第四十三話 「神代斗波」
鬨の声が響き渡る。
ただ、ただ、声を上げるという、原始的な、本能的な、単純な行為が、恐れも竦みも全て熱情に変える。叫ぶ者を鼓舞し、
聞く者を委縮させる。
それは遥かな太古から、ひとがひとではなかった頃から、連綿と、変遷なく、続いてきた戦の調べにして狩りの歌。
蹂躙せしめる軍靴の響きは、雪に覆われた山奥の小さな村に迫り、無数の死体を、営みの痕跡を、踏み躙り打ち砕き燃やし
尽くす。
駆け抜ける黄昏の軍勢は、先の爆撃でも生き残っていた僅かな村人を、飲み込み、屠り、贄に捧げる。
彼らの目的はこの地に封じられた遺物の解放と奪取。命がその散り際に残す精神の断末魔は、通常の思念波よりも遥かに強
い。特に、より強い精神が折れる時ほど強力な思念波が残る。
生きている者の何でもない思念であれば、何十万人の何百年分。
より強い信仰のような祈りなどであれば、何万人の何十年分。
しかし、燃え尽きる寸前の熱量であれば、数千人の何年分。
そして、強靭な精神をくべるのであれば、何百人分だけ。
解放のために必要となる贄の数は、河祖群であれば通常の都市部より遥かに少なくて済む。今でこそ一般住民も増えている
ものの、元々が帝直轄奥羽領を守護するために築かれた村々、そこに流れる血潮は、有能な御庭番の血縁や子孫が大半。小枝
を積み上げて燃やすのとは訳が違う、一つ一つが薪山の熱量である。
火がかけられて燃え始める家々。轟くは猛る兵達の叫び。往来を突き進む兵達の、剣にかかり銃にかかり、数少ない生き残
り達が捧げられてゆき…。
「一気に駆け下る!道中の土産も忘れるな!」
チベタンマスティフがギラつく笑みを浮かべながら声を張り上げた。山野に逃げ込もうとする村人も貴重な贄、バベルを現
世に呼び戻す燃料は、少なければ無意味になるが多くても困らない。
先頭が侵入してから村の反対側へ抜けるまでは短時間だったが、全てが同じ速度で進んでいる訳ではない。ヘルが囲った安
全範囲以外の者は皆殺しにせよと命じられているので、兵達は愛用の凶器で駆り立てて刈り取る。
そうして、ヴィゾフニル及び直下の面々が村を突き抜けてポイントへと加速してゆく頃…。
「………」
熊の婦人はひとり、直前まで話していた壮年女性の遺体の前で座り込んでいた。
体の上半分が無くなり、肉片と臓物をバラバラに散らして雪面を染めた猪婦人を、しばし静かに見下ろしていたトナミは…。
「ごめんなさい…。もうほんの少し、早く気付けていたら…」
ピクリと耳が動く。こだまする鬨の声、その発声者の一部が接近している。
民家の向こう、生け垣の向こう、一つ先の路地、家々が密集しているとは言い難い寒村の景色は、庭も道も広いので見通し
が良い。
だから、トナミはすぐに見つけられた。
「生き残りだ!」
熱に逸った声をあげ、ハルバードを携えた虎の兵士が、銃剣つきの突撃銃を構えた狼の兵士が、直剣を抜き放っている牛の
兵士が、生け垣を得物で打ち破って迫る。
「…何者ですか?」
立ち上がったトナミが問う。静かで乱れの無い声と態度である。
「落ち着いてやがる」
「混乱の極みが一周回ったというヤツだ」
「すぐに理解するさ」
口々に言う兵士達の前で、トナミは繰り返した。
「何者ですか?貴方達は」
敵である。それは判る。この惨事の関係者。それも判る。判らないのは、ここ河祖群に攻め入る理由と、実行できる戦力を
持つ相手が、どんな存在なのかという事。
「知っても意味がない。というか説明も面倒だ、黙って死ね」
虎がハルバードを突きつけるようにトナミに向かって真っすぐ伸ばした。その穂先を静かに見つめながら…。
「答えてくれないなら要りませんね。その顔」
トナミは着物の襟に手を入れて、懐から白い布を取り出した。
白旗でもあげるのか、準備が良い事だとせせら笑った兵達の前で、取り出された細長い布が寒風に靡いた。トナミが取り出
したのは帯。それを手早くたすき掛けし、着物の袖を留める。
「死に化粧とか、そういう文化があるんだったか?」
「まぁいい、島国らしくエキゾチックに死ね!」
虎が鋭く踏み込み、ハルバードで突き込む。無駄口から不意を突くような、起こりがほぼ感知できない素早い動作と、脇を
締めた閃光のような一突き。それが、トナミの胸の中央、豊かに盛り上がった乳房の中間に穂先を突き立て…。
「!?」
ゲィンッ、と、金床を金槌で叩いたような音が響き渡る。
虎は我が目を疑った。ハルバードの鋭い穂先は熊婦人の胸の中心を突き、着物を貫通している。しかしその下で、彼女が被
毛に重ねて纏った力場には歯が立たなかった。
予想外の事態に虎の手が止まった間で、トナミは無造作にハルバードの柄の先をガシッと掴み…。
「禁圧…総解除」
枷を全て取っ払う。
直後、虎の手からハルバードが消えた。しっかり握っていたにも関わらず、引き抜く力に抗えずに。
虎は見る。一瞬の内に自分の手から奪われた武器が、前に去ってクルリと回って穂先が自分に向いて一瞬で大きくなって…。
「かぺっ」
虎のマズルから上、眉間から頭のてっぺんまでが、奪われて突き出されたハルバードの斧部分で、パカンと、冗談のように
かち割られる。さらに…、
「雷音破」
左でハルバードを矢のように突き放ったトナミの、空いている右手が掌に強く光を灯す。アンダースロー気味に放られた光
弾は、しかし時速220キロ超え。強固に固められた硬質な力場はボウリング玉サイズ。
それが突撃銃を砕き、構えていた狼に発砲も許さず顎へ命中し、その首から上をボヂャッ…と耳に残る音を立てて粉砕した。
トナミは若くして神代家に嫁いだ。
優秀な、強力な、血を残せる妻としてユウキにあてがわれた。
曽祖母の旧姓は「神代」。つまり、トナミに流れる血の八分の一は神代家のものである。
そして、神代の当主の妻、すなわち価値ある人質にも成り得る立場でもある彼女は、自分の身は自分で護り、自分の始末は
自分でつけられるよう、御庭番達と同等以上の訓練も受けている。少女と呼べた歳の頃から今日まで、妊娠中を除けば一日た
りとも鍛錬を欠かした事はない。
さらに言うなら、神代勇羆が受け継いだ、父も祖父も凌駕する力場の出力。その一部はまごうことなく母譲り。
「エナジーコート能力者!?女、御庭番か!?」
相手がただの民間人ではないと、遅まきながら察した牛が、腰の拳銃を抜いて連射する。が、トナミが纏った力場はマグナ
ム弾の軌道をことごとく曲げて、あらぬ方向へ弾き飛ばした。
銃撃も意に介さず、相撲の立ち合いにも似た低い姿勢で突進するトナミ。その、冷めた、据わった、静かな、怒気が籠った
眼差しに気圧されたように、牛は鬨の声から打って変わって焦りの声を上げ、剣を大きく振り被る。
素早く、正確に、迫るトナミの頭頂部めがけて振り下ろされた剣は、しかし突進してきた彼女の左手にガシッと掴み止めら
れ、その力場に圧をかけられてあっさりへし折られた。
「要らない顔なら、無くなるまでブン殴ります」
それが、牛がこの世で聞いた最後の言葉。
トナミの右拳が、中指の関節を突き出す楔形に固められて唸りを上げ、放物線を描いて牛の顔面を捉え、深々と突き刺さり、
そのまま地面へ殴り下ろす。
腰も膝も折れたような、リンボーダンスにもちかい恰好を強制的に取らされて、牛が後頭部から雪面に接触したその瞬間、
顔面を陥没させられた牛の顔の凹みと、トナミの拳の隙間から、バヂッと、閃光が四方へ走る。
「落熊撃(らくゆうげき)」
喉輪落としを仕掛けて力場で首を爆砕する基本形とは違い、打撃から強引に持ってゆく変則型の落熊撃。彼女が体得したの
は神代の古式闘法の極々一部に過ぎないが、絞って身につけた操光術の一つ一つは全て皆伝の粋にあり、応用も変異もお手の
物。トナミがそのハンマーのような拳を顔面から引き抜くと、その接触面から地面まで牛の頭部を貫通して、焦げ付いた大穴
が開いている。
文字通り顔が無くなるブン殴り方で賊を屠ったトナミは、傍らの猪婦人の亡骸を最後に一瞥すると、すぐ向こうに見えてい
る犬沢家へと駆け出した。
夫が居る。滅多な事はないと思うが…。
(ユウキ様…!ユウト…!)
トナミの胸を焦りが焼く。
どれだけ死んだのか、どれだけやられたのか、まだ判らないながらも一つだけ判っている。
相手は軍勢。十や二十の数ではない。ユウキひとりであれば何百居ようと如何様にも切り抜けてみせるだろうが、ここには
民間人も、幼い娘も居る。護りながら、救いながら、逃がしながらなどという立ち回りは、身が一つしかない以上、集団相手
には限界がある。
監視も護りも抜かれて本拠地を直接奇襲されるという事態は、実質、神代熊鬼にも効く手段だった。
腹の底に響くような爆発音と振動で、天井を隻眼で見上げたユウキは、震えが始まったシバイに目を戻す。
「しっかりせい!シバイ!」
既に出血は致死量を超えている。それでもなお、ユウキは柴犬に呼びかけた。
我が子可愛さに裏切った。国よりも、仲間よりも、主君よりも、たった一つの我が子の命を取った。許されざる大逆だと、
声を震わせて事情を打ち明けたシバイを、
「しっかりせい…!しっかり、せんか…!」
叱咤しつつ、ユウキは激しい悪寒に襲われた。
背骨を締め付けられるような苦しさと、肺腑と胃の間で熔けた鉛が躍るような苦痛。
シバイの妻に化けていた誰かが出した茶には、毒が入っていた。抹茶に混じった極々僅かな異臭で気付いたものの、ユウキ
はそれを承知で、湯飲みを一息に煽っていた。
シバイが自分にそこまでするなら、それ相応の理由が外にあるか、そこまでされる自分自身に問題がある。そう考え、あえ
て飲んだ。少なくともユウキにとって、シバイはそういう付き合い方をするに足る相手だった。
そして、理由を知らされたユウキは、シバイに怒る事も、シバイを憎む事も、やはりできなかった。
憶えている。神威かもしれないと知り、もしそうであったならば我が子の命をこの手で断つと、腹を括ったあの日…。ユウ
トが神威ではなかったと知り、自分がどれだけ安堵し、喜んだかを。
我が子は特別可愛い。何もかも捨てて護ろうとしたシバイの親心は痛いほどよく判る。裏切られても、責める事などできな
かった。
「ユ…キ……ま…」
今にも止まりそうな弱々しい息の隙間から、シバイが声を絞り出す。
「何じゃ!何か言いたいんじゃな!?」
ユウキにも判っている。シバイがもう助からない事は判っている。だからせめて、最後の言葉は、言い残される言葉は、全
て聞いて胸に留めようと、かき抱いて口元に耳を寄せて…。
「……名を……残さな…った…。………祖様…、の…、最後の………掛け…は…、連中に……まだ、漏れて……おりませ…」
「!」
ユウキの目が丸くなる。
ここ河祖群に、姿を消している御柱を護る最終防衛線として三村を築いた、「神代ではなくなった男」。この地の神代家の
祖であるその男が、万が一のために遺しておいた仕掛けについては、敵もまだ知らないとシバイは言った。
我が子を救うために味方を裏切った。が、敵を阻むための手については向こうへ伝えていない。起死回生の一手の情報を死
守する事で、息子の命も、守護組の目的も、同時に護れる。
「懇願…きる……立場で………ません、が…。どうか…、どう…か…」
自身が招いた危機を、どうか退けて欲しい。
「任された。安心せい」
力強い返答を耳にした途端、シバイの体からすっと力が抜けた。
か細く、最後の息を吐き、それきりぐったりと動かなくなったシバイの亡骸を、ユウキは最後に軽く抱擁し、そっと畳に横
たえる。
そして立ち上がった瞬間…。
「誰か!誰か居ませんか!」
ユウキの耳に、玄関口に駆け込んだトナミの声が届いた。
庭先もだったが、玄関の上がり口にも、入り込んだ羽毛で爆殺された死体が転がっていた。無惨な屍を弔う暇すら与えられ
ていない神代婦人は、上がり口から廊下に踏み込み、台所などを覗く。
(調理の仕度が…?)
犬沢婦人の姿はない。死体で見つけるよりよほど良いが、一家の台所を預かる身としても、夕餉に招かれた身としても、何
の支度もされていない調理場には違和感があった。
もてなし以前に、普段でも夕餉の頃合い。特に小さな子が居る家なのに、洗い物の籠も空というのは…。
一時台所を見て止まっていたトナミは、重々しい足音に反応して首を巡らせる。
応接室方向から荒々しい足取りで廊下を歩んできたのは、夫の親父熊だった。
「ユウキ様」
名を口にした婦人は、その表情のない顔を見て察していた。ユウキが激怒している事を。
「シバイが死んだ」
その声はしっかりしていた。
「奥方も殺されたそうだ」
悲嘆に揺れるでも怒りに震えるでもなく、平時よりも抑揚がやや失せて、しかし聞き取り辛くはない。
それは危険な兆候だった。怒り狂う程ならば程度も自覚できるが、表面上は上手く抑え込めているせいで、ユウキ本人も自
分がどれほど怒り狂っているか見誤っている。「自分は冷静だ」と思い込んでいる。
完全に頭に血が昇っている事を自覚しないまま、どう恨みを晴らそうが、どう仇を討ってやろうか、どれほど酷い死に方を
させてやろうか、考えながらユウキは口を開く。
「シバイによれば…」
片付いている台所を見遣りながら、ユウキはシバイから伝えられた経緯を、トナミにも掻い摘んで説明した。
「シバユキは何処か安全な所に匿われとる。ユウトも、シバイの奥方に化けとった誰かに、同じ所へ連れて行かれたらしい」
据わった目を妻に戻し、「トナミ」とユウキが言うなり、
「ダメです」
ピシャリと、トナミは全て聞く前に却下した。
じっと見つめ合う夫婦。ユウキが口を開く。
「トナミ。屋敷まで送…」
「ダメです」
再び、トナミは夫の言葉を遮った。
「私を屋敷に送る。その時間で、どれほど周りの事が進んで行きますか?その時間で、どれほどユウキ様にできる事がどれほ
どありますか?」
「聞き分けんか…!今がどんな状況か理解しろ…!」
苛立ったように口角を歪ませた熊親父は…、
「どんな状況か理解してないのはあんたでしょう!」
妻の一喝で口を閉ざす。
「あたしを安全圏に逃すその時間で、できる事が、しなけりゃならない事が、あんたにはあるでしょうが!」
凛とした声で諭され、言葉を飲み込んだユウキの目から、煮え立った湯のような激情が薄れる。
厳しい顔付きで当主に諫言した婦人は、顔付きと声音を常の物に戻して続ける。
「代々と同じく、私も嫁ぐ時に覚悟は決めました。夫が早死にするかもしれない。自分も長生きしないかもしれない。子に先
立たれるかもしれない。…全て覚悟の上で輿入れする「神代の妻」を侮る事は、当主でも許されません」
諌めるべき時に黙るようでは神代の妻として不適格。トナミは懐深く、夫を立てる良妻ではあるが、言うべき事を口にする
事は躊躇わない。
「…そうじゃったな」
トナミが言うとおり、一度迎えた妻の覚悟を軽んじる事は当主にも許されない。頭に血が昇っていたユウキは、妻のおかげ
で少し落ち着きを取り戻した。
「そうでなくとも、あの音ですよ。ヤギさんがもう支度を済ませてこちらへ向かってくれています」
「そうじゃな。うむ」
顎を引いたユウキは気を改め、この段階で再び自分の怒りの度合いを把握した。自認している以上に正気ではない。冷静で
はない事を前提にして慎重に考え、選択し、行動する必要があると。
「では、儂はここの守護頭として手を打ちにゆく」
「そうなさって下さい。私は無事な住民を探して逃がします。河祖上と河祖下からすぐにも御庭番が来てくれますから、こち
らはご心配なく」
それが妻の方便だと気付きながら、ユウキはもう止めなかった。御庭番が駆けつけるまで時がある。その間トナミが救助活
動を行なうのであれば、自分の身を自分で護らねばならない。
「為すべきことを、為されますよう」
「判っとるわい」
念を押されて鼻を鳴らしたユウキは、玄関口へと大股に歩む。
「…苦労をかける」
「何をおっしゃいます」
振り向かず言った夫の背中に応え、トナミは玄関口を出た所で立ち止まった。
「ではな」
「はい」
ドンと、音が響いてユウキの巨躯が前へ飛び出す。力場の生成とその分解四散を利用した高速移動で。見送るトナミは夫の
背が小さくなるのを見届けて、襷を締め直して歩き出した。
銃声が聞こえた。誰かが追われている。ほとんど反射で、思考すら差し挟まず、トナミはその丸い体を急加速させてブロッ
ク塀に飛び上がると、跳躍直前の四足獣のように体を縮め、足場に展開した力場を瞬時に爆砕、足裏に展開させた力場で衝撃
と斥力を受け、一気に20メートルほど上空まで跳び上がる。
素早く巡った瞳が見定めたのは、民家の軒先。二度の爆破を免れた家人が、生き残りを探していた兵に見つかっている。
先の発砲は、どうやら見つけた獲物を萎縮させる足止め用だったらしい。逃がさず確実に殺すための威嚇射撃は、しかしト
ナミとその住民にとっては幸運だった。
自らを打ち上げたトナミが引力で減速し、頂点に至るまでの間に、広げられた両手が掌へ光を収束させ、密度高く練り上げ
ている。その昇った二条の光が、輪郭をくっきりとさせた直後。
「雷音…破!」
右腕が、そして左腕が、続け様に唸りを上げて光弾を投擲する。
サイドスローで放られた二発が宙をかけて迫る事に、気付いていない兵達は…。
「二人だけか?中にまだ居るか?」
長毛種のミックス猫がアサルトライフルを下げ、腰のサーベルを抜き放ち、まだ十代前半の娘を抱えて震えているカモシカ
の母親の鼻先に突きつける。
「夫は居るか?娘のきょうだいは?」
獰猛に唸って威嚇するサルーキは、玄関にサブマシンガンを向け、屋内の様子に気を配っている。
どちらも気付けない。自分達の後方上空から投擲された、対戦車砲に匹敵する光弾には。
ペグシャッ、それからバヂュッ。そんな音が立て続けに鳴り、長毛種の猫とサルーキは下顎だけを残して頭部を破砕された。
ズドドンと地面に着弾した光弾が、綺麗な円形の穴を親子の両脇に空けた。
何が起きたのか判らず、悲鳴も上げ損なっている親子に、
「無事ですか?」
ドゴンと、プレハブ倉庫の上に落着したトナミが声をかける。
「お、お…」
カモシカ婦人が子を抱いたまま、涙と嗚咽を漏らす。
「お父ちゃんが…、裏庭で…」
小さく、ミシリと、噛み締められたトナミの奥歯が鳴った。
「ここはもう危ないですから、村の外に逃げましょう。案内します」
倉庫から飛び降りたトナミは、親子を連れて河祖上方面へ向かう。
こちらからは登りになるが、しかし向こうからは下り坂。ウンジロウ達ならばあっという間に距離を詰める。親子連れを促
しての移動速度よりも、援軍の移動速度を重視したトナミの判断は、たった十数分後に望んだとおり、河祖上御庭番達との合
流をもたらす。
同時刻。
「ユウヒさん、そろそろ支度できますよ」
馬の「17」がヒョコッと囲炉裏の間から顔を出すと、猫の「18」を肩車して遊んでやっていたユウヒは、「早いな?で
は邪魔しよう」と笑みを返す。
少々の不安はあっても夕餉は楽しみ。夜は子供らに付き合って遊戯に興じる予定だが、今夜はクリスマスプレゼントが届く
日なので早めに休む予定。
(そう。御爺様が会わせたい御仁がおいでだとおっしゃっていたが…)
クリスマスの夜に訪問する客人。ユウゼンの口ぶりからはだいぶ親しい相手なのだろうと感じられた。
どんな客だろうかと、好奇心を刺激されているユウヒは…。
「?」
電話の音に耳を立てた。それ自体は特に珍しくもないのだが、呼び出し音も、鳴っている場所も、いつもと違う。
何より、子供達の様子の変化が気になった。
肩車している猫の子は身を強張らせ、呼びに来た馬の子は顔を強張らせている。
やがてコール音が止まり、囲炉裏の間よりも奥のどこかで祖父の声が篭って聞こえ…。
ゴツン、ゴツン、と板の床を踏む義足の音。
首を巡らせて見上げ、道を譲るように下がった「17」の脇に、囲炉裏の間からのっそりと、隻脚の老熊が姿を見せる。珍
しく、厳しい顔つきで。
「ユウヒ。手短に伝えるが、出立の準備をしながら聞きなさい」
何かが起きた。それもかなりの大事が。
祖父の様子から即座にそう察すると、ユウヒは頷いて「18」を床に降ろした。
その頃、熊親父は河祖中村のはずれ、崖を背負った小さな石の祠の前に居た。
息を整える間も惜しみ、祠を両腕で挟むように掴み、800キロを超えるそれをグッと持ち上げる。そのまま脇に降ろせば、
祠に隠されていた、岸壁に空いた穴が露出した。
狭い穴に巨体をねじ入れ、這って中に入ったユウキは、天井が高くなった所で身を起こし、手に燐光を灯して周囲を照らす。
そこは、極々狭い、高さも奥行きも3メートルほどの石室になっていた。天井も壁も荒々しく削られた石が組まれてできて
いるそこには、中心に自然石を削ったと思しき、高さ1メートル、直径50センチほどの石柱が鎮座している。
巻かれた注連縄も朽ちて落ちたその石柱こそが、河祖郡の最終防衛装置を起動する仕組み。
河祖三村に一基ずつ隠されているこれを用いる事で、御柱に近付く者を間違いなく阻める。
(歴代の神代と御庭番の責任者達に申し送られ続け、しかし使った者はひとりもおらん、と…)
実際の働きを確かめた者は居ないが、シバイが促したこの手段、ここに至っては信じるしかない。
ユウキは左拳を握り込むと、そこに淡く、弱く、燐光を灯す。それは磁石が反発するような、弾力にも似た柔らかな性質を
有する斥力を伴う力場。その特殊な打法は、奥義と同等の重要な物として、代々の家長に伝えられてきた。
淡く光る拳をもって、ユウキは大きく振り被り、真上から落とすように石柱を叩いた。
ズン…、と篭るような音と供に、石柱が床付近まで沈む。十数センチを残して深々と。
(やった、かのぉ?)
半信半疑だったユウキは、しかし程なく成功した事を確信した。
足元がビリビリ震えたかと思えば、ゴゴンと急に強い縦揺れが生じ、石室の天上からパラパラと土や石片が降る。
大きな縦揺れに続き、立っているのもやっとの地震が生じた。
その石柱の下には大岩が、そのまた下にはまた別の岩が、ずっとずっと、繋がるように埋められている、下部が楔型で上部
が受け型、ひとの背骨のように無数に連なったそれらの行き着く先は…。
「地震か?」
ヴィゾフニルが急停止する。周囲の兵も急停止し、周辺に雪煙が一斉に立ち昇る。
池は目と鼻の先、あと数分で到着するというこの時に面倒なアクシデントだと、チベタンマスティフはバイザーの下で眉間
に皺を寄せ…。
「?」
ズン…、ズズン…、と連なる鳴動に耳を立てる。直後、立っていられないほどの縦揺れが部隊を翻弄した。表層雪崩に警戒
しつつも、ろくに動けない部隊は…。
「ヴィゾフニル様!行く手に…!」
部下の声でチベタンマスティフは前方を睨む。
日が山稜の向こうに去り、刻々と暗がりが濃くなってゆく中に、それは出現した。
(灯り?迎撃部隊…ではない。あの広がりは…)
ひとが掲げる灯火ではない。点の灯りの繋がりではない。扱い易い人工のそれではない。土地の形に沿うように、地面の起
伏をなぞるように、広がってゆくそれは…。
「溶岩だと!?」
山の底から溢れ出た奥羽の怒りを前に、チベタンマスティフは目を見開いた。
雪を溶かし、蒸発させ、蒸気と黒煙を暮れの空へと昇らせる、真っ赤に滾った溶岩。それは、河祖群に設けられた最大の防
衛機構。
この地に村を築いた「神代ではなくなった男」は、温泉が湧く立地から、この地が火山化する事も有り得ると踏んでいた。
まだ地質学も熟していなかった昔の事、記録と経験則からの推察である。
その折に、これから築く村が噴火で吹き飛ばされたり、溶岩に飲み込まれたりしないよう、「手を打っておいた」。江戸時
代の男がである。
具体的には、操光術で身を守りながら地下深くの溶岩溜まりまで体一つで掘り進み、被害が出ない地下水脈に向けて圧の逃
がし口を穿った。そして、性質の悪い冗談のような規模と方法の噴火対策ついでに、ある仕掛けを作ったのである。
それが今回起こった現象の正体だった。
御柱顕現予想地の真下から溶岩溜まり直前の岩盤までを砕いて、噴出し易いようにして埋め直し、三方向からそれぞれ楔の
岩を埋めて、最終岩盤まで繋げる。非常時にはこれらの天辺を叩く事で、御柱顕現予想地点の真下から溶岩を噴出させる…。
住民達が河祖と呼ぶ水源の大きな池自体が、実は「神代ではなくなった男」が穿った非常開放弁の窪地に雨や湧き水が溜まっ
た物である。
帝直轄奥羽領の警備計画にも記されず、いかなる文献にも残されず、故に資料として流出する事もなく、神代の家長のみが
起動できる防衛機構…。それはまるで創世神話の国造りの如き、スケールが大き過ぎて壮大を通り越し馬鹿馬鹿しい規模の仕
掛けだった。
ポイントが近いにも関わらず接近できず、チベタンマスティフは獰猛に唸る。
「偶然?いや違う!術士か!?それとも何らかの遺物による物か!?」
流石に原始的かつ作り話のような規模の物理的構造の仕掛けとは思いつかなかったが、ヴィゾフニルはこれを何らかの人為
的手段による妨害と直感した。
強力なエナジーコートを纏えるヴィゾフニルだけならば接近は可能。しかし、贄が足りてバベルが首尾よく現れたとしても、
侵入のキーとなる「ある品」が、溶岩の上という極限環境では保たない。
ヴィゾフニルが預けられたのは、保存カプセルに封入されたシャモンの血液と毛髪。機能が正常かどうか記録が残っていな
いバベルに対し、何の策も無く貴重なシャモンを投入する事などできない。テストキーとして用意されたこの品で扉を開き、
機能が無事かどうか確かめる事になるのだが…。
(クソが…!)
状況の悪さをヴィゾフニルは悟った。
一方的な蹂躙で速攻が終了し、目的が果たされるかに見えたこのタイミングで、目標物が出現するはずの場所に近づけない。
しかも、溶岩で進軍が阻まれ、足止めされたこの位置は、三村が守るべき地点に近く…裏を返せば、三村から兵が出れば最
初から包囲された状況になる。
即座に河祖中方向へ撤退すれば難は逃れられるかもしれないが…。
(溶岩を前に尻からつつかれては兵の士気が続かん。ここは…)
再接近という手間を考えても、ヴィゾフニルは一時後退を選択した。
「どっちみち贄をもっと捧げねばならんのだ!増援共を相手に戦としゃれ込むぞ!」
河祖中村方向へ引き返して布し陣、増援を迎え撃つ。ヴィゾフニルがそんな作戦を指示した頃…。
(これは…、まずかろう)
煮え滾った溶岩噴出という大災害に行く手を阻まれたヴィゾフニル達先行軍を、後方から詰めに入ったオーズは、「詰みに
至る一手前」と見た。
地の利が向こうにある戦場での、奇襲と速攻の二軸が重要な作戦である。この足止めは痛いし、バベルが出現してもこの有
様では近付けない。
「…ヘル。聞こえるか?」
単独遊撃と戦況確認のためにアサルトベアーズから離れて動いている白いジャガーは、巨木に身を寄せ、小型通信機で灰髪
の魔女に呼びかける。
『あらあら。あなたが作戦行動中に通信なんて、珍しいわねぇ』
オーズは基本、傍受などの可能性を考えて作戦行動中には連絡を取り合わない。部下への指示も行動開始前には基本的に完
了しており、不測の事態への対処についても相当細かく申し渡している。それでもなお作戦指示に入らない事が起これば、ア
サルトベアーズが独自判断で対処できるため、それで問題は無い。この方針はフィンブルヴェト時代から変わっておらず、そ
れ故にオーズは動ける部下の組み合わせについて、常に人選段階から配慮していたのだが…。
「不測の事態…などとのたまう、我が身の不明を恥じなければならんような状況だ。そっちからも判るか?マグマの遊泳プー
ルが」
『泳ぐ気はまったくないですけどねぇ。まぁ絶景ではありますよぉ』
「冷静で結構。ヘルのそういう所を頼みにしているんだが、折り入って話がある」
『今すぐマグマをどうこうしろ、とぉ?』
「話が早い」
『無理ですねぇ』
「話が早過ぎる」
『「今すぐ」というのはちょっとぉ…』
「流石、頼りになる!」
ニヤリと笑うオーズ。即座にどうこうはできない。が、時間はかかるものの、やってやれない事は無い。ヘルからその返答
さえ聞ければ、遣り方はいくらでもある。
「なるべく早く頼む。その間こっちでもたせる」
『まぁ急ぎますけどもぉ、一時間や二時間の仕事だなんて思われたら困ります』
「五時間ぐらいは何とかするさ。そのための俺だ」
『………』
通信は向こうから切られた。
(怒らせたかな?)
苦笑いするオーズ。だがまぁ、勘弁してくれと心で詫びる。
(何も「安売り」するわけじゃない。これは…、命の捨て所として価値がある戦局だ)
(これは…、まずいのぉ)
仕掛けの作動を無事に済ませ、穴から這い出したユウキは、見下ろす窪地の中央に溜まったマグマと、宵空を染める黒煙を
眺めながら、口元に手を当てた。
「…えぶっ…」
突如、喉が鳴って頬が膨らみ、ユウキの口から赤黒い血液が零れる。
「げぶっ!げはぁっ!」
たまらず膝から崩れ落ち、四つん這いになった熊親父は、背を震わせて大量に吐血した。
茶に入っていた毒は刻々とユウキの体を蝕んでいた。強靭な肉体が抵抗してはいるものの、本来なら盛られて数分で動けな
くなる劇毒である。
(いぎなりキッツいが…、何とかせにゃあならん。「神代」じゃからのぉ)
腕で口元を拭い、ユウキは立ち上がる。
血走った目に不敵な笑み。口角吊り上げ牙を覗かせ、鬼気迫るその表情は正に鬼神の貌。
「さぁて、ひと頑張り行くかのぉ!」