ナハトイェーガー(後編)

 捜索と移動を繰り返す二週間目にしてやってきた、任務合間の休息は、しかしミューラーの期待をよそにあっけなく打ち切

られた。

「突入!?全滅!?な、ななな何だってそんな事に!?」

 ホットドックの食べかすを盛大にぶちまけて大声を上げるミューラーを、ミオが「しーっ!」と制する。

「あ、済みません。見逃した映画の事で…」

 ホットドックスタンドの店員と客から視線を向けられ、咄嗟にでっちあげた嘘でけむに巻くミオだったが、携帯電話を握る

ミューラーの力がこもった手の震えと発言内容から、穏やかではない事態が起き、そして随分と進行してしまっている事を察

している。

「だからDVD借りて見ようって言ったんだよ。ね?帰りに借りてこう「伯父さん」!」

 芝居をして促すミオ。それを把握したミューラーも「ああ、そうしようか…」と応じ、

「そうと決まればすぐ行こう!」

「えー?急だなぁ「伯父さん」…。あ、御馳走様でした!」

 ふたりは芝居を打ちながらスタンドを離れ、少し前に話題になった映画の事を話しながら遠ざかる。

 そしてある程度距離が離れ、一貫して自分達を追っている視線が無い事を入念に確かめた後、

「…何があったんです…!?」

「連中、抜け駆けしました…!」

 小声で短く言い交わしながら、足を早めて警察署へ向かう。

 内容を知られないよう、小声かつ隠語と比喩混じりにミューラーが語ったのは、次のような内容だった。

 昨日生け捕った連中は、一旦尋問が中断されていた。

 それは負傷の治療をし、体力の回復を待つためで、尋問は本日夕刻に再開される予定になっていた。

 ところが担当監査官は、心変わりしたのか、それとも最初からふたりを騙すつもりだったのか、明朝から独断で尋問を再開

した。より正確には「拷問」に切り替わったとも言える。

 そうして口を割らせ、ミオ達が探している物の所在を突き止めた監査官は、連絡を入れる事なく品物の確保を決行した。

 その結果が…。

「ハンターを集めて突入部隊を組織したようですが、これが全滅…、という事ですな。監査官は行方不明。同行した若手が命

からがら逃げ延びたようですが、こちらも重度の負傷との事で…」

 ミューラーは不機嫌そうに鼻を鳴らす。

 悪戯に下を死なせる指揮官が、彼は大嫌いだった。

 勿論犠牲を全面否定する訳ではない。奪い、そして喪う。そんな戦場の摂理は理解し、受け入れている。

 だが今回のようなケースは到底受け入れられない。

 貸しを作るか、あるいは品物を横領でもするつもりだったのかは判らないが、功名心にはやって自分達を出し抜こうとした

私欲と浅慮の結果がこれなのだから。

「やっこさんには生き残っていて欲しいところですな」

 監査官の顔を思い出しながら、ミューラーは呟く。

「責任を、取るために」

「ぼくも便乗して…」

 ミオもまた呟く。神妙な顔つきで。

「突入した勇士達がひとりでも多く生き残っているよう、祈っておきます」

 そして青年は携帯を取り出すと、しなやかな細指で番号を素早く押す。しかしプッシュ回数は異常に多い。明らかに、通常

の番号ではない桁数だった。

 足早に移動しながら、ミオは携帯を片手に周囲を窺う。ミューラーもその通話に邪魔が入らないよう、監視者が居ないかそ

れとなく注意している。

「少佐。状況に好ましくないトッピングがつきました」

 暗号化された、何処の国の物でもない言語で、ミオは通話相手に現状を報告し、次いで要請する。

「現地監査官及びハンターからの協力は不確かな物と割り切って、「独力での処理」を敢行します。よろしいですか?」

 ミューラーの片眉がピクリと動く。

 ミオの言い分を要約すると、「現地機関の協力は信用できないため勝手に動く」という事になる。

 他国領土内で秘匿案件に関わるのは非常にデリケートな事。下手をすれば国際問題になってしまう。だが…。

「少佐は何と?」

 携帯をしまったミオに、ミューラーは訊ねる。少し不思議そうに。

「「任せる」との事でした。あちらがわのもっと「上」の方に話を通しておくので、やり過ぎない程度にやれ、と」

 ミオの返答にミューラーは「そうですか」と応じたが、すぐさま「それだけですか?」と問いを重ねた。

「え?それだけですけど…、何か気になる事、ありましたか?ぼく何か報告し忘れましたかね?」

「ああいえ、そうではなくて…、少尉が今、一瞬笑われたように見えたもので…」

 口ごもりながらそう言ったミューラーに、「あー…」とミオは苦笑いを見せた。

「「怪我に気を付けて」となかなか難しい事を言われちゃったんで…」

 ペロッと舌を出したミオに「そうでしたか」と応じたミューラーは、

「…少尉はモテますな…」

 そう、ボソッと小さな声で呟いた。

「え?何です?」

「いえ、何でもありません」

 軽くジェラシーを覚えつつ、まだ顔も知らない他の部隊員達に思いを馳せるフリードリヒ・ヴォルフガング・ミューラー特

務曹長37歳独身。



 低く機械の作動音が這う、だだっぴろく薄暗い部屋に、金属製の筒が鎮座している。

 分厚い壁に一つしかない出入り口。換気口も頑強な鉄格子で三重に覆われ、ドアは壁同様に厚い、頑強な鋼鉄製の一枚板。

 そこは、見る者が見ればひと目で判る、捕虜などの収容設備だった。それも、大人数に対応した…。

 そんな部屋の中央に立てて据えられた金属の筒は、高さ2メートル、直径80センチほどの物。のっぺりとした筒は、さら

に外側から厳重にいくつもの保持具で固められ、中に何が入っているのかは覗えない。

 その筒を、室内にふたりだけ居る男達が見つめていた。

「船は?」

 低い声で問いかけたのは、蒼黒く色濃い外側の被毛と、白い胸側の被毛が鮮烈なコントラストを描くシベリアンハスキー。

 身長は190センチに達するだろうか、筋骨隆々とした逞しい偉丈夫である。

 軍服と思しき衣類を纏い、両腰に刃渡り60センチ程の直剣を吊るしたそのハスキーに、傍らに立った、額から頭頂までブ

ロンドが禿げ上がった壮年が「ああ、はい、ああ、す、すぐに…」とおどおどしながら応じる。

 痩せぎすの壮年は、この国に根を張る中規模地下組織の幹部である。それなりの勢力を誇る組織の重役という立場で、普段

はそれをかさに威張り散らしているのだが、今日は随分と静かだった。まるで別人のように。

 それは、その自慢の肩書が、このハスキーには通用しないという事を理解しているせい。

 グリスミルと名乗るこのハスキーは黄昏の使者。下手に不興を被っては、比喩でなく首が飛んでしまう。

 先程、監査官に率いられて突入して来たハンター達を瞬時に蹴散らしたその手並みは、思い出すだけで寒気に襲われるほど

だった。

「すぐとは、いつだ?」

 問いを重ねるハスキーの低い声に、壮年は身震いした。

「あ、あと一時間ほどで…」

「そうか」

 ハスキーは短く応じて踵を返す。ホッとした壮年は、しかし…。

「30分で準備しろ。…お互いの為に、な…」

 一度足を止めたハスキーの低い恫喝で、全身から冷や汗を吹き出させた。

 部屋を出たハスキーは、ドアの両側に控えていた猫の兵士ふたりに脇を固められ、ひんやりとした空気が満ちる通路を、地

上へ向かって歩いてゆく。

 壮年幹部のボディーガードを務める五名の人間男性達は、ひどく緊張しながら、薄気味悪い物でも見るように、黄昏の構成

員を見送った。

「何かと不手際が多い。下請けのチンピラどもから足がついた件といい、殴り込みをかけられた件といい、仕事を任せるには

力不足だったな」

 不満げに呟いたハスキーは、「状況は?」と傍らの猫達に問う。

「先に逃げた監査官が戻って参りました」

「新しく編成したのか、部隊を率いて」

「連絡要員は始末致しました」

「連中が囲い込み、殲滅に入っております」

「しかし抵抗が激しく、手間取っているようです」

 良く似た顔の、表情の無いアメリカンショートヘアーふたりが交互に応じると、「手間が省けた」とハスキーが零す。

「後腐れなく、今度は全滅させるか」

 そして、二本の剣は抜き放たれた。シュラリと、冷たい光を放って。



「後退!後退!」

 若い監査官が必死に声を上げるも、後ろを固めるハンター達はその指示に従えない。

 長い直線から成る退路はもう、敵側の射撃手が大勢ついて固められていた。

 確保のために入口に残して来た部隊は一体どうしたのか…、その末路は容易に想像できた。

 倉庫から地下へ潜る通路を抜けた、入り組んだ地下道が交差する区画に、散発的な銃声と、分断され、殲滅されてゆく者達

の断末魔がこだまする。

 足首までが水に浸かる、使われなくなった地下排水路が改築された物資運搬道は、地の利がない監査官側に分が悪すぎる舞

台だった。

 記録上は埋め立てられ、存在しなくなったはずの地下道。これを請け負った業者の工事に組織が一枚噛んで、出入り口から

数十メートルを埋めて偽装し、内側をそのまま使用していたという事実は、得た捕虜を尋問して訊き出すまで明るみに出てい

なかった。

 本来ならば体勢を万全に整え、しかるべき部署へ連絡を入れ、軍まで動かすのが筋だったのだが、若き調停者は残して来た

先輩を救いたい一心で、負傷を押して暴走し、手順を飛ばして地元ハンターを募り再突入した。

 そうして引き起こされた二度目の悲劇の中、どこで間違ったのだろうかと、若き監査官は頭の隅で考える。後悔しながら。

 他国から派遣されてきたあの二人組を出し抜き、品を確保しようと欲を出したのが悪かったのかもしれない。

 貸しを作れば大手柄になったし、品を押さえて引き渡してやればこちらの格が上がる。現場を担当した自分達の評価は、想

像しただけで小躍りしたくなるほど跳ね上がる。…はずだった。

 ところが、現実はこうだった。

 捕虜の手当てを口実にふたりを帰らせ、その実、尋問を続行して口を割らせて得た情報は、出世の足掛かりになるどころか、

棺桶への片道切符となった。

 戦力では五分以上のはずが、場所の不利に加えて、化物のようなハスキーにハンター達が蹂躙された。

 隙をついて逃げ出せたのは運が良かったといえるが、気付けば先輩の監査官は居なかった。

(くそっ!くそっ!くそぉっ!)

 自分はここで死ぬのか?恐怖と悔恨、やるせなさが、胸を鉛のように重くさせ、絶望が背に圧し掛かる。

「ぎゃーっ!」

 また絶叫が上がった。

 ハンター達を死地に引き込んだ自分の責任を自覚し、監査官は思わず両耳を塞ぐ。

 だが、ふと違和感を覚えた。

 悲鳴は、退路の向こう側から聞こえたような気がした。

 周囲を見れば、同じように疑問を覚えたハンター数名が、こわごわ通路の奥を窺っている。

「…味方…?増援!?」

 全滅させられた物と思っていた入口の守備隊が応援を呼んだ。そう考えて喝采を上げる一同。

 だが、その歓喜の声はすぐにすぼみ、消えた。

 通路の向こうで無防備にこちらへ側面を晒すような後退を見せた組織の射撃手達と、彼らの射撃を中断させた上に後退せし

めた者の姿を目にして。

 銃で武装した男達に素早く詰め寄り、悲鳴を上げさせながら下がらせているのは、年若い細身のアメリカンショートヘアー。

「撃て!撃て撃て止まるな!」

 現場指揮を任されているのだろう男が叫び、発砲する。

 だが、タタタンッと銃声が響いたその時には、事前にコースを予測していたミオは臆する事もなく踏み込んで、傾げた首の

横を通過する弾丸にも目を瞑らず、ダガーの一振りで拳銃の前部をトリガー付近から斬り飛ばしていた。

 射撃手の人差し指から、厚さ3ミリほど肉と皮を剥ぎながら。

「ギャッ!」

 声が上がったその時には、踏み込んだ低い姿勢からダガーを振るったミオは腰を伸ばして左足を振り上げ、悲鳴を上げた男

の顎を前蹴りで捉えている。

 ミオのダガーは、ジルコンブレードを扱う相手との白兵戦も視野に入れた装備である。

 ハンターが用いるオーソドックスな素材…ニューセラミック複合素材のファイティングナイフですら刃を交えれば刃毀れし

てしまう強度と切れ味を備えているほどなので、一般的に普及している金属や強化プラスチックの類は一方的に破壊できる。

 もっとも、重量はさほどでもないので、殺傷能力自体は使用者の運動性能と技量に大きく左右されてしまうが。

 仲間に当たる事を恐れ、躊躇いながら銃を向ける左右の男。

 だがこの内一方は、顎を蹴られて気絶した男をそのまま回し蹴りで飛ばして寄越され、ぶつかってバランスを崩し、天井へ

発砲しながら仰向けに倒れる。

 もう一方は、低い姿勢で素早く前進したミオに銃口を定められないまま発砲し、床に鉛玉をめり込ませ、懐に入った青年に

鳩尾へ痛烈な一撃を見舞われて昏倒した。

 抜き放った大振りなトンファーをくるりと回し、先に倒れた男が起き上がるところへ向けるミオ。

 直後、トンファーの短い側で先端部が赤く発光し、光の球体が射出される。

「げうっ!」

 顔面に光球が着弾した男は、強烈なパンチでも貰ったように頭部を仰け反らせ、鼻血が激しくしぶいて宙に赤い霧を撒く。

 ミオが持つこのトンファーは、ヴァルキリーウィングCと呼称される。

 これもまたラグナロクとヴァイスリッターの技術が融合して生まれたハイブリッド品。思念波をエネルギー源として物理的

影響力を持つ力場を発生させて射出する機能をはじめとして、簡易エネルギーシールド発生機構も備えており、それらの制御

をサポートし、思念波枯渇防止用に安全装置の役割も果たす、特殊な制御装置が組み込まれている。

 ミオの動きは柔らかで、滑らかで、軽やかで、素早く、鋭く、そのくせ典雅ですらあった。

 人工兵士としてのポテンシャルは並の人類以上だが特製品以下。しかし軽量で華奢な肉体は、その筋肉が保有する出力下に

おいて理想的なサイズと重量でもある。

 出力と重量の絶妙なバランスにより、尋常ではないトルクウェイトレシオを誇る、軽量高機動戦闘機…。それがミオ・アイ

アンハート。

 驚異的な白兵戦能力を披露し、多勢を単身で制圧しにかかるミオに対し、追いつめられた男達は、ついに同士討ちすら恐れ

ずに出鱈目な発砲を開始した。

 サブマシンガンが連続して床を、壁を抉る。ミオに負傷させられた仲間まで巻き込んで。

 しかし、その照準が合わせられる前に、青年の姿がすぅっとぼやけ始めた。

 ミオの姿が透けて、向こう側が見える。まるで立体映像が消えるように、薄くなってゆき…。

「は…!?」

 完全に姿が消え失せた青年。見失って発砲を止める男達。

 直後、天井でガンッと音がして、前列に居たふたりが頭頂部に衝撃を受けて昏倒する。

 ブンッ…と姿をぶれさせ、半透明な像がいくつか重なった状態で僅かに姿を覗かせたミオは、片方の男の頭に膝を、もう片

方の男の頭にトンファーを叩き込んでいた。

 崩れ落ちるふたりの男。のしかかる格好で一緒に降下しながら、残る男達に素早く視線を走らせたミオが、再びその姿を消

失させる。

「あ、わ、わぁああああっ!?」

 何らかの能力か、レリックの作用。そう理解してもなお、対処方法は思い付かない。

 同士討ち覚悟で四方八方に弾丸をばら撒くというのが最も効率的な手段ではあったが、勿論それで仕留められる保証は無く、

その代わりに間違いなく同士討ちとなる。

 しかし、男達が半狂乱になる前に、事態を変化させる要素がもう一つ、姿を見せた。

 ミオが乱入し、敵を蹴散らした入口から遅れて飛び込んで来たのは、命じられた負傷者の縛り上げを終えたミューラー。

 左腰には白兵戦用に全長60センチ程のショートソードを吊るしているが、これはリッターの高速振動剣とは別物。

 その太い腕が抱えているのは、ごつい金属塊からバレルと思しき太い筒が突き出した武骨な銃火器、H&K、GMW。弾帯

で纏めた40ミリグレネード弾をセミ、あるいはフルオートで連続発射できるグレネード発射機…つまりグレーネードマシン

ガンである。

 30キロにもなる、本来なら三脚で固定して用いる火器を抱え、ミューラーはトリガーを引き絞った。

 シュボボボボンッと連続した発射音と共に高速で吐き出されたのは、しかし炸裂するグレネード弾ではなく、軟質ゴム弾頭

を備えたスタンブリッド三十数発。瞬時に展開されたゴム弾の弾幕が、男達を一方的に、有無を言わさずタコ殴りにする。

 立て続けに上がった悲鳴は、しかしすぐさま苦鳴に変わる。

 ミューラーがトリガーから指を退けた時には、立っている者はミオと、向き合っている男ひとりだけになっていた。

 ダンスでも踊るようにミオと至近距離で向き合い、彼に盾代わりにされ、背中と後頭部をゴム弾で痛打された男は、青年が

手を離すと白目を剥いてドサリと倒れる。

「武器を捨てろ!若い身空で墓の上をガチョウに歩かれたくなかろう!」

 男達の呻き声を吹き飛ばすミューラーの降伏勧告。

 それは撃つ前に言えなかったのだろうか?と思わないでもないミオだったが、自分の降伏勧告は無視されたので、「まぁ仕

方ないか…」と肩を竦めた。

「あれは…」

 若い監査官は、男達を縛り上げるミューラーを残して歩み寄って来る青年を見つめ、低く呻いた。

 気まずいしバツが悪かった。出し抜こうとした相手が助けに来てくれたのだから。



「状況はだいたい判りました」

 ミオは監査官から手早く現在の状況を聞き出すと、時折悲鳴と銃声が聞こえて来る通路奥を見遣った。

 前から攻撃を仕掛けていた部隊は異常を察したのか、既に退いている。

 できた猶予で負傷者に手当てが行なわれ、九死に一生を得たハンター達の中には、脱力してへたり込んでいる者も多い。

 一度目の作戦失敗の際に捕らわれた監査官は生死不明。ただし交渉材料など人質としての価値が高いので、生かされている

可能性は高い。もっとも…。

「五体満足とは限りませんな…」

 ミューラーが小声で耳打ちし、ミオも同意して頷く。

「どのみちこのまま攻め込みますから、救助に尽力しましょう」

 任務のついでに助けよう。ハンターの集団が敗れるというこの現実を前に、怯む事もなく簡単に述べたミオに、

「つくづく、少尉は勇敢ですなぁ…。怖い物など無いのでしょう」

 ミューラーは呆れと感心が半々の感想を口にした。

(怖くない訳じゃ、ないんですけどね…)

 ミオは胸の内で呟く。

(そういう風に振る舞うべきだから、そうしてるっていうだけで…)

 青年の脳裏に浮かぶのは、ドレッドノート(恐れ知らず)と呼ばれた白い戦士の姿だった。

「分断されたひと達を救援しながら深部を目指します。ここの構造図とかないですか?」

 ミオは若い監査官にそう訊ね、携帯端末にデータを受け取ると、それをミューラーの物にも転写する。

 通信機であるチョーカーの使用方法は、ここへ来る途中で簡単に説明した。別行動を取っても傍受を気にせず通信できる。

 意気込んで腰に吊るした剣の位置を確認し、付き合う覚悟を決めたミューラーは、しかし…。

「ぼくが先行します。なるべく引きつけますから、ミューラーさんは皆さんと一緒に救助を優先してください」

 ミオからそう言われて鼻白む。

「え?い、いや少尉それはちょっ…」

「お願いしますね」

 聞く耳持たず、ミオは怯む様子も見せず、足早に単身通路を進み始めた。

 お願い。またこれだ。

 ミューラーは歯噛みしながら細い背を見送る。

 ミオは命令しない。お願いするだけ。そうしてその細い体になるべく危険を引き付け、敵も味方も犠牲が少なく済むように

振る舞う。

 生殺与奪の権限を自分に不利な形で行使している。それは到底、長生きできる遣り方ではない。だが…。

(御伽話めいた、どこか惹かれる生き様である事も確か…)

 狩るべきものに絞って狩る。奪わず済む物は奪わない。その姿勢は一流の狩人のそれであり、騎士の本来あるべき姿勢にも

また通じる物があるのではないか?青年の姿勢を見せつけられ、ミューラーは時折そう考えさせられる。

(英雄、か…)

 もしかしたらあの線の細い青年は、いずれ歴戦の勇士に好んで語られるような存在のひとりになるのではないか?そんな感

慨を抱く猪。

 ただし、まだミオを過去の物語や想い出にするつもりはない。

 まだまだ生きて、どうせなら生ける英雄として退役して欲しいと思っているし、ギュンター共々自分よりも先に死なれては

困る。

「…さて、これより友軍救援、及び反撃を試みます。監査官殿、ご協力願えますかな?」

 ミューラーはGMWに新たな弾帯を咥え込ませながら監査官に声をかける。

 若き監査官は先輩を取り戻したい一心で、恐怖と傷の痛みを押し殺しながらも頷いた。

 次いで猪はハンター達に視線を向け、「負傷していない中で、志願者は前へお願いします」と呼びかけた。

 だが、命拾いしたハンター達の反応は、あまり芳しくなかった。

 死んだものと思った所から生き永らえた。死の恐怖を存分に味わった。相応に働いた。だからもう良いだろう…。

 そんな意識が芽生えたハンター達は、ミューラーから目を逸らす。

 猪はなおも「志願者は?」と繰り返し、それでも誰も出て来ない事を確認すると…。

「貴様らそれでもドイツ軍人か!?」

 凄まじい大音量の一喝で、地下道を揺さぶった。

 ドイツ軍人じゃない。と反論する者はひとりも居なかった。何せ猪の剣幕に押されている上に、この猪が何者なのかも判ら

ず、どんな態度で対応すべきか掴みかねてもいたので。

「アッハトゥンク!」(気を付けぇっ!)

 引っぱたかれたように身を硬くするハンター達に怒声を飛ばすミューラー。

「命拾いし、我が身可愛さに萎縮する…。その気持ちは判らんでもない。だが!仲間の窮状を前に!拾った命を抱えて縮こま

り!気高き戦場の叫びを傾聴する気分はどうだ!おい!そこの貴様!」

 ビシッと指差されたハンターのひとりがビクンと背筋を伸ばす。

「貴様はどうだ!?今も刻々と傷ついてゆく仲間を見殺しにするのはどんな気分だ!?」

「いや…、仲間というか…、同業者で…。商売敵とも言える訳で…」

「口答えをするなぁっ!!!」

 一喝するミューラー。意見を訊いておいてこれである。

 新兵を理不尽な叱責に晒して無理矢理鍛えるように、ミューラーは喝を入れ続ける。

 早々に動かさなければ犠牲が増えるし、先行したミオの負担も増す。最悪の場合は単身ででも後を追う覚悟だが、この入り

組んだ地下道で分断された者達を救助するには、人手は少しでも多い方が良い。

「貴様らそれでもドイツ軍人か!気合が足りん!養成キャンプからやり直せっ!!!」



 カッカッカッと、湿った足場を軍用の編み上げブーツが闊歩する。

 大柄なハスキーはヒュンッと直剣二本を両脇で振り、付着した血液を払い落とした。

 ビシャッと血の飛沫が打ち付けられた床は、しかしその前から既に真紅に染まっている。

 そこに転がる死体の数は、ひと目で正確に把握するのは難しかった。

 右肩から左脇腹にかけて切断され、そこから上が見当たらない者や、腰の位置で上下に別れた者など、原形を留めない分割

された死体が多いせいで。

 その切り口は綺麗ではない。衣類は繊維が千切れており、肉体の切断面は爆ぜたようにボソボソになっていた。

「残り、三匹か」

 ハスキー…グリスミルのコバルトブルーの瞳が、壁を背にして銃を腰溜めに構える三人のハンターを映す。

 だが、構えながらも三人は震えていた。グリスミルが見せた…否、まともに見えもしなかったその圧倒的武力に恐怖して。

 最初の接触は、異様だった。

 無防備に、無造作に、銃すら構えず通路の奥からやってきたハスキーは、何の冗談か、両手に剣をぶら下げて背筋を伸ばし

ていた。

 撃って来い、と挑発しているようにも、敵意が薄いようにも思えたグリスミルは、威嚇射撃を行なった直後に牙を剥いた。

そして…。

「ひっ!」

 ハンターの一人が引き金を絞り、散弾銃が火を噴いた。

 だが、広範囲に飛び散った散弾は、バツッと音を立てて地下通路の壁に無数の穴を空けただけ。命中範囲内に居るはずのグ

リスミルには一発たりとも当たっていない。

 奇妙な事に、まるでグリスミルを避けるように飛翔した散弾は、その背後に彼を囲む楕円形の無傷な範囲を残している。

「また…!」

 絶望的な響きが滲むハンターの声。

 どういう訳か、このハスキーには銃撃が通用しない。

 何らかの能力かレリックによる作用と思われたが、この現象の正体が判らない。

 状況を打開しようにも、何の手も打てず、妙案も浮かばない…。

「そろそろあのぼんくら共も仕事を済ませる頃だろう。さっさと片付けるか」

 頼りにならない下請け組織の構成員をぼんくら呼ばわりしつつ、ハスキーは剣を握る腕を胸の前で左へ向け、右手を左肩の

上へ。

 ハンター達は固唾を飲んだ。そこから剣が水平に一振りされれば、見えない刃で断たれたように自分達の首が飛ぶ事は判っ

ている。同業者が幾人も、目の前でそうして殺されたのだから。

「ふん…」

 萎縮するハンター達をつまらなそうに眺めつつ鼻を鳴らしたグリスミルは、しかし…。

「そこまで!」

 地下道の壁をピシャリと打つ、若々しい制止の声に耳を震わせる。

 ゆっくりと視線を右手へ向けるグリスミル。

 そこには折れた通路の先から姿を現した、若いアメリカンショートヘアーの姿があった。