ブラックアウト(中編)

 シャキッ…、と、空気を割いて刃が走り、猫の首筋にひたりと添えられる。

「む!?」

 グリスミルが異常を察したその時には、意識を取り戻し「帰還」したミオは、猫の首筋に右手に握った刃を当てつつ、左手

で相手の手首を掴み、素早く捻り上げて背後を取っている。

 体感時間では数時間に及んだが、実際にはほんの数秒過ぎただけ。各々の立ち位置は少し変わっていたが、状況の把握には

苦労しなかった。

「少尉!」

 ミューラーがホッとして歓喜の声を上げる。

「ちっ!世代が違うと効き難いのか…!」

 歯噛みするグリスミルだったが、「いいえ」とミオは自嘲気味に答えた。

「効いてましたよしっかり。ただ、ぼくにだけは「たまたま」効果が薄かった…」

 ミオが思い描く最上の幸せは、あの悲劇の延長線上にしか存在し得ない他者との関係性と、あの環境では決して実現しない

状況の二つが重なっている物だった。

 自分とハティは何処かで静かに暮らしていて、グレイブの皆が生きていて、時々ああして集まって…。それは、どうあがい

ても実現しようのない物…。

 だから結局のところ、ミオはどうしてもあの術中では矛盾に晒されてしまう。そしてその矛盾を、違和感を、看過できなく

なる。

 ミオは、何の代償も喪失も存在しない幸せを願えるような生まれ方も、生き方も、して来なかったから…。そもそも今のミ

オという存在そのものが、あの悲劇無しには誕生しなかったから…。

 ミオが願い得る最上の幸せは、既に喪われてしまった者達とともにある。

 だから、これ以上喪わないように歩んだ先にあるはずの「二番目の幸福」が、今のミオの願い。残った物を大事に抱いて、

過去を手放さないまま、精一杯生き抜いて歩み続ける事がミオの願い。

 青年の右手が今握っている、かつてスコルから貰ったツールナイフも、手放さない過去を象徴する一つだった。

 ソレを一度無くした北原から見つけ出し、以降ずっと持ち歩いていたミオは、幻想に包まれながらもポケットの中のこれを

握り、刃を出して武器代わりにしていた。

「役立たずが…!」

 歯軋りをして呻くように漏らしたグリスミルは、素早い行動を見せた。

 躊躇いなく、その剣を振り上げて…。

 ハッとしたミオが猫を突き飛ばしながら跳びすさる。

 だが時既に遅く、ふたりを巻き込む形で撃ち出された衝撃の刃が猫の背をザックリ裂き、ミオの胸元もまたバックリ割れて、

コートが千切れた下からブシュッと鮮血が上がる。

「少尉っ!」

 悲鳴に近い声を上げるミューラー。

 咄嗟に突き飛ばして正面から逃れたとはいえ、諸共に斬撃を食らった猫達が、きりもみしながら床に倒れ伏す。

「ちっ!せっかく捕まっていたのだ。しがみついて動きを封じておけばいい物を…、役立たずがっ!」

 もはやピクリとも動かない猫を睨んで吐き捨て、さらに剣を振るうべく、胸の前を横切らせて腕を伸ばし、水平の一撃を放

とうとするグリスミルに、

「させんっ!」

 ミューラーが横合いから突っかかった。

「邪魔をするな雑魚がっ!」

 体の向きを変え、大きくスイングしながら衝撃を放つハスキー。だが猪はつんのめる寸前まで前傾し、それを潜る。

 丸めた背中を撫でた衝撃波がバヅンと音を立ててコートの背を毟り取り、背を叩かれたような衝撃でむせ返りそうになった

が、息を喉にためて力み、一呼吸を無駄にせずミューラーは突っ込む。そして…。

「ぬおおおおおおっ!」

 満を持して懐へ入りながら声を解き放ち、雄叫びとともに繰り出した腰溜めの突きは、グリスミルのガードでも弾き切れず、

寝かされた刃が腰の脇を浅く掠めて肉を抉る。

「ごあっ!?」

 苦鳴を漏らしたハスキーは、そのまま猪のぶちかましをまともに浴びた。

 上背ではグリスミルが上だが、重さではミューラーが上。みっちり身の詰まった体躯はそのまま砲弾となる。

「どぉりゃあっ!」

 肩で当たって崩した勢いそのままに、ミューラーはグリスミルの胴を抱え込んで押し倒す。そうして背と後頭部を床に叩き

つけてやったが、エインフェリアであるグリスミルはその衝撃でも気絶に至らない。

「おのれっ!退けぇっ!」

 マウントポジションを取ったミューラーへ、下から剣を突き上げるグリスミル。しかしこれを左腕に装着したシールドで滑

らせると、そのまま左拳をハスキーの顔面へ叩き込んだ。

「べぷっ…!」

 鼻が潰れ、血飛沫を飛ばし、顔を仰け反らせるグリスミル。次いでカッツバルゲルの魚の尾鰭を模したごつい柄尻が、左の

頬を真横から殴り付ける。

(この状況なら、あの妙な攻撃もできんだろう!)

 ミューラーの勝算はここにあった。

 見えない攻撃は脅威だが、その攻撃範囲が、ミオと敵の猫を諸共に巻き込んだ事で把握できている。あれが至近距離で炸裂

すれば、確実に自分を巻き込む。

 そのミューラーの予想は当たっていた。

 同系統の能力とはいえ、グリスミルはハティやウルのように、微細な振動操作を行なって中和できるだけの技能水準に至っ

ていない。あくまでも一方的な攻撃と破壊を追及した能力は、自分をも巻き込む諸刃の剣となる。

 ただし、剣撃に乗せるものについては、だが…。

「図に…、乗るなっ!」

 ハスキーが血の混じった唾液を飛ばして吼える。

 その開いた口腔は、至近距離から猪の顔面を狙って…。

「特曹!危ないっ!」

 苦しげに体を起こしたミオの警告が響いたのと、ミューラーの頭が殴り上げられたように上を向いたのは同時だった。

 眼窩と鼻腔から血を噴出させ、猪の顔面から破断された被毛が細やかに散る。

 衝撃の咆哮。ミオとの初戦で追い詰められた際に使用した、グリスミルの奥の手…。

「ぐおぉーっ!」

 顔を抑えて仰け反ったミューラーを、グリスミルが乱暴に跳ね除ける。

「と、特曹…!」

 一時意識が飛んでいたミオは、仰向けの状態から何とか身を起こそうとするが、ダメージが大き過ぎてろくに動けない。

 転がっている武器を拾おうにも、たった2メートル先のそれらが遠い。

 身を起こしたハスキーは、マズルを手で撫でてそこにべっとり付着した自分の血を目にし、逆上した。

「よくも…、貴様…」

 ゆらりと立ち上がったハスキーが、猪の腹に爪先を蹴り込んだ。

「げぶぁっ!」

「よくもよくもよくもよくもよくもっ!雑魚の分際でよくもっ!貴様らは俺に黙って殺されてりゃあいいんだよぉっ!それを

それをそれをそれをそれをっ!図に乗りやがってぇええええええええっ!」

 追い詰められ、纏っていた薄皮が一枚剥がれて、グリスミルの本性が露になる。

「死ねっ!死ね死ね死ね死ね死ね!命乞いして泣き叫んで苦しんでのた打ち回って無残に死ね無様に死ね豚のように死ねっ!

生まれて来た事を後悔しながら口とケツからはらわた吹き出して汚く死ね醜く死ね家畜のように死ねっ!」

 口角泡を飛ばし、口汚く罵りながら容赦なくミューラーを蹴り続けるグリスミル。だが…。

「…貴様…」

 腹に蹴り込まれたその足を、ミューラーは両手でがっしり掴んだ。

「薄汚いその手を離せ雑魚がぁっ!」

 抱えるように捕まえられた足を軸に変えて、今度は反対の足がミューラーの顔面を捉えた。

 グリスミルは苛立つ。もはや呻き声も上げない猪の、死を僅かに先送りにするだけのあがき…。そのはずが、足を捕まえた

腕は全く力を緩めない。

 必死に生へしがみ付く執着の強さか、それとも死に瀕して訳が分からなくなって縋っているだけなのか。どちらにせよ無様

で醜悪で不快だと、グリスミルは足を振り上げ、ミューラーの顔を踏み躙る。

「ぐっ…」

 靴の下から漏れた声に、ハスキーの耳がピクリと反応した。

「ぐふっ…。ぐっふっふっ…!」

 咳き込んでいるのではない。ミューラーは笑っていた。

 不気味に感じたその笑いで僅かに頭が冷えたグリスミルは、ハッと首を巡らせた。

「ヴンダバール…!」(素晴らしい)

 瀕死の重傷を負ったアメリカンショートヘアーが、グリスミルを見据えて呟く。伏せて狙撃を狙うスナイパーのような格好

で、先端を赤く光らせたトンファーを構えながら。

 ミューラーの笑いは時間稼ぎが完了したから漏らした物。猪がハスキーを引き付けている間に、ミオは這いずってヴァルキ

リーウィングCまで辿り着いていた。

「き…貴様ら…!うごぉっ!?」

 引き攣った顔のまま、グリスミルは交差させた剣と腕で赤い光弾をガードし、そのまま壁まで吹き飛ばされる。

「と、特曹っ…!大丈夫ですか…!?」

 這いずって近付こうとするミオに、

「何のこれしき…!」

 ぐぐっと上体を起こしたミューラーは血を吐き捨てて応じると、毛細血管が破裂して充血した目で、痛々しくウインクして

見せた。

 衝撃波を照射された瞬間、反射的に目を瞑っていたおかげで、瞼は裂傷だらけで目を閉じても傷から血に混じって涙が漏れ

出るほどだが、とにもかくにも失明は免れていた。

 だが、ふたり揃って満身創痍。対してグリスミルはまだ動ける。

「貴様ら…!きーさーまーらー!あっ!あっ!ああああああがぁああああああっ!」

 激昂のあまり、グリスミルの顔はひとの物ではないかのように歪み、口の端からは涎と泡が零れて、荒い息に飛ばされ吹き

出ている。

「やれやれ、旗色が悪くなりましたな…」

 そう漏らしながらもミオを助け起こし、中腰のままハスキーを睨むミューラーには降伏の意思が見られない。

「ええ…」

 応じたミオは、その目を横たわる猫へ向けた。

 血が流れ尽くしたのか、もはや赤い水溜りは広がる気配を見せない。

 ミオは視線を戻す。ブツブツと呪詛を吐き散らしながら歩み寄るグリスミルに。

 そして青年は小さくため息をつく。

 ミオは、諦めた。

「特曹…。拳銃、ありましたよね…?壊れてませんか?」

 そよ風のように静かに囁くミオ。即座に頷いたミューラーだったが、

「ありますが…、しかし…」

 懐に呑んだそれは、被疑者捕縛用の麻酔弾を込めた小口径。

「危なくなったら、麻酔をお願いします…」

 猪の眉根が寄る。追い詰められているのはこちらの方なのに麻酔弾を使う?そもそもこんなヤツにも慈悲をかけるのか?と。

 だが、違っていた。

「もしも駄目そうなら、撃って下さい…。遠慮も躊躇もしてはダメです。そうしないと…」

 ミオはガクガク震える膝を叱咤し、ふらつきながら立ち上がる。そうしてゆっくりと一歩、また一歩、グリスミルの方へ踏

み出して、

「特曹まで、危険ですから…」

 そしてミオは、ゆっくり体を前傾させ、項垂れた。

 背を丸め、両手をだらりと下げ、頭を垂らして脱力したミオは、猪が訝しげな視線を向ける中、

「良いですね?危なくなったら、躊躇せず「ぼくを撃って下さい」」

 そう言い残して目を閉じる。

 その口元が微かに動き、自らの深部へ呼びかけた。

「オーバードライブ…。ブラックアウト…!」

 ゾワリと、ハスキーの被毛が逆立つ。

 ブワッと、猪の剛毛が立って膨れる。

 小刻みに震え出したミオの細い体躯から、凄まじいプレッシャーと異物感が溢れ出し、部屋に充満した。

 青年の背が、肩が、腕が、太股が、ミシリと音を立てて怒張する。

 空っぽの右手ではメキメキッと音を立てながら五指が開かれ、異様に力む。

 目の錯覚なのか、部屋の明るさが少し落ちたように感じられた。

「カファ…!」

 開いた口から細く鋭い牙が覗き、吐き出された息は熱く、蒸気のように白く漂った。

 ミオは諦めた。

 殺さずに終わらせるという選択を、グリスミルの存命を、諦めた。

 まるでネコ科の肉食獣。極端な前傾姿勢をとったミオは、爛々と輝くその瞳をグリスミルに向けるなり、

「フシャァッ!」

 口の隙間から異音を発し、矢のように飛び掛った。

「うっ…!」

 顔を引き攣らせたグリスミルの視界内で、ミオの姿が急速に拡大する。

 その速度は重傷を負っているとは思えないほど。まるで完全回復したように…、否、万全の状態の時よりも速い。

 ガードするように前へ出した二本の剣は、左のトンファーに弾かれ、纏めて腕ごと上へ跳ねられた。そうしてアッパー気味

に振り上げたトンファーが、先端に灯りを点すなり弾けさせ、反発力で胸元へ戻り、引き付けられる。

 剣と腕を跳ね上げられて無防備に晒されたその喉を、ミオの右手がガシッと掴む。同時に、バネ仕掛けのように胸元へ戻っ

た左のトンファーが、痛烈なボディブローを叩き込む。

「おげはっ!?」

 喉を捕えられたグリスミルは、くの字に折れる事すら許されない。そこへ、

「ルルルルルッ…!」

 唸るミオの思念波を吸い出して、ヴァルキリーウィングCはその先端に光を点す。

 ドパン、と鉄板を平たい何かで叩いたような音が響き、ゼロ距離射撃を受けたグリスミルが吹き飛ぶ。

 だが、ミオの攻撃は止まらない。

 発射の反動で引いた左腕をそのまま後方へ回し、そこへ光と点すと、弾速の遅い光弾を放出。さらにそこへ二射目を打ち出

し、接触させて…。

「シアアアアアアアアアアオッ!」

 炸裂した力場の斥力を利用し、衝撃で全身を叩かれながら、吹き飛んでゆくグリスミルを追撃する。

「く…あ…!」

 再度ガードしようとしたハスキーの交差させた剣を、ミオの靴底が踏む。

 飛び蹴り。そしてそのまま身を捻じって逆足で射抜くような蹴りを剣の隙間から送り込み、グリスミルの顔面を捕える。

「っっっ!」

 声も出ないハスキーめがけ、二発の蹴りを伴う緩い回転から身を捻じり続けたミオは、先端が赤く光るトンファーを突き出

した。

 直後、雪崩のように連射される小振りな光弾。全身を余すところなく叩かれながら、さらに加速して飛翔したグリスミルが

壁に激突。ミオは右手で着地して、猫のように身を丸めて四つん這いの低い姿勢を取る。

 ここまでミューラーは、口をぽかんと開けたまま、身動き一つできなかった。

 まるで痛みが消えたかのように、体力が戻ったかのように、目覚ましい動きを見せるミオ。

 しかしその闘い方は、少し見ただけでも普段と大きく異なっている。

 無い。

 驚くほど、無い。

 無駄も。容赦も。

 そして何より、普段のミオの面影が、その表情に全く無い…。

(少尉…、まさか正気を失っているのか…!?)

 危なくなったら自分を撃て、と言ったミオの真意を、ミューラーは理解した。

 ベルセルク。

 今のミオは正気を失うかそれに近い状態になり、痛みも疲労もさほど感じていないのだと、ミューラーは直感する。

 我が身を光弾の接触爆発に晒して加速を得る…。これ一つ取っても、自らを戦闘の手段と割り切っているのだと察せられた。

「フシャアアアアッ!」

 襲い掛かるミオ。グリスミルは荒い息を吐きながら、クワッと目を見開いた。

 次の瞬間、飛びかかったミオが空中で弾き飛ばされ、無数の微細な傷を全身に負いながらも、宙でくるりと身を捻って着地

する。

「ふ…、ふふふ…!」

 余裕を取り戻したハスキーが含み笑いを零す。

 今の彼は、連続放射される衝撃波の壁に守られていた。

 発動に一拍の間が必要で、発生させられるのも一方向の90度角程度。不意打ちに対応できないのが欠点なのだが、一度発

動すればそこからしばらくは持続させられる。

 弾丸の軌道すら逸らすこの防壁は易々と破れない。ひとまず猛攻を防げると安堵したグリスミルだったが、

「ルルルルルッ…」

 唸るミオの体が見え辛くなり、顔を顰めて瞬きする。

「…む?な…?何だ!?」

 目の疲れやかすみでない事には、すぐに気が付いた。

 部屋が、暗い。しかも部屋のあちこちにやたらと暗い箇所が生じている。

 影が出来るような場所でもない、開けたところにポツンと闇が蹲っている光景は、不自然過ぎて不気味だった。

「な、何だこいつは一体全体…!?」

 と、驚いているのはミューラーも同じだが、闇の塊は彼の周囲にも無数に生じて、グリスミルとの間にも入り込んでいる。

 まるで、猪をハスキーの目から隠すように…。

 この現象はミオの能力の産物。ノンオブザーブの可視光線屈折を利用し、暗闇を作り出している。

 部屋に生じた闇は刻々と数を増やし、やがて繋がりあって部屋中を占拠した。

「気味の悪い…!」

 呻くハスキー。触れても実害はないが、何の影響も受けずにショックフィールドもすり抜けている。霧のような気体でもな

いので、防いだり散らしたりする手段は無い。

 そうして一気に暗くなった室内に、ミオの姿が溶け込むように消えた。

 速い上に、見えない。ゾクリと寒気を覚えるグリスミル。

(オーバードライブ…と言っていたな?ま、まさか本当に…、本当にオーバードライブできるのか、あの小僧は!?)

 グリスミルが狼狽するのも無理はない事だった。

 秘中の秘とされるオーバードライブは、ラグナロク内でも数えるほどしか使用者が居ない。グリスミルはまだ体得できてお

らず、この先体得できるという保証もない。

 ブラックアウト。そう名付けられたミオのオーバードライブは、身体能力拡張型で、瞬発力と膂力が劇的に上昇する。

 だがこのオーバードライブは未完成で、使用すればミオは内なる獣に自我を侵食されて半ば理性を失い、自身の負傷も顧み

ず、効率的に相手を屠る事を優先するようになってしまう。

 この状態では強烈な衝動を抑え込みながら戦っているが、時間が経てば経つほど意識を保つのが難しくなり、最終的には完

全に獣性の支配下に置かれる。

 そうなってしまうと敵味方の区別をなくし、過剰な防衛行動として脅威となり得る者を全て排除しようとするので、武器を

持っている者や戦える者へ手当たり次第に牙を剥きかねない。

 その欠点を熟知しているミオは、今回も短期決戦を狙っていた。

(どこだ?どこから来る!?)

 正面へショックフィールドを展開させたまま、左右へ視線を走らせるグリスミル。壁際に追い込まれたおかげで背後は気に

しなくて良いが、三択となった防御方向を絞れない。

 だがしかし…。

(音…)

 グリスミルは思い出す。初戦では姿を消したミオの足音が聞こえ、先程は幻像を見せられながらも、声だけは移動した本体

の方から響いた事を。

(ヤツが能力を使っても、音は正しく聞こえていた。…これだ!)

 耳に神経を傾け、集中して音を聞き取る。ソナー能力まで会得していないグリスミルは、あくまでも感覚に頼るしかない。

 しかしその聴力は、人類の域を超えている。注意さえしていれば虫が地を這う僅かな音すら聞き逃さない。

 そして捉える、微かな、床が摺れる音…。

(いかに歩法を習熟しようと、移動には摩擦がつき物だ!完全な無音などありえない!そこだ小僧!)

 グリスミルは左手側にショックフィールドを移設した。そして、弾いた直後に追撃を入れようと、剣を構えて待ち構える。

 そしてミオは現れた。

 横を向いたグリスミルがわざわざ向けてくれた、背面から…。

 グリスミルは勘違いしていたが、ミオの能力は「姿を消せる」能力ではない。「姿「も」消せる」能力である、

 透明になれるのは、可視光線を屈折させるから。

 同じように「音波」を屈折させれば、聞こえないようにする事も、違う方向から聞かせる事もできる。

 その名はノンオブザーブ(観測不能)。ハティ・ガルムをして天敵と言わしめたのは、振動波であるドレッドノートを理論

上は捻じ曲げ得る「屈折」という能力の原理と、極めて広範にわたる可能性を併せ持っているが故の事。

 一戦目や先程の攻めで、わざわざ音に手を加えずそのまま聞かせておいたのはミオの仕込み。

 まんまと引っかかって勘違いし、無防備にさらした後頭部に膝蹴りを叩き込まれ、自らが携えて眼前で交差させていた剣へ

顔面を突っ込むハスキー。

「べびゅぉっ!?」

 マズルが裂け、舌が切れたハスキーの背中を、今度はヴァルキリーウィングCの「銃口」が捉える。

「シアアアアアアアアアアアアアアッ!」

 接触距離での最大出力発射。急激に膨れ上がった赤い光は、ミオの体をすっぽり飲み込むほどの光弾に成長し、グリスミル

の背を押すように吹き飛ばした。

 そしてそのまま、形成されていたショックフィールドへ術者本人を突っ込む。

「ぎぉああああああああああああっ!?」

 悲鳴は、すぐさま凄まじい炸裂音にかき消された。

 力場の弾丸とショックフィールドは、グリスミルをサンドイッチにして同時崩壊、炸裂して天井と床をへこませ、横壁に風

穴を開ける。

「ぬあぁっ!?しょ、少尉っ!?」

 闇が蔓延した中に居るせいで何が起こっているのか把握できないミューラーだったが、ビリビリと肌が震える衝撃の炸裂と、

一陣の風が吹き寄せて来た事で舞台の異常を察した。

 闇が薄く晴れてゆく。噎せ返りながらも立ち上がり、足を引き摺って用心深く前へ進むミューラーの耳に、金属がぶつかり

合う音が届いた。

 剣戟の響き。今の爆発でも決着はついていない。戦闘続行中だと察したミューラーは、急いで壁の穴を抜け、同じような部

屋の端でドアごとミオに蹴り飛ばされ、室外へ吹き飛ばされるグリスミルの姿を目撃する。

「少尉っ!」

 呼びかけたミューラーにミオはちらりと視線を向けた。その炯々と光る目が一瞬部屋の奥へ向き、それからグリスミルの方

に戻り、アメリカンショートヘアーは矢のように室外へ飛び出してゆく。

 今のは目配せだったのだと一瞬遅れて気付いたミューラーは、ミオが一瞥した方向へ視線を巡らせ、

「あれは…。あれが…?」

 金属製の筒を発見し、歩み寄る。

 隙間のない、溶接で密封された金属筒には、幅10センチほど、高さ5センチほどのガラスの小窓があった。その内側は揺

らめきをもつ明るさに満たされている。

 ミューラーは揺らめきの正体が炎である事に気付き、窓を覗き込もうとしたが…。

「ぬっ!?」

 驚いたように首を引く。

 ガラスの内側で踊った炎がトカゲのような顔を形作り、窓の内側で牙を剥いた。

「こ、これが…、サラマンダーか…!?」

 太古の文明に生み出された、エネルギー生命体。

 その姿に畏怖すら覚えて、ミューラーは唾を飲み込んだ。