第四十六話 「バッソ」

 自分は兵士である。

 自分は軍人である。

 自分は兵器である。

 自分は手段である。

 バッソは、エインフェリアとして起動したその瞬間には、既にラグナロクに属する軍人であり、ラグナロクに所有される兵

器であった。

 その在り方に疑問はない。人として、獣として、鳥として、魚として、虫として、草として、生まれた多くの者が自らの在

り方を当然の物と認知するように、バッソも自分という存在を「そういう物」と定義する。

 しかして、ラグナロク所有の兵器ではあれど、道具として思考や独断を禁じられる事はなかった。

 与えられた情報や学習内容は似通っていても、個人個人で性格も考え方も違う。多様性は逸脱した個性にならない限りは認

められ、少なくともバッソはその独創性を評価された。

 自分の素となった男の事は、与えられた資料で知った。

 中東の反政府ゲリラに加担していた、元政府側の軍人…狙撃手として知られた要注意人物だったらしい。

 政府から離れた経緯も、ゲリラに協力した経緯も、理路整然としていた。共感こそできなかったが、少なくとも動機には納

得できる物があった。

 作戦の都合上、必要な犠牲としてあの戦場で切り捨てられた。だから拾ってくれた民に、ささやかな生きる糧と先祖の土地

を護る者達に、後に反政府ゲリラと呼ばれる事になる少数民族に、その男は協力した。

 恩義と怨恨。その二つを銃に込めて。

 結局、彼は幸せだったのかどうかと、幾度かバッソは考えた。そして、幸せだったかもしれないと、少し思った。

 戦場で倒れた彼の遺体を、回収したラグナロクの工作部隊が記録に残している。数名の少年兵や赤子、妊婦や老人が、男の

最期の指示で拠点を放棄し、地下道を伝って戦線を離脱したと。

 バッソは時々思う。

 自分は幸せな最期を迎えるだろうか、と。

 例えば、気心知れた仲間と共に死ぬのは悪くないと、今は思う。

 そして、気心知れた仲間のために死ぬのも悪くないとも、思う。

 一度だけオーズに言った事があったが、白いジャガーは笑っていた。

 それだ。良いよな、そういう最期は。…と、愉快そうに…。

 

 ユウヒがオーズの突進を浴びせられ、両者が諸共にその場から消えると同時に、バッソはロングライフルを発砲していた。

 狙いは新たに姿を見せた巨躯の老熊、その心臓。力場を火薬にして撃ち出されたライフル弾は音速を超えてユウゼンに迫る。

ユウヒがオーズに蹴り飛ばされた衝撃の余波が、ユウゼンとウンジロウの横っ面を叩くタイミングだったが、結論から言えば

銃弾はユウゼンに触れられなかった。

 ヂギュンッと金属が擦れるような音を立てて、バッソのライフル弾はひしゃげ、溶けた鋼の塊になっている。ユウゼンが前

に突き出した両手に受け止められて。

 発砲直前、義足ではない左足を後ろに引き、腰を落として踏ん張ったユウゼンは、押し留めるような形で両手を前に出して

いる。その掌中に瞬時に出現したのは、大きな手にすっぽりと収まる黄金色の光。

 それは、朝顔の花のような形状をしているが、可憐でもなければ儚くもない。その光り輝く力場の花は、現当主であるユウ

キが全力で放つ光条の一撃にも匹敵する高熱を内包した、超高密度の力場による溶鉱炉。これに受け止められたライフル弾は

弾かれて飛び去る事もなく、捕らえられて一瞬の内に融解。そしてその力場も一瞬で展開を解除されて、逃がされた余熱がボ

シュゥッと周囲の景色を歪ませる。

 ユウゼンは力場の出力が弱い。それ故に、現役の頃からその戦闘技術には大きく分けて三種の工夫が凝らされていた。その

内の二種が、この「力場の局所集中」と「瞬間展開」である。

 全身に纏っていたのでは体力がもたず、防壁も薄くなる。そのため、狭い範囲に集中して瞬間的に展開するという使い方を

ユウゼンは好んだ。とはいえこれは相手の行動を予測し、過不足無く力を配分し、瞬時に展開するという、卓越した技巧とセ

ンスが要求される。

 呼吸するように力の流れを把握し、完璧にコントロールできる領域に至っているユウゼンだからこそ可能で、そもそも出力

の面で資質に恵まれなかったが故の苦心を土壌に生まれた超絶技巧である。

「合わせよ」

「合点承知!」

 続くユウゼンの動きに、ウンジロウが即座に呼応する。

 前に出した老熊の左手が円を描く。するとたちまちの内に、先ほど拡散した力場の余剰熱が再利用され、手の軌跡をなぞっ

て丸く、円盤状の力場が三重に形成された。

 放出したエネルギーの再利用。神代の奥義、轟雷砲の際に生じる周辺エネルギーの吸収を、ユウゼンは常態でやってのける。

これが三種目の工夫。この循環の技巧により、自身の低い力場放出量を補う。

 素早く前に回った老虎が、軽く跳ねて水平になり、身を屈めつつ足裏を合わせる。

 そして、脇腹に付ける形で右腕を引いて拳を固めたユウゼンは、「ぬん!」と息を絞り出しつつ、ウンジロウが乗った力場

の円の裏へ腰の入った中段突きを叩き付ける。

 瞬間の発光。そして爆音。ミサイルのように飛翔するのはウンジロウ。殴られた一枚目とウンジロウが乗る三枚目の間で、

二枚目の力場だけが爆散して炸薬となり、薬莢と弾頭の関係を模した高速強襲攻撃を実現させる。

 砕け散った光の障壁を背景に、加速度にも耐えて一瞬でバッソに接近する老虎。手甲が唸るその速度と重さは、単身での突

進攻撃とは桁が違う。受け止めてはいけないと判断したバッソは、射撃の反動で後方に滑りつつ、踏ん張るのをやめて跳躍し、

射線から逃れる事を考えたが…。

(まずい!)

 開戦以来初めて、その両目を大きく見開き、驚愕の表情を見せる。

 ウンジロウを「射出」した老熊は、腰を落とした中段正拳突きの姿勢。その眼前で、砕けた力場は固形化し、未だに分解さ

れていない。分割されたピザのように均等に割れたその形状は、意図的な物としか思えなかった。

 そして、ユウゼンの両拳が燐光を纏い、高速でその破片を乱打、連続発射する。

 ガトリング砲の連射に等しい速度で撃ち出された力場の破片は、ウンジロウを追い抜いて飛翔しつつ分解し拡散。散弾銃の

つるべ打ちにも等しい弾幕となる。

 三十年以上のブランクを感じさせないコンビネーション。老虎の強襲から逃れようとすれば、例えどの方向に跳ぼうと殺到

する力場の散弾で数十発単位のたこ殴りである。

 ライフルを水平に構え、後方に跳びつつガード、力場を全身に展開するバッソ。ウンジロウの拳は渾身の力を込めてライフ

ルを殴り抜き、ガイィンと、けたたましく金属音が鳴り響く。

 ペキッ…。

(あわよくば、と欲を出したのが失敗だったな。やはり無理か)

 殴り飛ばされる格好で、吹き飛んだ先で細木を薙ぎ倒し、地面を転がったバッソは、そのまま逃げの一手を選択。跳ね起き

るなり猛然と迫る老虎に背を向けた。

 ウンジロウひとりでも厳しいのに、ユウゼンが加わっては時間稼ぎもおぼつかない。

 ユウゼンが行なったのがどれだけの事か、同じくエナジーコート能力者であるバッソには判る。薬莢に力場を込めて砲撃す

るバッソ達アサルトベアーズも、一般的なエナジーコート能力者とは比較にならない技術レベルなのだが、老熊の技はもはや

単純な戦闘技術の範疇に収まらない。基本どころか根本…骨子から異なる、別次元の超絶技巧である。

「逃すか!」

 高速射出されたウンジロウも、凄まじい負荷に加えて雪面に脚を突っ込んでの制動が体をガタガタにしていたが、苦鳴を上

げる筋肉も関節も精神力で支配下におさめ、バッソを追おうとする。しかし…。

「ちぃっ!」

 身を低くして踏み止まったその眼前を、ダララララッと掃射が横切る。

 素早く視線を向ければ、木立の遥か奥から抱えたマシンガンを向けている黒熊の姿。携行に優れた小型の物ではない。二脚

を据えて構えるべきサイズの無骨な機関銃を、木々の間を縫うように疾走しつつ抱え撃ちしている。

(加勢か!)

 物陰に飛び込むか、追跡を続行するか、ウンジロウが判断を下すまでの一瞬で、閃光が夜の森を切り裂いた。

 薄く、長く、眩く、伸びたそれはまるで光り輝く絹の帯。

 ユウゼンが振るった右の手刀の延長線上を、極めて薄く長く伸びた熱線の幕…力場の崩壊熱が通過し、ウンジロウと射撃手

の間でジュンッと、雪面を炙って大量の水蒸気を上げる。

 水蒸気に加えて熱源も生じたため、狙撃が不可能になった黒熊は身を翻した。切り上げの判断が異常に早いのは、バッソが

戦闘を断念するような相手に関わっていては、時間も命もいくらあっても足りないと考えたからである。

 気配が消えた事を確認したウンジロウは、念のために木立の影を選んで素早く移動し、

(天晴れ、と言う他ない!)

 歯噛みした。容易には殺せないと判断し、交戦するふりをして、別働兵との連携が可能な位置まで引き込み、そちらが牽制

攻撃を加えた隙を逃さない撤退…。申し合わせていた様子もなく、状況に応じた即興の行動…。統制が取れている上に方針も

徹底されていながら、高い柔軟性を持つ兵士達…。

 これ以上は追撃も不可能と判断し、ウンジロウは熊達が去った方向を眺め続ける。できれば金輪際関わりたくないと思える

ほどの手錬達だと、最大限の賛辞と驚嘆を視線に込めて…。

 やがて、安全を確認してユウゼンに近付き、ウンジロウは「去りましたぞ」と頷きかけた。

「あの熊共、手錬どころの騒ぎではありませんぞ。先に相手取った本隊と思しき集団の兵士とは質が違い過ぎます。主戦力と

して動いていないのがこちらにとっては救いとなっているような輩です」

 歴戦の老兵から率直な意見を聞いた老熊は、思案して目を細める。

「主戦力として動かず、か…。で、あれば。あらかじめ精鋭を固め、そのように仕立てた遊撃の部隊といったところか?」

「およその目測では、どうやらそのようで…」

「主力に起用せなんだのは、それが少数であるため。そして、兵達が少数での臨機応変な行動に長けている故と見る。ユウキ

が取り巻きと共に似たような事をよくやっておったな」

 ユウゼンが例を挙げるなりウンジロウは目を大きくした。

 知っている何かとの共通点が見えると、できる事や任されていそうな仕事も見えて来る物。老熊の指摘は正鵠を射て、老虎

に気付かせる。

「…となれば、退路の確保も仕事の内、ですかな?」

「然り。…地の利がこちらにありながら翻弄せしむる、か…。うなじに薄ら寒さを覚える精鋭よ。そして、彼らがその仕事を

優先している間は良いが…」

 老熊が皆まで言わずともウンジロウは理解した。退路の確保が進み、兵の離脱が進み、余裕ができてしまったら?その時、

あの銃口が攻めに回ったら?

 ウンジロウであれば何とかというレベルの強者達である。何名居るのか判らないが、並の御庭番では手も足も出ないまま一

方的に殺される。

「先の白い獣人の剣客…、あれはユウヒに任せよう。ユウキもおる以上、某が大将首を取りに出る必要もおそらくはない。で

あれば…、戦働きは任せて、「大半」を使い切っても構わぬな」

 ユウゼンの言葉から何か感じ取ったらしく、ウンジロウは神妙に頷く。

「老いぼれとはいえ、先代お一人御守りできぬシマタケではございません。お任せを」

 ユウゼンが現役を退いて年月が経ち、ウンジロウ共々歳をとっても、老熊に最も合わせられるのは古参の老虎か山羊のどち

らか。ユウゼンを知らない若い衆を何人も同行させるより、この古兵一頭が護衛には適任である。

「うむ。では供を頼もう」

 老虎の言葉に応じるなり、ユウゼンは首を巡らせる。視線の先…、木々の向こうに老熊が思い描いて重ねるのは、河祖中の

村外れ。

 連中の狙いが御柱ならば、その位置こそ最適と判断した。

 

 

 

「御柱が目的か…。手に入れてどうするつもりじゃ?」

 のしっと、無造作に足を踏み出しながら問う熊親父。

「アレがどういった物か判って聞いているのか?」

 チベタンマスティフが応じるように前へ出つつ、鼻で嘲笑する。

「ふん。当然そんな事…知らんわい!」

 やおら、ユウキの右手が輝いた。というよりも、握った手の中に圧縮しておいた高密度エネルギーが不意打ちで解放された。

 ヂッ…と音を立ててヴィゾフニルの頬を掠めた閃光が、彼の身を覆うエナジーコートと干渉して小規模な炸光を散らし、駆

け抜けて夜空に細く線を引く。

「貴様ぁっ!」

 済んでの所で首を傾けて回避したチベタンマスティフが、頬の焼ける痛みに激怒するも、先制攻撃から突進に入ったユウキ

は、その憤激を蚊ほどにも感じずせせら笑った。

「おっと怒ったか?どうやら随分とお行儀のいい戦争ばかりしとったようじゃのぉ。それとも、奇襲なんぞには供回りが対応

してくれとったのか?」

 ドンと地面が揺れる。力強く踏み締められた大地が、ユウキの足元で割れ砕けた。

「せめて涎掛けとオムツが取れてから戦場に出るんじゃったな!」

 右足で地を蹴り、左足で踏み込み、跳躍するように一息で距離を詰めるユウキの左拳が、脇腹につけられたまま激しく発光

している。

 半身になって鋭く突き出された左拳が、ジンッと夜気を震わせた。咄嗟に受け止めようとしたヴィゾフニルは、瞬時に思い

直して受け流す。

「散華衝!」

 吼えるような熊親父の声に重なり、拳に纏わされていた力場が爆散した。多重構造の力場層が相互反応で炸裂する破壊の御

業。その熱量と衝撃は、生身で浴びれば瞬時に塵になるほど。いくらエナジーコートがあるといっても、真っ向から受けるの

を避けたヴィゾフニルの判断は間違っていない。体表を覆う力場から剥離するように羽毛状の光が離れて、即座に爆発。散華

衝の崩壊熱と衝撃波を相殺する。

(この反応!普通の操光術とも違うのぉ、独自の技術大系か!)

 瞬時に異様さを見抜いた熊親父は、分析しながらも右拳での連撃に入っている。五指を広げた平手が、その掌に一瞬で光弾

を発生させていた。

「雷音破!」

 ゼロ距離から即時炸裂の爆薬として叩き付ける。発生まで一瞬の、基本技術をひたすらに練り上げた不意打ち用の一発は、

開放点から散弾の如く放射状に広がる。これをヴィゾフニルの腹部に叩きつけるも…。

「舐めるなよウォーマイスター!」

 ボディブロー気味の一撃を放つユウキに、反撃とばかりにヴィゾフニルが浴びせたのは、彼自身が纏った燐光から剥がれる

ように分離した無数の羽毛状の光。一辺5ミリ四方にも満たない力場の欠片。

 即座に細かな羽毛が連鎖爆発を起こし、拡散した雷音破を掻き消してユウキを吹き飛ばした。それはばら撒いた火薬に着火

して爆破するような物。攻撃の密度も破壊範囲も広く、しかも発生から起爆までが異常に早い。

 宙で身を捻り、体勢を立て直して四つん這いで着地したユウキは、全身に残る痺れと痛みを無視して飛び掛かる。

「バベルが何かも知らず、それで警備するだと!?脳の機能に異常でもあるのか貴様!?」

 ヴィゾフニルが右腕の燐光を拡大させ、振るい、羽毛を飛ばす。腕を顔の前で交差させ、防御姿勢を取りつつ低い体勢で突

進するユウキは、構わずそこに突っ込んだ。一瞬で何百という小規模爆発を浴び、上体がブレるも、お構いなしに叫ぶ。

「知らん事に何ら問題などないわい!使ってはならぬ物、触れてはならぬ物、それだけ判れば十分じゃ!」

 爆発の連鎖を突破して肉薄したユウキの右拳が唸る。纏う燐光は先ほどと同じ高密度多重構造。

「散華衝!」

「ぬんっ!」

 炸裂する烈光に、ヴィゾフニルは受け止める格好で両手をかざす。が、それは受ける為の動作ではない。燐光を纏うチベタ

ンマスティフの両腕は、その表面に膨大な量の羽毛を、剥離させかけた状態で付着させている。

 閃光が一瞬、周囲を照らした。直後、凄まじい轟音と共に地面が抉れ返り、二頭を中心にドーナツ状に広がった爆風が周辺

百数十メートルを蹂躙した。

 粉塵と熱の渦が落ち着くと、その爆心地に、両腕を拡大した燐光で覆い、翼のように広げたヴィゾフニルが立っていた。

 力場の羽毛は殺傷力が高い爆弾でもあるが、纏う事で一種の反応装甲にもなる。対人地雷のように爆発を浴びせられたユウ

キは、弾き飛ばされて後退し、踏ん張った跡を長い溝にして残し、防御姿勢で堪えていた。

「知っとるのは、御柱を得れば世界を統べる事もできるという事ぐらいのモンじゃ。…が、それを求めた時点で失格じゃ」

 身を起こしたユウキの体を、不安定に揺らいでいた力場が覆い直す。

「使うべきではない物に頼らざるを得ん。真っ向勝負では得たい物も取れん、そんな輩が世界を統べるなど笑止千万!」

「…っ!黙れ!」

 怒鳴るヴィゾフニルに、ユウキは挑発を重ねる。

「そいつはのぉ、弱者の理論で敗者の道筋じゃ!大人しく分相応に小さく纏まっておけばいいと思うがのぉ!」

「黙れと言っている!敗者となる貴様に、何かを語る資格など無…」

 その怒鳴り声を掻き消すように、ユウキの右拳が突き出された。

「雷音破!」

 正拳突きのモーションで繰り出され、高速飛翔する光弾。多彩な技を身につけても、最も得意で応用バリエーションが多く、

頼りになるのはこの技である。ヴィゾフニルはこれを半身になって回避し、

「散!」

 パッと手を開いたユウキの手導に応じて、通過間際に爆発拡散した衝撃を、右の翼で払い反応爆発で叩き落す。その隙を突いてユウキが突撃、再び至近距離での戦闘を試みる。

 その口元から、ツッと赤黒い血が伝う。

(余裕が無いわい…!既に形振り構っとらんが、それでもキツい相手じゃな…)

 しかし、ヴィゾフニルが肉弾戦を嫌った。突進したユウキから逃れるように、後方へ大きく跳躍しつつ、その両腕を広げる。

 そして、巨大な翼のように広げた力場で羽ばたき、両脚から噴射したエネルギーで舞い上がる。

(この密度…!この放射光…!どれだけ余力があるんじゃコヤツ!)

 見上げるユウキ。翼を広げて輝きながら滞空するヴィゾフニルは、まるで光の鳥のように見えた。

 ヴィゾフニルが広げた翼を煽り、表面から羽毛状に力場が剥離する。綿毛のように可憐に見えるそれは、しかし殺戮兵器と

なる小型爆弾の群れ。

「蹂躙する…。毛の一本、血の一滴も残さず蹂躙し尽くしてくれる!」

 力場を衣のように身に纏う防御でも、盾として展開する面の防御でも防ぎ切れないと判断し、腰を落として防御姿勢を取り、

頭上に手をかざしてドーム場に力場を展開するユウキ。

(ええい!もう無駄遣いできんと言うに、ここでまた削られるか!)

 雪のように降る羽毛は周辺全てを大規模爆発で薙ぎ払い、爆風と土砂に飲まれてユウキの姿が消えた。

 

 

 

 雪がひとひら、ゆるりと舞い降りる。

 それを砕くこと無く両断し、軽やかに剣が鳴いた。

 ジッと音を立てて、結合が緩んで表面が光の粒子となって散りつつある巨熊の力場が切り裂かれ、胸元を掠める。

 右拳を突き出した半身の状態で、懐に飛び込まれたユウヒは左膝を跳ね上げる。足裏で力場を弾けさせて。

 ブースター付きの膝蹴りとでも言うべきか、挙動が筋肉による動きとは異なる攻撃を、オーズは腕を引き込んで曲げた肘で

受ける。

 危険生物の甲殻を纏う種ですら潰して破砕するその膝蹴りを受け、しかしオーズの体は砕けない。砲弾のように吹き飛んだ

が、その先で木の幹に叩き付けられる寸前に体を反転させ、水平に着地、メキメキと音を立てて根っこの片側が持ち上がって

傾いたそれを足場に跳躍。そこへ、飛来した雷音破が着弾して、寸前までジャガーが居た位置で木の中央部分がごっそりと消

滅する。

 ダンッ、ダンダンッ、と断続的に木立の中で音が響く。

 何本も薙ぎ倒されてなおまだ多い木を足場に、隙間を縫うように、跳ね回るボールの如く高速移動するオーズ。蹴られた木

から積もっていた雪がドサドサと落ち、雪煙が上がって視界を制限する。

 的が絞れないユウヒは無理な攻撃をせず、おもむろに直立し、両腕をダラリと下げた。

 棒立ちに見えるその格好で、目も閉じた巨熊の背後から、雪煙を貫き、音すらも置き去りにした白いジャガーが襲い掛かる。

上半身を捻り、両腕を大きく右側に引き、後ろに伸ばしていた両剣を、そのうなじと背骨めがけて高速でスイング。しかし…、

(マジですか。背後からの音速攻撃に反応するとか何ですかそれ)

 呆れ半分、驚き半分、何故か敬語混じりに独白するオーズ。命中する寸前にユウヒの巨体が、解け落ちるように沈み込んだ。

 空を切ったオーズは剣撃の勢いで高速スピンし、衝撃波を撒き散らしながらユウヒの上を通過。その軌道上にあった巨木が

ザコンッと音を立てて、二条の切り口を見せて斜めにずれ、倒れる。

 ボフッと、ジャガーが移動した軌跡をなぞるように足元の雪が抉れて吹き飛び舞い上がる。その中へ、四つん這いに伏せた

姿勢から獣のように、猛然と前へ出るユウヒ。

 左拳に纏う燐光が、一度拡大してから収縮、高密度に圧縮されて手袋のように薄い、しかし眩く輝く力場となる。

(この「濃さ」なら、どうだ?)

 白い蒸気で制御を解かれてしまう事は理解したが、瞬時に無効化される訳ではない事も把握した。

 雪煙の中、朧に見えた影が間合いを詰めて来る。

 白い視界を裂いて鋭く突き出されたその切っ先を、力場でコーティングした左手の甲で上に跳ね上げ、防御から転じて直線

的な突きを繰り出す赤銅色の巨熊。

 眩い燐光を纏うその拳は、ボッと音を立てて空気を粉砕するも、軸足を支点に半身になったジャガーを捉えられない。

 右剣を弾かれ、反撃を回避したオーズは、そこから左剣を後方から下方を経由させ、体の際から掬い上げるようにコンパク

トなモーションで斬撃を繰り出す。

 しかしその一刀は、くるりと回したユウヒの右手で捌かれて頭上に抜ける。

 間髪いれず身を捻ったオーズの右足が夜気を裂く。ローリングソバットは巨熊の胴に飛び込み、自分の二倍はある巨体を蹴

り飛ばした。

 蹴り飛ばされて両足が地面から離れながらも、ユウヒはダメージを負っていない。がら空きになっていたようでも、胴体…

ソバットが入った脇腹には力場の高密度障壁が出現しており、打撃を完全に防いでいる。

 ドッと重々しい足音と共に着地した時には、腰を落とした構えになり…。

「雷…、音…」

 右、左、と正拳突きの素振りをするように繰り出すユウヒ。その拳が残像を生んで戻った後には、光球が二つ前後に並び、

宙に留まって残されている。

「破!」

 力場を纏い直した右の正拳突きが、並んだ光球の後ろ側を叩き、炸裂させる。前側の光球が爆発で弾き出された。

 高速のあまり飛翔する光弾ではなく、一条の閃光と化したその射線から、オーズは横っ飛びで逃れる。そのブーツが一瞬前

まであった位置を通過して、閃光は接触した木々を穿ちながら刹那の間に彼方まで到達し、空に抜けて線を刻む。

(直撃したら即死だな…。とんでもないのが居たもんだ)

 転がって身を起こしたオーズは、瞬き一つの間に構え直していた。一方…。

(強い、などと一言で表現できぬ。これほどの猛者とは会った事が無い…)

 雷音破に続いて高速突進、追撃に入っていたユウヒはオーズの立て直しの速さでこれを断念、急制動をかけつつ油断無く構

え直しながら、ジャガーにひたりと目を据える。

 それは、常軌を逸した戦闘だった。

 お互いに戦闘行動はリミッターを全て外して行なっている。さらに、ほんの短い停滞時に息継ぎするが如く通常状態に戻す

事で消耗を抑えている。運用と切り替えに極度の集中を強いる禁圧解除を、両者は呼吸するレベルで使いこなしていた。

 その上で、総使用時間もまた異常である。禁圧解除可能に至っても、一瞬の開放のみに留まる者もあれば、修練によって分

単位で扱える者も極めて稀ながら存在する。

 が、ユウヒもオーズも、僅かな静止時間を除いたここまでの二十分弱を、ほぼリミッターカットしたままで行動している。

まともな生き物であれば負荷で参ってしまうどころか、筋肉も関節もズタズタになっていておかしくない。

 じりっと、両者が油断無く間合いを詰める。真っ向から全速で当たっても決定打にならないので、お互い、乱打戦に持ち込

むか攻防の隙に大打撃を狙うしかない。

 オーズがその体から発散している白い蒸気は、ユウヒが纏う力場を中和消滅させる。とはいえその分解は力場の出力やエネ

ルギー密度が高まれば高まるほど遅くなるため、完全に無効化するには至らない。今の閃光のような高出力の物は避けなけれ

ば死ぬ。

 加えて、ユウキの肉体自体が繰り出す素の拳や蹴りが問題。保護する力場が無かろうが、危険生物も普通に殴り殺す拳打は、

まっとうな生物の範疇に無い強靭さを誇るオーズにとっても驚異的だった。

 反対に、ユウヒは力場の結合を解かれる現象にすぐ気付き、出力の増強で対応できると判断したものの、戦力を削がれてい

るという点はどうしようもない。薄い力場はすぐさま解かれるため出力を強く、密度を高く保たねばならず、基本防御行動だ

けで普段の数倍もの消耗を強いられる。

 また、攻撃面でも同じ事が言えて、ジャガーが纏う霧で威力減衰が起こる。牽制で放つような低威力の技はオーズに届きも

しない。

 そして、双方共に舌を巻いたのは、相手の近接格闘技能。オーズの双剣はユウヒが経験した範疇に無い高みにあり、若熊の

徒手空拳はジャガーが知るどの戦士をも凌駕している。

(この若熊…、同じ操光術使いでも、ディンより強い!)

(この戦士…、おそらくは親父殿よりも強い…!)

 そしてジャガーは悟った。

(まぁ、最後の戦場、最後の相手、どっちも不足はない…)

 ここが、今夜が、自分の命の捨て所なのだと。

(ヘル、後は任せる。バッソ、頼んだ事ちゃんとやってくれよ。スルト、悪いが付き合えるのはここまでだ。ニーズ…)

 ふぅ…と白く息を吐く。

(きちんとサヨナラしてやれなくて、ゴメンな…)

 意識して脱力し、自分の体の内側に意識を向ける。

「ニブルリュストゥング…、ツヴァイテエタージェ…」

 ジャガーの金眼が鋭く細められた途端、身に纏う蒸気の量が増え、体の表面を高速で巡回し始めた。

 発散されていた白が密度を上げ、その流動域が、外周も、渦も、衛星から見る台風の雨雲のようにはっきりと判るほど濃く

なる。

 そしてパキパキと、水が凍ってゆくような音を立てて、オーズの戦闘服の上に、半透明な乳白色の結晶が付着してゆく。

 両腕の肘から先を、籠手のように覆う。

 鳩尾から首元までを、胸甲のように覆う。

 膝上から爪先までを、ブーツのように覆う。

 見る間に出現してオーズの体を武装させたのは、白い装甲だった。

 胸を覆うブレストアーマー。両前腕を包むガントレッド。両膝から爪先までも脚甲が鎧っている。さらには、二本の剣も元

々の刀身を白水晶のような結晶で覆われ、ミドルソードサイズだった全長を刃渡り120センチ強の長剣サイズまで延長して

いる。

 上腕や太腿、頭部に装甲を帯びない軽甲冑姿となったオーズを、表情も変えずに見据えるユウヒだったが、どんな原理で何

が起きたのかは判らない。放出している蒸気も、それを結晶化させ装甲として纏うのも、未知の現象である。

 ただ、確かな事は…。

(鎧になった部分は、効果も濃くなっておるのだろうな…)

 緊張が隠しきれず、フワリと、ユウヒの首周りの豊かな被毛が膨れるように立つ。

 おそらく、伸びた剣も装甲となった部位も、蒸気の状態よりも速やかに力場を分解する。攻撃も防御もより困難になるのは

確実。

「さて…、本腰を入れてかかろうじゃないか。お互いに、な」

 体の中から何かが抜けて、空白を身に宿したような虚脱感を覚えながら、オーズの金眼がひたりとユウヒに固定され、ギラ

リと輝いた。

 ジャガーは察している。自分もそうだったが、この巨熊もまだ本気でも全力でもない、と。

 そう。両者はまだ、オーバードライブを使用していなかった。

 

 

 

 河祖中の外周に至ったユウゼンは、無残に蹂躙されたその有様を沈痛な表情で眺め、目を閉じて手を合わせ、しばしの間黙

祷を捧げる。

 そして再び目をあけた時には、もう切り替えが済んでいた。

「では、秘術の行使、ここに執り行う。周りは任せる」

「は!」

 身辺警護を任されたウンジロウが力強く頷くと、ユウゼンは左腕を作務衣の袖の中に引っ込め、襟から出して片肌脱ぐ。

 そして、天を見上げて垂直に右手を伸ばし、掌を開いて目を閉じ、精神を集中させる。

 たちどころに、掌の中央にポッ…と小さな光球が生じた。

 ビー玉サイズのそれに、全神経を集中させてユウゼンは手を加えてゆく。

 高密度エネルギーの炉心。それを取り巻く拡散レンズとなる力場。万が一失敗しても爆発しないよう周囲に防御壁を厚く展

開し、徐々に熱崩壊する炉心の光を少量ずつ放出するよう調整。

 手を加えるほど膨れてゆくソレは、やがてユウゼンの手の上で蜜柑大に、林檎大に、西瓜大に、少しずつ成長してゆく。そ

の光球の拡大に反比例して、エネルギーを取り込まれた周囲の大気が冷えてゆき、ユウゼンの足元では雪面が再凍結してパキ

パキと音を立て、その範囲を広げてゆく。

「秘術、解禁

 これは、孫にも教えた業(わざ)。

 奥義ではない。戦闘のための技能ではなく、神代、鳴神、大神の三家に共通して伝わる、奇跡を現実の物とする秘術。

 孫が修行に来たある夜に、ユウゼンは晩酌につき合わせながらこの術理に纏わる昔話を伝えた。その伝承の一部こそが、か

つて現実に起こった奇跡その物。

 

 昔…、三百年以上も前に、その奇跡を為した者があった。

 長雨に打たれて死に瀕した地を救うため、打ち上げし眩き光にて雨雲を追い遣り、大地を照らし尽くして温め直した。

 三日三晩、その光は地上から夜を消し、奇跡の陽射しは濁流と泥と雨水に覆われた大地を乾かし続けた。

 上流から下る水すらも時を追う毎に減ったというからには、どれだけ広く照らされたのかは想像に難くない。

 氾濫した河の濁流に飲まれる事を免れた集落、幾百。

 難を逃れて生き永らえた無辜の民、幾千。

 無事に済んだ田畑作物、その後の暮らしの安定に鑑みれば、救われし命の数はさらに増えよう。

 その功績にも関わらず、非業の最期を迎えたその姫の名にあやかり、某らはこの業をこう呼んでおる。

 

「慈業、日照(じごう、あまてらす)…」

 囁くようなユウゼンの声を受け、その光球は糸が切れた風船のように上昇、河祖群の空へと舞い上がる。

 巻き上がった噴煙よりも、垂れ込めた雪雲よりも低い位置。ユウゼンが望んだ高度でピタリと静止した光球は、その光を徐

々に強めてゆき…。

 

 照明弾かと、誰もが思った。

 灰色の髪の魔女が、森を駆けていた熊達が、黄昏の兵達が、御庭番達が、赤銅色の巨熊と白いジャガーが、空を見上げてそ

の光を見た。

 それは、太陽の似姿。

 本物よりも低い位置で燃える小さな太陽は、その圧倒的光量で河祖郡一帯を昼間の明るさに変えた。

(まずいわねぇ…)

 一目見てヘルは悟った。自身がそういった術を扱える訳ではないが、あれは高密度エネルギーを強靭な力場の外殻で押さえ

込み、一定時間燃焼させるという極めて強固な構造をしている。ちょっとやそっとの攻撃では破壊できないし、何より眩し過

ぎて狙いを定めるのも一苦労。

(何より…)

 ヘルは視線を戻す。彼女の周辺には撤収できた兵達。殆どが負傷者で、しかも全体の一割も居ない。撤退はまだ全然進んで

いない。

 しかも、地の利というハンデを帳消しにする要素…夜陰に紛れるというアドバンテージが完全に消えた。こんな昼日中と変

わらない明るさであれば、撤退戦もままならない。

(このままアサルトベアーズに危険を強いて、撤退者の頭数を増やす?それとも、見切りをつけてアサルトベアーズと…)

 もう負け戦が確定していると、ヘルは見切りをつけている。

 命は平等などではない。各々の価値は違う。この状況なら、拾い上げる物は厳選しなければ。オーズとアサルトベアーズ、

そして可能であればヴィゾフニルの撤収を最優先するべきだとヘルは考える。

「オーズ。オーズ。応答してください」

 ヘルは通信機に呼びかける。が、彼にはもう、返答する余裕がなかった。

 

(優位性が完全に失われた…!)

 一度は天を見上げて立ち止まったバッソだったが、しかしすぐさま駆け出す。迷う間にひとが死ぬ。戸惑う間に退路が断た

れる。

 その隣に、脇から駆け込んだ雌熊が並走し始めた。

「南西方面が手薄だったから、八名逃せた。でも、どうする隊長?」

 そして反対側に、機関銃を小脇に抱えた男…先ほど逃走を援護した黒熊が並ぶ。

「悠長に時間を割いた撤退援護には限界がある。夜闇に乗じた遊撃も効果は薄くなった。何処で見切りをつけるかの話になり

ますよ、隊長」

 両名の提言を受けながら、バッソはすぐさま判断を下した。

「各員、自身の撤退を優先順位上位に設定し、支援難度が低い兵員を優先して救出、撤退させろ。身を捨ててなどとは考える

な。対象と自身、双方の撤退が危うくなる状況での救助は厳禁とする」

『任務了解』

 各員から通信越しに返事が通り、バッソは二名を引き連れて駆け続ける。

 

 

 

「慈業、完了…!」

 老いた熊がドッと雪面に片膝をつく。

 喘ぐような激しい呼吸で胸と背が上下し、全身から薄く発汗の湯気が昇る。

 エナジーコートとは生命エネルギー。命と引き換えに…という事であれば伝承に謳われる姫に倣う、三日に及ぶ使用も可能

だろうが、今回はせいぜい一時間強といった所。それでもユウゼンは日照の使用で体力の七割がたを持って行かれた。

「しばし休息なさって下さい」

 ウンジロウは周囲を警戒しつつ、懐から取り出した小さな紙包みを開き、中身をユウゼンの手に握らせる。それは米を練っ

て固めた携帯食…きりたんぽに近いが、中空になった芯部分には餡が詰め込まれ、いくらか食べ易くされている。

「では、言葉に甘えて…」

 呼吸を整えつつ携帯食を齧ったユウゼンは…。

「…味が進歩したか…」

「食えた物ではありませんでしたからな、昔は。トナミ様が発案なさってそのように…」

「ユウキめには、でき過ぎた嫁よな…」

 ウンジロウと苦笑いを交わす。老熊が現役だった頃の携帯食は、粉っぽくてボソボソしており、水が無ければ飲み込むのも

苦労する品だった。

「落ち着きましたら安全圏へ。後の事はお任せを…」

 ユウゼンの傍らで周囲を警戒しつつ、ウンジロウは拳を握り込む。

 戦況は一変した。日中と変わらないこの明るさの中ならば、余所者の絡め手など恐るるに足りない。御庭番が圧倒的に有利

である。

(ここからは、こちらの番よ…!)

 ギラリと、老いた虎の瞳は力強く輝いていた。