第二十四話 「フレイア・ゴルド(四)」

(あ~…。恥ずかしいトコ見せちゃったなぁ…)

 ロルフの遺品であるスタームルガーをザックに仕舞いながら、フレイアは顔を顰め、次いで苦笑いした。

(なんだか…、このおじさんと話してるとすっごく気が楽なんだよね…。おじさんと話してる私は「ハンター」でもないし、

「隊長」でもない、ただの未熟な娘だから、かな…)

「お嬢ちゃん、酒はいけるクチかい?」

 フレイアが顔を拭って涙の跡を消すのを待ち、ユウキは徳利をポンポン叩いて訊ねた。雪山篭城では貴重な酒が、その中に

は二升も入っている。

「殆ど飲まないけど、好き嫌い言ってられる状況でもないし…、頂きます」

 涙を拭ってフレイアは頷く。目は泣き腫れていたが、すっきりした面持ちだった。

 嵐はおさまらない。雪洞内の温度はユウキが自前の能力で調整した上で、身を寄せ合って凍死しないように体温を保っては

いるが、それにも限度がある。

 体温自体を上げる手っ取り早い方法は、カプサイシンやアルコールの力を借りる事。運動ができない環境かつ体力を温存し

なければいけない状況では特に効果的である。

 大徳利から二口分ばかり酒を注がれたカップを渡されたフレイアは、穀物で作られているはずなのに果物にも似ているその

酒の香りを嗅いでから、くいっと傾けて口に招き入れ…、

「…んぶ!?」

 あまりにもキツいアルコールで咽そうになる。

 それもそのはず、ユウキが携帯して歩く酒は、河祖下で造られる特別製の高アルコール地酒。東北の田舎酒らしい、甘い香

りとは裏腹の辛口で、飲めばすぐさま臓腑に染みて来る。なお、「熊潰し」というこの酒の名は酒豪のユウキも酔っ払う事か

ら来ている。

 何とか一口飲み下したフレイアに、ユウキは「苦手なら無理せんでいい。ちょいと含めば効果はあるじゃろう」と笑い、グ

ビッと直に徳利を煽った。

 気付け薬を兼ね、消毒にも使えるキツい酒である。ユウキは多少飲んでも何ともないが、飲み慣れていないフレイアにはか

なりのカルチャーショックだった。

(ヤマガタも体を温めるのにキツい酒を一口分だけ飲んでたけど…、うわぁ…、本当に効果あるんだ…)

 口の中がピリピリしていたかと思えば、口内が、食道が、胃が、たちまちポカポカし始めた。

「夜明けまでは動きようもねぇ。開き直って腰を据えるのが一番じゃ」

「うん。そうだよね…」

 焦るな、と自分に言い聞かせたフレイアは、深呼吸して気を落ち着かせると、残りの酒をグッと煽った。

 それから体が温まったのを幸いに、ジッパーをあけて防寒服を片肌脱いで、あちこちに負った打ち身に軟膏を塗り始める。

 恥かしげもなく肌を晒す若い女子の姿を、デレデレと鼻の下を伸ばしながら眺めるユウキは、

「それにしてもお嬢ちゃんは日本語が巧みじゃのぉ。仕事用に勉強しとったのかい?」

 と、深く考えるでもなく訊いてみた。これに対してフレイアは、「仕事と別に、日本って国は私に特別なんだ」と応じる。

「私の父さんは日本人だったらしいから」

「…ふむ?」

 妙な言い回しに首を傾げるユウキ。「あ。判り難いね?」と気付いたフレイアは説明を加えた。

「両親は結婚してなかったんだ。父さんはワケアリなひとだったみたいで、母さんと愛し合ってはいたけど一緒には暮らせな

かったんだって。私は母さんに育てられたけど、父さんから援助があったから暮らしは楽だったよ。不仲で離婚したとかじゃ

ないから、母さんもずっと父さんを愛してたし…。ただ、変な父さんでね?写真とかは絶対ダメ、って…」

(結構複雑な家庭環境だったんじゃな…)

「忙しいひとだったから、年に2回ぐらいしか会えなかった…。今になって思うと、政府の諜報員とかだったのかも…。母さ

んも父さんも、本名を教えてくれなかったし…、外で使う名前と、家族で呼び合うときの名前、違ってて…」

「ふむ?名前ねぇ…」

「母さんは「ディン」って呼んでた…。本名じゃないみたいで…、愛称かもしれないけど…」

「「ディン」?…。ふぅむ…。日本人なら漢字で書くんじゃろうが…、いやしかし本名と違うんかのぉ…」

 考え込むユウキ。

 何か引っかかる。目の前にいる若い女と、聞いた名前、そして説明された彼女の能力、エナジーコートの亜種とも言える奇

妙な力、「アンブレイカブル」の性質…。

(何じゃ?何か見落としとるような気が…)

「父さんは…、行方不明になっちゃって…。母さんは…、再婚して弟が…、今は…、アリゾナでふたり…」

「…ん?」

 ユウキは顔を上げてフレイアを見遣る。一口分の酒が早くも効いたのか、眠そうな目になってこっくりこっくり船を漕ぎ始

めていた。

「おっと…!」

 前のめりにガクンと揺れたフレイアを支えたユウキが、「寝とってええぞ。朝は遠いからのぉ」と囁くなり…。

「…す~…」

 支えたユウキの腕に抱きついたフレイアは、早くも寝息を漏らしていた。

 フレイアは酒に弱い上に、酔うと寝るタイプだった。しかも手近な物を抱き枕にして。

(お、おおおう!めんけぇのぉ…!)

 自分の腕を抱き枕にしたフレイアのあどけない寝顔に、カーッと顔が熱くなるユウキ。

(な、何じゃろなぁこいつぁ…!歳甲斐もなくときめくのぉ…!若ぇ頃に戻ったみてぇじゃ…!)

 フレイアがしっかり右腕に抱きついて離れないので、起こさないようにそっと抱き上げ、胡坐をかいた脚の上に寝せたユウ

キは、

(めんけぇのぉ…)

 その寝顔をいつまでも飽きずに眺めていた。





 そして、雪洞に籠ってから丸二日が経った。

「蟹モドギの数がどんどん減ってんな…」

 狭い雪洞の中で髭面の男と向き合い、若熊が唸る。示されたマッピングノートには、プシュケーの兵隊と遭遇し、始末した

場所が、時刻入りで正確に記入されていた。

「外に向かう数が激減している。鹿を捕らえていたケースもあったが、まるで嵐の中に立てこもっているようにも思えるな」

 トシキの意見に顎を引き、ユウヒは「どう見る?」と脇から覗いているヤクモに訊ねた。

「あ、はい…。兎の死骸を捕らえていたのも居ましたし、それは確かこの点の位置で、移動方向は…」

「嵐の中心、か…」

 ヤクモが太い指で地図をなぞると、トシキは瞑目する。やはり、獲物を取った怪物は嵐の中へと入ってゆく。

「生態がよく判っていないが、プシュケーはここに巣でも作るつもりなのか?」

「居座らいだら堪ったもんでねぇ…」

 唸るユウヒ。この異常気象が延々と続いたら、周辺地域は甚大な被害を受ける。そうでなくとも特殊な危険生物なので、こ

れを狙って何かの動きを見せる国も出てくるかもしれない。

「とっとど終わらしてぇどごだが…」

 ユウキからの討伐命令は出ない。逆に、待機しつつ防衛線を維持しろと言われている。

(親父殿が、何か企んでんのが?)

 ちゃらんぽらんな父親だが、神将としての力は抜き出ている。業比べでは上を行く神将も居るが、「手段を択ばない戦い」

であれば、どんな手も厭わず目的を果たしにかかるユウキの右に出る者は居ない。

(こごは大人しぐ任せどっか…)



「やっこさん頑張りよるのぉ…」

 外から戻るなり雪洞の入り口に雪のブロックを積み上げて蓋をしたユウキは、捕らえた鳥を二羽、足をつかんで逆さにぶら

下げ、フレイアにニカッと笑いかけた。

「それはともかく…。ほれこの通り、飯の心配は要らん」

「うわお!銃も無しで!?すっごい!」

 だいぶ回復したようで、すっかり顔色が良くなったフレイアが狩りの手並みを賞賛する。

「ぬふっ!言った通りじゃろう!?おんちゃんにド~ンと任せとけ!がっはっはっ!」

 狩りから戻ったユウキは雪に濡れていない。力場の衣を纏って寒さも雪もシャットアウトしている。

 とはいえ、暢気に食事を楽しむための狩りではない。何せこの雪洞には暖房器具などなく、熱源はユウキの操光術。その元

となるのはカロリーなので、雪に耐えて雪洞に篭るにも、プシュケーを探して挑むにも、栄養源の確保は欠かせなかった。

 ユウキが持ち歩いていた食料は、必要になれば自己調達するスタイルなので急場凌ぎ用の一食分。本隊から離れていたフレ

イアが持っていたのも携帯食料一食分と、栄養調整用のビタミン錠剤一瓶だけ。これらをふたりで分け合って二日間篭ったが、

嵐はいまだに弱まる気配もない。午前八時だというのに、雲が分厚いせいで真冬の夕刻のような暗さである。

 嵐の中心は動いていない。つまりプシュケーはまだ近くに留まっている。

 いよいよおかしいと感じたユウキとフレイアは、三時間ほど前にそれぞれの仲間に通信し、気象情報を纏めさせた。

 すると、おかしな事が判った。

「儂らの位置がここ」

 広げた地図の一点をユウキの太い指が示す。

「うん。で、嵐の範囲が、こっから…こう…、でしょ?」

 フレイアがペンで大きく円を描く。

「で、その外側は外気温0度前後…じゃったな?」

「うん。そして、離れれば離れるほど気温は上がって…」

「山の麓は例年通り、と。…儂らが山に入った時ぁ、もっと範囲は広かったはずじゃが…」

「気象操作の限界なのかも。気温を下げれば下げるだけ、風を強くすれば強くしただけ、範囲が狭まるとか…?」

「有り得る話じゃ。しかしまぁ、地図に描くと嫌でも判るのぉ…」

 ユウキは引っ込めた指で頬をポリポリ掻いた。

 情報から割り出した異常な低温と強風の中心点…。嵐の範囲が狭くなったおかげでかなり絞り込めたそこは、自分達が篭る

雪洞から1キロ程度しか離れていない。

「なんで「そこ」なんじゃろうな…」

「う~ん…」

 ユウキはプシュケーとの交戦地からほとんど移動していない。フレイアを雪崩から掘り起こしてすぐの位置に雪洞を掘って

いる。つまり、逃げ去ったはずのプシュケーは、実際にはさほど離れなかったという事になる。

 ユウキに追い払われ、脅威ないし面倒な相手と認識したなら、さっさと居場所を移しそうなものだが、プシュケーはそう遠

くない範囲に留まり、しかし接近を拒むように嵐を持続させている。近付いて欲しくはないが、動けない理由がある。そう考

えるのが妥当だった。

「「産卵」…かも?」

 しばらく考えた末に、フレイアはポツリと言った。

「産卵?…しかし、子は普通に産んどるじゃろう?ホレ、あの蟹の化け物みてぇな不味そうな白いのが…」

「アレはまぁ、たぶん子供みたいな物ではあるんだけど…。おじさん、「ありんこ」には詳しい?」

 そう切り出したフレイアは、「普通程度には知っとるが」と応じたユウキに、昆虫の蟻を例えに出して説明した。

 プシュケーは確かにタカアシガニのような物を産み落とすが、あれは「働き蟻」のような物なのだと。そして、プシュケー

自体は一種の「女王蟻」のような物で…。

「しっかり調べる前に逃げられたから確実な事は言えないけど…。「子孫を作れるタイプの子供」…つまり「次の女王蟻」み

たいな子供を産み落とす気かも…」

 プシュケーがいつまでもこの地に留まっているのは、後継者たる「子」を産む時期が来たからなのではないか?とフレイア

は推論を語る。何せ、どんな経緯で氷漬けになっていたかも判らないのだから、後継者を産み落とす寸前の状態であった可能

性もゼロではない。

「うん…。まぁでもこれは当てずっぽうな推測で、確証めいた物は全然ないんだけど…」

 自信がないフレイアに、

「いや…。そいつぁ有り得る話じゃ…」

 巨熊は難しい顔で腕組みした。

「お嬢ちゃん。冷気…、つまり低温ってものをどう考えとるかな?」

「低温?」

「うむ。温度が低い、それはつまり「低温という力」が働いとる…という事じゃあない。実際には「熱が枯渇しとる状態」が

低温じゃ」

 ユウキは科学的な事にあまり詳しい訳ではないが、熱エネルギーに関しては自身の能力の付加価値でもあるので、理論に精

通している。

 ユウキ達熊代家の当主は、己の身一つでは理論上使用不可能なレベルの「奥義」を扱う際に、周辺から我が身にエネルギー

を取り込む。その際、エネルギーを強制徴収された周囲の気温は著しく低下し、真夏でも使用者周辺にダイアモンドダストが

舞う。

「やっこさんは、そりゃあ気象兵器みてぇな能力は持っとるんじゃろう。が、気温の低下に関しちゃあ少々おかしい。熱を上

げるってのは仕組みからして単純で、それこそ物質の燃焼やらで何とでもなるもんじゃが、冷却ってのはそうじゃあねぇ。あ

りゃあ差し引きが零にならんといかん一種の足し算引き算みてぇなモンで、「ただ減算される」なんて事はまずねぇんじゃ。

熱をどっかに移動させねぇと冷えやしねぇからのぉ。…ここで問題じゃ。この島国、本州の北端を丸々すっぽり覆う範囲で平

均気温を1、2℃下げ、六月の奥羽から雪が降るほど奪い、儂らのおる周辺をマイナス30℃にもなる寒波で覆った分…、そ

の熱は「何処へ」行ったんじゃろうな?」

 話を聞きながら、フレイアはゴクリと喉を鳴らした。

「…プシュケーほどの大物になったら…、赤ん坊でもそのくらいのエネルギーが必要なのかもね…」

「儂は男じゃから子を産んだ事も産む予定もねぇ。こんな腹じゃが…」

 平手で叩いて太鼓腹をボインと震わせたユウキは、その手で丸い腹を円を描いて撫でた。

「聞いた話じゃあ、母体は子を宿して産むために尋常じゃなく消耗する。宿した赤子の命の維持にも、成長にも、守るために

も、そして産むためにも…。まして、御伽噺級の怪物の出産ともなりゃあ…」

「国一つ、簡単に滅ぼすようなのも居たって話だしね…」

 しばし会話が途切れた後で、ユウキはポツリと言った。

「先に飯を確保しといて、正解じゃったな」

 発言の意図を察し、フレイアも「だね」と頷いた。

 それから、ふたりは鳥を解体して食事に取り掛かった。

 フレイアは空腹を紛らわす程度に少しだけ口に入れ、残りは全てユウキ。焼いて塩で味付けしただけの肉は、粗野であるが

故に命をそのまま食す実感がある。

 ペロリと平らげ、後片付けしながら、フレイアは天井を見上げて呟いた。

「立派になったねぇ」

「暇じゃったからなぁ」

 二日間こもっている間に、雪洞はフレイアが首を曲げていれば直立できる程度の高さまで拡張された。外で体を伸ばせない

分、血行を保つために空間を広く取る必要があったので。

 ほぼ篭りきりだったので、雪洞の中には煮込んだ鍋と使った薬とふたりの体臭が混じった匂いが染み付いている。

「帰ったらまず、ミルクたっぷりの熱い紅茶を飲みたいなぁ…」

「儂はまず熱燗じゃな。喉が焼けるようなキッツいのを、おっとっとっ…、あっちっちっ…、っとなぁ」

「あと肉!分厚いステーキが食べたいな!」

「そうさなぁ、儂は鍋じゃな。季節外れの天候にかこつけて、六月に雪見鍋ってぇのもオツなもんじゃろ」

「熱いシャワーを飽きるまで浴びたいな。ソープも贅沢に使って、きっちり身体を清めたいトコ」

「がっはっはっ!ま、加齢臭が移ったのは勘弁じゃ!」

 苦笑いしたユウキに、フレイアは一瞬きょとんとしてから「ああ!そういう意味じゃなくて!」と苦笑を返した。

「髪も肌も汗でベタついてるから!おじさんの匂いは嫌いじゃないよ?なんて言うか、枯れ葉が積もった秋の道を散歩してる

みたいな、結構いい匂いだよ」

「ふむ?…加齢臭ならぬ枯れ葉臭、か…」

 ユウキは何とも複雑そうな顔。

「さてと…」

「うむ…」

 それぞれ荷物を纏め終え、装備を着用し、ふたりは顔を見合わせた。

「おじさん。出会えたのがあなたで良かったよ。ここから北原は遠いけど、雪も降ってたし、女神様が助けてくれたのかも」

「ふむ?…そうじゃな、女神様の気まぐれかもしれんのぉ」

 交わす言葉は噛み合っているようで、しかし思い浮かべているものは決定的に違っていた。ユウキが思い浮かべているのは

醜女と伝えられる山の女神であり、フレイアが思い浮かべているのは北原に住まうという美しい雪の女王である。

「そうじゃ。無事に終わったら一つ、達成祝いに何か願いでも聞いてやろうかの!」

「え?何で?急に何?」

 聞き返したフレイアは、「ははぁん…」と顔を顰めた。

「おじさん、私が死ぬかもって思ってるんだね?それで急にそんな事…」

「がっはっはっはっ!違う違う!やる気をグーッと上げてやろうと思っただけじゃ!ま、景気付けじゃな!」

「あーそういう事か…。なら有り難く!終わったら何か貰う物考えるよ」

「よーし!なら約束じゃ!」

 ユウキが太い小指を立てると、フレイアは察して笑顔になり、面白がって細い小指を巻きつける。

『ゆーびきーりげーんまーんうーそつーいたーらはーりせーんぼーんのーます!ゆーびきった!』

 ユウキにやや遅れる形で、うろ覚えの文言を調子外れに真似て、カラカラ笑うフレイア。

 笑みを絶やさぬまま頷くユウキは、例え相当な無茶を言われても、願いを聞いてやるつもりでいた。

 フレイアが挑むのは「伝説その物」である。もしもこの歳でプシュケー討伐という偉業を達せられたなら、どれだけ褒めて

も褒め足りない。

(そうじゃなぁ…。どっかの国の高官にナシつけてやっても良いし、紹介してやっても良いかのぉ。国にパイプを作っとけば

先々便利じゃ。…それこそ、今回みてぇな事を防ぐのも、不正の追及も、グッとやり易くなるだろうよ)

 ちょっとした気紛れでもあるし、美人だからというのもあるし、気に入ったからというのもある。ユウキはこれから大きな

事をしようとする若者の背を、少し押してみたくなっていた。

「では、行くか」

「うん!」

 かくして、雪洞の入り口は崩され、ふたりは嵐の中へ歩き出した。

 連れ添って歩むその姿は、親子のようでもあり、相棒のようでもあり、そして…。



「だんだんキツくなってきたのぉ」

 強風と雪礫が容赦なく吹きつける嵐に、ユウキは真っ向から立ち向かう。

「お嬢ちゃん、いましばらく辛抱じゃ」

「うん…!」

 ユウキの周囲にはドーム型に力場が展開され、我が身と背中に寄りそうフレイアを暴風雪から守っていた。渦巻く風も厳し

い冷気も、その護りを突破できない。およそひとが生身で活動できる吹雪ではないのだが、それでもなお、奥羽の主は我が物

顔で荒れ狂う嵐を真っ向から捻じ伏せる。

 ユウキは最短距離で中心を目指し、委細構わず突き進む。エネルギーを貯め込んだ事で存在感が増したのか、ユウキは前へ

進むほど強く、プシュケーの気配を嗅ぎ取るようになっていた。強力な遺物に反応する時と似た具合に、神代の血が感覚を刺

激する。紛れもなく遺物と同源の存在がすぐそこに居ると、本能がユウキに囁きかける。

 猶予は無い。休息を取ったとはいえフレイアは全身打撲を負った身で、低い気温と乏しい食料、過酷な環境が体力を奪って

いる。悲願を果たせるとするならば、これが最後の挑戦となるだろう。

 もしも、とユウキは考える。

 フレイアの願いは聞き届けた。神代の長として約束を違える事は無い。彼女が絶対に願いを果たせない状況…つまり死なな

い限りは、トドメをフレイアに任せるという決定に変更はない。

 だが、もしも今回打ち損じてしまったなら…。フレイアの力が及ばず、撤退を余儀なくされたならば…。

(生まれた「子」で、脅威は二倍じゃ…)

 なかなか骨が折れる仕事だと、ユウキは複雑な気分になった。

 プシュケーは極めて強力な危険生物である。レリックと同源の、伝説や神話にその存在を示唆されてきた「本物」。心行く

まで潰し合いを楽しめる滅多にない相手…。そんな、欲求を刺激される対象でもあるが、これを堪えなければならない。

 そして、約束した以上はトドメをフレイアに譲らねばならない。勢い余って殺してもいけないし、加減し過ぎて逃がしても

いけない。しかも、雷音破で傷一つ付かない外殻を纏う怪物なのだから、仕留めるならば神卸しを使わなければならなくなる

だろう。そして、フレイアにも死なれないように頑張らなければならない。

 戦闘自体も面倒くさくなる事は判り切っていた。

 雪洞に籠っている間も、食材を狩りに行った際も、今日はプシュケーの兵隊を一匹たりとも見ていない。これはつまり…。

(兵隊が尽きた!…と、喜んでおくとがっかりするじゃろうな)

 フレイアが言及した「産卵」という推測が信憑性を帯びている今は、兵隊がプシュケーの周囲を固めに入った線が濃厚と考

えられる。

「…「びんご」じゃな」

 やがてユウキは呟いた。

 三つの山稜が囲む窪地。見下ろすそこに蹲るのは巨大な蝶。羽を立てているプシュケーの周囲には、三十を越える兵隊蟹。

「おじさん見える?プシュケーの胸の下…」

 ユウキの後ろから顔を覗かせ、フレイアが指差す。蹲るプシュケーの下では、雪面が胸部の赤い発光で染まっていた。

 兵隊を産み落とす器官である胸部の発光体は、いま正に、世継ぎとなる特別な卵を産み落とそうと明滅を強めている。

「間に合ったのぉ」

「うん…!」

 囁き交わすふたりに気付き、兵隊達が女王を守ろうと移動する。向かい来る怪物の群れを前に、

「手はず通りに攻める。良いなお嬢ちゃん?」

「オッケー!」

 手順の念押しをしてから、ユウキは前方へ両腕を突き出した。

「天鼓雷音!(てんこらいおん)」

 揃えて突き出したその両掌から光の奔流が迸る。照射された太い光柱は殺到する怪物達の前列を薙ぎ払い、雪煙と水蒸気を

爆発的に吹き上げさせた。

 白い景色がなお白く染まり、純白の煙幕が視界を遮る。その煙を引き裂いて…。

「どっこいしょぉー!」

 跳躍したユウキが落下、不意打ちで兵隊を一匹踏み潰す。力場を纏った足裏で甲殻を踏み割られ、胴にクレーター染みたヘ

コミを穿たれた怪物は即座に絶命している。蟹モドキを踏み殺したその場で、雪と蒸気を衣のように纏うユウキは、胸の前で

ゴツンと両拳を打ち合わせた。

「狂熊覚醒…!(きょうゆうかくせい)」

 ユウキの全身で筋肉が膨れ、体毛が逆立ち、膨れ上がった体躯を覆う力場の発光も強まる。

 文字通り、神の力を卸すに等しい身体と能力の強化は、しかし負荷も大きく長時間は保たない。まだ現役が勤まるとはいえ

年齢が年齢、体には相当堪える。

「悠長にやってる余裕はねぇ…、ちと手荒に行かして貰うかのぉ!」

 吼えながら死骸を足場に跳躍し、二体目に接近しつつ、ユウキはその両腕を左右に広げる。

「雷鋭爪(らいえいそう)!」

 五指の先から力場で形成された光の爪が伸びた。振り下ろした左腕は怪物の一頭の胴体を輪切りにし、横薙ぎに振るった左

手からは爪が射出され、別の一体の外殻を貫いて食い込んだ上でエネルギーを開放、内部から爆散させる。

「うぉりゃあっ!」

 さらに、手近に居た一体は裂帛の気合を込めた前蹴りを食らわされて顎部が砕け散り、腹を晒して浮き上がったところへ回

し蹴りを叩き込まれ、砲弾のように飛翔して別の一体に命中。そこへ…。

「蒼火天衝!(そうかてんしょう)」

 ドン、と雪面へ平手を落とすユウキ。その掌は雪に沈まず硬い物を打ったような音を立てている。

 直後、雪中を乱反射、伝播して行ったエネルギーが、折り重なった蟹モドキの真下で収束、ただちに力場を成し、間髪入れ

ずに熱崩壊して吹き上がる。立ち昇った直径2メートルほどの光の柱は、怪物の体の飲み込んだ部位を塵に返して消失させる。

これで生じた水蒸気爆発が周囲の尾根に雪崩を誘発し、一帯は不気味な地響きに震えた。

 雪上を舗装路のように移動しつつ、目にも止まらぬ速さで疾走するユウキは、間合いに入った怪物を瞬時に貫き、爆砕し、

引き裂き、粉微塵に分解する。他の技を行使する間も指に灯した雷鋭爪は常時展開させてあり、距離が詰まれば時間のロス無

く瞬殺してのける。

 神卸しを行なっている最中にこれだけのコントロールを完璧にこなせるのは、踏んだ場数と練磨の賜物。

 猛るユウキは鼻面に皺が寄り、唇が捲れ上がり、牙が剥き出しになった野獣の形相。圧倒的な武を躊躇なく、容赦なく、慈

悲なく、加減なく振るう獰猛な獣に、怪物達は瞬く間に蹂躙された。

 鬼神、神代熊鬼が本気で暴れれば、大山一つが容易く消え去る。その暴威を身一つに浴びたならば、いかに太古の世に産ま

れた存在であろうとひとたまりもない。

(「鬼神の如く」ってのは、ホントこれだね…)

 間近でその戦闘を目の当たりにし、フレイアは時と場所も忘れて笑い出しそうになった。

 人知を超えた猛威そのものと言える力。下手に触れれば自分も消し飛ぶだろうソレを見ながら、胸にあるのは恐怖ではなく

頼もしさ。

 怪物達を蹂躙し、咆哮を上げて突き進むユウキの周囲に、一つとして原形をとどめない真珠色の残骸がみるみる積み重なる。

 兵隊たちの半数が倒されると、それまで動きを見せなかったプシュケーが身を起こした。

(さぁてどう出る?闘うか?それとも逃げるか?子を産むまでの猶予があるかどうかで出方が変わるじゃろうが…)

 プシュケーを守るように間に入り、正面から飛び掛かる怪物。その顔面を素手で受け止め、後退もせずに踏み止まったユウ

キは、光の爪を生やした右手でその顔面を握り潰す。そして左手の人差し指をプシュケーの羽に向け…。

「大山貫槍!(たいざんかんそう)」

 人差し指の光の爪が、重ねて発動された力で発光を強める。狂熊覚醒を用いているユウキの膨大な生命エネルギーが瞬時に

一点に集中し、カメラのフラッシュにも似た閃光が指先から発せられた直後、直径3センチほどに細く収束された閃光が虚空

を穿つ。

 ヂュンッ…、と、鉄板に水滴を垂らしたような音を立てて、プシュケーの羽を支える蛇腹状の翅脈に穴が空いた。

「…ィィィィィィンッ…!」

 それが鳴き声だと、最初は判らなかった。

 ガラスの共振の余韻のような、大きくはないが直接鼓膜に響く声。美しくも何処か恐ろしいそれは、悲鳴である。

「ふん!この程度まで絞れば貫けるようじゃな!」

 獰猛に笑ったユウキは、させじと襲い掛かった怪物二体を、

「散華衝!」

 左右の拳にそれぞれ集中させた力場の強烈な一撃で、胴体をまるまる消失させて屠る。

 そして巨熊は、宙に浮きあがったプシュケーを睨んだ。

「…そうかそうか…。なるほど、その気になりよったか…」

 プシュケーは殺気を発している。ユウキを排除すべき危険な敵と認識し、最優先で始末する気になっていた。

 それもそのはず…。

(アレが、「特別な卵」って訳じゃな…)

 ユウキは白く濁る寒気を透かし、プシュケーが蹲っていた場所を確認した。

 雪中が淡く発光している。産み落としたばかりの卵が、プシュケーの手でそこに埋められていた。

 「出産」が早かったのか、産み落とされてすぐに動き出す兵隊とは違い、卵には孵る様子がない。脈動するような光を見れ

ば、誕生がそう先でない事は感じ取れるが…。

(護って闘うか…。上等じゃ)

 願ったり叶ったり。ユウキはプシュケーを見上げ、残りの兵隊がジリジリと間を詰めて来る気配を察知しながら、

「頃合いじゃ!」

 突然、大声を上げて拳を振り上げた。握ったその手を覆う力場を、勢い良く足元に叩きつける。

 ドフゥッ、と風が荒れ狂い、大量の雪が一気に気化して爆発的に拡散する。

 氷粒混じりの濃霧が立ち込める中、ユウキの姿を見失ったプシュケーも、怪物達も、気付いていなかった。

 巨熊の腰には大徳利が無かった。腰に巻いた綱からは、その紐がずっとずっと、越えてきた雪の丘の向こうまで伸びて…。

(よし!)

 大徳利をしっかり抱え、ベルトで自身に固定していたフレイアは、伏せて身を隠していた雪の盛り上がりの陰で、不動策を

グイッと引っ張った。

 合図への返事を受け、ユウキは腰を深く沈めて踏ん張り、愛用の遺物へと、掴んだ手から意思で命ずる。

 戻れ、と。

「どっこい…しょぉおおおおおおおっ!」

 雄叫びと共に策を引く巨熊。不動策が縮む勢いと、神卸しで強制的に引き出した筋力に物を言わせ、大徳利を抱えたフレイ

アを引っ張る。

 加速をつけてユウキに接近するフレイア。

 その視線が一瞬交錯した、策が最短近くまで縮んだそこから、ユウキは両手で掴んだ策をスイングし、射角を微調整し、再

度不動策に命じる。

 伸びよ、と。

 ユウキを中継点に引き込まれ、打ち出される格好になったフレイアは、霧を割いてプシュケーに迫った。

 そして蝶は、真正面からソレと相対する。

 警戒していた巨熊ではなく、か細い雌…。自分をしつこく追って来ていた、死んで大人しくなったはずの女…。死んでいる

はずの者が突然眼前に現れたという認識で、完全に虚を突かれたプシュケーに…、

「大尉からだよ。受け取って頂戴」

 高速接近しながら囁いたフレイアの手には、ロルフの遺品、スタームルガー。

 ダンダンダンダン、と銃声が連続し、産卵を終えたばかりの赤い胸部に命中する。開きっぱなしの産道に鉛玉を撃ち込まれ、

プシュケーが悲鳴を上げた。が、その音の出所であるだろう口部へ、立て続けにブロードソードが叩きつけられた。

 極々普通の金属製で、強度そのものはプシュケーの甲殻より遥かに劣っているが、フレイアの能力「アンブレイカブル」は

その差を帳消しにしていた。

 カツンッ…。

 空に舞ったのは欠けた甲殻。中に口吻が収められたカミキリムシのソレにも似た顎は、鋭い分だけ薄い。その一方が狙いす

ました一撃で破壊され、赤い中身を露出させた。

 そして、プシュケーの胸部上端、頭部との継ぎ目近くに、フレイアとセットになった大徳利が激突する。

 立て続けの打撃でバランスを崩したプシュケーへ、衝突し、跳ね返り、宙へ投げ出された不安定な体勢から、フレイアは銃

を向けた。

「全部あげるよ!遠慮は無しだ!」

 吠えるスタームルガー。残る全弾が剥き出しになった口腔へ叩き込まれ、プシュケーがでたらめに脚を伸ばし、振り回す。

 落下してゆきながら、フレイアは舌打ちした。

 角度が甘かった。頭部のどこかに傷をつけ、そこに銃撃を加え、脳や神経節にあたる中枢部にダメージを与えるのが狙いだっ

たが、致命傷になっていない。深手には違いないが、放っておいて死んでくれるような傷ではない。

「ぐっ!」

 ボフッと雪の上に落ちたフレイアは、慌てて転がり身をかわす。一瞬の差で、彼女が雪に作った窪みをプシュケーの脚の一

本が深く抉った。

 標的も見定めず、痛みに狂ったようにでたらめに足を振り回すプシュケー。必死になって避けるフレイア。

「お嬢ちゃん!」

 怪物の一匹を手刀で叩き割り、ユウキが叫ぶ。

 一発食らったら即死を免れないフレイアがプシュケーを仕留めるには、一瞬で大打撃を与える奇襲攻撃しか無かった。正面

から殴り合えるような相手ではない。

 仕切り直すか?そもそももう一度挑んだとして、フレイアが隙を突ける作戦はあるだろうか?二度目のチャンスにかけるに

は、物資も時間も少なくて…。

「………!」

 ユウキは素早く視線を巡らせた。

 あった。プシュケーに隙を作れるモノが。

「ええい!落ち着きがないっ!」

 雪面をでたらめに穿ってゆく脚を避けながら、フレイアはスタームルガーに銃弾を込め直し、自前の拳銃と二丁で構える。

 ロルフの遺品を無断拝借しただけなので、スタームルガー用の強化弾は一緒に拝借した予備マガジン二つ分しかない。自前

の銃もだいぶ撃ったので、弾丸の残りは僅か。

(負わせた傷の位置が悪い。これだけじゃ全部当てても倒せない…)

 一瞬。一瞬でいい。もう一度接近できれば手はあるが…。

「おーい!」

 その時だった。場違いに呑気な声が響いたのは。

「ここじゃここじゃ!のぉ蝶々さんよぉ!」

 声の出所を見遣り、フレイアは絶句した。

 ユウキが両手を上げて大きく振っている。その足元には…。

(プシュケーの…卵!?)

 プシュケーはフレイアよりも一瞬早く気付いていた。痛みに我を忘れて暴れている内に、守るべき卵から離れてしまってい

た事に。

「忘れ物じゃぞ?蝶々さん」

 ユウキは必要以上に冷酷な男ではないが、逆に言えば、必要であれば何でもやる。どんな非情な事でも。どんな残酷な事で

も。どんな汚い事でも。

 手には抜き所が、情けにはかけ所があるというのが彼の持論。それが必要な事であれば、例え成人していない若人だろうが、

老い先短い老人だろうが、その手で命を毟り取る。

 今さらそのやり方を変える気はない。もし変えてしまったら、これまでにそうして何十も殺めてきた逆神の眷属達に対し、

最低限の礼を失する事になるから。

「いかんなぁ。大事な大事な赤ちゃんから目を離すと…」

 なりふり構わず無我夢中でプシュケーが飛んでくる事を確認した上で、ユウキは脚を振り上げ…、

「こうなる」

 躊躇い無く踏み下ろした。

 ベヂュン…。

 力場を纏った熊の脚に殻を割られた卵は、内部の赤い明滅を一度の閃光で掻き消され、ブジュブジュと、熱を通されて半熟

卵のようになった中身と、まだ細い脚の残骸を溢れさせた。

「…ィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィンッ…!」

 プシュケーが悲鳴を上げる。羽を煽り、卵の残骸へ、卵を潰した男へと急降下し…。

「…ィィィィィ!?」

 その首に、細いワイヤーが巻き付いた。そして胸部に軽い衝撃を感じる。

 大徳利と自分を繋ぐベルトを外し、左手のグローブからワイヤーを射出し、降下するプシュケーに引っかけられるように伸

ばしたフレイアは、引き摺られるように離陸してプシュケーの胴にぶつかった。

 その右手に、漏斗状の金属筒を握ったまま。

 虎の子の吸着型破甲爆雷。初戦で外して四機無くしたが、予備の一機が残っていた。

 フレイアはプシュケーの胸部…産道に、逆手に握ったそれを押し当てる。

 吸着型破甲爆雷はモンロー・ノイマン効果で対象を破壊する。

 そしてフレイアの能力は、対象が彼女の手にあれば発動できる。

 超高速の噴流による破壊を行なう破甲爆雷。その破壊を実行するメタルジェットは無機物の奔流。つまり…、

「アンブレイカブル!」

 彼女の能力、「不破」の作用を受ける。

 プシュケーの背中が熱で真っ赤になって一瞬膨れ、甲殻が弾けて火柱が貫通した。

 胸部を突き破ったメタルジェットで体内から焼かれたプシュケーは、火に落ちた藁くずのように素早く、激しく、でたらめ

にその身をくねらせ、口腔から沸騰した体液と蒸気を吹き散らしながら墜落する。

「お嬢ちゃん!」

 怪物の生き残りを千切っては投げ千切っては投げ、プシュケーが落ちた先へ駆け込んだユウキは、

「………」

 その死骸の下敷きになりながらも、ニンマリ笑ってブイサインを決めるフレイアを見下ろし、目を丸くした。

 結構、やるでしょ?

 フレイアの細められた目がそう語りかけた。

「「命一つを武に込めて、矢尽き刃の折れるまで」…。見事!」

 跪いたユウキは、目を細めて笑い返し、賞賛する。

 満足げに目を細くし、フレイアはそのまま目を閉じた。

「ちっ!」

 舌打ちするなり、長時間の神卸しでガタがきた体を鞭打って、ユウキはプシュケーをひっくり返す。

 プシュケーの下敷きになったものの、フレイアは積もった雪にめり込む恰好。何より、腰の剣は鞘ごと外され、胴体と頭だ

けは潰されないよう、腋に挟む形でつっかえ棒にされていた。それが、フレイアの命をかろうじて繋ぎ止めた。

 捨て身ではあったが、刺し違える気で身を投げ出した訳ではない。フレイアはあのギリギリの状況で、死中に活を見出し、

実行していた。

(まだ助けられる!)

 ユウキは重傷のフレイアを両腕で胸に抱え上げ、残っている怪物も無視して駆け出した。

 殺すのはいつでもできる。そもそも放っておいてもいつかは死ぬ。

 だが、「救える時」というのは限られている。

 ユウキは、必要であれば何でもする。そして、いま必要なのは敵の殲滅ではなく…。

(お嬢ちゃん!もうひと踏ん張りじゃ!くたばっちゃいかんぞ!)

 嵐が止む。

 飛ぶように駆ける巨熊の頭上で、プシュケーの支配力が失せて霧散してゆく雪雲に代わり、久しぶりの青空が顔を覗かせた。