エピローグ

 そして、一年と少し時が流れて…。



 強烈な陽光に晒されて並ぶタクシーとバスの窓とボディが、眩い光を四方に散らす。

 反射光に軽く顔を顰めた少年は、サングラスの位置を調整して、強い光に弱くなってしまった目を守る。

(暑いとは聞いてたけど…。まさか…こんなぁ…)

 東北の涼しい土地で生まれ育った少年は、首都の熱に晒されて音を上げそうになった。

 能力の質から勘違いされがちだが、特別熱に強い訳ではない。むしろ体が慣れた環境と体型の問題で暑さは苦手だった。

 早くも肌に汗がにじんで、狐色の被毛を湿らせ始める。

 一刻も早く涼しい場所に移りたくて、待ち合わせた相手はどこだろうかと視線を巡らせた少年は、若い猫と目が合った。

 バス乗り場を確認していた所でたまたま視線が合ったらしいその相手は、少し青みがかった灰色の毛並みの、アメリカンシ

ョートヘアーだった。

 視線を合わせたちょっとした気まずさから、どうも、といった具合で頭を下げる少年。細身の体躯と涼やかな毛色が印象的

なアメリカンショートヘアーは、それに応じて会釈を返し、あるかなしかの微笑で口元を弛める。

(かっこいいひとだなぁ…)

 少年はそんな感想を抱いた。中性的な整った顔立ちと線の細さにも関わらず、その青年の背筋が伸びた立ち姿は凛としてい

て、路上に視線を彷徨わせる横顔などは精悍に見えた。

 まるで、気品のある高級な猫のように。

 そうして短い間目を向けていた少年が視線を外すと、ミオ・アイアンハートは注意が逸れた事を感覚で察しながら、高いビ

ルが連なってできた賑やかな都市の顔を窺った。

 行き交う人々の数。若者の横顔。イケブクロというらしいこの街の活気と喧騒を、地下から上がって来るなり味わったミオ

は、その双眸に興味深そうな光を湛えている。

 初めて訪れたこの都市に、青年は特別な感慨を抱いていた。

(ここが首都…。デスチェイン、ダウド・グラハルトのお膝元か…)

 会った事は無いが、「英雄」ダウドの名は話に聞いている。上位の調停者を中心に、実働隊だけでメンバーが五百にも及ぶ

チームを率いる男。不夜城都市の
Vigilante(寝ずの番)。

 ミオは小さく笑う。自分達「夜の狩人」もまた、寝ずの番と言えるのかもしれない、と…。

(…そしてこの都市は、グレイブ第三小隊の皆が全滅して、マーナ・ガルムさんが戦死した地でもあるんだね…)

 会った事のない仲間と、ハティの弟にあたるエインフェリアの事に思いを馳せるミオは、

「あの…」

 横合いから声をかけられると、驚いた様子もなくそちらへ顔を向けた。

 そこには、どこもかしこも丸っこい少年の姿。背は低いのだが、丸々肥えた肥満体形で、パッと見ても種族が判らない。

(え〜と…。犬?狐…かな?)

 ふさふさの尻尾やマズルや耳のシルエットでそう判断したミオは、狐であるらしい少年に「何か?」と笑みを向ける。

「えっと…、友達と待ち合わせてて…、東口で、変な像が見える所っていう約束だったんですけれど…、見当たらなくて、そ

の…」

 地元民ではないミオだが、そう言われてすぐにピンとくる物を先程見たので、視線を動かしてロータリーにある奇妙なオブ

ジェに目をやった。

 そこには、ひとがふたり上と下に重なっている、確かに奇妙なシルエットの像。

「あれの事かな?」

 指差したミオに、「ああ、確かに変…」と納得して頷く丸い狐。

「有り難うございました。助かりました」

 ペコッとお辞儀した少年に「いいえ」と笑みを返したミオは、

「あー!ノゾムー!ここっスー!お待たせー!」

 大きな声に反応して、少年と共に声の出所へ視線を向けた。

 そこには、歩道をドスドスと小走りに駆けて来る、大柄な白い熊の姿。

 2メートル以上ありそうな長身に、幅も厚みも尋常ではない体躯。

 太くて大きくて白い少年のその姿に、ミオは一瞬ハティを重ねた。

(…あれ…?)

 目を擦るミオ。

 全く似ていないのに、北極熊にはどこか、ハティを思い出させる雰囲気があった。

「あ、居た…!」

 ホッとしたように呟いた狐の少年は、ミオに会釈すると北極熊の少年に駆け寄る。、

「わりっス!急いだんだけど…!」

「ううん。着いたばっかりだから」

「乗り換え大丈夫だったっスか?」

「予習してきて良かったよ…」

 言葉を交わしながらゆっくり離れて行くふたりを、黙って見送るミオに…。

「暑いですな…」

 駅から出てきたずんぐりした猪が並び、交通機関の情報が図解で示されたパンフレットを開く。

 しかし一緒にやってきたヒキガエルは、目をクリクリさせながら「あれー?」と声を漏らした。その視線はプニプニした手

首に巻かれたごつい時計に向いている。

「どうしました?」

 ラドは腕時計に偽装した計器を確認し、「反応アリでーす。…あの子ですねー」と、狐の少年をチラ見する。

 ミオとミューラーもそれに倣って、白い大きな熊の少年と何か話し合い、それから一緒にバス乗り場方面へ歩いてゆく丸っ

こい狐を、さりげない視線で観察した。

「サラマンダーが取りついているようには見えませんね。普通に会話できました」

「…能力者でしょうな。例えば発火系の…。制御が甘い能力者には探知機が誤作動する報告があったはずです」

「でなければー、生体固有パターンにサラマンダーと似た所があるかー、ですねー」

 ミオはピクピク耳を動かしながら思い出し、少年達が交わした会話から拾い上げたキーワードを覚え込む。

「「ノゾム」…っていう名前みたいですね」

 北で逃がしたサラマンダーは、この一年、ユーラシア大陸を彷徨った。

 しかも「容れ物」を替えながら移動しているので追跡は容易ではなく、最後に足取りが確認できたのは七か月前のチベット。

 追跡ばかりしている訳にも行かないので、他の任務をこなしながら足取りを追ってきたミオ達だったが、つい四日前、信用

できる筋からサラマンダーの容れ物と思しき人物を確認したとの情報を得た。

 その確認地がこの都市だったのである。

 なお、実はまだミオ達ナハトイェーガーには、今回の件で入国許可が下りていない。

 リッターの斥候と見なされ、危険視した関係者高官が難色を示し、回答を不当に遅らせたので。

 急ぎなので身元を偽って潜り込んだのだが、勿論、露見すれば面白くない事になる。

 もっとも、しわ寄せはそもそもの失態を演じた陸軍が負うので、割と気楽な立場ではあるが…。

「さあ、行きましょうか「三浦さん」、「今野さん」」

 ミオが歩き出し、一度「了解少尉」と返しそうになったミューラーとラドは、

「はい、澪君」

「行きましょー」

 と態度を合わせた。

 ミオが所持した偽造運転免許証には、「鉄谷澪(てつやみお)」と記載されている。偽造した調停認識票も、ちょっと見た

だけでは偽物と判らない精度。

「今夜はー、リョーテー予約してまーす。有名なシニセリョーテーでーす。いうなれば高級レストランでーす。スシもサシミ

もテンプラも出まーす」

「おお、気が利くなヒキガエル。…はて?何だあの妙なオブジェは…?」

 芝居をするまでもなくすっかり観光客その物になって、一行は大都市の懐へ潜り込んで行った。

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