てっぺんの眺め(前編)

五月後半。広く若い緑に染まる、木々に囲まれた見事な景観の山脈。

山肌を抉るようにして曲がりくねって続く舗装された片側一車線の道を、二台の大型バイクが競い合うようにして疾走して

いた。

バイクを駆るのは、どちらも大柄なライダー。

跨った大型バイクにも見劣りしない立派な体格の二人は、エンジン音を山間に轟かせ、対向車も、同方向へ向かう車もない

山道を、快適…、というにはいささか過ぎたスピードで駆け抜ける。

前を行くのは煌く銀とシートやガードの黒の対比が鮮やかなハーレー。跨るのは筋骨隆々たる白い虎。

鍛え抜かれた体を彩る黒い縞と同色の、やや色がくすんだ黒いレザーのライダースーツ上下を身につけ、耳の出る獣人用の

ハーフメットを被り、サングラスをつけている。

ハーレーの後部には、2メートルはある長い布包みが、巨漢の背に負われるようにして斜めに立てられ、固定されていた。

後ろに続くはワルキューレ。各所に取り付けられた曲面装甲でややボリュームアップし、流線形に仕上がったマシンを駆る

のは、虎よりもさらにボリュームのある体格をした白熊。

頑丈そうなブーツと特注サイズの濃紺のジーンズ、マシンと同色の厚手のジャケットを身に付け、その胸元を大きく開けて

いる。

露出している首元の白い被毛と、同じく白いティーシャツが、風圧で激しくはためいていた。

白虎と同じく獣人用ハーフメットを被り、銀縁のゴツいゴーグルをつけている。

そのバイクの後部には、大型のジュラルミン製トランクが横に寝かせてしっかりと固定されている。

前を行くダウドは、ミラーに映る後続を見つめ、サングラス奥の金色の目を細める。

(ふん…。きちんとついて来やがる…。重みでカーブの度に膨らむが、直線じゃ詰めて来るな…。さすがはウチの技術班お手

製カスタムバイクだ。アルの図体を苦もなく運ぶか…)

白虎を追うアルは、距離が狭まらない背を見据え、少し悔しそうに口をへの字にする。

(マシンスペックじゃこっちが上なはずなのに…、テクで負けてるっス…!くやしーっスねこれ…!)

奥羽山中を疾走する二人は、目的地に向かいながらも勝負の真っ最中であった。

勝負に負けた方は、帰りの道中での食事代とガソリン代を出す事になっている。

(俺の奢りとなったらどれだけ食われるか…。アルに食わせる飯代がありゃ、上等な店に飲みに行けるからな…)

(負けられないっス!最近のガソリン代、馬鹿になんないっスから…!)

国内最大、最強の調停者チームに所属する身としては、かなりせこいレベルの支出を巡り、二人は鎬を削っていた。



「がはははは!俺の勝ちだな!」

山間に民家が密集している集落の入り口でバイクを停め、ゴーグルを外したダウドは、勝ち誇った笑みを浮かべる。

「むぐぅ〜っ…!」

やや遅れてバイクを停めたアルは、悔しげに歯噛みする。

「ま、俺に勝ちたいならまず無駄肉を削ぎ落とす事だな。その体重じゃタイヤの減りも半端じゃないだろ」

快勝して気をよくしたのか、上機嫌でアルをからかうダウド。

その得意げな笑顔と笑い声は少々大人気ないものの、それなりに魅力的でもある。

ひとしきりアルをからかって満足すると、ダウドは「…さてと」と呟いて笑みを収め、金色の瞳で傍らの石碑を見遣る。

そこには、河祖下村(かそしもむら)と、村名が彫り込まれていた。

「ユウヒに会うのも、かなり久々だな…」

「オレは三ヶ月ちょっとぐらいっスね」

二人はバイクをゆっくりと走らせ、集落の中へと進んで行った。



「うはっ!やばス!無茶苦茶かぁいい〜っス!」

細身の小柄な雌熊から赤ん坊を受け取り、太い両腕でしっかりと抱いたアルは、満面の笑みを浮かべる。

「ふふふ…、有り難うございます」

産後の消耗もあるのか、以前にも増して線が細くなっているチナツは、嬉しそうに微笑んだ。

もうじき生後三ヶ月になる仔熊は、まだ色の淡い被毛に覆われている。

しかし、その身を覆う赤味の強い茶色い毛は、父親譲りだと一目で判断できた。

おむつだけ身に付けているコロコロと太ったかなり大きな赤ん坊は、普通の赤子と比べて成長が早いのか、その瞳には見慣

れぬ客人達を見て訝っているような光が浮かんでいた。

そして仔熊は今も、自分を抱く白熊の薄赤い瞳を、不思議な物でも見るようにつぶらな目でキョトンと見つめている。

「うっは〜!毛も柔らかくってポワポワっスぅ〜!」

「こらこらアル、興奮して落っことすなよ?」

上機嫌で仔熊に頬ずりしているアルに、苦笑いしながら注意を促すと、ダウドは自分の正面に座っている、極めて大柄な赤

銅色の熊に視線を向けた。

「がははは!間違いなく親父似だな!名前は何て付けたんだ?」

正装である羽織袴を身につけた威風堂々たる小山のような巨躯の熊は、少々照れ臭そうに、口の端を笑みの形に吊り上げる。

「理を示す羆…。それで羆示理という名になった」

巨熊は照れているように、だが確かに誇らしげに、低い声でそう応じた。

「神代羆示理(くましろひじり)か。親父から良い名前を貰えて、良かったなぁ坊主」

「…いや、実は名付けたのは俺では…。家内に考えて貰ったものでな…」

意外そうな顔で夫婦を交互に見遣るダウドに、ユウヒは眉根を寄せ、困ったような顔をする。

「貴兄も知っての通り、俺は文才に恵まれておらぬ。やはりというか、ねえみんぐせんすも無いようでな…。考えていた名を

屋敷の皆に告げてみたところ、シバユキを除く全員に猛反対されてしまった…」

「ほう?どんな名前を考えていた?」

「…羆路兵衛…」

ぼそりと囁かれたユウヒの返答を聞いたダウドは、しばらく黙り込んだ後、

「…くましろひろべぇ…か…。今時分のガキの名じゃあないぞ…?…危なかったなぁ坊主…。お袋さんから良い名前を貰えて、

本当に良かったなぁ…」

そう、しみじみと呟きつつ腕を伸ばし、アルが抱いている仔熊の頭を軽く撫でた。

色々と立て込んだせいで遅れてしまったが、二人の来訪の目的は、神代家長男の出生祝いである。

他にも用事はあるものの、ダウドはまず、やがては神代の跡取りとなるだろう子の誕生を心から喜んだ。

「ネネも来られれば良かったんだが、まだ少々立て込んでいてな。…済まん…」

「いやいやとんでもない。多忙な中わざわざ足を運ばせてしまい、こちらこそ申し訳ない…」

軽く頭を下げたダウドに、ユウヒは首を横に振って応じる。

障子も襖も開け放たれ、春の穏やかな風がゆるりと通り抜ける三十畳の広間には、当主のユウヒとその妻チナツ、そして客

であるダウドとアルの二人組と、ヒジリと名付けられた赤子の姿だけがある。

が、実際には天井裏や縁の下、手入れの行き届いた見事な庭園のそこかしこに、当主とその妻、そして要人警護の為、屋敷

の者が身を隠している。

もっとも、警護ついでに興味深く会話に耳をそばだてていたりもするのではあるが…。

「どれ…、アル。ちょっと俺にも抱かせろ」

手触りの良い赤子の頬を太い指でプニプニつついていたアルは、ダウドに催促されると、名残惜しそうにヒジリを手渡した。

白虎は破顔しながら、受け取った赤子を軽くゆする。

「お、結構重いな…。手足も太くてデカい。こりゃあ父親に似た立派な大熊になるだろうなぁ。がはははは!」

機嫌良く笑い声を上げたダウドの腕の中で、その声に驚いたのか、ヒジリはビクッと身を震わせた。そして…、

しょぉ〜…

「ん?」

腕を伝い、肘から滴り、ズボンを濡らすその液体を、ダウドは目を細めて見つめる。

『…あ…』

それに気付いたアルが、チナツが、目を点にして同時に声を漏らした。

「な…、なんじゃこりゃあああああああっ!?」

抱いた仔熊が、おむつのキャパシティを超える盛大なお漏らしをしてしまった事に気付き、ダウドは悲鳴に近い叫びを上げ、

同時にヒジリは火が付いたように泣き出した。

何事か?と、床下に、天井に潜んでいた黒ずくめの犬や猫、狐やイタチが、床板と畳を押し上げ、あるいは天井板を外して

逆さまに顔を出す。

庭園の植木や岩の陰からは牛や鹿が飛び出し、鯉の泳ぐ池の中に潜んでいた蜥蜴が、竹製のシュノーケルを咥えたままザバッ

と姿を現す。

「何事でございますか?」

ユウヒの脇で畳を押し上げて床下から顔を覗かせた、黒装束姿のシバユキが、大騒ぎしているダウドとチナツを目にし、困

惑したように主に尋ねた。

「…シバユキ…。済まぬが、早急にダウド殿のお召し物の支度を頼む…。それと、風呂に案内を…」

固い表情で呟いたユウヒに、

「心得ました…」

事態を察したシバユキは、顎を引いてコクリと頷き、素早く床下へと消えた。



「真に…申し訳ない…!」

渡されたタオルで、顔を顰めながらもとりあえず体をぬぐっているダウドに、ユウヒは両手を畳について土下座していた。

「顔を上げてくれ。…いや…、悪かったのは俺だ。脅かしたんだろうし…、頼むからそう気にしなさんな」

居心地悪そうに苦笑いを浮かべるダウドの顔は、やや引き攣っている。

天下のブルーティッシュの頭に悲鳴を上げさせ、神代家の当主に土下座までさせるというこの珍事を引き起こした当の本人、

ヒジリは、すでにチナツに抱えられて退室している。

ある意味、大金星と呼べる戦果ではあった。

「ま、赤ん坊の小便だ、何ガロン浴びた所で害は…」

「ぶふーっ…!くっ!ぷくふふふふっ…!」

「…何笑ってやがる?アル…」

ダウドは必死に笑いを噛み殺している白熊をジロリと睨む。

「失礼致します」

黒ずくめのままのシバユキが恭しく廊下に跪き、風呂と着替えの支度が出来た事を告げると、ユウヒはようやく顔を上げた。

「申し訳ない…」

「だからもう謝らんでくれ。赤ん坊のした事でそこまで詫びられちゃあ、こっちが落ち着かん」

苦笑いを浮かべながら立ち上がったダウドは、腕を上げてクンクンと匂いを嗅ぎ、僅かに顔を顰めながら、シバユキの案内

で浴場へと向かった。

広間にユウヒと二人きりになると、アルは堪えきれずに吹き出す。

「ぷくふっ!うひひひひっ!リーダーがあんな声上げるの、初めて聞いたっス…!」

腕組みしたユウヒは、腹を抱えて笑っているアルと向き合い、困ったような顔で「ぬう…」と唸る。

それから表情を少しだけ和らげると、白熊の薄赤い瞳を見つめた。

「久しいとは言っても、東護以来か…。居ついておる場所から言えば、早い再会と言えるかもしれぬが…、息災そうで何より

だ、アル君」

「うス!…へへへっ!本当はオレまでついて来れるはずじゃ無かったんスけど、頼み込んだら、リーダーが結構あっさりオー

ケーしてくれたんスよ。きっと、東護でのお礼言いたいって事、察してくれたんスね!」

耳を倒してピクピクさせているアルの、嬉しそうな笑顔を目にし、ユウヒは目を細めて口の端を僅かに上げる。

再会を喜んでいるのはアルばかりではない。ユウヒもまた、若き白熊の顔を見る事ができて嬉しかった。

見たところ、病み上がりの復帰直後と比べて体も少し引き締まり、若干ながら雰囲気が変わっている。

(士、別れて三日なれば…とは言うが、正しく…。この短期間にも鍛錬を欠かさず、励んで来た事が窺える…)

ユウヒはアルの様子を改めて窺いながら、かつて妹が口にしていた評価について思い出す。

努力の天才。

苦を苦とも思わず絶えず精進し、己を磨き上げる事に才を発揮する若き白熊の事を、金色の雌熊はそう評価していた。

(贔屓目に見て、肉体的にも恵まれ、戦技研磨という観点から述べれば環境面でも申し分ない逸材…。土壌は整っており、本

人の努力次第ではあったのであろうが…。なるほど、あの不破殿から一本奪うだけの事はある…。まるで朝顔のような育ち様

よな…)

「何スか?じっと見て…。何かついてるっス?」

訝しげな顔をしながら口元を手で擦るアルに、ユウヒは相好を崩して笑う。

「はっはっはっはっ!いや失礼した!気を悪くしないで欲しい。僅かに見ぬ間に一層逞しくなった物だと、改めて感心しておっ

たのだよ」

「逞しく…っスか?」

首を傾げたアルに、ユウヒは笑いかける。

「うむ。春先にも増して逞しくなった。「覚醒」だけが原因ではあるまい。君の重ねた精進がどれ程の物か、尋ねるまでも無

く察せられる」

誉められ慣れていないアルは、ユウヒの本心からの賞賛に、モジモジと体を揺すりながら照れ笑いした。

再会を喜び、しばし笑みを浮かべていたユウヒだが、やがて表情を改めて口を開いた。

「時に…、此度の来訪、ダウド殿の様子を覗うに、ただ祝いに来てくれただけ、という訳でもあるまい。他にも用件があるの

だろう?アル君」

「あ…、実はそうなんスけど…」

本題に入るように切り出されたアルは、居住まいを正して正座すると、ちらりと天井に視線を向ける。

アルのそんな身振りだけで察しがついたユウヒは、分厚い手をパンパンと叩いた。

「皆、もう良い。外してくれ」

『は』

複数人のくぐもった返事に次いで、微かに何かが動く気配がし、アルはまた周囲を見回す。

「人払いは済んだ。内密の件、という事かな?」

ややあって口を開いたユウヒに、アルはペコッと頭を下げる。

「なるべくなら、聞かせたくない話だったんス…。たぶんリーダーもユウヒさんと二人になってから切り出すつもりだったと

思うんスけど…、オレからも簡単に話しとくっス…」

アルはそう前置きすると、最近本州南端で発生した、カルマトライブの偽物による詐欺騒動について、簡単に報告を始めた。

「…で、模倣犯が出てるんス…。ウチの管轄じゃまだ出て無いんスけど…」

「そうか…」

アルの説明を聞いたユウヒは、顔にも、声にも、特に感情を出さずに、静かに頷いた。だが…、

(…こ…、こえぇっス…!)

背中にびっしょり嫌な汗をかいたアルは、ゴクリと唾を飲み込む。

膝の上に置いた手がじっとりと汗ばみ、首周りの毛がぞわっと逆立つ。

部屋の空気が報告している最中に変質した事を、白熊は肌で感じていた。

静かに座した目の前の巨熊、その全身から漏れ出る静かな怒気が、アルの被毛や肌をチリチリと刺激する。

「…重ね重ね…、申し訳ない…」

アルの報告が終わると、ユウヒは静かに口を開き、深々と頭を下げた。

「ただでさえ、不破殿とユウトの捜索を続けて貰っている上に、二人の名を騙る者のせいで余計な手間まで…」

兄として、親代わりとして、妹の成長を見守って来たユウヒである。

外から窺える態度こそ厳しくそっけない物だが、ユウトを案ずる気持ちは強い。

しかし、私情を優先して行方不明となっているユウト達を探して回る事は、この地を守護する神代家の当主としては、どう

してもできない。

ただでさえ昨年末から一ヶ月以上も東護に滞在した以上、間を置かずに続けて山を降りる事は避けなければならなかった。

そんなユウヒにとって、警視庁の捜索が打ち切られた後も二人の捜索を続けてくれると申し出てくれたブルーティッシュは、

どれほど感謝しても足りない恩人である。

彼らが探索を継続してくれているその最中、今度は妹達の名を語る偽物が現れたというのだから、ユウヒも胸中穏やかでは

居られない。

妹とその相棒の名が、ブルーティッシュら調停者に迷惑をかける。

その事に対して、ダウド達に申し訳ないと思いつつ、動く事もままならない自分に激しい憤りを覚えている。

責務と私情の間で、ユウヒは己の心を殺し、努めて冷静であろうと心掛ける。

だが、今はそれが上手くいっていない事が、向き合っているアルにははっきりと判った。

(本当は、心配で心配で堪らないんスよね…。周りが心配しないように、動揺しないように、気持ちを必死に抑えて、どしっ

と構えて気を張って…。頭が下がるっス…)

「大丈夫っスよ」

アルは努めて明るい声を出し、頭を下げ続けるユウヒに笑いかけた。

「ユウトさんも、タケシさんも、何か事情があって出て来れないだけで、きっと今も、何処かで元気にしてるっス!案外、今

回の偽物騒動が耳に入ったら、黙ってられなくなって、ひょこっと姿を現すかもしれないっス!」

顔を上げたユウヒは、笑みを浮かべるアルに、微かな…、ほんの微かな笑みを返した。



歓待と礼、ついでに詫びの意味を込め、豪勢な夕食で持て成されたダウドとアルは、月明かりに照らされる中庭に面した客

間をあてがわれた。

「河祖下は、今回で二度目になるのか?」

「うス。去年の夏、ユウトさん達にアケミと一緒に連れて来て貰ったっスから」

窓を大きく開け放ち、窓縁に腰掛けてタバコをふかしながら尋ねたダウドに、アルはあてがわれた浴衣を着込みながら頷く。

胸元を大きく開け、着崩して身に付けた浴衣がやけに似合う白虎は、タバコの煙を夜気に吐き出しながらアルに訊ねた。

「じゃあ風呂は知ってるな?」

「うス。凄かったっス…。ちょっとビビッたっスねぇ」

「だろう?おまけに天然の温泉だからなぁ。この河祖下に村を拓いた当時の神代の当主…、熊禅(ゆうぜん)って言ったか?

確か…。まぁ、そのご先祖さんは、温泉が湧いている事に目をつけてこの地を選んだそうだ」

「へぇ…。ところで、神代のひとってみんな「ゆう」って付くんスか?ユウトさんもユウヒさんもそうだったし」

「いや、熊か羆かどっちかの字がつくらしい。ユウヒの親父…つまり先代当主は、熊に鬼でユウキって名前だったな」

「会った事あるんスか?」

「俺が初めて神崎家に行った時…、もう25年以上前だが、一回だけな」

アルが興味深そうに視線を向けたが、ダウドは急に口をつぐむと、やおら口の端をつり上げ、いささかわざとらしく話題を

変えた。

「それにしてもお前…」

ダウドは浴衣を着終えたアルの姿を、足の先から頭のてっぺんまでじっくりと眺める。

恰幅が良いアルは、浴衣を身につけると…、

「がははっ!浴衣着ると何だか相撲取りみてぇだな?」

「え?ええ!?そ、そうスかね…?」

ダウドに苦笑いしながら言われ、改めて自分の格好を確認する白熊。

(アルもでかくなったもんだ。最初に見た時は…、そう、丁度今のヒジリと同じくらいだったか…)

白虎は目を細め、アルと初めて会った日の事を思い出した。

生まれて間もない、薄赤い瞳の白熊の赤子。

親友とそっくりなその仔熊を抱いてあやした、18年近く前の記憶が、白虎の脳裏に蘇る。

(…考えてみれば、初めてこいつを抱いた時も小便漏らされたよな…?)

振り返った記憶がそこに行き着くと、ダウドは頬をヒクッと引き攣らせた。

(…俺…もしかして子供ウケしない顔…、なのか…?アリスはそんな事無かったんだが、ありゃあ人間の男が嫌いだったから、

そもそも例外か?)

唸り声を漏らしながら真剣な表情で悩み始めたリーダーを、アルは不思議そうに首を捻って眺める。

「失礼致します。宜しいでしょうか?」

襖の向こうから聞こえた声に、ダウドは表情を改める。

「ああ。入ってくれ」

ダウドの返答を待って開けられた襖の向こうには、廊下に正座するシバユキの姿があった。

「お風呂がまだのご様子でしたので、ご案内にあがりました。いつでもご使用できるようにしてありますが、如何なさいましょ

うか?」

ダウドはタバコを挟んだ指を持ち上げ、

「先に行けアル。俺は一服が終わってから行く。ああ、俺の方は案内不要だぞシバユキ?」

「かしこまりました」

「うス。じゃあお先に…」

丁度良く入浴用具を荷物から引っ張り出していたアルは、タオルやシャンプーを小脇に抱えて部屋を出る。

部屋に残るダウドに恭しく一礼し、襖を閉めると、シバユキはアルを先導し、大浴場へと向かった。



「相変わらず凄いっスねぇ…!」

見事な造形の露天風呂を前に、タオルで前をキッチリ隠したアルが嘆息する。

既に五月に入ったにも関わらず、奥羽山中、河祖下の夜はまだ冷える。

しかし、天然の温泉を利用した露天風呂の周囲は、心地良い熱気で暖まっていた。

岩で囲まれた湯船にいそいそと歩み寄り、桶に湯を汲もうとしたその時、カララッと木戸が開く音が聞こえ、アルは耳をピ

クッと動かした。

脱衣場から出てくる気配をダウドの物だと思い、手を止めて振り返ったアルは、漂う蒸気の中に赤銅色の巨体を認め、固まっ

た。

「ゆ、ユウヒさん!?」

驚いて立ち上がったアルは、股間からはらりとタオルが落ちかけ、慌てて手で押さえる。

後ろ手に木戸を閉めたユウヒもまた、先客に気付いて素早く前を隠した。

「し、失礼した…!」

巨熊はいやに体を縮めてくるりと背を向け、慌てた様子で木戸を開け、

「お?あんたも今からだったか?」

丁度脱衣場に入って来た白虎とバッタリ顔を合わせる。

「あ、いや…、それが…、先客がだな…」

ダウドはしっかり前を隠しているユウヒの顔を見つめ、斜めに背伸びして赤銅色の巨体越しに浴場を眺め、アルの姿を認め

ると、

「がははははは!気にしなさんな!」

声を上げて可笑しそうに笑い、帯を解いて浴衣を脱ぐ。

鍛え抜かれた見事な体があらわになり、ボクサーパンツ一丁になると、

「せっかくだ、背中でも流そうか?」

ダウドは突っ立ったままのユウヒにニヤリと笑いかけた。

二度断ろうとしたが、なおもしつこくダウドに促され、しぶしぶ入浴を決めたユウヒは、腰に回りきらない手ぬぐいを手で

押さえ、きっちり前を隠しながら浴場に向き直る。

「では、失礼して…」

言いかけたユウヒの後ろで白虎が素早く動いたのを、所在なく立ち尽くしていたアルは湯煙越しに見た。

神速。そう言って差し支えない速度で、ダウドの手はユウヒの腰の横で、手ぬぐいの端を掴み、シュパッと引く。

さしものユウヒも完全に不意を突かれたのか、事態を悟って対処するまでに間が開いた。

「ぬおっ!?」

二人から少し離れた位置、湯気で湿った石床の上に、はらりと手ぬぐいが落ちる。

「…意外っス…」

両手で股間を覆い、前屈みになって体を縮めているユウヒを眺め、アルは目を丸くして呟いた。

「だ…、ダウド殿!?」

前を押さえたまま首を巡らせ、焦った様子で抗議するユウヒ。

反対に、さも可笑しそうに声を上げて笑うダウド。

「がははは!隠すな隠すな!ほれアル。お前もだよ」

「え?い、いやオレはちょっと…」

慌てて首を横に振り、後退したアルに、ボクサーパンツを脱ぎながら、白虎は意地の悪い笑みを向けた。

「嫌なら、力ずくだ…!」

「え…?え…?」

すっぽんぽんになったダウドは、未だに股間を押さえて固まっているユウヒの脇を抜け、胸の高さに上げた両手をわきわき

と握ったり開いたりしながら、じりじりとアルに迫る。

「さぁ、お前も武装解除しろ…!」

「あ!だ、ダメっス!やめっ!やめっ…て…って…!あ、ちょっ!ギャース!!!」

冴え冴えと星が瞬く澄んだ夜空の下、神代家の露天風呂から上がった白熊の悲鳴が、河祖下村中に響き渡った。

「うぅっ…!な、何の罰ゲームっスかこれ…」

無理矢理タオルを奪われ、涙目になって股間を押さえているアルとは対称的に、これ見よがしに股間を晒しながらダウドが

豪快に笑う。

「どうだ?似たり寄ったりだろ?お互いに恥ずかしがる事もないだろうに」

ユウヒは目を丸くしていたが、やがてゴホンと咳払いをし、体を起こして股間から手を退けた。

アルも諦めたように手を除け、頑なにガードしていた部位を晒す。

(極太ドリル…っス…)

(どんぐり…のような…)

互いの股間をまじまじと見つめ、アルとユウヒは心の中で呟いた。

「…ちょっと意外だったスけど…、親近感湧いたっス」

恥ずかしそうに半笑いを浮かべたアルに、

「まぁ、熊族は概ね…、な…」

ユウヒはやや決まり悪そうに、微かな苦笑いで応じた。

「気にする事もないと思うがなぁ。そういうのが好みって女も居るだろう」

ダウドはそう言いながら、桶で湯をすくい、ザボッと肩にかける。

アルとユウヒは白虎の股間に視線を向け、

「リーダーが言っても慰めにならないっス…」

「…うむ…」

そこにぶら下がるダウド自慢の逸物から目を逸らし、揃ってため息を吐き出した。

そして二人は、さらけ出された互いの股間に再び目を遣る。

(ホント意外っス…。確かに小さいっスけど、オレよりはデカいっスね…。ってか太っ!短くて太っ!)

(…確かに、隠したがるのも頷ける小振りさと皮余りだが、未だ成長期…、もう少しは…)

しばし無言のまま互いの股間を見つめた後、二人は顔を上げ、視線を合わせた。

「東護に居た頃は…、し、知らなかったっスから…、一緒になんないようにしてたんスけど…」

「あ、いや…。実のところ俺も…、入浴がかぶらぬよう気を配っておった…」

「あ…。背中流すっスよ?」

「いや、アル君から先に…」

「いや良いっスから!ユウヒさん先に…」

「む…。では、済まぬが…」

譲り合いの後、アルとユウヒは連れ立って、天然の大岩を穿って設置されたシャワーへと向かう。

軽く体を流したダウドは、湯船に足を入れながらそんな二人を見遣り、口の端をクイッと上げ、微かな笑みを浮かべた。