赤銅の守護者(前編)
「風花(かざばな)か…」
コンビニの袋を片手にぶら下げた大きなひとは、足を止めて呟きました。
次いで白い物が私の鼻先を掠め、つられて見上げれば、二月頭の晴れ渡った青い空から、ひらりひらりと雪の結晶が舞い降
り始めています。
昼直前の日差しを浴び、キラキラ舞い降りて来る雪達は、地面に触れるや否や、溶けて消え、影のような染みを残しました。
歩幅があまりにも違うので、私にあわせてゆっくり歩いてくれていたその方は、人間ではありません。
着物、羽織に長襦袢といった和装の巨漢のお名前は、神代勇羆(くましろゆうひ)さん。
赤銅色の被毛が印象的な、大きな大きな熊の獣人です。
2メートル半という飛び抜けた巨躯の、極めて恰幅が良い方で、和服が何とも良く似合う、堂々たる佇まいをしておられます。
道行く人々の多くが、立ち止まっては感嘆の視線を投げて寄越しますが、ユウヒさんは慣れているのか、それとも元々周囲
の視線に頓着なさらない性質なのか、意に介する様子が見えません。
ユウヒさんは名家のご当主なのですが、威張ったところが全く無い方です。
一見粗暴そうに見える大きな熊は、しかし礼儀正しく、思慮深く、紳士的。
威風堂々たる佇まいと立ち振る舞いは、時代錯誤な言葉になりますが、私には「武人の風格」と感じられます。
その小山のような体格と厳つい顔立ちから、一見すると近寄り難い雰囲気がありますが、実は結構気さくで、お付き合いし
やすい方です。
そんなユウヒさんは、年末から今まで、この東護町に滞在しています。
…年末の大事件のせいで、この町からは護り手の多くが失われました。
この町で調停者をしていたユウヒさんの妹、ユウトさんも、事件後に病院から居なくなって、それきり行方不明になってい
るのです…。
ユウヒさんもご多忙なのですが、ユウトさんと、その相棒であるタケシさんの帰りを、お二人の事務所に滞在して待ち続け
ておられます。
もっとも、滞在の理由はそれ一つだけではありません。
ユウヒさんはこの街の護り手の一人として、一時的ながら働いておられるのです。
「寒くはないかな?」
気遣うようにおっしゃってくれたユウヒさんは、私が大丈夫だと応えると、一つ頷いて歩みを再開しました。
「今夜は寿司をとろうと思う。君はワサビは抜きかな?アルビオン君はどうだろう?」
私はワサビが苦手なので、できれば抜きの方が…。アルは結構何でも食べるので、たぶん大丈夫でしょう。
今日の夕方には、年末の事件で重傷を負って入院していた白熊が退院して来るのです。
その若い白熊は、なんとも不思議な事に、意識が回復したその時には、前日までは確かに残っていた傷が、一つ残らず消え
てしまっていました。
数時間前に看護師と医師が具合の確認に来た時には、確かに残っていたのに、です。
結局その後も二週間にわたって、検査が主となった入院生活を強いられていましたが、結局は本人も医師も首を傾げるばか
りで、詳しい事は判らずじまいのまま、退院する事になったのです。
殆どがシャッターを下ろしている、こぢんまりした商店が並ぶ住宅地近くの通り。
そこに、カルマトライブ調停事務所はあります。
メンバー二人共が行方不明になり、休業中のここに、ユウヒさんは滞在していらっしゃるのです。
調停者不在となった事務所ですから、重要な資料等は担当の監査官が全て引き取り、代理で管理して下さっていますが、事
務所そのものの維持はまた別問題。
水道光熱費や電話代等、二人が戻るまでは、ユウヒさんが立て替え払いしてゆかれるそうです。
買い物袋の中身、退院祝い用にと買ってきた菓子類やジュースを冷蔵庫に入れると、ユウヒさんは早速お寿司屋さんに電話
をしました。
何やら凄まじい量の注文をしておられたのが、とても気になります…。一体何人前注文なさったのでしょうか?
それからユウヒさんは大きな紙を持ち出してリビングに広げ、何処から探してきたのか、硯と筆を用意して墨を擦り始めま
した。
正座して墨を擦るその様子が、実に様になっておられます。
何をしてらっしゃるのですか?と尋ねると、ユウヒさんは、
「なに、退院祝いに迎える者が少ないのも、少々寂しかろうと思ってな…」
とおっしゃると、擦ったばかりの墨に筆を浸し、幅50センチ、長さ2メートルばかりのその紙に、力強く文字を書き連ねました。
達筆です。ビックリするほどに立派な字です。
達人は何をやっても達人なのですねぇと、私はすっかり感心してしまいました。
上手といえば、ユウヒさんはお料理も結構できます。
実は私、ここ数日は夕食をご相伴させて頂いているのです。
ご本人曰く、「簡単な物に限られる」との事ですが、実に手際が良く、手慣れていらっしゃるご様子です。
「仕事柄、数日間山中に篭る事もあるのでな。現地での食料確保は、神代家では必須技術なのだよ」
つまりは、お仕事上、山中でサバイバル生活を強いられる事もあるので、料理も身に付けなければならなかったのだ、との
事でした。
ぶつ切りにした鶏肉を塩コショウで味付けしたチキンステーキ風の物。
キノコと豚肉、ジャガイモや山芋、大根がたっぷり入った、味噌鍋にも似た豚汁風の味噌汁。
炙った干し飯に味噌を塗りつけた物などなど、これまでに披露して頂いたレパートリーは、いずれもシンプルでダイナミッ
クです。
しかしその手料理の数々は、なるほど確かに、ある意味この大きな方に似つかわしくも思えます。
「雅さに欠けた男料理で済まぬのだが…」
と、謙遜しながら用意してくれた今日のお昼もその例外ではありません。
スタミナがつきそうな、しかし割とあっさりした味付けの豚の角煮は、じっくり煮込まれてとても柔らかいものでした。何
でも、常は猪を同じ調理方法で食べるのだとか…。
「屋敷では皆が止めるのでできぬし、最近では出先でもシバユキが用意するのでな。こうして自分で飯の支度をするのは、な
んとも久方ぶりの事だ」
先日もキッチンに立ち、火加減を見ながらそうおっしゃっていたユウヒさんは、何故だか少し楽しそうでもありました。
曰く、料理を作るのも、誰かに食べさせるのも、本当に久しぶりなのだそうで。
この国で一番強いと称されている殿方が、かなり小さいエプロンを何とか身に付け、包丁を握ってキッチンに立つ様子は、
実にユーモラスに感じられる物です。
垂れ幕の墨を乾かしている間に、ユウヒさんはリビングの掃除を始めました。
掃除機は使わず、箒と塵取り、埃叩き等を巧みに操り、瞬く間に部屋を綺麗にしてしまいます。
手伝いを申し出た私はというと、「客人に手伝わせる訳にはゆかぬよ」と、お客さん扱いでやんわり断られました。
もっとも、本当に手伝いは不要だったようで、お一人でてきぱきと済ませてしまわれました。
つくづく、達人は何をやっても達人です。
働き者ですねぇ、と感心した私に、
「屋敷では頼んでもやらせて貰えぬからな。実は少しばかり張り切っておるのだよ」
ユウヒさんはそう、微苦笑を浮かべながら答えました。
リビングが片付いて準備が終わり、二人で午後のお茶を楽しんでいると、チャイムが鳴りました。
玄関に出たユウヒさんと私に微笑みかけたのは、着物姿の三十代男性。
ユウヒさんが纏った紺色の無地で素朴な印象を受ける物とは異なる、浅葱色の地に白い格子柄が斜めに入ったおしゃれな着
物を纏うこの方は、相楽堂という骨董品屋の若旦那さんです。
「ブルーティッシュから依頼されていた品、解析が終わりましたので、お届けに上がりました」
あら?何故ブルーティッシュが依頼した品がこの事務所に?
不思議には思ったものの、ユウヒさんはすでに知っていたようで、一階の車庫内から地下へ運び込んで欲しいと応じています。
半月にわたってこの街に駐屯して、治安維持に務めていたブルーティッシュが、首都へ帰還したのは、十日ほど前の事です。
それまでの間、リーダーのダウドさんと頻繁に会い、お話をしていたユウヒさんですから、その際にでも何か頼まれていた
のでしょう。
事務所の地下、トレーニングルームに相楽堂の方々の手で運び込まれたのは、1メートル半程の長いものを白布で巻いた包
みと、長さ40センチ程の黒い革鞄、それから大きなジュラルミンケースでした。
相楽堂の方々を、礼を言って送り出したユウヒさんに、これらは何ですか?と尋ねてみると、
「アルビオン君の得物が、先だって壊れてしまったのでな…」
赤銅色の熊は大きなジュラルミンケースを開け、中を見せてくれました。
中には、白熊が愛用していた大きな斧が、畳んで収納されています。
斧はボロボロに刃こぼれしていて、亀裂まで入っていました。
柄にあたる部分は、中に太いワイヤーが入っていて、折りたためるようになっているのですが、筒のような作りの柄は色々
な所でへこんでいて、ワイヤーも切れかかって、金属製の繊維が跳ねています。
ユウヒさんが少し動かして見せてくれましたが、歪んでしまった筒状の柄がワイヤーを噛んでしまっている上に、巻き取り
装置も壊れていて、元の斧の形にはなりませんでした。
アルは…、自分も斧もボロボロになるまで、頑張ったのですね…。
「…それで、先の戦で回収し、解析が終わった遺物を、とりあえずの得物として使う事になったのだ。何でも、試験運用を兼
ねてとの話だったが…」
ユウヒさんは長い包みを取り上げ、布をはがして中身を見せてくれました。
それは、長さが1メートル50センチはある、一本の槍でした。
穂先は両刃で、私の大好物の笹かまぼこのような形をしています。
「それともう一つ。そちらは散弾銃で、非殺傷用の弾丸も使用できるそうだ」
革鞄に視線を向けながら、ユウヒさんはそう説明してくれました。
傷が治って、やっと退院になったのに…、また戦うんですね…。
無言のまま壊れた斧を見つめる私の内心を察したのか、ユウヒさんは軽く目を閉じて呟きました。
「歩む路も、踏み締める土も、彼自身が選んだものだからな…」
日が傾き始めた頃、事務所のチャイムが再び鳴りました。
今度はきっと、退院祝いの席にお招きしているお客様の一人です。
私とユウヒさんが迎えに出ると、案の定、太り気味の赤ら顔の人間男性が、大きなビニール袋を片手に提げて、玄関前に立っ
ていました。
「お?お嬢さんも来てたのか」
タネジマ監査官は私に笑みを向けると、ユウヒさんに会釈しました。
「つまらん物ですが、土産を」
差し出された袋には、箱入りのお酒と、オレンジジュースの瓶が入っています。どちらも高そうです。
お礼を言って受け取ったユウヒさんに、タネジマさんは靴を脱ぎながら尋ねます。
「アルはまだでしたか?」
「午後五時頃には病院を出ると連絡があった。しばしの間くつろいでおいて頂きたい」
ユウヒさんはタネジマさんを案内しながら、
「む…!久保田…それも萬寿…!」
日本酒の銘柄を確認して、嬉しそうに唸っておられました。
大量のお寿司が届いて間もなく、主役はやって来ました。
真っ白なフカフカの毛に覆われた、十七歳とは思えない程大柄な熊は、しかし迎えに出たユウヒさんと向かい合うと割と普
通のサイズに見えます。
笑顔で頭を下げた、この薄赤い瞳のむっくり太った白熊は、アルビオン・オールグッド。
現役高校生で、同時に首都のチーム、ブルーティッシュに所属する調停者でもあります。
ユウヒさんとタネジマさんのお二人と挨拶を交わすと、アルは私に笑みを向け、抱き締めて頬ずりして来ました。
悪い気はしませんが、少しばかり恥ずかしくもあります…。
リビングに入ったアルは、壁に貼られた「祝退院 アルビオン君おめでとう」との、ユウヒさんお手製垂れ幕を目にして、
気恥ずかしそうに頭を掻きました。
「何か申し訳無いっス…。部屋をあてがって貰った上に、退院祝いだなんて…」
「気にしないで欲しい。ひとの住まぬ家は傷むのが早い…。短期間とはいえ君が滞在してくれる事は、正直こちらも有り難い
のでな」
ユウヒさんはそう言って笑いながら、テーブルの上に広げられたお寿司を指し示しました。
「ささやかながら、退院祝いに寿司を用意させて貰った。嫌いではないかな?」
「うひぃ〜っ!嫌いだなんて、とんでもないっス!病院の飯、体には良さそうなんスけど、物足りなくって物足りなくって…!」
アルは舌なめずりしながら嬉しそうに言うと、「あれ?」と首を傾げました。
「ああ、少し遅れそうだと、さっき連絡があった。たぶんそろそろ来ると思うが…」
今日、一緒に祝ってくれるはずのひとの姿が無く、不思議そうな顔をしたアルに、タネジマさんはそう説明しました。
「少し待つかね?」
「う〜…、そうするっス…」
ユウヒさんの問いに、アルは何かに耐えるようにして頷き、結局は全員揃ってから食べる事にして、皆で席につきました。
ソファーをどけて、床暖房で温かいフローリングに座布団を敷き、皆で長方形のテーブルを囲みます。
長い一辺にユウヒさん。向かい合ってアル。ユウヒさんの右手側の狭い辺にタネジマさん。私はアルの隣です。
お腹が減っているのか、耳を伏せたアルは、何やら切なそうな表情で、テーブルの上に並んだ凄まじい量のお寿司を見つめ
ていました。
「おっとそうだ。先に渡しておくぞ?」
タネジマさんはそう言うと、バッグから携帯電話を取り出して、アルの前に置きました。
「これ、新しい携帯っスか?やた!前と同じヤツっス!」
アルは携帯を取り上げて、スライド式のそれを展開させました。
調停者の携帯電話は、特殊な情報端末でもあります。
外見は市販されている物と同じで、色々なタイプがありますが、対盗聴機能を備えていたり、一般人が操作しても秘匿情報
の閲覧ができないよう虹彩識別機能がついていたりなど、特殊な物になっています。
年末の事件で負傷したアルは、かなり景気よく大出血しました。
その激しい戦いで、懐に入れていた携帯は破損してしまい、おまけに血液が浸透してしまって昇天しています。
メモリーは無事だったらしく、以前の物を新しい携帯に載せ替えてあるそうです。
登録してあるアドレス等を確認したアルは、ほっとしたように微笑みました。
「それともう一つ。これな」
と、チェーンのついたプレートを取り出すタネジマさん。
くすんだ銀色のそれを見たアルは、怪訝そうに首を傾げます。
「認識票は壊してないっスよ?ほら…」
胸元からチェーンを引っ張り出し、同じプレートを揺らして見せるアルに、タネジマさんはニィッと笑い、ユウヒさんは口
の端を少し上げて微笑みました。
「認識票も、これからはこっちを使って貰うんだよ。オールグッド限定中位調停者殿」
アルは胸元から引き出した認識票をプラプラさせたまま、目を点にしました。
「…へ?」
「認定証書の方は、先だってブルーティッシュ本部に送ってある。ダウドさんからの頼みでな、何も知らせないでおくから、
認識票を直接渡してビックリさせてやってくれってさ」
タネジマさんは可笑しそうに笑いながら言うと、
「どうだ?ビックリしたか?」
と、アルに認識票を差し出します。
「…そりゃもう…、ビックリしたっス…」
実感が沸かないのか、アルはまだ驚いているような顔で、おずおずと認識票を受け取りました。
「古い認識票は回収させて貰うぞ。新しい方は、見た目は色合いが少し深くなった以外は殆ど同じだが、内蔵されたチップが
違う」
タネジマさんはそう言うと、アルの新しい携帯を指さします。
「これからはそのプレートを認識させて、機密レベル中位までの情報を、限定的にだが閲覧できる。ブルーティッシュが請け
負う政府の機密依頼にも一部参加できるようになるぞ。頑張ってくれよ?期待のルーキー!」
「う、うス…!」
神妙な表情で頷いたアルは、しばらく新しい認識票を眺めた後、古い認識票を外し、代わりに首にかけました。
そして、タネジマさんに古い認識票を手渡します。
「おめでとう、アルビオン君」
「おめでとさんっ、アル!」
おめでとうございます、アル!
「あ、ありがとっス、お二人とも…!」
退院祝いだけでなく、昇格も祝って貰うサプライズに、アルはすっかり照れて俯き加減になり、頭を掻きながら、上目遣い
に皆の顔を見回します。
「…でも、何で急に昇格なんスか?」
不思議そうに問い掛けたアルに、タネジマさんは笑いながら答えます。
「何でって、戦果だよ戦果。夏のエマージェンシーコールに続いて年末の事件、どっちでも大きな働きをしたからな、昇格に
足り得ると判断された訳だ」
自覚が無いのか、アルは何となく腑に落ちない様子です。
「本来なら担当区の監査長官が授与式で渡すものなんだが、今回は状況が特殊だから、俺から渡させて貰う事になった。こっ
ちに滞在している間、昇格を停止しておくのも不便だしなぁ。そうそう、正式な授与式は首都に帰ってからな?」
「うス。…いまいち実感沸かないっスね…」
なおもしっくりこないような顔をしているアルに、タネジマさんは笑いかけました。
「胸を張れよ!十七歳の限定中位ってのは、現役じゃ国内最年少なんだぞ?」
…あら。快挙なんじゃないですかアル!
顔を見つめた私に、アルは気恥ずかしそうな顔で、ちらりと視線を寄越します。
「正直、自分が相応しいのか、オレには分かんないっス…」
苦笑いするアルを、微笑みながら見つめるユウヒさんとタネジマさん。
お二人の表情はとても穏やかで優しく、そしてアルへの期待が感じられるものでした。
「それにしても、オレが東護町に来ると、高確率でエマージェンシー出るっスね…?オレ、カベ男みたいなもんなんスかねぇ…」
アルの呟きに、タネジマさんとユウヒさんは首を傾げます。
「それ、雨男って言いたいのか?」
「あ、ソレっス!つまりその、タイミング的に、何だかオレがトラブル連れて来てるみたいっスよね…?」
アルが顔を顰めながら言うと、ユウヒさんは小さく笑いました。
「ふむ。思い過ごしだとは思うがな…」
「しかし言えてるな。偶然に過ぎないが大した確率だ。上位調停者になれたら、二つ名は「白い災害」とでもつけるか」
「オレ…、雪崩か雪嵐みたいな物っスか…?」
頬を膨らませるアル以外は、声を上げて笑いました。
「…にしても、遅いな…」
呟いたタネジマさんが腕時計を覗き込むと、殆ど間を置かずに「ピンポーン」と、チャイムが鳴りました。
「キターっス!」
アルが顔をパッと輝かせて立ち上がり、次いでタネジマさんが、それからユウヒさんが席を立ちます。
太めの三人が通路を塞ぐように並び、揃って玄関で出迎えたのは、
「ごめんなさい!すっかり遅くなっちゃいました!」
艶やかな長い黒髪を、頭の後ろでバレッタで止めた、人間の女の子です。
「退院おめでとうございます。アル!」
「うへへ!ありがとっス!アケミっ!」
アルと笑みを交わしたアケミちゃんは、その足下に座る私に視線を向けると、
「まぁ。マユミちゃんも退院祝いに来てくれてたんですね?」
微笑みながら私を抱き上げました。
それはもう心配でしたから。今ではすっかり逞しくなったとはいえ、私の中でのアルは、やんちゃ盛りの小学生だった頃の
イメージが強いのです。
…と応えたい私の声は、皆には「ニャ〜オ」としか伝わりません。
ユウヒさんを除いては。
アケミちゃんが遅くなったのは、アルの退院祝いの品を買いに行っていたせいだったそうです。
鉄分やカルシウム、各種ビタミン等の栄養を纏めて摂取できるサプリメントのセットは、空になっても別の用途で使えそう
な、おしゃれな小瓶に詰まっていました。
実用的かつ可愛いプレゼントに、アルは大喜びです。
恋人の邪魔をするのは気が引けたので、私はアルの隣から、ユウヒさんの傍らへと移動しました。
十数人前はあるお寿司は、食欲旺盛な男衆三名のお腹に詰め込まれてゆきます。
私の為にワサビ抜きで頼んでくれたお寿司を、ユウヒさんは私の前の小皿に取り分けてくれました。
小さな私はシャリだけでお腹が一杯になってしまいます。
なので、その事を察したユウヒさんは、ネタをはがして私にくれて、シャリは食べてくれました。
タネジマさんとユウヒさんはお酒を楽しんでおられますが、お酌をしたくとも、猫の体の私には無理です。
アルとアケミちゃんもにこやかに談笑しています。
皆で楽しく過ごす時は瞬く間に流れて、夜は更けてゆきます。
今だけは、捜索中のあの二人がまだ見つからない事には、誰も触れないまま…。
ユウヒさんが滞在できる時間は、残り僅かです。
信頼できる片腕に屋敷と山々の護りを任せているとはおっしゃっておられますが、長く屋敷を空ける訳にはゆきません…。
それに、もうじきお子様もお生まれになるのですから、奥方様の事が心配でしょう…。
アルがこちらに居られるのも、短い間だけです。
高校生の彼は、あまり長い事こちらに居れば、留年してしまいます。…もっとも、補習は免れないそうですが…。
何処へ行ってしまったのですか?二人とも…。
留守番が居る間に、帰ってきてくれれば良いのですが…。
物思いに耽っていた私の前に、ユウヒさんはすっと小皿を置きました。
お酒が少し入ったそのお皿から視線を外し、傍らの山のような巨躯を見上げると、
「………」
ユウヒさんは目を細めて、私に笑いかけておられました。
一番お辛いのは御自身でしょうに、「ご心配召されるな」とでもいうような、励ますような表情を浮かべて…。