第八話 「神壊不二守雷爪」

 岩塊があちこちから覗く、雑多な木々が鬱蒼と茂った森。

 昼間でもなお暗いこの青鬼ヶ原大樹海は、遥か昔、この場から仰ぎ見る富嶽が火を噴いた際に溶岩の濁流が大地を埋め、そ

の上に木々が逞しく根を張って形成された森である。

 一度奥へ踏み込めば戻れない。そんな言い伝えが根強く語られるこの地は、しかし実際にはその木々の茂り具合や広大さだ

けが脱出を困難としている訳ではなかった。

 まったく別の要因がこの地に根を張って以降、樹海は自然の迷路として以上の惑わしをひとに働くようになったのである。

 その樹海でも、ひとが間違っても迷い込めないような奥深く。大人三人が手をつないでも囲めないような巨木の前に、地面

から突き出たように顔を出している人の腰ほどの高さがある台形の岩があった。

 かつて溶岩だったその岩はごつごつとして表面も粗いが、上面だけはまるで豆腐を切ったように滑らかで、小さな凹凸すら

ない。

 その平らな面に、信じ難いほど大柄な熊が座っていた。

 結跏趺坐を組み、股の上に掌を上向きにした手を重ね、微動だにせず瞑目している熊は、まるで坐像のようでもある。

 動かないからというだけではない、静かだからというだけではない、その体躯があまりにも大きく、太く、分厚過ぎるため、

ひょっとしたらひとではないのでは…、と錯覚しそうになるためでもあり、極めて気配が薄いためでもあった。

 だが、その胸と腹、肩は、注意深く見ればゆっくりと動いていた。深く、遅い、おおよそ常人の物の倍以上の時間をかけた

呼吸によって。

 くるぶしまでの長さの下穿きを穿いているが、素足で、上半身には何も纏っておらず、岩の縁に肩の所で袖を落とした胴衣

をひっかけている。

 体の前面も背面も丸みを帯びている。いずれも鍛え込まれた筋肉の上に分厚い皮下脂肪と密生した被毛を纏っているため、

大きく張り出して丸みを帯びている。

 腕も足も太く、二の腕などは標準的な成人のウエストほどもあり、太ももにいたってはスポーツで鍛えた男性の胸囲ほども

ある。

 腹は丸く出ているが、その下で胴を支える腰もどっかりと太く、全体的にずんぐりしたシルエットになっている。

 発達した筋肉で肩が大きく盛り上がっている上に、首そのものも太いため、後ろから見れば胴にそのまま頭部が乗っている

ように見えた。

 神壊不二守雷爪。それがこの巨漢の名。

 かつて、神代家の当主が裏帝の側につき、そして実弟に敗れた際、それまでの姓を捨てて裏帝より賜った新たな姓…、それ

が神壊。

 裏帝の守護を担う、現時点で最強の逆神が名に含める号…、それが不二守。

 その二つを名に冠するライゾウは、名実ともに現在最も強大で最も危険な逆神とされている。

 裏を返せば裏帝勢の柱であり、最大戦力でもあるのだが、本人は現筆頭としての意識が薄い。より正確に言うならば、自分

が筆頭である必要はないと考えている。

 歳で言えば年長者のシモツキの方が、皆を率いるに相応しい。

 知略や采配の面で言えば、ギョウブがこれに相応しい。

 結局自分は腕っ節だけで、頭として音頭を取る立場には向かないのだというのが、ライゾウの持論である。

 そして実際、ライゾウは様々な工作や長期計画、守りの布陣に至るまでを、ほぼ全てギョウブに委ねている。逆神当主とし

ては最年少だが、ギョウブは使命感が強く頭も切れるため、シモツキも異を唱えはせず、この奇妙な委任は成り立っていた。

 やがてライゾウは薄く目を開ける。

 そのギョウブが、岩が剥き出しの地面を踏んで木々の間を抜け、歩いて来る気配を察して。

「瞑想中でしたか」

 漆黒の作務衣を纏う、熊に見紛う程の大男は、歩み寄りながらライゾウに声をかける。隠神家当主は代々そうなのだが、ギョ

ウブもまたその例に漏れず、狸としてはかなり大柄だった。

「そろそろ戻るつもりだった」

 応じたライゾウは腰を上げ、岩の上で背筋を伸ばし、腰を捻って体をほぐす。

「何ぞあったのか?」

 大熊を見上げているギョウブは、そう問われて「ああ、いや…」と、一瞬口ごもった。

 その歯切れの悪い返答でライゾウは悟る。どうやら里に関わるような危急の用事ではなさそうだと。

「その…、祝言の日取りが決まりまして…」

「それはめでたい」

 即答したライゾウは、しかし表情に変化が無く、本当にめでたいと思っているかどうかは外見上からは疑わしい程である。

 だが、ギョウブは、そして隠れ里の者は皆知っている。この大熊は力を得る為に試みた禁断の荒行のせいで表情の変化が乏

しくなり、感情の変化が極めて読み取り辛いだけなのだと。

 そのせいでライゾウの態度自体は極めてそっけなく見えるが、概ね口にした通りの考えや感想をそのまま抱いている。

 それが判っているので、態度で気を悪くした訳ではない。だが「どうも…」と応じるギョウブは視線を下に向けており、声

にも張りが無い。

「どうした?」

 訝る様子で目を細め、狸の顔を覗ったライゾウは、

「…ワシは、本当に今、妻を娶って良いものでしょうか?」

 ギョウブのそんな呟きに、丸耳をピクッと震わせた。

「良いも悪いも、既に決まった事であろうが」

「それはそうです。そう…ですが…」

 大狸は俯いたまま、悩んでいる様子で呻く。

 ギョウブは今年で二十八歳。逆神としては、普通ならばもう妻を娶り、子を為していなければならない時期である。

 裏帝勢はその殆どが戦いに明け暮れる人生を送り、天寿を全うできる者は僅かしか居ないのだから、血筋を断たれないよう、

早くに婚姻を済ませるのが常だった。

 だが、ギョウブは良くも悪くも御役目に忠実過ぎた。子を作る事もまた大事な役目だと判っているが、修練と戦いに費やす

だけの青春を送り、色恋沙汰には興味を示さず、愚直に武力と知力を追い求めて大人になったのがこの大狸である。

 昨年他界した先代当主である父親が半ば強引に進めていたのがこの婚姻で、ギョウブも半ば仕方なしに承諾したのだが…。

「相手の事が好かぬ、と?」

「そうではありません」

 即答したギョウブは訴える。

 妻となる狸は当然隠れ里の住人、ライゾウも知った相手である。五代前に隠神から当主の妹が嫁いでおり、血の濃さも過不

足なく、能力の具現度合いも申し分ない、妻とするには全く問題ないどころか、この上なく良い血筋と言える。

 やや太り肉のぽっちゃりした娘だが狸としては標準的であり、醜女では決してない。愛らしいとも思っている。

「では何故迷う?」

 ライゾウの問いに、ギョウブは一瞬黙った後、キッと顔を上げてきっぱりと応じた。

「所帯を持つ事が枷になるのではないかと、それが心配になりました」

 妻を持つ、子を持つ、家庭を持つ、それらを守らねばという意識が芽生えた際、自分はこれまでのように戦えるのか?命が

惜しくなるのではないか?それが心配なのだとギョウブは訴えた。が、

「たわけ」

 ライゾウは静かに言葉を挟み、ギョウブの声を遮った。

「命が惜しくなる?お主、そこまで阿呆だったのか」

 怒鳴るでもなく、平坦に吐かれた容赦のない言葉は、ギョウブをムッとさせた。

「そうなるかもしれぬというだけです。この命、惜しくなどありません!」

「故に阿呆だと言っておるのだ」

 声を荒らげたギョウブに、ライゾウは静かに告げる。

「このライゾウ、命は惜しい」

 ギョウブは黙る。意外そうに巨漢を見上げて。

「命知らずと揶揄される神無一派も、命は惜しいと思っておる。覚えておけギョウブ」

 ライゾウは若い隠神当主を見下ろし、諭すように続けた。

「惜しまぬ命に力は無い。はなから命を捨ててかかって得られる力など、掴んだ小石を投げるに等しい一時限りの物だ。握り

締め、そして殴り付けろ。砕けるその時まで安易に手放すな。真に恐れるべきは…」

 一度言葉を切り、ライゾウは大きな手を胸に当てる。

「投げ打つべき時を、見誤る事だ」

 ギョウブはその言葉を反芻し、「見誤る事…」と呟いた。

「「その時」が来るまで命を惜しめ。もはやお主の命は、自身だけの物ではないと知れ」

 ライゾウはそう言うと、口を閉ざしてギョウブの様子を覗った。

 隠神は眷属…つまり血を分けた分家筋が多い。頭数から言えば裏帝の手勢では最大勢力である。先代の死去によって当主を

継いだギョウブはそれらを率いる長であり、もはや簡単に命を投げてはいけない立場となっている。

 家族を持つ事で命が惜しくなっては困る…などという言葉が出るのは、その自覚が薄かったとしか言いようがない。ライゾ

ウに諭されて、ギョウブはようやくそれに思い至った。

「肝に銘じます…」

 頭を下げたギョウブに頷き、ライゾウは岩を降りた。そして、珍しく多く喋ったものだと、自分が並べた言葉を振り返る。

 自分の子らが理解できるようになった時にも伝えたい考え方だったが、この代で戦を終わらせられるならば、そんな心得を

仕込む必要もないかもしれないとも思う。

 その為に荒行に挑み、少なくない物と引き換えに得た力なのだから。

 終わらせる為に…。天敵神代を、最強の神将鳴神を葬(はぶ)る為に…。

 気付けば右手を胸の前に上げ、その掌を見つめていたライゾウは、ぎゅっと拳を握り込み、顔を上げた。

「物は考えようだ。守らねばならぬ里に家族が居るのだから、やる事はこれまでと変わりは無い」

「…そう…ですね…」

 頷くギョウブ。聞いた事を咀嚼し、受け入れようとしているのだろう若当主をしばし見つめた後、「それで…」と、ライゾ

ウは先を続けた。

「悩んでおる事は、今口にしたその事以外にもあるようだが?」

 これに対し、「いや、あるにはありますが、そちらは少々程度が低いというか、個人的な迷いというか…」と、歯切れ悪く

応じたギョウブは微妙な顔つきになった。

「…おなごとの…つ、付き合い方という物が…、ワシにはさっぱり判らぬもので…」

 真下を向いてもごもごと呟き、毛を逆立てて太い尻尾をさらに太くしたギョウブを眺めながら、ライゾウは珍しく、ほんの

少し口の端を上げる。

 隠神家も、その本家筋だった神ン野家にも言える事だが、狸達は性欲旺盛で繁殖力に優れている。色恋沙汰に疎いギョウブ

はむしろ例外といえた。

「そちらについては…」

 ライゾウが口を開き、何か助言があるのかと淡い期待を抱いて顔を上げたギョウブは、

「覚悟しておけ。俺も苦労した」

 そんな言葉を受けて肩を落とし、大熊は面白がっているように目の奥を穏やかに光らせていた。



 閃光の中から、金色の腕が延びる。

 相殺と同時に突っ込み、力場で余波を防ぎながら肉薄した、獅子の右腕が。

(走馬灯…、だとすれば縁起の悪い)

 こんな状況でどういう訳か、過去の情景が一瞬脳裏を過ぎったライゾウは、五指を広げて掴みかかるように伸ばされたライ

デンの手に対し、自らの左手をぶつけに行く。

 瞬時に形成された超高密度のエネルギー球が、接触寸前に両者の掌で輝いた。

「夜照雷球(やしょうらいきゅう)!」

「滅頭無塵(めっとうむじん)…!」

 同時に声を発し、眩いエネルギー塊を衝突させる両者。突っ込んだ獅子は勢いを削がれて止まり、迎え撃った大熊の巨体が

踏み締めた地面に溝を作って下がる。

 右手と左手を打ち合わせた二頭の雄の間で、強烈な熱と衝撃、斥力が荒れ狂い、地面が抉れ返って土塊が左右へ水飛沫のよ

うに飛び散り、傍で針葉樹が幹を焼かれ、火を上げる。

 ナパーム弾にも匹敵する破壊をもたらす二つの光球は、金色と赤錆色の閃光を周囲に散らし、押し合う両者は一歩も譲らず

踏ん張り、睨み合う。

「下がれ!もっとだ!」

 切羽詰まった号令が渡り、鳴神一派が想定戦闘区域を見直し、さらに後退して行く。ギリギリの位置に陣取ったつもりだっ

たが、迎え撃つライゾウの力場がライデンのそれに当たり負けしないため、さらに下がらなければ巻添えを食う恐れが出てき

たのである。

 やがて、バジュンッという耳障りな音と共に、獅子と熊の間で二つの光球が潰れて消え去り、両者の手が薄い力場を纏った

ままがっしりと指を絡ませ合う。

 相殺。神卸しを用いたライデンの光術と、一度ならず二度までも相殺現象を引き起こした大熊に、鳴神一派は驚嘆と畏怖を

同時に覚える。

 夜照雷球は、放出する形の技が多い鳴神の武技において、近距離での徹底破壊を目指して編み出された接近戦用の大技だっ

た。当主が全力で放ったそれが良く似た技で相殺されるという現実は、つい先刻までならば考えもしなかった事である。

 その最中、ライゾウは一瞬前の回想について思い返した。

 あれからギョウブには慎重さが育まれた。あの時二人で話した事も、伴侶を得て子に恵まれた事も、彼にとって無駄にはな

らなかったと思いたい。

 こんな気分になるのは、あるいは鳴神と拳を交えたせいだろうかと、ふと考える。

 神壊と鳴神…、否、神代と鳴神には奇しき縁がある。もしも遥か昔、鳴神の祖と神代の祖…当時は名も違っていた両家の先

祖が出会わなければ、神将の中に神代家が加えられる事は無かったし、その子孫たる自分達がどうなっていたかも判らない。

 また意識が内に向こうとしたライゾウは、すぐさま強引に注意を戻し、目の前の獅子との戦闘に集中する。

 右手と左手を噛みあわせた両者が止まっていたのは一瞬の事、ライデンはすぐさま左腕の燐光を強め、ライゾウの顔面に送

り込む。対してライゾウはそれに頭突きをくれてやる格好で頭を出す。拳と額が力場の分だけ隙間を保ち、光の粒子をバッと

火花のように散らして激突した。

 次いで、晒された獅子の左脇腹めがけ、大熊の右腕が唸りを上げる。

 当たれば肋骨を粉砕する所の騒ぎではない。ライゾウが手に纏わせる超高密度のエネルギーは、大神の力場も容易く食い破

るのだから。

 だが、ライデンはそれを読み、既に次の一手を打っている。

「雪華屹立!」

 獅子の右足が軽く浮き、次いで地を力強く踏み締めると、目映い金色の閃光が両者を飲み込んで、直径10メートル以上の

範囲で吹き上がる。

 それは鳴神の古式闘法を祖として分派した、大神家が編み出した技。地に触れた箇所から力を伝播し、大地そのものを砲台

として任意の箇所から攻撃を仕掛けるそれは、遠近両用の攻撃手段として非常に優秀な物である。

 地を叩けさえすれば体の何処でも構わず、コントロール力と範囲を伸ばしたその性質上、いかんせん、似たように間欠泉の

如き攻撃を仕掛ける蒼火天衝と比べ、威力の面で劣りするが、拳ではなく足も伝播の支柱にできるこの技は、このように組み

ついているに等しい両腕が塞がった状態でも仕掛けられるという大きなメリットがある。

 鳴神雷電という男が最強の神将とされているのは、その圧倒的な操光術の出力や身体能力、そして体術のためではない。

 己が家の技を、源流にして至上…とは考えず、そこから派生した分派の技も積極的に学び入れ、奥義などの一部を除いて全

て実戦レベルで体得した彼は、史上最多の術を行使できる。

 その飽くなき探求心が拵えた戦術の幅広さが、全てにおいて規格外の彼をより高みへ至らせ、神将最強の男足らしめている。

 一撃打ち込む寸前で光柱に飲み込まれ、ライデン諸共に宙へ吹き上げられたライゾウは、吹き飛ばされた折に離れた相手の

姿と方向感覚を一瞬見失う。

 常人が生身で晒されれば瞬時に熱と光に分解されてしまうような閃光の奔流の中、ライゾウはもみくちゃにされているが、

纏った力場はそれらを防ぎ、ダメージは無い。

 その眩い間欠泉の中で、同じく自らの技を自らの力場で防いでいるライデンが奇襲を仕掛けた。

 頭部への振り下ろし。閃光の中でなおも眩く輝いたそれの軌道を読み、大熊は両腕を頭上で交差させる。

 が、受け止めたそれが腕ではなく足だと気付いたその瞬間、ライゾウは悟った。自分と相手が上下逆さまになって向き合っ

ていた事を。

 手刀の類と勘違いしていたそれは、ライデンの蹴り。そして相手の両腕は…。

「蒼火天槌!」

 ライゾウの突き出た腹へ、力場越しにひたりと据えられたライデンの両手が、天を白く染める雷光を思わせる激しい発光で

周囲を照らした。

 直後、迸った金色の閃光が、間欠泉をも飲み込んでライゾウを真下へ吹き飛ばす。

 腹に注がれた奔流は、その勢いによって両腕両足を寄せる事すら拒み、ライゾウは大の字に近い状態で落下した。

 大地を揺るがす激突音は、光の奔流が熊の巨体を地に叩き付けた物。

 陥没した地面はそのまま光に削り取られて大穴をあけ、ライゾウは地面深く押し込まれる。

 数秒の放射の後、ライデンはパンと、合掌するように眼前で双掌を合わせた。放射の勢いで押し上げられた、地上30メー

トルの高みで。

 眼下には溶岩が固まってできた大地に穿たれた、黒々とした大穴。蛍のように舞っているのは、離散したエネルギーの粒子。

 その、絶技のはざまに一瞬生じた幻想的な光景の中に、目を閉じたライデンの声が厳かに響く。

「奥義、裏式…」

 その背後には反動に備えた力場が形成され、まるで神仏の後光のように円と線による紋様を描いた。

 そして合掌されたその両手へ、ライデンの体表を電撃のように走って光の筋が集中し、ブブン…と、空間さえ震わせながら

太陽その物のような閃光を宿させる。

 地下20メートル以上、深々と大地に埋め込まれたライゾウは、穴の底で融解してガラス化した土塊を除けながらむくりと

身を起こし、天に瞬く獅子の陽光を仰ぎ見る。

 その瞳の奥で、凶暴で獰猛などす黒い何かが蠢いた。

「奥義…禁式…」

 低く唸るように呟かれ、穴の底に漂ったその声を聞く者は誰も居ない。ライデンにもその声は届いていない。

「神等去出万雷(からさでばんらい)…!」

 カッと双眸を見開き、合掌したまま穴めがけて突き出したその双手から、一条の光が真っ直ぐに宙を走った。

 かと思えば、その双手から前方斜めに、あるいは横に、角度をつけて立て続けに閃光が走り、それらが最初の光を追うよう

に宙で曲り、穴めがけて殺到する。

 数百数千、数え切れず、目でも負えない無数の閃光がライデンの合掌から迸り、宙に無数の線を描いて穴の奥を金色の閃光

で染め上げた。

 その一発一発が、細く絞った蒼火天槌。地震を思わせる地響きが鳴り、大地が鳴動する。

 これではいかに神壊といえども跡形も無くなるだろう。誰もがそう思ったその時、ライデンは合掌を解くなり、両腕を交差

してガードの体勢を作る。

 即座に密度を増した力場。そこへ、穴の底から高速で打ち上げられた光弾が衝突し、燐光を散らす。

「防ぎ切った…だと…?」

 流石のライデンも驚きを隠せず、目を見開いて穴の底を注視した。

 そこへ、力場を使って跳ねたのだろうライゾウが、ふわりと浮きあがって姿を現し、融解してブスブスと音を立てている地

面へどすっと着地する。

 ライゾウは胴衣を纏っていない。焼けた訳ではないようだが、ずたずたに千切れて腰巻のように垂れ下がり、腰部を覆って

いる。

 落下して来るライデンを見上げ、上半身を露わにした大熊は、ぐっと腰を落とし、相撲のしきりを思わせる姿勢で左拳を地につき、右腕を引いてひたりと脇腹に付けた。

「奥義…」

 ぼそりと呟いたライゾウの体を、足元から湧き上った赤錆色の光が、まるで焔のように揺らめきながら覆って行く。同時に、

周囲で大気が煌めき、ダイアモンドダストが舞う。次いで急速冷却された地面がバキバキと音を立て、深くひび割れた。

 周囲の熱エネルギーが、ライゾウの力場に吸収されている。

(百花繚乱(びゃっかりょうらん)か?いや、違う…!)

 その構えから神代の奥義を連想したライデンは、即座に異なる事を看破し、攻撃に備えて前方へ力場の盾を生み出した。

「富岳百壊(ふがくひゃっかい)…!」

 身を起こしてズシンと左足を大きく踏み出し、体を捻じり、脇腹につけた腕を送り出す。そのシンプルかつ緩慢な動作で繰

り出された右正拳の先には、防御姿勢で落下して来るライデンの姿。

 直後、ライデンの盾が割れた。

 纏った力場を一部爆ぜさせて緊急回避したライデンの脇を、力場の盾を薄紙のように突き破った無色かつ無音の衝撃が駆け

抜ける。

 そしてそれは、ライデンの後方で爆ぜた。

 ズドンという音が耳に届いたのは、衝撃の後。それが聞えたその時には、ライデンはおろか、範囲外で見守っていた鳴神一

派までもが地面に叩き付けられていた。

 宙で生じたそれは、いわば光の無い花火。炸裂して圧力を生じさせ、広範囲に破壊の嵐を巻き起こしている。

 力場で身を守る者達はともかく、宙に咲いた見えない花火に押され、周囲では立木がベキベキとへし折られ、砕け散る。

 まるで、見えない巨大なボールが上から落下したように、地面までもが緩やかなすり鉢状に凹んでいる。

 余波ですらこの威力。もしも直撃を受け、あの見えない花火の中心まで連れ去られていたなら、一体どうなっていたか?

 一度は地に這わされたライデンだが、圧力の消失と共に立ち上がり、口元を不敵に歪めた。

 上げた視線の先には、力場の密度からいくらか消耗が見えるものの、まだ余力を残し、神卸しも持続している強敵の姿。

「これであいこ…か」

 互いに一度地に這わされた。それをして「あいこ」と表現し、獅子が笑う。

 狭く限定された暮らしの中で、これだけの高みに至る修練を積んできた。

 時間や労力を含め、どれほどの代償を払って来たのかは想像に難くない。

 獅子が笑う。これまでに相対した中で最強の敵を前にして、体の芯から武者震いと共に湧き上る歓喜を抑え切れずに。

「見事…。敵ながら天晴とは、このような時にこそ出てくる言葉なのだろう」

 ライデンは構え直し、ライゾウもまた腰をやや落として肩幅に足を開いた。

「参る!」

「応…!」

 最強の神将と最強の逆神。ここまでの事をしながら、両者の死合いはまだ始まったばかりだった。