超ド級
「では、私は…」
言葉を選んで口を開く私を、レディ・スノウ…ヴェルヅァンディと名乗った女性はじっと見つめる。
「貴女に終わりを告げられる為に、ここに居た…いや、来たのか?ここはつまり…」
私達が浮かんでいる真っ白な、上下の概念もない空間…ここはつまる所あの世とこの世の境目にある待合室のような物で、
審判待ちの為にこの場に留まっているのか?私はそう解釈し、この意見について彼女に尋ねてみた。
「物質界に身を置く存在にしてはセンスが良いのね?察しが良いし、とても良い捉え方…、概念的には近いわ。でもここは待
合室というより、リサイクルできない物が送られてくる最終処分場の保留スペースとでも言うべきかしら?」
「最終処分場?」
「ええ。不完全な人造の魂は、大概ここに来るのよ」
「なるほど、不完全か…」
私は納得して頷く。私は確かに不完全だ。ひとに近い感情を抱くようになったとはいえ、まだまだ浅い。まっとうな生命に
は成り得なかったという訳か…。
「けれど…。貴方はたぶん突破するだけの条件を満たしているわ。だからこそ私もここに居るのでしょうけれど…」
「突破?条件?」
「ええ、「虚ろなるひとがた」が「真なる自己を形成する境界」を突破する、その条件を」
意味が判らず黙り込んだ私に、彼女は続けた
「器が満ち足りていないから貴方はここに居る。けれど、突破の可能性が残っているからまだ消えずに留まっている。…本来
なら無に還るはずの貴方は、まだ先に進めるかもしれないの」
「先へ、進む…?」
私の問いに頷いたヴェルヅァンディは、不意に目を細め、顔から表情を消した。
「深く絶望しながらもなお、まだ足掻きたい、諦めたくない、そう思ったでしょう?生への執着が貴方に可能性を与えたのね、
きっと。それと…」
ヴェルヅァンディはすっと顔を突き出し、私の目を間近から覗き込んだ。
「…やっぱりそうなのね…」
そう呟いたヴェルヅァンディの目には、私の顔がくっきりと映り込んでいた。
「貴方は黄昏の不完全な技術で生み出された再生戦士ね…。エインフェリアと呼ばれていたかしら?けれどその身には彼の因
子が組み込まれている。一体誰がこんな事を?ヘル…ではないわね。ロキならやりかねないけれど…」
聞き覚えのある名がいくつか上がるが、私に質問のタイミングを与える事なく、彼女の話は続く。
「エインフェリアとして造られながら、その範疇から逸脱している。勿論アェインヘリャルでもなければ、因子は持っていて
もニーベルンゲンでもない。継ぎ接ぎされて造り出された貴方はFの怪物にも近いわ。そう、どっちつかずのパッチワークチャ
イルドという意味では…。神の見えざる手が、何かの役目を与えるべく生み出させたのかしら…」
ヴェルヅァンディはため息をつく。その様子は、私に同情しているようですらあった。
「貴方には、まだ為すべき事が残されているのね。そう、義務が架せられている」
「義務?」
唐突に話が変わったかと思えば、相変わらずちんぷんかんぷんな事を言うヴェルヅァンディ。
「神の見えざる手により与えられた義務…。何かを「先へ運ぶ」義務があるのよ、貴方には。それが良い物であろうと、逆に
どんな酷い物であろうと、貴方は未来に繋げるべき何かを担っている。それがどんな物なのかという事までは言えないけれど」
「…未来…」
呟いた私の脳裏に、アメリカンショートヘアの少年の顔が浮かぶ。
「そうね…。きっと今貴方が思い浮かべた物が、与えられた義務よ」
ヴェルヅァンディはそう呟くと、小さく頷きゆっくりと右手を上げた。
「少し後押しはするけれど、ここから先は…」
言葉の途中で、彼女の指がパチンと鳴らされる。
直後、白い空間に亀裂が走った。ガラスのように。
私とヴェルヅァンディを除く全てがひび割れたと思ったその直後、空間は少しずつ砕け、下…というよりも私達の足の方向
へばらばらと落ちてゆく。まるで、茹で卵の殻が剥離してゆくように。
いやにゆっくり落ちてゆく白い板状の破片は、薄くなって透け、消えて行く。
その向こうに、灰色の世界が見えた。
それが草原だという事は程なく判った。灰色の草が音もなく風に揺れる、果てが見えない草原…。
見れば私は、背の高い灰色の草の中にしっかりと二本の足で立っている。
今度は上下の感覚もあり、地面と空を視覚だけでなく全身で感じる事ができた。
空も薄い灰色だった。寒々しい白い太陽が、灰色の草原に冷たい光を投げ落としている。
ここには色がない。先程の白い空間とくらべればマシだが、白と黒の濃淡があるだけで、景色は寒々しい。
「…涅槃…」
私は意図せずに呟いていた。
自分が立っている場所について、直感的に理解した。
…ここは、獣人が死後に至るという世界に違いない。
データで入力された訳ではない。ブライアンの記憶に残っている。彼がいつだったか聞いた事があったはずだ。こんな場所
の話を…。
(ここから先は貴方次第よ。ジークの因子を持つパッチワークさん)
そんな声が頭に響いて周囲を見回せば、白い女性の姿がない。
草の背が高いせいで見えなくなっている訳ではない。私が周囲を見回していた僅かな間に忽然と消えている。
私はなおも視線を走らせた後、ふと気が付いた。
足が、勝手に前へ進んでいる。
強制的な力が働いている訳ではない。そうする事が自然だと感じ、無意識に足を動かしていたらしい。立ち止まろうと思え
ば足は止まる。
奇妙な感覚に首を傾げながらも、衝動と呼べるほど強くはないその感覚に身を任せ、私は足が進むに任せる。
焦りは無い。ミオの元へ行かねばならないという気持ちは勿論強いが、急ぐ必要が無い、急いでも意味が無いという事が、
何故だか判った。
程なく、私は前方に何かを見つけた。揺れる草の向こうに、黒い物が見えた。
それは、直径10メートル弱、高さは2メートル程の、亀の甲羅のような形の岩だった。
近くに寄ってみると、岩を囲むようにして2メートル程の帯状に草が生えておらず、黒い地面が剥き出しになっている。
私の足は、どうやらここへ向かって自然に進もうとしていたらしい。もう何処かへ行きたいと勝手に動く事も無かった。
よく見てみると、岩の表面はざらざらして、所々凹んだり尖ったりしている。自然石らしい。
しかし落ち着かない…。ここは振動を全く感じない。音も、大気の流れも。
それなのに草は風に揺れており、実際に風が吹いているらしい事は理解できている。物理的な振動として捉える事ができな
いだけで。
普通に考えても異常なのだが、私の場合はまた特別だろう。普段から物を見るように振動を捉えていたせいで、重要な感覚
が一つ抜け落ちたような気分だ。
私は岩を回り込むように歩く。岩はかなり大きいので、外周はそれなりに距離がある。
四分の一を少し過ぎるほど進んだ所で、私は足を止めた。
前方に、人影を認めて。
「よ」
こちらを見ながら軽く手を上げたその男は、まるで私を待っていたようにそこに立っていた。
知った顔だった。
身を映す物がある所で何度も見た姿だった。
その男を見た瞬間から、私は知らぬ間に、全身に力を込めていた。
私が最も忌み、嫌い、疎んでいた男が、そこに立っている。
白い被毛。太い四肢。でっぷり肥えた巨体…。
「ブライアン・ハーディー…」
私と全く同じ顔と姿をした白い犬は、身を強ばらせながら声を発した私とは対照的に、にこやかな笑みすら浮かべている。
「こうして会うのは初めてだね。ハティ君」
ブライアンは親しげに話しかけてくる。
だが、その穏やかな口調と人好きのする笑顔の裏に何が潜んでいるのか、私は他の誰よりも深く、正確に知っている。
笛吹き男、ブライアン・ハーディー…。
罪もない、年端も行かぬ男の子達を犯し、殺し、食らって来た、悪魔のような男…。
激しい嫌悪を感じながら、私はふと思い出す。
涅槃には、親しかった者が現れて誘うという。
スコルでもゲルヒルデ隊長でも他の隊員でもなく、この男が現れるとは…。
「しかしアレだね。自分と全く同じ顔を見るってのは、なかなか奇妙な気分だね。鏡を見るのともちょっと違う」
ブライアンは軽く肩を竦めた。笑いながら。
「…何故現れた?」
硬い口調になった私が問うと、ブライアンは「やれやれ」と首を振った。
「逝くべき時が来たからだろう?」
体がカッと熱くなる。私をこの男が迎えに来た事も嫌だったが、それ以上に、ミオをあの状況に残して逝く事が嫌だった。
「私は…、まだ逝かない。逝けなどしない…!」
声を絞り出し、叩き付ける。ブライアンを否定すれば帰れるという訳でもないのだろうが、今はまだ逝けないと強く思った。
「ミオを救わなければならない!私は戻る!必ず…、必ず彼を守る!」
私の声はいつしか怒声となっていた。しかしブライアンは涼しい顔をしたまま、微動だにしない。
そして彼は、静かに口を開いた。
「それなら、誰にも渡すんじゃないよ。むざむざ傷付けさせてるんじゃないよ」
ブライアンは少し細めた目で、冷たくなった瞳で、じっと私を見る。
「あの子が大切なんだろう?誰かに傷付けられるのは我慢ならないんだろう?ならきっちり守ってやらなくちゃ」
彼が何を言っているのか判らず、私は眉根を寄せた。
この男…、何を企んでいる?真意は何処にある?まさか私を騙せるとでも思っているのか?
そう、一瞬警戒した私だったが、
「そんなに大事なら殺してしまえば良いんだ。殺して食べて一つになればいい。そうすればもう誰にも奪われない。永遠に自
分の物になる。引き離される事もない」
そんな言葉を聞いて、妙な話だが少し安心した。やはりこの男は外道だったと再確認して。
私のそんな心の動きを知ってか知らずか、ブライアンは先を続ける。少しだけ、目の色を明るくさせて。
「…それができないなら骨は折れるが守ってやるしかないだろうね、今までみたいに。本当に仕方がないヤツだよなぁ君は。
あえて困難な方を選ぶんだから」
呆れているように、しかし少し面白がっているようにそう言うと、ブライアンは踵を返し、私に背を向けた。
「じゃあね、そろそろお別れだ」
「何?」
訝って目を細めた私に、ブライアンは背を向けたまま続ける。
「今逝くのは私なんだよ。「ここ」は今、私の為に出現しているらしい」
訳がわからない事を言ったブライアンは、笑ったのか、少し肩を震わせた。
「君が「からっぽ」だった間は、どうにかこうにか間借りしていられたんだけどねぇ…。あわよくば母屋も乗っ取ろうと考え
て何度も試したものの、無理だった。おまけにあんまりあの子の事を想ったりするもんだから、居場所がどんどん狭くなって
きて、もうしがみ付いてもいられなくなった。君があんまりにも「ひとらしい心」を持ってしまったせいなんだぜ?私が逝か
なくちゃいけなくなったのは」
そんな言葉を聞いた私の中に、疑問が発生し、直後に解決した。
「ずっと…、私の中に居たのか?お前は…」
声が震えて掠れた。これまで考えた事もなかったのだ。
確信した。時折生じていた破壊衝動は、記憶の影響などでは無かった。私の支配力が弱まった隙に、肉体の主導権を乗っ取
ろうとしていたのだ。ブライアンの魂とでもいうべきモノが…。
取り憑かれていたとでも言うべきか、私はずっと、ブライアンをこの身の内に宿して生きてきたのだ…。
真実に気付いた事で受けた衝撃は強かったが、それよりも大きな衝撃は、続けてやって来た。
「もうさっきみたいには手伝ってやれないんだから、あの子の事、しっかり守ってやるんだぜ?」
ブライアンが歩き出しながら口にした言葉で、私はすぐさま思い出した。
先程ミオを蘇生させた時…、私の手は勝手に、試した事のない方法でミオを蘇らせていた。…あれは完全に無意識だった…。
「先程のあれは、お前が…!?」
驚きながら訊ねた私に、ブライアンは肩を少し震わせて含み笑いを漏らしただけで、答えようとしなかった。
立ち尽くしたまま見守る私の、困惑が混じる視線の先で、草の中に分け入ろうとしたブライアンは、「ああ、そうそう」と、
思い出したように足を止め、振り返る。
「ウルってヤツも君も、ラグナロクの連中も殆ど全員揃って勘違いしているようだから、一つ言っておこうか」
勘違い?私とウルが?いや、ラグナロクが?
「たぶんだけどね…、君を造る時にハウルってミュージシャンとジークってヤツの因子を入れるように指示したあのロキって
名の可愛い男の子も、気付いてない。ハウルってヤツの因子は半端にしか発現してないんだよ。つまりそういう意味では、君
は本当は失敗作なんだろう」
「そんなはずは無い。実際に私は彼と同質の能力を有して…」
「それが勘違いだって言ってるんだよ。君の能力は彼らと同じじゃないんだ。劣化版という意味で違うだけじゃなく、根っ子
が「違う」んだ」
困惑する私に、ブライアンも少し困ったように続ける。
「私は君が知っている単語でしか説明できないから、専門的な詳しい説明はできないんだけどね…。君は私の能力とハウルっ
てヤツの能力を併せ持ってる」
「お前は能力など持っていなかったはずだ」
「そう。そのはずだった。何せ自分でも気付いていなかったし」
即座に切り返した私に、ブライアンはポリポリと頬を掻きながら続けた。
「「あまりにも自然」だったから自覚していなかったが、今考えれば「あまりにも不自然」だ。いくら周到に準備したって、
私の犯行があそこまでバレないってのは不自然じゃないか?」
「…何が言いたい?」
「君の中にいて学んだから、今思い返せば判るんだ。私はね、能力者だったんだよ。物凄くバレ難い能力を持った…。そして、
無茶な因子の組み合わせまでされて造られた君は、あっちの能力だけを目立つ形で発現させて、もう一つには気付けなかった
って訳だ。いいかい?君には………………」
戸惑う私に、ブライアンは告げた。
私の能力に対する認識が、まるっきり変わってしまう情報を…。
「さて、今度こそ本当にお別れだ。ミオちゃんと仲良くね?誰にも取られるんじゃないぜ?」
そう言って親指を立て、ニカッと笑ったブライアンは、草の中に分け入って姿を消した。
「ま、待…」
(もう涅槃が消えるわ。帰すわよ)
呼び止めて再確認しようとした私の頭に、突如女性の声が響く。
その直後から私の視界は暗くなり始め、周囲が漆黒の闇に変わり、意識が遠退いてゆく。
完全に意識が途絶える寸前に、ヴェルヅァンディの声が再び響いた。
(おめでとう、突破は果たされたわ。…拾った時間を有意義に使う事ね…)
冷たい。
息苦しさを覚えた私は、雪の冷たさと、体の前面にかかる圧力をまず認識した。
雪の上に俯せに倒れ込んでいる事を察し、痛む腕を突っ張り、肘を立てて上体を起こす。
心臓が止まっているな…、動かさなくては。
「…何故だ?」
声が鼓膜を揺らす。耳鳴りは酷いが何とか聞き取れた。
「何故壊れない?ハティ」
ウルの声は静かだが、多分に疑問を孕んでいる。
止まっていた心臓は、顔を雪から引き抜いて息を吸い込むと同時にショック蘇生を試み、無理矢理動かした。
幸い、猛毒のように体を蝕んでいた振動は既に消えている。
「機能停止は確認した。一度は完全に止まった。…それなのに何故蘇生できる?」
上体を起こし、足を踏ん張り、何とか立ち上がった私に、ウルの視線が絡みつく。
激痛と疲労で立っているのも辛いが、私は生きている。
「何故かな?私にも良く判らない」
応じた途端に喉が鳴り、肺腑に溜まった血が吐き出される。
致命的ダメージを受けて機能停止に追い込まれた事は想像に難くない。だがまだ動ける。
トンファーは…、足下で雪に埋まっている。下手に拾う動きを見せれば、その隙を突かれるだろう。
ウルは私が蘇生した事に驚き、警戒していたが、やがてすっと腕を振る。
空気を裂いて飛んできた糸は、先んじて放った衝撃波で迎え撃ち、到達する前に破砕する。
「まだ力は使えるようだ。大した胆力だが、いつまで保つかな?」
「そうは保たないだろう」
ここに至っては強がっても無意味なので淡々と応じながら、私は意識する。ブライアンに告げられた事を。
「ウル。どうやら私達は、長らく勘違いしていたらしい」
私は告げる。自覚する事で急に、しかし静かに発現し始めた「本当のドレッドノート」に、恐怖すら感じながら。
「私の能力は、確かに本家から見れば劣化した代物なのだろう。私が君と同じ原理で衝撃を発生させようとすれば、出力には
確実に差が出る。コントロールにしてもそうだ。長らく互角と誤認していたが…」
「それは仕方がない。比較する機会も無かった上に、以前は誤差程度の物で…」
「そう。誤差に近い物だった。だからお互いに疑いすらしなかった。力が同質である事を」
ウルの言葉を遮り、私は続ける。周囲に積もった雪がパリパリと細かく割れ、粉状になって行くのを感じながら。
「だから思い込んでいた。君にできる事は私にもでき、私にできる事は君にもできると。しかし違っていた。似てはいるが違っ
ていたのだ」
私の周囲で、バキバキと音を立てて凍土が割れ始める。細かくなり過ぎた雪と氷が結合を失ったせいで。
ウルもようやくその異常に気付いたようで、足下に視線を走らせた。
無数の亀裂は見る間に広がり、そこへ細かく砕けて粉のようになった雪と氷が流れ込んでゆく。サラサラと、まるで流砂の
ように…。
少し試しただけで寒気を覚えた。ほんの少し使い方が変わっただけで、私の能力はここまで変貌してしまったのだ。
「ブライアン・ハーディー。私が最も嫌悪する男だが…、生前は本人すら自覚していなかった彼の能力を、私は受け継いでい
たのだ。半端に顕現したハウル・ダスティーワーカーの能力に頼っていたばかりに、今の今まで自覚できなかったがね…」
「何を言っている?あの男が能力者でなかった事は、解析した技術班も確実視しているだろう」
「それでも持っていたのだよ、彼は…。その力のおかげで、彼の周囲では都合良く事が運んでいた。タイミング良く犯行の機
会を得て、都合良く目撃者が居ない状況ができて、相手が無警戒に彼を信用して…」
一度言葉を切った私は、咳き込んで喀血する。
時間稼ぎしながら能力の具合を確かめ、体を修復しているが、動き出せば長くは保たない。短期決戦で仕留めなければ私が
先に倒れるだろう。
「…ブライアンは、「ある物を感じ取る」能力者だった」
ウルの答えを待たずに、私は先を続ける。
「彼はそれを無意識に使いながら行動していた。だから危機を回避できたし、隙を突く事ができた。不安定ではあったようだ
が…、彼が注意深くなっている時…つまり犯行時には、概ね常に発動されていたと考えていいだろう」
「…つまり、その力が君にもあるといいたいのかね?ハティ。二つの異なる力を持つ能力者の存在など、古今東西記録に無い
がね…。撹乱目的にせよ、現実味の無い馬鹿げた話だよ」
「そうだな、私も聞いた事が無い。だがこれは事実であり、今それを試してみたところだ。初使用なのでなかなか上手く行か
ないのだが…、結果は見ての通りだ」
ウルは周囲をちらりと見遣る。
サラサラと、白い砂のように変わって行く凍土を。
「ブライアンの能力は、「危機と隙の察知」。その能力はドレッドノートと非常に相性が良く…、こんな芸当が可能になった」
私の意志を受けて、大気そのものがバシッと音を立て、周囲の氷柱が一斉に崩れた。
まるで、砂浜に造られた砂の城が、波に飲まれて崩れるように。
「何をした?」
これまでとは質が違う衝撃波の威力を目の当たりにして、ウルの目つきが鋭くなる。
「振動を送っただけだ。ただし、「致命的となるポイントやラインめがけて」」
ウルの目がさらに鋭く細められ、首回りで被毛がぶわっと立った。
理解したのだろう。私の放つ振動が、どれほど効果を増しているのかを。
今の私には「物事の致命的な部位」が感じられる。それはポイントであったり、ラインだったりする。そこに振動を送り込
む事で、出力は同じでありながら効果は劇的に変化する。
例えるならこの能力は、堅固な岩塊の脆い部位を直感的に見抜く力とでも言うべきか…。今ならこうも思える。私の指揮が
効果的だったのは、この危機を見抜く力が部分的に発現し、影響していたのかもしれない。
そして同時に、危機を察知する能力でもある。先に放たれた糸を先読みして迎撃できたのは、危険なポイントが発生しつつ
ある事を事前に察知できたからだ。
「ウル。最後にもう一度忠告させて欲しい」
私は無駄だと想いながらも、兄弟に訴える。
「去ってくれるなら追いはしない。できればこの、上手く制御できるかどうかも判らない力を君相手に試したくはない」
ウルは答えなかった。無言のまま、少し腰を落として身構える。
…それが答えか…。
「…ウィークポイントの看破か…。君の話が本当だとして、新たなその能力でどこまで感じ取れるのかは知らないが、それで
私の力をねじ伏せられるとでも?」
エージェントとしての自負がそうさせるのか、それとも素体への畏敬の念故に退けないのか、ウルは徹底的にやりあうつも
りらしい。
仕方がない。私も命は惜しいし、ミオを護らなければならない。やはり戦うしか無いのだろう。
「超ド級(スーパードレッドノート)…。とでも名付けるか」
呟いた私は、迫る危機とウルの隙を感じ取る。
副作用なのだろうか?次第に体温が上昇し、私の体からは白い蒸気が立ち昇り始めた。
意識してみたが、体温はともかく汗の蒸気は止まらなかった。
しかもどういう訳か、白い蒸気は体にまとわり付く。
…奇妙だが、構っている余裕は無い。
ゆっくりと腰を落とした私は、体の痛みが幾分マシになっている事に気付いた。原因は判らないが普段以上の回復速度だ。
すぅっと息を吸い込み、予想より早く準備が終わった私は力を振り絞る。
「オーバードライブ…、ホワイトアウト!」
連続使用の負荷は予想以上で、胸が痛むほど心拍数が上昇し、血圧の急激な上昇は全身が疼く程だったが、耐えられない程
ではない。
しかも、オーバードライブ状態に移行しながらも、これまではつきものだった破壊衝動を全く感じなかった。それどころか、
気分は落ち着いていて普段より冷静だ。
ようやく気が付いた。私は今までオーバードライブを制御などできていなかったのだ。
おそらくは、これこそが完全制御…。
今までの物は、ブレーキやハンドルが故障した状態でアクセルを全開にしていたような物なのだろう。しかもブライアンと
いう余計な荷物が相乗りした状態で。
「オーバードライブ…、セルブリザード!」
ウルもまたオーバードライブを試みる。
が、はっきり判った。彼のそれは完全なオーバードライブではない。
思い上がりではない。事実として確信した。
私は彼に勝てる。体さえ保つならば。
凍土を蹴った私の背後で、細やかに壊れた雪の粉が舞い上がる。
受けに回るのは不利と踏んだようで、ウルの体が横へ流れた。
豪風を纏う私の手がウルに伸び、その襟首を掠める。
絡みつくように動いた糸は、事前に軌道を察知できていた。衝撃波を発して払うつもりだ。…そう、そのつもりだったのだ
が…。
『!?』
私とウルは同時に目を見開く。
腕にからみつこうとした糸が、動きを乱したかと思えば勝手にグローブに巻き取られてゆく。まるで、ウルの意志…思念波
が途絶えたかのように…。
驚きはしたが、それで好機を逃すヘマなどできない。
ウルの隙となったラインを感じながら手を伸ばし、思っていた以上に簡単に襟首を捉えた私は、強引に投げを打った。
勢いそのままに体を預ける格好でウルの体勢を崩し、地面に叩き付ける。その上へのしかかろうとしたが、ウルは足を開い
てブレイクダンスをするように下半身を回転させ、勢いで衣服の襟をちぎり、脱出する。
察知は万能ではないようだ。もう少し習熟すれば効果が上がるのかもしれないが、どうも目先の隙に感覚が引っ張られるら
しく、連携行動の二手目、三手目は上手く察知できない。
下からウルが居なくなった事で、片手で体を支える格好で投げ出した身を支えた私に、再び糸が襲いかかる。
今度は事前に察知できなかったが、迎撃は間に合う。…が、またも糸は私の身に触れる寸前でシュルルッと引き戻された。
今度ははっきり見た。
糸は、私の体から漏れ出ている白い蒸気に触れるなり引き戻され、グローブに収納された。
「まさかそれは…」
転がりながら糸を放ち、戻ってゆくその一部始終を確認したらしいウルが、身を起こしながら呻いた。
その声音に、表情に、彼が初めて見せた畏怖が滲んでいる。
「その白い蒸気は…、ニブル…なのか…?」
ニブル?聞き覚えのない言葉だが、この白い霧が何か特殊な作用を持っているらしい事は察せられた。
「ニーベルンゲン…?いや違う、そんな事はあり得ない…。どんなイレギュラーだ…!?」
ウルは何かに気付いたように言葉を切り、私を凝視する。
「…そうだ…。ハティ、君の体はモータルタッチが効き難かった…。我々ガルムシリーズの基本設計ならば、それほど効果は
違わないはずなのに、だ…。君は、我々とは異なる設計思想から造り出されたのか…!?」
ウルは警戒の色を濃くした。動揺している事がはっきり判る。珍しい事だが、彼の構えにも心にも隙ができている。
驚いているのは彼だけではない。私とて自身に生じた劇的かつ多数の変化に戸惑っている。
オーバードライブの完全制御に、能力の進化。さらには回復力の向上に加え、この、ウルの糸を無効化する白い霧…。
ヴェルヅァンディが口にしていた「突破」という言葉が、不意に思い出された。
彼女の声が告げた「突破を果たした」とは、こういう意味だったのか…?
…いや、詮索も考察も後回しだ。今は…。私は息を整える間も惜しんで駆け出した。
迎え撃つウルの手は、糸を射出しようとして躊躇い、結局衝撃波を発生させた。
今度は事前に察知している。こちらの迎撃も衝撃波だ。腕を一振りした私の眼前でウルの衝撃波は一方的に破壊された。
効果的なラインとタイミングが見切れるようになり、進化形となった私の衝撃波は、自分でも驚くほどの威力だった。
効果増幅の度合いは二倍近いだろうか?ウルの衝撃波をかき消し、彼を飲み込んで吹き飛ばす。
…もっとだ。もっと正確に感じ取れ!反応を上げろ。隙を見逃すな。より効果的な発射角を、タイミングを感じ取れ!
相手の隙を逃さず、こちらの危機は回避しろ。ブライアンの遺産を完全に引き出し、制御しろ!
ウルの体は宙を舞いながら鮮血を飛ばすが、体勢を立て直し、吹き飛びながらも立て続けに衝撃波を放って来た。
しかし複数の危機は事前に、確かに感じられていた。行ける!
対抗してドーム状のショックフィールドを形成し、前方に射出する。数発の衝撃波を巻き込む最も効果的なポイントで接触
させる事に成功し、纏めて難なく破砕して無効化できた。
…これは凄い。が、キツいな…。
ブライアンの能力は、ドレッドノートとの併用によってかなりの反動を生じるようだ。乱用したせいなのか、脈拍が急上昇
し、目の前で星がチラチラ踊った。
だがまだ止まれない。このまま畳み掛ける!
ブライアンに言われるまでもない。必ず勝って、私はミオと共に生きる!