヤンは、少年の後ろをフラフラノタノタ追いかける。その後を、ヤンがいつ転んでも支えられる位置で追尾
するルディオ。
少年がフライパンを取り出してハンバーグ等を温め直す間に、ヤンはキッチンの椅子に座り…。
「………くこぉ…」
一分もしない内に項垂れて鼾をかき始めた。
「え?寝た?」
「寝たなぁ」
振り返るカムタと、ヤンの顔を覗きこむルディオ。
「仕方ねぇなぁ…。準備できるまでそのまま寝かしとこうか」
「ん」
そうして少年が食事の温め直しに目を戻すと、頷いたルディオは…。
「…?」
垂れ耳をピクリと震わせ、何かを探るように視線を左右に巡らせた。
微かに異音が聞こえたような気がした。ひとの声に近いように感じる音が。
雨音響く窓を見遣り、寝ているヤンを見遣り、カムタを見遣り、もう一度耳をピクリと震わせる。ルディオ自身の耳では正
確に捉え切るのは無理だったが、ウールブヘジンが宿主の違和感を察知し、感覚の補強を行なう。
間違いなく、何者かの息遣い。
確信したルディオは、音の出所を目指してゆったりと足を踏み出した。
本人が意図しないまま体は既に警戒態勢。大股であるにも関わらず足音は消え、ウールブヘジンの活性化によって瞳が琥珀
色に変じる。
目指したのは廊下。音の出所はヤンの私室。
閉められたドアの前で足を止めたルディオは、
「…?」
常人では感知できないレベルの微細な音波を拾いながら、太い首を不思議そうに傾げた。
息遣いが聞こえる。だが、ノイズがある。この音は…。
(テレビか何か、かなぁ?)
電子機器を通して発された音。ルディオはそう判断し、ウールブヘジンも不活性化して瞳がトルマリンに戻る。
危険は無い。とは思うが、念のために中を確認しようと、セントバーナードはドアノブを掴んだ。
カーテンが締め切られたヤンの私室。テーブルの上で光を放っている、夜通し眺められていたノートパソコン。それが音源
だと突き止めたルディオは、他意も無く画面を確認する。
「………?」
付けっ放しのモニターにはベッドの上で絡み合う男達。首を傾げるセントバーナード。
来客を察して慌てて部屋を出たヤンはしかし、徹夜の観賞で脳が半分死んでいた。音量を下げ切ったつもりでいたが、痛恨
の操作ミスにより、本体スピーカーに耳を近付けると微かに音声が聞こえる。そもそも冷静であれば動画自体を停止するか閉
じるかしていた所である。
ルディオの優れた聴力は、普通ならばノートパソコンに顔を寄せなければ殆ど聞こえないほどの音声をしっかり聞き取って
いた。
「………」
動画が流されているモニターを無言で見つめるルディオは、首を捻りつつ知識を参照。判断結果は、ゲイビデオ(18禁)。
モデルを務めているのは白人男性二名。一方はなかなかハンサムで金のロングヘア。もう一方はがっしりガタイが良い髭面
でスキンヘッドのコワモテだが、二の腕に入れられた弓を構えるキューピッドのタトゥーが可愛らしい。
ルディオはしばらく映像を眺め続けた。巧みなカメラワークで陰茎を咥えてしゃぶる口元がズームされる。湿った音が淫靡
に響く。
その様をじっと観ながら、ぼんやり顔のセントバーナードは呟いた。
「…なるほどなぁ…」
塩胡椒でシンプルに味付けされたポークリブが、脂を滴らせてジュウジュウ音を上げる。炙り焼きに伴って匂いと煙が立ち
込め、屋内調理場から廊下にまで食欲をそそる香りが流れ出た。
牛バラ肉はタマネギと一緒に炒めて甘辛いソースを絡め、ジャガイモとニンジンはスライスして両面から火を通す。
汁物は、ジャガイモとニンジンとタマネギを具にしてポトフ風に味付けした物。
珍しく魚介類が入っていない夕食を作りながら、カムタは額の汗を腕で拭った。雨が降り続いているせいで湿度が高く、火
を使っていると肌にフツフツと汗の玉が浮いてくる。そうでなくともこの少年は、テシーの仕込みによって調理の際に2~3
タスクほど並行させる手法が基本になっているので、調理の際の運動量がそれなりにある。
下拵えから煮物焼き物を同時進行で行なうため、仕上がりは早い。クツクツと煮込まれたポトフ風スープが出来上がるのと
時を同じくし、フライパンで火を通した牛バラ肉とタマネギの炒め物も完成し、ポークリブも焼き上がる。
「アンチャン!できたぞ!」
カムタが廊下に向かって声を上げると、パソコンを弄っていたルディオは垂れ耳をピクリと動かした。
子供が喜ぶ遊びを調べ、検索システムが推して来た遊園地や動物園などの名前をスクロールさせていたセントバーナードの
頭の上で、フレンドビーもまた画面を見ていた。
「…この近くに無いなぁ…」
腰を上げたルディオの呟きに、同意するようにバルーンがブブッと翅を鳴らす。
「「釣り」…はいつもやってるしなぁ。舟遊びも…」
なかなか難しいなと屋内キッチンに向かったルディオは、テーブルに並んだ料理を目にし、ハタハタッと尻尾を揺らした。
「譲って貰ったモンばっかだけど、獲れねぇから仕方ねぇよな?」
肉が多い豪勢な献立について、カムタは微苦笑を浮かべつつそう言い訳した。食料の採取ができなかったのはその通りだが、
そうでなくとも奮発したい気分だったのは確か。
「じゃ、食おう!」
促されて席に着いたルディオは、香ばしく焼き上がったポークリブや、澄んだ色のポトフ風スープ、ホクホクに焼き上がっ
たニンジンとジャガイモのスライス、牛バラ肉とタマネギの甘辛炒めを見回した。
「いただきます」
「いただきます!」
ふたりの声に合わせるように、各種果実を煮込んでジャム状にした夕食を与えられたバルーンも翅をブビビと鳴らした。
ポークリブは鷲掴みにしても手に余るサイズで、骨を掴んでかぶりつく、野趣溢れる食べ方に適した切り分け。テシーは手
間隙かけて拵えた自家製のタレに漬け込んでから焼く調理法を好むが、カムタは肉類に関してはシンプルな味付けの方が好み
である。
ニンジンとジャガイモのスライスは、パン代わりにして牛バラ肉とタマネギの甘辛炒めを乗せて食べるのに丁度良い厚みと
大きさ。こちらもホクホクした食感でありながら、脆くなり過ぎない絶妙な火の通り。
ポトフ風スープは程よい塩味で、ピリリと胡椒がきいている。ホワイトペッパーは島では貴重な調味料なのだが、今夜は惜
しげなく使ってあった。
絶妙な火加減で余分な脂を落として焼き目をつけられたポークリブに、ルディオはガブリと喰らいつく。歯が入ったところ
から旨味が凝縮された肉汁がジュワッと口内に溢れ出た。
カムタは凄いと思う。テシーもそうだが、食材の状態から美味しく食べられる状態に作り変えてしまう。ルディオ個人とし
ては、彼らの技能はどんな生物兵器の殺傷力よりもずっと有用で素晴らしい物と感じられる。
ヤンもそう。どんな深い傷も勝手に治る自分はむしろ特異で、殆どの生き物の傷はそう簡単には癒えず、傷が元で命を落と
す事もあり得る。その傷を、医師は塞いで治してしまう。ルディオ個人としては、癒す行為は傷付けるよりもずっと難しい物
だと感じられる。
(おれは、何ができるかなぁ?)
美味い食事を勢い良く片付けて行きながら、嬉しそうに自分を見ているカムタを見返し、ルディオは考える。ずっと島で生
きていく。ずっとカムタと暮らしていく。ならば、自分も何かできる事を見つけて役割を持たないといけないな、と。パンダ
ナスの実の加工やニワトリの世話だけでは足りない。もっともっとできる事を増やして働かなければ、と。共に暮らすという
のはそういう事のはずだ、と。
(まずは、手伝うだけの漁をひとりでもやれるように、かなぁ?漁具の手入れぐらいは教えられなくてもできるようにならな
いといけないなぁ)
いわゆる「ヒモ」の状況はよろしくない。周囲の目、世間体、などという物もあるらしいので、肉体年齢及び外見年齢が上
である自分がカムタに養われてる状況は、社会通念上褒められる物ではない…と、参照した知識が言っている。
ずっとここで、ずっとカムタと、ずっと暮らしてゆくのだから、普通の人々がしているように自分もしなければならない。
…などと考えながらポークリブに齧り付いているルディオの様子を、自分もモリモリ食べながらカムタは目を細くして見て
いる。
嬉しい。楽しい。喜ばしい。ポジティブな感情でウキウキし、特別な事など何もしていないのに幸福感がある。
好きだという事を伝えて、拒まれる事もなくて、不安が無くなって、今はもう脅える要素一つすらも無く、好きな相手と一
緒に居られる。これからずっと…。
しかし、まずはしなければいけない事もある。島中で言って回る事でも無いだろうが、テシーとヤンには話しておいた方が
良いかもしれない。ハミルにも相談していたので、結果を報告すべきだとも思う。とりあえず今夜できる事は、ベッドを同じ
部屋に移して…。
今までのように一緒で、しかし関係が少し変わったふたりは、これからの生活についてあれこれ考えながら食事を続けて…。
「ちょっと狭くなっちまったかな…」
自分の部屋に運び込まれてくっつけられたベッドを見下ろし、カムタは首を捻る。
ルディオと並んで寝ても落っこちないように…という処置なのだが、おかげで部屋の床がだいぶ埋まってしまった。
「でも、おれの部屋が空くからなぁ。荷物を少しそっちに移せば良いんじゃないかぁ?」
こちらは寝室用と割り切って、縫い物用品などの作業道具類や衣装棚等を全てそちらに移せば不便にはならないはず。そん
なルディオの提言をカムタが受け入れて、宅内引越し作業は続行。ついでに床の掃き掃除などもして部屋を綺麗にしたら…。
「うへぇ~…。汗だくだぁ…!」
埃などがくっついて汚れた頬を手の甲で拭うカムタ。湿度が高い状況下での食後の運動は、腹ごなしを通り越して大量発汗
を誘発させた。
「…アンチャンも汚れたな」
「ん?」
「…プッ…!」
「ん??」
気付いていないルディオだが、体毛の白い箇所に煤汚れのような変色が見られる。眉間の白い部位にも縦に擦れた筋がつい
ており、そのせいで眉間に皺を寄せた困り顔にも見え、カムタの笑いを誘った。
なお、床掃除と荷物移動にも関わらず煤汚れがついているのは、掃除の手伝いを買って出たバルーンが、背面飛行でホバリ
ングしつつ天井を雑巾がけしているせい。照明周りは特に念入りに掃除されているため、カムタの手が届かない位置に溜まっ
た煤が落ちてきていた。
「風呂行こう。今日はもう出来る事ねぇし、これで終わりだ」
部屋を換気してすっきりしたいが、この雨では窓を開けて風を入れる事もできない。今夜の作業はここまでにし、水風呂で
体の汚れを落とす事にしたカムタは、はにかんだ笑みを浮かべながらルディオの手を取った。セントバーナードも目を細め、
手を引く少年についてゆく。その頭上を、雑巾を抱えたお掃除蜂が飛び越えて行った。
風呂桶から水が溢れる。
雨が降り続いているので水には困らない。浴槽に身を沈めたカムタとルディオは、波に流されて遊ぶバルーンを見遣りなが
ら、それぞれ水を手で掬って顔を漱いだ。
「えへへ…!」
浴槽の中で、少年の手がセントバーナードの大きな手を握る。ルディオが目を向けると、カムタは照れ臭そうに視線を逃が
して顔を俯けた。その、下向きにした目に映ったのは…。
「あれ?」
気付いたカムタが困ったように眉尻を下げた。プックリ丸く出た腹の下、股間でそそり立つのは皮を被った陰茎。
「また硬くなっちまった…」
「ん?」
覗きこんだルディオは、水面下のソレを見ながらしばし考え…。
(あ。そうだ)
思い出した。ヤンの部屋で目にした動画の事を。
「なぁ、カムタ」
「うん?」
少年が顔を向けるや否や、セントバーナードは体をずらしながらカムタの両腋に手を入れた。水中の浮力も手伝い、軽々と
尻を浮かされた少年は、ルディオと向き合う格好で正対させられ…。
「あ、抱っこか?」
胡座をかいている巨漢に、向き合って抱っこされる格好に落ち着くと、カムタは照れ臭そうに笑った。両脚は広げてルディ
オの太い胴の左右に投げ出され、硬くなった陰茎は張りのある腹に押し付けられている。
体をぺったりくっつけあい、ギュッと抱き締められて、カムタは小さく息を吐く。少し苦しいほどの力のかけ具合が心地良
い。鎖骨から肩にかけて顎を乗せる格好のカムタは、天井を映す目を閉じ、体の感覚でルディオを感じ取る。
心音が伝わって来る。体温が伝わって来る。呼吸が伝わって来る。生きている。安心する。命のリズム…。
「カムタ」
「ん?」
呼ばれて顔を離したカムタは、
「ん…!」
目を丸くして息を止めた。
口に押し付けられたのは、ルディオの口。唇を割って入ってくるのは、ルディオの舌。
拒むも受け入れるも無かった。何だコレ?と行為と感触に面食らっている間に、重ねた唇から侵入を許していた。
「は…、はふ…!ん…」
ルディオが顔を捻り、かぶりつくように深く口付けしながら、舌をより奥へと送り込んできて、カムタは口の僅かな隙間と
鼻から熱い息を漏らす。
顔が赤くなる。肌が火照る。口内をまさぐる舌の感触が、こそばゆくも心地良い。
どうしていいか判らないまま、絡んできた舌に応じて、自らも舌を突き出す。
身震いする。鳥肌が立つ。快感で背筋がゾクゾクする。下っ腹の奥がツクツクする。顔がカーッと熱を持つ。うなじがソワ
ソワこそばゆい。何から何まで初めての感覚、初めての体験…。
「…っぷは!」
長い愛撫の後にルディオが口を離すと、息を荒らげたカムタは…。
「アンチャン…」
「ん」
「もう一回…」
潤んだ目で催促し、ルディオはこれに応えて再び口付けする。
口内を舌でまさぐると、カムタは時折ピクンと肥えた体を震わせる。しがみつく腕に力を込める。
ああ、喜んでくれている。ルディオは自分の行為で少年が喜ぶ事に、かつてない充足感を味わった。
貴方の幸せは何?
かつて、ルディオ自身は影響を受けなかった、ある危険生物の問いの事を思い出す。
今はあの能力を跳ね除ける事ができないかもしれない。「カムタの幸福こそが幸せ」と認識する以外に、自分自身の幸福も
知ってしまったから。
お互いの体の間で、体温が移った水が動く。心地良いはずの水の温度を冷たいと感じるのは、きっとお互いの体が熱くなっ
ているせい。
呻くように、そして甘えるように、鼻の奥を鳴らすカムタ。その身じろぎ一つ、息遣い一つまでもが愛おしい。
二度目のディープキスを終えると、ルディオは少し視線を上に向けた。疑問を感じる犬の顔で。
グリグリと腹に押し付けられるモノの、硬い感触が増していた。
「カムタ。ちょっと」
ルディオは少年の両腋に再び手を入れて持ち上げる。ただし今度は湯船の中ではなく、水面の上まで。100キロ超のカム
タを浮力の無い空気中でも軽々と持ち上げて、風呂の縁に座らせる。
「アンチャン?」
並んで座るのかと考えたカムタだったが、ルディオは立ち上がらず水に浸かったまま。何をするのかと怪訝な顔をしている
と、ルディオは浴槽の縁に座らせたカムタの股間を、勃起している肉棒を、じっと見つめた。
元々は見られてもあまり気にしない性質だが、そうまじまじと近くから見られた経験は無い。「恥かしいよアンチャン…」
と顔を赤らめるカムタ。ルディオはそんなカムタの、まだ陰毛になっていない、産毛しか生えていない股間に顔を近付ける。
そして…。
…カプッ…。
「あ!」
カムタの声が跳ねた。ルディオの口に陰茎を咥えられて。
「あ、アンチャン!?そこバッチィ!あっ!」
反射的にルディオの頭に手を当てて離そうとしたカムタだったが、腰を抱えるように太い腕が回っていて、遠ざける事もで
きない。
「あっ!?」
カムタは声を漏らして身を震わせた。
こそばゆい。あたたかい。ぬめりのある粘膜の感触が秘部を包み込む。
経験した事もない刺激で身震いするカムタ。陰茎に絡みついてきているのが肉厚な舌だと、すぐには判らなかった。
陰茎の上、ぷっくり盛り上がった股間の肉と、段差がある腹肉を、ルディオの熱い鼻息がくすぐる。舌が別の生き物のよう
に動いて、未熟な陰茎を刺激する。
甲高い声を漏らして身震いするカムタ。陰茎がヂュウと強く吸われた。脈打つ陰茎がむず痒く、それでいて心地良く…。
「は…、はんっ!んっく!ん…!」
腹の奥のそのまた奥から、睾丸や陰茎の方へ何かがジンジンと通っているような快感と、繰り返し背筋を駆け上がって来る
寒気にも似た快楽で喘ぐカムタは、背中を丸めて前屈みになり、ルディオの逞しい肩に手をつく。
「アン…チャ…!…アンチャン…!何か、何かオラ、もう、無理…!」
何が無理なのか判らない。ただ、限界が近い、我慢ができない、という感覚だけはあって焦りを覚えたカムタだったが、ル
ディオは腰を離さない。
「あ…、あっ………!あああああ!」
ギュッと、カムタの全身に力が篭った。硬く目を瞑り、息を止め、歯を食い縛る。身震いする体を貫くように、股の間から
頭まで快感の波が駆け抜ける。
ドプッ、ドプッ、と口内に注ぎ込まれた若い精液を、ルディオは喉を二度鳴らして飲み下す。
フゥフゥと息をつくカムタの脈打つソレを咥え込んだまま、ゆっくり、優しく、舐めて綺麗にする。
「ア…、アンチャン…」
乱れた息で胸を上下させながら、カムタは目を開けてルディオの頭を見た。顎先から伝い落ちた汗が、そこへタツタツと染
みている。
「今のヤツ…、オラにもやり方、教えてくれねぇか…?」
快楽の余韻の中、それを噛み締める事よりも、同じ事をしてやれるようになりたいという気持ちが勝った少年に、唾液と精
液に塗れた陰茎から口を離したセントバーナードは…。
(「やり方」…。って、言われてもなぁ…)
困った。普通に。
実は、本当に刺激を加えるピストン運動など以前の、前戯の段階でカムタは射精に至っている。不慣れというのを抜きにし
ても、非常に敏感で刺激に弱いらしい。
同じ事をしても自分は射精しないと思う…などと言えるはずもない。とはいえ、普通に遣り方を教えて、自分は本番以前で
イったのだと知ったらカムタがへこむかもしれない。そして全く教えなくても訝るのは目に見えている。
早漏という事実を突きつけずに、角が立たないように教えるにはどうすれば良いか?0.5秒ほどの思考の後、ルディオは
口を開いた。
「カムタの体がもう少し大人に近付いたらなぁ。まだ口とか小さいからなぁ」
自分のモノを咥えるには口腔の成長が不十分。そんな取ってつけた苦し紛れの理由で…、
「そっか…。判った…」
少年は残念がりながらも一応納得した。
雨が弱まる。夜が明ける。ベッドの上には二つの影。
小雨になった明方の、薄い雲が明るくなる。
「…朝だ…。おはようアンチャン…」
目を開けた少年の顔を、セントバーナードがベロベロと舐める。
くすぐったがって、声を上げて笑ったカムタに、
「おはよう、カムタ」
ルディオは目を細めて挨拶を返す。
薄雲の切れ間から日が一条。
煌く海には細波の群れ。
長雨がやっと上がった朝。きっとこれからもずっとこんな朝が続くのだと信じて疑わず、ふたりはしっかりと抱き合って、
一日を開始した。