ファルシャーネーベル(act4)

「…教会に強盗、か…」

 野次馬から断片的に聞こえてくる話を切り貼りして、ギュンターはだいたいの事情を把握した。

「物騒だね」

「全くだ」

「被害者はどうなのかな?」

「出たのかもしれないな。これだけ騒いでいるんだから…」

 動くべきなのか?と自問しつつ、そう呟いたギュンターは…。

「おい!」

「そこの旅行者ふたり!」

「動くな!」

 鋭い声を聴き、首を巡らせた。

 同じく振り返ったミオは、自分達の方を睨みながら、警棒を手に歩み寄って来る警官達を認め、それから前へ視線を戻し、

「…あれ?」

 周囲の視線が自分達に向いている事に気付く。

「もしかして、ぼくらの事?」

「違うだろう?」

 言い交したミオとギュンターは、

「お前らだ!赤毛とアメショ!」

 警官から大声を浴びせられ、『え?』と声を揃えた。

「えーと、何の事…」

「とぼけるな!」

 訝しげに耳を倒して訊ねたミオに、警棒をパシンと手に打ち付けて、声を遮る警官。相手が見た目の上は華奢でか弱い少年

のミオという事もあり、居丈高に出ている。

 これに対し、本人を差し置いてムッとしたのはギュンターの方だった。

「事情が呑み込めないが、感心できる態度ではないな?警官」

 ずいっと一歩踏み出したギュンターは、若いとはいえ筋骨逞しい美丈夫である。今度は若い警官が警戒して足を止める。

「シラを切るつもりか!?」

「何の話だ?」

 警官三名を前に、足を肩幅に開いたギュンターは一歩も譲らず睨み返す。

「犯人は現場に戻る!」

「だから…、何の話だっ!?」

 この青年は元々あまり気が長い方ではない。話の通じない相手に苛立っている。

 おまけに親友であると同時に恩人と見ている連れ…ミオに対して横柄な態度を取られた事で、軽く頭に血が昇りつつあった。

 目を吊り上げて腰を落とし、身構えたギュンターの態度を、敵対的と取った警官達が色めき立つ。

「抵抗する気か!?」

「必要とあれば、それも辞さない…!」

 険悪な雰囲気の中、警官のひとりは腰の銃に手を伸ばそうとする。

 ギュンターの視線がそれを追い、ゴツいブーツを履いた右足が軽く位置を変え、爪先をそちらへ向ける。

 巻き込まれてはかなわないと、周囲の野次馬達はそそくさと下がり、ミオとギュンター、そして向き合う三名の警官が、遠

巻きに囲まれているような状況になった。そこで…、

「待ってギュンター君!」

 制止の声を上げたのはミオ。ギュンターは軽く眉をひそめたが、冷静に考えて荒事に及んでも良い事はないと判断し、ひと

まず背筋を伸ばして真っ直ぐに立つ。

「観念したか…」

 警官のひとりが漏らした言葉が、非を認めたか、という意味であると即座に認定し、赤毛の青年のこめかみがピクリと痙攣

する。が…。

「観念もなにも、まず何が起きているのか説明して貰えますか?ぼく達は旅行者で、この町の事がよく判りません。何かルー

ル違反があったのならお詫びします」

 ミオが冷静に、丁寧に、警官達へ訴えかけたので、頭の血が少し下がる。

 事はエレガントに運ぶべし。ミオの心がけは不当に糾弾されるこんな場面でも貫かれていた。

「まだとぼけるつもりか?夜中にこの教会へ侵入し、バチ当たりにも内装品を破壊して回ったのはお前たちだろう!?」

『…は?』

 間の抜けた声が、ミオとギュンターの口から同時に漏れる。

 そしてふたりは顔を見合わせ…。

『は!?』

 もう一度、今度は大きな声を漏らした。

「え、えーと、あの…。ちょっと待って貰えますか…?」

 目をパチパチ瞬かせながら、ミオは額に手を当てて考える。

 それは、いきり立つ警官に取り囲まれているという状況では場違いな表情と仕草だったが、無理もない事だった。

 心当たりがない。…どころか想像のしようも無い事件の犯人だという一方的な決めつけ…。あまりにも突拍子もない事だっ

たので、さっきまで目をつり上げていたギュンターも、怒るどころか一時毒気を抜かれてしまっている有様。

「それは…、俺達と関係が無い。…ああ、関係ないな…?何でこんな事に?」

 素朴な疑問がギュンターの口を突く。これに対して、

「先ほど同僚から連絡があった。緑のカエル亭に宿泊している旅行者二名…、お前達の事だな!?」

「それは…、そうですね…」

 ミオは素直に頷いたが、捻られた尻尾がクエスチョンマークになっている。

 ここで、警官の内もっとも若い、無線で連絡を受けた若者が居心地悪そうな顔をした。

 確かに、妙な旅行者が居ると先輩のシェパードから連絡を受け、ふたりが居るはずの場所へ様子を見に行けと言われたが、

犯人だとは一言も言われていない。タイミング良く見つけた驚きもあって、反射的に「あいつらだ」と言ってしまい、それを

聞いた先輩ふたりに急いで、かいつまんで、慌てて説明したが…。

(…もしかして、本当に無関係なんじゃ…?)

 とは思っても、気が立っている先輩ふたりに今更「違うかも」とも「良く考えたら連絡内容は…」とも言えなかった。

「その荷物を下ろして、手を首の後ろで組め!」

 勝ち誇ったような警官の言葉に、ミオは両手を上げながら応じた。

「冤罪です!ぼくらは何も…!」

 焦っているのではない。が、余りの事に面食らってしまっていた。何がどうなってそうなったのか、皆目見当もつかない。

 悪い冗談ではないかと、この状況事態を現実のものと思えなくなりそうな気分である。

「その包みは何だ!?」

「釣竿だ」

 ギュンターはジッパーを開け、収納した伸縮式ロッドを見せようとしたが、警官は乱暴にそれをひったくる。

「妙な動きをするな!」

 銃でも入っていては事だからと慌てて釣竿ケースを奪った警官だったが、中身は本当に釣竿…しかもそれなりに立派で、使

い込まれてもいる品。

「釣りに来たんだ。釣竿で当然だろう?」

 拍子抜けしている警官にそう言い放ったギュンターは、

「ケースは…?釣った魚を入れるケースは!?」

「逃がすから必要ない」

 続く問いへ正直に返答した。しかしこの返事で警官達がまた目を鋭くする。

「…釣りに来て、逃がす…。だからケースがない…?」

「怪しいな…」

 初めから疑念を抱いている警官達には、ギュンターとミオは怪し過ぎる旅行者だった。

「署まで来て貰おうか」

 鋭く目を細める警官。ギュンターは「断る」と即答したが、ミオがその袖を引いた。

「いや、同行しようよ。ここでゴネるよりも、しっかり事情を話して疑いを晴らした方がいいと思う」

 冷静にそう意見したミオは、しかし数十分後、軽く後悔する事になる…。



「教会に強盗?今日入ったのか?」

 階下に降りたフランツに、黒い兎の婦人は両手で自らの細い体を抱くようにしながら、せかせかと小刻みに頷いた。

 細い兎だった。ただし、フランツのように細く締っているのではなく、不健康に痩せ細っている。

 まるで黒い骸骨のようだと、以前にも増して落ち窪み方が酷くなった母の両目を見る度に、フランツは思う。

「まったくバチ当たりな事だよ。犯人は余所者みたいで、もう捕まったそうだけどねえ」

「へー…」

 フランツと一緒に降りてきたラドは、丸い目をパチクリさせていた。

「強盗って、何を盗んだんだ?」

 そんな息子の問いに、婦人は目を吊り上げて応じた。

「詳しくは知らないけど、何か盗みに入ったに決まってるよ。許せる事じゃないよねえ。まったく、不信心なのも居たもんだ

よ…」

 許し、愛するのが教義ではないのか?と皮肉を言いかけたフランツは、しかし口にするのはやめておいた。変に口を挟んで

長話になっては堪らないので。

「出かけるのかい?」

「ああ」

 母親の問いにそっけなく頷いたフランツは、それ以上の会話を避けるように、あるいは外出先の追求を拒むように、ラドを

伴って家を出た。

「さて、どこかで美味い物…と思ったが、何処もそんなに美味くないんだよな…」

 足早に家から離れつつボヤくフランツ。外食すると言えば倹約好きな母親から反対されるのは目に見えていたので、一刻も

早く、何か問われる前に、外に出たかったというのが本音。

「言えてるー。ブラブラして、目についた所に入るー?」

 一方ラドは気が軽い。軽いデート気分とでも言うべきか、フランツと居ればただの散歩も退屈しない。話したい事や訊きた

い事は色々あった。

「そうしよう。…ついでに教会、見に行ってみるか?」

「そうだねー」

 特に反対する事でもないのですぐ頷いたラドは、心の中で思う。

 やはりフランツも、教会に寄せる気持ちは強いのだ、と。

「おばさん、犯人は余所者って言ってたねー?」

「どうなんだろうな?まぁ、この町のヤツはまずやらないだろうけど…」

「でも、変だよねー?賑わってる町でもないのに、そこの教会を狙って泥棒だとかさー。どうして盗みに入ろうとしたのか、

理解に苦しむねー」

「ああ…。それは言えてる…」

「町の中ではー…、教会だけ立派に見えるからー?うーん、有り得そー…」

「そう…だな。その可能性はあるか…」

「ボロボロの目抜き通りの突き当たりで、あそこだけピカピカだもんねー。何処に入ろうか考えてる時に見たらー、教会は目

立って見えるもんねー」

「信仰心が、金目の物と映った、か…。皮肉なモンだ」

 やれやれ、と肩を竦めたフランツに、ラドは問いかける。

「フランツは、そんなに怒ってないねー?」

「ん?…ああ、まぁ、お袋みたいにはな…」

 顔を顰めた黒兎は、「極端なんだよ、あれは。そう思うだろ?」と同意を求めた。

「お袋にかかったら、余所者ってだけで怪しい存在だし、教会で不本意な失敗をしでかしただけでも重罪人だ。…多かれ少な

かれ、この町の連中は色々と傾いてるけれどもな…」

「あー、言えてるー」

 ラドは前を向き、「そんな所も含めてー…」と、丸い目玉に半分瞼を下ろして半眼になった。

「僕は、この町が嫌だなー…」





 長い長い廊下を、屈強な虎が歩む。

 虎とはいっても、その体色は通常の物と違う。

 身を覆う深紅の被毛は、黒い縞模様を帯びている事もあって色合いが暗い。

 稀に見る色素異常の個体とも少し違う。人工的に着色されたような深過ぎる赤だった。

 身の丈190ほどもある筋骨逞しい体躯は、あちこちでボディビルダーのそれのように筋肉が膨れ上がっており、身に付け

た制服には隆起による陰影がくっきりと浮き出ていた。

 眼光鋭く、厳しい面構えの偉丈夫が歩む廊下には、ひと気が無い。紺色の絨毯が敷かれた床の左右は、ドアの一つもない、

絨毯よりもなお濃い、濃紺の壁。

 壁と同色の天井中央には、極々薄い浅黄色の光を冷たく投げかける灯りが、3メートル間隔で並んでいる。

 行き交う者も居ない廊下は、敷かれた絨毯が足音を吸い込むため、無音だった。

 そこはラグナロク本部内の、限られた者しか足を踏み入れられないエリア。

 区画に正式な名称などは付けられていないのだが、誰が呼ぶともなく、そこに座する者達の呼び名を掛けて「セントラル」

と呼称されていた。

 虎が歩んでいるのはそのセントラルエリアにある幹部専用の通路で、最上級幹部である中枢メンバーと、彼らが認めた者し

か立ち入る事が許されない、中心の中の中心とでも言うべき区画から、重要度が一つ下となる区画へと繋がる、六本のライン

の一つだった。

「スルト」

 名を呼ばれ、足を止めた赤虎は、ゆっくりと振り向き声の主を見遣る。

 そこに居たのは、漆黒の髪を持つ東洋系の女性。

 整った顔立ち。聡明な眼差し。そして意志の強そうな表情。こうあって欲しいと願われる、清楚で品の良いアジア系の美人

像を具現化したような、たおやかながらも凛々しさを纏う、若い女性だった。

「「跳んで」来たのか?」

 女性が唐突にそこへ現れた事に驚かず、咎めるような口調で問う、ラグナロクの盟主スルト。その金色の瞳は、紫紺から黒

へと徐々に色を変えつつある女性の双眸を見つめている。

「この短時間に邪魔されずに話ができるのは、今しかなかったわ。この、議事終了後からエリア外へ出る、今しか…」

 それぞれの専用通路を通って外へ出る他のメンバーに、察知されず、疑われず、話をするのは、このタイミングでなければ

ならなかった。

 そう自分が行動を起こした理由を話した女性の目は、普段の黒色に戻っていた。

「ヘルの不在は、何の任務が理由?」

「資料にあった通りだ」

 女性の目は金色の双眸を見据え、そして理解する。

 偽りではない。スルトも自分と同じ情報しか持ち合わせていないのだと。

「ヘル配下の戦力は、開示されている情報と同じ動き…。でも、気になるのよ」

 女性は話すその最中も、スルトの瞳を真っ直ぐに見つめたまま、微動だにしない。その真意をはかろうとするように。

「ふたりが居なかったのは、本当に任務中だから?」

「そう報告を受けている。お前と同様に、な」

 話は終わりだ、と踵を返す事で告げたスルトは、踏み出しかけた足を一度止め、背後の女性に告げる。

「シャモン。報告外で何かあるのか、何か行なわれているかは判らんが、お前の祖国と関係がない事は確かだ。ふたりの現在

位置は掴んでいる」

 僅かに瞼を下ろし、半眼になった女性に、

「あの国で動く時には必ずお前に知らせる。…そういう、約束だ」

 赤い虎はそう言い残し、絨毯を踏み締めて歩み去る。

 その背中を見送った女性は、小さく顎を引いて頷いた。

「…そう…。貴方は決して、約束を破らないものね…」





(判断ミス…、だね)

 鉄格子の奥で、硬いベッドに腰掛けたミオは、黒ずんだコンクリートの天井を見上げる。

(まさかろくに弁明もできないまま拘置されるなんて…。それにしても、いきなり拘留ってどうなの?)

 ため息をつくアメリカンショートヘアーは、ひとりだった。

 ギュンターの方は、派手にゴネて取り調べが長引いているのか、ミオだけが先に牢へ放り込まれてしまった。

 ミオは、怪しさ満点だと判断されてしまった。

 というのも、所属が所属なので正直に安易に所構わず話すわけには行かない。リッター達などがそうしているように、近い

内に擬装用の正規軍属身分があてがわれる予定だったが、この時はまだ部隊の正式発足から間が無いせいで、書類等の審査や

決済が済んでいない物が多く、表向きの身分は無職である。

 それでも、偽装身分を持つギュンターが取り調べでそれを訴えれば、すぐに解放されると考えていたのだが…。

(怒ってるんだろうなぁ…。冷静に立ち回ってくれれば、とっくに話が通ってるだろうに…)

 おそらく、ギュンターは意固地になって噛み付いている。読み違えたと言うべきか、信用し過ぎていたと言うべきか、ギュ

ンターを理解できていなかったと言うべきか…、ミオは途方に暮れた。

(待つしかないか…)

 脱出するのは容易いが、事をなるべく穏便に、そして早急に済ませたいので、おとなしく身柄を拘束されておくのが一番。

 ミオはそう判断して、ベッドの上に足を引き上げ、壁に寄りかかって膝を抱えた。

(あの部屋のベッドも、柔らかくなかったな…)

 尻の下の、決して心地良いとは言えないマットの反発を感じながら、ミオはまた北原を思う。

 北原駐屯中のグレイブ隊に充てられた部屋は、いずれも狭苦しくて居心地がいいとは言えない物だった。将校であるハティ

の部屋ですら、個室ではあったが他と同じような状態で、比較的ましだったのは佐官のゲルヒルデの部屋のみ。

 それでも、あの部屋の事は良く覚えているし、悪く思った事は無い。

 転属初日から転がり込んでしまった、狭くて、無機質で、何もないあの部屋で、ミオはハティとたくさんの言葉を交わした。

 もしもあの日々が無かったなら、今の自分は存在しない。

 もしもあの部屋に行かなかったら、自分は生きていない。

「………」

 膝を強く引き付け、両腕で抱き、目を閉じて思い出す。

 開発コードM10がミオ・アイアンハートになった、あの基地での日々の事を。

 だが…、

「そうしょげるな」

 ミオの回顧は、そう長く続かなかった。

 顔を上げて格子の外を見るアメリカンショートヘアー。気配だけで接近する者には気付いていたので、突然声をかけられて

も驚かなかった。

 格子の向こうに立ち、ミオに声をかけてきた警官は、中年のシェパードだった。



 一方その頃…。

「断固拒否する!」

「話せ!」

「拒否すると言っている!」

「話さん限り解放せんぞ!」

「それでもなお、だ!不当な尋問に屈して口を割るなど…、恥辱もいい所だ!俺から話を聞きたいならば!正当な礼儀と態度

をもって場に臨め!」

「こ、この…!」

 警官数名を相手に、腕を組み、背筋を伸ばし、徹底交戦の構えに入っていた。

 当然ながら、、警官側はギュンターを容疑者とみているので、この態度は面白くない。その上、脅しても効果がまったく無

いので手こずっている。そのため取り調べの頭数は、ミオの方を担当していた者まで呼ばれて増員中。

 話せない事が多かったとはいえ、取り調べに対して出来る限り真摯に、真面目に、協力的に応じていたミオが、早々と牢屋

に放り込まれたのは、端的に言えばこのせいである。

 ギュンター・エアハルト。中尉への昇進が内定している騎士少尉…。兄から釘を刺されていた迷惑点追加の失態であった。



「まあ、何だ…。こっちの立場から言って、こんな事を告げても気持ちは和らいだりしないだろうが…。そう大事にはならん

から安心して欲しい」

 膝を抱えているミオが心細くなり、追いつめられているように見えて、そう慰めたシェパードは、緑のカエル亭に足を運び、

ミオとギュンターの存在を知った警官だった。

 シェパードは無言のミオから一度目を離し、看守用の丸椅子を引っ張って、格子の前で腰を下ろす。

「実はな…、宿で兄ちゃん達の事を聞いて、手配したのは…、俺だった…」

「え?」

 思わず声を漏らすミオ。

 何を話す気なのかと思えば、自分がどう捜査に関わっていたかという事…。黙っていた方が反感を招かないというのに、あ

えて話し始めた警官へ向けるアメリカンショートヘアーの視線は、物珍しそうな色を帯びた。

「ただ、犯人だから…と指示した訳じゃない。話を聞いて、怪しいなら…、と言ったんだが…。無線で連絡を受けた若手が早

とちりして、容疑者として対応するように言われた気分になったようだ…」

「気分に…なった…」

 声が掠れるミオ。

「ああ、ああ、判ってる。冗談じゃないってな…」

 肩の高さに両手を上げたシェパードは、「済まん、としか言えん…」と詫びの言葉を口にする。

「はあ…」

 怒りもせず、むしろ呆気にとられて曖昧な返事をしたミオは、

「けっひっひっひっ…!」

 耳障りなほどしゃがれた笑い声を耳にして、ピクンと顔を上向きにした。

 反響するその聞こえ具合から、隣の部屋からの声だと気付いたが…。

(ノンオブザーブ…)

 僅かに細められたミオの目が、一瞬前とは違う景色を映し出した。

 その瞳が見つめるのは、自分が居る部屋と同じ間取りの牢。そのベッド上で大の字になっている、髭がぼうぼうに伸びた壮

年の姿。

 酒の飲み過ぎで内蔵にかなりの負担がかかっているのか、肌がいやに黄ばんでいた。

 ミオの能力…ノンオブザーブは、可視光線を屈折させる事ができる。

 これによって高度な光学迷彩も可能となっており、そうして姿を消して行動できるのがその最大の強みと見られがちだが、

光線を屈折させ、自分の目に飛び込む景色を変える事で、本来なら有り得ない位置関係でも鏡などの小道具を使わず視界を確

保できるという、幅広い応用力も併せ持つ。

 しかし、その驚異的な汎用性も含めたノンオブザーブのポテンシャルについては、ミオ自身も未だその全貌を把握できてい

ない。

 希少過ぎる能力であるが故に、その応用についてのノウハウが存在せず、何が可能で何が不可能なのか、自力で突き詰めて

行く以外にないせいで。

「気にするな。酔っ払いが勝手にウケているだけだ」

 顔を顰めたシェパードが、笑い声に聞き耳を立てているミオに説明する。深酒と迷惑行為の常習犯かつ、ある意味名物おや

じなのだと。

「なんだいなんだいオマワリさん。朱石泥棒が…、っぷふぅ…。捕まった訳じゃねぇのかい?」

(アカイシドロボー…?)

 ミオが軽く眉根を寄せる。耳慣れない単語だったが、ようやく物になったドイツ語だから聞き間違えた訳ではなさそうだと。

特に「泥棒」という剣呑な部分が耳に引っかかった。

「朱石泥棒など居ない」

「じゃあ何泥棒だい?そっちに入ってんのは…、へひっひっ!けひゅっ!けほっ!けほっ!」

「オヤジ…、ここに居るのはただの旅行者だ。すったもんだで運悪くここに居るだけで、何もやっちゃあいない。滅多な事を

言ってやるな」

 酒で喉をやられているのか、笑い声にヒュウヒュウと掠れ音が混じる壮年に、シェパードは根気強く、しかし苛立ちを滲ま

せながら言って聞かせる。

「とにかく…、だ」

 警官はミオに顔を向け直すと、軽く頭を下げた。

「あの犯行は、兄ちゃん達じゃないだろう?」

 隣の牢は無害だと判断し、視覚を標準に戻したミオは、シェパードの目を見つめ返し、一拍置いてから「はい」と頷いた。

「あの教会は、遠目に見て立派な建物だとは思っていましたが、中には入っていませんし、近寄ったのも今朝が初めてです。

ただ、無実の証明やアリバイと言われると、何も提示できないんですが…」

「それは別にいい。無罪の証拠が無いぐらい何でもない。有罪の証拠もないんだからな」

 シェパードの言葉に目を細めるミオ。

 甘い顔を見せてボロが出るのを待とうと言う駆け引きでも、何らかの形でカマをかけている訳でもない。このシェパードは

自分達が犯人ではないと感じて、謝罪と励ましに来てくれているのだとはっきり判った。

「上にも話を通して処遇確認中だ。何時になるかははっきり言えんが…その内に出られる。だから、自暴自棄になって、でっ

ちあげの自白なんかするんじゃないぞ?それで早く解放されるとか勘違いしたら、事態はかえって悪くなる」

「はい。判りました」

 微笑したミオの耳に、隣の牢からケヒュケヒュと、咳き込んでいる音が届いた。

「大丈夫ですか?その…、隣の方は?体調が悪いんじゃ…」

「ん?ああ…」

 シェパードは視線を動かして顔を顰めると、「オヤジ。また喉が悪くなってるんじゃないのか?」と声をかける。

「そんな咳はしてなかったろう?程々にしないと…」

「大丈夫大丈夫…!けっひゅ!」

 仕方がないなぁ、という顔で肩を竦めたシェパードは、

「常習犯でね。…と言っても、悪意ある犯罪者とか、そういうオヤジじゃない。泥酔して余所の敷地内に入り込んで寝るって

いう、ただ迷惑なだけの実害が余り無い件の常習犯なんだが…」

 と。ミオに話して聞かせ、

「そうとも。気持ち良くなって居眠りするぐらい、何て事ないだろうに?けひゅん!だからそろそろ出しとくれ」

 隣の牢からも同意の声が、拘束されている当事者の口から上がる。

「酔いが完全に醒めるまではダメだ」

「ケチだねぇ。ほろ酔い程度にまけとくれ。けひゅっ」

「いつもほろ酔いにまけているだろう?アンタがシラフの所なんて、着任して一回も見た事がない」

 慣れっこなのだろう軽妙なやり取りに、ミオは思わず顔を笑み崩した。

「そう言えば、さっき言っていた泥棒って、何なんですか?もしかしてそういう事件があったから警戒していたとか…、そう

いう事なんですか?」

 気を取り直したミオがそう訊ねると、シェパードは「ああ、いや…」と顔を顰めて頭をガシガシ掻く。

「泥棒って言っても、実在の泥棒じゃない。ここらの昔話でな…」

「昔話?」

「そういうのが居ました。っていう、そんな話だ」

「「居ました」じゃなく、今も居るんだろうよぉ」

 横から酔っ払いの壮年が口を挟んだが、シェパードが、変な事を吹き込むな、と窘める前に、ミオが興味深そうに耳と尾を

立てた。

「泥棒の昔話ですか?どんな話なんです?」

「ん?いや、他愛もない、子供に聞かせるための普通の昔話で…」

 答えたシェパードの目に疑問の光が灯る。これを見て取ったミオは、

(まずい。ぼくの態度、落ち着き過ぎてて不自然だな…)

 そう判断し、取り繕うように口を開いた。

「御迷惑でなければですが、何か話を聞いていれば、気が紛れるかなぁって…」

 そう言って周囲を見回すアメリカンショートヘアーの仕草は、平静を装いつつも不安がっている者の態度に見えた。

 この演技と言葉に納得したシェパードは、「そういう事なら…」と話し始める。

 失われし朱い宝石と、盗人の伝承について。