第四十五話 「オーズオース」
「七、九、十番隊は無傷。八番隊は所在不明!」
「五番隊救助に入りました。六番隊、自力撤退するも被害甚大!」
「敵勢力前線部隊壊滅!深部の被害状況は噴煙と蒸気に阻まれ、確認できず!」
被害報告を受けながら、老いた山羊は厳しい顔をしていた。
(予期していなかったのは敵側も同じか、しかし…)
突然の水蒸気爆発により、戦場は双方共に戦列を維持できないほどの混乱に陥った。
退避が間に合わなかった御庭番達が、無事だった者によって引き上げられてくるが、高熱の蒸気を浴びた者や、火山弾を食
らった者など、重傷者は多数にのぼる。
もっと被害が大きかったのはヴィゾフニル側。爆心地により近かった上に、背面からみまわれる格好だった。これにより戦
列どころか隊としての機能も乱れ、半狂乱になった兵達は我先に逃げようと必死の突撃を試みる。
もはや軍ではなく暴徒の群れだが、死に物狂いの突撃は搦め手で封じることができない。被害を出してなお多勢のヴィゾフ
ニル軍を押し留めるのは、御庭番達だけでは無理だった。
包囲網は破られ、四方に逃げ散る兵士達は、もはや敗軍残党に等しい。作戦続行も任務継続もあったものではない。だが、
だからと言って野に放つ訳には行かない。猛り狂う敗残兵達を止め、追い、捕らえ、殺す。甚大な被害を受けてなお、御庭番
達は奮戦する。
先刻ユウキが前線に到着した事は、ヤギも報告を受けている。爆発後の混乱で所在が判らなくなったが、しかしあえて探そ
うとはもう思わない。
こんな状況で一番強いのがあの熊親父。混戦乱戦泥仕合、その中から勝ち筋を見い出し、それを逃さないのがユウキという
男。おそらく、この状況でも効果的な手を見つけ、選択している。
(ともかく、河祖下河祖上まで踏み躙られる訳にはいかん!何としても防衛を…)
(これはいかん。いかん状況だ…)
オーズは遊撃を中断し戦闘行動を控えて山野を駆け巡る。
御庭番の包囲を脱して逃れた少数の兵は、いずれも継続戦闘が不可能な負傷。ひとまず退いたヘルが確保した待機場所…と
りあえずの安全区域へと誘導し、動ける者には撤退準備を進めるよう命じている。
だが、この状況でもヴィゾフニルが退いてこない。
「おい、動けるか?」
木立の中でへたり込んでいた二人の兵を見つけ、脚を怪我して動けない一方を担ぎ上げ、もう一方を導き、安全地帯付近ま
で退避させる。
この作戦は既に失敗している。オーズはもう目標の遂行よりも、どれだけの戦力を撤退させられるかに主眼を置いていた。
(この分では…、まだ逃げられる兵も、ヴィゾフニルが逃がさないだろうな…。闘争心があだになる…)
直接赴いて説得し、撤退を決断させるのが一番良いだろうと判断したオーズは、負傷兵を送り届けるなり身を翻した。
導き逃さねばならない負傷兵はまだまだ居る。だが、大本で方針を変えなければ被害は増すばかり。
オーズは盗聴の危険よりも効率を優先し、主義を曲げて音声通信を行なった。
「…アサルトベアーズ各位に緊急連絡。任務内容の一部変更を通達する。復唱も返答も不要だ。とにかく聞いて、可能な者か
ら速やかに実行してくれ」
退路の確保が最優先指令だったため、狙撃や援護などを行なうメンバー数名を除いて戦闘に加わっていなかったアサルトベ
アーズだが、ここに来て行動に変化が生じる。
退路を確保しても、そこまでの退避自体が不可能な状況であれば確保する意味自体が無い。よって、オーズは戦線への部分
的介入を開始するよう命じた。
ついに四方から現れた、存在を懸念されていた別働隊。それは想定より小規模ではあったが、御庭番達にとって不幸だった
のは、彼らが「自分達と同様の戦闘」に慣れている点。御庭番達と同等の隠密、斥候、探査力を持ち、エナジーコート能力に
よって火力も防御力も兼ね備えている彼らは、相性が極めて悪かった。
奇襲を交えた中近距離での戦闘が主体となる御庭番達は、飛び道具…それもエナジーコート能力によって通常火器とは桁が
違う掃討力を持つアサルトベアーズに対し、距離をつめての戦闘を挑まなければならない。
それでも、彼らの火線に身を晒してなお生き永らえた少数が、決死の肉弾戦で挑みかかる。
(ちっ!意外と手強い!)
雌熊が舌打ちし、襲い掛かる鰐の手から屈んで身をかわす。
接近戦が得意な物を近づけるため、他の者が囮になるという戦術を、躊躇いなく用いる御庭番に、歴戦の熊達も薄ら寒さを
覚えた。
(こんな戦い方が平気でできるなんて、どんな訓練…)
雌熊が思い直す。素早く伏せて反撃の銃弾をかわした鰐も、間合いを詰めようとする他の御庭番も、同じ目をしていた。
(…平気なんかじゃない、か…。だからこそ「強い」んだ)
悲しみも怒りもある。その上で、妨げとなる心の動揺を使命感で塗り潰した、凄絶な眼差し。
おそらく自分達は、ヴィゾフニルやオーズも含めて、相手の「強さ」を見誤った。たかが寡兵の戦力、要注意は数名だけな
どと、素直に計算してはいけなかった。
(それが、今回の敗因か…)
雌熊は退路を目で窺う。
負け戦ではあるが、程度を軽くする事はできる。最善を尽くすために、簡単に倒れるわけには行かない。
(名誉なんぞクソくらえ!オーズや皆を逃がすためなら、いくらでも尻見せて逃げてやるさ!)
素早く身を翻して逃走する雌熊。しかし散発的に逃げてゆく負傷兵の一団があるため、御庭番達は優先度が低い単騎を深追
いできない。
「負傷者下げろ!前列交替!」
配置換えを行いながら、御庭番達もまた闇の中に駆け去った。
一方、まだ蒸気が濃く立ち込めた爆心地近辺では…。
「げうっ!?」
背後から喉まで小太刀で刺し貫かれた兵が、喉元を掻き毟って倒れる。
水蒸気に紛れて散発的に奇襲を繰り返し、混乱の内にヴィゾフニル軍の力を削ぐ御庭番達。乱戦になった事で仕事をし易く
なってはいるが、そもそも人数に差があるので一気に制圧とはいかない。
息つく暇も無く奇襲と殺害を繰り返す中、黒猫の御庭番は背中を晒している大柄な影に接近した。
背中から心臓を一突き、その心積もりで一息に距離を詰める。
が、その最中で肌に違和感を覚えた。蜘蛛の巣に突っ込んだような、静電気を帯びたような、糸のように軽くてパリッとし
た何かに触れた感覚…。
直後、巨体が振り返り様に腕を伸ばした。
素早く、迷い無く、漂う蒸気を引き裂いて正確に首元に伸びた腕を、黒猫は避け損ねた。
一瞬で喉輪を決められて吊り上げられた黒猫は、短刀を素早く逆手に持ち変え、自分を吊るし上げる太い腕に突き立てる。
が、堅い物に触れたような音を立てた直後、その刃先があっさりと折れ飛んだ。
「また雑魚か…」
うんざりした様子で吐き捨てたのは、黒いバイザーで双眸を隠した、チベタンマスティフの巨漢…。
その手がクッと握りこまれると、黒猫の首がベギヂュッと音を立て、折れて潰れて伸びた。
握力だけで人体を容易く破壊せしめたヴィゾフニルは、全身に纏った燐光に守られ、水蒸気爆発の中でも無傷。衣類に汚れ
さえないその姿は、まるで一人だけ戦場に着いたばかりであるような、浮いた印象を与える。
首を粉砕され、事切れて放り出された黒猫の大きく見開かれた目に、チベタンマスティフの周辺に倒れ伏した、一つとして
まともな形状を留めていない仲間達の死体が映り込む。
まだ目標地点に近付けないヴィゾフニルは、この混戦の真っ只中に留まり、あわよくば指揮官級の者が来ないかと待ち受け
ていた。
「ヴィゾフニル様!手薄な方向があります!」
駆け戻って来た配下の雪豹が跪くと、くだらない物を見るような冷たい視線が、バイザー越しに見下ろす。
「守備隊を呼び戻し、脱出を…」
「ワシがいつ撤退を命じた?この屑共が」
忠言を遮って発されたのは、苛立ちが篭る低い罵声。
やおら、ヴィゾフニルの手が雪豹の顔面を鷲掴みにし、引っ立てるなり閃光を走らせる。
ボンッ。鼓膜の奥まで抜けるような重々しい爆発音と共に、腰から下だけになった雪豹の死体が、吹き飛ばされて地面を転
がってゆく。
「勝手に退くならワシがこの手で殺す!死ぬまで逃げるな!死ぬまで残れ!死ぬまで戦え!戦力にならず命令にも従わない兵
は不要。役に立たないなら、邪魔でしかないなら、せめてバベルの贄にくべてやる!」
響き渡る声と示された実例で、潰走状態に陥っていた軍の一部が、再びヴィゾフニルの支配力に囚われる。
怒り狂い、苛立ち、しかしなおもヴィゾフニルは冷静さを失っていない。バベルが顕現した折にはすぐさま駆けつけられる
範囲内に身を置き続け、顕現予想地点の周辺温度が徐々に下がる様子を、バイザーの機能で逐一確認している。
(…む?)
バイザーの端に警告メッセージが表示され、ヴィゾフニルは顔を顰めた。
飛翔体接近の可能性あり。詳細不明。
(飛翔体だと?)
ミサイル攻撃ではない。そんな事はあり得ない。政府側の内通者が、それを察知できないはずはない。
空を見遣ったチベタンマスティフは、しかし即座に顎を下げて振り向き、右腕を振るった。
瞬時に腕を覆う燐光が拡大し、鳥の翼のようになったかと思えば、羽ばたきと共に飛ばされた羽毛が扇状に拡散し、四十を
下らない小規模爆発で視界を埋める。
巻き込まれた部下達が爆砕されて、命無き血飛沫と臓物と肉片の雨と成り果てて降る中、ヴィゾフニルは自分にそんな反応
をさせた男の姿を、「半分」見た。というのも、その大柄な影は黄昏の兵を一人、首根っこを後ろから掴んで吊るし上げ、爆
風に対する盾にしていたので、姿が隠れている。
「派手じゃなぁ。派手なのは好きじゃ。…いや違う、むしろ大好きじゃな。しかし…」
場にそぐわないのんびりとした声が、ヴィゾフニルの耳に届く。
「オメェのソレは、好かんな。「えれがんと」さがちっともねぇ」
夜色の作務衣。片目を覆う眼帯。腰に巻いた綱。吊るした大徳利。
ヴィゾフニルのバイザーが男の容姿に反応した。表示された識別名称は…。
(ウォーマイスター…、ユウキ・クマシロ…)
目前の大将首。降って湧いた好機。チベタンマスティフの口元が凶暴な笑みで歪んだ。
片腕一本で軽々と吊るし上げた馬をそのままに、ユウキも笑う。牙が大きく覗き、目が血走った、凶笑としか言えない禍々
しい笑みだった。
「まだ息はある。返してやろうか?ただでとは行かんが、そうじゃなぁ…。とりあえずポケットやら何やらから武器も薬も何
もかも、放り出して武装解除してくれるなら考えんでもない」
そんなユウキの言葉に、ヴィゾフニルは鼻を鳴らして応じた。
「戦えぬ兵になど価値は無い」
「そうか」
ユウキの返答と行動は早かった。
虫の息だった馬を、頭から地面に叩き付け、頭部を粉々にする。
「なら、儂もいらねぇ」
獰猛に笑うユウキ。しかしまだ冷静な部分で、ある事を理解してもいる。
ユウキの日本語に、ヴィゾフニルも日本語で応じた。だから悟った。あの北極熊が言った事は、やはり本当だったのだと。
フィンブルヴェトのトップが、ジークが言及した通りの人物だったのだとすれば、日本語を理解できる所属者は多かっただ
ろう。そして、その生き残りが主体となって結成されたラグナロクにも日本語が普通に理解されるという事は…。
(恨むぞ、大電翁…。こんな物を遺しよって…)
ユウキは察している。おそらく彼は、フレイアの父は、もうこの世に居ない。中心的存在を、指導者を、歯止めを、喪った
が故に生き残り達は「こうなった」。何を夢見たのかは判らないが、少なくともその残滓はもはや、自分達にとって悪夢とし
か言えない成れの果てと化した。
爆撃に巻き込まれて死に、あるいはヴィゾフニルが狂ったと思って逃げ散り、ふたりの周囲からは兵達が居なくなる。
御庭番達はユウキが居る事、そしてその様子に気付くと、邪魔になる事を恐れて即座に撤収した。
漂う霧と煙。鳴動する大地。断続して上がる噴煙。雪が溶け去って地面が剥き出しになり、爆風であちこち抉れて木々も倒
れた、世界の終わりのような光景。向き合う二頭はいずれも素手。
体はヴィゾフニルの方が大きい。上背もユウキより頭半分は高く、全身が筋肉の塊である。
対するユウキは毒に蝕まれているが、もはや苦痛まで別の物に塗り潰されている。
それは、憎悪と赫怒。
手段を選ばないのはお互い様だが、何も知らない民間人も多く住んでいた川祖中村をあのように潰された事は、無辜の民草
を踏みしだいて回られた事は、個人的に腹に据えかねた。
「儂は使った事ぁねぇんじゃが…。ま、顔が入らねぇしのぉ…。記念撮影する観光地のアレ…、知っとるか?」
腰の紐を解いて徳利を左手にぶら下げ、ユウキは話す合間に一口煽った。焼けるように強い酒が、食道を通って胃に駆け下
り、毒の苦痛を別種の物に変える。悪化は免れないが、一時しのぎの麻酔薬である。
「その土地の有名人や、歴史の偉人なんかが描かれた板にのぉ、後ろから顔を出して写真を撮るために、顔んトコだけ穴が空
いとるヤツ…」
ヴィゾフニルの眉根が寄った。熊親父が何故そんな話をしているのか、はかりかねて。だが、その意図はすぐに理解できた。
「今から、オメェもアレと同じにしてやる」
隻眼が殺気を放つ。射抜くように鋭い眼光に、しかしヴィゾフニルも狂気を垣間見せた笑みで応じる。
「のこのこ取られに来た大将首が吼える物だ。やれん事は言わん方が良いぞ?死に恥に恥を重ねる必要もなかろうよ」
両者の体を覆った燐光が、次第に光量を上げてゆき…。
直後。空を裂く轟音がふたりの頭上で鳴り響き、一条の光が河祖群に落下。地面を激しく震動させた。
雪面に平手がつく。その上で厳つい虎の体躯が駒のように急旋回し、右脚が唸りを上げて飛んで来た。
熊の偉丈夫は棍代わりにしているロングライフルを立てて、逆さまの状態から繰り出された回し蹴りを受ける。が、受けた
と同時に天地逆の虎が腕で跳ね、縦回転から左脚で踵落とし。
その場で低く前転宙返りするような浴びせ蹴り、横方向から縦方向に変じた攻撃による幻惑がバッソの反応を鈍らせ、間に
合わなかったスウェーが浅くなり、右頬にスパンと縦の裂傷を刻まれる。
転倒させたと思った老虎からの反撃を凌ぐと、着地で屈んだウンジロウへと、攻撃を受け止めたそのロングライフルで殴打
にかかる。
これを強固な手甲で受けたウンジロウは、止めたは良いが、その先端…銃口が自分の土手っ腹に向いている事に気付いた。
銃声。閃光。雪面にボヅッと穴が空き、即座に水蒸気が立ちこめる。
(これもかわされたか…)
乱打戦の最中に込めておいた弾丸は、しかし決定打にならなかった。
発射寸前に回避行動をとったウンジロウは、掠めた弾丸とその衝撃波で、右脇から腰までの作務衣を吹き飛ばされ、弛みが
目に付く白い腹を晒している。だが、本人は無傷。痺れがある腹を軽く撫でて損傷が無い事を確認するなり、肩から紐のよう
になってぶら下がる作務衣の右側を掴んで毟り取り、片肌脱いで構え直す。
この至近距離での肉弾戦に紛れた発砲を回避する老虎の強さに、バッソは心底感嘆した。
ウンジロウと交戦中のバッソは、オーズから届いた任務変更連絡に従える状況ではない。アサルトベアーズは各自行動して
いるが、司令塔にして最大戦力の熊が押さえられてしまった状態にある。
ウンジロウの反応速度や経験や読み、そして戦技は、これまでにバッソが仕留めてきた相手の中でも一二を争う。何よりこ
の精神力と集中力。老いによるスタミナの低下を、呼吸の制御と僅かな隙間の脱力によって消耗を抑えてカバーする戦上手ぶ
り。ほぼ素手のリーチであるにも関わらず、棍代わりのロングライフルを得物にする自分に対して立ち回りが不利になってい
ない。しかも…。
半身に構えて軽く右腕を上げたウンジロウは、はぁ…、と白く息を吐く。長い吐息に反応し、バッソはロングライフルを両
手で水平に持ち、身構えた。
来る。
そう予期するや否や、視界の中で老虎が急拡大した。
ゴォンと、鐘を打ったような音。
攻撃を受け止めたロングライフルごと、バッソの大柄な体躯が吹き飛ばされ、木々の間を砲弾のように飛んでゆく。
踏み込んでの中段突き。ウンジロウは自らも勢い余って雪面を前方へ滑走したが、その勢いをかって殴り飛ばしたバッソを
追走する。
木立を抜けてはじき出されたバッソが踏み堪えて止まった場所は、河祖中村の外れ。痺れる手に意図的な痛覚増幅を行なっ
て感覚を取り戻した時には、もう老虎が追いついて、距離を維持して構えている。
この一発…。乱発はできないようだが、この10メートル以上の距離を一瞬で詰めながら繰り出される、渾身の中段突きが
厄介だった。
全身の禁圧を解除。運動、体重、踏み込みの加速を拳一つに集約する、単純だが猛烈極まる一発。もし防ぎ損ねれば老虎の
拳は自分の胴を貫通すると、バッソはその威力を計算している。
それらは全て、修練と研鑽の結晶。威力を増強する能力なども使用されていない。そもそもウンジロウの能力は残留思念波
感知という物。痕跡を辿って追撃するのには便利だが、戦闘能力の増強には役立てられない。
(全盛期であれば危うかったな…)
バッソはジリッと距離を詰めた。エインフェリアであるバッソは、人類基準を大きく上回るタフネスとスタミナを持つ。機
能不全を起こすようなダメージさえ負わなければ、ウンジロウが先に力尽きる。
戦闘は互いに致命打を入れられないまま、ウンジロウが押し切るか、バッソが凌ぎ切るかの、拮抗した勝負となっていた。
が、この時だった。音速を超えて飛ぶ戦闘機のような轟音に気付き、両者は同時に天を見上げた。
互いの頭を過ぎったのはミサイル攻撃だったが、違う。夜空に線を引く光…、流星か火球のような何かが、この場に高速接
近してくる。
腕を交差させて顔を庇い、腰を落として衝撃に備えるウンジロウ。
エナジーコートを前面に展開して姿勢を低くするバッソ。
ふたりから10メートルと離れていない位置に、それは落着して土砂を大量に吹き飛ばした。
何かが墜落した。そうバッソは考えたが、ウンジロウは違う。
「よもや…、この手段でお戻りになるとは…!」
声を震わせるのは様々な感情。だがまずは文句を言いたい。
「歳をお考え下さい、御隠居!」
もうもうと上がる土煙の中、すっくと立つのは大柄な隻脚の影と、その傍らに立つさらに大きな影。
神代熊禅、並びに神代勇羆。戦線到着。
孫と共にワゴン車に乗り込み、屋敷からかっ飛ばして300キロ以上の距離をたった二時間程度で駆け抜けたユウゼンは、
「射程」に入った所で一気に道程を短縮する手を打った。
それは、球状の力場で自分達を覆った上で、円筒状の力場を外側に形成し、これを薬莢代わりにして爆破、自分達を射出す
るという荒業であった。
だいたいの方角へ雑に打ち上げたら、あとは力場の放出と崩壊を、飛翔距離と速度と角度の調整に用いて河祖郡へ至る…。
ユウゼンは孫に淡々と説明したが、これは数字を加えて述べるなら、最高高度約8キロメートル飛距離約60キロメートルの
弾道飛行と急降下。当然、常人の肉体ならば例え衣類や器具などの保護があっても、打ち上げの段階でかかる40Gの負荷に
耐えられないし、落着の際の急制動と衝撃にも耐えられない。この冗談のような芸当を普通に選択肢へ入れているのが先代家
長、神代熊禅という男。
これが歩く戦略兵器と渾名される、ユニバーサルステージ級能力者の力の一端。常軌を逸したその存在は、居るだけで戦況
予測に違う方向の計算を強いる。
「うぷ…」
口元をおさえるユウヒ。
「急ぎとはいえ少々乱暴な加速と射角であったな」
などと案じる祖父だが、ユウヒは発射前の段階…普段の安全運転からは想像もつかないユウゼンの、凄まじいドライビング
テクニックで酔っただけである。
「息災かな?シマタケ」
落ち着き払ったユウゼンの声に、ウンジロウは敵が居るにも関わらず、跪いて右拳をつき、深く頭を垂れた。
「御隠居、そして若…!面目ごらさん…!河祖中が落とされました…!」
感情を抑えきれず震えるウンジロウの声に、ユウヒは少なからず衝撃を受けていた。物心ついてからこれまで、この老虎の
声がここまで揺れるのを聞いた覚えはない。
「戦況について詳しく聞きたいのは山々なれど…、さて」
ユウゼンの目が向いたのはバッソ。
「神代家関係者と思われる老人と、後継者が到着…」
アサルトベアーズの隊長にしてオーズ直属のエージェントは、対象から目を離さないまま襟元に触れ、即座に通信で急を知
らせている。
「単独での交戦は危険と判断し、離脱を試みる。が…。済まない。後は任せる」
この時点でバッソは確信していた。単独では勝てない。それどころか、おそらく逃げ切れないと。しかし…。
『意外だ。珍しく弱気だな?バッソ』
その音声通信は奇妙だった。インカムだけでなく、外気も震わせて到達している。
ザリッと、雪が鳴った。
バッソの横手、木立から現れたのは、両腰に剣を吊るした白いジャガー。
即座に、ウンジロウは跳躍してユウゼンの前に移動し、ユウヒも二歩前に出て祖父の前に立つ。
(これは…)
老熊は目を細める。
感覚に覚えがある。現役時代に幾度もまみえた、神話級危険生物と同等の圧を、ジャガーから感じる。この感覚を人類から
感じるという事は…。
(古種。それも、末裔ではなく源流…)
バッソと並んだオーズを見据えながら、ユウゼンは確信していた。
そして、祖父ほどの鋭い感覚を持ち合わせていなくとも、ユウヒにも判る。その白い獣人が、これまで出会った敵の中でも、
飛び抜けて強力な戦士である事が。
若熊は直感した。オーズは自分の祖父よりも、父よりも、強いと。
「撤退準備を進めているが、進行状況が思わしくない。バッソ、お前が直接指揮して援護しろ」
小声でバッソに囁きながら、オーズは二本の剣を抜き放つ。
「しかしこの状況では…」
「ひとりは何とかする。というかそれで精一杯だ」
オーズの目はユウキから僅かにも外れない。直感していた。あの若熊が最も強い、と。
「あとは…、どうにか頑張ってくれ」
「…了解」
それが、ふたりが交わした最後の言葉になった。
素早く身を沈めて砲撃体勢に移るバッソ。同時に前へ踏み込むオーズ。
迎え撃つべく踏み出すユウヒ。同じく一歩踏み出そうとしたウンジロウは…。
「!?」
ハッと横を向き、凄まじい衝撃音を間近で聞いた。
オーズが、そこに居た。飛び掛る格好でユウヒに双剣を振り下ろして。
踏み出した一歩までは見えていたが、その続きは完全に知覚外。ウンジロウが気付いた時には、白いジャガーは赤銅色の巨
熊に肉薄している。
燐光を両腕に強く纏わせたユウヒは、済んでのところでオーズの強撃を受け止めてはいたが、踏み締めたその両足がゴグン
と音を立てて雪の下で地にめり込み、5センチほど沈んでいる。そしてその直後、
(出し惜しみできる相手じゃない…。ニブルリュストゥングを使う!)
金眼を鋭く細めたオーズの体から、ボシュッと、白い蒸気が噴出した。
ユウヒの目が見開かれる。蒸気と接した力場の表面がチカチカと細やかに明滅し、光の粒子になって霧散してゆく。操光術
の制御が強制的に解かれ、表面から熱と光に分解されていた。
ボッと、音が鳴った。
両腕で剣を受けているユウヒの腹に、白い蒸気を色濃く纏ったオーズの右脚が接触、力場をチリチリと磨耗させている。
直後、ドフォッと風が唸り、衝撃波が拡散。蹴り飛ばされたユウヒの巨体が水平発射された砲弾のように飛んだ。それを、
一瞬だけ身を屈めたオーズが他者には目もくれず、雪煙を巻き上げ高速移動で追いかける。この時点でバッソの砲撃音が響き
渡り、ユウゼンの手前で眩く力場が輝いた。
水平に吹っ飛んだユウヒに、蒸気を棚引かせて迫ったオーズは…。
「!」
接近したそこで、右腕を地面に突っ込み、急制動をかけ、そこを支点にして瞬時に反転した巨熊と視線を交錯させた。
ユウヒの逆の腕が、既に五指を開いて光を灯している。
「雷音破!」
不安定に見える姿勢でブンと振るわれた左腕から、五つの光弾が放たれた。空気を飲み込んで成長するように、圧縮された
それぞれが野球ボールサイズからサッカーボールサイズへと大型化し、オーズに迫り…。
「散!」
ユウヒが拳を握り込む。手導操作により五発の雷音破が起爆。五度の爆発音はしかし完全に重なり、一つに聞こえた。
周囲の木々が衝撃波を浴びて雪も枝葉も飛び散らせたその中心で、
「参ったな…」
オーズは健在。五発同時発射、同時炸裂させられた雷音破の真っ只中で、姿がよく見えなくなるほど、大量の濃い蒸気に包
まれている。
「挨拶代わりでこれかい?殺さないでとりあえず大人しくさせようっていう加減があったと感じるが…、それでもこれだよ。
こいつで死なないって判断した理由を聞かせて欲しい所だな」
世間話をするような口調で問いながら肩を竦めるオーズに、地面に打ち込んだ腕をズボッと抜いて身を起こしたユウキが応
じる。
「貴兄は強い。故にこの程度ならば問題ないと判断した次第。理由と言うならばそれに尽きる」
朴訥で揺らぎのない、雑なようで確信に満ちた返答。腹に貰った蹴りのダメージはない。正体不明の現象ではあったが、動
揺する事なく瞬時に出力を上げたおかげで力場を完全には消されておらず、ダメージを通さなかった。
「あー…。そうですか…」
呆れた様子のオーズは何故か敬語。
「うむ」
泰然とし過ぎて何を考えているのか判らないユウヒ。
短いやり取りと、僅かな沈黙。今の一瞬でかなりの距離を移動してきたので、既にバッソやユウゼン達はふたりの視界には
入らない。
「とりあえずはまぁ、非礼を詫びようか」
そう言って、オーズは軽く会釈した。
「一対一に持ち込まないとどうにもならなかったんでな。名乗り合いも抜きに、ああして不意打ちみたいな真似をさせて貰っ
た。済まない」
「いや。戦場において顔を合わせたその時より、火蓋を落とす心構えはすべき物。お気になされるな」
古風で堅苦しい物言いで応じた若熊に、オーズは目を細める。胸中や本心がどうあれ、少なくとも怒り狂って冷静さを欠い
てはおらず、声も動作も落ち着き払い、そこに判断や行動に不具合を生じさせるような乱れは一切ない。この状況でこの状態
を保てる…これは大物だな、と。
「俺はオーズオース・フェダイーン。F-Typeニーベルンゲン正規仕様…まぁ、「人工獣人」という物なので、こうして
喋ってはいるが兵器の一種と考えてくれていい。…そして、君達の土地を戦火に晒した首謀者のひとりだ」
堂々と、オーズは名乗る。自分が敵である事を主張したその名乗りは、殺し合う事を躊躇わせないための物。
「御丁寧にいたみいる。某は、帝直轄奥羽領守護頭、神代家現当主である神代熊鬼が長子」
会話は出来るが交渉は出来ない。話は判る男だが意思は変わらない。ユウヒはオーズを見てそう感じ取り、名乗り返す。
「名は勇羆。神代家の次期当主である」
その名乗りは、今日ここで自分は死なず、生きて当主を継ぐという勝利宣言。
「では」
オーズが二本のミドルソードを握り、腰を沈めて身構える。
「応」
ユウヒが両手をだらりと下げ、全身を巡回させるように流動する燐光を纏う。
この戦場における双方の最大戦力が、一騎打ちに入った。