おまけ♪
「そう言えば…」
野兎の肉を串に刺すトライチが小首を傾げ、ぐっちゃぐっちゃと焼きたての肉を食んでいたギョウブが目を上げる。
見回りがてらの散歩…、たまの息抜きに里を出たギョウブは、トライチを伴って一日ゆっくり羽を伸ばしていた。
塩をまぶしただけの握り飯と水しか持って来なかったが、首尾良く野兎を見かけて仕留める事ができたので、昼飯はなかな
か豪勢な物となっている。
「何で隠神家だけ、御当主の名が襲名式なんです?」
チチチ…と、囀る小鳥が数羽、戯れるようにつるみながら二人の頭上を飛び過ぎ、樹海の木立に踊る。
妙な間が空き、焚火を挟む大狸の何ともいえない眼差しを受けたトライチは、やがてギョウブが深々とため息をつくと、何
やら失敗したらしい事に気付いて「済みません…」と首を縮めて詫びた。
「知らんのか?」
「はい」
「聞いた事も?」
「ええ」
「…呆れたぜ…」
「済みません…」
小さくなったトライチをブスッとした顔で見つめたギョウブは、やがてかぶりを振って、味が薄かった肉に塩を振りつつ口
を開いた。
「ま、知ってるとばかり思っとったから、その手の話をした事もなかったな…。ゲン爺も何も言わんのか?」
「はい。話した事は…」
「…考えてみると、常識過ぎて話題にのぼらんのかもしれんな…」
その常識を知らなかった自分は一体?と耳を倒したトライチに、ギョウブはブスッとした顔で説明を始めた。
「ずっと昔はな、隠神って姓の家が結構あったんだぜ。…里に籠る前の話だがな…」
その昔、神将家…神ン野から分家した隠神の眷属は、最大時には総数八百八十八にもなった。
神将の血筋としては珍しく、隠神は子宝に恵まれやすかったので、分家に次ぐ分家で増えたのである。
この折に全ての家が隠神を名乗ってしまっていたため、神ン野の分家頭たる「隠神本家」が定められた。
しかし皆が皆「隠神」なもので、どうにもややこしい。しかも総員狸で見分けがつきにくいという目にも優しくない集団で
ある。
さらには、当時でも隠神という家が五十に及んでいた上に、全てが御庭番などの御役目に就いていたものだから、「どこど
この隠神」「隠神の誰々の長男」などと、いちいち繋がりから説明しなければその「隠神」がピンなのかキリなのか判った物
ではない。
そこで、大量に居て名前が覚えにくい隠神の総大将には、代々決まった名を名乗らせようという話が持ち上がった。
なお、発案者は大層物覚えが悪かったと口伝に有名な当時の神代家当主。どうにも自分が大変だったから考えたらしい。
こうして、隠神の本家筋当主は代々「刑部」を名乗るのがしきたりとなった。相応しい者が現れなかった所々の空白期を除
けば、このしきたりは実に四百年以上続いている。
…もっとも、隠神家が栄えたのはその後百年までの事。
両帝対立を経て、本家筋である神ン野の当主が魔王槌片手にモグラ叩き宜しく片っ端から叩いて回ったため、八百八十八も
居た眷属は激減してしまった。
それでも隠れ里に籠った三百年の内に隠神の血を引く者はまた増え、血が濃い眷属は八十八まで盛り返した。右も左も隠神
亜種…。立派に一大勢力である。
ところが…、近年になって動きが活発化した神将達のせいで、また激減している隠神亜種。
特に、神代熊鬼という男…神壊の本家筋の末裔に当たるその闘士のおかげで、御役目に出た眷属達がポコポコ潰されてしまっ
たのである。
傍から見ていると、浮き沈みが極端に大きい血筋である。総数の。
「…かいつまんで話すとこんな感じになるぜ。解ったか?」
語り終えたギョウブは新しく串に刺した兎肉を火に翳しながら話を締めくくった。
「八百八十八…。何となく解った…」
トライチは深く何度も頷く。
「それだけ精力旺盛な血筋でもあるんですね…」
ギョウブの口があんぐりと開く。
「…おいトライチ。ヌシャあ今の話をどう聞いたんだ?えぇ?」
真顔のトライチと渋い顔のギョウブ。
「納得した…。ヒコザさんの男らしい種汁の量にも、これで合点がいった…」
「何の話をしてやがるんだお前っ…!」
真顔で変な事を言いだすトライチ。一方ギョウブは鼻白んでいる。
まぁ、自分の家の成り立ちやら歴史やら襲名する刑部の名やら色々喋繰った挙句に、反応が「種汁っ…!」では無理もない。
心中察して余りある。
「中出しされるとお腹いっぱいな気分になる訳だ…。八百八十八も産ませるんだから…」
「自然に物凄ぇ勘違いをするなっ!いいか?一代でそんなになった訳じゃ…」
重大な勘違いを訂正してやろうと口を挟むギョウブだが…、
「あれが…、八百八十八も孕ませた種汁…!」
聞いてないトライチ。真顔でこんな台詞を吐いている辺りから重症具合が窺える。
「タフタフの大玉袋は…、八百八十八の性豪の遺伝…!」
やけに八百八十八というキーワードに拘るダメイチ。おちつけ。
何やら頭を高速回転させて聞いた話を自分的解釈、及び都合良く咀嚼し、興奮気味なキジトラ猫に、ギョウブは難しい顔で
問う。
「大丈夫かヌシ?」
「え?あ、はい!大丈夫です!」
我に返ったように声音を改めたトライチは、
「もしかして…、その内ワタシも孕んだりして…!?」
ちっとも大丈夫じゃなかった。
「…ヌシャあ…。本当は物凄く馬鹿なのか…?」
長年傍で見続けてきた少年が、急に理解し難い「何か」に思えてきて、ギョウブは天を仰いだ。
樹海とトライチの頭の中は、今の所かなり平和である。