第二十五話 「フレイア・ゴルド(五)」
「ふ~む…。なるほどのぉ…」
ソファーに座って居住まいを正した髭面の若者を前に、ユウキは眉根を寄せて思案しながら顎をさすった。
ここは病院の一室。神将家の手が回った、政府や警察機関にさえ情報が抜けない医院の賓客用応接室である。何かと公にで
きない「仕事」をする機会が多い各神将家は、御役目に関わる勤めに就く時、各地にあるこういった医療機関や宿泊施設を活
用する。医療機関は薬師神家と繋がりがあり、宿泊施設は明神家と関わりがあるので、機密保持は勿論、対象者の安全面でも
信頼性は高い。
プシュケー討伐後、フレイアを保護したユウキが急ぎ下山する中、指示を下された御庭番達により、残りの兵隊の狩り出し
と殲滅、証拠隠滅が行なわれた。
セスルームニルはフレイアの付き添いと連絡役としてユウキへ一名同行させられたが、トシキを頭とした残りのメンバーは、
河祖下、河祖中、河祖上の御庭番頭立ち合いの元、プシュケーの遺骸の確認と運び出しを行なった。プシュケーの首あらため
がセスルームニルのメンバー主体となったのは、彼等の志を汲んだユウキのはからいである。
御庭番達はまだ現場の片づけをしているが、セスルームニルは始末の一区切りがついたところでフレイアが担ぎ込まれた病
院へ移動させられた。プシュケーの死骸の取り扱いなど様々な問題が残っており、話し合いの場も必要だったが、なによりフ
レイアの状態が心配だろうというユウキの配慮も絡んだ処置である。
代表として、ここでユウキとの会談の席についたのは副隊長のトシキだった。
恩人である上に、明らかに一介の調停者ではない御庭番とユウキの立ち位置をある程度察したトシキは、自分達がプシュケー
を追って密入国した身である事を白状した。隠しても状況をこじらせると考えたのもあるが、フレイアと自分達が受けた恩に
鑑みれば、隠し事は信義にもとると感じたので。
一通り説明を受け、プシュケーが北原から渡来したモノである事、公正であるべきノーザンボールでの抜け駆けと足の引っ
張り合いが不幸な事故を起こした事、セスルームニルが犠牲者の仇討ちのため法を犯して密入国していた事などを理解し、彼
らが現在置かれている状況を察したユウキは、
「密入国の方はこっちで何とかしてやろう。なぁに、お前さん達の別働隊が入国審査待ちの状況を取り繕っとる最中なんじゃ
ろう?それが通った時点で後付けでも何でも書面を整える事はできような。入国審査官の方にはこっちで根回しすればいい、
もし露国側からの出国許可が下りんかったとしても、「ここには来とらん」事にしてこっそり海を渡らせてやろう」
不法入国については不問にする方向で手を打つ…どころか、フォローしてやると述べた。寛大を通り越して肩入れが過ぎる
厚遇に、鉄面皮のトシキも流石に呆気にとられる。
「まぁ、密入国それ自体はバレたとしてもさして重罰にならんじゃろうし、別に誰も迷惑せんわい」
神将としてあるまじき軽さでさらりと言い放ったユウキは、「問題はむしろ…」と思案顔になった。
「北原の基地局、関わった政府高官、そして情報開示を渋られた上で侵犯を受けたこっちの政府と…、関係しとるモンがこと
ごとくデカい上に広いのが問題じゃ。「ぷしゅけい」の死骸にそれらが絡むと、下手を打てば国際問題に発展し兼ねんな…」
神話の住人。実在する伝説。そういった類の危険生物は非常に貴重な研究対象となる。例え死体であっても。
現実に、この国では「鵺」と呼ばれる神話の妖獣の体毛が少量ながらも現存しており、それは数百年の時を経ても毛の一本
一本が未だ力を有し、これを編み込んだ衣は熱や電流はおろか、エナジーコート等の現在の科学で完全解明に至っていない現
象にまで耐性を持つ。かつてユウキが戦った隠神の上級眷属や、その頭である隠神刑部などがこの妖獣の毛を織り込んだ衣を
着用していたが、その効果の程はユウキ自身も痛感させられた。
プシュケーもこの例に漏れず、ユウキの力場すら弾く強固な外殻などには、何らかの特殊な力が宿っている事は明白。その
死骸の所有を巡ってどんな諍いが起こるか…、考えただけでげんなりしてしまう。
「それに関しては「責任を取る」覚悟ができております」
トシキは真っ直ぐにユウキを見つめる。いざとなれば自分が独断でプシュケー追撃を強行した事にし、事態を複雑化させな
いために死骸の所在は伏せ、全ての罪を一身に被る心積もりだった。
「それには及ばん。髭なんぞ生やして取り繕っとるが、お前さんもまだまだ若いのぉ。こういった事にはいくらでも遣り様が
あるもんじゃぞ?」
ユウキは苦笑いしてパタパタと手を振った。
「あのお嬢ちゃんは無茶をしよる。お前さんのような「さぽぉと」は今後も必要じゃろう」
反論できないトシキは口を引き結んで押し黙る。
「…表向きは、お主らの介入は無かった事にし、儂らだけで仕留めた事にした方が何かと都合がいいかもしれんな…。それで
も構わんなら話は単純になるが、どうじゃろう?」
しばし考えた後でユウキはそう述べた、フレイア達が拘ったのは自分達の手でプシュケーをどうにかする事であり、討伐し
た実績が欲しい訳ではない。むしろ、トシキから聞いたプシュケー覚醒と脱走の顛末を考えると…。
「それは…、厳密にはリーダーの判断を仰がなければならない事ですが、きっと、嫌とは言わないでしょう」
トシキが応じると、ユウキは腕を組んでグルリと頭を巡らせ、首をコキコキ鳴らした。
「「ぷしゅけい」の死骸がこっちの物になるなら、帝に話の持って行きようもある。交渉材料は儂らの手の中じゃ。どれ…」
ニヤリと悪戯小僧の顔で笑い、ユウキは悪巧みする。
「一つ、掻き回してやるかのぉ…」
一般の患者から隔離された個室で、フレイアは眠っていた。
致命傷は負っていないが、あちこちに打撲があり、体も衰弱して高熱が出ている。しばらくは休養が必要だった。
ベッドサイドに佇み、その寝顔を見下ろすユウキは奇妙な感慨を抱く。
この娘は大物になる、という確信がある。
条件が整っていたとはいえ、曲がりなりにも神話の存在を仕留める手腕と、苛酷な環境を踏破する生命力、そして圧倒的存
在を前にしながら怯まない胆力と強靭な意志。今後が楽しみな闘士だと、心の底から思う。
それに…。
(はぁ~…。惚れたのぉ…)
巨熊はため息をつく。少しばかり切なげな表情で。
自他共に認める好き者であるユウキだが、本気で熱を上げる事はあまりない。それが、子にも等しい年齢差がある娘にすっ
かり入れ込んでしまっていた。
(安心して待っとれお嬢ちゃん。ケツは儂が持つ。なぁに、悪いようにはせん)
額に落ちかかった金色の髪を太い指でそっと撫で上げてやると、ユウキは踵を返し、音もなく病室を後にした。
その四日後…。
北原のノーザンボール内は、夜明けからプシュケー脱出時と同等の大騒ぎとなっていた。
緊張した面持ちで各通路にびっしり並ぶ武装した兵士は、ハンターではなく各国の軍に所属する者。特に厳戒態勢が敷かれ
た基地の中枢は、選りすぐりの強兵で固められている。
「ウォーマイスターだと!?聞いていないぞ!」
ヒステリックに喚くブラウンヘアーの男は、スーツの襟を整えながら足早に通路を行く。要所に立つ兵士の目を気にしてい
る余裕すらない。
「「入国」許可はどうした!?どの国の領土でないといっても、ユニバーサルステージクラスが入るには北原でも許可は必要
だろうが!?」
「本日午前0時をもって降りていたそうで…」
斜め後ろにつく軍服姿の男が小声で答える。
ユニバーサルステージ…戦略兵器級能力者とも呼ばれる者達は、国家間の移動に多くの制約がある。所属する国家の出国承
認は勿論、入国側の審査も厳しい。明確な入国理由と分単位の滞在スケジュール、その時間毎の滞在場所の提出が必要で、基
本的には滞在中はその国の政府が用意した監視者の同行が義務付けられる。
どの国の領土でもないこの北原においては少々決まりが異なり、同盟に所属する国家の内、最低でも三国の承認が必要とな
るのだが…。
「到着がスムーズ過ぎる!境界ギリギリで待機していたのか?前々から計画していたとしか…」
茶髪の男は口をつぐんだ。その視線の先、行く手で交わる通路の右から慌てた様子で歩いて来たのは、バーコード頭のアジ
ア人…ベースに駐留する日本国の責任者である。
「どういう事ですかな!?」
茶髪の欧米人が挨拶も抜きに大声で怒鳴り、軍人を従えたアジア人をビクつかせた。
「どんな意図でウォーマイスターを召喚したのです!?しかも緊急会合などと…」
詰め寄って唾を飛ばしながら怒鳴る男に、バーコード頭は「そ、それが私にも…」と冷や汗を流しながら弁明した。
「私が呼んだ訳ではありません。本国からも何の連絡も受けておらず、今しがた知ったばかりで…」
「何ですと?」
茶髪の男は目を剥いた。嘘を言っているようには見えない。バーコード頭は脂汗でじっとり湿り、男はハンカチでこまめに
顔を拭っていた。
そのままふたりはそれぞれのガードを伴い、基地中枢にある議場の扉を潜った。
国会が開けるほどの広いドーム型会議場は、いざという時はこの基地で最も強固なシェルターにもなる。その性格上、出入
り口は正面の大扉と、最奥の非常脱出口のみ。
そこへ一歩踏み込んだ瞬間、茶髪の男はビクリと身を震わせて立ち止まった。
議場の最上段、議長がつく席の机の上に尻を据え、冗談のように大柄な男が片膝立てて半胡坐をかいていた。
立てた右膝の上に右腕を寝せて置き、左腕はやや後方について体を支えている。ふてぶてしい態度の巨漢の双眸は、じっと、
議場に入った茶髪の男達を見つめていた。
先に入っていた各国の責任者は、大人しくそれぞれの席についていたが、全ての国の担当者が呼ばれている訳ではない。小
国の担当者は殆ど居ないが、英、独、伊など、主要国の担当者も何名か欠けていた。
議場に居る誰一人として、巨熊の無礼な態度を咎められず、目を合わせる事を避けて視線を伏せ、注意を引いてしまう事を
恐れて一言も発さない。
咳払いすらない、皆が息を潜めた議場は、異様な静けさに包まれている。
事前連絡もなく訪れた上に早朝から自分達を呼び出したその非礼を咎めるつもりでいた茶髪の男は、つまらなそうな顔をし
ている巨熊の視線を浴びるなり、考えを改めた。
本能的に理解できた。その巨漢の前では、肩書きも立場も権力も無意味であると。
やる気の無さそうなその態度とは裏腹に、議場は巨漢が放つプレッシャーで満ちている。距離があってなお威圧され、息が
苦しくなった。
動転し、自分の席を見失った茶髪の男は、視線を巡らせてから再びビクンと身を竦ませる。
彼が潜ったばかりの大扉のすぐ横では、壁に背を預け、大柄な犬獣人が気配もなく控えていた。
身の丈2メートルはあろうかという大男で、分厚い体躯の肥満体。被毛は茶と白のツートーン。目元と鼻は黒く、耳は垂れ、
牧歌的な見た目をしている。
巨漢のセントバーナードは成人したか否かという年頃に見える若者だが、表の世界でも裏の社会でも、それぞれ別の顔で有
名人。
ハーキュリー・バーナーズ。
英国のユニバーサルステージクラス。「王室」に遣える十席目の「サー」。立場としては英国における神将のようなもので
ある。目覚めたプシュケーを迎え撃つ再戦において、フレイア達が対象を行動不能にまで追い込めたのは、彼の助力による所
が大きい。
「さっさと行きな。いつまで待たせる気だ?こっちも暇じゃねぇんだよ」
セントバーナードは他国の高官相手にぞんざいな態度と口調で顎をしゃくった。声にも態度にもブラウンの瞳にも好意的な
物は欠片も見られない。
ビクビクと歩き出した茶髪の男に続いて議場に入ったバーコードの男は…。
「おい。お主はソコじゃ」
ユウキから声をかけられ、飛び上がるほど驚いた。
蒼白な顔がダラダラと冷や汗で湿る。ユウキが示したのは、議長席の目の前にある証言台だった。
かくして、基地に駐留している高官を一同に集まった。
「さて…、まずは勘違いされんように言っておくが…」
ユウキは議長席にふんぞり返ったままぐるりと一同を睥睨し、おもむろに口を開いた。
「自分達はオエライさんじゃから大丈夫、とは思わん事じゃ。今からここを退出するまで、嘘偽りを口にすれば殺す。抵抗し
ても殺す。黙秘も一切許さん」
ユウキの言葉を各国の通訳が各々青ざめながら訳すと、流石に会場はどよめきに覆われた。が…。
バヂッ!
全員の席で、一斉にテーブルが異様な音を立てた。
不自然に細かく振動するなり亀裂が入った机から、ギョッとして身を引き、熱い物にでも触れたように手を離す一同へ、
「静かにしやがれ」
出入り口を固めたセントバーナードが、ドスの利いた声で告げる。さして大きな声でもないのだが、全員がその声を耳元で
聞いたような気がした。
「勘違いしてんじゃあねぇぞ?コイツは楽しいお話し合いでもお洒落な御茶会でも真面目な会議でも建設的なミーティングで
もねぇ。異端審問みてぇなモンだ」
一同が凍りつく。自分達がセントバーナードの能力の射程に入っている事を悟って。
実は、この議場に呼ばれた者達は、プシュケー脱走後からセントバーナードが部下を使って内定を進め、黒から灰色と判断
された面子。大なり小なり利権争いに興じて不正を働いたり、その疑いがある行為を認められた者だけが集められていた。
「では、本題に入るか」
そしてユウキは話し始めた。
プシュケーが放たれたおかげで、ろくな情報も得られなかったこちらの本国は酷い迷惑を被った。一連の事件の真相究明と
正確な報告を求む。万が一、納得のできる回答が得られなければ、先に言った通り、こちらにも考えがある…。
乱暴なやり方ではあったが、居座ったユウキの恫喝は効果覿面だった。その場に居た全員がセントバーナードに首根っこを
掴まれているような状況なので、心理的な駆け引きもできた物ではない。自分の命をチップにしてユニバーサルステージを出
し抜こうなどという胆力のある者はひとりも居なかった。
矢面に立たされた日本の高官は寿命を大きく削られた。
ベース内で他国の高官と何らかの取引があったのだろう、本国への報告を怠った点を糾弾され、しどろもどろに、しかし洗
いざらい回答した末…。
「背任…と取っても構わんな?」
ユウキの怒りを買い、射抜くような眼光で睨まれ、その場でガタガタ震えながら失禁した。
更迭は免れない。それどころか、持ち得る全てを手放すようなレベルで「責任を取らされる」事になるだろう。
見せしめとして自国の者の運命を判り易く示唆した後、ユウキは小一時間かけて各国の担当者に恫喝混じりの探りを入れた
後、一方的に解散を言い渡した。
それぞれの国には既に打診し、詳細な監査とその報告を求めてある。近日中に大規模な手入れと火消し、人員整理が始まる
だろう。
全員が逃げるように退出した議場で、「どっこいしょ」と議長席から降りたユウキは、議場の中央をのっしのっしと歩き抜
け、入り口脇で壁に寄りかかっているセントバーナードと、いつの間にかその横に現れていた若い人間の青年に話しかける。
「手間ぁ取らせたのぉ、ハーク」
「まったくだぜ、寝不足だよおっちゃん」
笑いかけたユウキに応じたセントバーナードは口を尖らせ、通訳である青年秘書官…彼につけられたイタリア軍人の監視官
を通して抗議したが、心底不快という訳ではなく、親しみの篭ったムクれ方である。
今年、古傷がもとでついに引退し、息子に役目を譲った先代のバーナーズは、かつてユウキと共同で仕事をした事が幾度か
あった。お互いの立場が立場なのでそう何度も顔を合わせられてはいないが、年始の便りを欠かさない間柄。なお、ユウキの
発音が怪しい横文字単語類は、ハークの父親のネイティブな英語を聞いた際に口説きのテクニックに活用できると考え、形だ
け真似たものである。
旧友の倅がたまたまベースに駐屯していたのはユウキにとって幸運だった。
ユウキは主君である帝へプシュケーの死骸を献上して事情を説明すると共に、許可を得て北原上陸の手配を進める傍ら、旧
友に掛け合って現地で助力して貰えるように頼んでおいた。渡りに船とはこの事で、若いセントバーナードも度重なるベース
の不手際に不信感を覚え、部下に命じて証拠固めを進めていた。
そうしてふたりは顔を合わせる前から申し合わせ、この「威嚇と恫喝」を行なった。
とはいえ、ハークとユウキが直接会うのは今日が初めてである。電話で話もしていたし、間接的に人柄を知ってはいたが、
上手く事が運んだのは性格が少々似ているからでもあった。
ハークの父は絵に描いたような英国紳士で、礼儀正しく冷静で寛容、公明正大。教育を誤ったわけでは無いのだが、息子は
父とは違って快活であり奔放であり、やや血の気が多い。
ただし、そこには若さ故の物も多分に含まれる。ハークはまだ成人しておらず、表向きは学生ラグビーの花形プレーヤー。
血気盛んなところにも、青臭いほど仲間との繋がりや義理を大事にするところにも、クラブで培った価値観が少なからず影響
している。
「これで、ロルフも少しは浮かばれるかもな…」
目を伏せたハークが呟いた。
「ロルフは優秀だったし、何つっても「いい奴」だった。あのひとが逝っちまったのはドイツだけの損失じゃねぇ、北原の大
きな痛手だ」
「お嬢ちゃんも慕っとる様子じゃったが、よほどの人格者だったんじゃろうな」
一度会ってみたかった、と顎を引いたユウキは、「さて、こっちも退散するかの。帰りの雪上車が準備できるまで暇潰しせ
んとな」と首を回す。
「ならおれんトコに来いよ。独りじゃ無駄になるほど茶も菓子もあるし、侍従用控室のベッドまで贅沢品だ。せっかく会った
んだ、色々話を聞かせてくれよ。親父と仕事した時のとか、さ」
ニマッと歳相応の笑みを見せたハークに、ユウキは笑みを返した。
「ジョイスには来日した時に美味いと言っとった酒を送る。おめぇさんからもよろしく言っておいてくれんか」
「おれには何かくれねぇのかおっちゃん?」
「肉が好きなんじゃったな?」
「おう。大好物」
「よぉし!なら一級品の米沢牛をたっぷり送ってやろう!」
「わっはっはっはっ!楽しみにしとくぜ!…あー、日本語だと…、「アリガトウゴザイマス」だったな!」
一仕事終えて、厳戒態勢が続く兵士達が並ぶ通路を歩きながら、大男達は通訳を挟んで談笑した。
そして、一週間が過ぎ…。
「親父殿がまたやらかしたらしい」
鍛錬後の湯浴みで体を休め、湯に浸かりながら若熊が言うと、
「でも、丸くお収めになられたのでしょう?」
秋田犬が口元をほんのり笑み崩して応じる。
「…まあな…。ゴルド殿やヤマガタ殿のお立場は安泰だべ」
幼馴染の表情を見て、ユウヒも常々厳しい顔をほんの少しだけ和らげた。
ユウキが北原に乗り込んで事態にかたをつける間、セスルームニル隊員達はここ河祖下村へかくまわれていた。ヤクモとユ
ウヒも他の御庭番と交代で世話を焼き、物資を届けたり情報を提供したりと足を運ぶ傍ら、隊員達と交流を深めている。
フレイアが退院するまで動きようもない隊員達は、神代家の好意で山菜取りや沢釣り、川原でのバーベキューや芋煮など、
日本の田舎を感じられる休日を体験し、それを通して御庭番達と仲良くなった。
腕利き揃いでプロ意識も高いセスルームニルは全員が兵としての質も高く、気難しいユウヒもその姿勢や価値観などが気に
入ったようで、特に髭の副隊長とは実戦行動での動き方や、追跡手順、隠密行動など、実務的な話を何時間も延々と議論する
間柄になっていた。
数日前に出入国許可のいざこざもやっと片付き、セスルームニルの入国目的は「観光」となっている。実際のところ事件は
既に片付いているので、もう観光以外にこの国でやるべき事は残っておらず、ある意味嘘ではない。
入院治療を受けていたフレイアの元へは、入国許可が出るまで大っぴらに動けなかった隊員達に代わって、ヤクモがちょく
ちょく様子を見に行っていた。ユウキが豪の者と褒めるのでどんなゴリラかと思いきや、普通に華奢な女性の体格で、しかも
映画に出てくるような美人だったので、初めて会った時はかなり驚いた。少し年上の若い女性リーダーというだけで物珍しかっ
たが、ボーイッシュでサバサバしていてカラカラとよく笑い、愛嬌もあるフレイアには、若い女性が苦手なヤクモも好印象を
持っている。
元々鍛えられて丈夫な体だった事も幸いしたフレイアは、傷もすっかり良くなったので、明日の検査で異常が見つからなけ
れば二、三日中で退院できる見込みである。
動けるようになったらまずはドイツへ、ロルフの上官であるリッター達に、そして家族に会いにゆく…。彼女はそう言って
いる。彼の銃を返しにゆき、彼が立派な騎士であった事を、ロルフが愛した妻と子に伝えなければいけない、と。
現在のところ全ての予定はフレイア待ち。彼女の退院が決まり次第、セスルームニルとユウキ、案内の御庭番数名が病院へ
出向いて拾い、そのまま出国のために移動する段取りとなっていた。
「…もうすぐ、行ってしまわれるんですね…」
フレイアにも一度は河祖下村に来て欲しかったと、寂しそうに耳を寝せて尻尾を垂らすヤクモに、ユウヒは言った。
「生きてりゃまだ会える。…それに、案外まだ日本さ来っかもしんねぇど」
この時、そう気休めに過ぎない事を気楽に言ったユウヒは考えもしなかった。
自分が言った事が本当になる上に、もうひと騒動起こる事までは…。
「楽しかったよ、オンセンリョカンとデワサンザン観光!」
ホテルの一室で無邪気に笑ったフレイアに、「そうかそうか」とユウキは満足げに頷いた。
そこは明神の系列にある、設備的にも極々普通の観光ホテルである。セスルームニルのメンバー達や、護衛兼世話役として
同行している数名の御庭番達はそれぞれふたり部屋におさまっているが、フレイアとユウキにはそれぞれシングルルームが割り当てられている。
夜もふけた二十二時、食事も終えてくつろぐ面々は、思い思いにゆったり時を送っていたが、フレイアはユウキの部屋を訪
れて、世話になった様々な事への感謝を伝えていた。
ユウキは体が大き過ぎて備え付けの椅子が窮屈なためベッドに腰掛けており、椅子にはフレイアが座っている。小さな丸テー
ブルには持ち込んだ酒瓶とホテルのグラス、そして肴の炙りスルメと、ユウキの晩酌セットが並んでいた。
出国準備も整ったフレイア達は、この二日間でドイツへ向かうために南下しながら日本海側の港へと移動した。一応書面上
はロシアから海路で入国した事になっているので、そのまま戻るように装い、フェリーで海を渡る形を取る。
一応の入国理由であるところの「観光」を移動ルート上で強引に済ませる事になったが、フレイアも仲間達も美しい景観と
周辺散策、そして温泉旅館の会席料理をしっかり楽しんだ。
トシキにとっては久々の祖国。メンバーを案内しつつ日本語が判らない大半のメンバーの通訳もこなし、忙しそうに見えて
もそれなりに楽しんでいた。
だが、それも今日で終わり。明日の夕刻にはこの国を出る事となる。
「何から何までお世話になっちゃったね、ユウキ様…」
治療を受けている間に、フレイアはユウキがこの国の最大戦力枠たる神将…国際的には「ウォーマイスター」と称される戦
略兵器級能力者である事を知った。
知らなかったとはいえ馴れ馴れしくし過ぎたと慌て、態度を改めようとしたフレイアだったが…、
「様付けはよしてくれ。隊員の前でもなし、「ふれんどりい」に「おじさん」で構わんぞ?」
ユウキはこれまで通りに呼んでくれと笑って述べている。
茶目っ気を覗かせて不器用にウインクした巨熊は、「礼なんぞもう間に合っとる。それよりお嬢ちゃんも一杯どうじゃ?」
と、中身が三分の一ほど減った酒瓶を上げて見せた。
「ん…。今はやめとく」
軽く首を振ったフレイアに冷蔵庫のミネラルウォーターを取り出して勧めたユウキは、「それで、考え付いたかい?」と訊
ねた。
「…ん…」
何を?とは問わず、フレイアはその視線をミネラルウォーターのボトルを握った手元へ下げる。
プシュケー討伐が無事に達成できたら、祝いに何か一つ願いを聞いてやる。
大物へ挑む直前、ユウキはフレイアにそう言った。やる気を出させるためでもあったが、方便ではない。フレイアは贅沢を
言えるだけの偉業を達成したのである。
そもそも、北原のベース内の不正などをひっくるめて問題を収めるため、プシュケーは神代一派が討ち取ったという事にし
てある。神代家の株は上がったが、フレイアの快挙は表に出ないのだから、埋め合わせに自分へどんな事をねだってもバチは
当たらないぞと、ユウキは繰り返し彼女へ言っていた。
しかし、セスルームニルにはもう望む事が無い。
単独では難しかったプシュケー討伐に強力な力添えをしてくれた。縄張りを侵すに等しい行為をした自分達を不問にした上
で、事情を汲んで手厚く保護してくれた。
度を越した厚遇に加え、ベースへの働きかけや、事後の出国に関わる手回し…。これ以上何も貰えないというのが正直な気
持ちである。
だが、フレイアは、フレイア・ゴルド個人は、ほんの少しだけ欲が出た。
それを口にするべきか否か、彼女はいま葛藤している。
ミネラルウォーターの封を開け、少し口に含み、フレイアはユウキに訊ねた。
「おじさんは、どんな女の子が好み?」
「うん?」
ニコニコしながら聞き返したユウキは、
(そうじゃのぉ、めんけぇ女子ならみんな好きじゃが…、っと、これは好感度が下がる回答じゃな。そうそう、こんな時は「
君のような女性だよ」とか洋画劇場の映画でいつだったかやっとったな…。よしコレじゃ!)
頭をフル回転させて遠い記憶の殺し文句を引っ張り出し…。
「私みたいなのは、好みと違う?」
「そうじゃな、キミノヨーナジョセーガー…」
良い声を作ろうとしてどうしくじったのか上ずった声での棒読みになり…。
「……………………………へ…?」
かなり間を空けてから、目を丸くして素っ頓狂な声を漏らした。
俯いたフレイアは落ち着きなくボトルを弄りながら、「あ、あのね…」と、消え入りそうな声で呟く。
「私…、おじさんの事…、好きになっちゃった…かも…」
セスルームニル隊長、フレイア・ゴルド。
二十一歳にして出会った初恋の相手は、神将、神代熊鬼だった。