第十一話 「ホールと狸と捜索と」

「タケミ。アル呼んで来てくれ」

「は、はい」

 神代潜霧捜索所の応接セット、向き合って座る所長と客にアイスコーヒーを出した少年は、トレイを胸の前に抱えて退室し、

一階奥にある広い部屋に向かった。

 そこはトレーニングルームで、ベンチプレスなどの筋力強化器具や、やたら高速で回るルームランナーなどが置いてある。

 アルは体にピッタリしている黒いタンクトップとスパッツ姿で、3メートル半の高さの懸垂台に膝裏で逆さまにぶら下がり、

頭の後ろで腕を組んで上体を上げ、腹筋運動に勤しんでいた。

「アル君、所長が呼んでるよ」

「うス?」

 上下逆の格好から少年を見遣ったシロクマは、軽く反動をつけて脚を鉄棒から外すと、反転してドシッと着地する。巨躯と体

重に見合わない軽業を披露したアルは、差し出されたタオルを「サンクス!」と受け取って顔を拭いつつ、タケミに促されて歩

き出しながら、入り口近くに引っかけていたアロハシャツを掴む。

「通訳欲しいみたい」

「依頼者、外国のひとっスか?」

「うん。小さい頃は伊豆に居たから、日本語も少し喋れるそうだけど…」

 廊下を歩みながら簡単に事情を説明されたアルは、応接間に入るなり客の顔を確認した。

 五十代になったかならないか、赤茶の髪に白い物が混じり始めた欧米人の男性である。グレーの瞳は深刻そうに曇り、アルの

巨体を見て一度は驚いた様子だったが、すぐさま目礼して落ち着きを取り戻す。

(ん?獣人に慣れてる感じっスね…)

 あまり獣人と接点がなかった人間は、驚きの度合いがこの程度ではない。海外で様々な手合いと接してきたアルは、こういっ

た反応を見極めるのが得意である。今のは熊獣人の姿で驚いたというよりも、体の大きさに驚いただけらしいと察せられた。

「こちらは、ニューヨークから来日したホーナーさんだ。大隆起後までは伊豆に住んでらした。今回の依頼内容で、細かい説明

が必要なんだが…。通訳頼むぜ」

「イエス・サー!」

 ビシッと敬礼したアルは、ユージンと並ぶ格好で座り、依頼人となるホーナーの説明を所長に通訳する。ユージンも会話だけ

なら三ヵ国語いけるが、ネイティブの細かなニュアンスまで汲み取るのは難しい。アルを雇ったおかげでこの辺りもカバーされ

たのは嬉しい誤算だった。

(流石…)

 アルの分のアイスカフェオレをテーブルに置きながら、タケミは流暢な英語のやり取りをしつつ通訳するアルの声に耳を傾け

る。普段はおちゃらけているものの、仕事となれば真面目。聞き取りするアルの横顔は真剣で、引き締まって見えた。

 今回の依頼人であるホーナーは、幼少期を伊豆の人工台地で過ごした。父親が製薬会社勤務で、伊豆生命進化研究所がそこか

ら試薬類を仕入れていたため、商取引の責任者としてこちらに滞在していたのである。

 ホーナーは伊豆に三歳の時から住んでいたが、八歳になる年に大隆起が起き、運良く非難して一家全員無事だったものの、翌

年には母国に帰った。今回の依頼は、当時住んでいた家にまつわる物である。

 一家全員無事に逃げられた。それだけでも幸運なので諦めていたが、家には祖父母が遺した指輪が置いてあった。ホーナーの

父は病に伏して余命幾許もない状態になっているのだが、両親の形見を残したままにしてある事がずっと気掛かりだったらしい。

 高価な物ではなく、貧しかったふたりが精いっぱいの貯金で用意した銀の婚約指輪に、金銭的価値はそれほど無いのだが…。

「…本報酬の他、前金で一万ドル。成功報酬で三万ドル追加するって言ってるっス」

 この金額を聞いたユージンは、「フン。見合う報酬じゃねぇな…」と鼻を鳴らして顔を顰めた。

「必要経費こみ、総額五千ドルで充分だと伝えろ」

「へ?」

 アルが目を丸くする。

 タケミのマスクにセットしている浄化缶は一つ七万円の消耗品。洗浄などの潜霧にかかる経費も一度に十万近くかかる。他の

潜霧事務所であれば作業用機材も出すので、費用はさらに膨れる所である。当たれば儲けは大きいが、必要経費だけでも大金が

動くのが潜霧という仕事。当然ながら依頼金の相場はかなり高い。

 報酬五千ドルだと、物品費など必要経費を差っ引けば、雀の涙の儲けになってしまう金額。危険度に見合わず、相場には到底

及ばない安値だが…。

「ウチに来るまで随分回ったらしい。引き受ける所を探すだけで随分時間も金もかかったろう。それに、物探しなら危険手当ま

で見積る事はねぇ。ホーナーさんには、「大して手間がかからねぇ仕事だから、そこまでの報酬は必要ねぇんだ」とでも説明し

てくれ」

「いいんスか?」

 相手が払う気なのに、取れる所から取らないのかと疑問顔のアルだったが…。

「…ヌシらの訓練も兼ねたダイブになる…。ナマの値段で取っちゃあスジが通らん」

 ユージンが小声で告げると、シロクマも素直に従い、ホーナーに価格の説明を行なった。こちらの練習も兼ねる仕事ならば、

高値をふっかけるのは仁義にもとる…。そんなユージンの考えには納得できたので。

 大手はこういった依頼を受け付けていない事も多い。潜霧には各種器具類など、何かと金がかかる。大人数になれば当然その

費用もかさむ。そして少人数では危険性が高まる。物探しに人員を大量に割いては、普通の財力では依頼する事もできない。引

き受ける代わりに足元を見てぼったくる業者もあるにはあるが、そちらに流すつもりはそもそもユージンにはない。

 少人数でそれなりに危険な所も踏破できる神代潜霧捜索所は、今回のような少人数向けの捜索という依頼条件に合う体制であ

る。ホーナーが頼れるギリギリのライン…最後の頼みの綱だろうとユージンは察していたので、断るつもりも最初から無い。

 ホーナーは金額を提示されると、聞き間違いかと眉を上げていたが、アルが丁寧に説明をすると、ようやく驚きの顔になった。

「…行き慣れた区域だから容易い仕事なんだと言って納得させろ」

 安過ぎると言っているホーナーに対し、アルを通じて説得を行ない、条件を飲ませたユージンは、

「明日にでも潜るぜ。ワシは口出ししねぇから、ふたりで潜霧計画を練ってみな。こいつも訓練だぜ?」

 依頼人を送りに事務所を出ながら、肩越しに若手二名に告げた。

「はい!」

「ラジャーっス!」

 応じたふたりは、早速ミーティングルームに移動し…。

 

「ホーナーさんの家があった所、座標きっちり判るから目指し易いね」

 タケミは広げた地図を指でなぞり、ホームゲートからの最短ルートを確かめた。システムのマップは先の資源探索の折に更新

したばかりなので、今回はマッパーズギルドで最新版を求める必要はない。

「踏破は簡単っス?」

「うん。道のり自体は厳しくない感じ。でも…」

「でも?」

 タケミの真後ろからくっつき、肩に顎を乗せて地図を覗き込んでいるアルは…」

「ホールが近い…。ホーナーさんが住んでた家、四等以上じゃないと立ち入りできない区域なんだ…。だからなかなか依頼先が

見つからなかったのかも…」

「「ホール」…っス?」

「ジオフロントに繋がってる、排気口とか排水路とかの事」

「あ~…」

 アルが軽く顔を顰めた。「オレが昔落ちたようなヤツっスか…」と。

「そうだね…。それに、今も直通してるホールみたいだから、霧の濃度にも、「それ以外」にも、充分に気を付けないと…」

 呟きながらルート確認するタケミに、後ろから密着しているアルは、急に何か思いついた様子で「あ、そうっス!」と声を漏

らした。

「所長はああ言ってたっスけど、値引きしたのって、同情とか共感とかからなんスかね?」

「え?」

 地図をなぞる指を止めたタケミに、「大隆起の時にまだ子供で、伊豆に居たんスよね?ホーナーさん」とシロクマは言う。

「大隆起を経験した時の歳とか、所長と同じくらいじゃないっスか?そういう所に仲間意識とかあったのかもって思ったんス」

「あ…。そう…かも…?」

 本人が忘れたと言って語らないので、ユージンが祖父に引き取られる前の事は、タケミもアルも知らない。だが、あの巨漢が

ホーナーに親近感のような物を感じていたとしても不思議ではないと思えた。同じ日に同じ恐怖を味わい、同じ混乱の中から生

還した仲間として…。

「探し物、ちゃんと見つけたいね…」

「そうっスね」

 何はともあれ四等以上でなければ立ち入れない区域での捜索。ホームグラウンドの傍とはいえ、タケミも足を踏み入れた事が

無い場所。気を抜いて挑めるような仕事ではなく…。

 

「あの…。しょ、書類です…」

 ゲートのカウンターで必要書類を提出するタケミを、少し後ろから眺めながら、アルは感心した様子で漏らした。

「潜霧計画書の書くのスムーズになってきたっスねぇ!初めて潜るエリア行きでも関係なしっス!」

 そんな事は無い。動揺している。氏名欄の上のふりがなを記す欄に、ひらがなでそのまま「ふりがな」と書いてしまうほど動

揺している。
軽微な修正をカウンターで行なうタケミの背を眺めながら、

「その内ヌシにも書かせるぜ?やり方は覚えとけよ」

 アルの隣で熊親父が言い、シロクマに露骨に嫌そうな顔をさせた。

「え~?タケミと所長が居るじゃないっスか…」

「タケミが風邪引いたり、ワシが二日酔いだったりして、ヌシが独りで急遽ダイブする時は、書けなきゃ困るぜ?ええ?」

「独りは迷子になりそうっスね~」

「ならねぇように勉強だ」

「勉強ばっかりっス…」

「大穴ってなぁそういうトコだぜ。ワシも、この歳になっても初めて知る事や見る物だらけだ」

 そんな事を話していると、許可が下りたらしくタケミが振り向いて軽く手を上げる。

「おし、行くか」

「ラジャーっス!」

 

「霧は浅め、視界良好。地面に異常なし。危険生物なし」

『視界良好オールオッケー、伝達了解っス!』

 やや薄く、天候の良さもあって明るく光る霧の中を、先行する少年は通信しながら前進する。今回は移動する距離が長めなの

でペースはかなり速いが、後続はちゃんとついて来ていた。

 後方には電波が届く範囲内で追走するアル。そしてそのまた後方にはユージンが控えている。 霧が通信を阻害するため、ポ

ジショニングと距離のキープは潜霧において非常に重要だが、タケミは霧の濃度を視認できれば、感覚で通信有効距離が判る程

度に大穴に順応している。こういった感覚を訓練で培うには十数年必要とされている。本人に自覚は皆無だが、タケミは大穴内

での活動に対する適性が非常に高い。

 一方アルはこの辺りがまだまだ不安。タケミとユージンが余裕をもって位置取りする事で対処しているが、チェイサーは本隊

と先行の丁度中間で、通信がギリギリ通る位置で中継するのが理想とされる。

 今回の潜霧捜索は、目的地がタケミも初の区域になるとはいえ、道程は普段通りのホームエリアである。先行するスカウトの

タケミ、追従するチェイサーのアル、ここまではいつもの訓練と変わらないが、ユージンは今回「キャリアー」のポジションに

ついている。家屋が倒壊している前提で、掘り出し作業用のスコップやバールなどの大荷物を担ぎ、若手二人に先導を任せで後

を追う。

 各エリアの潜霧士が取る陣形には、土地柄とも言える傾向差があるのだが、熱海をホームにする潜霧士達は、このように縦列

陣形を基本にして行動する事が多い。

 大穴を囲む長城は、大雑把に方角で通称が与えられている。半島北東…熱海近辺に隣接する長城は「ウォールA」で、伊東と

東伊豆が属する半島東の長城は「ウォールB」という具合に。

 北東がA、東がB、南東がC、南がD、南西がE、西がF、北西がG。「本土」と伊豆半島を隔てる北の長城だけが例外で、

「グレートウォール」という呼称を与えられている。

 この内、栄えている熱海を起点に仕事ができる東エリアの、ウォールAとBのゲートから侵入できる近辺は、大隆起以降もっ

とも盛んに捜索が行われているため、短距離潜霧で得られる物は少なく、これらのゲートから出発する場合は、成果物を求めて

必然的に長距離を移動する事になる。そのため、東エリアでは移動速度と距離を重視した潜霧団の陣形が発展してきた。神代不

破潜霧捜索所も、その前身である不破潜霧捜索所も、大人数になればこの基本に則る。

 彼らが用いる潜霧陣形は縦列で、「ムービングスタイル」と呼ばれる。

 前衛は、先行して地形と危険物を把握、これに対処する「スカウト」。それと本隊の間に入り、霧の中での短い無線連絡中継

を補い、異常事態が発生すれば即座にどちらにでも駆け付ける「チェイサー」。

 本隊は、機材や荷物、そして成果品を運搬する「キャリアー」と、その護衛と周辺警戒役である「フェンサー」、殿を務める

「エンド」で構成される。作業を主とするスタッフなどが同行する場合もここに含まれる。

 少人数になれば多少変則型になるが、ユージンは今でもこの確実な踏破と移動の安全確保が容易なムービングスタイルを基本

陣形にし、タケミとアルを指導している。これは他の陣形の多くがムービングスタイルからの派生であり、この陣形での動きを

身に付けていれば、他の潜霧団と合同で動く際にも合わせ易いからでもある。

 ただし、この陣形は最適の物でも最高の物でもない。大穴のどこから潜るか、どこを探索するかによって最適解は変わる。熱

海を根城にする潜霧士達がムービングスタイルを基本陣形にしているのは、あくまでも毎回の潜霧で移動距離が長くなるからで

あり、危険生物との遭遇が多い地域ではまた別の陣形が、探索箇所が多く警戒を広い範囲に向けなければならないならまた別の

陣形が有効である。よって、熱海近辺とは環境が異なる西エリアや南エリアでは、それぞれ別のスタイルが主流になっている。

 難なく道筋を踏破し、予定されていた第一休憩ポイントに到達したタケミは、異常が無い旨を報告してアルとユージンが追い

つくのを待った。

 見晴らしのいい高台のようになっているが、そこは倒壊したビルの瓦礫でできた丘。建材の上に土埃が溜まり、雑草や苔が生

えて、もはや大隆起前の地形が判らなくなっている。

(霧が浅くて日差しが温かいからかな…。今日は霧ナマコがポツポツ出てる)

 タケミは足元にを見下ろし、狼型マスクのレンズ越しに、丸くてプニプニした生き物を見遣った。道中でも多数見かけたが、

この場にも6匹が転がっていた。

 霧ナマコは体長20センチほどの楕円形の生物で、ナマコという名を付けられてはいるが、ナメクジが霧の影響で変異を遂げ

た種である。触覚も無くなり、体色もピンクや薄紫、浅黄色など、花のように素朴で鮮やかになっており、ナメクジの面影は全

く無いが。

 危険生物のカテゴリーに入れられてはいるが、危険どころか無害である。単に大穴外の生物とは異なるので危険生物に含めら

れているだけ。食性は、霧の中で育つ葉が柔らかい雑草や苔、キノコやカビなどの菌糸類と、腐敗物。口は人の指も入らないほ

ど小さく、歯も無く、毒液などを出す事もできず、攻撃手段を一切持たない。大穴の中では食物連鎖ピラミッド最下層の生物で

ある。
なお、湿度が高い所でないとあっという間にしぼんで死んでしまうため、長城があっても無くても大穴の外へは生活圏を

広げられない。

 ちなみに、害も無いが益もほぼ無い。霧の中の生物が捕食するものの、おそろしく不味いので人が食べるには向かない。体の

98%が水分なので絞れば水分は取れるが、体表がツルツルしているので簡単に絞れる物でもない。

「お待たせーっス!」

 タケミが屈んで、苔を嘗めている霧ナマコを見つめていると、二分ほどでアルが追いついた。

「あ、ナマコっス!」

 シロクマは霧ナマコをヒョイッと掴み上げる。しかし捕まった霧ナマコは軽くくねるだけで、どうあがいても逃げられそうに

ない。生物のスペック面から言っても抵抗力皆無なので、世の中天敵だらけの生き物である。

「オレこいつ好きっス!プニプニ~!」

 指で霧ナマコをプニュプニュつつくアルは…。

「この柔らかさとか弾力とか、今のタケミのホッペとか腹と似てるっス!」

「え!?そ、そんなにプニュプニュかな…」

 赤面した少年は、足音も無く霧を押しのけるように現れた大柄な影に目を向けた。距離はキープしていたはずだが、健脚なの

でアルの到着から二十秒も経っていない。

「タイムは上々、いい出来だぜ」

 褒められてなお姿勢よく気を付けするタケミと、親指を立てて「もっとホメテ!」とアピールするアル。ユージンは普段にも

増して多い荷物をドスンと下ろすと、太い首を傾け、グルグルと肩を回して体をほぐす。

「ウチの事務所も運搬機とかあった方が良いんじゃないっスかね?」

 大荷物を見下ろしながらアルが言う。「ほら、ヤベのオジサンの所みたいなのが良いっスよ」と。

 ユージンとも親しい熱海の商売仲間…大手事務所である谷部潜霧所は、多数の作業運搬機器類を有している。他所との連携練

習という事で時折潜霧を共にする中で、アルは常々谷部潜霧所の多脚運搬工作機を便利だなぁと眺めていた。が…。

「ああ、アレ…なぁ…」

 顔を顰める熊親父。谷部潜霧所が機材類を駆使し、必要物資や成果品を運搬する様を見れば、誰でも欲しくなるのは判る。

 しかし、ああいった作業工作と運搬を一手に引き受ける機械は、恐ろしく操作が複雑で習熟も困難、自在に扱えているのは谷

部潜霧所のベテランキャリアーだからこそ。瓦礫だらけで舗装された場所が殆ど無い大穴の中でそれらを運用するならば、経験

が必要なのは勿論として運転技術などのセンスも磨かれていなければならない。

 さらにそういった機械類は、霧の影響で無線機器や電子機器の使用に様々な不具合が起こり易い大穴内での使用を前提として

いるため、普通に出回っている作業機器類やロボットの類とは設計思想自体が異なっている。つまり市販されている大量生産品

とは違い、少数生産の特別仕様となる上に、大穴の環境下でも運用に支障が出ないようパーツ一つ一つが恐ろしく精度が高い高

級品。

 タケミも一度、ああいった物があれば良いなと言った事はあったのだが、「安い物でもポルシェより高ぇぜ」というユージン

の返答で黙った。ついでに言うと、機械に乗っていては咄嗟の交戦に遅れが出る。少人数ではキャリアーを護るのも大変なので、

現状の神代潜霧捜索所は人的見地から言っても運搬工作機を導入するには適していない。

「…そんな訳で、運転手も居ねぇし使いこなせねぇ。今のウチじゃあ買った所で…」

「「タカラノモチグサレ」っスか…」

「そういう事だ」

 残念そうなアルは、「運転手雇うのはどうっスか?キャリアー居た方が便利なんだし、ダメっスかね?」と期待を込めてユー

ジンの顔を見上げる。

「…適した人材が居りゃあ、な。誰でも良いって訳じゃねぇ。腕もそうだが、信用できる相手かどうかってのも重要だ。霧の中

じゃあ命を預け合うんだからな」

 ユージンはそう諭して話を打ち切った。

 だがしかし、口にしたのは事実ではあるものの、全てではない。

 「人狼化」するタケミの特殊な体質は最重要機密である。採用する相手にこれを知られる危険を考えると、そうそう人手を増

やす事は出来ない。これがユージンの最大の懸念事項なのだが、この事にタケミが気付いたら、自分のせいで人手を増やせない

のだと気にしてしまうため、気取られないようにしている。

「さて、こっからは四等以上だけが踏み入れる区域だが…」

 特に壁や線などで区切られている訳ではないが、ユージンが見遣った先…一行が居る位置から20メートル先は、危険度が跳

ね上がる区域となる。ジオフロントと直結している排気口があいているため、「地下の存在」が迷い出る事もあるのがその理由。

 資格を満たさない潜霧士がそういった区域に踏み入った場合、システムが注意を促しビープ音が鳴るようになっているのだが、

これも霧の濃さによっては当てにならない。霧が濃すぎてGPSを含めた位置把握機能が正確に作動せず、警告が鳴らないまま

不幸にも「遭遇」してしまう潜霧士も居る。

「必ず遭う訳じゃねぇ。むしろ確率はだいぶ低いんだが、気を引き締めて行くぜ?」

 ここからはユージンが先頭に立って進む。陣形で言えばユージンがスカウト、アルとタケミは本隊という扱いである。

 少し休憩して水分を補給し、タケミが一時外していたヘルメットを被り直し、アルが霧ナマコを苔の上に置いてやり、一行は

出発する。

 立ち入れる者が絞られるせいで、ここから先は危険生物の数も増し、ルートもあまり慣らされていない。太い足で力強く瓦礫

を踏み越えてゆくユージンが、比較的移動し易いルートを選定するが、倒壊した建物や陥没した道路を越える箇所も多く、アッ

プダウンがだいぶ激しい。体力自慢のアルも、大穴の中を歩き慣れているタケミも、大荷物を背負ったうえでペースを抑えてい

るユージンに、ついてゆくだけでやっとだった。

「ここらは霧ナマコが多いな。…捕食者の気配がねぇ証拠だが、気は抜くんじゃねぇぜ?」

 ふたりが遅れないよう、ちょくちょく止まって追いつくのを待つユージンは、様子見に最適のコンディションになったと満足

していた。

 危険生物などの気配や痕跡は無く、天候も安定し、霧の濃度もさほどではない。立ち入り制限されていた区域に初めて挑むに

は、絶好の潜霧日和だった。

「おし、着いたぜ」

 瓦礫の山を越え、地割れの跡を回り込み、だいぶ歩いて辿り着いたのは、かつて住宅地だった地区…その跡地。

 かつては整然と立ち並んでいた家屋も軒並み倒壊し、原型を保っている物は殆ど無い。土埃が積もり、草や苔で緑色に塗り潰

されている。

 整備されていた住宅地の道路も倒壊した家々の瓦礫で埋まって、僅かに残った立ったままの電信柱達が、切れた電線を寂しげ

に揺らしていた。

「アイツがここのホールだ」

 ユージンは見渡す限りの瓦礫の向こうにある、赤と白の縞模様に染められた筒状の建造物を指し示す。

 ジオフロント直通のホールはもう目と鼻の先。高さ20メートル、直径10メートルほどの煙突状の設備が、色褪せながらも

今も聳え立っていた。

「地下空洞の湿気と地熱を逃がすモンだが、今は霧の通り道…噴霧口みてぇなモンだ。この中をジオフロントから這い登って来

るモンも居る。あそこから出て来るモンは、地表に暮らす危険生物の数倍上だ。アルは判るだろうが…」

「うス…」

 シロクマは神妙な顔で頷き、ジャケットの上から左肩を押さえた。そこには幼い頃に刻まれた、三条の傷跡が走っている。

「さて、依頼の品を探すぜ。運良く座標検知にズレはねぇ。天気に感謝だな」

 ユージンは左腕に装着した手甲型コンソールを確認しながら、ホーナーが住んでいた家を探す。どこの家も潰れているので、

聞き取りした外観の特徴はあてにならないが、幸いにもGPSが正常に作動する霧の濃度だったので、迷う事もなくすぐに特定

できた。

「ここだな」

 金熊が足を止めたのは、正面側へ崩れる格好で倒壊し、家の前の道に突っ伏すように倒壊している家屋の前。風雨と土埃で変

色し苔むしているが、汚れを擦り落とすと、ベージュの壁や藍色の屋根など、ホーナーから聞いた特徴が確認できた。

「この家で間違いなさそうですね…」

「おし、作業を始めるぜ。タケミは周辺警戒、アルはワシと一緒に掘り起こす」

『了解!』

 ユージンはジャケットを脱いで上半身裸になり、アルもそれに倣って上着を脱ぐと、袖を帯のように腰に巻いて結びつける。

 体力抜群の熊獣人ふたりが、つるはしに大木槌、バールにスコップなど、持ち込んだ道具で瓦礫を掘り起こし始めると、タケ

ミは恐々と周囲を巡回し始める。

(「ジオフロントの者達」…)

 霧の中、40年以上放置されても聳え立ち、霧を吐き出し続ける煙突を見遣ると、肌が粟立った。地下深くの大空洞、そこに

直結している穴があそこにある…。そう考えるだけで緊張する。

 地下にはタケミが遭遇した事のないような危険生物が生息している。だがそれだけではない。「生物ではない」存在もひしめ

いており…。

(地下空洞の番人…、「機械人形」…)

 今の等級ではジオフロントに関する情報の多くは取得できないので、少年は部分的にしか知らないが、地下では今でも大隆起

前に使用されていた自律警備システムが生きており、駆除用の機械なども徘徊していると聞く。発狂した人工知能「チエイズ」

が今でも統率しているのか、今でも生産され、修繕され、常に多くが稼働状態にあるという。

 ユージンは情報管理に従って詳細を語らないが、問題ない程度にはタケミに話していた。

 あれらは、ジオフロントに侵入する者全てを不法侵入者と認定し、駆除するために動いている、と…。

 地下の危険生物もそうだが、そういった機械類が地表に出て来る事もある。機能不全で位置情報を見誤ったり、内部判断では

ホールの周辺までが警備区域と認識されていたりもするので、該当区域では遭遇に気を配る必要がある。

(生き物じゃないなら、斬る事に罪悪感はたぶん無いけど…)

 四十年以上前の当時から、数世代先の技術力を誇っていたジオフロントの産物に、自分の腕が通用するかどうかというのがタ

ケミの不安材料。

 しかし、得物である黒刀が通用するかどうかについては疑いはない。何せこの刀はジオフロントから持ち帰られた素材で造ら

れたレリック。機械人形の外装を切断してのけたと、ユージンの口からも聞いている。

(土肥の大親分がお父さんに贈った物だって、所長が…)

 タケミは腰の刀に触れながら、少し言葉を交わしただけの大猪の顔を思い浮かべる。

 この刀の名は「黒夜叉」。土肥の大親分がお抱えの刀鍛冶に造らせた、特別製の一振りだとユージンは言っていた。

(黒夜叉でなら、ボクにも機械人形が斬れるのかな…)

 狼メットのレンズ越しに、霧を零し続ける煙突をもう一度見遣った少年は…、

「!」

 素早く腰を沈めて身構え、手近な瓦礫に身を寄せた。

(このノイズ…、モーター音!?)

 刀の柄に手をかけ、息を潜めたタケミの視線が、霧の下では滲んで薄くなる影を捉える。

 大きい。高い。物陰に隠れた格好から覗ける、瓦礫の上に伸びる影は、ひとの物とは大きく異なる。

(にに、人形って言ってなかった…!?そそそそれともっ!大型ガードロボットとかそういうのまで、地下から出て来るの!?)

 フィィィィン…。

 微かなノイズを狼メットの収音装置が拾う。彼我の距離は18メートル程度。音響からの分析で接近している事が判る。タケ

ミはスーツの下で緊張の汗を流し…。

(…あれ?)

 マスクのレンズ兼モニターに、収音装置の分析が表示されて、少年は目を丸くした。

 「雑賀重工製三世代型水素エンジン」と表示されているが、これはジオフロント製の機械類が搭載している動力ではない。谷

部潜霧所の工作機器類も一部が搭載している、旧式の部類に入るエンジンである。

 不意に、元々それほど大きくなかった駆動音が小さくなった。

「ん~…?誰かおるんかいな?」

 タケミはビクリした顔で眉を上げる。聞こえたのは通信ではなく、収音マイクが拾った肉声である。

 潜霧士か地図師…とにかくひとだと判断し、ホッと胸を撫で下ろしたタケミは、瓦礫の影から相手を刺激しないようゆっくり

と出て姿をさらす。両手を軽く上げながら。

「あ、あの…。怪しい者じゃないです…。ダイビングコード「ウォルフ」…。潜霧士です…」

 名乗りながら、タケミは相手を見上げた。

 距離10メートルと少しの位置には、武骨に角ばった作業機。谷部潜霧所などで用いられている物とも型が異なっており、タ

ケミにはメーカーが判らない。もしかしたら自家製クラフト品かも?と、詳しくない少年は考える。

 六脚型で、各脚部は武骨に角ばっており、人間で言う太腿付け根、膝、足首に当たる部分では球体型関節が剥き出しになって

いる。伸ばせばそれぞれ2メートルほどだろう脚部先端には、ローラー、クロー、キャタピラの選択式ユニットを備えている。

どことなくタカアシガニを思わせるバランスの機体は、カニで言う甲羅の位置に運転席があり、地上1.5メートルほどの高さ

に搭乗者の姿があった。

「およ?なんやその声…、若い子かいな?」

 意外そうな声を発した搭乗者は、逆光の中から少年を見下ろしている。

 喉元まで上がった大きなジッパーが目立つツナギ型の潜霧用作業着を着込み、左手でメインハンドルをキープ、右手に飲みか

けのペットボトルを握っている。平坦な場所がほぼ無いここで、工作機器を片手運転している事からも、操作に習熟している事

が窺えた。

 昔の戦闘機乗りが着用していたような形状の、視界が広くとれるゴーグルを装着しているが、露出部から搭乗者のだいたいの

顔形は判別できた。

(狸のひとだ…)

 大部分がゴーグルに隠れているが、目の周囲は黒い隈取に覆われている。シートと背中の間にはクッションのように太い尻尾

が挟まっていた。

 搭乗している男は、丸々と肥えた狸の獣人だった。それも、ステージ7以上の獣化が完全に進行し切った獣人である。

 背丈はタケミよりも低く160センチちょっとだが、肉付きが過剰でボールのようにまん丸いので、体積は少年よりだいぶあ

る。胸や肩までムチムチと肉がついており、首が無いように見える程の丸顔である。

 ゴーグルのレンズ越しに窺える瞳は、灰色と鈍い銀色の中間…磨かれた鉄の色とよく似ていた。

「ここらでなんや捜索しとるん?それとも、追い込み猟でもしとったんかいな?」

 狸は座席傍のホルダーにペットボトルを置くと、周囲を見回して、少年がひとりでいる事を訝った。

「あ、あの…、物品捜索です…。メンバーが作業中で、ボクは見回りで…。掘り起こす作業だから、無防備になるからって…」

「ほーほー、なるほどなー」

 座席から動こうとせず、ハンドルから片手を一瞬も外さなかった狸は、タケミの話を聞いてから右手をレバーに伸ばし、素早

くカカコンッと操作した。

 先行連続入力で行動を指示された工作機械は、六本脚の右側中央の一本を動かし、関節を逆に曲げて角度を変える。腰を上げ

た狸は簡易階段になったその上を、カン、カン、カンッと跳んで地上に降り立つ。過剰に肉がついた体がポヨンポヨンと派手に

弾んで揺れる様はコミカルだが、身のこなしは軽やかで危なげない。

 右腰にトーチを装備しているが、武装は左腰の短刀のみ。柄も鞘も鍔も鉄紺色のそれは反りがある刃物で、サイズ形状共に脇

差と呼ぶのがピッタリである。声の調子などから三十歳前後と思われるが、ゴーグルで顔形がはっきり判らないのでタケミにも

確信が持てない。

「若い言うか、まだ子供とちゃうか?ニーチャン何歳?」

 てぽてぽと太った体を横揺れさせながら歩み寄る狸に、「十七です」と応じる少年。

「へー、まだ高校生ぐらいやんか?」

 狸はタケミの前で足を止めてツナギのポケットをまさぐり、「独りで任されとるん?偉いなぁ。飴ちゃんやろか」と言いつつ

右手を差し出した。分厚いグローブをはめた掌には、一つずつ袋に入っているタイプの、シュワシュワする炭酸系の飴玉が三つ

乗っている。

 潜霧作業中の人間はマスクを着用しているので、気軽にのんびり飲み食いできない。しかし口の中で転がしておける飴玉は、

マスク脱着の際に口に含んでおけばしばらく味わっていられるので、空腹を誤魔化す役にも立つ嗜好品である。

「あ…。すみません、あの、ありがとうございます…」

 受け取ったタケミが飴を胸の前で両手に包み、おずおず礼を言うと、狸はその態度を見て目を細め、「ニーチャンもしかして

シャイなボーイなん?ん~?」と笑う。

「一息入れる時にでも舐めたらええで。そんで、何処で作業しとるん?邪魔にならへんよう気ぃつけとくさかい、教えてぇな」

「あ、えっと…。あっちの方の…」

 タケミがおおよその位置を伝えると、狸は「ほーほー」と頷いた。

「ほな。ワイはそろそろ行くけど、気ぃつけるんやで?今日はおてんとさんが高いよって、滅多なモンは出て来こらへんと思う

けど、何が起こるか判らんのがホール傍や。ニーチャンみたいに若い子は普通こないなトコまで来れへんのやけど…。せっかく

四等以上になれたんや。しっかり稼いでアガリになるまで、死んだらあかんで?」

 軽く手を上げて踵を返した狸は、静かに作動音を漏らしている工作機の脚を伝って座席に戻ると、方向転換させて遠ざかる。

 凹凸だらけの地面をスムーズに移動してゆくその後ろ姿を見送るタケミは、狸の後ろ…座席後部に、一辺1メートルほどの正

立方体の収納ボックスが二つ、横並びで設置されている事に気付き、狸の仕事内容を察した。

(収集を仕事にしてるひとなんだ…)

 大穴内に残された大隆起以前の遺留品や、霧の中でのみ取れる様々な品、そして潜霧士の亡骸などを捜索する事を主な仕事と

する者達も居る。そういった多くは、得られる僅かな儲けを独占するために、少人数か単独で潜霧するという事も、ユージンか

ら聞いていた。

(あのひとも、独りなのかな…)

 見えなくなるまで見送ってから、少年は「あ」と声を漏らす。

(ダイビングコード聞きそびれちゃった)

 去ってしまってから、あの狸が名乗っていなかった事に気が付いた。

 

(遺留品の捜索なぁ。ご苦労なこっちゃ。ま、ワイの餌場とは被らへんし、なんならホールから出て来たモンが発掘音に引っ張

られてくやろうから、かまへんけど)

 探知機で瓦礫下の金属反応などを探りつつ、狸は不意に目を細めた。

「…十七て、まだタツロウと同い歳やないか…。そないな歳で、霧に潜って稼がなあかんのかいな…」

 ボソリと呟く狸の目は、ゴーグルの中で暗く光る。

(あんな若い子が制限エリア入り…。おまけに腰のモン…あら土肥の刀工の大業物や…。才能があるんか知らんけど、それだけ

危険に踏み込ませる事になるて組合は判っとるんか…。世も末やで、ホンマ…)

 

 一方その頃、土埃だらけの汗まみれになっていたシロクマは、瓦礫に腰掛けて休憩していた。

「こういうのも、作業機械持ち込めると楽に行くんスかねぇ?」

「その通りだが、ねぇモンはねぇ。無い物ねだりしたって気持ちが疲れちまうぜ」

 応じたユージンは持参したクーラーボックスから冷えたスポーツドリンクを取り出し、アルに放る。

「サンクス所長!…オレが運転の仕方とか勉強したら、導入考えるっスか?」

 ボトルキャップをパキパキ回すアルに、ユージンは難しい顔。

「動かすだけなら、頑張りゃだいたい誰でもできる。が、実際の運用はそう簡単でもねぇ」

 熊親父は難しい顔で説明する。

 霧の中では多くの機器が悪影響を受け、霧の外の何十倍も故障し易く、材質によっては劣化も早い。霧から上がるたびにメン

テナンスに出す、サポートシステムなどの機械類の整備費用が、その深刻さを物語る。

 そして工作機器も、大穴の環境の中では急な故障やアクシデントに見舞われる事も多々ある。そこで自力復旧させる技術や知

識が、運用者には必要なのである。

 こういった機器類の維持補修コストや難度、信頼性の不安定さは無視できないので、今でも潜霧は人力が主流であり、機器類

はサポート止まりとなっている。

「ああいった機械類を扱う連中は、もう専門の職人と言ってもいい。現地での修理は勿論、何なら現地でスクラップかき集めて

何か作っちまうほどメカニックとして習熟してなけりゃあ、地下までは到底辿りつけんぜ。工作機器類はどれも使い捨てできる

ほど安いモンでもねぇしな」

「簡単には行かないっスねぇ~…」

 一息にドリンクを飲み干したアルは、腰を上げてバールを担ぐ。

「じゃ、やるっスか!」

「おし、もうひと踏ん張りだぜ」

 応じてユージンも大木槌を握る。ふたりの目の前には、倒壊して潰れた二階部分の大半が人力で取り除かれ、瓦礫が掘り起こ

されてすり鉢状にへこんだ家屋跡。指輪自体は小さくとも、ホーナーの情報に従えば寝室の金庫にしまってあったらしいので、

目当ての部分まで掘り起こせば何とかなる。

 アルがバールで壁材や天井材、柱や断熱材を起こし、ユージンが手掴みでそれを放り捨てる。テコの原理でも上がらない大き

な物は木槌で粉砕する。金熊の異能を使えば丸ごと吹き飛ばす事もできるが、それでは壊さなくて良い物まで破壊してしまうの

で、地道な手作業が続く。

 指輪だけで良いならもっと乱暴にやっても良いのだが、できれば指輪に限らず、想い出の品になりそうな物が残っていたら持

ち帰ってやりたいというのがユージンの意向。それでホーナーが追加金を払うと言うなら、額にもよるが受け取って良いとユー

ジンも言うので、アルもこの方針に異議はない。

 やがて…。

「ビンゴっス!」

 バールで壁の破片を起こしたアルが、下からベッドの物と思しき残骸を見つけた。布団などの布類はカビや湿気を吸っては乾

いての繰り返しで、柄も判別できないほど脱色してしまっているが、曲がった脚は所々錆びてもまだ塗装が残っている。

「おし、でかした!慎重に掘り起こすぜ?ベッドの位置がここなら、間取りから言って金庫は…」

 程なく、丁寧に瓦礫を取り除いたふたりの前に、一辺50センチほどの正方形に近い耐火金庫が姿を現した。ダイヤルも錆び

ついて動かないが、破壊許可は取ってある。

「練習させてやりてぇ所だが…、今回は中身が大事だからな。ワシがやるぜ」

「見学するっス!」

 アルが一歩下がってスペースをあけると、ユージンはトーチを手に取り、金庫の扉に噴射口を近付けた。

 ガスバーナーのようにオレンジ色の細い火を発したトーチは、さらにユージンが摘まみを絞ると、トーチの火は針のように細

くなり、明るい黄色に変じた。

「最小に絞って細くすりゃあ、それだけ熱量も上がる。厚さ5センチ程度の鉄板なら、耐火構造でも切り分け可能だ。それ以上

厚い場合でも、角度を変えて小刻みに切開すりゃあ何とかなる」

「うス!」

 潜霧士の必需品であるトーチは、溶接や切断にも用いられる。これもジオフロントから持ち帰られた技術と素材が必須になる

器具なので、一般流通していないのは勿論、非常に高価である。

 ユージンは金庫を一度仰向けに倒して中の物を奥に寄せた上で戻し、高熱のバーナーをメスのように使い、金庫の扉を慎重に

切り開いた。そして…。

「もう割れるが、冷えるまで待つ。当たり前だが火傷に注意だぜ?」

「うス!じゃあクーラーボックスの保冷剤とか使ってもいいっス?」

「おう。宵越ししねぇで帰れるからな、使っちまって良いだろう」

 そうして二人が金庫の扉が冷えるまで待っていると、三度目の巡回を終えたタケミが現状確認に戻って来た。

「見つかったんですね?…でも、何でまだ掘ってるんです…?」

「オマケ探しっス!指輪以外のメモリアルな何か無いかな~って!」

 スコップ片手に胸を張るアルは、腕は勿論、胸も腹もデベソも土汚れで灰色だった。ユージンの赤金色の被毛も全体的にくす

んだ色になっている。

「指輪を回収したら引き上げる。ヌシも少し休憩しとけ」

 重労働の肉体作業に勤しんでいた割に、ユージンはむしろ普段より生き生きして見えた。何とも土木作業や力仕事が似合う熊

親父である。

(労働の汗が似合うなぁ、所長…)

 汗と土で汚れた逞しい半裸に、少しドキドキしてしまうタケミであった。

 

 

 

 午後八時。神代潜霧捜索所。

「え?ちゃんと洗浄受けたでしょ?」

「まだ毛の中に残ってる気がするんスよ。土埃とか」

 た理由をつけて風呂に誘い、体を洗って貰おうとするアルにタケミが引っ張られてゆく。

 少年を捕まえて連行するシロクマは、ポケットの膨らみに気付いて視線を下げる。

「何か入ってるっス?」

「あ。飴玉…」

 アルに指摘され、スーツから着替えた時にズボンのポケットに移したままだった飴玉の事を思い出したタケミは、それを手に

取って考え込んだ。

(あの狸のおじさん…。見た事ないひとだった…)

 ユージンに連れられて幾度もダイブし、同業者と共同での捜索も数多くこなしたタケミは、熱海を根城にする潜霧士達の顔を

だいたい憶えている。流石に本名や素性までは把握していないが、ダイビングコードや装備の外観などは記憶しており、霧の中

で会っても個人を特定できる。

(熱海のひとじゃない…。伊東の方でも見た事ない…)

 東エリアの現役潜霧士で四等以上となると、狸獣人は一人しか居ないのだが、今日会ったのはその人物ではなかった。

(西エリアか南エリアの潜霧士だったのかな…。今日の現場、西エリアと中間近くだし…)

 

 一方その頃ユージンは応接セットに腰を据え、依頼された指輪と、掘り起こした中から持ち帰る事ができた写真立てなどの小

物類を収めた小箱を、ホーナーに手渡していた。

「どうして…」

 指輪だけでなく、可能な限りの品々を持ち帰ってくれた事に、感謝の言葉をうまく表現できないホーナーだったが…。

「「ついで」というヤツだ、ホーナーさん。そう何度も依頼できる事じゃねぇ、行ったからにはついでにできる事をしとくのが

効率的だろう」

 ホーナーが理解し易いよう、ゆっくりと、判り易い言葉を選んで説明するユージンは、個人的にも納得が行く潜霧になったと

満足げである。

 大隆起まで伊豆半島に住んでいた。そして、大隆起で人生を変えられた。そんな人物の力になれたのは、熊親父にとって嬉し

い事だった。

「感謝します。是非とも、報酬を高く…あ~、ウワノセ?したいのです」

「不用。…と言っても良いんだが、多少なら気持ちとして受け取っておくぜ。ウチの若ぇのも頑張ったからな。それで美味い飯

でも食わしてやろう」

 業界最高峰の潜霧士と聞いていたのに欲の無い人物だなと、呆気にとられるホーナーに、「ちぃと気になったんだがな、ホー

ナーさん。アンタ、獣人に慣れてねぇかい?」とユージンは尋ねる。

「仕事仲間、獣化が進んでいる人物、多いですので」

 そう答えたホーナーの話を聞いている内に、ユージンの両目が大きくなった。

 ホーナーとその家族は、大隆起後もしばし伊豆に留まっていたが、簡単には事態の収束が見込めないと見切りをつけ、アメリ

カへ帰った。

 その時にホーナーの父は、当時まだ扱いが確立しておらず忌避と差別の対象になっていた因子汚染…その被害者となった会社

の従業員や関係者を、いち早く保護して生活支援を行なった。

 その後、状況が落ち着いて事業が再開されてからも、会社は変わらず彼らを雇用し続けたので、ホーナーは幼い頃から獣化が

進行した者達や獣人達と接してきた。

 何より、伊豆に住んでいた当時の友人達も知り合いも因子汚染の被害を受けた。獣化の進行で姿形が変わっても、中身は人間

とそれほど変わらないのだという事を、自分の経験を通して知っているのである。

「…そいつは頭が下がるぜ」

 呟いたユージンは思う。そんなホーナーとその父親に、報いる仕事が結果的にできていた。己の働きを今回ばかりは誇っても

良いかな、と…。

「ところで、クマシロ所長、いいですか?」

 ホーナーは昔の記憶を手繰りながら口を開いた。依頼を持ちこむ時、神代専務捜索所という名を知って、ずっと引っかかって

いた事があった。しばらく考えて、何に引っかかりを覚えたのかやっと思い至ったと…。

「父が仕事で、馴染みのあった、ひと。「クマシロ」主任研究員サン、と言いました。ジオフロントの研究者だった、と思いま

す。クマシロ所長?アナタの家族か、親戚、だったでしょうか?」

「………」

 ユージンはこの問いに、

「…さぁ、どうだろうな」

 僅かな沈黙を挟み、表情を変えずに応じた。