第十八話 「フウ」

 双子の子熊は、生まれながらに鮮やかな赤銅色の被毛を纏っていた。

 神代、そしてそれを源流とする神壊では、赤味が濃いほど始祖の血もまた濃いとされる。中でも赤銅色の被毛は特別で、始

祖の色そのものと言われていた。

 先祖返り。

 極々稀にしか生まれない毛色はそう呼ばれて尊ばれた上に、前例のない双子として生まれた兄弟は、当然隠れ里で持てはや

された。

 歴代最強の壊神…ひいては歴代最強の家臣と謳われるライゾウに、跡継ぎが二人も生まれた。その上どちらも色濃く始祖の

血を宿している。これで喜ばない者など居ない。

 そうして里中から好意を注がれて、見た目が瓜二つな双子はすくすくと成長した。

 しかし、両者の差は早い内に現れ始めた。

 肝っ玉が太く、落ち着いていながら負けん気が強く、活動的な兄。

 大人しくて物静かで、引っ込み思案でやや気が弱く、内向的な弟。

 見た目はそっくりだったが、まるでこうなる事が決まっていたかのように嵐と風をそれぞれの名に冠した二人は、その性格

の差から顔に浮かぶ表情や行動に大きな違いが生じた。

 年を経るにつれ、その差は性格だけに留まらなくなった。

 体格体型背格好、瓜二つであるにも関わらず、兄は弟を遥かに凌駕する運動性能と身体能力、反射神経を備えていた。

 獣が駆けるように、魚が泳ぐように、鳥が飛ぶように、そう成る事が予め定められていたように、修練も無しに自然と光を

纏えるようになった兄。

 反対に、教えられてもなかなか身につかず、ようやくか細い光が手に灯ったその日まで、もしや能力を受け継がなかったの

かと危ぶまれた弟。

 兄の方は、気性から才覚まで幼い頃の父親にそっくりだと皆に言われ、それを聞く都度ライゾウの顔には気恥ずかしげな困

惑が浮かんだ物だが、弟の方は、はてこれは誰に似たのだろうかと、皆が揃って首を傾げる有様。

 それでも、兄弟は皆から愛されて育った。

 しかし弟の方は、自分達の愛され方が違う事を、漠然と感じ取っていた。

 兄は、強者の血が濃い跡取りとして期待され、愛された。

 弟は、長生きのできない儚き弱者と考えられ、愛された。

 兄弟を真に分け隔てなく愛した者は、里でも一握りだけ。

 優れた兄がずっと傍に居るからこそ、弟の中に芽生えた負い目は消える事が無かった。

 それが、控え目な性質に拍車をかけてゆく…。



 大岩の上で座禅を組み、瞑想する大きな大きな父の姿を、熊の子は離れた木陰から窺う。

 皆から尊敬され、最も強い守り人として御館様の信頼を受ける、偉大な父…。

 力強く、威厳に溢れ、泰然としたその姿と振る舞いは、子の目から見ても誇らしい。

 だが次男には、憧れや誇りと同時に、申し訳なさを感じさせる存在でもあった。そして、父と自分の間に隙間のような何か

が横たわっている事も感じている。

 期待に沿えない自分が哀しい。父が偉大だから、兄が優れているから、幼い熊の子は自分の存在を負い目に感じてしまう。

 瞑想する父の邪魔をしないよう、なるべく離れてひっそりとその姿を見つめていた熊の子は、

「何か用か?フウ」

 瞑目したままの父の口が突然動き、驚いてビクンと身を強張らせ、短い尻尾を立てた。

「あ、あの…、あの…、…ごめ…」

 邪魔する気はなかった。そんな侘びの言葉もなかなか言えない熊の子に、ライゾウは静かに告げる。「傍に来い」と。

 瞑想を妨げた事で咎められるのかと、おどおどしながら父に歩み寄った熊の子は、目を開けた巨漢が大きな手を伸ばすと、

頭をはたかれるのではないかと首を縮めた。だが、

「手を出せ。たまには登って眺めを見るのも良いだろう」

 思いがけずそんな事を言われ、きょとんとする。

「どうした?」

 軽く手を上下させて促す父に、戸惑いながら手を伸ばした熊の子は、手首を握られたかと思うや否や、体から重さが無くなっ

たかのようにふわりと岩の上へ引き上げられた。そしてそのまま、父親が組んだ丸太のような足の上にぽすんと座らされる。

 一瞬の出来事にポカンとしてしまった熊の子は、気付けば重厚な父親の懐に抱かれて、座椅子に座るような格好で、同じ方

向を見ていた。

 そして知った。父が座禅を組むそこから、何が見えるのかを。

「…さと…」

「うむ。里だ」

 木々の隙間の僅かな一点。ライゾウが座したその位置からのみ、木の幹や枝の隙間を縫い、里に建つ家屋の茅葺き屋根など

の一部が見えている。

 親子は無言のまま、遠く小さく隙間から覗けるその一点を眺め続けた。

 熊の子はやはり、何も言えなかった。遠慮のような物があって、他の子供達のように自分の父に甘えられない。

 そして、彼が感じている隙間のような物は、確かにこの親子の間には存在した。

 やがて熊の子は、視線を手元に落とした。

 父がその様子を上から見下ろした事を気配で察した熊の子の耳に、「どうした?」と、低い声が届く。

 答えない息子に、父は訊ねる。

「フウは、おっとうが苦手か」

 ビクッと、熊の子の体が震えた。

 肯定も否定もできず、熊の子は言う。

「…フウは、ランにぃみたくは…なれ…ね…」

 言葉尻もはっきり聞こえない、か細く弱々しい声。

 苦手と言えば苦手。だがそれは嫌いなのではなく、顔向けできるような子供ではないから。そんな気持ちを込めたその言葉

に、ライゾウは黙って頷いた。

「当然だ。フウはランと違う」

 同じだと言って貰える事を何処かで期待していた熊の子は、項垂れて小さくなった。だが…。

「ランが知らず、フウだけが知っている事もある」

 ライゾウはそう言うと、熊の子の柔らかな喉に指を入れ、顎をつっと押して顔を上げさせた。

「里がほんの少し見えるここからの眺めは、まだフウしか知らん」

 先の景色を再び見せられながら、熊の子は困惑する。

 父が何を言いたいのか、ほんの少し判ったような気がして…。

 そしてそれが、自分が期待してもいなかった素晴らしい事のような気がして…。

 彼が感じている隙間のような物は、確かにこの親子の間には存在した。

 ただしそれは、期待されていないからでも、憐れまれているからでもない。

 単に、ライゾウが口下手で、子供の可愛がり方がよく判らなかったせい。子供が理解できるように話す事が苦手だったせい。

 確かに、跡取りとして見れば兄の方が遥かに優れているだろう。事実、神壊の次期当主に長男を据える事は、ライゾウの中

でもほぼ決まっている事だった。

 だが、だからといって次男が無価値かといえば、それは違う。

 ライゾウにとっては、長男は神壊としての将来を託すべき存在であり、次男は、自分が作りたい平和な未来で過ごしてほし

い存在…。

 子供達にそこまでの力が必要ない…、自分が望むそんな時代に生きる者の象徴であり、そんな時代を作るのだという意思を

より強固にしてくれる愛しい我が子…。

 ライゾウにとっての次男はそんな存在であり、決して長男に劣るものではなかった。

 ただ、どちらも全く違う意味で、しかし等しく大事なのだというその事を、幼い心に上手く伝わるように話すにはどうすれ

ば良いのかが、禁行で心の一部を失ってしまったライゾウには判らなかったのである。

「違っていて良い。フウも、ランも、それで良い」

 寡黙な父の、不器用な言葉。

 子供の心にすとんと入るよう苦慮してもなお、感情が籠り難い巨漢の声音は、子をあやすようでも励ますようでもなかった。

 それでも、そこに宿った、何とか伝えたいという父の気持ちが、熊の子には感じ取れた。

「違って…」

 呟き、そして口を閉ざした我が子に、ライゾウは頷く。

「違っていて良い。フウはフウだから、それで良い」

 返事をする事もなく、熊の子はじっと見つめる。自分と父だけが共有するその景色を。

 背と尻に伝わる温もりとともに、初めて父が身近に感じられた…。






「おっかあ…」

 炎がごうごうと唸り、ばちばちと鳴く中で、その音に掻き消されそうなか細い声が、熊の子の口から漏れた。

 折り重なって倒れた木の下に、燐光を纏う雌の熊が倒れている。

 熊ばかりではない。前も、後ろも、倒れた者が延々と連なっている。

 その体を炎が舐めつくす地獄絵図の中、熊の子はただひとり、カチカチと歯を鳴らして立ち尽くしている。

「フウ…!逃げなさいっ…!」

 大木の下敷きになりながら、力場によってかろうじて焼死と圧死を免れている母熊が、必死の形相で声を振り絞る。

 巨木を跳ね除けるだけの力もなく、火が鎮まるまで力場を保たせる持久力もない。

 逃げるように息子を諭す事以外、もう何もできない。

 唐突に横からなだれ込んだ炎と突風が、避難している最中の里人達を襲ったのは、数分前の事。

 戦闘要員ではないものの、神壊に嫁ぐに相応しい血統の母熊は、咄嗟に我が子を抱えて力場を展開し、炎を防いだ。

 だが、修練も積んでいない彼女の力場は、密度も持続時間も不十分。肉体的にもせいぜい常人を多少上回る程度。それで炎

の河の勢いに抗する事などできるはずもなく、我が子ともども薙ぎ倒された木々の下敷きになってしまった。

 だが、その天性の資質は、その状況下で極限の二択を迫った。

 受けた訓練こそ護身程度だったが、微かに引いた神無の狼達の血が顕在化した母熊は、力場の遠隔操作の亜流とも言える、

突然変異をきたした特殊な力を持っていた。

 自身の力場を他者に移し替え、守り、強化する事ができたのである。

 ただしそれは、自分を守る燐光を減らして分け与えるという物…。

 母熊は気を失った我が子に光の衣を着せ、巨木の隙間から押し出した。そして呼びかけ、目覚めさせ…。

「おっかあ…!」

 震えながら燃え盛る巨木に手をかけ、自分を助けようとする息子に、母熊が叫ぶ。

「行きなさい!早く!」

 呼吸の乱れが酷い。

 ただでさえ弱いのに、息子に分け与えて薄まった力場は、熱を完全には遮断してくれない。木々を支えるその斥力を維持す

るだけで精一杯。

 もう長くは保たない。だからせめて息子には、自分の最後を見ないまま逃げ延びて欲しかった。

 なのに、息子は離れてくれない。怯え、竦み、泣きながらも、到底動くはずの無い折り重なった巨木に手をかけ、うんうん

唸って母の上から退かそうとしている。

「フウ!」

 炎の声をも弾き散らす声が響いたのは、熊の子が汗だくになりながら巨木と格闘し始めてから、数十秒後の事だった。

「ランにぃ…!」

 か細く泣いた弟の下に駆け寄った兄は、母の窮状を見て取るや否や、息を飲むのも一瞬に、迷わず巨木に組み付いた。

「ふたりなら…!」

「う、うん…!」

 力を合わせ、巨木を退かそうと踏ん張る幼い兄弟。

「いいから!私はいいから、逃げなさいラン!フウ!」

 炎は鎮まるどころか、勢いを増してうねり、天を焦がす。必死に呼びかける母の声に、しかし息子達は従わない。

「うごけ…!うごけ!」

「おっかあ…!たすけるから…、おっかあ…!」

 いかに力場を纏えても、破壊の技はまだ知らない。幼いが故に限界を悟れず、諦めを知らず、現実を見られない兄弟達は、

母の必死な声にも応じず、愚直に巨木との格闘を続けた。

「おっとうがきてくれる…!」

「うん…!うんっ…!」

「ギョウブさまが、オオガミのオカシラが、あんちゃん達が、手伝いにきてくれる…!」

「うん!」

「いくんだ、みんなで…!おやかたさまの、シャモンさまのところに…!」

「うんっ!」

 二人の子熊は、力を合わせて巨木を押す。

「やめなさい!もう良いから!もう…!お願い…、もう逃げて、ラン、フウ…!」

 涙を流して懇願する母の声も、二人を追い遣れない。

 そして…、奇跡は起きなかった。

 世の大半の事に対して、概ねそうであるように。

 幼い兄弟は為す術もなく、自分達の母親が生きながら焼かれてゆく様を見届けた…。



 乱れた息で、分厚い胸と逞しい肩が上下する。

 焼け焦げてもなお炎が踊る大地を歩み、火の手の奥を見透かし、ライゾウは進む。

 ライデンは追ってくるだろう。簡単に撒ける相手ではないし、逃げ切るだけの余力は残っていない。

 そもそも、仲間の下へ辿り着くまで、命の残り火が保つかどうかも判らない。

 幾ばくもない命では、この地獄を何とする事も叶わない。

 それでも…。家族。主君。仲間…。大切な者達のために最後の一滴まで命を絞りつくし、「不二守」の使命に殉じようと、

ライゾウは重い足を一歩ずつ進めてゆく。

 その歩みが止まったのは、炎の向こうに人影を見た瞬間だった。

 熱に揺らめく影は一つ。炎の眩さに霞んでも、大きさが判る。

 仲間かと一瞬考え、そして、否と即座に断じる。

 同時にこちらに気付いたらしいその男も、窺うような視線を瞬時に鋭い物へと変えていた。

「よもや、と思ったが…」

 男盛りも過ぎた中年の大熊は、自分よりも大きいライゾウの巨体を、目を細めて炎に透かし見た。

「………」

 物言わずに目を鋭く細めたライゾウは、初めて目にした宿敵の姿をじっと見つめる。

 それは、まったくの偶然だった。

 意識が朦朧としているライゾウは真っ直ぐ歩けておらず、ユウキもまた猛火の中で方向感覚を多少狂わされており、両者共

に自分が望んだルートから外れている。

 だから、必然とも言えた。

 望まぬ道を歩みながら、遠い昔に袂を分かった同じ血が、一方に残された時間が少なくなったこの状況で邂逅する…。因縁

がお膳立てしたと見えない事もない。

 無造作な足取りで距離を詰めるユウキ。しかしライゾウもまた構えを取らず、相手が4メートルほどまで間を詰める間、口

も開かず手出しもしなかった。

 無言のまま相対する、神代と神壊の当主。同じ始祖の血を引く二人。違う家を背負って立つ二人。

 顔立ちは、よくよく見れば似ていた。何も知らずに目にした第三者が、極々近い親類だと思ってしまう程に。

 言葉もなく見つめ合う両者の周囲で、まるで風に押されたように炎が遠のく。

 纏う力場から流れ出る余剰エネルギーが、極めて近いが故に溶け合い、そして大きなうねりとなっていた。

 その様を見るともなく感じ取りながら、互いの目を見つめ続ける両者は、改めて実感した。

 自分達は、本来あってはならない形で対立しているのだと…。

 揃っただけで溶け合い、何の努力を払わずとも炎を委縮せしめる力の相乗効果。

 これは本来、轡を並べてこそ活かされる現象。

 ユウキとライゾウの力の質が、極めて近しいからこそ起こり得た現象。

 そして、両者が敵対して争わざるを得ないこの状況が、誤っているのだと示唆する現象…。

 だがそれでも、もはや二人は止まれない。帳消しにするには積み重ねられてきた物が重過ぎて、捻じ曲げるにはこのうねり

は大き過ぎた。

 もはや、拳を交える以外に終わらせる手は無い。

 ユウキはおもむろに腰を見遣ると、そこに吊るした、武器を兼ねる愛用の大徳利に手をかけた。

「末期の酒じゃ」

 大徳利を放ろうとして、しかし思い直したユウキは、栓を抜いてグビッと煽ってみせた。

「この通り毒など入っとらん」

「半ば死したるこの身が、毒を恐れようか」

 息を整えたライゾウが返すのは、意地と皮肉が混じった言葉と、敵意の中にも好意めいた物が奥に潜んだ眼光。

「もっともじゃ。なら遠慮せんと飲め」

 苦笑いしたユウキが徳利を放ると、上げた手が纏う力場の斥力でふわりと止め、それから内へと受け入れたライゾウは、栓

を抜き、一口含む。

 腹に穴があけられた今、煽るような飲み方はできなかったが、それでも口内に染み渡る酒の味が、鉄臭い血の匂いを押し遣っ

て薄める。

「…悪くない酒だ」

 栓をした徳利を足元に落とし、ライゾウは太い笑みを浮かべた。

 やれやれ、とユウキは嘆息する。

(この状況で、何てぇ面で笑いやがるんじゃコイツは…)

 大した男だと、すっかり感じ入ってしまった。

「神代家当主、熊鬼じゃ」

 まずユウキが名乗り、次いでライゾウがそれに応じた。

「神壊家当主にして当代の不二守、雷爪」

 余命幾ばくもない瀕死の重傷、立って息をしているのが不思議な程の深手、にもかかわらず、胸を張った巨漢の声には微塵

も弱さが無く、凛と厳かな太い声音がユウキの胸を深く打つ。

(万全の状態じゃったら、十番勝負して一番取れたかどうか…)

 感嘆と羨望、そして嫉妬すら覚え、ユウキはライゾウの姿に惚れ惚れした。

 ユウキは自分を凡人と評価する。

 確かに、長い神代の歴史においては、決して突出した存在とは言えない。

 にもかかわらず打ち出したその目覚ましい戦果と任務達成率は、己を凡才と自覚してなおあがき、もがき、積み重ねた、不

断の努力と技術の鍛錬、そして、歴代の誰よりも強い野心と使命感に支えられた、排除対象への徹底した冷徹さによる物。

 なりふり構わず忌まわしい禁忌に触れ、その力を引き出し統べる術を身に付けられたのは、自分に不足した神代としての純

粋な才能を、別の手段で補おうとした結果だった。

 だからこそ、ユウキは強い。技が、力が、心がではなく、存在そのものがただただ強い。それ故に、「鬼神」の二つ名を冠

せられている。

 そしてその姿勢は、皮肉にも極めて逆神に…本来の神壊に近い物だった。

(納得いった…。これでは幾人も倒される訳だ…)

 感心し、敬意に近い物すら抱き、ライゾウはユウキの姿をじっくり眺めまわした。

 ライゾウは、歴代最強の神壊だと自覚している。

 才能、血の濃さ、全てにおいて申し分ない。それは驕りではなく、客観的な事実として受け止めている事だった。

 対して目の前の男は、自分にもライデンにも、術でも技でも及ばない。にもかかわらず幾多の眷属が彼に屠られ、歴代の中

で最も逆神から憎まれる神将となっている。

 その事実は、こうして向き合うと納得のいく物だった。

 覚悟の深さが違う。生死を身近に捉え、かといって一切軽んじる事なく、朝日が昇って沈むのと同じレベルの「現実」とし

て受け止めている男の目…。

 おそらくこの男は、どんな死に様をするにしても、太く笑って逝くのだろうと、脈絡もなく思えた。

 そうして死ぬまで、そうして死んだ後も、「神代」であり続けるのだろう。

 その在り方に、単純な戦力以上の強さを見い出して、ライゾウはユウキに好意すら抱いた。

 そしてその心境は、皮肉にも極めて神将に…本来の神代に近い物だった。

 お互いに、思う事は山ほどあった。

 だがそれで止まれるほど、背負った責務も、重ねた屍も、浴びた返り血も少なくない。もはや殺し合う以外に止まる方法が

無い事が、嫌になるほど理解できている。

 何より、こうして相対した時にどうするかは、ずっと前から心に決めていた両者である。構え、睨み合う事に迷いはない。

 そして二人は、同時に袖の内へ腕を入れ、諸肌脱いで上半身を露わにする。

 両者の構えは、寸分違わず同じ物。腰を深く落として前傾姿勢を取り、右拳を地面についた、相撲の仕切りを思わせる低い

姿勢…。奥義、百花繚乱のそれである。

 だが、両者が狙うのは「その物」ではない。その派生であり、破壊力の点で見ればより上位とも言える、神代、神壊、それ

ぞれの「裏式」。

 ユウキの胸にあるのは、因縁への終止符。

 同じ血から生まれた者達を屠り、その血で汚れるのは、己の両腕で最後にするという鋼の意思。

 一方ライゾウも、破れかぶれの最後っ屁としてユウキを葬ろうなどと考えている訳ではない。

 少なくともこの男を葬れば、生き延びてくれるだろう仲間の大きな助けとなる事を、ライゾウは確信している。

「狂熊覚醒…」

 口を開いたユウキの中で、凶暴な獣性が膨れ上がる。

 禁断の領域、神卸しの意図的な暴走による瞬間的な性能増幅が、強靭な肉体を蝕み、ミシリと悲鳴を上げさせた。

「凶熊覚醒…」

 短く呟いたライゾウの中で、息絶えかけた獣性が蘇る。

 禁行により得た、半ば暴走に近い神卸しが、半ば涅槃に至った体と魂を現世に繋ぎ止め、残る全てを燃焼させる。

「いざ」

「おう」

 申し合わせるような声を発する両者。

 振り絞る全力。狙うは最大限の一撃。

『奥義…』

 重なった声に続いて、向き合う二人の背で力場が炸裂し、巨体に推進力を与えた。

「千花斉萌(せんかせいほう)!」

「百鬼夜行(ひゃっきやこう)!」



 ズン…、と地面が震え、老獅子は弾かれたように震源の方へ眼を遣り、急制動をかける。

 焼けた大地を踏み締める力場に覆われた足が、駆ける勢いを殺し切るより早く、それはやって来た。

 焦げた木々が、まるで見えない巨大な手で引っこ抜かれ、投げ上げられたように、木端微塵に砕け散りながら宙に舞う。そ

の現象が連続的に、まるでカーテンのように幅広い範囲で生じながら、ライデンめがけて迫っていた。

 それはまるで、樹海で起こった津波。

 爆心地を中心にして円形に広がり、地面を這うように突き進む高さ2メートル程の光の奔流は、土砂と木々の残骸を巻き上

げ、炎すらも諸共に吹き飛ばし、一切合切を根こそぎにして更地を作る。

 広がる破壊領域の外周で砕け、舞い上がる残骸が、まるで高波のように見えた。

「ぬ…!」

 低く呻いて眼前で腕を交差させ、力場の出力を上げたライデンの体を、圧倒的な力の奔流が飲み込む。

 ライデンと爆心地は百メートルと離れていなかった。避ける余裕もなくまともに浴びる事になったが、纏う力場は破れない。

 足に纏った力場を地面に食い込ませる鉤爪にして踏ん張った獅子の周囲で、焼け焦げた木々が抵抗も見せずにあっけなく吹

き飛ばされ、砕け散る。

 岩塊すら砕ける衝撃と、膨大な力場が分解されて生じたのだろう熱…。

(余波ですらこれか…!)

 おそらくは、奥義級の操光術が真っ向から激突したのだろう。そう察したライデンは、光の奔流の中で踏ん張りながら災禍

が過ぎ去るのを待ち、耐え凌ぐ。

 やがて、訪れた時と同じように、破壊の波は過ぎ去った。

 あとに残ったのは、表面が熱されたガラスのように溶けた大地と、直径五百メートル程の範囲で開けた、木の一本も残らな

い眺め…。

 熱で揺らめく景色の中央には、人影が一つ。

 油断なく目を光らせたライデンは、しかしやがて瞳から警戒の色を消す。

「ユウキ…」

 焦土の中央に立つのは、馴染みの大熊。

 歩み寄ろうと足を進めたライデンは、近付くにつれ、佇むユウキの異常に気付き始めた。

 燐光を纏ったまま肩で息をする大男の全身は、噴き出た汗でびっしょり濡れ、水気を吸った被毛が湯気を上げている。

 だらりと下がった左腕は、二の腕外側がまるで巨大な顎に齧り取られたように大きく抉れ、骨が露出している。

 ぞっくりと抉れたその断面からは出血が無い。ぼそぼそに焼け焦げて、炭化しているせいで。

 いかに古種とはいえ自然治癒では修復不可能な程の深手。それも、よりによってユウキの利き腕である左の剛腕が…。

 それは、奥義を用いての打ち合いにおいて、ユウキ最大の矛が競り負けた事を意味していた。

「ユウキ!」

 駆け寄るライデンは、足元に半ば埋没している、余波を受けただけでひしゃげて潰れてしまった大徳利を跨ぎ越す。

 ゆっくり首を巡らせた旧友の疲れ切った顔に、ライデンは幾ばくかの笑みを見い出して安堵する。

 直後、気が抜けたらしいユウキの巨体が揺れ、駆け込んだライデンがその身を支えた。

 中年熊の身体は、力が抜け切ってずっしりと重たかったが、致命傷は負っていない。獅子はまずその事に安堵した。

「負けじゃなぁ…」

 荒い息の隙間から、ユウキの声が零れ出る。

「やっこさんが手負いでなけりゃあ、まず勝ち目は無かったじゃろうなぁ…」

 最大最高の武器だった左腕が、相手の利き手ではない左で力場を食い破られてこの有様。

 残る右を捻じ込み、かろうじて先に相手の力場を破砕し、決着の一撃を放り込めたものの、万全な状態で立ち合ったならば、

左腕を抉った一撃が、そのまま先に自分の息の根を止めていただろうと確信している。

 出し惜しみ抜き。奥の手まで使い、全力を振り絞った上で、真っ向勝負で競り負けた。

 生死の結果を抜きにした純粋な勝負として見れば、敗北したとしか言えない。

「誰とやりおうた?」

 躯も残っていない相手は誰だったのか?半ば答えを確信しながら、それでも確認するライデンの問いに、「終いじゃ…」と、

大熊は応じる。

「終い…?」

 ライデンの問いに答えないまま、ユウキは深く暗い色に染まった目を細め、哀しげに笑った。

「同族殺しは、なんとか儂の代で終いにできた…」



 それが、公表されない正史に刻まれた最後の神壊…、神壊不二守雷爪の最期だった。