氷雪の墓標(後編)

「やはりリッターだった。識別色は白。どうやら先遣偵察らしく、規模の方は一個大隊といった所だな」

外れて欲しい予測ほど良く当たる物だ。

確認から戻った私の報告を受け、エンリケは口元を横一文字に引き締め、声にならぬ呻きを上げた。さらに具体的な構成を

告げると、彼はため息すら漏らす。

「申し訳ありません中尉…。危機を知らせに戻って来て頂いた上に、巻き添えに…」

この期に及んではもはや関係を隠し立てる余裕も無い。エンリケは昔通りの接し方で私に詫びて来た。

「そこは気にするな」

「中尉はいつでも「気にするな」とおっしゃる。しかし今回は…」

エンリケは一度言葉を切ると、私の目を真っ直ぐに見つめて来た。

「中尉、部下を連れて離脱して下さい。なんとか撤退時間は稼いで見せます」

「その意見は却下だ」

私の短い返答に、エンリケは「そうおっしゃると思いましたが…」と、寂しそうな微苦笑を浮かべた。

「気に入っているんでしょう?そこの新入りを」

私は首を少し横に向け、キョトンとしながら自分の顔を指さしている少年を見る。

気に入っている?それはどうだろうか?一応気にかけてはいるつもりだが…。

「死なせたく、ないでしょう?」

「極力死なせたくないとは思っている。君同様にだ」

応じた私は、口をポカンと開けたエンリケに尋ねる。

「覚えているか准尉?泣き幽霊の湿原での撤退戦の事を」

「…忘れるはずがありません。自分が貴方の下で就いた最初の任務ですから」

頷いたエンリケに、私は告げた。

「あの時と同じ事をもう一度やってみよう。今度も八割以上が生き残れるようにな」

「…中尉…」

私の顔をマジマジと見ながら絶句したエンリケは、昔、私の部下だった頃の顔つきに戻り、大きく頷いた。



「この場所は防戦にはそれなりに好適だ。氷山を盾にとって交戦、包囲行動を阻みながら撤退準備の時間を稼ぎ、頃合を見て

一目散に逃げる」

展開指示を出して自らも移動しつつ、私は繰り返し周囲の兵に告げた。

クレバス脇の雪溜まりが造った丘は、都合良く塹壕の代役となってくれた。

既にこちらに気付いたリッターは、行軍速度を落とし、接敵前進に切り換えている。

荒れ始めた空の下、風雪は激しく身を打つが、文句を言えるだけの余裕は誰一人として持ち合わせていない。

「徹底抗戦という選択肢は?」

そう言い出したのは、見張りに立っていた兵の一人だった。おそらくは失敗を挽回したいのだろう。顔を紅潮させている。

「あるにはある。が、結果は目に見えているので、私としてはそちらを選択する愚を避けたい」

私はその兵士の顔を見ながら応じた。この戦力で勝つ事は不可能だ。私だけならば徹底抗戦を選択しても構わないが、死に

たくない者を非効果的な命令に従わせるのは馬鹿馬鹿し過ぎる。

「相手は音に聞こえた独軍辺境捜索部隊、ヴァイスリッター。大隊規模のアレと、現在の我々がまともに正面からぶつかって

は…」

一同を見回し、一体何人の頭に彼らを相手にして勝つなどという幻想がこびりついているのかと訝りながら、私は宣言する。

「すみやかに全滅するはめになる」

恐らく保って最大20分。不測の事態が味方したとしても25分保てば僥倖。15分保てばまぁ善戦と言えるだろう。

「繰り返すが、この氷雪を墓標代わりに埋葬されたくなければ、私の指揮に従って貰う。この際お互いの所属の違いは忘れ、

黄昏の旗の下に生まれ、あるいは集った兵として、協力して生き延びよう」

それなりに殊勝な事を言ったつもりだが、言っている本人の忠誠心がそう厚くない以上、これは欺瞞と言えるだろう。

それでもいくらか効果はあったのか、それとも危機的状況故の異常な精神状態がそうさせるのか、兵達はグレイブである私

への敵愾心をいくらか解いたようにも見える。

「生き延び…れ…ますか…ね?」

寒さからか恐怖からか、歯をカチカチ鳴らしながらある兵が呟く。

「確約はできない。が、なるべく多くベースまで引き上げられるよう、努力はしよう」

宣言という程の大仰な物でもないが、私は慰め半分にそんな事を言い、傍らの少年を見遣る。

アメリカンショートヘアは「判りました」とでも言うように、硬い表情で頷いた。

彼には、いよいよとなったら私が合図を出すので、余計な事は考えず逃げろと命令を下している。

単独であればそうそう捕まらない。彼が宿している能力はそういう物だ。

「怖いか?」

他に聞こえないよう小声で尋ねた私に、少年は小さく頷いた。

それで良い。恐怖を忘れ、または麻痺させ、力を高める戦士は確かに居る。だがこの少年は間違いなくそのタイプではない。

君は決して怖いというその感覚を忘れてはいけない。慎重に慎重を重ね、恐れ恐れておっかなびっくり進め。君はきっと、

臆病なくらいで丁度良い。

私は少年の肩をポンと叩き、二本のトンファーを抜き放つ。

軽く触れただけで判った。少年が、恐怖に身を強張らせて震えている事は。

…無事に帰還できたら、私が思い付いた名前を告げてみよう。

気に入ってくれるかどうかは別だが、個人的にはそれなりに似合っていると思う、あの名前を…。

「では、これより戦闘を開始する。まずは斉射二回。その後待機し、私の指示を待て。総員発砲用意」

私の静かな号令で、雪溜まりの陰に潜んだ兵士達は、それぞれの武器を握り締める。

借り物のライフルを構える少年の口元から漏れた白い息の塊が、風に吹かれて飛び散った。



先住民族の住居跡は、あちらにとっても押さえたい貴重な遺物だ。

わざと向こうに傍受されるよう流した通信により、私達が立てこもるここにそれが存在している事を、向こうは知った。

こちらの二斉射7セットを受けてもなお、主力である雪上戦車は主砲で撃ち返しては来ない。

効果的な打撃は与えられていないが、警戒したあちらは足を止めた。

徒歩で回り込もうとした分隊二つは、私が指揮する別働隊で撃退した。ただでさえ彼我には圧倒的戦力差がある。包囲を許

す訳には行かない。万が一にも包囲されれば、日溜りの雪のような運命を辿るのは目に見えている。

包囲を狙った迂回部隊相手に、ここまでに二度の白兵戦を死者無くやりおおせた。

が、赴く人数からこちらの総数はおおまかなところまで絞り込まれ、小勢と判断されたと見て間違いあるまい。

侮ってくれれば有り難いが、白騎士の先遣を賜る指揮官から簡単に油断を引き出せると期待するのは、あまりにも楽観が過

ぎるだろう。

散発的に続ける斉射と二度の小競り合いの後、私は雪の陰に滑り込んだ。

「ご苦労だった。損害は?」

同行した五名の兵が減っていない事を確認しつつ尋ねると、「軽傷二名!全員継続戦闘可能です!」という、そこそこ良好

な報告があった。

リッター相手にこの軽装での戦闘だ。高望みさえしなければ良い数字と言える。

「驚きました…。この規模、この火力で…、大隊規模のリッターを…」

私に続いて駆け戻って来たばかりで、まだ息を切らせている兵士が、興奮気味の上ずった声を漏らす。

私の留守中に的確な牽制斉射の指揮を執っていたエンリケは、これを聞いて「それはそうだろう」と、口元を歪めた。

「ハティ中尉はこのラグナロクで…、いや、恐らくは世界で唯一、あのダウド・グラハルトが指揮した部隊を敗走せしめたひ

とだからな」

全員の視線が、一斉に私へ集まった。

驚愕と興味の視線にさらされた私は、久々に「発砲機能」を使用したトンファーの調整を続けながら抗弁する。

「その評価は正確ではないな。こちらは単に撤退の時間稼ぎに成功しただけであり、あちらはそれ以上の友軍の被害を抑える

べく援護のため引き上げたに過ぎない」

「それでも、たったの一個小隊規模の寄せ集めで、ダウド・グラハルトに率いられた敵大隊相手に作戦を遂行し得た…。誰が

どう見ても中尉の勝ちです」

「いいや、圧倒的敗北だった。何せこちらは時間稼ぎを始める前に二個大隊を壊乱させられ、生き残って使えそうな兵が小隊

分しか残っていなかった。悪あがきが運良く功を奏しただけの事だ」

呆気にとられていた兵の中の一人が、納得の行かないような表情で呟く。

「そ…それが…、何で未だに中尉止まりで…、グレイブ隊なんかに左遷されて…?」

思わず、といった様子で呟いてから、彼はエンリケに睨まれて口をつぐむ。

「当時少尉だった私の中尉昇進は、その戦功を見込まれての物だった。が、上とそりが合わなかったので今のポジションに落

ち着いている」

本当の心当たりについては、簡単に説明できる事でもすべき事でもないので、私は無難な返答で話を締め括った。

M10は、どういう訳か目をキラキラさせながら私を見つめていた。

「中尉ってやっぱり、凄いひとだったんですね…!?」

小声でそう言ってきた少年に応じかけた私は、しかし結局何も言わずに開きかけた口を閉じた。

「本当に凄いかどうかはともかく、そう認識すれば、今後、自分の小用の為に雪壕を掘れなどとは言わなくなるか?」

そう口にしかけたのだが、いささか根に持ち過ぎだろうと思えて。

…ダウド・グラハルト…か…。

私は、かつて互いの首に手をかけあった白い虎の顔を思い出す。

かつて一度戦場で相見えたが、遭ってみればなるほど納得。あれでは国家の正規軍よりよほど恐れられる訳だ。

我等ラグナロクの宿敵にして、最大級の敵性脅威。…堂々とした…、実に堂々とした偉丈夫だった。

私と同様、自らが先陣に立つ事によって兵を鼓舞する男だった。

その指揮は見事の一言。神仙の如き的確な読みと大胆不敵な用兵は、ラグナロク高級将校が指揮する二個大隊を、その半数

でズタズタに引き裂き潰走せしめた。

もしも向こうの友軍が危機に陥らなければ、完膚無きまで叩き潰されていただろう。

損害を躊躇わず、しかし無駄に兵を死なせず、さらには撤退を決めた際の、既に戦闘を行い殺し合った事など忘れたかのよ

うなさばさばとした振る舞い。

気持ちの良い男とは、ああいう男の事を言うのかもしれない。

宿敵として名は聞いていたが、私個人の感想を述べるのなら…、そう、「ほっとした」とでも言うべきだろうか?

常々、敵の指揮官は、刃を交える相手は、尊敬に値するだけの存在であって欲しいと思っていた。

何よりも、存在意義すら見いだせずに惰性で日々を生き、他者を傷つけ続けている、矮小な私自身の為に。

期待という程でもない淡いその望みは、あの日に叶えられた。

あの時、あの戦場で、ダウド・グラハルトは名誉ある敵として私の前に立ちはだかり、期待を裏切らなかった。

…それともこれは、彼も私と同じ白毛だから贔屓目で見てしまっているのだろうか?

あれはもはや戦略兵器と呼称しても差し支えないだろう。平時東洋の島国に収まっている彼の状況については、我々として

は歓迎すべきなのかもしれない。

他の地域に見られない密度で林立しているバベルに手を出し辛いという点は、上層部から見れば惜しい所だろうが、あの国

を守護する12のウォーマイスターが存在する時点で難攻は確定事項なのだから。

「敵、三分隊が徒歩移動を開始!」

報告を耳にしたエンリケが訝るような顔をする。

「モービルを出して来ませんな?まさか持ってきていない訳でもありますまい?」

「当然少なくない数を持って来ているだろうな。先遣隊である以上、報告を持ち帰るに都合の良い、小回りがきく速い足は欠

かせない」

「それを出さないのは何故です?」

「出し惜しみ。か、私の予想通りかのどちらかだろうな」

「予想?」

エンリケの問いに答えず、私はチェックを終えたトンファーをホルスターに収めた。

「もう一度殴り合いに行く。分隊、元気はあるか?」

『はっ!』

先程まで息を切らせていた兵達は、私の声に威勢良く応じた。

声といい表情といい、なかなか良い具合だ。これならば期待した以上の兵を生きてベースまで帰らせられるかもしれない。

雪の塹壕から出た私の後を追って、五名の兵士が飛び出す。

「中尉!お気を付けて!」

風に負けじと張り上げられた少年の声が、私の背中に当たって砕ける。

私は振り返らず、肩越しに軽く腕を上げてそれに応じ、三度目の包囲阻止戦に赴いた。



私達が横手に回った分隊一つを引き受けている間に、エンリケの指揮で行われた射撃が、二個分隊を追い散らした。

引き上げる私は、撤退準備完了間際との通信を首輪に受けながら、頃合いである事を意識しつつ耳を澄ませた。

面白いほどピッタリだ。こちらの撤退作業の進み具合と、仕込んでおいた不意打ちをあちらが使用するタイミングが。

「この音は…モービルでありましょうか!?」

耳の良い兵が風に紛れるその音を聞き取り、警戒で硬くした声を上げた。

「そうだな。では、このまま三百歩ほどゆっくり行軍し、迎え撃つとしよう」

私の指示に、五名の兵士はピタリと動きを止めた。

「え?あの…、中尉殿は前々から気付いておられたので…?せ、攻め込まれる方角まで?」

「モービルを出してこない時点で可能性は高いと考えていた。角度については、まぁ、予想と概ね違わないようだな」

有能な指揮官であればこそ、戦力を出し惜しみして責めあぐねていると見せかけ、決定打となるだけの大胆な策を一つや二

つ考えてもおくものだ。

こちらの戦闘目的が時間稼ぎの後の撤退と見極めている以上、伏撃を狙うのは定石。奇手ではあるが比較的手堅い手と言え

よう。

そして私はこうも考えている。この奇襲に割かれた兵は、それこそ先遣隊の中の選りすぐりに違いないだろう、と…。



私の先導で移動した先、左手に氷山、右手に雪原を臨む位置で、私達と奇襲部隊は視認距離に入った。

モービルで突進してくる相手は、雪に溶け込む白ずくめ。

風を切り裂き横へ水平に掲げられた長剣は、リッター達の特徴でもある装備の高速震動白熱刃…。極めて完成度の高い疑似

レリックウェポンだ。

数は8、まともに殴り合うには分が悪い上、通せんぼも楽ではないが…。

「総員、斉射用意。私の指示により斉射一度、その後近接戦闘に入る」

兵達が構える様子を横目に、私は右手に握ったトンファーを左肩まで上げ、得物に意識を集中しつつ水平に振るった。

トンファーに収束された力が横一文字の帯となって宙を駆け、モービル部隊の前で雪面に接触する。

直後、雪の壁が噴き上がった。

悲鳴と怒号。噴き上がる雪の真っ直中に突っ込んだモービルは、バランスを失って次々クラッシュする。

真下から噴き上げる雪が視界を奪うだけではない。噴き上がった後の溝は、モービルの足を取って転倒させる。

「撃て!」

私の指示に従い、一瞬呆気に取られていた兵士達は、私の声で我に返り、指示通りに一斉射撃を仕掛ける。

ホワイトアウト。

吹き上がった雪で視界を奪われ、持ち味である機動力を削がれた上、崩れた所に一斉射撃という歓迎は、流石のリッターで

も堪らなかったようだ。悲鳴と怒号が、白を飲み込み吹き荒れるさらなる白の中で上がる。

「突撃開始!」

吼えるように、殊更に声を張り上げ発した私の号令で、分隊は雄叫びを上げながら転倒したモービル群へと殺到する。

もとより先の斉射には殺傷効果は期待していない。狙いもつけない分隊クラスの斉射などたかが知れている。

視界の悪さに加え、転倒後の不安定な体勢、そして何が起こったか判らない事から生じる混乱。その混乱に拍車をかける事

こそが、突撃直前に銃撃を行った真の狙いだ。

兵達が殊更に張り上げる鬨の声で、こちらを数倍の人数と錯覚するのも、この視界の悪さでは無理がない。

モービルを立て直し、あるいは捨てて、機動力を失った仲間を回収するなどして、即座に離脱に移るリッター達。

奇襲の成功を過度に期待してはいない、失敗する可能性に目を瞑っていないからこそ可能となる鮮やかな撤退。一流の判断

だが…。

「向かって来ない相手は深追いせず、迎撃にのみ集中せよ。敵奇襲部隊撤退後は速やかに戻り、エンリケ准尉の指示に服せ」

私は近接戦闘の間合いに入りかけた隊員達にそう指示を出しつつ、転倒した状態でこちら側へ滑り込んで来た、騎手の居な

いリッターのモービルを起こして跨る。

エンジンはかかったままだった。アクセルを開けた途端にモービルは走り出す。

私の巨体を乗せたまま力強く走る働き者のモービルの行く手には、体勢を立て直すなり氷山めがけて滑り出した一機。

単独でも任務を遂行するつもりか。リッターにも向こう見ずな兵が居るのだな。マーナを思い出してしまう。

追い縋る私の視線の先で、前を行くモービルは急に速度を落とした。

右の足がもげて一度大きく宙に跳ね、車体右下を雪面に擦りつけながら減速し、急カーブしたモービルから、騎手が振り落

とされた。

カーブを描くモービルから左側へ飛ばされ雪面に落下、激しく左肩から激突して三回転した後、雪まみれになってなお白く

なった白騎士は、集中が解けて震動と発熱が無くなった剣を杖代わりに、よろよろと身を起こす。

腰に下げていたロングピストルは、落ちた時に抜けて15メートル程向こうの雪面に落ちて埋まっている。

直前で速度を落とし、止まりきっていないモービルから飛び降りた私は、立ち上がるなり突撃してきた騎士の雄叫びを垂れ

耳で受ける。

痛打した肩が痛み、言うことを聞かないのだろう。左腕をだらりと下げ、右腕一本で剣を握り締めつつ突進して来る騎士の

顔は…かなり若かった。

体付きは大人のそれと同等だが、顔からはまだ幼さが抜けきっていない事が、ゴーグルとフードで頭と目の周りを覆ってい

てもなお覗えた。

鋭い「シッ」という呼気と共に繰り出された突きは素早く正確だが、片腕が動かない今は体移動が完璧ではなく、バランス

が悪く十分な重さを持っていない。痛みで集中が妨げられるのだろう、騎士剣の高速震動も白熱化も半端だ。

私は左腕でホルスターから抜いたトンファーを、下からかち上げるようにしてぶつけ、剣を弾く。

私の思念波を喰らい、赤い燐光を纏ったトンファーは、リッターの剣でも傷一つ付かなかった。

こちらも疑似レリックウェポン。それも、ラグナロクの前身となった組織で開発された品の一つだ。

現在のラグナロクの技術水準すら上回る、本物のレリックウェポンと遜色ない性能を有するこのトンファーは、衝突した所

でこの程度の震動や熱など物ともしない。

切っ先から十センチ程の位置を、力場を纏うトンファーで叩かれ、高く斜めに跳ね上げられる長剣。

右肩方向へ振り被るように剣が跳ね上がり、バランスを崩したかに見えた若き騎士は、しかし歯を食い縛って身を捻り、高

く上がった右腕と踏み込んでいた左足を一直線の軸に見立て、不安定な体勢のまま時計回りに身を捻った。

繰り出されたのは、変型版のローリングソバット。

分厚いブーツに覆われた少年兵の右足は、膝の所で少し曲げられ、踵中心の靴裏で私を狙った。

不安定なこの足場に良く対応している。流石はリッター、若いとはいえいかなる悪地でも戦えるよう仕込まれているようだ。

少年の靴裏と自分の距離がゼロになる刹那の間、一瞬迷った私は、トンファーでの迎撃を思い止まった。

叩き落す事は簡単だが、蹴りの速度を考えれば、それを阻む一撃は相応の物となってしまう。それで足でも折れてしまうと、

今後の為にも宜しくない。

結果、少年の変形ソバットは、私の突き出た腹部に前方45度角から飛び込んで来た。

インパクトの瞬間に膝を伸ばして再加速、突き蹴るように作用点と角度を変化させるという高等かつ極めて威力の高い蹴り

は、私の分厚い皮下脂肪に覆われた腹部に、踝までめり込んだ。

迎撃はできなくとも避ける事はできたのだが、あえてそうはしなかった。このとおり、蹴られた所でさして問題無いので。

それと、一方的にあしらわれたのでは屈辱だろうが、蹴らせてやればいくらかでも満足し、停戦協議に応じてくれ易くなる

かもしれないという姑息な打算も僅かばかりある。

が、私の計算どおりではない事態が生じたのは、その直後の事だった。

腹にめり込んだ少年兵の靴底。その圧迫感が一瞬弛み、次いでグッと、さらに深くめり込んで来る。

この体勢から蹴り逃れようというのか?

意図に気付いた一瞬後には私の体は僅かに後退させられ、私の腹を足場にして地面とほぼ水平に跳んだ少年は、剣をしっか

りと保持する右腕を優先して守り、痛めている左肩を犠牲にして雪面に転がり、2メートル程の間合いを確保して身を起こす。

外見上は生粋の人間なのだが、並の獣人を越える身体能力と反応速度だ。よほど濃い獣因子でも持っているのだろうか?

雪面に跪いた姿勢で、剣を眼前で水平に構える少年兵。その後方には、先程彼の腰から飛んだロングピストル。

身体能力、戦闘技術、反応速度、状況把握能力、判断力、そして選択…。

私が教鞭を取っていた課程でこれだけの新兵が居たならば、間違いなくオールグッドの評価を与えただろう。

惜しむらくは彼と私は敵である事だ。もっとも、私ももはや教鞭を握るような立場には戻れないだろうが。

牽制の構えを取りながら後退の機会を窺う少年兵と、腰を僅かに落として構えた私は、しばし見つめあう。

視界の中を真横に風雪が流れてゆくが、互いの目は僅かな挙動も見逃さぬよう、瞬き一つせず敵の全体を捉えている。

身を翻してロングピストルを回収する機会を窺っている少年兵。彼に向けて、私は右腕のトンファー、その短いほうの先端

を上げた。

トンファーを覆う燐光が不意に収まり、入れ替わるようにして先端に赤い球体が発生する。

直後に飛んだ赤い光弾は、少年兵の横手30センチの雪面に着弾し、炸裂の熱ですり鉢状の大穴を開けた。

私が所持するこのトンファーは、使用者の思念波を喰らって斥力を伴う力場を発生させる。

擬似エナジーコートとでも呼ぶべきこの現象を発生させる装置、オーラコートシステム…通称ACSは、開発技術自体は確

立されて久しいのだが、現在の技術では発生装置がかなり大型となってしまうため、各国はこぞって小型化技術を磨いている。

実はこのトンファーには、最先端技術でも電話ボックス程になってしまうACSが、超小型化して搭載されているのだ。

この機能はその性質上、使用者の精神力そのものが燃料となるため、弾薬の補充もバッテリーの充電も必要としない。

今の射撃は思念波を変換して形成される力場を集中して凝固させ、着弾時に炸裂して熱エネルギーに変わる弾丸として撃ち

出した。

ただしこの「発砲機能」には欠点がある。

威力に加えて弾速、さらに貫通力や炸裂範囲などの性質まである程度任意に設定できるという、極めて応用の利くこの機能

は、実はあまり連射が利かないのである。

思念波を喰うという使用者に負担がかかるシステム上仕方が無いのだが、安全装置とでも言うべき機能により、ある程度思

念波を注ぎ込んだ後は強制冷却にも似たサイレントタイムが生まれてしまうのだ。よって、私はこの機能をあまり活用してい

ない。

なお、力場によるコーティング機能についてはこの限りでは無い。衝撃相殺しなかった分の力場は発散されずにトンファー

内で循環されるという省エネ運動により、長時間発生させたままでいる事もできる。

私が飛び道具を有している事を知り、少年兵の顔がさらに引き締まる。どうやら牽制は効果を現したようだ。

「腕が立つな、若き騎士。名は何と言う?」

発砲体勢のまま。とりあえずの礼儀として名を尋ねると、

「名を問うなら己がまず先に名乗るべきであろう!名と所属と階級を名乗りたまえ!」

そんな威勢のいい若い声が返ってきた。

ふむ。言われてみればなるほど確かに、尋ねる側のこちらから名乗るのが礼儀かもしれない。

「私はハティ。所属は告げられないが階級は中尉だ」

私が名乗ると、若い赤毛の騎士は虚を突かれたような顔になった。

「…名乗るのか?素直というか何というか…」

妙な若者だな。そちらが名乗れと言ったのではないか。

「それで、私は君の名を知る事はできないのか?」

「む…!失礼、自分はギュンター…。ギュンター・エアハルト。階級は騎士少尉候補生だ」

少尉候補生…。ようするにラグナロクで言う所の准尉のような立場か。

「覚えておこう。ではギュンター騎士少尉候補生、貴官に一つ提案したい」

私は借り物のモービルを指さし、若き騎士に告げた。

「無断借用したモービルをお返しするので、我等の陣地にはこれ以上近付かずに、本隊へ帰還して欲しい」

ギュンター騎士少尉候補生は、一度目を丸くした後、すぐさま細めて私を睨む。

「…何を企んでいる?」

「これ以上何かを企める余裕は、今のところは残念ながら無い。我々はもうじき撤退を始める。そしてその追撃はある理由に

より不可能となる。つまり…」

構えを解いた私はホルスターにトンファーを収め、両手をパンパンと叩いて付着した雪を払いながら若き騎士に告げた。

「私と君との戦闘は、この場に限ってはもう終わったのだ」

若い騎士少尉候補生は、私の一方的な宣告を受け止めかねたのか、まるで遊びから取り残された子供のような、きょとんと

した表情を浮かべた。

…ふむ。M10だけかと思っていたが、そうでもないらしい。若者の顔に年齢相応の表情が浮かぶのは、ままある事なのだ

ろうか?



「撤退準備、整いました!」

遅れた私が帰還するなり、皆が安堵の顔を見せ、エンリケは待ちに待った報告をよこしてくれた。

「では、これより撤収に掛かる」

時間稼ぎもそろそろ限界だろう。際どい所だったが、何とか稼ぎ切ったか。

尻に火がついたからか、それとも危機を乗り越えるべく一皮剥けたのか、最初は態度も動きも悪かった調査隊は、私の指示

に素直にテキパキと従った。

「しんがりには私がつく。エンリケ准尉、先行指揮を頼む。ルートは打ち合わせの通りだ」

「賜りました!…おっと?」

敬礼するエンリケの脇を抜け、荷物纏めの手伝いをしていたアメリカンショートヘアが駆けて来た。

「中尉っ!…ご、ご無事でっ…!」

息を切らせている少年は、私の顔を間近で見上げ、安堵したように顔を緩める。

「この通りだ。だがまだ気を抜くなよ?危機を脱した訳ではない」

「はい!」

判っているのかいないのか、少年は笑顔で私に頷いた。

…戦場で、しかも危機的な状況でもいつも通りに笑える…。考えて見ればこの少年、ある意味豪胆なのかもしれない。

気付けば私は、先程出遭った若きリッターの顔を思い出し、何故か我らが新入りと比較していた。

軽くかぶりを振って雑念を追い散らした私は、号令を待つ皆を見回し、宣言する。

「撤収開始。氷雪を墓標に眠りたくなければ、あと一踏ん張り気を抜くな」

『イエッサーッ!』



「擲射砲だな」

私の呟きを、少し前を行く少年が聞きとがめた。

「はい?テキシャ?」

M10が振り返った直後、私の右斜め後方400メートルほどの地点で、轟音と供に火柱が上がった。

「わぁーっ!?」

「落ち着け。そうそう当たりはしない。休まず進めばな」

足を止めて大声を上げる少年を私は宥める。

気休めではない。居住跡を潰さぬよう山なりの弾道で撃ち込んで来た連中は、未だに氷山の向こうだ。

こちらの位置を正確に把握している訳ではなく、恐らくは撤退して行くであろう方向を推測し、当たれば幸い程度の牽制を

仕掛けているに過ぎない。

加えて言うならば、先程激しく進撃阻止してやった事もあり、銃撃が止んだ今も実はまだ我々が立て篭もっており、策には

めようと手ぐすね引いているのではないかという疑いが拭いきれていないのだ。

それでも相手の指揮官は優秀だ。試し撃ちにしては狙いが良い。三番目に挙げていた撤退候補ルートを選んでいたなら、被

害が出ていた所だったな。

先程交戦したギュンター騎士少尉候補生へ正直に撤退の事を告げたのは、この状況を作るための布石でもあった。

私自身は正直に話し、あの若き騎士もそのまま上へ伝えただろうが、敵兵の言う事をまともに捉えてよい物かどうか、普通

は迷う。

自分もまたそう予測していたとしても、敵兵がそう言っていたと知れば疑いたくもなる物だ。

私が仕掛けたのは、過度な期待は禁物だが、当たれば儲け物、外れても懐が痛まない、そんなささやかな策だった。

「ひゃんっ!」

轟音に半ばかき消される細く高い声を上げ、少年は身を竦ませた。

二度目の着弾は、方向こそさらにずれていたものの、直線距離では先程よりやや近くなっている。

角度を調節したか、それとも前に出たか…、おそらくは両方だな。距離を詰めて危うげ無く氷山を跨ぎ越しつつ距離を出せ

る弾道に調節し直したのだろう。

足を止めたまま弾道を低くして距離を稼ぎ、氷山に当てでもしたら、貴重な遺跡が埋まってしまう。少々焦った程度でそん

な愚をおかすような指揮官ならば、先程の交戦で被害を顧みず強引な手を打ったはずだ。

さて、ささやかな策は期待した以上の時間稼ぎになってくれたものの、これで私の手持ちも種切れだ。

氷山を迂回されれば視認される可能性が高い。風雪がいくらかカモフラージュになるとはいえ、それで敵を見逃すようなら

そもそもリッターにはなれまい。

こちらは徒歩、あちらは車両、まともに退いていては捕捉されるのは目に見えている上、最短距離で帰還すればベースの位

置が知られてしまう。それゆえに全く違う方向へと撤退しているのだが、ベースの位置自体がここからそう遠くない。少々迂

回したところで効果は無いのだ。

そこで求められる退き方がこれ…、つまりは囮になりながらの見当違いの方向への撤退だ。憩いのベースは近いがそこへ真っ

直ぐ帰れないとは、寒気に痛めつけられた我等が兵達はさぞや歯痒い思いをしている事だろう。

五度、六度と砲撃が続く間にも、行軍速度がやや遅くなっている。

先頭が詰まっているのではない。白兵戦に従事した疲労の濃い兵士達の歩みが、他に比べて遅れ始めているのだ。

「歩調を緩めるな。休息をくれてやる事はできないが、ベースに帰ったなら一眠りできる程度のまとまった休息時間を取らせ

てやるよう、エンリケ准尉にかけあってやろう」

供に迎撃要員として働いてくれた兵達に、しんがりを歩む私は声をかけた。

「そりゃあ…、ありがたいですね…!」

「ついでに…、熱いスープでも…、飲みたいとこです…!」

この危機的状況でわだかまりが解けたのか、それとも意地を張っている余裕も失せたのか、首を巡らせた兵達は、つい先刻

まで毛嫌いしていたはずの私に頼もしい笑みを向け、歩調を速めた。

皆、生きたいと思っている。問うた訳ではないものの、その意思は明白だった。できれば死なせたくないものだが、今の私

にできるのはただ歩き、待つ事だけだ。

いよいよ激しさを増してきた砲撃音の中、私達は雪を踏み締め、掻き分け、進む。

足跡を消してくれる雪はありがたいが、行軍速度が鈍るのは痛し痒しだな。

その、嫌に長い二分の後に、私の首輪に通信が入った。

『お待たせしました中尉!第三小隊、これより強襲撹乱作戦に入ります!』

スコルからの通信はグレイブの専用回線で入った。

私が首輪に手をやると同時に、同じく通信を受けたM10も、振り返りながら少し驚いたような顔で首に手をやっている。

待ちに待った援軍は、ようやく準備と配置が終わったようだ。

「一日千秋の想いで待っていた。指揮は?いくつに分けた?」

『分けてません。デカルド小隊長の指揮下、第三小隊全員が突撃ですよぅウヒヒヒヒッ!』

ポメラニアンの言葉尻が、嫌な感じの甲高い引き攣れた笑い声に変化した。…これはもしや…。

「聞くが、デカルド中尉は機嫌が良いのか?」

『すこぶる良いですよぉイヒヒヒッ!油絵完成間際に呼び出された上にベースの連中がちーっとも動かないもんだから、もぉ

般若みてぇな顔っ!マジでマジでっ!』

予想はしていたが、やはりか…。

ベースの正規駐屯部隊は、調査隊がリッターと接触した時点で援護や救出を諦め、切り捨てる事を選んだらしい。

ベースの安全を守るという観点から言えば手堅い選択だが、切り捨てられるほうにしてみれば堪った物ではない。そもそも

ベースの通信兵の連絡不行き届きがこの事態を作り出しているのだから。

まあ、既知の准尉を犬死させずに済んだだけでも良しとしておこう。おまけに、負傷者は出たものの死者はゼロ。これ以上

を望んでは、節制と不寛容を司る北原の女神、レディ・スノウにバチを当てられてしまう。

『ところで中尉。デカルド小隊長、今オレが乗ってる雪上車の横で、副長がハンドル握ったモービルの後ろに乗ってるんです

けど、どんな格好か当ててみます?』

私は馴染みの竜人が部下に運転させたスノーモービルの後ろで、どんな格好をしているのか考える。以前数度機嫌が悪かっ

た時は確か…。

「…大好きなスティンガーを両肩に担いで仁王立ち、かな?」

『惜しい!お気に入りの四連ランチャーを両脇に抱えて憤怒の形相です!アーッハッハッハッハッ!』

恐らく、今回は派手に暴れてよいとの許可が出たのだろう。スコルはかなり上機嫌のようだ。

『もうじき強襲から離脱の殴り逃げに入りますので、そろそろ通信を終えます。なお、第一小隊は中尉の指示したポイントへ

三分程で到着予定です。回収して貰って下さい。拾うに足りるだけのモービルと雪上車は、ゲルヒルデ隊長がベースの連中説

き伏せて借用しましたから』

「そうか。それは助かる」

期待していた以上のお迎えだ。これを伝えれば皆を元気付けられるだろう。この状況でのこの情報は、何より上質なカンフ

ル剤だ。

『ところで、あっちの無線を傍受しましたけど…ヒヒヒヒヒッ!』

おしゃべりなスコルは喉でも引き攣らせたような笑い声を漏らしながら、

『アイツら…ヒヒヒッ!どっから名前聞いたのか、中尉の事…ヒヒッ!な、何て呼んでると思いますっ!?』

と、少々気になる事を言ってきた。

「予想もつかないが、何と呼ばれていたのだ?」

『「ディッケ・ハティ」って呼称していましたよ!』

一瞬言葉に詰まった私は、「そうか」としか返事ができなかった。

「…でぃっけ…はてぃ…?ディッケって、どういう意味ですか?」

通信機越しのスコルの笑い声を聞きながら、M10は首を傾げて私に尋ねて来る。

「ディッケ・ハティ…。ドイツ語だが、直訳すれば…」

『でぶっちょハティ!』

私の言葉を遮り、スコルが笑い声混じりに言った。

「でぶっちょ…ぷふぅっ!」

私が反応する前に、少し前を行くM10が小さく吹き出し、慌てて口元を押さえた。

言い方は様々だ。「大きな」とか「太っちょ」とか「太い」とか、表現はいくらでもあるだろうに…、スコルめ…。

どうやらギュンター騎士少尉候補生は、私が見込んだ通り、実に優秀で真面目な騎士らしい。

恐らくは私の発言だけでなく、外見的特徴までも正確に上へ報告したのだろう。

危機を脱したというのに、私の胸の片隅には何やらすっきりしない物が残っていた。…これはおそらく、「釈然としない」

というやつなのだろうな…。