ファルシャーネーベル(act3)

 

―ね、ねぇー…―

 背が低い、しかし丸っこく肥った蛙の子が、疲れ切った無気力な半眼で問いかける。

―待って…。待ってーフランツー…!―

 敏捷さに欠ける遅い駆け足で、丸い体がタプンタプンと弾む。

―フランツはー、なんでみんなといっしょにいかないのー?―

 息が乱れ、汗が流れ、足が鈍くなって、やがて駆け足が早足になり、そして歩みになり、やがて止まる。

 路が入り組んだ、しかしそもそも街並み自体が密度が低く広くないので、深さがさほどでもない裏路地で、前を行くノッポ

の兎が振り返り、足を止めた。

 古めかしい、そして汚らしい、雨染みと煤けで変色した民家の背中が向き合う路地。舗装されて、側溝が整備されて、しか

し新しさも清潔さも無いそこでは、足を止めた五歳の子供達だけが、「生きている」と感じられる。それほどまでに路地は人

の気配が無く、嫌に静かだった。

―なんでって、なんで?―

 ラドの問いに、黒い兎は首を傾げた。

 ついさっきまで、子供達の姿はもっとたくさんあった。

 だが、遊び場を変えるため、他の子供達はパタパタと駆けて行った。

 スタミナもなくて足も遅いラドは、途中で離されて置いてけぼりになっていた。

 待つような友達はいない。気を遣う子供はいない。居ない事に気付いて戻ってくる者もいない。

 皆にとって居ても居なくても同じの、目立たない、取り柄も無い子供…。当時のラドはそんな男の子だった。

―だってー…―

 聞き返すフランツに説明しようとして、ラドは言葉に詰まった。

 皆と一緒に居た方が良いだろうに。

 早く着いて遊び始めた方が良いだろうに。

 自分に付き合っていたら損ばかりするだろうに。

 そう思うのに、どう訊けばいいのか幼い頭では纏められない。

―みんなといっしょのほうが、トクじゃないのー?ぼくといっしょにいても、ソンじゃないのー?―

 ようやく発したその問いかけに、フランツは鼻を鳴らして笑った。一体何を言っているんだ?というように肩を竦めて。

―なにがトクかなんて、ぼくがきめる―

 ラドは眉根を寄せた。まだ訊きたい事はあった。気になる事はあった。フランツの返事で納得できた訳ではなかった。それ

でも損をしているはずだと思った。

 だが、フランツが決まりきった事を言うような調子で答えたので、それ以上訊けなかった。

―いこう―

 しばらくして、フランツは大股に数歩戻って、ラドの手を掴み、引っ張った。

 弾んでいた息は、いつの間にか整っていた。

 それまで待っていてくれたのだと、何となく判った。

 そしてラドは、フランツに手を引かれて歩き出す。

 不意に、視界が滲んだ。

 哀しい時や怖い時ばかりではない。嬉しい時にも泣きたくなるという事を、ラドはこの時初めて知った。

 グズッと鼻を啜ったラドの顔を、フランツは見なかった。

 泣いている事に、気付かない振りをしていた。



 薄く目を開け、尿意のせいで微睡から一時浮上するラド。

 一緒に毛布にくるまっているフランツは、まだ眠りの中に居る。

(いつも、そうだったなー…)

 いつも、フランツは気配りをしていた。幼い頃から。

 取るに足りない地味な子供という印象が出来上がっていたラドにも、それとなく気を遣ってくれた。

 そんなフランツだから、大人は勿論、子供達の間でも印象は良かった。

 特技ができるまでの軽んじられていたラドと、できた子供だと評価されていたフランツの組み合わせは、当時は周囲から妙

なペアだと思われていた。

 フランツは、昔から変わらない男だった。

 ラドが美術に才能を示して見直されてから、手の平を返した周囲とは違っていた。

 ずっとずっと、変わらない男だった。

 そんなフランツにはきっと特別でも何でもなかった、いつでも誰にでもやっているのだろう気配りを、気遣いを、ラドは今

も忘れていない。

 握っていた手の感触を確かめたラドは、横で寝ているフランツを起こさないように、静かにベッドから出た。、

 窓の外はまだ十分な明るさになっていなかったが、

 部屋のドアに向かう前に外を確認すると、息絶えたように静まり返った町の上で、朝日が白々と山稜を染め始めていた。

(ん…?)

 窓から外を眺めていたラドは、早朝の道をゆく人影に気がついた。

 ふわりふわりとフランツの家の前を抜ける細く長い通り道を歩み、遠ざかるその人物は、人間の老人のように見えた。

 はっきりと断定できないのは、白に近い薄いグレーの外套で足首付近まですっぽりと身を覆い、ブッシュハットのような円

形に広いつばを持つ帽子を目深に被っているせいで、体格も性別もよく判らないからである。

 ただ、白い髭を蓄えているのか、口元から喉が白い。白いマフラーか何かで口元から喉を覆っている可能性も否定できなかっ

たが。

 知っている人物ではない。そんな気がしたラドは、地面に溜まる霧に気が付く。

 その濃い霧はくるぶし程度の高さまで満ち、見渡す限り続いていた。

(変な霧…。こんなの初めて見た)

 一時地面に注意を払ったラドは、人影に目を戻してからハッとした。

 老人と思しき人影は、立ち止まり、半身になって振り返り、ラドの方を向いていた。

(こっち…見てる…?)

 距離があって顔までは窺えないのだが、自分の方を見ている、見られている、そんな感覚があった。

 そして不意に、変化が訪れる。

 道を、庭を、地面を覆い隠していた霧が、どんどん引いて行く。

 それまでも引いていたのかもしれないが、その速度が急に増したようだった。

 やがて、霧は残らず消えた。

 まるで、砂地に水が染み入るように、地面へ吸い込まれて。

 そちらに目をやっていたラドがはっと気づいた時には、老人の姿も消えていた。

 妙な霧だとは思ったが、たまたま目にした珍しい自然現象だと考え、ラドは深く考えずに部屋を出る。

 そして用を足してすっきりした時には、もう目にした老人の事も頭の隅に押しやっていた。

 寒気を覚えて身震いし、背中を丸めて体を小さくしながら部屋に戻ったラドは、ベッドに上り、モゾモゾとずれた毛布を首

の上まで引っ張り上げる。毛布の中の温もりと外気温の低さは、別世界のソレらに感じられた。

 幼馴染に寄り添い、温もりを感じ、微睡に誘われる。

(フランツ…)

 口に出さず、声に出さず、黒兎の名を呼んで、ラドは再び目を閉じた。



 ガランガランと、朝早くから宿の正面ドアが、小さな鐘をけたたましく鳴らす。

 早朝の来客でエントランスを賑わされたのは、緑のカエル亭である。

「はいはい。…おや」

 宿泊客の朝餉の準備を中断し、厨房から出て客を出迎えたラドの父親は、相手の顔を見るなり、真ん丸い目に被さった瞼を

大きく上げた。

 開いたドアを潜り、ミシミシ音を立てる木の床を踏み締めて宿に入ったのは、濃い茶色の被毛を纏い、耳がキリッと立った、

シェパードの血が濃い犬の中年。

 中年は背が高く胸は厚く肩幅は広く、無駄肉の無い逞しい体格をしている。着用している制服の胸と袖には、地方警察の所

属である事が判るバッヂがついていた。

 早朝の来訪者は、ラドの父が古くから見知っている顔の相手…町の警官だった。宿のトラブルにも逐一対応してくれる、心

強くも気心知れた男である。

「親父。早くから済まんが、宿泊客について訊きたい」

 ラドの父は困惑顔になった。というのも、用件を切り出したシェパードの顔が、微妙な険しさを帯びていたので。

 緊迫した表情ではない。だか不快そうではある。ついでに言うと、歩み寄ってカウンターに腕を乗せてもたれかかるその仕

草には、どこか面倒臭そうな雰囲気も漂っている。

「何かあったんですか?」

 訊ねながらもカウンターの鍵付き引き出しを開け、ワイヤーコードで繋いで持ち出し出来ないようにしてある宿泊客の名簿

を取り出す中年ヒキガエルに、シェパードの警官は首を竦めて苦虫を噛み潰したような顔を見せた。

「教会に不審者が入ったようだ」

「ん?「ようだ」…?」

 首を捻るラドの父。「ああそうだ」と頷くシェパード。

「まったく…。最近は妙な霧が出て足元が危ういわ、朱石泥棒の噂が出るわと、変にゴタついてるっていうのに…」

「「ようだ」って事は…、確定では無いんで?」

「ん?ああ…。侵入して悪さをした…事は間違いないんだが」

「強盗ですか?それとも…」

 身震いしたラドの父に、「そう不安がるな。怪我人も死人も出ていない」と、シェパードは微かに苦笑いを見せた。

「そ、そうでしたか。…じゃあ、物盗りなんかがこっそり忍び込んだんで?」

 即座に質問を重ねた宿屋の旦那に、警官は「かもしれんし、違うかもしれん」と唸る。

「調査中、ですか?…ああ、今ウチに宿泊してるお客さん達は…」

 犠牲者が居ないと知ってホッとしたラドの父は、宿泊人数と男女の内訳、それぞれ見た目では怪しくないという事を警官に

告げた。

「少ないな…」

「そりゃあ、この町ですから…」

 苦笑いするヒキガエルと、諦め混じりのため息をつくシェパード。

「で、結局何があったんです?あ、訊いちゃまずいかな…」

「いや、話すのは別にまずくない。事件といえば間違いなく事件だが…、教会の、石膏像が割られていたんだ」

 ヒキガエルが「ほ」と目を丸くした。

「粉々だ。入念に壊しまくって、原型も留めていない有様にしてあった。よほど嫌いなのか?憎しみでもあるのか?そんな事

をやったヤツに訊いてみたい所だよ。ああ、酷い様だった…」

 礼拝堂の床一面に飛び散った石膏の破片と、椅子を染める白い粉。惨憺たるその有様を思い出し、あの惨状を作り出した犯

人はどんな悪意を持っていたのかと、眉間を揉むシェパード。

「今の所、何か無くなったという事はなさそうなんだが…、像を壊しまくったのも窃盗の目くらましって可能性もある。それ

にしたってバチあたりな所業だぞこれは。ふん捕まえて懺悔させないとな。…しかし…」

「「この町にそんな不信心者は居ない」、と?」

「そういう事だ」

 何かにつけて耳にするフレーズを口にしたラドの父に、シェパードは逞しい肩を竦め、顔を顰めて見せた。

 この町にそんな事をする住民は居ない。だから余所者の仕業に違いない。

 シェパードが宿を検めに来たのは、署内でのそんな意見に押されての事だった。そんな決めつけが絶対ではないという程に

は、このシェパードは常識を持ち合わせている。だから「まず余所者を疑うべき」という慣習自体も、それが大勢を占める意

見も、それに渋々従わざるをえなかった自分も、まとめて面白くなかった。

「客は全員居るのか?」

「ええ。ああ、いや…。朝早くに出て行ったお客さんは居ますが…」

「ん?」

「朝早くとは言っても、ほぼ夜中ですけどねぇ」

「夜中?」

「ええ、日の出前を狙うのだと言って…」

 シェパードの険しい表情を見て、ラドの父親は言葉が足りなかった事に気が付いた。

「いや、釣りですよ、釣り。そのふたり、昨日着いてから早速釣り場を確認して歩くような客でしてね」

 と、遠くからやってきた若者ふたりの行動について語るヒキガエルだが、

「釣り?今の時期に?この町で?ほとんど釣れないだろう?」

 シェパードは険しくした表情を緩めない。

「ええまぁ…」

「で、何を釣っているんだ?」

「あー、いやそれが…、逃がしているから魚までは…」

「逃がしている?」

「ええ。釣るだけで、食うわけでもないから逃がすんだ…そう…で…」

 ラドの父が発した言葉は、尻すぼみになって消えた。

 わざわざ釣りをしに、こんな田舎へ旅行に来る…。時間を持て余している若者達の酔狂な二人旅だろうと思って深く追及し

なかったが、改めて考えてみると不可解だった。

 だが警官の言葉で、ここにきて疑念を揺すられる。

「来て早々に出て回った…。確認に…」

「ええ…」

「勝手も知らない町で、日が出ていない時間帯にも…」

「え、ええ…」

「しかも何を釣っているのか判らない。…本当に何かを釣っているのかどうかすらも…判らない…」

 見つめ合うシェパードとヒキガエル。

「…その客の名は?」



 その頃、ミオとギュンターは…。

「教会は比較的立派だな」

「信心深いのかもね。この町のひと達」

 釣果ゼロのまま渋々引き上げ、宿に戻る道すがら、目立つ建造物を見物にやってきた。

 まだ人出が無い町の目抜き通りを歩くふたりの行く手には、突き当たりに位置する教会。立派とは言えない家屋が並ぶ市街

地中心部で、白く眩しいその建物は若干浮いているようにも見える。

 老朽化したくすみは壁のあちこちに見えるが、定期的に補修や清掃が行なわれているのだろう、多少の汚れで荘厳さが損な

われない程度には手入れをされていた。

 柵越しに見える敷地は広く、生垣が巡らされた庭園になっている。季節が来れば色鮮やかに花で賑わうのだろう。

「そういえば…。お前、信仰はどうなんだ?」

「うん?」

 並んで歩きながら発せられたギュンターの唐突な問いに、ミオが首を捻る。

「宗教だ。何か信じているのか?」

「宗教…」

 ポツリと漏らしたミオは、何かを思い出しているような表情になる。

「俺は…いや、家は代々レディスノウを信仰しているが…」

「う、うん。そうだったね…」

 吹き出しそうになるのを堪えて相槌を打つミオの目が、探るように周囲を窺ったが、ギュンターはそれに気付かない。

(案外、そこらで聞いてるんじゃないんですか?ねぇ…)

「お前はどうなんだ?」

「え?う、うーん…。無宗教かな?」

 やや口ごもりながら応じるミオ。ここでレディスノウと言ってよいしょすれば、ギュンターは喜ぶかもしれないし、本人も

まんざらでもないのかもしれないが、そう思った時にはもう適当な返事をしてしまっていた。

「そうなのか。何ならレディスノウを信仰しておけ」

「勧誘もしてるの?」

「いや。どうせなら同じものに祈った方がいいと思っただけだ。何となく連帯感もある」

 真剣なのかそうでないのか判らないギュンターの物言いに、ミオは口元を綻ばせた。

 そして思い出すのは、遠い北の地…、寒い寒い銀世界での記憶…。



「祈る物…?」

 ベッドに腰掛けた白い犬が、低い、しかし聞き取り辛くはない良く通る声で呟いた。

「はい。「カミサマ」って、呟く隊員も居ますよね?「マモリタマエ」とか、「シュクフクヲ」とか…。皆さん信仰を持って

いるんでしょうか?」

 そう訊ねたのは、簡易デスクの椅子に座っているアメリカンショートヘアー…、ミオ・アイアンハート。

 尻尾を揺らしているミオと向き合っているのは、大きな犬だった。熊種のような巨体で、身長は2メートルを軽く越えてい

る。

 その巨躯は幅も厚みもあり、四肢は巨木の幹を連想させる逞しさ。大きく腹の出た大兵肥満で、その体積は標準的な成人男

性三人ほどもある。

 肩から一つながりになった太い首は、緩やかに盛り上がり天を突く山のようなラインを描き、その頑強な首の上の乗った顔

には、何処か達観しているような無表情と、思慮深げな眼差し。

 豊かでボリュームがある被毛は艶やかで美しい、ひとの靴裏を知らない新雪のような純白。纏う衣類も雪中迷彩の白で、首

に巻いた通信用チョーカーと鼻の黒さが目を引き、体躯の大きさとその色合いから、雪の積もった山脈を思い起こさせる。

 巨漢の名は、ハティ・ガルム。ラグナロクに所属する将校であり、この時は大尉に昇進となる連絡を受けたばかりだった。

 本人曰く、「まっとうな生物」ではない。ラグナロクの生物兵器開発部門によって、ガルムシリーズとして生産された二体

目のエインフェリアであり、数少ない成功例のひとり。一度は中枢直属のエージェント候補にもなった事実から、性能面につ

いては折り紙つきと言える。

 ミオにとっては命の恩人であり、初めて心を許せた相手であり、名前をくれた大事な人物であり、敬愛と信頼を寄せる上官。

そして…。

「それについては、確かに信仰の対象として持ち得る「何か」に祈る者も居るだろうが、何かに縋りたい心境に陥り、咄嗟に

口にする場合もあるだろう」

 ハティのそんな言葉に、ミオは頷く。

「って言うか、そもそも「カミサマ」って何なんですか?…いえ、知識としては持っているんですけれど…」

 クローン兵士として産み出されたミオは、必要とされる一般常識や社会通念、各種知識などが、培養層から出される前にイ

ンプットされている。神という物についても簡単な情報を持ち合わせているが、それはあくまでも辞書などを調べて得られる

程度の物で、神という存在にひとが寄せる感情や概念などは理解できていなかった。

 創造者。絶対者。崇拝の対象…。神とは一体どんな物なのか?そんなミオの問いに、

「神は存在しない」

 ハティは眉一つ動かさずに答えた。

「神を、全知全能にして完全無欠なる創造主などという存在と定義するならば、少なくともそんな存在としては居ないと言え

る」

「居ないんですか?じゃあどうして…」

「神は居るとされ、信仰されるのか…、かね?」

「はい」

 少し身を乗り出したミオに、ハティは頷く。

「先の質問に対する答えで例を挙げた二者の内、後者の心境にも似た物になると私は考えているが…。つまりは、縋るべき存

在、心の拠り所たる存在として、人々に求められるからだろう」

「求められる…?」

 耳を伏せて考え込むミオに頷くと、ハティは噛み砕くように説明を始めた。

「例えば、何らかの任務に就く際、明確な行動指針がある場合とない場合では、心理的な負担が違うのではないかな?…ここ

では指針を明確に提示できない上官の資質は問わない事として、だが」

 その言葉を聞いたミオは、一拍間を置き、珍しくハティが軽い冗談を混ぜたのだと気付いて笑みを浮かべた。

「はい。少なくとも大尉の指示は明確です」

「有り難う、と言っておこう。それで、どうかね?」

「そうですね…。えーと…。する事がはっきりしていて、何をしなきゃいけないか判る時の方が、やっぱり良いです。判断に

困っちゃうより…」

 一生懸命考え、想像し、尻尾と耳をくるくる小刻みに動かしながら答えたミオに、ハティがゆったりと頷く。

「例えが少々極端だが、部分的にはそれと似た事ではないかと、私は考える。行ないの是非を信仰に照らし合わせる…、縋る

べき指針として求める…、そういう面で見ればの話だが」

「それじゃあ、助けを求めるのは?」

「創造主、管理者、と言った面から、神に親や保護者といった感情を寄せるという事も想像に難くない。実感するのは難しい

がね」

「う~ん…」

 耳を倒して困り顔になるミオ。これに対し、ハティは言葉を入れ替えた。生物学的な観点での「親」という存在を持たない

ミオには、比喩が判り辛かっただろうと考えて。

「上官や責任者のような…と言い換えても良い。力添えしてくれる相手など…だな」

「あ、そういう事なら判るかも…」

 納得したミオがまじまじとハティを見る。が、白い巨漢はその視線に籠る感情に気付けなかった。それは正に、崇拝の対象

を見るような眼差しだったのだが…。

「モラルを維持する意味でも、信仰という物は効果的だ。良識的な人物は「神が見ている」として悪い行ないを自粛するよう

になる。だが…、信仰を口実に利己的行為に走る者もあれば、信仰自体が対立を生む事もある。信仰に囚われる…とでも言う

べきか。信じるあまり他を信じなくなるのは良い傾向とは言えない。現に価値観、主義、主張の違いによる、意見のすり合わ

せもなされない衝突は今も世界中で…」

 そんなハティの言葉を聞きながら、ミオは考えていた。

(皆が見るカミサマは、きっとぼくから見た大尉みたいなものなんだ…)



「ミオ?」

「はいっ!」

 シュバッと真っ直ぐに手を上げピンッと尻尾も立て、背筋を伸ばして返事をしたミオの横で、ギュンターがビクッと止まる。

「…あれ?あ、何?」

 回想から現実へ引き戻されたミオは、苦笑いしながら足を止めて友人を見遣った。

「何?じゃない。無言でニタニタ笑っていたからどうしたのかと…」

「や、やだなぁ!そういう表現されるような笑い方はしてないでしょ!?」

 怒ったような顔で反論したミオは、

「…してたの?」

「そう離れていない表現だと思うぞ」

 その気がないのに鋭いギュンターの言葉で顔をカーっと熱くさせられた。

 そして気を取り直して考える。

 ハティは神を信じないと言った。全知全能の存在が居ないという事は、今の世界が証明している、と…。

 だが、神と称される存在に近い何かならば居るかもしれないとも言った。ただし、それらが人類に対して友好的である保証

はどこにもない、と…。

 今ならば、ミオにもその事が理解できる。

(全知全能の存在でなくとも、ひとの身から見たらそれに近い、万能に思える存在なら、確かに居る…。神じゃなく、悪魔か

もしれないけれど…)

 果たして、自分が契約した存在はどちらなのだろうか?そして…。

(そういえば、あの頃にはもう、態度っていうか口調っていうか、ちょっと柔らかくなってたなぁ。最初の頃はもっと無愛想

で…いや、無感情で冷たい感じの命令口調だったけど。いつごろからだろう?ああいう風になったのって…)

 そんな事を考えながら足を進め始めたミオは、

「どうした?またニタニタしているぞ?」

「してないでしょ!?」

 また指摘されて声を裏返した。

「と、ところで!あそこ…、教会の辺り、騒がしくない?」

 話題を変えようとしたミオは、目を細めて耳を立て、慌ただしく出入りしている人々の姿を指さす。

「警察…か?あれは…、確かに、何かあったんだろうな」

 応じたギュンターは、軍属という職業柄気になったようで、歩調を早めた。

「…はい。はい。旅行者?…ええ。参考にですね。判りました」

 パトカー脇を抜けるミオが、無線に出ている若い警察官を眺めながら「旅行者が容疑者?みたいだね」と、のんびり述べて、

ギュンターが「余所者の犯行か。物騒だな」と顔を顰める。

「はい。釣りにですね。場所は…。判りました。向かいます」

「釣り客だって」

「意外と釣れるスポットがあるのか?」

 そう言葉を交わしながら、テープが張られた教会前に群がる人だかりに加わったミオとギュンターの後ろで…。

「赤い髪の青年と、アメリカンショートヘアーの若い獣人ですね」

 メモを取り、何気なく顔を上げた若い警官が、ふたりの姿を見遣り、「では早速…」と無線に応じ、もう一度顔を上げて、

二度見する。

「…居た…」



「ん~…?」

 双眼鏡を覗きこむ狐が、眉間に皺を寄せて唸る。

 切り取られた視界の中、中央に捉えられた教会前では、警察官達が行ったり来たりしていた。

「足がついたか?」

 教会を遠く眺める織物工場の屋根の上、換気用に高く取られた張り出し窓の陰から、ヘイムダルはパトカーや警官の動きに

注意を払う。

「…違うな。姿を捉えられたとか、そんな事じゃねー」

 監視カメラ類は全く無かった、間違いない、と振り返って、「とりあえずだ」と狐は双眼鏡を外套に仕舞い込む。

「目当ての物は見つからなかった。っつーか、もう手がかりもねー。どうしたもんだろうなー…。ヘルの手が空くまでだらだ

らやるのは性に合わねーし…。あー、ほんと面倒な任務だぜ。面倒でつまんねーの…」

 背が汚れるのも構わず屋根の上でゴロンと大の字になり、狐はブツブツと漏らす。下の通りから見上げても屋根が邪魔になっ

て見えない上に、ヘイムダルが身を隠す位置を覗ける建物は無い。無造作に目立つ場所に居座っているようで、実際には巧妙

に死角を選んだ結果がこの場所だった。

「霧、か…。まずそっちから辿ってみるか。…あーあ、結局地道に当たるしかねーかなー…」

 面倒臭い面倒臭いとブツブツ繰り返しながら、ヘイムダルは目を閉じる。

 そして動ける夜になるまで待つため、休眠状態での待機に移行した。

 霧を、待つために。