ホワイトアウト(後編)

「やみませんね…、吹雪…」

少年がぼそりと呟き、彼を抱えたまま私は頷いた。

私が掘ったこの雪壕はかなり浅く作ってある。

急いでいた事も否めないが、絶えず降り積もる雪に深く埋まり過ぎ、脱出に支障を来す事がないようにだ。

この雪濠は、恐らく岩塊などに吹き溜まって小高くなっていたのだろう雪山に、横方向へ掘って作ったトンネル状の物で、

入り口は雪を固めて作ったブロックを積んで塞いだだけの簡素な造りだ。

その浅い雪壕内にも、吹雪の荒々しい遠吠えが染み入って来る。

音というより震動に近い。

内側から押し固め、僅かに溶けて間もなく凍結した内壁は、地表を暴れ回る風と雪の息吹と足音に震え、獣が唸るような音

を伝えて来る。

冬の北原は毎日のように吹雪く。

しかし、本格的な冬はまだ少し先というこの時期、ここまでの荒れ具合は珍しいと言える。

「私が荒れ具合に一役買っている可能性も否めない」

少年は首を捻って、呟いた私を見ながら瞳に訝しげな光を灯す。

「私の奇行のせいで今日は吹雪くのではないかと、ある隊員に言われた」

「奇行…?何ですか…?」

「実は心当たりが無い。全く」

こうなると、少々気になって来る。

あの時面倒臭がらず、私がどんな奇妙な行いをしたのか、スコルに聞いておくべきだったか。

雪壕を作ってからかなり経った。少年は幾分元気を取り戻し、体温もだいぶ上がっている。もう心配無いだろう。

「天候が落ち着き次第、ベースへ引き上げる」

「あ…、はい…。ごめんなさい…中尉…」

これは先にも告げた行動方針なのだが、少年は自分のせいだと思い込んでいるらしく、首を縮めて項垂れる。

「謝るな。これは現時点で最も効率的な選択だ」

慰めている訳ではない。これは本音だ。

悪天候に加え、対象を発見できないまま時間を失い過ぎた今、一時撤退も私の選択肢に入ったのだ。

この天候の中で捜索を強行した他の隊員達からも、第三小隊側からも、一向に発見報告が無い。

この事から、捜索対象が既に想定範囲外へ移動してしまった可能性も高いと考えている。

一度撤退し、さらに広範囲の捜索に対応した装備で再度臨むべきだろう。

「さて…、先程の続きだが、やはり名前は思い浮かばないか?」

「は…、はい…。考えた事も無かったので…」

話題を戻した私に、少年は困っているような悩んでいるような顔をして見せる。

この少年の、こんなあまりにも「らしくない」顔を見る度、私の胸の奥でざわつく物がある。

少年は…そう、あまりにも、極めて、この上なく、「兵士の貌」をしていないのだ。

年頃の、一般人の少年少女と変わらない雰囲気と表情。

それを感じ取る度に、私の胸の奥から不安にも似た感覚が僅かに湧き上がる。

この少年は、戦場では長生きできない。戦う者の心理パターンと思考ルーチンを全く持っていない、狩られる側の存在だ。

ましてやこのグレイブ隊では長生きなど期待できない。保って数ヶ月といった所だろう。

そんな思いを抱いた私は、ジャケットのポケットに手を突っ込み、ある品を取り出した。

私が顔の前に持っていった手を開くと、少年はそこに乗っている物を見て首を傾げる。

「食っておけ。糖分とビタミンを補給できる」

それは、子供が一掴みにできる程少量の、干しぶどうが詰まったビニールパックだ。

砂糖をまぶした干し果物は携帯性と保存性に優れ、非常用の栄養補助食品として実に優秀である。

野生動物以上に食い溜めがきく私でも、特定の栄養素は自力で合成できない。ビタミン類の中には摂取に頼るしか無い栄養

素が多いので、ドライフルーツの類は非常に便利だ。

「それは…、中尉がどうぞ…」

「私は問題ない。今は君が摂取すべきだ」

遠慮する少年に、私は自分がまだビタミン摂取を必要としていない事を説明した。

「食い溜め…ですか?」

「理論上は、十分な栄養を摂取しておけば、半年間の無補給休眠も可能とされている」

「熊なんかみたいに…、冬眠…とか?できるんですか?」

「そういう事だ。もっとも実際に試した事は無いがな。判っただろう?私はまだ必要無い、君が食え」

「は、はい…。頂きます…」

少年はジャケットの下からおずおすと手を伸ばし、私の手に乗っている小さなパックを摘む。

袋に指をかけ、破ろうとした少年は、

「…ふ…、う…」

パックを摘んだままの指を震わせ、喉の奥で呻いた。

「う…!うぅっ…!うぐっ…!」

私は少し驚きながら、少年の顔を見つめる。

泣いていた。そして、笑っていた。

震える口の両端を緩やかに上げ、細めた目から涙を零して。

「どうした?」

「ごっ…!ごめっ…!ひっく!ごめんなさい中尉…!」

少年は泣きながら、笑いながら、謝りながら首を横に振る。

零れ落ちた雫が、私の白い胸に落ちて染み入った。

たちまちの内に冷えて冷たくなったはずのそれは、しかしどういう訳か私の胸を冷さない。

むしろ、内側から熱くさえさせている。

「う…うれっ…!嬉しくてっ…!ぼく…!こ、こんなっ…!こんな風に優しくっ…うっく!さ、されたの…、初めて…だった

からっ…!」

私の胸の奥が、また疼いた。

この少年は、あまりにも繊細過ぎる。あまりにも普通過ぎる感性の持ち主だ。

そぐわないのだ。こんな場所で、こんな境遇で、こんな立場で生きるには、真っ当過ぎる人格と常識的感性、道徳的思考は

命取りになる。

この疼きは一体何なのだろう?苛立ち混じりの同情なのか?

らしくない。全くもってらしくない…。

「…食え」

何と声をかけて良いか判らず、我ながらまぬけな事この上ない一言を発した私に、少年は泣きながら頷いた。

そして、干しぶどうを一粒一粒、ひっくひっくとしゃくり上げながら、口の中へ入れてゆく。

そして涙ながらに、これまでに自分が置かれていた境遇を語り始めた。



「…なるほど。合点が行った」

まだしゃくり上げている少年から、ライトクリスタルに照らされた天井へと視線を移し、私は頷いた。

話している内に思い出したのだろう。身の上話を語り終えた少年は、私の上で震えている。白い被毛に覆われた私の胴に手

を回し、上からしがみ付く格好で。

弱々しい腕は私の厚い脂肪と被毛に半ば埋まり、脇腹に軽く食い込んでいるが、苦しくはない。

我を忘れて必死になってしがみ付いてもなお、少年の腕力は弱々しく、そして頼りなかった。

少年は、先に居た部隊の上官に、彼自身の言葉を借りるなら「可愛がられていた」そうだ。

普通に可愛がられていた訳ではない。性的な意味でだが。

ただし、少年は知っての通り男で、かつての上官もまた男だった。

男色家であるその上官は、この少年の事が気に入ったらしく、強制的に関係を作らされたらしい。

しかも、もはや運が悪いと一括りに言うのもはばかられるが、その上官は、相手をいたぶる事に快楽を覚える性癖の持ち主

だった。

縛る、鞭打つ、水に沈める、火を押し付けるなど、様々な苦痛を与えられ、その都度涙を流して赦しを乞い、興奮状態の上

官に犯される…。少年はそんな毎日を送って来たそうだ。

最初こそ我慢していた少年だったが、上官の振る舞いは次第にエスカレートしていった。

おそらくは少年が大人しく、そして従順過ぎる事も、行為がエスカレートする要因だったのだろう。

相手が卑屈に赦しを乞う事で、ますます嗜虐心が煽られる…、心理の動きとしては有り得る事だ。

意識を失うまで首を絞める。刃物をちらつかせて脅す。時には浅く刃を立てる。

次第に性行為よりも虐待の方に熱を上げるようになり、少年の体からは傷が絶えなくなった。

そしてある日、ついに限界が訪れた。

皮膚に食い込んで血が出る程細い革紐で、きつく首を絞められていた少年は、無意識にベッド脇にあった物を掴んだ。

そして、自分に跨って首を絞めている上官の側頭部へ、それを叩き付けたのである。

叩き付けたのは花瓶だった。水がたっぷりと入った花瓶。

いたぶる事は好きでも痛い目に遭うのは嫌だったらしいその上官は、悲鳴を上げて跳ね起き、部屋から逃げ出したそうだ。

少年の腕力でも、水が入った花瓶の一撃は効いたらしい。

だが、自分の身を守るためだった、その無意識下での防御行為は、事態をさらに悪化させる結果となった。

側頭部に巨大な瘤を拵え、腹を立てたその上官は、少年をグレイブ隊へと推薦したのだから。

朝と、先程ここで意識を取り戻した二度。目覚めた際に私に触れられていた状況で激しい反応を見せ、恐慌状態となったの

は、その当時の事を思い出してしまったせいだった。

所属した部隊が違えば、上官が違えば、あるいは目を付けられなければ…。

どれか一つでも違えばグレイブ隊まで来る事も無かったはずなのだが…、つくづくついていない少年だ。

「だから…、ぼく…。中尉に…さ、触られた時っ…!お、思い出しちゃって…!あ、あんな…、失礼な事…、しちゃって…!

ご、ごめん…なさい…!」

少年はしゃくりあげながら、もう何度目か判らない詫びの言葉を口にした。

「もう良い、謝るな。それよりも、この状況のままで我慢できるか?」

私は少年に問う。

上半身裸の私に抱かれているこの状況は、少年にとっては悪夢を思い出させる条件が整っている。

かといって、身を離せば少年は自力で寒さに耐えねばならなくなる。

この状態の方が都合は良いのだが、少年が我慢できないのならば…。

「…あの…、大丈夫です…」

思いの外しっかりした声が、鼻をすすった少年から返ってきた。

「目覚めた時は…、寝ぼけてて混乱していたから、あんな所を…その、見せちゃいましたけど…。今はもう、大丈夫です」

この返事を強がりかもしれないと感じた私は、念のために言っておく。

「安心して良い。私には男色の気は無い。…より正確には、性行為そのものに関心が無いので安全を保証できる」

恐らくは私が真っ当な生物ではないからなのだろう。男どころか女にも性的関心が皆無なのだ。

少年はきょとんとした顔で私を見た後、小さく笑った。

「…む?何か可笑しかったのか?」

「す、済みません…!ふっ…、ふふふっ…!だ、だって中尉…、凄く真面目な顔で、「安全は保証できる」とか言うから…!」

「…ふむ?」

普通に告げただけのつもりだったのだが、面白い事なのだろうか?

この状況で口にすると面白いセリフだったのか?それとも、文脈自体が可笑しかったのか?

少し考えてみたが、全く判らない。

「それに…、あの…。失礼ですけど…、最初は、中尉はもっとおっかないひとだと思ってました…。…あんまり喋らないし、

ちっとも笑わないし…。でも、普通に話すと、全然おっかなくないんですね?前の部隊のひと達より、ずっと優しいし…」

…まあ、普段無口なのは自分でも認める所だ。

殊に今夜は、少年を眠らせない為とはいえ、一ヶ月分ほど喋ったかもしれない。

それにしても…、おっかない?優しい?判断に困る感想だ。

首を捻る私の上で、少年は謝りながらしばらく笑っていた。

その震動が、分厚く脂肪を蓄積した私の腹を通して、体の芯まで伝わって来る。

不思議と不快ではなかったが、こそばゆいような温かいような、妙な心地だ。

それはそうとして、笑うという行為は好ましい。これでも運動ではあるのだ。

少年の体温をいくらかでも保つ為に、笑っていて貰った方が好都合だろう。

「笑うついでに、良い事を考えろ」

「ふふ…、へ?はい?」

少年は笑いの名残りを顔に貼り付けたまま、小首を傾げた。

「何か良い事を考えろと言ったのだ。笑う事は、この状況では好ましい」

「えっと…、「良い事」って言われても…、急には…」

「例えば、何処か安全で楽な部署に配属される…などだ」

「…へ?」

「例えば、君がここで大手柄を立て、高級将校の秘書というポジションに栄転する…などでもいい」

「えぇと…」

「身近な所では、ゲルヒルデ隊長から褒められる…ではどうだ?」

「何ですか?それ…」

「分かり易い「良い事」を挙げたつもりだが」

「ふ…!ふふふっ!中尉って…、面白いひとなんですね?」

…面白い?私が?

意表を突く発言を耳にした私が首を捻ると、少年は何かに気付いたように耳を動かした。

「あ…、吹雪、収まって来たんでしょうか?」

「三十分ほど前から弱まり始めた。このまま行けば、珍しい事だが凪になるかもしれない」

この、それほど本気でもなかった、「良い事」繋がりで口にしただけの私の言葉は、数十分後に現実の物となった。

北原では極めて珍しい事だが、完全な無風となり、雪がやんだのである。



夜明けと重なったその晴れ間に、私は少年を伴って雪壕から這い出した。

「すっ…ごぉい…!」

広がる景色を目にした少年は、そう言ったきり絶句した。

驚くのも無理もない。頭上には透き通った輝く青。目前には延々と広がる白。

雪と氷山と空だけが視界を埋めるそれは、いささか荒涼としてはいるが、絶景と呼んでも差し支えない。

滅多に見る事はできないが、晴れ渡った空の下で陽光に輝く北原は、世界で最も美しい場所の一つだろう。

「裸眼ではあまり雪面を凝視するな。目をやられるぞ」

「あ…、は、はいっ!」

いかなる環境にも適応できるよう作られている私とは異なり、少年の目は反射光で痛んでしまう。

私が警告してやると、少年は慌ててゴーグルを填めた。

…それにしても、晴天とは珍しい…。

不寛容で無慈悲なはずの北原が、周囲に翻弄され、流され、最果てに追いやられたこの少年の境遇と無力さを憐れんだのか?

不幸な身の上を知り、北原の空が、風が、雪が、少しは優しくしてやろうと相談でもしたのだろうか?

それとも、あの吹雪もこの快晴も、私の奇行とやらが原因なのだろうか?

そんなとりとめもない思考は、私の瞳が雪原の一角で照り返った異質な光を捉えた事で中断された。

「伏せろ」

「え?うわっぷ!」

私は警告すると同時に少年の肩を掴み、伏せながら雪面に引き倒す。

「な、何ですか!?敵っ!?」

「そうらしい」

目を懲らした私の視界には、雪とは違う反射が数点捉えられている。

雪上車群…中隊規模だ。距離はまだかなりあるが、私達に横腹をさらして移動している。

…まさか…?いや、おそらく間違いあるまい。標的だ。

徒歩らしいという通達の不確かさには、呆れるを通り越して感心してしまう。あれが徒歩ならばステルス機でようやくスク

ーターだ。

スコルが言う怠慢などではないな。おそらくは嫌がらせとして、疑わしい情報を意図的に精査せず送って寄越したのだろう。

しかし北からだと?南岸から東西どちらかへ移動して行くはずの部隊が、なぜそんな有り得ない方向から来るのだ?

疑問に思った私は、ややあって、その馬鹿馬鹿しい理由に思い至った。

おそらくはこの天候が原因で進軍方向を誤り、半ば遭難しかけていたのだろう。

相手が想像していなかったほど軟弱だったせいで、普段ならばかなりの精度を誇るスコル達の予想が外れたのだ。

「新入り」

「は、はいっ!」

私が囁きかけると、少年はもぞもぞと身じろぎし、寝そべる恰好のまま小型マシンガンを顔の前に出した。

「せ、戦闘ですね…?」

怯えと不安を色濃く帯びた少年に黙って頷いた私は、首輪に触れて全隊員に標的捕捉の報を告げる。

だが、位置情報を送りはしたものの、既にここから半日の距離を進んでいる皆の到着を待つ余裕は無い。逆方向へ向かった

第三小隊も、当然間に合わない。

待っていては援軍が追いつくまでに逃げ切られる。今この場でやるしか無い。

「ほ、他のひと達は、どれぐらいで来れますかね…?」

「間に合わない」

私の返答に、少年は「え?」と、不思議そうな声を漏らした。

「このまま仕掛ける」

「そ、そんな!無茶…」

「君はこの場で待機だ」

声を遮られた少年は、私の言葉が理解できなかったのか、またもや「え?」と、不思議そうな声を上げる。

「どうやら連中は雪に不慣れらしい。それでも感心な事に、あの吹雪の中を行軍して来たようだ。おそらく士気も体力も尽き

かけている。私単独でもどうにかできる」

「一人なんて、かえって無茶ですよ!」

少年は悲鳴のような声を上げたが、私は構わず続けた。

「君には拠点防衛を頼む」

「きょ、拠点…?」

「重要な拠点だ。死守しなければならない。頼めるか?」

頷いた私は、入り口の雪ブロックを退けられ、黒々と口を開けている雪壕を指さす。

「え?雪壕?雪壕って、何で…?」

「大事な拠点だ。あそこには私達の命綱がある。間違っても奪われる訳にはいかない」

「命綱…?何です?」

少年は表情を引き締め、聞き返して来た。

「非常食だ」

「………」

「非常食の重要性を理解していないのか?」

「い、いや…、それは確かに大事でしょうけれど…。そんな食いしん坊みたいな事…」

「食いしん坊なのだ、私は」

問答している時間が惜しい。モゴモゴと口ごもる少年に、私は念を押した。

「とにかく頼む。良いな?何があっても死守だ」

…さて、少年は比較的安全な位置に留まる。敵は中隊規模で、おまけに雪に不慣れ…。

状況と能力を上手く使えば、制圧はそう難しくないはずだ。



夜通しの吹雪で降り積もった新雪の上を、泳ぐようにして進む。

風がつけた隆起のおかげで、身を隠す場所には事欠かない。

その激しく吹き荒れて雪原を刻んだ風も、今は無い。

無風の状態で陽光に照らされている、剥き出しになっている私の頭では、白くて長い被毛と垂れ耳が、珍しく風になぶられ

もせずに重力に引かれている。

白一色の私は、雪に溶け込みながら、高所へ偵察を張らせる事もしない隙だらけの敵部隊へとにじり寄った。

それぞれの雪上車上部にあるハッチからは、防寒具を纏う男達が時折顔を出し、周囲を警戒している。

が、寒いのか、双眼鏡で辺りを少し見回しただけで、すぐさま引っ込んでしまう。

…今の私の状況としては非常に楽なのだが…、まるでなっていない…。

部下達の行動にはあまり口出ししない私だが、さすがにあんな真似はさせない。

これで、相手は指揮官から末端に至るまでが北原の素人だという事は、はっきりと判った。

苦労無く距離を詰めた私は、奇襲可能距離付近で、都合良く聳える氷山に目を止めた。

…ふむ。あれを利用しない手は無いな…。

途切れ途切れの警戒に引っかからないよう移動した私は、連中の進行方向脇にあたる絶好のポジションに聳える、アンバラ

ンスな形状の細い氷山の陰へと身を潜めた。

そして、強風によって雪が真横に積もったその山へ、意識を集中させる。

程なく、氷山が鳴動した。

身震いするように震えた氷山から剥がれ落ちた雪が、小規模の雪崩となって、先頭から二台の雪上車を飲み込む。

「な、何事だ!?」

「雪崩のようです!」

「二台埋まったぞ!」

「何てこった!」

「救助急げ!」

無風の雪原に立ち込める、真っ白な雪煙。

混乱の悲鳴が上がるその真っ直中、兵の一人が「あ…?」と、気の抜けた声を上げた。

自分の目の高さにある、白い戦闘服の胸を目にして。

濃い雪煙の中では雪の壁にでも見えたのか、訝しげな視線がゆっくり上向きになり、私の顔を捉えた。

「て、敵しゅぅうううううううううううううううううううううううううっ!」

悲鳴混じりの警告が上がる。

期待通りの警告を上げてくれた兵士に、感謝を込めた苦痛が少ない首への手刀を送って昏倒させた私は、雪煙に紛れて素早

く移動した。

陽光が乱反射する雪煙は、白いどころか眩しい。

私はともかく彼らにとっては、伸ばした自分の手を見るのも厳しい環境だ。

極端に悪い視界の中、敵襲の報で色めき立ち、混乱を強める兵士達。

同士討ちになる事を恐れてか、流石に銃撃こそ無いものの、あちこちで誰何の声と怒号が上がっている。

部隊の掌握がなっていない。指揮官もそう腕利きではないようだ。

おまけに、奇襲を受けた兵士達は、私が一人きりだとは気付いていない。この雪煙が晴れるまでが勝負だ。

ホワイトアウト。

立ち込める白に紛れ込んだ私は、雪中を疾走して攪乱しつつ一人、また一人と、浮き足立つ兵士を無力化してゆく。

雪上車の後部ハッチは退却を想定してか、それともただの閉め忘れか、あるいは誘っているのか、大半が開けっ放しだった。

さて…、レリックはどの車両だ?

雪崩に飲まれた先頭の二車両は砕氷機付きの特別製だった。レリックを運搬する車両はあれら以外のはずだが、他の車両は

全て同タイプで見分けが付かない。

最後尾か?それとも中央か?

私ならば重要な車両を最後尾には置かないが、この部隊の練度を見るに、有り得そうで困る。

それとも、流石にそこまで無能では無いか?いや、奇手としてはあえて最後尾へ配する事も有り得る。

雪煙の中でトンファーを振るい、敵兵を排除してはこまめに移動し、白に紛れて混乱を煽りながら、私は考える。

不謹慎だが、私はこういった事を考えるのが割と好きなのかもしれない。

読み合い、探り合い、せめぎ合い…、多様な駆け引きについて頭を回転させる事を、楽しいと感じているらしい。

それは、指揮官としての采配のみならず、自ら武器を振るう直接戦闘についても言える。

力と技のぶつけあい、探り合い、腹の読み合いは、私の冷めた心を幾ばくか温める。

そう、私はあの少年とは違う。

闘争の為に生み出された私は、闘争に適応した異常な思考の持ち主なのだろう。

素体となった男からしてこの上なく異常でこの上なく危険だったのだ。

彼の死体を元に製造された私が、まともであるはずがない。

不意に、舞い踊るパウダリースノーの中で、鈍い灰色が蠢いた。

兵士の一人が指揮官らしい男の指示に従い、私の姿も見定められないまま、大型火器を担ぎ上げている。

ランチャーの類だろう。型は新しいが、この状況では運用に適した兵装とは言えない。

威嚇の意味をこめてだろう、跪くどころか腰も落とさず、立ったままこれ見よがしにランチャーを担いでいる兵士は、私に

とっては実に魅力的な、利用価値のある存在だった。

粉雪に紛れて兵士の一人の口を押さえ、ボディブローを入れて声もなく昏倒させた私は、十分な時間とスペースを確保でき

る見込を付け、能力の使用準備に入る。

目視したのはランチャーを担ぐ兵士…その左後方。

トンファーを掴んだ右手を、狙いを定めたそこへ向け、人差し指と中指を輪にする形でグリップを保持したまま、残る三本

の指を立て、手を広げる。

私の能力は、思念の集中によって特定の現象を引き起こすタイプの物だ。

思念の集中がトリガーとなって発動する性質上、掌導は必須動作ではないのだが、無挙動で行うよりは、掌導をおこなった

方が精度と射程が増す傾向を持つ。

対象地点までは距離にして約37メートル。掌導を行えば余裕を持って射程内に収められる。

離れれば離れるほど効果が現れるまで時間がかかるが、今回は一秒弱で条件は整った。

私の視界の中央。手の平を向けたそこで、白が跳ね上がった。

間欠泉のように噴き上がった雪の柱と、出現に際して発せられたドォンという下っ腹に響く衝撃音に、視界も悪い兵士達の

注意が集中する。

そこへ、驚いた兵士がはずみで打ち込んでしまったロケットランチャーが飛んでいった。

雪の柱を吹き散らす炎、衝撃、爆風。

恐慌状態となった兵士達が右往左往し、声を上げる。

確実にこうなると読んでいた訳ではない。少し期待した程度だったのだが、面白い程考えた通りに動いてくれた。

騒ぎの中、爆風で飛ばされ薄くなった雪煙を掻き分けて、私は手近な雪上車に接近する。

片っ端から調べてレリックを発見、奪取し、新入りが待つ雪濠へ戻る。

追撃は覚悟しなければならないだろうが、小柄な彼を抱えて逃げる程度の事は、私にはそれほどきつい労働にはならない。

確かに私は巨漢で肥満だが、脚にはいささか自信がある。

部隊内で私に駆け勝つ事ができるのは、私と同じガルムシリーズの一体、第二小隊のマーナ程度だ。

脚力を活かして雪の中を駆け抜け、接触する兵士をなぎ倒し、私は雪上車の一台に取り付く。

ハッチは先程兵士達が飛び出した時のまま、不用心にも開け放たれており、容易に中が覗ける状況だ。

開いていたのは、私が危惧したような罠への誘いではなかった。完全な閉め忘れらしい。

…敵である私が指導できた義理ではないが、つくづくなっていない…。一言記したメモの一枚でも残して行きたくなる。

あるいは、犯行現場に紙切れを残してゆくという怪盗などは、警備の脆弱性に黙っていられなくなって、警告の意味でメッ

セージを残してゆくのだろうか?

そんな事を考えながらも、私はハッチ内を観察し終えて踵を返す。

そして、ピタリと動きを止めた。

残る三台の一台、最も私に近い位置に停車している雪上車の荷台前で、一辺20センチ程の正方形の箱を抱えた小柄な猫が、

びくびくきょろきょろと周囲を見回している。

…新入り…?何故?いつのまに此処へ?

我ながら呆れるほどの無防備さで一瞬固まった私は、即座にその信じがたい状況を受け入れた。

有り得そうにない事が時折起こるのが戦場だ。いちいち我を忘れていては身が持たないというのに、私も未熟だな。

M!」

コードM10号とは呼び辛かったので頭文字だけ吠えた私の方へ、少年はビクッと顔を向けた。

雪を纏って駆け寄る私に気付いたのか、ゴーグルの中の目が細められ、次いで大きくなった。

「中尉!これ!」

少年は抱えていた鈍色の箱を頭上に掲げた。

大して重くもないのか、華奢な少年が軽々と持ち上げたそれは、雪の中で金属的に煌めく。

レリックを保管する為の特別製なのだろう。ぱっと見ただけでもロックが五つはついている。

…何かおかしい。

あの位置の雪上車に移動するには、私が気を配っていた、車列後方の広い空間を横切らねばならない。

幾度か注意を他へ向けたとはいえ、そこを突っ切って移動する何かに気付かない程長時間は、目を離したりしなかった。

が、現実に少年は車両に潜り込み、レリックを手にしているのだから、私の注意が及ばなかったのだろう。

あるいは、案外この少年は隠密移動が上手なのかもしれない。

考察は一瞬だけに留め、私は微かな違和感を頭の隅へ押しやる。今はゆっくり考えている余裕など無いのだ。

興奮した様子の少年は、接近する私に注意を向け、完全に無防備だった。

両手で頭上に高々と箱を掲げたその姿は、小柄でも当然目立つ。

何らかのスポーツで勝ち名乗りを上げている訳でもないというのに、呆れるほど状況を理解していない。

…これは、後で叱ってやらねばなるまい。

雪煙が晴れつつある状況で、当然ながら敵兵数名が少年に気付いた。

「何だ貴様!?」

「敵だ!敵が居るぞ!」

「にゃーっ!?」

当然と言えば当然の成り行き。少年は当然のように驚いた。

こうなる事ぐらいは予測できて然り。未熟も未熟、基礎に立ち返った指導が必要だな。

後方から二名、横手から一名が、箱を護るように抱えた少年に迫る。

それぞれの手には全長1メートル程の片刃の大鉈と、ナイフを先端に取り付けて扱う組み立て式の手槍、氷壁に打ち込んで

足がかりにもできる手斧が握られている。

距離はそれぞれ5から8メートル。私とM10の距離は15メートルといった所だ。

その15メートルを、能力を使って10メートル程埋める事にする。

掌導の必要がない距離に入ったそのタイミングで、私はM10の周囲に力を収束させた。

少年の周囲で雪面が震動し、直後白い煙が舞い上がる。

怯んだ三名の敵兵は、雪の向こうに消えた少年を見失い、急停止した。

その雪柱に覆われた少年を、構わず突っ込んだ私の左腕が捕まえる。

「ふにゃーっ!」

雪を引き裂いて反対側へ飛び出した私は、駆け抜け様に前後逆さまに小脇に抱えた少年の悲鳴を尻の辺りで聞きながら、突

然現れた白犬に驚いている二名へ肉薄した。

迂回する手間をかける事もないな、このまま押し通る。横手で立ち竦んでいる斧を持った男は無視するとしよう。

反射的に突き出された槍の穂先を右の脇に挟み、トンファーを握り込んだ手首を被せて真下に下げる形でへし折った私は、

前へつんのめった男の顔面へ靴底を送り込む。

折れた前歯と鮮やかな鼻血を吹き散らしつつ、仰向けになって吹き飛ぶ男には目もくれず、すぐさま横合いから斬りかかっ

て来た男へ右腕をかざした。

握ったトンファーは拳の先から肘までを完全にカバーしており、剣戟を受けても肌に刃が触れない。

木製であれば切断される事もあるだろうが、私のコレは特別製だ。

甲高い金属音と共に折れ飛んだのは、長鉈の方だった。

刃とトンファーが接触する瞬間、私はカウンターとして素早く、短い動作の振り払いを、関節を固定するようにして送り込

んでいる。

耐久力を上回る衝撃を受けて鉈が折れると、その使い手であった男は手首を痺れさせて柄を取り落とす。

その鳩尾へ、私は左手を送り込んだ。

放されたM10が上げた「みゃっ!」という声が終わらぬ内に、左のトンファーでボディブローを繰り出して男をくの字に

折り曲げる。

そして、すぐさま腕を戻してM10が落ちる前に腰を捕まえ、再び脇へ抱え込む。

「念のため、残る車両も検分する」

私の宣言に、少年は後ろ向きに抱えられたまま首を捻って、苦しそうに声を上げた。

「ぼ、ぼぼぼく、みっ、見てきました!けど、三台見てもっ!らしいのはこれしかっ…!」

ふむ…?

「みみ、見てないのはっ!そっちの方にある一台とっ!埋まっちゃったヤツだだだだけですぅっ!」

「ならばもう用は無い、これより撤退する」

少年は、私が思っていた以上に働いた後だったらしい。

埋まっている車両はともかく、私が見た一台と合わせれば、チェックすべき車両は全て見た事になる。

「その箱を保持しろ。死守だ」

「はははははいぃっ!」

箱を両腕でしっかり胸に抱え込んだ少年を前後逆向きに脇に抱えたまま、私は混乱の続く雪の中を駆け抜け、離脱に移った。



数十分後。

十分に距離を稼ぎ、追撃がない…あるいは、あったとしても振り切ったと判断した私は、後方を見渡せる小高い雪面で、抱

えたままだった少年を下ろした。

箱についていた発信機らしき物は破壊して捨てた。首輪に内蔵された探知機が反応するような電波は無いが、念の為、合流

後には専門の者にチェックさせねばならないだろう。

「ここ…こんな鮮やかな奇襲と撤退…、聞いた事もありません…!凄いです中尉!」

「この程度の事ができなくては、今日まで生き残っていない」

少々興奮気味の少年に応じつつ、私は首輪に触れる。

『こちらハティ。目標の奪取に成功。合流して帰還する。合流ポイントは…』

通信を終えた私は、箱を大事そうに抱えたまま雪にへたり込み、後方をしきりに気にしている少年に視線を向ける。

「さて、新入り」

「は、はいっ!」

慌てて立ち上がり姿勢を正した少年は、尻尾をピンと立て、何か期待するように微かな笑みを浮かべて私を見上げた。

「私は君に、拠点の死守を命じたはずだな」

静かにそう言うと、私の鳩尾の高さに顔がある少年は、「あ…」と声を漏らし、首を上に向けた窮屈そうな姿勢のまま、首

を縮めて小さくなる。

「ででっ、でも…、中尉が一人で危ない目に遭っているのに…、ぼくだけじっと待ってるのは…、申し訳なくて…」

もごもごと言い訳をする少年の声を、私は「M10」と呼びかけて遮った。

ビクッと首を竦め、目を固く閉じて耳を伏せた少年に、私は続ける。

「君は、私との合流が少し遅れていれば死んでいたはずだ。私一人ならば問題無かった戦況で、だ。それがどれほど非効率な

事かは理解できるな?いかなる理由があろうと、命令は命令、従って貰わねば上官としては作戦の立てようがない」

「は…、はい…」

「指揮官は、部下が命令に従ってくれる事を信じて采配を振るう。そこに独断で「でも」や「しかし」を挟まれ、各々勝手に

動かれては、事前に作戦を立てる意味も無い。判るな?」

「はい…」

「臨機応変さは、時には必要だ。だが、まずは課せられた命令に従え。皆が皆、自分が良いと思った通りに行動していては、

隊は成り立たん」

「…は…い…」

すっかり小さくなっている少年に、私は一度言葉を切ってから続けた。

「命令無視だな。M10」

「ご…ごめ…」

「だが、良くやった」

私が発した言葉で、少年は口にしかけた詫びの言葉を途切れさせ、驚いたように、そして怖々と、私の顔を見上げた。

「あの戦力差を見て潜入と奪取を試みるのは、なかなかに胆力が要る。そして何より、君は実際にレリックを探し出した。一

目散に逃げねばならなくなったため、雪壕に置いた物資は諦める他無かったが、想定所要時間は短縮された。まずまずの戦果

と言える」

きょとんとしている少年に、私は少し考えた後に説明した。

「命令違反者に対して指揮官が言うべき事ではないが、これでも褒めている」

「ちゅ…中尉…!」

少年は耳を寝せたまま、背後で立てた尻尾をプルプルさせた。

「君を戦力外とした私の見立ての甘さもある事だ、今回の命令違反については咎めない。だが、これは今回限りだ。次からは

規定に見合う罰則を課すので、そのつもりで」

「は、はいっ!済みませんでした!」

がばっと頭を下げた少年から視線を外し、私は視界の隅で動いた何かの方へ目を向ける。

視認されるほどの距離ではないが…、何か居る。

「身を低くしろ」

「え?あ…、はははいっ!また敵っ!?」

警告しながら屈んだ私の横で、少年も身を伏せた。

取り出した遠望スコープを覗き込むと、同デザインの防寒服に身を包んだ一団の姿が、手の届きそうな程近くに見えた。

…ふむ、ハンターアカデミーか…。

この北原にはハンター養成校がある。一団はそこの訓練生達だと、防寒服に付いたエンブレムで判別できた。

どうやら雪中行軍実習の最中だったようだが、昨夜の吹雪に見舞われ、疲労困憊の有様だ。

だがその中に、生き生きとした、生命力に満ちあふれた力強い歩みを見せる者が一人だけ居た。

先頭に立って歩むその訓練生は、金色の熊だった。

極めて大柄だが、顔立ちはやや幼さを残している。

おそらく十代半ば。しかも女だ。

訓練生仲間なのだろう、衰弱して歩けなくなった者を一名背負いながらも、いささかの疲れも見せず、しっかり凍土を踏み

締め進む。

声までは聞こえないが、時折振り向いては大きく口を開いているのが確認できた。

どうやら、疲れ切った仲間達を励ましているらしい。

丁度今私達の上に広がっている澄んだ青空のような、明るい空色の瞳からは、快活さと穏やかさ、そして生命力と強い意志

を感じる事ができた。

励ましながら笑みを浮かべた熊の顔をフレーム内に残したまま、私はスコープを下げる。

「…こっちには…来ませんよね?あの進路だと…、さっきの連中が居る辺りを通るでしょうか?」

私に倣ってスコープを覗き込んでいた少年が呟く。

彼の言う通り、あのまま進めば雪上車を二台巻き込んだ雪崩を除去している連中と接触するだろう。

救援して貰えるはずだ。お互いに。

金色の若熊の横顔を強く印象に残したまま、私は身を起こした。

「行くぞ。合流ポイントまで移動する」

「はいっ!」

少年はしっかりとした返事をよこしたが、しかしそれが空元気だという事が、私には判る。

呼吸、体温、鼓動。感知できるそれらが、少年の不調を訴えていた。

…風邪を引きかけている。何かと手間がかかる子だ。



案の定、程なく悪寒と熱で歩けなくなった少年をおぶって、私は合流ポイントまで移動した。

アメリカンショートヘアは防寒具で分厚く包まれてダルマストーブのようになり、簡易ソリとなる担架に乗せられた。

ここからは、体力自慢の隊員達に牽引されてベースへ向かう事になる。

レリックの箱についている発信機の確認を含めた撤退準備と、ベース及び第三小隊への連絡を終えた副官は、作業の進み具

合を見守っていた私に歩み寄り、あと二分程で出発できる旨の報告を寄越した。

「それにしても…、冬には一足早いにも関わらず、凄まじい荒れ方でしたね。おまけに青空とは…」

「その荒れ具合と晴れ間だが、私が一役買っている可能性がある」

私が呟くと、周囲の隊員達は一斉にこちらを見た。

「スコルが言っていた。私の奇行のせいで吹雪くかもしれない…とな。晴天もそのせいかもしれない」

「奇行?何か変わった事でもなさったんですか小隊長?」

「それが、私にはとんと心当たりがない」

興味を持ったらしい部下達にあれこれ問われ、私は昨夜から朝にスコルと顔を合わせるまでの出来事を話す。

「…スコルが珍しがっていたのは、今話したものの内、私が新入りを部屋に泊めた事と、食事を運んだ事ぐらいだ。何処に妙

な行動があったのか、何度思い返しても全く判らない」

私は言葉を切り、珍妙な物でも見たような顔になっている部下達を見回した。

「どうかしたのか?」

「…あの…小隊長…」

「絶対…」

「その二点が原因です…」

何故か皆、随分と驚いているようだ。

「新入りを部屋に泊めた事と、食事を運んだ事か?」

私が問うと、

「絶対そうですよ!」

「吹雪く訳だ!」

「そして晴れる訳だ!」

部下達は口々に責めるような声を上げた。

「何処がどう奇行なのだ?」

少し考えたが、やはり全く判らずに尋ねてみると、皆はマジマジと私の顔を見た後、疲れたようにため息をついていた。



体調を崩した少年は、ベースに着くなりすぐさま医務室行きとなった。

元々あまり丈夫でない体で不慣れな雪中行軍を体験したおかげで、すっかり衰弱してしまったらしい。

あの有様ではここで生き抜くのは大変だ。一日も早く順応できるよう、鍛えてやらねばなるまい。

それにしても…、初日は辿り着けずに私の部屋で眠り、二日目は雪濠で過ごし、三日目は医務室泊まりか。つくづく自分の

部屋でゆっくりできない少年だ。

ゲルヒルデ隊長には、レリックの納入と報告ついでに、今回のレリック奪取の手柄は新入りが立てた旨伝えておいたが、ど

うやらあまり信じていないらしい。

「まぁ、報告書の内容は考えておくよ」

と、ニヤニヤしながら言っていた。何が面白かったのかは不明だ。

報告を終え、部下達を労い、食事を摂ってシャワーを浴びた私は、翌日に備えて早めに休む事にした。

客が爽快に乱したベッドを整え、シーツを換え、毛布を広げて払って横になろうとした私は、何かがベッド脇に落ちた事に

気が付いた。

毛布の中にあった、小さな何かが落ちたらしい。

屈み込んで拾い上げてみれば、それはラグナロク内で使用されている特殊なデータチップだった。

私の物ではない。首輪には同じ規格の物が内蔵されているが、外れていたら機能が全く使えないのですぐに判る。

では、あの少年の物だろうか?

少し力を込めれば潰れてしまいそうなデータチップを親指と人差し指で挟みながら、私は考える。

何にせよ、寝る前に気付いて良かった。

スコル曰く、私の出っ腹や尻は大型圧雪機に匹敵する機能を持つらしいので、下敷きにしたらチップなど一溜まりも無かっ

ただろう。

チップを机の引き出しに収め、念の為に鍵をかけた私は、今度こそベッドに身を横たえた。

眠りに落ちるその瞬間まで、あの少年が見せた嬉しそうな泣き笑いの顔が、何故か、瞼の裏に浮かんで消えなかった。