第四話 「神座狐畔」
「本家筋ではない、眷属のようですが…、神代の血統に連なるだけの事はありますね。二人の衝撃咆吼を左右から同時に受け
てもまだ立てるとは…」
感心しているような狐の呟きを耳にし、彼配下の御庭番であるトド二頭が、黒熊を挟んだ立ち位置のまま顔を見合わせる。
黒熊はもはやトド二人には視線を向けず、目前の狐に意識を集中していた。
その外見的特徴と、御庭番達との間から窺える立場で確信できた。この男が、神将、神座(さくら)家の当主であるという
事を。
仕留められれば大金星。隠れ里を襲う危機の一角を切り崩せる。ならば刺し違えても満足。
黒熊は右腕を胸の前に上げ、意識を集中する。
高密度の力場が生み出す瞬間的な高温は、力場に守られた本人には影響を及ぼさないものの、鉄板だろうと豆腐のように突
き破る。例え操光術の使い手だろうと、よほどの腕が無ければ防御もままならないはずだった。
「そう、どっちも真面目にやったんですよね。相手が頑丈過ぎただけで。…ですが…」
一度言葉を切った狐は、立ち上がった黒熊の目を見つめ、彼が腕を振り上げて、いよいよ燐光を灯すのを確認し、
「…?」
何もしなかった。ただ相手の目を見つめる事を除けば。
だが、黒熊は動きを止めていた。異質な感触に気を取られて。
じっと見つめて来る狐の目。まるでそこから見えない何かが発されて、自分の目を通して内面を探るような感覚…。
何らかの能力による攻撃が始まっている。
黒熊がそう察したその時には、何もかも手遅れだった。
「―――」
狐が何事かを呟いた。周囲の誰にも聞こえない、黒熊だけに聞こえる声で。
その直後、黒熊の目が虚ろになり、顔から敵対心が消える。
そして、ぼんやりとした表情になった黒熊は、燐光を灯した腕を自らの胸に突き込んだ。
ボシュッと音がして、手が接触した部分に背中まで達する風穴が開くと、黒熊は膝から崩れ落ち、俯せに倒れる。
狐は黒熊の死体に会釈しつつ黙祷を捧げる。一気に燃焼させられて塵になったせいで、熊の胸から背へ空いた大穴からは、
焦げ臭さすらほとんどしない。
「どうもコハンさん。助かりましたわぁ」
アクゴロウの声に振り向き、神座狐畔(さくらこはん)は柔和に笑む。花が咲いたようとはこの事かと、一瞬その艶やかな
笑みに見とれたアクゴロウは、コハンの姿を改めて眺め回した。
(相変らずお綺麗やなぁ〜…)
コハンはアクゴロウから見れば最も歳近い当主である。おまけに自分達と同じく直接戦闘を不得手とする神座家には出稽古
でお邪魔する事も多かったので、少し年が離れた兄のように慕っている。
ほっそりした体躯を羽織袴で覆う狐は、三十路半ばとなった今でも若々しく、美しい中性的な顔立ちで、服装を変えれば女
に化けられそうな気がした。
腕っ節が強そうには見えない。はたかれれば折れてしまいそうな花にも見えるが、しかしそれでもコハンは神座家の当主。
確認されている限りは世界でただ一つの、禁術言魂師(きんじゅつげんごんし)の血筋なのである。
その力は見ての通り。アクゴロウが知らないだけで複雑な制約が多数あり、いつでも誰にでも簡単に行使できる訳ではない
らしいが、条件が整って対象に一言吹き込めば、それだけで強制的に行動させる。
暗示や催眠術の類とも少し違う。それよりも遙かに強制力が強い禁術言魂は、たった今見せたように、相手に自死を強いる
事すら可能だった。
「悪太郎(あくたろう)様が太鼓判を押して送り出すのも納得です。腕を上げましたねアクゴロウ君。それに、お父上を思い
起こさせる機転の良さです。もう子供扱いなんてできませんね」
コハンの言葉で喜び、アクゴロウは狸特有の先太りした尻尾をもそもそと左右に揺らした。
この奇襲へのカウンターは、アクゴロウの発案だった。
アクゴロウは注連縄を突破後、合流して来た神座家当主とその御庭番達を幻術により見えなくした。さらに自分達一行の半
数以上を注連縄沿いに移動させて味方へ情報伝達し、幻の兵を作って陣容を水増しし、外周を囲ませた。
これにより奇襲で先手を取られてもなお相手を欺き、さらには至近距離からの痛烈な反撃を可能とする布陣を整えた。
直接戦えば自分達がさほど強くない事を熟知しているからこそ、神ン野家は代々頭を捻り、直接戦闘での決め手の無さを知
恵と工夫で補う、絡め手と援護を得意とする神将として進歩して来た。その姿勢はアクゴロウにも受け継がれている。
「さて…」
コハンは襲撃者を圧倒している味方達を見回し、もうじきかたがつくと判断しつつ口を開いた。
「この多勢が繰り出された状況を見るに、裏帝の隠れ里は目と鼻の先でしょう。気を引き締めてかかりますよ?」
「合点ですわぁ!」
コハンに応じたアクゴロウは、魔王槌を抱くようにしてギュッと柄を握り締め、打てば響くような返事をした。
金色の鬣が揺れる。突風に煽られて。
首を傾けて飛び蹴りを避けた獅子は、後方へ素早く向き直りつつ腕を振り上げたかと思えば、振り向く動作にあわせて上か
ら被せるように右拳を振り下ろす。
「雷音破!」
打ち下ろしの拳から放たれた西瓜ほどもある光弾は、地面すれすれで軌道を変え、地を這うように突き進む。着地したばか
りの対象…青毛の狼めがけて。
しかし獅子が技を放ったその瞬間、左右から青みが濃い灰色の被毛を纏う二人の若い狼が跳びかかっている。一見すれば腕
を振り抜いた姿勢で、動きようもなく見えた獅子は、
「尖雷陣!(せんらいじん)」
脇腹に引き付けた格好になっていた左腕に燐光を灯すなり、握り込んだ拳を天へ突き上げる。すると、左拳が帯びていた光
が、獅子の全身に浴びせかけられるように降り注いだ。
拳を先端に頂く円錐型の小規模防御陣。獅子を覆う光の領域に触れた途端に、跳びかかった狼達が勢いをそのまま反射され
たように弾き返された。
それぞれが拳と足に纏っていた力場は霧散し、被毛は瞬時に蒸発し、肉は炭化させられている。
この時、光弾に迫られた青毛の狼は、大きく横へ跳躍して逃れようとしたが、獅子が右腕をぶんっと水平に振るうと、光弾
は軌道を修正し、狼を追尾する。
思念波干渉による任意遠隔操作…、操光術の高等技術である。
光弾に迫られた狼が両手を前に出し、燐光を灯して受け止めようとしたその時、
「包囲、爆散!」
獅子が光の陣の中で吠えると、狼を追尾していた光弾が直径10メートル程に拡大してそれを飲み込み、直後に爆ぜた。
球状に固定された範囲内で広がった金色の閃光と大気が震動する衝撃は、放たれた雷音破が、他者の物とは段違いのエネル
ギー密度だった事を如実に物語っていた。
目を焼くような光が収まると、そこにはもう何も残っていない。力場に捕らえられ、限定範囲内で荒れ狂った高密度エネル
ギーに蹂躙された狼は、防御のために纏った力場ごと一瞬で分解され、消散してしまっている。
獅子は防御陣を解き、すっと腕を下ろして棒立ちの姿勢になる。しかし右足はやや後ろに引かれて爪先が斜め右を向き、左
足は僅かに前に出ており、脱力した様子ではあるが、獅子独特の構えになっている。
この男こそが、当代最強の神将と目される鳴神家当主。シーサー、鳴神雷電(なるかみらいでん)。
五十代が見えて来た今でもなお、全神将…、ひいては国内で最強最高の実力者として君臨する金色の獅子。
背丈は190と少し。歳を感じさせない筋肉質な体躯で、ごつごつと筋肉が盛り上がった、頑強な天然石を思わせる体付き
をしている。
鬣も被毛も黄金を溶かし混んだような鮮やかな金色で、纏う漆黒の胴着に映える。
静かに構えを取ったその身からは、その場に留まっているだけで猛烈なプレッシャーが放射されていた。
それを包囲するは半数を失い七名に減った狼。
彼らは逆神の一派、神無(かんな)の眷属に当たる若い衆なのだが、同じく操光術を扱う者でも、獅子とは天地の如き開き
があり、まるで歯が立たない。
攻めても攻撃は通らず、逆に突き入れた四肢を力場ごと失う。守れば薄紙のように力場を破られ、一方的に滅される。
それでも狼達は退かず、木々が切れて視界がひらけ、隠れ里が遠く見えるその広場で、ライデン相手に決死の攻撃を仕掛け
ていた。
彼らの後方には隠れ里が、裏帝が座する社がある。絶対に退けない線がこの広場だった。
「退けとは言わぬ」
ライデンは告げる。狼達を睨み回して。
「汝らが望むは、不名誉な生より誉れある死であろう」
返答は無い。だが、狼達はその言葉を当然の物と受け止めている。
「ならばこのライデン、見事散らして押し通るのみ!」
獅子が吠える。目映い金色の力場を纏い、大きく一歩踏み出して。
この時点で隠れ里は、ほぼ完全に包囲されていた。
戦列は注連縄を越え、妨害を排除しつつも被害は殆ど出ていない。
事は優勢に進んでいる。各神将家の御庭番や帝の近衛が伝令として動く中、部隊毎の戦況と包囲網の前進具合が周知され、
帝勢は全てがそう考えていた。
ただ一つ、大神(おおがみ)家一行が勢いを駆って突出し過ぎたのか、進撃想定位置に居なかった為、確認が遅れていたが、
「突っ走るのが大神じゃ。足踏みしとって何の餓狼か」
報せを持ってきた伝令に、ユウキは呵々大笑してそのように応じ、特に不安も疑問も覚えなかった。
「神将復帰からまだ二代、しかも相手方には宿敵の神無(かんな)とその眷属がおる。血気に逸るのも無理はなかろうよ」
神代と同じく、かつて身内から逆神を出した大神家は、今回の戦にかける意気込みが他家とは比較にならない。現当主は勿
論、その妻とまだ十六になったばかりの長男、さらに既に隠居していた先代当主まで戦に赴いている。
流石にまだ六つの次男坊は置いて来たが、屋敷にすら最低限の守りを残すのみで、御庭番もほぼ総出という総力出陣である。
「儂らも儂らで気張ってゆくぞぉ?大物はまだまだ残っとるからなぁ!」
ニヤリと笑い、先陣を切って歩みを進めるユウキと、力強く頷き、それに付き従う御庭番達。
だが、この時はまだ誰も気付いていなかった。
突出した大神一派が、何と遭遇し、どんな状態になっているのかという事には…。
「囲め!被害を怖れるな!全力で潰さねば被害は大きくなる一方だぞ!」
青みがかった銀毛の狼が配下を叱咤する。
周囲には二十を超える遺体が転がっている。が、その一つとして原形を留めている物は無かった。
頭を失い、鳩尾の辺りまでが抉られたようにU字型に消失している、おそらくは猫だったのだろう死体。
腹部を失い、胸から上と腰から下に分断されている犬の死体。
右肩から左脇腹までが幅30センチ程で帯状に消え失せ、袈裟に分断されたような形で事切れている牛の死体。
いずれも傷口から血は流れていない。まるで焼かれたように断面が滑らかだった。さらには、失われている部分が何処にも
見当たらず、白い粉のような物が周囲に薄く散っている。
遭遇からたったの30秒。御庭番が相手に襲い掛かってから僅か20秒。それが残らず返り討ちにされてから16秒しか経っ
ていない。
初動から4秒。ただそれだけで、戦力の二割近くが失われていた。たった一人の男の手に掛かって。
怪物。
そんな単語が大神家当主、大神狼牙(おおがみろうが)の脳裏を過ぎる。
「ロウガ様。あれは…」
当主の右隣に立つ白狼…妻の言葉にロウガは頷く。そして、その左隣に立つ鈍色の老いた狼が、その言葉に応じた。
「あの外見…、あの力、…間違いなく神代の血を濃く引いておる…。あれは、「当主」だ」
互いをフォローし合うよう三角形に密集した三名と、包囲するよう展開した御庭番達の視線が注がれているのは、一瞬の殺
戮の後、巨木のように静かに佇み動かなくなった大熊。
眷属ではない。その熊は神将と同じく、始祖の血を色濃く継いだ逆神の当主だった。
身の丈は2メートルを大きく超えている。大兵肥満、圧倒されそうな巨体だが、向き合っていてもなお気配が薄く、目を閉
じればそこに居るのかどうかすら判らなくなりそうだった。
胸は厚く、胴回りは大きく、腰もどっしりと太い、酒樽のような胴体。
首が無いように見えるほど盛り上がる、発達した肩の筋肉。
脱力し、ぶらりと体の両脇に垂らしてある両腕は丸太のようで、手首までがっしりと太い。
太腿は鍛え抜いた男性の胸囲程もあり、その巨体をしっかりと支えている。
焦げ茶色の、森の闇に溶け込みそうな色合いの被毛。その上に纏うのは、袖のない、肩で落とされた胴衣と、くるぶしまで
の下履き。履き物は無く、素足で地を踏んでいる。
厳めしい顔付きだが、表情が無い。戦場にあってもなおその目には闘志も殺意もまるで感じられなかった。
その大熊は無表情に、自分を包囲する御庭番達にも特に視線を向ける事なく、ロウガを静かに見つめていた。
余裕…、ではない。その佇まいからは、余裕も、緊張も、闘志も、敵対心も感じられない。
それが、なお不気味だった。
「父上…」
不安を感じたのか、両親と祖父の後ろに控えた若い銀狼がロウガに呼びかける。
「憶するな琢狼(たくろう)。我らは大神、何者にも負けはせぬ!」
力強く言葉を発して息子を励まし、ロウガは一歩前に出る。
「全力で潰す!…餓狼咆吼…!」
身を低くし、背を丸めるように身構えたロウガの全身が燐光に包まれ、体の奥底から沸き上がる力で全身の細胞が歓喜する。
それは、神卸しと呼ばれる秘技中の秘技。ひとの限界を一時的に越え、神がその身に降りたかのような力を得る術。
獣人である事を要求される禁圧解除のさらに先の段階とされるそれは、使用者の性質により作用も異なる。
筋力が増す。感覚が鋭くなる。反応速度が上がる。快復力が高まる。そのように全体的な能力底上げが行われる神卸しは、
発動者によっては特殊能力の作用まで高める効果まで発揮する。
この術を完全に会得できる者は極々希であり、現在国内で確認できる使用者は僅か20名にも満たない。しかもその全てが
神将の血に連なる者だった。
各神将家の当主を名乗るにはこの技術の会得が条件となっており、この段階に至らなかったが故に、家長であっても当主を
名乗れなかった者も存在する。
だが、大神家は初代より現在まで、一人たりともこの術を会得できなかった家長は居なかった。
血筋がそうさせるのか、極めて親和性が高いようで、誰もが二十歳前後で完全制御に成功する。
ロウガもまた例外ではなく、成人直前には会得していた。
「…餓狼咆吼…!」
先代当主である老いた狼もまた神卸しを使用した。
大神家の神卸しの特長は、その持久力にある。
基本的に短時間しか持たず、者によっては数秒で肉体が負荷に耐えられなくなるのが神卸しなのだが、彼ら大神は軒並み十
数分の維持が可能だった。それは二つの事柄が原因となっている。
一つは、筋力増大がやや控えめな上に快復力の増強が大きく、結果として肉体に掛かる負荷が比較的少ない事。
もう一つは、神卸しをおこなった彼らは、光操術で発散したエネルギーを再吸収、及び周囲の空間から僅かずつながら熱や
光を吸収し、自動的に消耗を補填する体質に切り替わる事。
この二点により、瞬間出力の倍率でこそ平均を下回るものの、その代わりに神卸しを行ったまま驚異的とも言える長時間の
活動が可能なのである。
「ゆくぞ!」
ロウガが咆え、先陣を切って突進しようとしたその時、
「!?」
悪寒を覚えたロウガと、続こうとしていたその父は急停止した。
だがしかし、声を発し損ねた。
包囲していた御庭番達が、主君よりも狭い熊との間合いを詰め過ぎて、制止が間に合わなかった。
大熊が腰を落として前傾したかと思えば、その場でドッと、何かが爆発したかのように土が舞い上がった。
ロウガがそう考えたその瞬間には、既に大熊の姿はそこになく、コマ落としのように御庭番の一人の眼前に現れていた。
蹴り脚と何らかの作用に負けて砕かれ、舞い上がった土砂が、後方に置き去りにされている。その妙な現象を背景にして目
前に現れた熊の姿を、その馬は目を皿のようにして見つめていた。
直後、一瞬の発光。
体の脇に寄せられた左手が目映く輝きながら五指を揃えて抜き手を作り、馬の胸に伸びる。
そして、一切の抵抗無く、それを突き破った。
ボッ、と音がしたかと思えば、大熊の手が通過したそこに大穴が空き、破壊された部位が塵になって馬の後方に散った。
「断息(だんそく)…」
馬を貫いた手から発光を消し、大熊が呟く。
風穴を空けた馬の体に腕を通したまま、大熊は身を捻り、腕を振るう。
放り捨てられる馬の体すら砲弾に等しい。致命傷だがまだ意識が途切れていなかった馬は、同僚二名を巻き添えにし、その
体中の骨を粉砕しながら巻き込んで巨木まで飛び、その幹に三人で激突した。
そしてその瞬間には、
「滅頭(めっとう)…」
向きを変えた大熊が右手を振り下ろし、目前に居たウサギの頭部を塵に変えている。
目映く発光する掌は、対象の頭部を叩くと同時に高密度エネルギーで分解消滅させ、即死させていた。
頭部を含めて首下まで失ったウサギの体が、大熊の丸太のような脚で蹴り飛ばされ、同僚に当たる。
抱えるような形で受け止めてしまった牛が、頑強な胴を破壊され、血反吐を吐きながら胸や背から折れた骨を突出させた。
「神卸し…!いや…、これはまだ…、禁圧解除か!?」
ロウガが驚愕する。先にも増して相手の速度が上がったかと思いきや、まだ全力ではないのだから。
そして同時に確信する。ただ血が濃いだけではないという事を。
その熊は、軽かった。
運動性から確認できた事だが、その熊の体重は、体格からすれば軽かった。
獣人は同じ体格の人間と比べて体が重くなる傾向がある。それは筋肉、骨格などの組織的比重の差であり、よほど華奢で筋
肉を纏っていない限りは、人間より三割程度重くなる。
だが、秘匿事項同様に公表できない非公式な調査結果によれば、これには僅かな例外が混じる。獣人としての身体能力を持
ちながら、体積と重量の比率が人間と同程度の者が…。
(これは古種の性質…!神代のせがれと同じ、先祖返りした個体か!)
どこまでも予想外の強敵を前に、ロウガは牙を噛み締める。本拠攻め前にここまで戦力を失うなど考えてもいなかった。
その間にも、確実な殺傷を目的に研ぎ澄まされて来た逆神の牙が、御庭番を次々と屠る。
腕利き達が薄紙にも等しく破砕されてゆく様を目の当たりにし、ロウガが咆えた。
「皆下がれ!そやつは私が仕留める!」
このままでは被害が大きくなる一方。そう判断し、包囲殲滅を取りやめたロウガは、
「…父上、手出し無用に願う。あの速度では油断できぬ、タクロウと白風(しらかぜ)を守ってやって下され」
単身で挑む覚悟を決め、父に妻と子を託した。
一方大熊は、神卸しをおこなった神将家当主達を前にしても全く変化を見せない。
余裕を見せてロウガ達を無視している訳でも、手強いと察して容易い相手を屠っている訳でもない。とにかく目に付いた、
手近に居る障害から淡々と排除しているだけだった。
その態度が、ロウガの頭に血を昇らせる。
「いざ!」
声と共に突風となったロウガが、燐光を棚引かせて大熊に迫る。
後方右手側から強襲する形になった狼がまず放ったのは、燐光を集中させ、発光を強めた右脚による跳び蹴り。
「煙雪砕牙(えんせつさいが)!」
命中と同時に閃光。足先を中心にして蹴り脚から先へと伝播した光が、対象に吹き付けるように放出される。
それは対象へ余さず力を叩き込む、無駄の無い破壊を行う技だった。が、
(防ぐか!)
ロウガは睨む。振り向き様に右腕を上げ、肘を直角に曲げ、掌から放出するエネルギーで技を相殺にかかった大熊を。
ぶつかり合って行き場を失い、足先と掌から周囲に飛び散る光が、睨み合う両者の間で円形のヴェールを作り出す。
「今一度!」
蹴りを止められたまま宙で身を捻ったロウガは、逆脚で蹴りを放つ。同じく集中した燐光が目映い光を放つが、顔面を狙っ
たそれをも、大熊は左手で掴み止めていた。
だが、攻め手にあるはずのロウガは、ここで緊張を強める。蹴りを受け止めた大熊の手が発光を強め、燐光が押されていた。
しかし熊は両手が塞がっており、ロウガは両手が自由。
両脚を捉えられ、地面と水平に宙で寝る格好になっている狼は上体を僅かに起こし、至近距離からその右拳を熊の顔面に向
け、左手を右腕に添えた。
「雷音破!」
添えた左手からも右腕に燐光を移し、出力を倍にして放つ一撃。両手が塞がった大熊は、まともに顔面を打ち抜かれる。は
ずだった。
「ちっ!」
舌打ちしたロウガは、互いの間で爆ぜた力場に全身を叩かれて弾き飛ばされ、錐揉み状態から体勢を整えて着地する。
地面に溝を作り、両手両脚を地面に突き刺すようにして減速したロウガは、一時たりとも相手から目を離していない。
大熊は泰然とその場に立ったまま、ロウガを見つめていた。被弾寸前に全身を覆った煌めく明るい燐光もすぐさま消して。
瞬間的な力場の展開で雷音破を防いだ大熊は、無傷のままロウガに向かって一歩踏み出す。
神卸しをしていない状態でもなお、ロウガの全力が通らない。その理由を、大神の当主は今の接触で看破した。
力場の瞬間的高出力発生。それが相手の戦闘方法の主軸となっている。
高出力の力場を維持すれば消耗も大きくなるが、瞬間的に、しかも小規模に絞って発する事で力の浪費を押さえている。
さらに狭い範囲に集中したエネルギーは密度が極めて高いらしく、ロウガが発する力場を凌駕している。
通常の操光術のエネルギー使用方法を、炎を噴射するバーナーだとすれば、この大熊の使い方は火薬による炸裂である。
(これが噂に聞く、我らと異なる進化を遂げた装光術か…!)
あるいはユウキであれば、もしくはライデンであれば、相手の技に動揺もしなかった。だが、両者とは異なり、大神家は幸
いにも二題続けて、危険な逆神やその眷属と出会った事がなかったため、この手の「亜種」と遭遇するのは今回が初めてだっ
たのである。
しかし、ある意味不幸とも言えた。
話には聞いていても、実際に目にしていなかったせいで、注意しているつもりではあっても対策が万全ではなかった。
歩み寄って来る大熊を前に、ロウガは腰を低く落として身構える。
今度は先の攻撃を越えるもの…、奥義、天狼槌(てんろうつい)で迎え撃つつもりである。
静かに力を練り、脚に力場を集中、幾重にも蓄積させて行く。
対する大熊は、
「凶熊覚醒…」
歩きながらぼそりと呟いた。
途端に、その巨体から禍々しい圧力が吹き出す。
その両肩が、両腕が、両脚が、めきっと音を立てて筋肉を膨張させ、体毛がゆっくり逆立ち、大熊の体躯が膨れあがったよ
うに見えた。
それは、逆神版の狂熊覚醒。神代の神卸し。
その凄まじいプレッシャーに、祖父と母の後方に居る若狼が震え上がる。
神将の血が告げていた。
ソレと向き合ってはいけない、と。
だが、その警告は遅かった。
向き合ってはいけない、出会ってはいけない、かかわってはいけない。正確には、その警告はそのような物だったのだから。
「これは…!?」
ロウガが呻く。知っているはずの神卸しに、異質な物を感じ取って。
それは神代家の神卸しと同質の物のはずだった。だが印象が大きく違う。それはまるで…。
(暴走状態に近い禍々しさ…!)
唾を飲み込む狼は、しかしおかしいとすぐさま考える。
暴走に伴う理性の消失などの症状が見受けられない。
大熊の目は明らかにこちらを見ており、暴走時特有の凶叫も発していない。
それなのに、制御失敗時の神卸しにも似たプレッシャーが感じられる。
(もしや、袂を分かって以降、操光術などが別途の進化を辿ったように…、神卸しもまた我らの物とは異質な物に変じている
のか…!?)
「…あ…」
羽織り袴の狐が小さく声を漏らし、胸を押さえて足を止める。
「どしたんですコハンさん?」
両家の御庭番と帝の近衛に囲まれながら隣を歩むアクゴロウが、訝しげに目を瞬かせながら顔を見上げて来ると、コハンは
小さくかぶりを振り、微笑した。
「いいえ、何でもありませんよ…」
この若き神将が、ちょっとやそっとの事で取り乱すような細い神経をしていない事は知っている。
だが、自分達と比べて経験が浅い事も確か。それ故に言いようのない不安を押し殺したコハンだったが…。
アクゴロウは「んん?」と首を傾げる。何でもないにしてはおかしいと感じて。
コハンの雰囲気が微妙に変化している。上手く言えないが、何となく「陰った」ように思えた。
見た目で勘違いされ易いが、アクゴロウは他者の感情の機微を察する能力に長けている。
幻術による化かしあいは、突き詰めて行けば心理戦も大きなウェイトを占めてくるので、顔色を覗う術に精通しているので
ある。
目を細めて自分の顔を覗っているアクゴロウを前に、上手く誤魔化せなかったと察し、悔やみながら、コハンは胸を押さえ
た手で、そっと指を曲げ衣の生地を掴む。
(嫌な予感がします…。まさか…、誰かが…?)