第十四話 「スルト」
スクリーンに映る景色を眺めながら、巨大な北極熊がスプーンを口元へ運ぶ。
その、直径二十メートルほどもある、ドーム状の天井を持つ円形の部屋は、食堂になっていた。
乳白色の壁面に取り付けられ、食道をぐるりと囲む窓代わりのモニターは、羊が草を食むだだっ広い草原を映している。
しかし、それは外部の映像という訳でもない。窓の無い食堂の閉塞感を和らげるため、この場所とは全く関係が無い草原の
映像記録を流しているだけである。
外周端の丸テーブルに腰を落ち着けたジークは、そのモニターを近い位置から眺められた。
「…次に休暇取れたら、ニュージーランドでも旅行してぇモンっス…」
「ちょっとコマンダー、出撃前にそういう事を言うと…」
北極熊の呟きを聞き咎め、隣のテーブルの水牛が笑って言う。
「プチ死亡フラグですよ、それ?」
水牛と同じ席についていたジャガーが肩を竦めて微笑する。
「ま、心配ないでしょうけれどね」
「何せコマンダーは「不死身のジークフリート」だ」
ジャガーと水牛が笑い合うと、当のジークは何故か左腕を上げて力瘤を作ってみせる。
「何言ってやがるんスか。オレだって死ぬ時は死ぬんス!」
「「やる時はやる」みたいに言わないで下さいよ…」
「何で鼻息荒いんですか。何でやる気ヅラしてんですか。自殺願望でもあるんですか」
彼ら二人も、朝からシーフードドリアを大量に胃袋へ詰め込んでいるジークも、食事中とはいえくつろいでいるとは言えな
い格好だった。迷彩シャツとズボンを身に着け、椅子の背もたれにはジャケットをかけている。
戦場に居るようないでたちだが、それは北極熊達に限った事ではなく、食堂にひしめく者達の大半が軍服姿である。中には
スーツ姿の者や白衣を着た者が混じっているものの、それらは少数にとどまる。
賑やかな食堂で交わされる、脳の準備運動とも言える朝の閑談の中、
「お前はゴキブリやクマムシが死滅しても生きていそうだがな」
ジーク達のやり取りへ唐突に割って入ったその言葉は、少ししゃがれていがらっぽくなった低い声だった。
首を巡らせたジークの目に映ったのは、皺だらけの白衣を前を締めずに羽織り、肘まで袖まくりしている肥満体のジャイア
ントパンダ。
双眸を覆う黒い斑紋の中には、ぼんやりして眠たげな、しかも充血した半眼。
薄いスニーカーを踵を潰して引っ掛けてスリッパのように履いており、でっぷり肥えた体を左右に揺らしてペッタペッタと
音を立てる歩みには覇気が無く、体中から倦怠感が漂っている。
白衣の間から大きく覗く、布袋腹に内から押されてピチピチになっているフリースのトレーナーは毛玉だらけで、太い脚を
覆うグレーのスラックスも、あちこちにすっかり皺癖がついていた。
見てくれがとにかくだらしなくてくたびれている気怠そうなジャイアントパンダに、周囲のテーブルから「お早うございま
すミーミル副局長」と声がかかる中、ジークは親指と人差し指でつまんだスプーンを立て、ピコピコ振って見せた。
「御挨拶っスねミーミル」
「普通に「おはよう」とも言って欲しかったのか?」
「訊く方がどうかしてるっス」
手にしたトレイにツナサンドと湯気立つコーヒーカップを乗せているジャイアントパンダは、ジークと軽口を叩き合いなが
ら椅子を引き、同じテーブルについた。
上背こそジークには及ばないものの、それでも180センチあるジャイアントパンダは、恰幅が良い事もあってかなりのボ
リューム。男六人が囲むサイズのテーブルは熊二頭が居座るだけで縮んで見える。
「何でこっち来てんス?技術開発局側の食堂のが近いじゃねぇスか」
「実験中で、すぐそこの環境再現訓練室に来ていたからな」
ミーミルと呼ばれたジャイアントパンダは、気怠げな様子と声でジークに応じてから「夕べ八時から」と付け加え、濃く熱
いコーヒーをズズッと啜った。
「ん?今は新型疑似レリックの量産型をテストしてたんじゃねぇんスか?」
「昨日の午前まではそうだった。終わったと思った瞬間に次を捻じ込まれた訳だな。これでほぼ三日徹夜だ」
ぼやくように言ったミーミルはでぷっと肉が付いた二重顎の下に手を入れてモソモソと擦ると、それで不意に痒みを覚えた
のか、首後ろや後頭部をガリガリ掻き始める。
「…いつ体洗ったっス…?なんか臭うんスけど…」
「三日前の朝にシャワーしたのが最後だな」
「うぇ!?バッチィっスねぇ!」
ジークが顔を顰めて少し椅子を引いたが、ミーミルは北極熊のリアクションも気にせず、首の横をワシワシと掻きむしって
いる。
「お前も、戦場などでは数日浴びない事もあるだろう?」
「そりゃ余裕がねぇからっス。シャワー設備がねぇとか、そういう状況じゃねぇとか…。いつでも浴びられる状況でくっせぇ
体でうろうろする趣味はねぇっス」
「私も余裕がないから浴びていないだけだ」
「一緒にすんじゃねぇっス。それが気にならねぇ無頓着さがヤベェんスよアンタは」
「いいか?実験室も研究室も修理中の訓練室も戦場なんだよ。我々にとっては」
北極熊の非難を聞き流してもっともらしい事を言うジャイアントパンダは、いよいよ痒みが気になったのか、トレーナーを
シャツごと捲り上げて下から右手を入れ、弛みきった腹を出しながら肥えた体を窮屈そうに捻り、左の脇腹をボリボリ掻く。
その人目を憚らないみっともない格好を眺めながら「判らねぇでもねぇっスけどね…」と応じるジークの目は、さめている
上にやや遠い。
「それはともかく、何故こうも頻繁にシステムを壊す?機動制圧局の連中は私に恨みでもあるのか?」
「オレが壊した訳じゃねぇっス」
嘘である。昨日の午後に新兵に稽古をつけてやった折に、ジークがやり過ぎた結果だった。
上手なポーカーフェイスで堂々と嘘をついたジークは、「しかし…」とそれとなく話の軌道をずらしにかかった。
「なるほどぉ…、それで目が真っ赤になってんスか」
「どいつもこいつも使い減りしないと思って無茶を言うからな。特にお前の所のトップが一番ひどい。…実際減るんだがな、
体重や気力や私の自由時間が」
「オレだって似たような扱いっスよ」
「次に休暇が取れたら、夢の中でも旅行したい物だ」
「相変わらず出不精っスねぇ」
「デブ症に言われたくはない」
「体脂肪率でもBMIでもオレの方がマシじゃねぇっスか。そんなんだとヴェイに愛想つかされちまうっスよ?」
「…アイツは元々研究が恋人だ…。お前こそスカディとはどうなんだ?」
肩を竦め、「それこそ恋愛対象じゃねぇっスよ、お互いに」と応じるジーク。
「さて、相手の方はどうだろうな…」
呟いたミーミルはよれよれの白衣の懐に手を突っ込むと、中身が残り僅かになってひしゃげたタバコの箱とターボライター、
ビニールパック型の携帯灰皿を取り出す。
「禁煙っスよ」
「知っている」
注意するジークと、構わずタバコに火をつけるミーミル。しかしこれは毎度のやりとりで、ジークの注意も形ばかりの物。
「そのヴェイと…、あとダインは一緒じゃねぇんス?」
「ダインは例のレリックウェポンの修復に掛かりきりだ」
「ああ、北原の際辺りで出土した大剣っスか。修復できるんス?」
「どうあってもやれと、これもお前の所の無茶ばかり言うトップが推している」
「ディンが?じゃあ本気でアレの事を…」
「ああ。お前のヴァルムンクや、アイツのレヴァテインと同規格のレリックウェポンと睨んでいるようだ」
タバコを吸いながらも折を見てコーヒーを啜るミーミル。フィルターがコーヒーで薄茶色に染まる上に、味も滅茶苦茶にな
るだろうが、全く頓着していない。
もっとも、頓着しないのは口にするものだけでなく、見てのとおり身だしなみについても同様である。
「ヴェイは第五処置室に缶詰だ。夜通しの起動実験でな。理屈ではあれで動かねばおかしいのだが…」
「エインフェリア計画…っスか。元々アンタの担当じゃねぇスかあれ?」
「お前の所の無茶を押し通す阿呆なトップのせいで、ここ数日満足にやれんのでな。一時代理だ」
ぶすっと膨れっ面で応じたミーミルは、「ところで…」と、ドリアをぱくついている北極熊の格好を眺め回す。
「任務なのか?いつ?構成は何名だ?」
「先進国政府連合直々の依頼っス。現地で説明聞けって話なんで、まだ詳細は不明。飯食って出すもん出したらすぐ出るっス。
総勢27名。コマンダークラス以上はオレとスカディと…、ん?アイツ珍しく遅ぇっス。そろそろ来るはずっスけど…」
ジークは首を巡らせて食堂入口に眼を遣り、「お、丁度来たっス」と片手を上げた。
つられてそちらを見遣ったミーミルの目に映ったのは、周囲からの挨拶に応じながら歩いてくる、大柄で屈強な赤い虎の姿。
しかし、見事に鍛え込まれた体躯と、精悍で野性味のある顔つきに反し、顔に浮かんだ笑みと纏う雰囲気は穏やかで威圧感
が無く、周囲とやり取りする物腰も柔らかい。
軽く手を上げてジークに応じ、歩調を早めて近付いて来る赤虎を眺めながら、
「スルトも出るのか?ニーベルンゲンを二名投入とは…」
そうボソリと呟いたミーミルはサンドイッチにかぶりつくと、もちゃくちゃと下品に音を立てながら咀嚼した。
「国でも潰すのか…、竜でも殺すのか…」
それは、まだジーク達に帰る場所があった頃の、ある朝の出来事…。
二度と戻らない、戻れない、穏やかで満ち足りていた頃の出来事…。
駆け込む北極熊が握る白い大剣が明滅し、まき散らされた燐光が集まって三つの光球が生まれた。
白い巨体を中心に惑星のように回り始めた光球は、周囲の熱と炎を巻き取るようにして吸い込み、北極熊を守っている。
そうやって熱エネルギーを自身のエネルギーで中和しているのか、光球は少しずつ直径を減らし、目では解らない程度のス
ピードで縮んでゆく。
先を駆けるユウキと、その後ろを走るジークを見据え、スルトはゆっくり、そしてしっかり、大地を踏み締めた。
(ジーク…)
複雑な想いがスルトの中を駆け抜けた。
こんな場所、こんな状況で、最も会いたくない男がすぐそこに居る。
かつては轡を並べて、同じ方向を見据えていた男がすぐそこに居る。
同僚であり戦友であり先達だった男。今となっては不倶戴天の敵…。
束の間の感傷を頭から追い遣り、スルトは剣の握りを確かめる。
覚悟は決めた。決別は受け入れた。
世界を変えようとする者は、今の世界から見れば敵となる。
それぞれが異なる決意を持って、それぞれ立場が異なる世界の敵となった今、二人の道が交わる事は二度と無く、この心が
変わる事も、もう二度と無い…。
相手はウォーマイスターと不死身のジークフリート。元より共闘していたとは思えないが、どうやら利害関係の一致からか、
手を組んでいる事が窺える。
この組み合わせが相手では、僅かな不備も、一瞬の油断も、即座に死への道標となる。スルトは精神と神経を研ぎ澄ませ、
金眼に静かな炎を灯す。
「オーバードライブ…、ボルケイノ…!」
呟いたスルトの金眼が光を強め、全身に剛力が漲り、感覚がより鋭敏化する。
ひとの有り様から逸脱し、万全の体勢をもってスルトが迎える一合目は、先を駆けるユウキとの打ち合い。
シバイという荷物を抱えたままでも、剛腕の一振りは殆ど鈍らない。片腕で自らの太鼓腹へ押し付ける格好で抱き締めたま
ま、巨躯そのものを捻り込むように繰り出した拳には、全身を覆う物よりも一層高密度のエネルギーが収束されている。
「散華衝!」
吼えるユウキを迎えるスルトは、柄を右肩上で保持する格好で大剣を斜めに構え、左手を裏面に添え、鬼神の一撃を受ける。
幅広の刀身を盾にし、物理的な破壊力とエネルギーの奔流を右上へ受け流すスルト。赤く滾る刀身が、力場が爆ぜて生まれ
る衝撃と熱を完全に防いでいる。
(干渉しぃるど…とかいうヤツか。この剣は随分と多芸なようじゃ)
拳を流されて斜めに泳いだユウキの胴めがけ、受け流すと同時に余勢に身を任せ、時計回りに体を捻ったスルトの蹴りが飛
ぶ。力場に生身をぶつけるなど自殺行為だが…。
ユウキは目を見張る。シバイを抱えた腕もろともに胴を狙ったスルトの蹴り足がボシュッと音を立て、ブーツとズボンの隙
間などから白い蒸気が激しく吹き出す。
同時に、その周辺で熱と炎が押されるように遠のき、ユウキが纏う力場がギシィッと軋み音を立てる。
赤虎の体から噴出しているのか、炎の中でなお色を失わないどころか、熱も炎も押し流される白い霧は、ユウキの力場とス
ルトの足の間で、複雑な流動の軌跡を描く。
いかなる作用があるのか、その霧がユウキの力場を押し遣り始めたかに見えたが…。
(違う。こいつは…)
これは数え切れないほどの場数を踏んできたユウキでも経験のない現象だったが、知識でだけ頭の隅に留めていた物に酷似
していた。
(力場の侵食破壊か!?)
通常の危険生物とは一線を画す、成り立ちからして異なるレリックと同源の生物…鵺や牛鬼などが、力場を侵して壊す力を
持つらしいと、ユウキは書と口伝で知っていた。この赤虎の体から吹き出す蒸気も、似たような作用を持っているらしい。
(…まさか、儂の技を何発か食らいながら平気だったのは、これで効果を削いどったからか!?)
悟ったユウキが出力を上げる。もしも力場を破られたなら、一発貰うどころの騒ぎではない。力場で防ぎ止めている熱と炎
をまともに浴びてしまい、自分だけでなくシバイまで焼かれてしまう。
だが、そんな状況にありながら、ユウキの口元は凶悪に吊り上り、獰猛な笑みが形作られている。
(ここに来て、予想もしとらん隠し玉…。魅せてくれるじゃねぇか…!)
血が滾る。体が火照る。惜しむらくは片腕が使えない事。心行くまで殴り合えない事…。
拮抗した出力比べは、しかし実際には一瞬で終わる。
蹴り飛ばし、炎にくべて戦闘不能にするか、さもなくば動けないようにしてやるつもりだったユウキが、まるで知っていた
かのように対処した事で、スルトの予定は大きく変更せざるをえなくなった。
なぜならば、一拍の停滞がジークの接近を許しているので…。
ユウキを排除してジークと打ち合い、隙を作って離脱するつもりだったが、こうなると最も避けねばならなかった二対一の
形に持ち込まれてしまう。
「スルトぉおおおおおおおおおおっ!」
吼えたジークが突進しながら白い大剣を振り被り、丸太のような両腕で筋肉が一気に怒張する。
蹴りを放ったその体勢から軸足で地を蹴り、ユウキを盾にする形で位置を変えつつ、後ろに流していた剣を掴む腕に力を込
めるスルト。
両者の間に挟まれる形になったユウキは、
「見よう見真似のぉ…、雪華屹立っ!」
ズンっと右足を前に出し、地面を踏み締め震脚した。
直後、スルトは足元に目を向けつつ左腕で顔を庇い、全身から白い霧を吹き出させて後ろへ跳ぼうとする。
刹那の間も空けずに、飛び退いた直後のスルトの真下で地面が発光し、赤虎を巻き込み光の柱が立ち昇った。
それはさながら、眩い光の間欠泉。
全身を白い霧で覆ったスルトだったが、光の奔流によって斜め後方へ打ち上げられた。そこへ…、
「背中借りるっスよおっさん!」
「おうよ!」
踏み込んだ格好で僅かに前傾姿勢となっていたユウキが、背後に駆け込んだジークに応じてさらに背を傾け、踏み台になる。
太く頑丈な腰と背を覆う力場の上に北極熊が跳び乗り、ブーツの底に受けた斥力を利用して大きく跳躍する。
後ろから斬られる。…という疑いを、ユウキは微塵も抱かなかった。
欺いて捕えられる。…という懸念を、ジークは毛程も持たなかった。
理屈でなく本能で、両者はお互いが敵でない事を確信するに至った。
錐もみしながら吹き飛んで行くスルトは、激しく動く視界の中で二頭の連携を見て取り、感覚的に悟る。
どういう訳かは今一つ判らないが、この二人、完全にお互いを味方と認識している。仲違いや連携の不具合を突く事は難し
い、と。
そしてふと、思考の隅をある記憶が掠め、スルトは何となしに理解する。
事が起これば交戦はまず避けられないため、神将の起こりについて事前にいくらか調べさせたが、その中で神代などの数家
については、この国古来の種ではないらしいという見解が記されていた。
初代の神代よりさらに前…神代の始祖といえる、記録を遡れる限界に居る最初の個体は赤銅色だったという記載があり、遺
伝子情報を調べると外来種の因子が強く残っているらしい。
流入経路についてはいくつかの可能性があったが、その中でも濃厚な線は…。
(おそらくは北原起源の古種。ジークとはまるっきり他人という訳でもないという事か…)
その刹那の思考の間にも、宙を駆けて迫るジークの姿が、それを映すスルトの瞳の中で大きくなる。
「オーバードライブ…、アヴァランチ!」
ジークの中でタガが外れる。
生物の臨界を超え、ひとの域を踏み外した北極熊の瞳が金色の輝きを強め、そこに青白く六芒星が浮かび上がる。
それはスティグマ。
凄絶なる未来を見据える事を義務付けられた、生贄の刻印…。
ジークの両腕が大上段に剣を掲げ、スルトを両断せんと振り下ろす。しかし赤虎は不安定なその状態から剣を繰り出し、跳
ね上げる形でぶつけ、競り負ける反動で距離を取る。
だが、宙で離れ行くスルトを、ジークを守って旋回していた光球が突如軌道を変えて追いかける。
「ちっ!」
スルトは舌打ちと同時に、目を鋭く細めて思念波を剣へ送り込んだ。
「…レヴァテイン。助燃バーナー起動…!」
瞬間、鍔元から剣先へ、刀身がぶわりと変色し、ルビーのような深い赤の輝きを内から発し始める。
そしてスルトは、接近してきた光球を赤い大剣で打ち払った。
内から光を放ち、それ自体が赤々と輝く刃が接触すると、ギィンっという、金属音にも、ガラスが割れる音にも似て、しか
し完全にそれらでもない鼓膜を刺激する破砕音が響き渡り、光球が砕けて白い光の粒子が撒き散らされる。
続いて接近する二発目は、返す刃で叩き割り、同じく破壊する。
さらに三発目には、振り抜いた剣を引き戻しながらスイングし、刀身から紅蓮の炎が形を成した三日月を放って迎え撃つ。
衝突するなり白い満月と赤い三日月が爆発的に収縮し、直後バヂンと太いゴムが切れるような音を立てて消滅する。
そうして三連発を凌いだスルトだが、
「ヴァルムンク、スナイパーシフト!」
いまだ宙にある白い巨体が白い巨剣を構え、身構えている様子を瞳に映し、剣を眼前で構え直し、幅のある刀身を盾にする。
柄を右手で掴み、脇腹に抱えるように鍔元を保持し、刃の無い刀身の下側を左手で支えているジーク。その手の中で、ヴァ
ルムンクが形状を変化させた。
先が丸い幅広の刀身の根元から先端まで、中央にビシッと切れ目が生じ、僅かにスライドして間に隙間ができる。まるでビ
ルなどの、ツインタワーのように。
割れた刀身の間に生まれた、根元から剣先まで走る10センチ幅のそれは、一種の射出口とも言えるレール。
そして、割れ目の根元…鍔元に向かってチラチラと光の粒が収束し、レールの隙間に生み出された握り拳大の白い球は、砲
撃形態となったヴァルムンク専用の徹甲榴弾。
周囲のエネルギーを吸収、さらに自身の思念波をヴァルムンクに食わせ、混ぜ合わせて作られた超高密度の純エネルギー塊
が打ち出されると、得物を保持するジークの巨体が反動で後方へ吹き飛んだ。
肉眼では白い線にしか見えない弾丸の軌跡は、瞬時にスルトが構えたレヴァテインに命中、白い爆光を球状に展開する。
しかし、その光に押し遣られるようにして赤虎は爆発の外側…斜め下方向へ弾き出されている。
赤く輝く大剣は、刀身の腹側から高熱を放射して爆発の威力を減殺している。それだけでなく、スルトは発射の直前に剣を
斜めにし、芯を捉えられる着弾を避けていた。
(流石…と言っとくべきっスかね…。)
発射の反動で後方回転しながら吹き飛ぶジークは、刀身が割れたままのヴァルムンクをしっかり抱え、反対向きになったと
同時にレール状の割れ目から光の奔流を噴射、ブレーキにして減速する。
だが、着地は調節しながら爆発に押し遣られる格好になったスルトの方が早い。赤く輝く大剣は、着地と同時に最大火力の
一撃を放つべく力を練り込まれている。
(やべぇっス…。大火で姿を晦まされたら分が悪ぃっス。遅くはねぇけど太っちょのオレよりスルトのが速ぇ。追撃も定めら
れない状態で逃げに徹されちまったら…)
駆け比べでは勝ち目がない。苦々しく思いながら足止めの手を選び始めたジークは、
「雷音破!」
下方で響いた声と、着地寸前のスルトめがけて飛翔する光弾に気付く。
刹那に交わされた空中戦の合間に力を溜めたユウキは、スルトの隙を突く渾身の雷音破を狙っていた。
「っく…!」
避けるには飛翔速度が速過ぎる。受けに回ったスルトが、これまでのように剣の腹で光弾を止めるが、
「るあおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
ユウキが獣染みた咆哮を上げ、その瞳が暗く濁った赤茶の光を放つ。
雷音破を放った姿勢で突き出した腕で筋肉が膨張し、スルトの剣が一度は受け止めた光弾が赤銅色に変色する。
遠隔手導により、止められながらも推力を得て再加速した光弾は、剣を盾に受け止めたスルトを勢いのまま連れてゆく。
押し遣られ、弾丸のような速度で運ばれるスルトが叩き付けられたのは、ぼこっと地面から盛り上がった岩塊。これが粉々
に砕け散ると同時に耐久限界を迎えた光弾が、その高密度エネルギーを撒き散らす。
岩の欠片と共に宙を舞い、勢いそのままに何度も地面に叩き付けられ、擦られ、跳ねながら転がってゆくスルトの口から、
がふっと息と共に赤い飛沫が吐き出された。
ここまでの戦闘でようやく入った、初めてのダメージらしいダメージだが、その衝撃は屈強な虎の体躯を痛めつけ、骨と内
臓にまで損傷が及んでいる。
「うっおぉ…!猛烈っス…!」
ドズンと着地したジークが呻く。燃える炎に飛び込んだ格好になっているが、落下中に噴出量が増した白い霧が、火炎を押
し退けるようにしてその巨体から遠ざけていた。
着地の衝撃を吸収する為に深く屈んだ身を起こし、ジークはユウキをちらりと見遣る。レリックに頼らず生身でここまでの
破壊力を生み出せる能力者はそうそう居ない。
(ウォーマイスターは全員がユニバーサルステージ級能力者とは聞いてたっスけど…、こりゃすげぇっス。ディンとタメ張る
破壊力と防御力っスね…)
一方ユウキは拳を引き、
「ぐうぅぅうっ…!」
獣染みた唸り声を漏らしながら、背を丸めて身を焦がす破壊衝動を抑え込む。
ユウキが使用したのは、神卸を意図的に暴走状態に持ち込み、己の中の獣性を以って限界のさらに先の力を引き寄せるとい
う荒技。
これは完全制御を成し遂げた上で、さらに神卸の何たるかを突き詰めて行った末にユウキが編み出した物だが、一歩間違え
ば獣性に囚われて心を持って行かれ、暴走状態になりかねないというリスクを伴う。
神卸を会得しただけでは到底無し得ないこの芸当は、流石のジークやスルトも知らず、ライデンですらその存在を認識して
いない。
だが、その奥の手を受けてもなおスルトは立ち上がった。左手を軽く、左の顎骨のすぐ下に当てて。
ペッと吐き出した唾は血で赤く染まっているが、スルトから少し離れると、それよりなお赤々と燃え盛る焔に飲まれてヂッ
と音を立て、地面に落ちるどころか瞬時に蒸発する。
その、おおよそ生物が生存し得ない環境で動きを全く妨げられない北極熊が猛進する。
(ニブル使い過ぎちまったっスけど…、まだっス!決着までは保つ!)
白い巨体から吹き出す蒸気が、疾走するジークに一時纏わりついた上で、後方へ置き去りにされ、たなびき消える。
その白い一塊を恐れるように、踊る焔がざぁっと避けて道を空けた。
ダメージが抜けていないかに思われたスルトは、
(オーバードライブの変則起動…さしずめリバースドライブといったところか。これは興味深い現象だ…)
そう、ユウキが見せた先の裏技を評価しつつ、左手を首横から離し、全身に力を漲らせた。
(だが考察は後回し。今は…)
吹き出す蒸気が瞬間的に増加し、折れた肋骨が、出血した内臓が、ずたずたになった背の筋肉と皮膚がたちどころに復元さ
れ、スルトの身体が最前の無傷な状態に戻る。それを見たジークは、
(たまらず治したっスね?これで随分思念波を使ったはずっス。今なら…!)
好機と見て取り、速度を緩めないまま剣を右後方へ引き、駆け込みながらフルスイングできる姿勢を作る。
迎撃上等。ジークの狙いは、肉を切らせて骨を断ち、骨を断たせて命を絶つ、覚悟の一太刀。遠隔攻撃されようが、直接迎
え撃たれようが、一発貰った程度では止まらない。
狙いを察したスルトは、
(ニブルの出し惜しみ無し、肉弾戦での決着狙いか。しかも…)
ユウキに視線を飛ばし、大熊が開いたその五指に燐光を灯している様を見て取る。
(またジークの攻めに連携するつもりだな)
双方共に傑物。しかも遠近中オールレンジ対応で苦手な距離が無く、両者ともに追撃と隙を突いた攻撃が可能。おまけに息
が合った波状攻撃は対処が難しく、有利に事を運ぶポジションがどこにもない。
スルトは認識を改める。当初考えた以上に相性が良く、タチが悪いコンビだった。
だから、もはやなりふり構ってはいられない。
「レヴァテイン…。主燃バーナー並びに保持バーナー起動…」
拘束を緩めよと命じられた赤い大剣が、使用者の思念波を急激に吸収する。
レヴァテインの刀身が、深い赤から明るい赤へ、そしてオレンジから極めて黄色に近い色へと瞬く間に変色する。
それを見たジークが目を見開いて急停止する。北極熊の金眼に浮かぶのは、驚嘆と焦慮の色…。
(完全開放!?まだ余力があったんス!?)
ジークは自分がスルトの力量を見誤っていた事を悟る。ユウキとの激戦で消耗しているはずなのだが、以前よりもキャパシ
ティが上昇し、北極熊の予想を遥かに上回っていた。
刀身が眩い黄色となった大剣をスルトが振り上げたその瞬間、ジークはヴァルムンクを盾にする格好で前へ翳し、警告の声
を上げた。
「おっちゃん!ガードするっス!」
「ぬ!?」
異様な気配を察していたユウキは、ジークの声に疑問の唸りを漏らしながらも即座に腰を落として前方に手を突き出し、力
場の出力を上げて防御姿勢を取る。
「焼き尽くせ、レヴァテイン…」
静かなスルトの声。振り下ろされる赤い大剣。しかし…。
「しまっ…!」
ジークが上げかけた焦りの声は、半ばで途切れた。
スルトが振り下ろした剣先で、チッとストロボが炊かれたような眩しい光が爆ぜたかと思えば、次いでドドドンと連続した
爆発音が上がり、爆炎が連なって発生する。
スルトから前へ、前へ、連鎖的に爆発しながら生まれる炎は高温の余り眩い黄色に輝いており、一つ一つが直径20メート
ル程の爆破領域を持つ。連なった爆発で生じる炎は、淀みなく、凄まじい速度でスルトの前方へ疾走してゆく。
その連続極大発火は、樹海を斬り裂いて一直線に突き進む。
ジークとユウキが居る方向とは、90度ほど違う方角へ…。
「あっちは…隠れ里が!?」
ユウキの声に動揺が滲んだ。同じくジークもスルトの意図が判らず、隠れ里めがけて駆ける爆炎から赤い虎へと視線を戻す。
(自棄になって隠れ里を焼き払うつもりっスか!?…いや、スルトはそんなタチじゃねぇっス…。どういう事っスか?狙いは
ハナから裏帝の確保じゃねぇって事っス!?)
当のスルトは、振り下ろした剣を今度は頭上へと振り上げる。
直後、赤虎を飲み込んで炎の柱が吹き上がり、その姿を覆い隠した。