FakeDestruction(後編)

「一週間か…」

「…そうね…」

執務室の窓から夜景を眺めてダウドが呟くと、ソファーにかけたネネが静かに頷いた。

カルマトライブの偽物の出現以来、丸一週間が経ったが、依然として接触はできていない。

「…相手がよほど巧妙なのかしら…。正直、自信を無くすわ…」

疲れたような表情を浮かべているネネは、連日連夜、偽物の探索に当たっている。

にもかかわらず、自分の土俵であるこの首都内で、未だ偽物を見つけられずにいた。

無人の荒野から特定の存在を探すのとは訳が違う。

いかに強力な探査能力を持つネネといえど、首都に住む人々の雑多に混じり合った波動の中から、面識も手がかりもない相

手の反応を拾い上げる事など不可能である。

(たった一度、遠目にでも姿を見て特定できれば、絶対に逃がしはしないのに…!)

帝の最も近くで守護を担う神将であり、同時に首都の守護者たるブルーティッシュである彼女には、偽物を捕らえることが

できないのが悔しくてならない。

しばし無言で外を睨んでいたダウドは、おもむろに口を開いた。

「おかしいと思わんか?ネネ…」

問い掛けの意図を掴めず、ネネは形の良い眉を訝しげにひそめ、恋人の背を見遣る。

「組織で動いている訳でもない、おそらくは個人の詐欺師が、何故ここまで俺達の網に引っかからない…?」

白虎は顎をさすりながら、不快げに金色の目を細める。

「俺達以外に、偽物を追っているヤツが居る…。そいつらが偽物の痕跡を消して回っている…。そうは考えられんか?」

「何者が?そもそも何の為に…?」

問い掛けたネネはしかし、何かに思い至ったように目を見開いた。

「…まさか…、名声?」

ネネが呟いた言葉に、ダウドは大きく頷いた。

「推測でしかないが、そうだとすれば合点が…」

回線が繋がる微かなノイズを耳にし、ダウドは言葉を切って素早く振り向き、天井の室内スピーカーを見上げる。

スピーカーはダウドが振り向いてほんの一瞬の後、音声を流し始めた。

『休憩中申し訳ありません!港区と河川敷に向かった部隊より緊急救援要請です!』

ネネとダウドが見上げるスピーカーから、せっぱ詰まったオペレーターの声が響いた。

「最寄りの支部や、周囲の他の部隊はどう?援護に行けそうにない?」

『いずれも調停継続中で、すぐには…』

「本部内にも、すぐ動ける部隊は無い?」

『生憎、動ける隊は出動中で、残っているのは隊長負傷の為に待機中の数隊と、強襲部隊だけです!』

ネネとオペレーターのやりとりを聞いたダウドは、椅子にかけていたジャケットを羽織りながら声を張り上げる。

「俺とネネが待機中の部隊を指揮する!至急、二部隊に出撃準備をさせろ!残る部隊は本部警備!念のために強襲部隊は本部

に残す!」

『了解しました!』

スピーカーの音声が途切れると同時にドアを開けたダウドは、後に続いたネネに、振り返りもせずに声をかける。

「ひとまず考えるのは後回しだ。目の前の事から片付けるぞ」

「判ったわ。…頭の切り換えには、少し動いた方が良いでしょうしね」

「そういう事だ。さっきの件は、戻ってから改めて考える」

「戻って来たら事態が進展している…、なんて事は無いものかしらね?」

「なんなら、誰かがとっ捕まえてくれりゃあ嬉しいんだがな」

「一応祈っておきましょうか」

「ふん!祈るだけならタダだからな、俺も祈っておこう」

軽口を叩きあいながらも、二人は廊下を駆け、急ぎ司令室に向かった。



灯りを落とした薄暗い寝室の中、抱き締めた枕に頬ずりしながら、白熊は幸せそうな笑みを浮かべていた。

「…えへへ…、アケミぃ…」

どんな夢を見ているのか、寝言を漏らしたその口はだらしなく半開きになり、枕をよだれで汚している。

やがてアルは、

「…あ、ちょ…、アケミ…」

枕を抱き締めたまま、もぞもぞと身悶えを始めた。

「…あ、ま、待って…。そ、そこは…、そこはダメっスよぅ〜…」

重ね重ねどんな夢を見ているのか、ビクッと痙攣しつつ、喘ぎ混じりの寝言を漏らすアル。

が、おそらくはこの上なく幸せな内容のはずのその夢は、緊急呼び出しによって中断された。

『アル、起きろ!』

「…ふが…?」

室内スピーカーから流れ出たアンドウの声に、アルは目を擦りながら身を起こした。

「…夢っスか…」

心底残念そうにため息をつくと、白熊は天井のスピーカーを見上げる。

「起きたっス!緊急!?」

一瞬で表情を切り替えると、アルは返事をしながら立ち上がり、ベッドサイドに放り出していたズボンを素早く穿く。

『もち緊急!偽者が見つかった!すぐ出るぞ!第三車庫に集合、急げ!』

「了解っス!」

両頬をバシッと平手で叩いて頭をしゃっきりさせると、手早くユニフォームを身に付けたアルは、眠気覚ましのミントキャ

ンディーを数粒口に放り込み、噛み砕きながら、部屋を飛び出した。



エンジンをかけて待機していたジープの後部ハッチを引き開け、素早く飛び乗ると、アルは同乗する五人の同僚に手を上げた。

「お待たせっス!」

アルは武器を収めたトランクを床に置き、手にしていた銃身を切り詰めたショットガンを腰の後ろに収める。

ダブルバレルの中折れ式ショットガンは、大柄なアルの手の中ではやけに小振りに見えた。

白熊は車内を見回し、メンバー達に尋ねる。

「武装はどうしてるんス?」

「皆B(ベーシック)だよ」

メンバーの一人がそう応じると、一瞬黙った後、アルはおずおずと口を開いた。

「あの…、D(デモリッション)に変更して欲しいんスけど、ダメっスかね?」

通常装備であるBから、火力重視のD装備への変更。

意外な申し出にメンバー達が顔を見合わせる中、アルは困ったように頬を掻いた。

「上手く言えないんスけど…」

『勘か?』

「うス…」

スピーカーを通し、助手席に乗り込んでいるアンドウが尋ねると、アルはこくりと頷いた。

『…判った。お前の勘は良く当たるからな…。全員武装再点検!三分内だ、急げ!』

詳しく聞き返す事もなく、アンドウはすぐさまそう指示を出した。



装備を整えたメンバーが乗り込み終えると、最後に乗り込んだアルは、手近な座席に大きな尻を据えた。

武装した実働メンバーを運ぶためのジープは、荷台がそのままメンバー運搬用の別室に改装されている。

分厚い装甲板に覆われたその荷台は、左右の高い位置に小さな窓が開いているだけで、外からは中の様子が見えない。

座席は両側面に向かい合わせに設置されており、アルの向かい側に当たる、同じく最も後ろの席には、レッサーパンダのエ

イルが乗っている。

アルが乗り込むと同時にジープが発車すると、アンドウが内線スピーカーを通してメンバーに状況を説明した。

『一週間かかったが、張り込みについていたメンバーの一人が、ついに例の偽カルマトライブを捕捉した。今夜はリーダー達

を含めてかなり出払ってるが、あいにく近くに出向いてる部隊は一つも無し。よって、これより臨時編成されたこの部隊で目

標の監視、交渉後の身柄確保に当たる』

同乗するメンバーから低いどよめきが漏れる中、アルは目を細めてアンドウに尋ねた。

「状況はどうなってるんス?取引中?」

『これかららしい、目標は取引相手と一緒に移動中。今も偵察班が尾行してる』

「相手はどこだか判るっスか?」

重ねて質問したアルに、アンドウは少し間を空けて応じた。

『今日は珍しく食いつくな?組織側の交渉役の男の特徴から察するに、おそらくエルダーバスティオンだな』

目を細め、訝しげな表情を浮かべたアルに、向かいのエイルが小声で尋ねた。

「どうかしたでありますか?」

「いや、何でもないっス…。なんか一瞬違和感があったんスけど…、オレも良く判らないっス…」

困ったようにそう言ったアルは、傍らに置いていたトランクを空け、愛用の大戦斧を組み立て始める。

他のメンバーもそれに倣い、ライフルや長剣等の準備を始める中で、エイルはアルの言葉が気になるのか、目で問いかける。

「…なんか嫌な予感がするんスよ。一応、ぬかりなく準備しとくべきだと思ったんス…」

そう説明したアルは、小さく呟いて付け加えた。

「…予感が外れる事を、祈ってるっスけどね…」

エルダーバスティオンは、首都近郊でも三本指に入る大規模組織である。

二年ほど前に結成された新手の組織だが、構成員も多く、多数の危険生物を有し、しかも首都圏の古参組織とは違い、手段

を選ばない過激さを持つ。

「黒伏の爺さんが生きてた頃は、あいつらも大人しくしてたんだけどなぁ…」

メンバーの一人が呟くと、アルとエイルも同感とばかりに頷いた。

黒伏総悦(くろぶしそうえつ)。表向きは国内有数の大企業の社長でもあった老人。

同時に巨大組織、黒武士会のドンでもあった。

その老人が急死した事で、黒武士会内部で跡目争いが発生した。

内部抗争勃発と同時に、多数の傘下組織が造反。

抑止力が無くなった事で勢力拡大を狙う小規模組織までが活動を活発化し、ブルーティッシュは短期間にいくつもの事件に

対応しなければならなくなった。

「惜しい「調停者」が逝ってしまったな…」

首都圏に裏から睨みを利かせていた黒伏総悦の死去に際し、ダウド・グラハルトがそう漏らした事は、ブルーティッシュ内

では良く知られている事だった。

皮肉な事に、非合法組織のドンでありながら、黒伏総悦は首都の裏の秩序を保つ番人でもあった。

その事は調停者間でも、畏敬の念すら込めて語り種にされている。

『メンバー分けするぞ、聞き漏らすなよ?』

束の間の物思いに耽っていたメンバー達は、注意を促すアンドウの声を耳にし、表情を引き締めた。



ジープが停まったのは、更地に倉庫が建ち並ぶ寂れた区画であった。

マーシャルローで受けた被害が大きく、再開発予定から外れ、今もなおろくに整備が行われていない区域。

気付かれないよう徒歩の移動に切り替え、二人組の三手に別れたメンバー達は、ジープを停めた場所からかなり離れた一角

にある、所有者も判然としない倉庫群へ、三方向からにじり寄る。

「…なんか…、おかしいっス…」

視認されそうな開けた場所を避け、建物の陰や暗がりの中を縫うように移動しながら、アルは顔を顰めて呟いた。

ペアを組んだエイルが、前方を進むアルの背に疑問の視線を向ける。

「何がおかしいのでありますか?」

白熊は遠くからでも目立つ巨体を、身を寄せた倉庫の角にぴったり寄せ、先の様子を窺いながら頷いた。

「これまで、でかい組織はこの手の詐欺に引っかかってないはずっス…。それは詐欺師側もでかいトコを避けてるからだと思っ

てたし、アンドウさんも同じ考えだったんスけど…」

アルは難しい顔で考え込み、言葉を選ぶようにして続けた。

「もしかして偽物は…、相手がエルダーバスティオンだって気付いてないんじゃないっスかね…」

「何故そう思うのでありますか?」

訝しげに問うエイルを振り返ることなく、アルは続けた。

「オレ、頭悪いから上手く言えないんスけど…。ひょっとしたら、今回は逆さまなんじゃないかって…、そんな気がするんス」

「逆さま…?」

首を傾げるエイルに、アルはしかしそれ以上の憶測を語るのを止めた。

「話は後にするっス。とにかく今は監視に集中して、偽物を逃がさない事が最優先っスからね…」



「こちらCチーム。監視対象建造物、視認であります」

錆の浮いた倉庫の階段の下に身を隠し、目を細めて前方を睨むアルの隣で、エイルは配置についた事をアンドウに告げた。

二人が身を隠した位置から、大型貨物用の通路を挟んだ向かいには、周囲で唯一灯りが見て取れる大きな倉庫があった。

『よし、他2チームも配置済みだ。良いか?絶対にこっちからは仕掛けるなよ?くどいようだが監視、そして目標が一人になっ

た後の捕縛が目的だからな?』

アルとエイルが小さく頷きあい、改めて倉庫を注視したその時、轟音と共に、倉庫の扉が内側から弾け飛んだ。

内部から吹き出した炎と爆風に路地が照らされ、ゴンゴンと耳障りな金属音を立て、分厚い扉がアスファルトに倒れる。

同じく中から吹き飛んできた、ずんぐりした影を目にしたその時には、

(やっぱりっスか!)

自分の予感が正しかった事を悟ったアルは、エイルを残して既に飛び出している。

「こちらCチーム。対象建造物に異常を確認、これより現状に対応するであります」

『了解。プランA撤回、各員、状況対応を最優先に行動しろ。くれぐれも気をつけろよ?状況を逐一報告しろ。完璧にサポー

トしてやる…!』

きびきびと指示が飛ぶ中、黒煙が吹き出す倉庫入り口前に、アルはメンバーの誰よりも早く駆けつけていた。

素早く屈み込み、アルは倉庫内から吹き飛ばされてきたその人物の姿を確認する。

あちこち破れ、焦げ付いた衣類の下から覗くのは、くすんだ金色の被毛。

それなりに大柄な、そして恰幅の良い金色の熊獣人は、仰向けに倒れたまま、怯えた目でアルの顔を見上げた。

「ブルーティッシュっス。同行して貰うっスよ?」

火傷や負傷は確認できたが、命に別状はないと見て取ると、アルは偽物の腕を掴んで強引に引き摺り、走って引き返す。

「い、いで!いでぇ!放せ!放せっておい!」

金熊は苦痛の声を上げて抗議したが、倉庫内からの銃声に続いて自分の頬の毛が吹き散らされると、

「放して良いんスか?」

「放さないでください…!」

泣きそうな顔でアルに懇願した。

立て続けに上がる銃声の中、偽物を引き摺って距離を離しながら舌打ちをしたアルの前に、

「伏せるであります!」

中折れ式のグレネードランチャーを二丁、それぞれの手に携えたエイルが走り込む。

アルがヘッドスライディングの要領で地面に身を投げ出すと同時に、シュポッという音と共に、二発のグレネード弾頭が射

出された。

弾頭が倉庫の中に飛び込んで僅かな後に、倉庫内から何十人分もの怒声と咳き込む音や、紫色の煙が溢れ出す。

「助かったっス…。…ところで、今日は何味っスか?」

顔を引き攣らせながら礼を言い、尋ねたアルに、

「パープルオニオンとニガウリのハイブリッドテイスト。衝撃のコラボレーションであります」

エイルは得意げに応じつつ、両腕をぶんっと下に振ってランチャーを二つ折りにする。

そして交互に両脇に挟みながら手早く次の催涙弾を装填し、倉庫内に二射目を放った。

「オレ…、これからあそこに飛び込む事になるんスけど…」

一瞬泣きそうな顔をしたアルは、気を取り直して素早く身を起こし、掴んだままの偽物の腕を引いて、銃撃を避けるべく物

陰に身を寄せた。

「さてと…」

座り込んだ金熊を見下ろし、アルは目つきを鋭くする。

仰向けのままダッシュで引き摺られ、背中をボロボロに擦られて涙目になっていた金熊は、自分よりも頭一つは大きいアル

を見上げ、怯えた表情を浮かべる。

「調停者詐称容疑で捕縛させて貰うっスよ、偽神代熊斗さん」

諦めたように項垂れた金熊に、アルはビシッと指を突き付けた。

「一応教えとくっス。毛の色は確かに似てるっスけど、ホンモノのユウトさんは22歳の女性っス。太っちゃいるけどカワイ

イ人っス。おっさんじゃないっスから」

「へ!?」

どうみても40がらみの、中年太りした染め毛の金熊は、目を丸くしてポカンと口を開け、アルの顔を見上げた。



捕縛用のテープで緊縛した偽物を物陰に転がすと、

「偽物の確保は完了したっス」

アルは襟元の通信機に戦果を報告した。

『良くやったぁ!』

『でかしたぞアル!』

『とりあえず二、三発殴っとけ!』

『ざまぁみろってんだ!』

他のメンバーの喜色に満ちた声を電波越しに聞き、

「じゃあこっからは…、鎮圧戦っスね!」

白熊は愛用の斧を握り締め、ニヤリと不敵な笑みを浮かべた。



「偽物の交渉が失敗して、こちらが取引相手の組織と一戦交えるようになる事が、予測できていたのでありますか?」

「予測って言えるほど、はっきりしたものじゃなかったんス」

突入した倉庫内で、ダブルバレルのショットガンを軽々と操り、ゴムの散弾をばら撒いて敵を無力化しながら、アルはエイ

ルの問いにそう応じた。

エイルが散布する刺激ガスを吸わないよう、今は二人ともガスマスクを着用している。

エルダーバスティオンほどの組織になれば、偽物が持ちかける胡散臭い取引などに頼る必要はないはず、アルはまずそこに

疑問を持った。

偽物が持ちかけたメリットの少ない取引にわざわざ応じる。それは、偽物そのものに用があるからではないのか?

そう考えつつ、いくつかの仮定を立てて推測してみると、逆さまなのではないか?との思いが強くなった。

エルダーバスティオンは、相手が偽物だと看破したうえで、自分達から偽物に近付いた。

そして、自分達を弱小組織と偽って偽物に接触した。

誘い出した偽物を始末する事こそが、エルダーバスティオンの本当の目的だった。

エルダーバスティオンにとっては、相手が本物だろうと偽物だろうと構わない。むしろ偽物ならば楽に事が運ぶ。

特定上位調停者、神代熊斗を始末したという名声こそが、彼らが本当に欲しかった物である。

違和感には必ず何らかの理由がある。厳しく指導を受けたかつての参謀から、アルはそう叩き込まれた。

だからこそ、微かな違和感もそのままで済まさない。

騙す者が騙されているという逆さまの事態を、漠然とした違和感から看破できたのは、正しくアルの手柄であった。

そのおかげで、メンバーは突発的に発生した戦闘にも対応できるだけの火力を準備して来られたのだから。

「この分なら、制圧は上手く行きそうっスね。…ん?」

しゅこー、しゅこー、と呼吸音を漏らしながら、ガスマスク越しにくぐもった声で言ったアルは、理屈ではない、戦士なら

ではの本能的な感覚に突き動かされ、弾かれたように頭上を見上げた。

赤い瞳が見つめる先は、倉庫の中二階となっている、テラスのような手すりつきのスペース。

二階に上がっていたエルダーバスティオンの構成員である男が姿を現したそこには、長さ2メートル強、直径1.5メート

ル程の金属製の筒が二つ転がっていた。

つられて上を見たエイルは、目を細めてガスマスク越しにそれを見る。

「…インセクトフォームの運搬ケース…で、ありますか?」

屈み込んだ男が筒の脇で何かを操作すると、筒の上側が二つ揃って跳ね上がり、白い蒸気の中から異形の影が起き上がる。

ガス弾頭で狙撃しようとランチャーを構えたエイルの前に、アルが緊張した面持ちで進み出る。

「アンドウさん…、皆に待避勧告を…」

斧を握り締めたアルは、薄くなった蒸気の中に佇む、二体の危険生物を睨み上げた。

「アックスヘッドとシザータスクが…、持ち込まれてるっス…」

カブト虫、そしてクワガタ虫を元にデザインされた第一種危険生物。

二本の足で直立し、周囲を睥睨する二体の生物は、甲冑を着込んだ大柄な人間にも見えた。

マニュアルに則るならば、第一種危険生物一体に対しては10名以上のチーム、それも重武装で対処する事が前提となる。

半分程度の人員しか居ない上に、相手は二体。戦力不足は明らかであった。

アルの言葉を受け入れ、即座に撤退を告げようとしたアンドウは、一瞬の間を空けてから白熊に尋ねた。

『アル…、やるのか?』

「頑張ってみるっス…!」

少し硬くなったアンドウの声に、アルは上階の二体を睨みながら応じた。

「エイルさん。待避しながら煙幕張って欲しいっス。…くれぐれも無臭のヤツ頼むっス…」

「了解しかねるであります。いかにアルビオンさんといえど…」

「負けないっスよ。…今日は加減抜きで行くっスから」

拒否の意志を示したエイルに、アルは困ったような顔でそう言った。

「頼むっス…。護りながら戦える相手じゃないんスよ…」

レッサーパンダは白熊の顔を見上げ、じっとその目を見つめる。

「…チャージは、出来ているのでありますか?」

「一回分は溜ってるっス。行けるっスよ」

「了解であります…」

エイルは説得を諦め、小さくため息をついた。



階下で炊かれた白い煙幕を、起動したばかりのアックスヘッドとシザータスクが見下ろす。

その複眼が敵の姿を捉える前に、煙幕の中から放たれたゴム散弾が二体に迫った。

二体は感覚器官の集中する頭部を、強固な外骨格で覆われた腕でカバーする。

煙幕の中、ガスマスクをかなぐり捨て、一瞬の足止めに使ったショットガンに素早く12ゲージシェルを装填し直したアル

は、腰の後ろに銃を収めつつ、二体の真下、中二階の下に走り込む。

(禁圧、解除っス!)

瞬間的に脚力を強化し、足をたわめ、白い砲弾となって飛び上がったアルは、跳躍の勢いを乗せた斧を叩き付け、二体の真

下から床を粉砕した。

床を突き破って現れた白熊から、二体は同時に飛び退る。

アルと入れ替わるように、二体を起動した男が、大きく崩れた足場から悲鳴を上げて落下していった。

(まず一体片付けるっス…!)

アルは崩れそうな足場から素早く移動しつつ、大きく斧を引いた。

遠間でのフルスイングと同時に、柄を連結するスイッチを操作すると、連結部を繋ぎ止めるワイヤーが解放される。

全長を伸ばされた斧は、鞭のようにしなってシザータスクに襲いかかった。

口元から下向きに鋭いハサミを生やしたシザータスクは、鎧を纏った鈍重そうな外見からは予想もつかない素早い動きで伏

せ、攻撃をやり過ごす。

「もういっちょっス!」

叫びながら、アルは再び柄のスイッチを操作した。

急激に引き巻かれたワイヤーが、シザータスクの頭上を通過した斧頭を引き寄せる。

顔を上げかけたところで後頭部に一撃を受け、頭部の外骨格に亀裂を生じさせたシザータスクがたたらを踏む。

そこへ、再度連結された斧を振りかぶった白熊が、間髪入れずに躍りかかった。

まともに当たれば絶命間違いなし。それ程の威力を伴う、全体重と禁圧解除を乗せた唐竹割りは、しかし素早く横に跳んだ

シザータスクの肩口の甲殻を浅く削ぎ落とし、床を粉砕して止まる。

動きの止まったアルへ、今度は入れ替わりにアックスヘッドが迫る。

標的を仕留め損ねて舌打ちした白熊は、アックスヘッドを見据え、床にめり込んだ斧の柄を、太い足で力任せに蹴り上げた。

凄まじい勢いで跳ね上がった斧は、重く分厚いその刃先で、反射的に速度を落としたアックスヘッドの顔面を掠る。

強固な甲殻と複眼がすっぱりと切り裂かれ、紫色の体液が吹き出る。

跳ね上げた斧を無理矢理静止させたアルの腕が、肩が、負荷限界を超えてミシミシと悲鳴を上げた。

痛みを意志でねじ伏せ、大きく踏み込みつつ、アックスヘッドの首筋めがけて斧を横に薙ぐ。

しかしまたしても意外に素早い動きで飛び下がられ、必倒の一撃は空を切った。

大きく下がって攻撃を逃れたアックスヘッドが、じいっ!と鳴き声を発し、向こうが透けて見える薄い羽を大きく広げる。

彼らが羽を高速震動させて放つ強力な衝撃波の危険性を、アルは重々承知している。

そしてその弱点も、今は亡き上官から聞き、良く知っていた。

真横へ振り切った斧の柄から放した左手を背に回し、回転の勢いそのままに反時計回りに身を捻りつつ、純白の手がショッ

トガンを掴む。

瞬き一つの間に旋回したアルは、半身になって向き直りつつ、ダブルバレルをアックスヘッドに向けた。

轟く銃声に続いて放たれた散弾が、アックスヘッドの羽に無数の穴を穿つ。

必殺の武器でもある薄い羽は、ガラス以上に脆い。

普段は硬い外羽に護られ、破壊は難しいが、広げた瞬間は危険であると同時に、絶好の攻撃チャンスでもあった。

羽が破壊され、ぎいぃっ!と叫び声を上げたアックスヘッドめがけ、アルは大きく踏み出しつつ、後方から頭上を通した斧

を右腕一本で叩き付けた。

横から見れば完全な半円を描いて振るわれた斧は、その刃先でアックスヘッドの頭部を縦に両断し、分厚い甲殻に護られた

胴体を股間まで断ち割り、床に深々とめり込んだ。

一体仕留めたアルはしかし、斧を手放し、銃を放り出して、歯を食い縛り、両手で耳を塞ぐ。

すでに発射態勢を整えていたシザータスクは、広げた羽から衝撃波を放った。

衝撃波に全身を貫かれ、純白の被毛を散らされたアルが、がくりとその場に崩れ落ちる。

(…きっ…つぅ…!…覚悟はしてたっスけど…、こんな痛いとは思わなかったっス…!)

両膝と手を床についたアルの目や鼻孔から血が流れ出し、咳き込んだ口からも血が零れた。

体中の神経や毛細血管が破壊され、内出血で見る間に全身がむくみ始める。

苦しげに顔を上げたアルを、ほんの短い間だけ複眼で見据えると、シザータスクは踵を返し、手すりを飛び越え、煙幕が薄

れ始めた一階へと姿を消す。

彼に刷り込まれた優先すべき命令は、偽物の抹殺である。

仲間を殺された事に何の感想を抱く事もない生物兵器の彼は、まともに動けなくなったアルに執着する事は無かった。

アックスヘッドに攻撃を加えている間に、シザータスクが衝撃波の発射態勢に入っていた事を、アルはしっかりと確認して

いた。

それでも白熊は、衝撃波をまともに受ける事を覚悟の上で、一体を確実に仕留める事を選んだ。

「い、いてっ…!いてて…」

衝撃波で皮膚が裂け、全身から出血し、被毛を所々赤く染めたアルは、呻きながら身を起こし、膝立ちになる。

「…急がないとヤバいっス…!」

深く息を吸い込み、白熊は全身に力を込めた。

その瞳が、まるで内側から発光するかのように、一瞬、血のように濃い赤光を帯びる。

直後、バシュっという音と共に、アルの巨躯から白い蒸気が立ち昇った。

発生した熱で周囲の空気を揺らめかせながら立ち上がったアルは、雨に濡れた犬のようにブルブルッと身を揺する。

その全身から、乾いて固まった血が、パラパラと床に落ちた。

一瞬の内に傷が完全に修復された白熊は、固まった鼻血をぐいっと腕で拭うと、すぐ傍に倒れ伏している、真っ二つに両断

されたアックスヘッドの死骸に視線を向ける。

「…だいぶ使ったっスからね…、手早く腹ごしらえしとくっスか…」

ぼそりと呟いた白熊は、アックスヘッドの脇に歩み寄り、屈み込んだ。



「出て来たであります」

「どっちだ!?」

「シザータスクであります」

「…アルのヤツ…、まさか…!」

グレネードを両手で構えたエイルと他のメンバー達は、通信機越しにアンドウの舌打ちを聞いた。

物陰に身を潜めたレッサーパンダ達の視線の先には、倉庫の正面口から現れ、抹殺すべき標的を求めて周囲を窺うシザータ

スクの姿。

『皆、もう良い下がれ』

通信機越しに入ったアンドウの声に、しかしエイルは首を横に振った。

「…申し訳ないでありますが、その指令は承諾しかねるであります」

他のメンバーも、そしてエイルも、既にシザータスクを射程に入れている。

ここで防がなければ被害が拡大する。その事を悟っているメンバー達には、退くつもりなどさらさらない。

「特製殺虫グレネード、お見舞いするでありますよ」

物陰から転がり出たエイルの姿を、シザータスクの複眼が捉える。

地面を転がりながら発射されたグレネードは、シザータスクの眼前で地面に着弾し、濃い、真っ白な煙を撒き散らした。

煙にさらされ、目眩でも覚えたように一歩後退したシザータスクめがけ、他のメンバー二名による、ライフルでの狙撃が敢

行される。

戦車の分厚い装甲をも貫く徹甲弾はしかし、着弾寸前で身を捌いたシザータスクの肩と背の甲殻を掠め、火花を散らして地

面にめり込む。

エイルのグレネード発射と同時に間合いを詰めに入った残る二人が、それぞれ諸刃の硬化セラミックソードと、特殊合金製

の手槍を得物に、回避で隙を作ったシザータスクに挑みかかる。

が、一瞬で体勢を立て直したシザータスクは、二対の腕の二本で武器を受け止め、残る二本を二人の胴へ突き込んだ。

常人の反応速度を遙かに超えた動きに、腕利きのブルーティッシュの調停者ですらも、回避は間に合わなかった。

それぞれ腹部に強烈な一撃を受け、吹き飛んだ二人は、防弾防刃ジャケットのおかげで体を貫かれる事だけは免れたものの、

かたや内臓破裂、かたや肋骨を粉砕骨折し、瀕死の状態で地面に転がる。

『やめろっての!下がれ!』

アンドウの焦りの声を聞きながらも、次弾装填を終えたエイルは、果敢にもグレネードをシザータスクに向ける。

攻撃の意志を感知したシザータスクは、素早くエイルに向き直った。

疾走しつつ、飛翔するグレネードを身を低くしてかいくぐり、シザータスクは一瞬でエイルの眼前に到達する。

目前に詰め寄り、すでに鋭い爪を備えた甲冑のような腕を振りかぶっているシザータスクを前に、

「…!」

エイルは何故か、その後方へと視線を向けていた。

「そこまでっスぅうううううう!」

その声が響き渡った同時に、シザータスクは素早く振り向き、眼前に迫った斧を、両腕を交差させて受け止めた。

重々しい金属音と共に弾かれた斧頭が、ワイヤーに引き戻されてゆく。

シザータスクの複眼は、斧が戻って行く先から駆け込んで来る白熊の姿を捉えた。

『だから言ったろ?下がれって』

アンドウの声が、通信機越しにメンバーの耳に届く。

アルが戻る事を信じて疑わなかったその声は、いつもどおりの落ち着き払ったものだった。

ワイヤーが縮み、再度連結して元の形状に戻った大戦斧をしっかり掴み、アルはシザータスクに突進する。

「エイルさん!退いてるっス!」

アルの警告と同時に、エイルは丸っこい体を横に投げ出し、飛び込み前転の要領で地面を転がってシザータスクから離れた。

先程戦闘不能に陥ったはずの白熊が、自分に攻撃を仕掛けてくる。

その事実に驚愕する事もなく、シザータスクは機械的に状況に対応した。

動きは先程確認した。他と比べれば手強いが、今のように虚を突かれでもしなければ、負けることはない。

言語による思考ではなく、客観的なデータ分析でそう判断した彼はしかし、この時点で勝算を見誤っていたと言える。

「禁圧…総解除っス!」

全身のリミッターを解除すると同時に、アルの瞳は再び、赤々と、強く輝きだす。

身体能力を限界近くまで跳ね上げた白熊は、斧を正面で縦に構え、一気に速度を上げてシザータスクに激突した。

受け止めようとしたシザータスクはしかし、まるで雪崩を思わせる、白い巨躯の破壊的な突進に抗う事はできなかった。

さながら猛進して来た大型ダンプに跳ねられたかのように、シザータスクは軽々と、そして高々と、きりもみ状態で宙へと

跳ね上げられる。

空中で羽を広げてなんとか体勢を整えたシザータスクと、ぐっと身を屈めて跳躍体勢に入っているアルの視線が絡み合う。

濃い赤色の光を発する目で獲物を睨み上げ、アスファルトを僅かに陥没させ、砲弾となって飛び上がったアルの斧が、真横

から弧を描いてスイングされた。

四本の腕と両脚を体の前で交差させ、防御態勢を取ったシザータスクだったが、右側の腕二本を叩き斬られ、スイングの勢

いそのままにかっ飛ばされる。

吹き飛ばされたシザータスクは、倉庫の壁に激突し、そのまま突き破って内部へと転がり込んだ。

アルは着地と同時に、シザータスクを追って倉庫の中へと猛スピードで駆け戻る。

倉庫内に再突入したアルは、床に伏した状態から身を起こすシザータスクの姿を捉えると、駆け込んだ勢いそのままに大き

く跳躍した。

その体の周囲では、陽炎のように大気が揺らいでいる。

頭上から叩き付けられる一撃を、シザータスクは昆虫の動きで素早く床を這って避ける。

逃げるシザータスクの後ろで、後を追いながら連続して振り下ろされるギロチンのような大戦斧が、コンクリートの床を次

々と粉砕してゆく。

人の限界反応速度ぎりぎりのスピードと、重機にも匹敵する膂力を誇るシザータスクは、一見鈍重そうに見えるずんぐりし

た白熊に、パワーでもスピードでも翻弄されていた。

禁圧解除を行えば、驚異的な身体能力を獲得できると同時に、負荷で体を痛める危険も背負う。

それ故に、体の自壊を防ぐため、瞬間的に発動させるのが原則と言える。

これを継続使用すれば、限界まで酷使された体もただでは済まない。

本来ならば、そのはずであった。

しかし、数十秒も禁圧解除を持続され、酷使された筋繊維や関節が負荷で自壊し始めているはずのアルには、動きが鈍る様

子がまったく見えない。

奇妙な事はもう一つ。

純白の被毛に覆われたその体からは、白い蒸気が動きに合わせてたなびき、その周囲では大気が揺らめいている。

アルの体は、長時間アイロンを押し当てた布のような、本来ならば有り得ない程の熱を発散していた。

シザータスクは飛び込むように前に跳ねて間を離し、壁を背にして体勢を立て直し、素早く向き直る。

だが、彼が向き直ったその時には、アルは既にその目前へ駆け込んでいた。

大きく身を捻り、全身を撓め、走り込んだ勢いを乗せ、渾身の一撃を放つ体勢に入った白熊の姿。

それが、シザータスクの複眼が、この世で最期に捉えた物となった。

「どっせぇえええいっ!」

気合いと共にフルスイングされた大戦斧は、強靱な甲殻に護られたシザータスクの首を、いとも容易く斬り飛ばした。



エルダーバスティオンの構成員のうち、大半を捕縛、幾人かを取り逃がし、現場が落ち着いた頃、

「お疲れさん」

倉庫の壁によりかかり、ぐったりとしているアルの目前で足を止め、アンドウは労いの言葉をかけた。

ふぅふぅと荒い息を漏らしながら、アルは疲労の色が濃い顔を上げる。

「…途中で一回…、補給したっスけど…、へひぃ〜…!も、もぉガス欠っス…!…きっつぅ…!」

アンドウは苦笑すると、良く冷やされたペットボトルを差し出した。

顔を輝かせてボトルを引ったくると、アルは口を大きくあけ、スポーツドリンクをガブガブと喉に流し込む。

一気にボトルを空にし、息をついたアルに背を向けると、アンドウは思い出したように肩越しに振り返った。

「お前さ…、本部離れても、やって行けるか?」

質問の意図が分からず、アルは不思議そうに首を傾ける。

あどけない、なんとも幼く見えるその仕草に、アンドウは微笑んだ。

「例えばだけど、リーダーや神崎さんの下から離れても、調停者としてやって行けるか?」

再び投げられた問いに、白熊は少しの間考え込む。

「やってけるかどうかは判らないっスけど、そういう状況でやらなきゃならないなら…」

言葉を選ぶようにそう呟いた後、アルは口の端を上げて、ニッと笑った。

「オレは、オレに出来る限りの調停を、全力でやるだけっス!」

「…そっか」

アンドウは満足げな笑みを浮かべると、視線を前に戻した。

そして激戦の痕が刻まれた倉庫内を見回し、表情を綻ばせる。

(あのガキっぽかった白熊坊やが…、いつのまにか、頼もしくなりやがって…)

笑みを収め、倉庫の入り口へと引き返し始めたアンドウは、入れ替わりに入ってきたエイルと、軽く手を上げあってすれ違う。

「大丈夫でありますか?他の皆さんの処置は済んだでありますから、アルビオンさんも手当てするでありますよ」

治療用具が詰め込まれた鞄を片手に歩み寄り、そう声をかけて来たレッサーパンダに、アルはやや引き攣った笑みを返した。

「お、オレの怪我は治ってるっスから、別に治療は必要ないっスよ!?ほら!この通りピンピンしてるっスから!」

既に、濃い緑色の薬で満たされた注射器を取り出していたエイルは、

「そうでありますか…」

と小さく呟き、注射器をしまう。

心なしか残念そうなエイルを見ながら、アルはほっと胸をなで下ろす。

(また得体の知れない薬を注射されちゃ堪んないっス…!)



倉庫の外に出たアンドウは、そっと周囲を窺った。

傍で聞く者が居ない事を確認すると、携帯を取り出し、登録していた番号をコールして耳に当てる。

『俺だ』

流れ出たのは白虎、ダウド・グラハルトの声。

「アンドウです。現場対応中に失礼します。至急連絡したい事がありまして…」

アンドウは手短に偽物を捕縛した旨を報告し、ダウドを喜ばせる。そして、

「…それと、あいつの監視の結論…、少し早いですが、伝えておきます」

口調を改め、再び周囲を見回し、誰も聞いていない事を確認してから言葉を続けた。

「合格です。少なくとも、今のブルーティッシュ内には、アル以上の適任者は存在しないと考えます」

『…そうか』

短く応じたダウドの声に続き、フッと、ため息のような笑い声がアンドウの耳に届いた。

『悪いが、戻ったら執務室で今後の話をしたい。明日にでも幹部を集めて、さっそく独立捜索遊撃部隊の構成員の選定に入り

たいからな』

「了解。それでは…」

『ああ、それと…』

通話を終えようとしたアンドウは、ダウドの言葉が続いている事に気付き、口を閉ざした。

『長らくご苦労だった。監視は今日で終わりにする。明日からは本部でのオペレーティングに戻れ』

「…その事ですが…」

アンドウは少し困ったように顔を顰め、口元に微かな笑みを浮かべた。

「どうやらおれも、現場の空気に馴染み始めたようです。できればいましばらく、強襲部隊に居させて貰えれば嬉しいんですが」

ダウドはしばしの沈黙の後、可笑しそうに声を上げて笑った。

携帯が震えるほどの大きな笑い声に、アンドウは顔を顰めて耳を離す。

『いや済まん!根っからのオフィサーだったお前の口から、そんな言葉が出るとは思わなかったもんでなぁ!…判った。今は

現場の人手こそ不足している。お前がそう望むなら、こっちとしても助かる』

「ありがとうございます」

顔の見えない通話相手に会釈し、

(腕はともかく、行動はまだちっと危なっかしいし…、傍で見ててやりたいんだよね…)

アンドウは苦笑混じりに、心の中でそう呟いた。



全面ガラス張りの、筒のようなエレベーターの中で、透明な壁にべったりとくっつき、アルは感嘆の声を漏らした。

「凄ぇーっスぅ!話には聞いてたっスけど、こんなんなってるなんて全然知らなかったっスよ!」

興奮した様子で目をキラキラさせているアルに、透明な壁に寄り掛かったアンドウは、

「だろうな。おれも最初にこの光景を見た時は、開いた口が塞がらなかったし」

白熊の反応が面白いのか、笑い混じりに応じる。

ブルーティッシュ本部の地下。地表から500メートル潜ったそこに、その空間は存在した。

エレベーターがゆっくりと下降してゆくのは、本部の真下に存在していた大空洞。

人の手が加えられた、全面が照明付きの金属板で覆われたドーム状の空間は、直径千メートル、高さ三百メートルにも及ぶ

巨大なものである。

平らな底面には四角い、倉庫を思わせる建造物が並び、ドームの丁度中央にエレベーターシャフトが柱のように建っている。

そこは、幹部と一部の隊長クラス、そして厳選された機密部門専属メンバーだけが踏み入る事が許され、ほとんどのメンバ

ーは存在しか知らされていない最高機密フロア。

物心がついた頃から本部で暮らし、噂程度に話を聞いていたアルも、実際に足を踏み入れるのは今回が初めてであった。

「あのいっぱいある建物、何なんスか?」

「都民をかくまう仮住宅だ。ここは有事の際に使う地下シェルターとしての役目も併せ持ってるんでな」

「へぇ…。じゃあ、このエレベーターの先のでかい建物は?」

アルが壁と同じく透けている床を指さし、足下に近付いてくる建物を見ながら尋ねると、アンドウは淀みない口調で説明する。

「あそこが各機密や重要なレリックを保管してる機密部門だ。あそこも有事の際に臨時の本部になる」

関心、そして興味で目をキラキラさせているアルと、その様子を面白そうに眺めているアンドウを乗せたまま、エレベータ

ーは建物の最上部から、内部へと飲み込まれていった。



「んじゃ、おれは担当を呼んで来るから、ここで待ってろ」

アンドウにそう告げられたアルは、心ここにあらずといった様子でこくこくと頷いた。

その薄赤い瞳は、広い部屋をぐるりと囲むガラスケースや、いくつものショーケースに収められた、膨大な量のレリックに

注がれている。

アンドウが出て行き、一人きりになった部屋で、アルはゴクリと唾を飲み込んだ。

「…ここにあるレリック…、全部、戦闘用っスよね…?」

傍のケースの一つに歩み寄ったアルは、中に横たえられた三つ叉の槍を見下ろして呟く。槍の手前には「ゲイボルグ」と刻

まれた金属プレートが置いてあった。

「あ、あれは…?」

少し先に視線を向けたアルは、目を止めたケースに歩み寄り、その中を覗き込む。

「やっぱり…、これ、ブリューナクっス…」

なんとなく見覚えのある手槍を前に、白熊はぼそりと呟く。

以前刃を交え、自分を死の寸前まで追い詰めた竜人が手にしていた槍。

ブルーティッシュが回収し、保管していた事など、知りもしなかったし、考えてもいなかった。

「これだけあれば…、国を相手に戦争できるんじゃないっスか…?」

呆れたように呟いたアルは、自分で口にした言葉に慄然とした。

(…何で…?見たとこ解析中とか、研究中って訳じゃないみたいっス…。何でこんなに大量のレリックが、ウチの地下に保管

されてるんスか?普通はこういうのの保管って、調停監査室の直轄機関でやるんじゃ…?)

ここに保管されているレリックは、アルが知る限りメンバーの誰も使ってはいない。

メンバーの武装の予備だったとしても、この量はあきらかにおかしい。

いかに国内最大規模のチームとはいえ、メンバーも使用しないレリックを、これだけ大量に確保しておく必要性は無いはず

であった。

(リーダーは…、ネネさんは…、何をするつもりなんスか…?)

他に見覚えのあるレリックは無いかと、きょろきょろと周囲を見回すアル。

「…?」

やがて、細められた薄赤い瞳は、部屋の最奥にある、縦長の巨大なガラスケースに据えられた。

アルは安置されているレリックの合間を縫って、その一際大きなケースに歩み寄った。

「…これ…」

呟きかけたきり、アルは押し黙る。

白熊の眼前には、彼の体と同じ色の、巨大な剣が安置されていた。

切っ先を下に、柄を上にして立てられているその剣は、全長2メートル程、身幅は40センチ程、一番厚い所は7〜8セン

チはあろうかという、長く、大きく、分厚い剣であった。

刀身は純白で、チェーンソーのように切っ先が丸い。

冗談のようなサイズながらも、護拳も、柄までもが眩いばかりの純白で、全体的に流線型に整えられたデザインは、流麗さ

と暖かみを感じさせる。

「なんか…、どことなくダインスレイヴに似てるっス…?」

白虎の愛刀である黒剣にも匹敵する、常人には扱えないであろう巨剣を見つめ、アルは呟いた。

その箱にだけはプレートが無く、剣の名称は判らない。

が、アルにとって判らなかったのは、名前だけでは無かった。

「…何で…」

微かに震える声で呟いたアルは、

「何でオレ…、泣いてるんスかね…?」

頬に手を伸ばし、両目から零れた涙に指先で触れる。

懐かしい。哀しい。そして温かい気持ちが胸を満たし、アルはポロポロと涙を零す。

涙の理由も、自分の心の動きも、目の前の白い剣の正体も判らなかったが、アルは何故かその剣に、かつて死の淵で見た、

自分とそっくりな白熊のイメージを重ねる。

初めて目にするはずのその剣に、アルは、自分が強く惹き付けられている事を感じていた。

「ヴァルムンク」

突然響いた声に、アルは驚いて振り向いた。

2メートルと離れていないすぐ後ろに、いつから居たのか、腕組みをした白虎が立っていた。

慌てて涙を拭ったアルの顔には目を向けず、ダウドはゆっくりと足を進め、アルと並んで白い巨剣の前に立った。

その金色の瞳は、昔を懐かしむように、そして誰かを想い悼むように細められ、白剣を見つめている。

「ヴァルムンク?」

聞き返した白熊に、白虎はゆっくりと頷いた。

「そいつの名だ」

アルはちらりと白剣を見遣り、

「リーダーの剣なんスか?」

と、ダウドに尋ねる。

だが、アルの記憶にある限りは、これまでにダウドがこの剣を握っていた事は無い。

この奇妙な感覚を覚える剣を一度でも見ていれば、決して忘れる事は無いはずであった。

「いや…。そいつは少々特殊でな、俺じゃあそもそも扱えん」

「リーダーが使えないって…、じゃあ誰が使えるんスか?こんなオバケみたいな剣…」

訝しげに眉根を寄せ、アルはダウドにさらに問う。

ダウドは低く声を漏らして苦笑すると、

「さあな…。使えたヤツはこれまでに一人しか居ない。使えそうなヤツは…、一人だけ目星を付けてあるがな」

と、口元に笑みを湛えて答えた。

それは誰なのか?この剣を使っていた者は?使えそうな者は?

 アルがそう問おうとしたその時、部屋のドアが開き、研究者らしき白衣を纏った中年を伴ったアンドウが姿を現す。

「待たせたなアル。こちらがお前の担当の…ってリーダー?」

白剣の前に並んで立つ白熊と白虎の姿を目にし、アンドウと白衣の中年は揃って不思議そうな顔をする。

「立ち会うんでしたっけ?」

アンドウの問いに、ダウドは首を横に振って応じた。

「いいや、ちょいと足が向いただけだ。今日はあの偽ユウトの引き渡しも有るんでな、すぐに行く」

ダウドは最後に白剣を一瞥すると、アルの肩をポンと叩いてから歩き出した。

左右に退いて道を空けたアンドウと白衣の男の間を通り抜け、ダウドが部屋を出て行くと、背中を見送ったアルは、首を巡

らせて白剣を見遣った。

「ヴァルムンク…」

剣の名を呟き、それから視線を離すと、

「あの剣を使ってた人って、どんな人だか知ってるっスか?」

アルはアンドウ達に歩み寄りながら尋ねてみた。

「ん〜?確か、リーダーの友人だったかな?ヤマガタ先生にちょろっと聞いただけだから、本人との面識も無いし、詳しくは

知らねーけど」

「リーダーの…友人…」

呟いたきり黙り込んだアルに、

「おっといかん…。アル、こちらがお前のヴァリスタの調整を担当してくれる…」

アンドウは思い出したように、所在無さげに立ち尽くしている白衣の男を紹介し始めた。



偽物を搬送する護送車が地下駐車場から走り出て行くのを見送ると、ダウドはすっきりした表情で腕組みをした。

「さて…、予定外にかかったが、これで偽物騒ぎも落ち着くだろう」

傍らのネネも、ほっとしたように表情を緩めている。

「そうね。ここのところ、ユウヒ殿も心中穏やかでなかったようだから、少しは明るいニュースを報告できるわ」

「…ユウトが見つかったって報告なら、心底喜んでくれるだろうがな…。今回はこの程度で勘弁して貰うか…」

少し寂しげに呟き、踵を返して歩き出しながら、ダウドは横に並んだネネに声をかけた。

「…ついさっき、アルが、ヴァルムンクを見ていた」

小さく息を飲んだネネは、ダウドの顔を見上げる。

「どんな…様子だったの…?」

「…泣いてたよ」

静かに応じて目を細めたダウドの横顔は、少し嬉しそうにも、同時に辛そうにも見えた。



『おう!どしたアル?久しぶりじゃねぇか!忙しかったのか?』

携帯から流れ出る、友人の低く太い声を耳にし、ベッドに腰掛けたアルは嬉しそうな笑みを浮かべた。

「まぁ、ちょっと忙しかったっスかね?…でまぁ、そのぉ…、突然でアレなんスけど、ちょっと聞きたい事が…」

湯上がりのため、トランクス一丁のリラックスした格好で、アルは股間を見下ろしながらモジモジと巨体を揺する。

「…アソコ、改善してるっス…?」

『…ん…、…まぁ…、…でかさはあんま変わんねぇけど…』

電話の相手はボソボソと呟くように応じると、

『でも、一応全部剥けるようになったぜ?』

「うっ!?」

軽い敗北感に声を上げたアルの耳に、訝しむような声が流れ込む。

『…もしかして…、あんま良い具合じゃねぇのか…?』

「…あんまり…順調とは…言えないっス…。で、どうやって剥けるようになったのか聞きたかったんスけど…」

『そりゃ良いけど…、お前は何かやってんのか?』

「二、三日に一回、掴んで、根本めがけて思いっきり引き下ろしてるっス」

しばしの沈黙の後、

『…アル…。お前、それ怪我すんぞ!?せがれはまだ無事か!?』

「うぇ!?い、一応無事っスけど…。え?お、オレ何かやばス!?」

 携帯から聞こえたせっぱ詰まった調子の声に、アルはおろおろとたじろぐ。

『ヤベぇなんてもんじゃねぇ!いいか?ソレやめろ!怪我して病気になんぞ!?』

「う、うス…!」

怯えた表情で頷いたアルに、電話の相手は、

『俺が改善に使ったローション、まだちっと余ってんだ。送ってやるからそれ使ってみろよ?焦んねぇでじっくりやりゃ、きっ

と効果が出る。あ、使いきりの小分けになってるヤツで、バッチくねぇから安心しろ』

「ほ、ホントっスか!?恩に着るっス!」

『気にすんな。同じ悩みを持つ同士だろ?』

「うははっ!ありがとっスぅ〜!」

調停者として大きく成長を遂げながら、アルの中身はそれでも、人並みの悩みを抱え、恋人との会話に一喜一憂し、友人と

他愛ない話で盛り上がる、ごく普通の高校生であった。

その後、しばし久しぶりに声を交わす友人と談笑していると、不意に警報が響き、天井の室内スピーカーからアンドウの声

が流れ出す。

『アル!緊急配備!第二駐車場だ!』

「うぇ!?りょ、了解っス!」

アルは慌てて立ち上がると、残念そうに眉根を寄せ、電話の相手に謝った。

「ごめ…、急用入ったっスぅ…。また今度ゆっくりかけるっスよ…」

『おう。暇ならいつでもかけて寄越せよな?遠慮なんぞ要らねぇからよ。じゃあ、またな』

通話を切ろうとしたアルは、

『っと、アル』

「ん?」

携帯から流れた声に、再び耳を傾ける。

『気ぃつけてな?』

「うス!ありがとっス!」



『プーカが二匹そっちに回った!さんざん引っかき回されて配置が伸び切ってる、そこが最終ラインだ、任せたぞアル!』

「了解!任されたっスよっ!」

通信機から流れ出たアンドウの声に、アルは威勢の良い声を返す。

そして、今まさに前方の路地の角を曲がって現れた二頭の巨大な黒犬を見据える。

アルの背後に伸びる路地を突っ切れば、程なく繁華街に至る。

その道程にメンバーの配置は無く、アルが抜かれれば後は無い。

自分の肩にのし掛かる、責任の重さを感じながら、アルはドンと大きく足を踏み出し、大戦斧を横に大きく一振りして身構

える。

威風堂々。若熊が全身から放つ雄々しい気迫に、黒犬達は気圧されたように立ち止まった。

アルビオン・オールグッドは当年で18歳になる。

昨日まで続いてきた日常がある日突然簡単に壊れてしまう事を、大人になりつつある多感な時期に、彼は知った。

世界がどれだけ理不尽で、無慈悲なものであるのかを痛切に思い知った。

それでも彼は、日常とその裏の狭間で、倦まず、弛まず、前を向いて歩いてゆく。

敬愛する二人の調停者が、身をもって示したその生き様に恥じぬように歩み続ける。

自分の大切な人々が暮らす日常を護りたいから。

自分の手が届く、すぐそこに居る誰かを救いたいから。

アルは今日も夜を駆け、その身をもって己の調停を首都に示す。

「こっから先へは、一歩も通さないっスよ!」

暗くわだかまる、淀んだ空気を打ち払い、アルの大声が路地に響き渡った。

深き夜闇を打ち払い、明日を呼び込むような、若々しく、猛々しい若き白熊の咆哮が。