次代を担う者達へ(前編)
「約束しとった時間にゃあ、ちと早いんじゃあなかと?」
ジープの運転席でハンドルを握っている中年の白い熊が、助手席に座るアラスカンマラミュートを横目で見遣る。
「キヌタ坊ちゃんは常に15分前行動を心掛けておられやすからね、ちょいと早い程度が丁度良いんでさぁ。…30分前には
支度が済んでる事もありやすんで…」
応じたマラミュートは、スライド式の携帯を取り出し、モニターを覗き込む。
マラミュートの名は毬跳紫苑。
国内有数の大財閥にSP兼技術顧問として雇われている、元調停者。
白い熊の方はドッカー。こちらは現役の調停者で、この東護に調停事務所を構え、小規模チームのリーダーを務めている。
なお、ドッカーというのは本名ではなく愛称だが、この呼ばれ方は本人も気に入っているらしい。
二人は共に、かつては首都で名の知れた同じチームに所属していた調停者である。
「キンジっちゅうあの若いのが、前に話しとったもんかの?」
頷いたシオンは、微苦笑を浮べながら口を開いた。
「何かと面倒やらかす問題児でやすが、キヌタ坊ちゃん個人に対しての忠誠心はあつ…あぁいや、忠誠心じゃあねぇなありゃ
あ…、まぁ、とにかく坊ちゃん個人に対しては他の誰よりも理解して、体ぁ張りやすから、その点だけなら期待株でやすねぇ」
「今、わしの事務所にもな、「調停者になりたい」ちゅうて勉強に来とる子がおる。本当に若い、まだ16になったばっかの
子供じゃ」
ドッカーは面白がっているように含み笑いを漏らす。
「一見すると本当に狐なのか疑わしいほど肥えとる子でのぉ、パイロキネシス系統の能力者じゃ」
助手席のシオンが興味を持ったように「あれま…」と呟く。
「発火能力者なんて珍しい…、代々そうなんでやすか?」
「うんにゃ、三代以上前まで遡っちゃあみたもんの、その範囲で見るに血統的には親族皆常人じゃ。かなり昔のご先祖の血が
隔世遺伝したんか…、あるいは完全な突然変異か…、どっちかは判らんがのぉ」
赤信号で車を停めたドッカーは、交差点の向こうを眺めながら続けた。
「家の事情がちぃと複雑でのぉ、能力者である事にコンプレックスを持っとる。家族に距離を置かれとるらしいでな。そのせ
いか、己にこれっぽっちも自信が持てとらん。極端にオドオドしとって、とにかく臆病じゃけぇのぉ、戦士向きの性格とは言
えんとよ」
「面倒を見てやってる内に、情でも移りやしたか?」
「かもしれんのぉ。極端な話、諦めた方が本人にとってはなんぼか良かろうとも、わしゃあ思っとる。…あの子は、戦士にな
るには優し過ぎるけぇのぉ…」
「それでも、期待はしてるんでやすね?」
シオンがそう訊ねると、ドッカーは少し驚いたように目を大きくし、助手席の古馴染みを見遣った。
「なしてそう思うとよ?シオン」
「信号、青でやすよ?」
促された白い熊は、「おっといかん」と前を向き、アクセルを踏む。
「後々、楽しみな事でも控えてるような…、そんな顔で話してやしたからね」
「…まぁ、楽しみかは良う判らんのぉ…。が、戦士には向いとらんものの、調停者になっても長生きはできそうな…、そんな
風には感じとるかもしれんとよ。それに…、次代を担う若いもんには、無条件で期待したくなるけぇのぉ」
「次代、でやすか?」
横顔を伺って来たシオンに、ドッカーは顎を引いて頷く。
「気持ちばかりは現役のつもりじゃが、体は正直じゃで、年にゃあ勝てんとよ。体力は落ちるし体は弛む。ほれ見ぃ、腹もこ
んな出て来よった」
ハンドルから放した左手で太鼓腹をポンと叩いて見せたドッカーに、シオンは肩を竦める。
「昨夜の動きを拝見させて貰った限りじゃあ、まだまだ現役張れやすぜぃ。それに腹が出てたのは前々からでさぁ、サブリー
ダーはあの頃とちっとも変わってやせん」
昔、同じチームに居た頃の呼び方を口にしたシオンを横目でチラリと見遣り、ドッカーは苦笑を浮かべる。
「そいつはフォローしとるんかの?それともからかっとるんかの?」
「どっちも違いまさぁ、あっしは本音を言ってやす」
「喜んで良いのか怒って良いのか判らんのぉ…」
「腹の事に関しちゃあ怒って良いと思いやすぜぃ?」
「やっぱりからかっとるじゃろ?」
「さっき、「戦士になるには優し過ぎる」ってぇ言ってやしたが…」
ドッカーの問いには答えず、シオンは誤魔化すように話題を変えた。
「優しくて不器用ながらも、一流の戦士と呼べるだけの男を、あっしは何人か知ってやす」
「皆早死にしとる」
ドッカーが口を挟んで短く呟くが、シオンはさらりと言葉を返す。
「その中でも飛び抜けて大甘な戦士は、今も生きて、あっしの横でハンドル握ってやすが?」
「…そりゃ誉めとるつもりなんかのぉ?」
「半分誉めて、半分からかってやす」
「シオン…。本当に変わっとらんのは、お前さんの方じゃでよ」
「誉め言葉として頂戴しときやす」
マラミュートがニンマリと笑うと、白い熊は声を上げて愉快そうに笑った。
「何だかんだ言うても、お前さんも次代を担うもんを育てとるじゃろう?あの若い犬、よっく仕込まれとるけぇのぉ、見れば
お前さんの期待の程が判ろうっちゅうもんじゃ」
「心外でやすねぇ?ま、競馬新聞の予想程度には、期待かけてやすが」
本気とも冗談ともつかない口調で応じるシオンは、しかし口元に優しげな笑みを湛えていた。
「グッ・モォ〜ニンッ!でやす」
「おはようさん。邪魔するとよ?」
カルマトライブ調停事務所のドアを潜り、応接室に足を踏み入れたシオンとドッカーは、事務所の責任者である長身痩躯の
青年に迎えられた。
「早かったな。まあ、こちらも準備は出来ていたが…」
タケシが視線を向けた先には、地味ながら品の良いダブルのスーツを着込み、ソファーにかけている護衛対象の姿。
襲撃から一夜明けた、午前10時半。
背は低いが丸々と肥えてボリュームがある若い狸は、立ち上がるなりドッカーとシオンに向かって深々とお辞儀をする。
「よろしくお願いします隊長。ドッカーさんも、お付き合い頂いて申し訳ありません」
「がっはっはっ!気にせんでよかとよ。ただの送迎役じゃけぇ気楽なもんじゃし、シオンから銭はたんと受け取っとるでなぁ」
負傷したキンジに替わり、キヌタの付き添いを務める事になったシオン。
足となる車を確保して運転手を買って出た、日中は暇なドッカー。
一度完全に撃退した以上、昨日の今日で襲撃される可能性は低いが、依頼通りに護衛役を務めるタケシ。
残る予定をこなす為に外出するキヌタは、三人に護られる形で今日の仕事を行う事になる。
調停事務所に滞在の場を移して十分な睡眠を取った事もあり、昨夜襲撃にあった割に、キヌタの顔には疲労の色が見えない。
拉致されかかった事で心理的なダメージを負っていてもおかしくはないのだが、神経の方は案外太いらしく平然としている。
「ところでフワ。ハトリっちゅうあの若いモンと、クマシロはどうしとるんじゃ?」
タケシに尋ねたドッカーに、横からキヌタが応じる。
「ハトリはクマシロさんに連れられて病院に行っています。申し訳無かったんですが、ハトリの護衛をお願いする形にして…」
「まったく、お優し過ぎやすぜぃ坊ちゃん。御身が一番、ご自分の護衛を減らすべきじゃあございやせん。優先順位を見誤ら
れねぇよう、このシオンめも重ね重ね申し上げておりやすのに…、これじゃあ本末転倒でさぁ」
シオンが顔を顰めてそう言うと、キヌタは耳を伏せて小さくなった。
内容はいささか辛辣だが、諭すシオンの口調に棘は無い。
まだ若く、「上に立つ者」としての心構えが全くなっていないキヌタに、護衛する側の立場と見解から必要と感じた意見は
口にするが、この三男坊のお人好し具合や甘さには、シオンも好感を持っている。
「それじゃあ、参りやしょうか坊ちゃん。相手は天下の榊原…、必要以上に気張ったり臆したりする事はございやせんが、坊
ちゃんがこのまま歩むおつもりなら、今後も関わって来る可能性の高い、味方につけといて損はしねぇ御仁でやす。第一印象
は大事でやすぜぃ?」
「は、はい!」
シオンに忠告されたキヌタは、背筋を伸ばして表情を引き締め、大きく頷いた。
ドアの前ではタケシが無表情に、ドッカーがニンマリ笑いながら、偉ぶった所が全くない素直な御曹司の様子を眺めていた。
「ふぁはいはぁ〜」(ただいま〜)
タケシ達が出て行ってから約二時間後、昼を挟んで事務所に帰ってきた金色の熊は、開けたドアを押さえて、後から入って
来る若者を通してやった。
なお、口に肉まんを咥え、コンビニの袋を片手に提げており、表情はご機嫌そのものである。
松葉杖をついて事務所内に入ったゴールデンレトリーバーは、ユウトに「ありがとよ」と礼を告げながらソファーに向かう
と、顔を顰めつつ腰を下ろす。
「くっそ!大袈裟なんだよあの医者のじーさん…!こんなガッチリ固定しやがって…。骨折じゃねーっての!」
筋肉が断裂した脚は、膝上までがギブスで固定されており、脚は全く曲げられない。
負傷した今は、さすがに黒服完全武装では動き辛い為、ノーネクタイに薄いピンクのワイシャツ、生地が薄くて柔らかいグ
レーのスラックスという、幾分普通の格好である。
「まぁまぁ、三日間の辛抱って話でしょ?我慢我慢。あ、何食べる?」
情けないような苛立っているような、微妙な表情で耳を倒しているキンジを、肉まんを口から離して宥めるユウト。
「ピザまんくれるかい?」
「はいはい。もむっ…」
食べかけの肉まんを口に押し込んだユウトは、コンビニ袋の中からピザまんを一つ取り、キンジに手渡す。
「ひふぁふぁんふひはほ?」(訳・ピザまん好きなの?)
ユウトが肉まんを頬張ったまま尋ねると、そのくぐもった不明瞭な発音でも意味を聞き分けたらしく、キンジは「んー…。
肉まんより少し上ぐらいか?」と応じる。
「そうだ。夕飯だけどさ、あんたらが良けりゃあ寿司でも取るかってキヌタが言ってたぜ?泊めて貰ってる上に美味い朝飯ま
で食わせて貰っちまったからな。晩飯まで作って貰うのは心苦しいから、礼としてご馳走してーんだと」
キンジの向かいに腰を下ろし、口の中の物を飲み下したユウトは、
「気にしなくて良いのに…」
と、袋の中からホットの缶コーヒーを取り出しつつ、苦笑いを浮かべて応じる。
「昨夜の一件はボクらから見れば護衛失敗なんだから、こういった所でちょっとでも挽回して行かないと」
「だ〜か〜ら〜!そこは気にしねーでくれよ!おれらが…ってか、おれが最初からあんたらを信用して、身内から狙われてる
事や、誘い目的で少数護衛にしてる事を打ち明けとけば、動き方も変わってたんだ。…キヌタは最初から話すべきだって言っ
てたんだから、こいつぁやっぱおれのミスだよ…」
キンジはため息をつき、「結局ま〜た御頭に借り作っちまったしな…」と、やや項垂れながら呟く。
手薄な警護によって誘い出し、捕らえて首謀者の情報…つまり、どちらの兄が依頼主か確かめるという今回の作戦はキヌタ
の発案だが、シオンに協力を要請して表向きは休暇を取って貰った上で別働隊として手配し、調停者側の護衛体制について要
望を出したりするなど、実際に段取りを整えたのはキンジである。
キヌタが希望したとおり、最初から調停者側にも情報を伝えておけば、ああして一度さらわれる事も無かった。
失敗だったと反省したキンジは、かぶりを振って気持ちを切り替え、顔を上げてユウトを見遣った。
「ま、それは置いといて…。話戻してぶっちゃけると、おれぁ寿司なんか取らなくて良いじゃんって思った。あんたの作った
朝飯、美味かったしよ」
「んふふ、ありがと!あり合わせで作った物だから、褒められると心苦しいけどね」
あり合わせとは言っても、本日ユウトが用意した朝食は、白身魚のフライにグリルチキン、ハッシュドポテトにタマネギと
レタスのサラダ、加えてポトフというそれなりに手の込んだ、しかしおよそ朝食向きとは言えないボリューム満点のメニュー
であった。
が、禁圧障害である為やや燃費が悪いキンジと、普通に食欲旺盛なキヌタは、ユウトの用意した食事をペロリと平らげてお
り、味にも量にも満足している。
「ボクの料理なんか口にあうのかなぁ?スーパーのタイムセールで買って来てるような食材使ってるんだよ?」
「そこはホレ、キヌタって庶民派だからよ。食材の値段なんて食っても判らねーし。フランス料理のフルコースより、カツ丼
のが好きなぐれーだしな」
「カツ丼好きなんだ?」
「親子丼とか、はらこ飯とかも好きだな。基本的に丼物はだいたい好きだ。おれも嫌いじゃねーし」
「ふぅん…。はらこ飯ねぇ…」
缶コーヒーを口元に運びかけていたユウトは、手を止めてポツリと呟いた。
「ねぇハトリ君。帰りの予定って5時頃だったっけ?」
「ん?その予定だけど…」
応じたキンジは壁の時計を確認した。
時刻はもうじき午後一時、キヌタ達が帰って来るまで四時間はある。
「作ってあげようじゃない、はらこ飯!夕方に来る予定のお客さんも丁度はらこ飯が大好きだからね、夕飯用に持たせてあげ
てもいいし」
「え?いや、だから…、今夜はキヌタが寿司でもご馳走してーって…」
キンジが困ったようにそう応じると、立ち上がったユウトは胸の前に上げた両手で拳を作り、フンッと大きく鼻息をつく。
「高額報酬貰っちゃってるんだから、この上お寿司までご馳走になるのはしのびないよ。お持てなししなきゃ!」
ユウトはすっかりやる気の様子。キンジは一度考えた後、ニヤリと笑って舌なめずりした。
「まぁ、止めはしねーよ。おれも食ってみてーし。足がダメでも手伝える事あったら言ってくれや」
「お邪魔しました。お菓子、美味しかったです」
商談を終えたキヌタと、負傷したキンジから臨時で秘書兼SPを引き継いだシオンは、豪邸の玄関ホールで見送りを受けて
いた。
「いえいえ、こちらこそ有意義な時間を過ごせました」
整列した家政婦達の前に立つ、恐らく四十代半ばと思われる人間男性が、にこやかな笑みを二人に向けた。
背はやや低いぐらいで、ほっそりとした体を品の良い、しかし度を超して高級ではないスーツで覆っている。
鼻筋の通った顔立ちは聡明そうだが、それ以上に穏やかな笑みと表情から受ける柔和な印象の方が強い。
「またこちらにいらっしゃる際には、どうぞ気兼ねなくいらして下さいね?」
「はい。有り難う御座います」
笑みを返して深々とお辞儀するキヌタと、洗練された動作で軽く一礼するシオン。
公式な対面では無いので、見送りはここまでで良い旨を商談相手に伝えると、シオンはキヌタを先導し、正面玄関を潜った。
華美では無い程度に装飾が施された大扉が背後で閉まると、キヌタは正門側から歩いて来る少女に気付き、少しだけ目を大
きくする。
こちらに気付いて軽く会釈したその少女が、屋敷の主から聞かされていた愛娘であると察したキヌタは、微笑しながらお辞
儀を返す。
(総帥と目元が似てる…。そうか、あの子が一人娘の…)
「…坊ちゃん…」
シオンに囁かれたキヌタは、今回の訪問が鼓谷側、榊原側、ともに非公式な物である事を改めて思い出した。
そして、少女から視線を離し、シオンに従って正面玄関から横手へ伸びる石畳の歩道に足を乗せる。
まだ距離もあるので、声を交わさなくともそれほど不自然にはならないだろうと考え、二人はそのまま足早に屋敷裏手側、
タケシとドッカーが待つ駐車場へ向かった。
財閥の総帥の私宅らしく、それなりに立派な造りではあるが、それでも他と見比べればかなり「おとなしい」。シオンは榊
原邸からそんな印象を受けていた。
使用人達は居るものの、いずれも戦闘の素人だと気配で判る。警備員すらついていない。
(まぁ、真っ当な財閥だし、あっしらみてぇなのは必要ねぇのか…。それに、そもそも公開してねぇ私宅だ、物々しくしたら
目立って逆効果になるってぇ考えなのかもしれねぇが…、それでもちっと無警戒が過ぎらぁね…)
そんな事を考えていたシオンは、斜め後方を歩くキヌタを、そっと振り返る。
ぽってりと太った狸は、何か考え事をしているらしく、半眼にした目をやや下に向けながら黙って歩いている。
「頼まれて調べた中にゃあ、レリックは一つも無かったでございやしょう?それでもまだあの指環と腕輪が気になるんで?」
訊ねたシオンに、キヌタは考え込むように目をさらに細くしながら、「はい…」と、小さく頷いた。
「探知機も反応は示しやせんでしたぜぃ?」
「ウチの探知機も完璧ではないですから…。これまでのサンプルにして来たいずれのレリックとも違うせいで、探知機が正し
く作動していない可能性も…」
「なんで坊ちゃんの気を引くんでやすかねぇ…」
「何となくですけれど、デザインというか、雰囲気というか…、前に見た事のあるレリックのいくつかと似ていたような気が
して…」
「へぇ…」
シオンは顔を前向きに戻しながら、心の中で呟く。
(昔はあれだけツヅミヤの仕事に抵抗を示してらっしゃったってぇのに、勉強を始めてからは見違えるように熱心になられや
したねぇ…。こいつもキンジのお陰って言って良いのかどうか…)
キヌタが財閥としてのツヅミヤの裏側、レリックの研究をおこなっている部門についての勉強を始めたのは、高校進学直前
からであった。
キンジが地元を離れた高校に進み、寮に入っている間に、キヌタは鼓谷の後継者の一人として本格教育を受け、レリックに
関してかなりの知識を叩き込まれた。
カテゴリーによっては自らも指導に当たっていたシオンにとって、キヌタは兄達同様優秀な生徒であり、同時に兄達より手
間のかからない生徒であった。
キンジが「猟犬」として優秀な内的資質を有しているように、キヌタもまた数値化できない資質を持っている。
それは、物事の本質を捉える直感力。
ただし、「何となくそう思う」「漠然とこう感じる」などと、キヌタ本人も他者に説明し辛い。
物事の本質…すなわち「中心」を、「曖昧」ながらも把握する直感力。
このセンスの事を、キンジは冗談めかして「ファジーネーブル」と呼び、それが身内では定着しつつある。
次期総帥候補者の一人であるキヌタが、その争い事を好まない性格にも関わらず、兄達に危険視されている原因は、おそら
くこのファジーネーブルにもあると、シオンは考えている。
(キンジや坊ちゃんご自身が考えている以上に、本質を見抜けるセンスってぇのは危険で強力なもんだ…。財閥の指導者なん
てぇ立場に立ったら、如何様にも武器にできる…。兄君様方にすりゃあ、総帥がキヌタ坊ちゃんの才能を評価しちゃあたまん
ねぇってトコだろうなぁ…)
「探知器が反応しねぇ以上は強く言えやせんが…、念の為に手放さねぇ方が良いとでも、後であっしからご連絡を差し上げや
しょう。なぁに、説明できねぇトコは上手く言っときやすからご安心を」
「…あ…、有り難うございます。隊長」
上手く説明できない自分にかわり、連絡を入れてくれる役を買って出てくれた事。そして、根拠のない自分の直感を信じて
くれた事に対しての礼を口にすると、キヌタは感謝を込めてシオンの背に頭を下げた。
一方その頃、はらこ飯を炊きあげて夕食の準備を終えたユウトは、キンジと共にリビングでコーヒーを楽しんでいた。
タケシが好むいつものインスタントではなく、来客用の割高な豆をおろし、コーヒーミルで挽いて淹れている。
談笑している二人の話題は、主にお互いの格闘技術についてである。
特殊グローブを用いての格闘を得意とするキンジから見て、徒手空拳の達人であるユウトは興味深い存在であった。
昨夜のユウトはエナジーコートも用いておらず、全力ではなかったものの、それでもキンジの全力を軽く凌駕するだけの力
を見せつけていた。
「もしもフワさんとあんたがやりあったら、どっちが勝つかな?」
そんなキンジの問いは、あくまでも「もしも」の、仮定の話であった。が、ユウトはこれに、
「前に一度立ち合った時は引き分けだったよ」
と、即座に以前の戦闘結果を伝えた。
「立ち合った?あんたらも組み手みてーな真似すんの?」
興味深そうな顔をしたキンジの問いに、ユウトは苦笑いを浮かべる。
「いやぁ色々あってねぇ…、初対面で真剣勝負しちゃった」
予想外の答えに、さすがのキンジも絶句し、返答に詰まった。
「お互いに相手を犯罪者と勘違いしてねぇ。今になって思い返せばゾッとするよ」
「…とんでもねー勘違いだな…」
ゴールデンレトリーバーが顔を顰めて呟いたその時、丁度ピンポーンと、軽やかにチャイムが響いた。
「あ、お客さんだ。ちょっとゴメン…」
席を立ったユウトに、「客なら引っ込んでようか?」とキンジが訊ねるが、
「いいよ。ボクの親戚だから」
金熊は笑みを浮べながらそう応じ、ドアへと向かう。
「……もです。……て……さい」
「……か…なら………邪魔する……」
遠く聞こえる会話から、キンジは客が男性である事を察する。
「はらこ飯作ったんですよ。持ってってください」
「おお、悪いなぁ!それじゃあ有り難く頂いてくとするか!」
半開きになっているドアへ声が近付き、やがてユウトがリビングに戻って来ると、
「…は…?」
続いてリビングに入って来た大柄な熊を目にして、キンジは目を丸くした。
濃い茶色の被毛に覆われた、むっくりとした熊は、極めて大柄なユウトと比べれば幾分身長が低い。
それでも身の丈は熊族の平均を軽く上回っており、がっちりとした幅と厚みのある体型をしている。
ガタイの良い熊を見つめながら、大きく両目を見開いたキンジは口をパクパクさせ、やがてかなり大きな声を発した。
「ヤマトっ!?」
「ん?」
驚いている様子のキンジを、茶色い熊が胡乱げに見遣る。
(…いや、違う?…顔はかなり似てるが、毛色も違うし…、何より…)
「済みません、人違いです…。後輩に似てたもんでつい…」
キンジは少し恥ずかしげに笑って頭を掻き、茶色い大熊は愉快そうに「だははははっ!」と声を上げて笑う。
「そうかそうか、後輩に似てるのかぁ。その後輩君は、よっぽど男前なんだろうなぁ」
「まぁ、そうですね」
キンジが笑いながら返すと、茶色い熊はまんざらでもなさそうにウンウン頷いた。
「…俺も捨てたもんじゃねぇな、まだ若く見えんのか…」
実際にはその逆で、後輩がおっさん顔だったのだが、キンジはあえてそこには触れなかった。
(…世の中、同じ顔のヤツが三人は居るとかどうとか聞いた事あるけどよ…。このひと若い頃はヤマトと瓜二つだったんじゃ
ねーの?)
首をかしげながら考えているキンジの様子には注意を払わず、ユウトはリビングと一続きになっているキッチンに向かいな
がら笑う。
「んふふっ!ゲンゴロウさんはまだまだ若いですよ!…むしろ家の兄さんの方が精神的に老けてますから」
「だははははっ!ありゃあ老けてんじゃなくて落ち着いてるって言うんだよ!…ところで、ユウヒさんは前々からああなのか
い?」
「ええ。少なくともボクが物心付く頃にはもうあんな感じで…。昔から老成してたんですよねぇ」
「老成ってなぁひでぇなぁ…」
ユウトがキッチンではらこ飯をタッパーに詰め始めると、キンジは、彼女からゲンゴロウと呼ばれている中年の熊に話しか
けた。
「失礼…、名字は何とおっしゃるんでしょう?」
ゲンゴロウはキンジに視線を向けると、胡乱げに眉根を寄せながら応じる。
「俺ぁ阿武隈ってんだが…。どうかしたかい兄ちゃん?」
「あぁいえ、あまりにも後輩と似ていたもので、親戚かもしれないと思いまして…。あ、失礼しました。おれはハトリって言
います」
ゲンゴロウは改めてキンジの姿をじっくりと眺める。
脇に置かれた松葉杖に、膝を固定されて投げ出されている足。
怪我人である事は一目で判ったが、ゲンゴロウは彼の負傷の理由や素性などについて詮索しようとしなかった。
この事務所を立ち上げる際の改築を請け負っているゲンゴロウは、親戚であるユウトの「仕事」や、義兄弟の立場について
も十分理解している、一般人としては稀有な存在である。
理解しているからこそ、訊かれて困る事もあるだろうからと、仕事に絡んでいそうな事はあえて訊かない。その姿勢はユウ
トにとっても有り難い物であった。
「その後輩君は、何処の出なんだ?」
「北街道です」
キンジの答えを聞いたゲンゴロウは、口元を弛ませて笑みを浮かべる。
「ははぁ、なるほどなぁ…。ウチの家系辿ってくとな、どうやら昔々のご先祖は、北街道から海峡渡ってこっちに移り住んだ
らしい。それに、こっち側からも屯田兵制度で北街道に移ってった連中も居る。案外、その後輩君とウチは、同じご先祖同士
かもしれねぇや」
「へぇ…。ところで、大和って名字に心当たりはありませんかね?」
ゲンゴロウは口をへの字にして眉根を寄せ、「ん〜…」としばらく唸った後、首を横に振る。
「覚えがねぇなぁ…。そいつが後輩君の名前かい?」
頷いたキンジに、ゲンゴロウは笑みを向ける。
「勇ましい名前じゃねぇか?その上俺に似てると来ちゃあ、相当な男前なんだろうなぁ。だははははっ!」
機嫌良さそうに笑うゲンゴロウに笑みを返しつつ、
(…顔はともかく好かれるヤツだよ、おっちゃん)
と、キンジは心の中で、親しみを持って語りかけていた。