OZの高弟(前編)

 石畳の上を、ローブを纏う一団が行く。十一名の青少年は、フード付きで左胸に「a」の刺繍がある同デザインのローブを

着込んでいた。

 同じ格好をしている中でも目立つのは、中心に居るずんぐりした大きな人影。そしてその隣のほっそりした赤毛の人影。周

囲の青少年はふたりを中心にし、様々な事を話しかけている。

 その一団に、広場に並ぶテーブルについていた若い術士達が視線を釘付けにしていた。

「見ろ、アグリッパ派の高弟と弟弟子達だ」

 食事中の者も、読書中だった者も、皆が手を止めて見つめるのは一団の中心。大きくて太っている秋田犬と、燃えるような

赤毛の美青年。

「ヤクモ房主、今日も工房に入るのかな?」

「今はどんな術具を作ってらっしゃるのかね?」

 ひそひそと言葉を交わす少年達は、興味津々で秋田犬を見送る。

「相変わらずかっこいいなぁジョバンニ司書員…」

「そういえば聞いた?高弟認可近いって!」

 少女達は憧れの視線を赤毛の青年に据えている。

 やがて、広場を抜けて船着場に到着すると、秋田犬だけがひとり別方向行きの小船に乗り込み、他の門下生がそれを見送る。

 赤毛の青年が軽く上げた手に頷き返し、秋田犬は船を出し、星空にポツンと浮かぶ、小屋が一つ建つだけの小島に向かった。

 そこは、彼が責任者として管理する工房であり、時には講義の場にもなる。

 今日は講義の予定なども入っていないので、OZ最年少の工房主は自分の作業をじっくり進めるために、第二の私室ともい

える小屋へ向かった。


「できた…」

 組みあがった巻物をじっと見つめ、秋田犬は小さく呟いた。

 青年が入り浸る工房…離れ小島のログハウス。元の工房と似た調子で使えるおかげで落ち着くそこで、テーブル上に山の如

く作業具や材料を積んだ中、やっと完成した巻物を青年は捧げ持つ。

 上手くいくか否か、少し緊張しながらヤクモは試験起動に取り掛かった。

 芯の両端に配置した宝玉の片方に触れ、念じて開くと、そこには仕込んでおいた術式が、発光する文字でくっきりと浮かん

でいる。

(読み出し速度は問題なし…。あとは…)

 気を落ち着けながら、目標をテーブル上のグラスに向け、念じる。起動の動作や詠唱は必要ない。西洋式術具の特性を取り

入れた新作の巻物は、手間を省くためにできるだけ簡素な起動が可能になるよう造った。

 たちまちの内にグラス内の水がさざめき、細かな波を立てて振動し始める。

「できた!高周波マッサージ!」

 機能その物は日用贅沢品だが、しかしそれは、本来ならば超音波による対象の破壊を目的とする術を組み直して、安全な域

で安定するように出力制御を調整し、微弱な思念波だけで疲労なく長時間使用できるようにした物。そしてこの巻物にはもう

一つ術が仕込んであり…。

(切り替えはどうかな…)

 巻物の反対側にある宝玉に触れ、ヤクモが術の切り替えを行なうと、浮かぶ文字が即座に変化した。

 次いで発動した術により、巻物が柔らかな光を周囲に注ぎ始める。今度の物は照明としての術である。

「…よし」

 文言もサインも必要なく、微弱な思念波だけで術を発動する巻物。展開速度、正確さ、共に期待したとおり。搭載した術は

二種だけだが、これはソフトである宝玉を交換する事で切り替えがきく。試験運転なので危険が生じ難い術を搭載させたが、

同じ原理で攻撃的な術を仕込む事もできる。

 巻物部分をスクリーンにする発想はそのままに、芯を思念波バッテリーを兼ねた処理装置にし、宝玉をソフトにするという

新たなスタイルの術具…。ヤクモが初期構想を発展させたいくつものバリエーション品、その中の第十五号となる仕様である。

 これは、搭載させる術の種類にもよるが、思念波強度が術士の域に及ばない者でも扱える。使用ハードルが低いレリックの

ように、調整次第では一般人ですら込められた術を操れる代物…。OZの術士達からすれば他愛もない小規模な術を封入した

術具に過ぎないが、これは外の世界から見れば謎技術の塊である。

 思念波そのものを研究対象にもしているアグリッパ派の研究によって培われてきた、積み重ねの上にある成果であると同時

に、OZという知の宝庫にあって初めて開発可能となる品…。古今東西の技術と理論から理解できる部分だけ持ち寄り、構築

に必要な物をくっつけて造るという手法は、拘りがなく「得意」を持たない反面、どんな系統の術にも拒絶されないヤクモな

らではの物だった。

(ここで学ばなかったら、こんな物が造れるなんて思いつきもしなかったろう…)

 OZの外を知らない者達は、ここがどれだけ貴重な物で溢れているか、掛け合わせでどれだけの発展が生じるのか、あまり

判っていない。ここの術士の多くは、何万色も絵の具が揃っていながら、同系統の色の濃さ薄さ、効果的な発色ばかりを追求

していくスタイル。その中で多色の混ぜ合わせとパレット自体の研究を行なうアグリッパ派はむしろ異質なのだろう。

(早速、先生の所に見せに行こう…!)

 立ち上がったヤクモは首を傾け、痛いほど凝った肩を右、左と順番に揉む。それから肘を張り、上体を左右に捻る形で腰を

回して、背骨を軋ませながらほぐした。

「…体が重い…。また少し太ってしまった…?」

 ボソリと呟いたヤクモは、ローブ越しに両脇腹の贅肉を掴む。腰周りの肉付きがまた増していた。

(私もジョバンニを見習ってジョギングするべきかな…)

 OZに移住してから三年の月日が流れた。成人したヤクモ達には後輩の門下生達もできて、既に兄弟子達の後ろをついて回

る側ではなくなり、自分達が後進を指導し、独自の研究を行う立場になっている。

 学ぶ傍ら、ヤクモはクラフトマンとしての類稀な才能をOZで開花させ、様々な新機軸の技術を編み出し、作製した術具は

600を越える。馴染んだ巻物型のみならず、石版型や宝珠型、杖型など、あらゆるタイプの術具を作り、既存の品にも調整

や改修を施し、修理を請け負う事もある。

 今では日用品店にも品を卸すほどの売れっ子となり、アグリッパ派の学徒でヤクモが触れた術具を所持していない者はひと

りもおらず、他派の学徒などにも彼が作った日用術具を愛用している者がある。その功績をもって、同期内でただひとり、ア

グリッパ派の高弟認可を受け、希少な術具を貸与された。

 同時に一門の外…OZそのものからも功績を認められて房主(ぼうしゅ)の認可も受け、特殊工房の一つであるこの小屋を

任されている。これはOZに四十余名しか居ない、名誉ある肩書きだった。

 次期アグリッパ候補として申し分ないとされ、有力株のひとりと目されるまでになった彼を、「外から来た天才」と称する

者も居る。

 だがその一方で、ヤクモを快く思わない者もあった。思念波強度…つまり術士の純粋なポテンシャルで見た場合、ヤクモは

資質で劣る術士である、と…。

 思念波の弱さはヤクモ自身も昔から理解している。だからこそ思念波強度に頼らない、それを補う機能を搭載した術具や技

術を研究し続けてきた。そしてその成果として高弟認可を受けられたのだから、恥ずべきところはない。何より、それを恥じ

たり引け目に思う事をよく思わない兄弟子が居るので、もう資質の一部で自分を卑下する事はない。

 ヤクモは散らかした作業台を片付けながら、テーブルの隅に置かれた、パン屑が僅かに残った皿を見て…、

(先生へ報告に行く前に…)

 思い直した。それは、作業に来る前に兄弟子が持たせてくれた物だった。


 アグリッパ一門、居住区画の塔。

 すぅ、はぁ、と深呼吸してから、ヤクモは拳を握って胸の高さに上げる。数秒前まで塔内側の石積みの壁だったそこには、

木製のドアが現れていた。

 左手に巻物を握り、右手でノックしようと拳を動かした瞬間、ドアは内側に向かって勝手に開いた。

「…!」

 来訪を察知されたのだと気付いたヤクモは、「あの…」と控え目に声を発して中を覗く。

 アイアンウッドの丸テーブルと、セットのチェアが二つ、石畳の上に敷かれたカーペットの上に設置してある。壁際には腰

高の棚がいくつも並び、本や雑貨、術具、研究資材などが詰め込まれていた。窓は開け放たれてレースのカーテン越しに月明

かりが差し込んでいる。部屋の各所に調味料入れのような大きさの小瓶が置いてあった。

 ここはゲンエイの部屋。間取りはヤクモの部屋と同じだが、術をかけられた小瓶が草花のアロマエキスを常に揮発させ続け

て薄い芳香を放っているので、居心地の良さという点ではだいぶ違う。

「ゲンエイさん?」

 姿が見えない兄弟子にヤクモは呼びかける。留守ではない。室内に居て、来訪には気付いている。だからこそドアが迎え入

れる形で開いたのだから。

 寝室だろうかと、隣室に向かってアーチ状の口を潜ったヤクモは、

「ゲンエイさん」

 ベッドに横たわる青年の姿に目を止めた。

「やあヤクモ…」

 寝起きのゲンエイは寝ぼけ眼を弟弟子に向ける。

「済みません…!お休み中だと思わなくて…。また改めます…」

 声のトーンを落として詫びたヤクモは出直そうとしたが、ゲンエイはベッドの上で手招きした。

「水差しを取ってくれるかい?」

「はい。ただ今…」

 起き抜けの兄弟子のベッドサイドに寄り、テーブルの水差しに被せられていた蓋兼カップに水を注ぐと、秋田犬はその胸元

に差し出して預けた。

 薄着のゲンエイが喉を上下させて水を飲む様子を傍らから見守ったヤクモは、

「それで、何か用事があるんだな?」

 目を向けて来た兄弟子に、尾を振りながら頷いた。

「はい。詳しい報告は後でまた…。新しい術具の組み上げが終わったので、まずお知らせに…」

「そうか、もう…。それはおめでとう」

「有り難うございます…!」

 喜びの笑みを浮かべるヤクモは、振っていた尻尾をピタリと止めた。ゲンエイの空いている手が、ヤクモの手を取っている。

「休息はいつ取った?食事は摂ったかな?また無理をしたんじゃないかね?」

「えぇと、まぁ、その…。思い出したらお腹が減りました」

 耳を伏せたヤクモに笑いかけ、「本当に聞き分けのない弟弟子だ」と、ゲンエイは手を引く。促されるままベッドの脇に跪

いたヤクモの頭を撫で、兄弟子は生あくびを噛み殺した。

「お疲れですか?」

「君ほどじゃないが多少はね。先生の供をして会合に出ていたから」

 秋田犬は顔を曇らせて問う。「術式再演区画の事故について、ですか?」と。

 二十日ほど前、アグリッパ一門の実験用区画…空間的に閉鎖された建造物が「潰れ」た。倒壊したという意味ではない。中

心点に引き込まれるようにして圧縮されたのである。

 隔離空間の維持系術式に異常があったとされるが、モノがもはやビー玉サイズの超重量塊になっているので、解析も完全に

はできなかった。

 その事故でアグリッパ派の学徒を含む三名が「準死亡」という扱いになっている。もっとも、ビー玉サイズの塊の中で生死

が確認できないため準死亡として扱われているだけであり、生物としての存在が保てていない事は明白だった。

 本来ならば、事故当時はヤクモ達もそこに居るはずだった。小船で向かう途中でジョバンニが気脈から違和感を受けて「何

だか妙な感じがする」と言い出し、確認の為に航路の異常がないか点検してから行ったおかげで、到着が遅れて間一髪難を逃

れた。思えば彼が感じ取った違和感は、事故が起こる予兆のような物だったのだろう。

 アグリッパ派の設備維持管理に不備があったのではないかと、責任追及の動きが起こったものの、それもすぐに沈静化した。

ミスではなく、意図的に起こされた事故だという線が濃くなったので。

 ジョバンニは現在、齧った風水の技術大系を取り込んだ術の研究を進め、そのエキスパートになりつつある。その得意とす

る所の一つに、アグリッパ派の研究対象である思念波…特にその残留に着目した痕跡からの事象解析があった。

 その彼が持ち前の技術力を発揮し、事故が起こった島の航路に残る気脈の痕跡をデータ化して、各門派の責任者達に資料と

して提示した結果、公式には確認されていない何者かの入島及び退去が明らかになったのである。

 思念波の特色は何らかの偽装術によって消されていたので犯人は不明のままだが、その偽装術の痕跡自体もジョバンニは解

析に成功した。その結果、OZでは有り触れているが、アグリッパ派が用いる隠蔽術式とはプロセスが異なっている術の使用

が認められたため、アグリッパ派への疑いの目は消えている。

「もうウチの一門には嫌疑がかかっていないと思っていましたけど…」

「その通り、嫌疑はもうどこからもかけられていないとも。確認の聞き取りだが、こちらで把握している事は全て先に提示し

た通り。つまり進展はなかった」

 うやむやになる流れかもしれないな、と投げやりに言ったゲンエイは、ヤクモの頭を引き寄せた。

「…それで、試作品の出来栄えはどうだった?満足する出来になったかな、愛しのヤクモ…」

 耳元に囁きかけられたヤクモは頬を熱くする。

「はい…。照明とマッサージ機の二つの機能で実験しましたが、上手く行きました。手軽に使えます」

「マッサージ機か…。肩凝りは深刻かい?」

「え?…あ、いや!自分用で考えた訳じゃ…!あっ」

 首の後ろを掴まれて、筋を軽く揉まれると、ヤクモは高い声を漏らす。

「凝ってるな…。後でたっぷり揉んであげよう。首や肩に限らず、胸もお腹もたっぷり、ね」

 ウインクした兄弟子に、ヤクモは恥らいながら小さく頷いた。

 三年間で変わったのはヤクモの立場や周囲の評価だけではない。兄弟子との関係もだいぶ変わった。

 ゲンエイは敬語ではなくなっているが、これはヤクモに対して、ふたりきりの時だけの物。皆から注目される立場になった

ヤクモもまた、ゲンエイやジョバンニの前でだけは高弟と房主の仮面を外し、素の表情を晒す。

 秋田犬の頬に軽く口付けしたゲンエイは、伸びをした途端に込み上がったあくびを噛み殺す。

「さて、先生に報告に行くといい。僕はシャワーでも浴びて目を覚ましてこなければ。少ししたら講義を頼まれた時間になる。

…ゆっくりするのは「その後」だ」

「はい。では「その後」でまた…。予定を空けておきます」

「お腹も空けておくように。久しぶりに食事も一緒にしよう」

「はい…!」

 身を起こしたヤクモは、深々と頭を下げて寝室を出た。

 その後姿を見送り、ドアが閉じる音を聞いてから、ゲンエイは右膝を引き寄せて上に右腕を乗せ、背を丸めて考える。

 アグリッパ派にはもう事故の嫌疑はかけられていない。むしろ、アグリッパ派が他派に対して疑いを持っている。

 ヤクモ達には教えていないが、あの事故はおそらく、新たに高弟となったヤクモを狙って起こされた物だとゲンエイは確信

している。

 ヤクモが造る術具は思念波の弱さをカバーする。それは、純血のOZの民が有するアドバンテージ…少なくとも血統に拘る

者達がそう思っている思念波の強弱という垣根を、取り払ってしまいかねない物。

 師もまた、狙いの主体はおそらくヤクモだと見ている。散発的な事故で上手くカモフラージュされてはいるが、門下生全体

を見渡しても、秋田犬が被害に巻き込まれた件数は他より多いと老人は言った。

 犯人には、秋田犬はもう一学派の一高弟とは見られていない。彼か彼女か、その固有の価値観を脅かす存在として認識され

ている。それが、アグリッパとゲンエイ共通の見解だった。




 九日前…。

「ワタシら自身が起こす事故であれば、こうまではならんじゃろうな」

 地面までゴッソリと抉り取られ、擂鉢状の穴だけが残った事故現場を前に、月夜に明るく輝く白い百合を供えた老人は、恰

幅のいい体躯を窮屈そうに曲げて跪き、犠牲者への祈りを捧げる。

 事故翌日、老人はゲンエイを伴って現場を再度訪問していた。

「逆立ちしてもワールドセーバーが残した奇跡には敵いませんからね」

「然りじゃ。中に居ったならばワタシとて助からんかったのぉ」

 空間ごと潰されて不可侵の塊に成り果てる。こんな結末を回避する手段など、OZの術士でも持ち得ない。

 ゲンエイは師の背中と地面の花をしばし見下ろした後で口を開いた。

「不可侵の利便性を逆手に取った事故誘発、ですか」

「可能性としては在り得ん話ではないのぉ。仕組みに精通しとるモンじゃったら、意図的に不具合を引き起こす事ができんと

は言えん」

 空間に干渉する術はOZの術士も自力では扱えない。ワールドセーバーが残した法則を限定的に利活用するだけである。今

回の事故はその完璧であるはずの法則が崩れた…あるいは意図的に崩されたが故の物だった。

「ヤクモとジョバンニの到着が予定通りでしたら、ふたりも加わっていましたね」

「被害人数内訳で言えばワタシら一門が最も多く犠牲を出しとった、と…」

「少し調べますか」

「嘆かわしいのぉ。探求の本分を忘れる術士の存在というものは…」

 それは、誰にも聞かれなかった会話。

 事故現場にふたりだけのアグリッパとゲンエイは、この件の裏を探る必要があると、その時点で見解を一致させていた。

 そして、アグリッパはある策を講じ…。




「どうしたのヤクモ?」

「え?」

 空のティーカップを持ったまましばらく動かなかったヤクモは、向き合って座る赤毛の青年の声で我に返った。

 食料品店と食堂、酒場が並ぶ賑やかな界隈。秋田犬と同期生は気分転換がてらに出かけ、軽食を楽しんでいる。往来に面し

たオープンテラスは欧米のカフェと似ており、常夜の月下で開放感がある食事を楽しめた。

 OZでも雨は降るがだいたい霧雨止まりなので、テラスに屋根は無い。もっとも、稀な本降りになっても雨を遮断する術が

起動するのだが。

「疲れてるんじゃない?」

「少しだけね。またゲンエイさんに休息の少なさで注意された」

「相変わらずだなぁ…。それで、今回の出来栄えは?」

「期待した成果は得られた。あとはここから…」

 研究明けの休息に誘ってくれたジョバンニに、ヤクモは作業工程から結果まで細かく説明した。しかしふたりのやり取りは、

すぐ傍を歩いてゆく者達にも、近くのテーブルについている者にも、聞かれる事はほぼない。

 テラスに設置された円形のテーブル。その設地面を軸にして、ふたりの周囲には一種の結界が張ってある。

 それは、ジョバンニが風水の術形態を応用して、アグリッパ派の残留思念波研究の成果を活かして組み上げた術式。風水の

基礎を学べばだいたいの術士がすぐ使用できるようになるほど簡素かつ汎用性が高い物で、その場の残留理念波を組み上げて

範囲内に漂わせる事でデコイとし、注意を向けられ難くする物。同時に何らかの干渉…例えば遠隔盗聴などの術を感知する警

報機能も併せ持っている。

 高弟認可こそまだ受けられていないものの、ジョバンニもアグリッパの期待通りに成果を出している。主に既存の術式の規

模の拡大、補強や増幅などを、風水の理論による陣をもって為すというのが彼の主な研究。

 規模が大きい術の研究が主体になっているため、大掛かりな下準備や補助具が必要な物も多く、大半はヤクモとの共同開発

で実用化した。単独で完成させられた物が少ないので同期生に遅れを取っているが、理論と手法は非常にしっかりしていて応

用性が高く、高弟として認められるに不足の無い実績と実力を示している。

 特に、先人達が浮き島間にかけた航路の特性に着目した思念波の長距離伝達や伝送理論は注目を浴び、ヤクモの協力を得て

実用化した他島からの遠隔術式発動は、他の学派からも理論の提供を要請された。

 そんなジョバンニは、同期生達の中で一歩も二歩も先を行くようになったヤクモにとって、最も気軽に理論を検証しあえる

相手であり、一番の友人でもある。

 やがて注文していた品が届き、説明を切り上げたヤクモは、羊のミルクのきめ細かいシャーベット…アイスクリームにも似

たペースト状アイスが入った器に、固焼きバゲットを浸けて食べ始めた。ジョバンニも羊乳チーズを挟んだクッキーを齧りつ

つ、結界の具合を確認する。作動中でもウェイターにはきちんと認識される…OZの防衛システムを参考にした対象選別機能

の付与はしっかり働いていた。

「ところでヤクモ」

「むぐ?」

 頬を膨らませながら顔を上げた秋田犬は、

「太った?」

 親友の遠慮がない確認で咳き込みそうになる。

 度々しか会わない相手ならともかく、毎日のように顔を合わせているジョバンニから改めて言われると、運動不足が祟った

体型の変化にへこむ。
情けない気分になりながら視線を下に向けたヤクモの目に映るのは、太腿の上に丸くせり出した腹の曲

線。脇腹に手を遣れば、厚いローブ越しでもムッチリした贅肉が掴めてしまった。

「気になり始めたから、ジョギングに付き合おうかなって、考えていたところ…」

「それは良い事だよ!セリン達も喜ぶ!」

 一緒にジョギングしている弟弟子達の事にも言及したジョバンニの笑顔を見て、言ったからにはもう逃げられないなと、腹

を括ったヤクモは…。

「あれ?先生じゃない?」

 顔の向きを変えた青年の目線を追って、首を巡らせる。

 かなり距離はあるが、視線が通る石畳の歩道の先、噴水が見える広場を横切る恰幅のいいシルエットと特徴的な白髪白髭は、

紛れもなくアグリッパだった。

「一緒に居るの、誰だろう…?見た事ないけど…」

 アグリッパと並んで歩く大柄な人間男性はジョバンニも知らない男だった。

 モジャモジャの髭に長髪。筋肉質で大柄な体躯。身長は190センチを超えているだろう、アグリッパよりも頭一つ分は背

が高かった。若くはないだろうが老齢でもない…というよりも、年齢の見当がつかない奇妙な印象。あえて言うなら四十代か

ら五十代の外見と思えるが、それが正解かどうか自信が持てない。

 気になったのはその衣類。外の世界の聖職者のような黒衣を纏っているが、だいぶ傷んで裾などがボロボロになっているの

が遠目にも判る。

 ジョバンニもOZに居る住民全てを把握している訳ではなく、まだ対面した事がない学派の長も居るのだが、感覚的にOZ

の者ではないという事は直感できた。

 しかし…。

「え?先生…?」

 師と、その傍に居る存在を、ヤクモは正しく認識できなかった。

 高度な隠匿術が働いているのだろうと察しはついたが。ジョバンニの鋭敏な感覚だけがアグリッパ達が纏う術を透過し、姿

だけは正確に捉えている。こういう所は敵わないなと、秋田犬も認めざるを得ない。

「…ほほぉう?意図的に事故を?いやはやOZの術士とは恐ろしいもの。ワールドセーバーの御業をそのように歪めて利用す

るとは、くわばらくわばら」

 長髪髭面の大男は歩きながら腕を組む。並んで歩むアグリッパは、「理解も自力再現もできずとも、既存の法則を改悪はで

きるという事じゃ」と応じて顎鬚をしごく。

 だが、その会話は他の誰にも聞かれず、察知もできない。思念波偽装により認識をずらされてしまうため、会話内容は勿論、

口元や表情を伺う事もできない。そこに居る事が判るだけである。しかし…。

「視線ッ!」

 長髪髭面の大男が突然足を止めて首を巡らせる。まさか、とアグリッパも目を丸くしたが、大男の視線を追って目を向けた

先にジョバンニとヤクモの姿を認め、「ああ…」と溜息をついた。

「心配無用、愛弟子達じゃ。アレにかかればこの程度の隠蔽術は看破されるからのぉ。何せ腕も確かな上に、ワタシの思念波

はよく知っとる事じゃし…」

 丸い老人は言葉を切る。

 ジョバンニは目を丸くする。

 ヤクモは腰を浮かせて袖に手を突っ込んでいる。

 唐突だった。唐突に、男は跳んでいた。広場からカフェテラスまでの120メートル強を、一足跳びに詰めてヤクモとジョ

バンニに迫っていた。

 丁度、走り幅跳びの選手がジャンプの頂点に至ろうとするような、大きく体を反らした姿勢で…、

「ピーンと来たぁッ!弟子候補者捕捉ぅッ!ハハハハハッ!これは天の導きッ!巡り会えたは縁ッ!アグリッパ師の隠蔽術を

突き抜けるその熱視線ッッッ!そうッ!そなただッ!」

 ムキムキで髭面の大男は高らかな笑い声を上げながら接近している。ジョバンニが展開中の術が貫通する認識があると警告

を発している。間違いなく、髭の大男の視線は青年の姿を捉えている。

 あまりにも非常識かつ異常な光景に、ジョバンニは思った。夢かな?と。

「そこなそなたッ!我が弟子ップ!?」

「防柵!庭石菖(にわぜきしょう)!」

 迫る髭の大男の言葉が途切れた。重なったのは秋田犬の高らかな声。

 髭の男は空中で、無色透明な障壁に激突していた。顔から。

 椅子から立った秋田犬は巻物を二つ、クロスさせる格好で開き、大気操作によるシールドと、分子結合による補強の防衛術

を起動している。

 細かな制御を施す余裕は無かったので、巻物に仕込んだ術を備蓄してある思念波でざっくり起こしただけ。思念波を込める

手順も省略してあるが、それでも現在のヤクモが声紋入りで起こす障壁の強度は厚さ1メートルのコンクリート壁にも匹敵す

る。何せこの三年、「事故」に巻き込まれる事が妙に多かったので、対策として身につけた防衛に類する術は秋田犬の得意分

野となっていた。しかし…。

「痛ぁッハハハハハッ!素晴らしい強度ッ!弟子候補者パートツーッ!その展開速度でよくぞこの強度ぉッ!」

 半球状の障壁にへばりつく格好で正面衝突した髭男は、その表面をズリ落ちながら笑った。思いきり鼻血を流しながら。そ

して、ガゴォンと、激しい音が響き渡る。

「…え?」

 ヤクモの目が見開かれた。髭の大男は右腕を大きく引き、拳を障壁に叩き付けていた。

 素手に見えるが、実際には違う。チリチリと細かな電流の光が男の腕の表面を這っていた。電撃系の術による肉体保護と攻

撃の両立…とはいえ、殴る力は纏った電力とは無関係。直前の大跳躍といい、いかなる術理作用によるものか、身体性能があ

からさまに「変」である。

 拳の一撃で障壁に亀裂が入り、ヤクモは精神を集中して維持に努めるが…。

「せぇいッ!」

 二撃目で、ヤクモの障壁が粉々に砕け散った。

 着地する髭の大男。笑顔で鼻血。あまりにも非現実的かつ意味不明な光景に、ジョバンニは思った。悪夢かな?と。

「そこな赤毛の美青年とそこなおデブの可愛い青年!どうかな拙僧と供にめくるめく修行の旅路ぃえっほ!?」

 髭の大男は笑いながら大声で語りかけたが、その声は途中で切れ、喉を両手で押さえる。

「そこまでじゃラスプーチン。それワタシの弟子じゃから。ヘッドハントとか困るから。のぉ?」

 髭の大男の遥か後方。杖を手にしたアグリッパは、大物を一本釣りする釣り人のような格好。杖の先からは空気の粘度を操

作して生み出した弾力のあるロープが伸び、髭の大男の首に巻きついている。

「ハハハハハッ!ギブアップだギブギブ老師この通り!あ、いやしかし…!この苦行もなかなか…、悪くない…!?」

 謎の大男を前に目を白黒させながらガタガタ震えるジョバンニ。怖いとか怖くないとかではなく処理不可能な入力情報で脳

がシステムエラー気味。驚き過ぎて何だか吐きそう。

 一方、下げた右手に袖の中から小ぶりな何かを落とし、掌に隠れるサイズのソレを使おうとしていたヤクモは、師が術を解

いて歩み寄ってくるのを目にし、ようやく緊張と構えを解いた。かなり本気の局所爆破術を中止して。

 そしてヤクモとジョバンニは、むせ返る髭の大男と近付く師匠を見比べて、はたと気付いた。

『ラスプーチン!?』

 ふたりの声が重なる。師は確かに、この大男をそう呼んでいた。

「って、あのヴォルシェーブニク「ラスプーチン」氏!?」

 ジョバンニが両目を真ん丸に見開く。ヤクモも黙したまま瞠目していた。

 ラスプーチン。外の世界の大術士。OZでもその名を知らぬ者が居ない、グレートメイガスと同格の存在。

 自称「永遠の求道者」。他称「他所の弟子ハンター」「世界最高峰のひと浚い」「笑顔の誘拐犯」などなど…。なお、誘拐

されて弟子にされた術士は数知れないが、だいたい数ヶ月で逃げられている。修行と苦行が趣味で、目的と手段の優先度が完

全に入れ替わっているため、肉体的にも精神的にも普通はついていけない。

「むぅッ…。丁度良く新たな弟子候補を見つけたと思ったが…」

「本気で絞殺されたいかの?」

「ハハハハハッ!済まなんだ済まなんだ!」

 首を押さえて呻いたラスプーチンは、アグリッパがちっとも目が笑っていない怖い笑顔で囁くと、頭を掻きながら謝った。

 一方…。

(このひとがラスプーチン氏…)

(思ってたのとだいぶ違う感じ…)

 師と同じ「生きる伝説」を前に、危うく弟子としてヘッドハントされかかったヤクモとジョバンニは、ただただ困惑して立

ち尽くすばかりだった。