第十七話 「地下を闊歩する者達」

 その日、男の子は震えながらその光景を見ていた。

 かつて人間の支配領域であった、地下深くの構造体の中で。

 通路に反響する途切れ目の無い銃声。耳を覆いたくなる轟音は、しかし一つ、またひとつと減っていく。

「クソッ!死なねぇ!」

 後退しながらマシンガンを連射する潜霧士が悪態をつく。

 三名の集中砲火を浴び、痙攣するように震える人影は、しかしそれでも止まらない。

 それは、フォルム自体は人間を模しているが、全体的に見れば大きく異なる。

 肘や手首、肩や膝など、可動部分は銀色の球体関節で、前腕や二の腕、太腿や脛などは白い円筒状。胸部は成人男性のような

デザインだが、鳩尾の部分は肘や膝のそれよりも大きな球体関節で、その下に下腹部、腰と繋がっている。

 簡素なマネキンを思わせるソレの頭部は、毛髪の無い人間の頭の形に近いが、顔面は半透明な乳白色のカバーに覆われ、その

中…人間で言えば鼻の頂点と両目を三角で結んだ中心にあたる位置で、単眼のメインセンサーが赤く発光している。

 滑らかな頭部には前後に走る溝が、額から頭頂部を抜けて後頭部に至る一本と、こめかみから後頭部の溝付近まで伸びる左右

の二本があり、その中に赤い点…可動式サブセンサーが合計で三つ光っている。耳にあたる位置はゆるやかな窪みの収音装置に

なっており、口や鼻に該当する部位は無い。

 人間で言う親指と小指の構造が対称になった手。足はシューズのようにのっぺりしていて、こちらも外側と内側が対称になっ

ている。踵側にはバランス保持のため、鳥類の一部の足のように、短い指状の突起が生えていた。

 そのボディを保護する白い外装は、真珠銀というジオフロントで造られた特殊合金製。腐食に強く、熱に強く、低温に強く、

その展性により衝撃にも強い。人形は銃撃を絶え間なく浴びせられてなお破壊されず、多少のへこみを全身に生じさせながら前

進するそれの後ろには、顔面に、ひとの腕が貫通する程の風穴をあけられたセントバーナードの獣人の死体が転がっている。

 そのさらに後ろには、引き千切られて上半身と下半身が4メートルも離れて転がり、名残のように腸だけが繋がっているウマ

グマの死体。

 五人の三等潜霧士が、先手を打ったにも関わらず数秒でふたり、それも獣化が完全に進行している屈強な異能持ちが殺され…、

「えぐっ!アバッ、アアアアッ!」

 三人目は、銃撃を浴びせられながらも接近したソレに顔面を掴まれ、動転している同僚二名の銃撃に晒され、蜂の巣になる。

 ソレは右手で犠牲者の頭を掴んだまま、首に左手を沿えて、グシャリと一瞬で握り潰し、そのままねじ切る。そこへ、残りの

二名の一方が、アサルトライフルを構えて悲鳴を上げながら突撃した。

 顔を向けたソレの顔面へ、銃剣…超震動レリックのブレードを装着したアサルトライフルがカバーを割って突き刺さり、メイ

ンセンサーを破壊する。が、ソレは怯む様子も見せず、アサルトライフルを保持する潜霧士の腕を、両側から掌で挟んだ。

「うわあああああああああっ!」

 悲鳴を上げて引き金を絞る潜霧士。銃剣に貫かれて破損した頭部に、直接弾丸を撃ち込まれるソレは、頭部を激しく振動させ

ながら五指を開く。

 直後、耳が痛くなるノイズが走り、ヴァッと、赤い霧が舞った。

 ソレが手を添えた周辺で、潜霧士の両腕は超音波破砕で粉末サイズまで分解された。ソレの頭部に突き刺さったままのアサル

トライフルには、トリガーに指をかけたままの右手がぶら下がっている。

「ぎ」

 痛みを感じる事もなく、痺れて感覚を失ったような両腕がどんな状態になっているか、目で見て確認した男が悲鳴を上げ終え

る前に、人形の前腕が伸長した。手首関節から先を押し出すように、白い外装下のフレームが伸び、銀の槍のように。

 三指を揃えたソレの手が喉を貫き、手首関節がギュイィンッと数回転して、犠牲者の脛骨をねじ切りながら粉砕する。

 潜霧士の頭部が、首の皮の残りを頼りにブランと胸の前へ垂れ下がり、膝から崩れ落ちると、ソレもまたカタカタと震えてか

らゆっくりと胴を曲げて項垂れるような格好になった。

「この野郎!」

 最後の潜霧士が絶叫しながら駆け寄る。弾を打ち尽くしたマシンガンを放り出し、レリックである大ぶりなククリナイフを振

りかぶって。

 それを頭頂部めがけて振り下ろそうとした潜霧士は、しかし、ボンという音とともに上半身「だけ」を壁に叩きつけられた。

 ソレは、腹部から上をプロペラのように高速回転させていた。その勢いで振り回された腕が、潜霧士の鳩尾から上を切断して

吹き飛ばした。

 ソレの回転が徐々に勢いを失い、減速し、やがて止まると、頭部のサブセンサーの発光も失せ、ゆっくりと屈みこむように体

を曲げ、跪く姿勢になる。

 崩れかけた壁の下、狭い隙間に這いつくばって、息を殺していた男の子は…、

(ひっ!)

 悲鳴を上げそうになった。

 壊れたと思った人形が、座り込んでいるその姿勢から首を曲げ、銃剣が突き刺さってパチパチとスパークを散らす顔面を男の

子に向けた。

 そして、機能を完全に停止する。

 ガチガチと歯を鳴らして震える男の子は、壊れた人形からしばらく目が離せなかった。目を離した隙に動き出してきそうで。

 荒い呼気でヘルメット内の温度が上がり、バイザーは息で曇って周囲の霧以上に見通しが悪くなる。動悸が激しくて嫌な汗が

止まらない。ここに落ちてきて二週間の間に感じはじめた、体のむず痒さや火照りとは別種の体調不良が、男の子の体温を急上

昇させている。

 男の子は、その殺戮の一部始終を見せつけられた。

 生まれて初めて、ひとが死ぬところを目の当たりにした。

 無惨な肉塊に変えられる、悲惨な死に様を目に焼き付けた。

 助けてくれるかもしれないと思った潜霧団。

 それを目の前で全滅させた無機質な機械。

 もしも、自分が少し早く潜霧団に気付いて彼らに保護されていたなら、助かったと思って身を委ねていたなら、一緒に死んで

いたのだと確信した。間に合わなかったからたまたま助かったというだけの話だった。

 恐怖と絶望が強過ぎて、自分が泣いている事にも失禁している事にも気付いていなかった。息を殺して後ろ向きに這い、壁の

隙間の奥に後退し、別の通路に逃げた。

 暑くて蒸す地の底。かつて人間の管理下にあった痕跡である地下通路構造体。既にひとが生きられる環境ではなくなったジオ

フロントの端。

 その片隅に隠れて膝を抱え、男の子は歯の音も合わないほど震え続けた。

(かえりたい…。かえりたいよ…!パパ…。ママ…。たすけて…!)

 音を立ててしまったら、あの「人形」が自分を探しに来るのではないかと怯えていた。

 アルは、あの日の恐怖を忘れていない。

 

 

 

 空色の瞳が映すのは、あの日、地の底で見た、無機質な人型の異形。

 球体関節のモーターを微かに唸らせ、予備動作なしに跳躍するその姿が霧を裂いて潜霧士に迫る様を、目を見開いたシロクマ

が凝視する。

「「機械人形」…!」

 絞り出した声は隠しようもなく震えていた。

 銃声を頼りに急行し、茂みを飛び出した先でアルが見たのは、ピサの斜塔のように傾いたかつての電波中継タワー。

 三角コーンを鉄の骨組みだけで作り、根元に正方形の箱を置いたような形状の鉄塔をバックに、真珠のような白を基調にし、

金属の銀が所々輝く人型の機械が、放物線軌道で宙を舞っている。

 銃声が響く。跳びかかるソレを迎撃するのは俵一家の潜霧士のひとり。アルが勢子の班に入っていた時に指導役だった猪メッ

トを被る寸胴鍋のような体格の男性。体にフィットする潜霧スーツの上に俵一家の作務衣のような制服を纏った男は、自動拳銃

…ベレッタ93Rで正確な射撃を浴びせるが、真珠銀の外装は勿論、銀色のフレーム部分や関節部にも攻撃の効果が見られない。

 巻き狩りで追い込み役をこなす班には重火器が必要ないので、機動性重視の軽装と、牽制と威嚇に主眼を置いた武装構成。殺

傷力の高い銃器類などは、仕留める方の班が携行している。猪メットが持っている飛び道具は、この拳銃と、先に狼煙を上げた

信号弾発射銃のみ。

 跳んで迫る機械人形に正確な銃撃を食らわせている猪メットは、意に介さず突っ込んで来るそれの攻撃をギリギリまで引き付

けて回避。降り下ろされた手を避けて地面に転がった低い姿勢から間髪入れず抜刀し、長ドスで足首を狙う。

 キンッと音を立てて飛んだのは、着地を狙われた人形の左踵側の支え指。名工の手による赤い刃、高速振動のレリックカート

リッジを搭載したそれでも、足首を切断するには至らない。

「何ボサッとしとんじゃ!退避じゃ退避!」

 猪メットが怒鳴ったのは、茂みに駆け込めと指示したにも関わらず、混乱と恐怖で凍り付いている三名の勢子。四等と五等の

潜霧士の彼らは俵一家と懇意にしている潜霧団の若手で、今日は勉強も兼ねて、交戦機会が少なく、経験者のエスコート付きで

危険度も低い、勢子の役につけられていた。

 ホスト側としてゲストの安全を最優先に、ろくな火力も無しで果敢に機械人形を引き付ける猪メットは…。

「…坊主、お前…!ブッパ隊に行かせたじゃろ!?」

 ひとり増えている事に気付いて声を上げた。

 立ちすくみ、へたり込み、それぞれ動けない三名の後ろに、黒い大刀を握った大きなシロクマ少年が立っている。それは最初

に自分の班で勢子の指導を受けた少年だった。

 目を見開いて立ち尽くすアルに、猪メットが怒鳴る。

「来んじゃねぇ!逃げぇ!応援を…」

 言葉を切った男は赤い長ドスを逆袈裟に振るい、機械人形が降り下ろした左腕を内から掠めるようにして弾く。真っ向から打

ち掛かれば刃を傷めるため、軌道を逸らすに留めたが、それでも十分ではなく、男の太腿の外側が指に引っかけられて抉られた。

 機械人形は人体とは違う可動域を持ち、各部を360度、プロペラのように回転させる事が可能。その上、各部球体関節には

個別のモーターが搭載され、筋肉により運動する生物とは違い、予備動作が殆ど無い。動きの前兆は重心や姿勢を整える僅かな

姿勢制御にしか現れないので、各主動作は唐突である。

 しかもその挙動は亜音速に迫り、振り抜かれる手足の先が掠っただけでスーツは削がれて肉が抉られる。危険生物由来の強固

な甲殻などで作ったプロテクター部分であれば耐えられるが、それも上物に限られる。生半可な強度の甲殻では弾丸の前の陶器

皿に等しく、簡単に割られて用を為さない。

 一打でもまともに浴びれば戦闘不能、とどめを待つばかりの死に体になる。一瞬でも気を抜けば、一度でも判断を誤れば、避

けられない死が待つ打ち合いを交わしながら、男が再び叫んだ。

「さっさと行け言っとるんじゃ!生きて帰んのがお前らの仕事じゃ!」

 男は常人離れした反応と動体視力で捌いているが、疲労も蓄積しスタミナにも限界がある生物と、駆動するエネルギーがある

限り動きが衰えない機械人形では、決定打に漕ぎつけられない以上前者が圧倒的に不利。凌いでいられる時間には限界がある。

 言う事をきかない潜霧士達に苛立った男は、

(ぬかった!)

 負傷した右脚が痛みで鈍り、回避の後退からバランスを取りそこなってグラついた。

 その顔面に、親指と小指が対称で、左右同じ形状をしている人形の右手が迫る。

 衝撃波発生機構、並びに超音波破砕機構を内蔵した平手で接触されれば、スーツよりは頑丈とはいえヘルメットも耐えられな

い。当たったら丸ごと風穴をあけられて破砕されるか、中身だけトマトスムージーのようにされる。

 首を斜めに捩じって逸らし、回避を試みる男が、バイザー越しに迫る手を避けられないと確信したその瞬間…。

「うぅっ!わああああああああああああああっ!」

 絶叫と共に、駆け込んだ影が黒い大刀を振り下ろした。

 ガイィンとけたたましい音を立てて横合いから殴り付けられ、地面に転がった機械人形は、しかしダメージが無いのか、仰向

けから後転し、足を接地させたところに上半身を引き上げるような機械的な動きで滑らかにすっくと立ち上がった。

「ふぅーっ!ふぅーっ!」

 歯を食いしばり、目を血走らせ、瞳孔の拡大と収縮を激しく繰り返しながら揺れる瞳を機械人形に据えて、シロクマは男との

間に割って入っていた。

 あれから幾度もあの光景を悪夢に見た。

 恐怖の余り寝小便をもらす事さえままあった。

 夜中に悲鳴を上げて跳ね起きる事も中学に上がるまで続いた。

 精神に刻み付けられたトラウマと、本能に刻み付けられた恐怖の象徴が、いま目の前に立っている。

 半透明な顔面越しに、赤いメインセンサーが光る一つ目小僧。対峙するアルの膝や腕は大刀を構えながら小刻みに震え、切っ

先をブレさせている。

「お前っ!」

 反射的に、言う事を聞き入れない事への文句が口をつきそうになったが、救われる格好になった男はそれを飲み込み、「もう

いい、助かった。下がれ」とシロクマの背に告げた。

 しかし、アルは退かない、動かない。

「ソイツは三等潜霧士が四、五人居っても持て余すようなシロモノじゃ。退け」

 男が前に進み出て、アルの肩を掴んだ瞬間、

「それ、できないんスよ…、ムラマツおっちゃん…」

 シロクマの口から上ずって震えた声が出た。

「今、オレが下がると、っスよ…?何か、「死ぬ」んス。たぶん…。それは…、ここに居る誰かだったりとか、それだけじゃな

いんス…。オレの、プライドとか、自信とか、他の何かとか…。「次に立ち上がるための何か」…そういうのが死んだりするん

スよ、きっと…。それは、絶対に嫌っス…」

 アルは恐怖していた。表情、声、体、その全てに傍から判るほどの強烈なストレス反応が見られる。それでもなお、少年は恐

怖を捻じ伏せて留まっている。

 男は舌打ちする。

「「魂が死ぬから嫌」か…」

 呟き、自動拳銃をホルスターに収め、狼煙の弾を撃ち上げるのに使った信号弾発射銃を引き抜き、弾を装填する。信号弾発射

銃も込めた弾も殺傷用ではないが、撃った際に充分な初速を与えるので、当たりさえすれば助走をつけて拳でブン殴る程度の威

力はある。

 そうして呼吸を整えた男は、センサーの発光を変化させながらアルをスキャンしている自動人形を見据えた。

「腹ぁ決めぇ。ロックオンはお前に移った。ソイツらはこっちの動作をラーニングして来る。同じ動き、似た動作は挙動が読ま

れる可能性が高ぇ。繰り返すような雑な動き…同じ方向に同じ動作でよけるような真似は避けるんじゃ。いいか?短期決戦じゃ。

応援待って長期戦はジリ貧、それより破壊に賭けた方がまだ勝ちの目もある。…もう三つは頭数が欲しいトコじゃが期待できん。

が、それならそれで遣り方ってモンがある」

 男はメットの中で荒く息をつく。どうやら大きく鼻息を漏らしたらしい。

「…そのダンビラ、頑丈と見込んで………。作戦は……」

「ラジャー…!」

「来るぞ!」

 アルの返事が終わるかどうかの内に猪メットが警告し、機械人形がグンッと前触れなく前傾、ダッシュでの移動に入った。

 

 

 

「わっ!?」

 真正面から野襖が駆けて来て、慌てて横に身を投げ出したタケミは、転がって身を起こし、抜刀した所で「え?」と怪訝な顔

になった。

 追撃が来ない…どころの騒ぎではない。普通ならば潜霧士を手ごろな獲物と認識して積極的に襲って来る野襖が、転がって避

けたタケミには目もくれず、そのまま駆け抜けて遠ざかる。そもそも、自分に向かって来てはおらず、攻撃の意図が無かったよ

うにも思えると、タケミは追認した。初めから眼中になく、野襖は一目散に駆けて行っただけにも見えて…。

 前を行くハヤタも立ち止まっているが、こちらは最初から迎撃態勢を取っていない。ひときわ高くなった丘の上から、タケミ

には見えない向こうの平原を眺め回している。

「逃げ惑ってんのが…?」

 大猪が見下ろす丘陵下では、倒壊した建物群の間…かつての道路の痕跡となって低くなっている格子状の線の上を、無数の危

険生物が慌ただしく移動している。

 今度は蛙と馬の合成生物のような危険生物…河童の一団が丘に登って来て、ハヤタとタケミから離れた所を猛然と駆け抜けて

遠ざかる。

「な、何でしょう…?地震とかの前触れとか、ですか…?」

「いや…」

 横に並んだ少年の問いに、大猪は首を振る。

「原因は「あいづら」だ」

 眼下の元道路を、ハヤタが伸ばした指を追って目でなぞったタケミは、

「…!?」

 吸った息で喉がヒュッとなるほど驚いた。

 白い体にあしらわれた銀の輝き。地表の大部分には普通出て来ないはずの存在がそこに居る。一瞬何かを見間違えたか、目の

錯覚か、と疑ってかかったタケミだったが、狼型メットのバイザー内には、視認したソレの照合結果が表示されている。

「汎用駆除型…。最新式…。き、機械人形「一つ目小僧」っ!」

「んだな。全速後退。オメさんは臨時拠点に戻っ…いや」

 タケミに後退命令を出そうとしたハヤタは、すぐさま撤回する。

「もう遅ぇが」

 二体。倒壊した建物の陰と、歩道橋の名残の上に居た機械人形達は、同時に首をグリンと巡らせ、その顔面の赤いセンサーを

強く発光させる。

「少しばっか風が荒れっと。そごさ伏せでろ」

 言うが早いか、大猪は背中の大弓に手をかけ、頭上に掲げて展開した。

 

 

 

 機械人形のダッシュは、爪先が地面を掻くようにめりこみ、足掛かりにするスタート。前兆の無さとあわせて反応し辛い。

 が、男はアルの肩を突き飛ばすように押しつつ、自分は反対側に移動。一拍の猶予を予測による先取りで確保し、負傷してい

ない左足で踏ん張り、信号弾発射銃の狙いを定める。

 同時に、足が力んでいたアルは肩を乱暴に突き押されたのがスイッチになったように、膝の力を抜いて押された方向へスライ

ドするように移動。距離を測りつつ大刀をしっかりと握り直して、脇に引く格好で構える。

 左右に離れた両者の内、情報不測と判定したアルに観測機器類を集中させている機械人形は、少年めがけて左右から挟むよう

に腕を振る。

 挟み込んでの音波破砕。幼い頃に目の当たりにしたその光景がアルの脳裏を過ぎる。

 大刀を握る手があせばみ、背中を冷や汗が濡らし、肩が力んでわななく。

 繰り返し悪夢に見た。怯えながら何度も思い出した。震えながら幾度も反芻した。

 恐怖を忘れるのではなく、いつか乗り越える為に。

「ぬがぁああああああああああああああああああああ!」

 恐怖を振り払うように雄たけびを上げ、シロクマは掬い上げるように下から逆袈裟に大刀を振るった。その鈍く光る刃が人形

の両腕と接触、弾き上げる。

 バンザイする格好になった人形の胴を、剣を振り上げて同じく両腕を上げている格好から、アルは思い切り右足で蹴りつけた。

 体重が半分しか乗っていない、仰け反るような体勢からの蹴りはしかし、その筋力だけで機械人形の体を「く」の字の形に曲

げさせる。

 下がったのは僅かな距離だったが、人形は体の向きが斜めになった。先程男が長ドスで踵指を切断した左足が、一歩分大きく

後退している。

 すぐさま誤差修正を行ない、体勢を立て直そうとする機械人形。だがその頭頂部センサーが、腕を打ち払った大刀が舞い戻る

影を捉えた。

 前蹴りを放って不安定に見える姿勢から、放つのは大上段からの一撃。腹筋と背筋、胸筋に肩、腰、使える部位の駆動力をフ

ルに使って片足立ちから振り下ろすアルの一撃を、人形は破損が無い万全な足で地を蹴りつつ、両腕で刀身をいなして角度を逸

らし、回避した。

(腕、動かせるっス…!)

 地面に深く突き刺さる切っ先。舞い上がる土塊。霧が左右に散って逃げるその中で、人形が大勢を整える前にアルが再び動く。

 蹴りを放った右脚が地面に戻るのと入れ替わりに、軸足だった左が地面から離れ、ステップを踏むような軽快な動きで低い蹴

りを繰り出す。その頑丈なブーツの爪先が、先端が地面にめり込んだ大刀を蹴り外して浮かせ、その反動を利用して右腕一本で

大きくスイング。

(体、動くっス…!)

 ギュンッと腰より低く身を縮めた人形の背を掠めて円を描いた大剣に、握る右腕ごと体が持って行かれて体勢が崩れたかに見

えたアルは、剣を引き戻して抱えるように引き付けた。

 回転半径を絞って捻転速度を上げ、先に剣を蹴った左足を浮かせ、そのまま右脚も地から離し、下半身を完全に浮かせつつ腰

で回転。水平に近い格好に太った大きな体を浮かせながら、ローリングソバットの要領で右足を振り下ろす。

 水平軸回転からの片足浴びせ蹴り。踵落としの格好で降ったブーツが、自動人形の後頭部をガゴンと叩き、一度深く体を折り

曲げた人形が反動で後ろに仰け反る。

(オレは、戦えるっス!)

 動くほどに硬さが取れ、動くほどに軽くなる。体を縛り付けた恐怖…幼少時のトラウマに根差したそれを、シロクマは引き千

切ってゆく。

 本来、恐怖とは生存のための感情である。怖さを知らない、恐れを感じない、それは利点のように見えて実は危うい事で、正

しく恐れ怖がる事ができないのは危機対策の根本的欠如にも繋がりかねない。

 シロクマは恐怖を精神力で抑え込み、これを御して体を動かしている。モーターマシンと同等の馬力を備え、時速200キロ

程度で動く機械人形と、互角の競り合いを演じている。

 回転の勢いを殺して地面に這いつくばるように受け身を取り、跳ね起きる。踵落としのダメージは無いのか、機械人形は仰け

反った体勢から左腕をアルに向け、手首の位置から槍のように撃ち出す。

 かろうじて避けたアルの脇腹付近を手が通過し、左右対称の親指兼小指が特注の防弾防刃ジャケットを掠めただけでザックリ

と切り裂き、白い被毛が露出する。

 そして人形の右手が同じように撃ち出されるが、体勢を持ち直したアルは大刀を構えて横にし、左手を刀の腹に沿え、盾にす

る格好で受け止めた。

 激しい金属音が響き渡ったが、黒い大刀は折れず、曲がりもしない。

(期待通り、頑丈な刀じゃ!)

 その、あまりの速さで常人の目では攻防の内容が理解できない戦闘の中、猪メットの男はアルが機械人形の動きを止める一瞬

…攻撃後の隙を人形が晒す瞬間を狙っていた。

 一瞬で良いから、機械人形が踏ん張るタイミングを作れ。…それが男がアルに告げた作戦。

 準備は済んでいる。地面に手をつき、グローブを嵌めた厚い手で掴んだのは、かつては鉄塔からどこかへ繋がっていたのだろ

う、直径2センチほどのケーブル。大半が土に埋もれているそれの二ヵ所は、高速振動する長ドスであらかじめ断ち切ってある。

適度な長さにしておいたそれを、男は低い姿勢で振り、一回転して加速と勢いをつけて放った。それが自動人形の足元に滑り込

み、後ろ指が無事な右足の後ろから絡み、後退時の僅かな妨げになる。

 どんな姿勢でも関節の向きを自在に変えて駆動する機械人形は、足を掬われても即座に体勢を立て直す。機械人形の反応を上

回り、膂力で上を行けるなら別だが。しかし、攻撃を止められていたその瞬間は足の接地が強まっており、普通の手段での足絡

みも有効。

「でぇええええええええっ!」

 下がる人形を追う格好で、裂帛の気合いと共に下から大刀をスイングするアル。それがケーブルの足絡みのせいで後退を遅ら

せた人形の左肘関節付近にめり込み、半ばまで切断する。現代科学で一般利用されている合金類をはるかに超える強度を持つ、

真珠銀の装甲をである。

 「鬼包丁」と名付けられたそれは、ダリアがアルに与えたレリック。漆黒の刀身を備えたそれは、刃渡り160センチ。身幅

20センチ。柄は40センチ。全長2メートル余り。刃も分厚い100キロ超えの重武装。

 ダリアが語らず、アルも聞いていないそれは、養母が養子の為に、古い馴染みの相楽工房長に依頼して作らせた品。「とにか

く頑丈で簡単には折れない」「何なら刃毀れしていても問題ない」「いざとなれば盾になってあの子を護れる」…。そんな母心

を、狸の職人が忠実になぞって造ったワンオフのオバケブレード。

 ジオフロントの自動作業機に装備されている掘削ドリルのブレードや、重装警備機械の複合装甲版、一部の機械人形に搭載さ

れるレーザーブレードの芯など、多種多様な金属を溶かして混ぜ、抽出して鍛造した合金から馬鹿馬鹿しいコストをかけて造ら

れた巨刀は、特殊な機能などを一切持っていない。

 ただ、その堅牢さと耐久性、質量兵器としての威力は群を抜いており、大穴の中で遭遇する可能性がある、およそ全ての敵性

存在と戦えるように造られていた。

 照れくさいので、虎女将は養子に何も教えていない。例えアルが訊いてもはぐらかされるだけである。だが、材料の大半をダ

リアが潜って直接採集してきた経緯や、製作コストや造った職人から評価するなら、黒夜叉にも引けを取らない希少な品。当代

最高峰の一角である名工が作り、母の愛が込められた、唯一無二の一振り。

 ジオフロントの機械を、いつか息子が乗り越える時のために。そんな願いを込めて与えられた刃は、この日、見事に期待に応

えた。

 完全には断ち切れなかったせいで、人形は鬼包丁のスイングの勢いに左腕を引っ張られる格好で体勢を崩し、右手はシロクマ

が咄嗟に大刀から離した左手で掴み取られる。

 機械人形が手首の下を握られ、要求した以上の大きな隙をシロクマが生み出してみせたそのタイミングを、猪メットは逃さず

信号弾発射用の銃を構える。

 狼煙弾に代わって込めたのはマーキング用の弾。機械人形の側頭部にゴァンッと激しい音を立てて命中したそれが、成人男性

が助走をつけて全体重をかけて殴ったような衝撃が人形の頭を揺らす。そして、それが割れて弾けた蛍光ピンクのゲル状物質が、

センサー部と顔面をベッタリ覆う。

 それは、付着すれば岩だろうが金属だろうが植物だろうが、しばし色が残り続けるゲル状ペイントである。複合センサーを搭

載している機械人形達も、そのメインは光学センサー。マーキングペイントが頭部を覆えば情報取得に不具合が生じる。ひとで

言えば、顔に袋を被せられて視界をまるごと奪われるような物である。

 頭部のソレを取ろうと右手を引っ込める機械人形。その手をあっさり離したアルは、左腕に食い込ませていた大刀の柄を改め

て両手で握る。

 シロクマがタケミの祖父から習った剣術は、タケミのソレとは違う。ミツヨシが現役時代に危険生物と立ち合い、特に大型の

個体や、頑強な機械を破壊するために磨いた剣術…、斬る事に拘らず、壊す事を主眼に置いた殺法である。

 至近距離から足が出た。分厚い靴底で人形の胴体部球体関節を蹴りつけ、その勢いで左腕から外れた大刀を斜め後ろに引き、

フルスイングに備えた格好を作る。

 対する人形は攻撃の角度からアルの位置と体勢を予測、ペイントが取れない顔から右手をすぐに離し、五指を揃えて伸ばして

シロクマの頭部に向ける。

 その指の球体関節全てが、キィィンとノイズを発した。

 それは指の射出による物理狙撃の予備動作。アンチマテリアルライフルの狙撃にも匹敵する危険な攻撃。

 力の溜めを完成させたアルが速いか、人形の射出が速いか、際どいそのタイミングで…。

「叩っ壊せ!」

 横合いから飛び込んでいた猪メットが、長ドスを人形の手首…球体関節と円筒状の前腕の隙間に、切っ先からゾグッと捻じ込

んだ。
超高速振動を伴うレリックの長ドスは、先端部に最も強力な振動波が宿る。その刺突は危険生物の甲殻すら瞬時に貫通す

る威力で、機械人形の体も正確に継ぎ目を狙えば貫ける。手首フレーム内の回路を断線させられ、人形の指は射出が封じられた。

 が、振り払うように肩関節から横薙ぎに振るわれた機械人形の右腕が、関節部を損傷しながらも男の猪メットを痛打する。

「!!!」

 横向きの力をかけられた長ドスがバキィンと音高く折れ、猪を象ったヘルメットのバイザーが砕けて宙に舞い、牙状のフィル

ターがついたマズルと、側頭部装甲が分解して弾け飛ぶ。なぎ倒された男は錐揉みするように地面へ叩きつけられ、勢いよく三

転して遠ざかり、停まった。

 それと同時に、与えられた隙を逃さず、シロクマは左後方から大刀をフルスイングした。

 狙いは胸部中央。機械人形の動力源と処理装置は胸にある。奇しくも人間の心臓に近い位置に。そこを、猪メットにアドバイ

スされた通り、腹部球体関節との接合部に食い込む格好で、黒い刃が斜めに切り上げた。

 機械人形は右脇腹から左肩へ抜ける軌道で斜めに両断され、宙を舞う。動力と信号の途絶で、頭部のセンサーが赤い光を明滅

させる。

 ガゴンッと金属塊そのものの落下音を響かせて地面に落ちた機械人形を、

「ムラマツおっちゃん!」

 アルは無視した。達成を喜ぶより、克服を噛み締めるより、優先すべき事に目を向けた。

 仰向けに倒れた男の四方には、割れて散ったメットの破片。盛り上がった腹が上下しているので呼吸はしているようだが、安

心は全くできない。

(マスク壊れてるっス!霧を吸ったらまずいっス!)

 シロクマは腰のポーチから緊急用マスクを引っ張り出し、ザーッとスライディングするように駆け込んだが…。

「あ…、慌てんな…。俺の場合は、すぐにどうこうって事ぁねぇ…!」

 みじろぎした男は片手を上げて制し、その顔を見たアルは目を丸くする。

 猪型ヘルメットの、マズル部分と左側から頭頂部が破損したそこから、ピンク色の豚っ鼻と垂れた耳、黒い毛に覆われた獣の

顔が露出している。

 男が壊れたメットを外したその下から現れたのは、額から眉間に傷跡の白い筋が垂直に走る、ビロードのような毛色の黒豚の

顔だった。

「俺ぁステージ7じゃ。霧を吸っても問題ねぇ」

 軽い脳震盪を起こしていた黒豚は、ゆっくり身を起こして軽く頭を振ってから機械人形を見遣り、完全に沈黙している事を確

認した。

「…ワッツ?じゃあ、何でメット被ってたんス…?」

 困惑を通り越して混乱しかけているアルが問うと、黒豚はフンと鼻を鳴らす。

「決まっとる。猪のが格好良いからじゃ」

「そうっスか…」

「ああそれとな…」

 ギンッと、険しくなった黒豚の半眼がシロクマを睨む。

「誰が「おっちゃん」じゃ、ああん?俺ぁまだ二十九、ギリ「お兄さん」じゃ。訂正しろ」

「オ、オゥ!ソーリーお兄さん…!」

 ズイッと顔を突き出して睨み上げる黒豚の剣幕に押され、タジタジになったアルは、黒豚が「まあいい」と顔を引っ込めると、

「よくやった。大金星じゃ坊主」

 その視線を追って首を巡らせ、壊れた人形を見つめる。

 幼いあの日、ジオフロントで見た異形。細部は記憶と異なっていて、よく似ているのでたぶん同系統だが、完全な同型機では

ないと今になって気付く。

 ジオフロントの生産プラントにより、補修と回収と新規製造で、日々更新されてゆく機械人形。十数年経て機能の更新などを

繰り返し、最新バージョンにアップデートされているそれを、アルは退けた。あの日見た恐ろしいモノより、なお恐ろしくなっ

ていたはずの異形を…。

「ふ~…」

 長く息を吐く。手は汗ばんで、背中は脂汗でじっとり湿り、体中がスースー冷えて来る。

(よし。もう怖くないっス!次はタイマンでバスター!)

 この日、アルはトラウマを一つ乗り越えた。

 想定していたよりだいぶ前倒しになったが、タケミと共にジオフロントを目指すなら避けて通れない問題だと自覚していた。

早く済んだのは僥倖だったかもしれないとシロクマが頷き、顔を上げると…。

「…あれ?ムラマツおっちゃ…じゃないお兄さん?」

 黒豚がいつの間にか居なくなっており、視線を巡らせると、そこには…。

「いいか?俺ぁ戦えなかった事を責めとる訳じゃねぇ。動けんかった事をダメだと言っとるんじゃ。無理だと思ったらケツ捲っ

て逃げろ。何が一番悪ぃって、失敗も敗北も誰にも伝わらねぇのが一番悪ぃ。勝てねぇ相手なら死ぬ気で逃げて情報を持ち帰れ。

いいか?誰にも知られねぇ全滅ってのは最悪だ。そのためにも…」

 正座させた班員達に仁王立ちで説教している黒豚の姿。どうやら負傷は全然問題無いようである。

(脚も負傷してるし頭ぶたれたっスよね!?鉄人っスか!?)

「さて…」

 ムラマツは軽く説教を聞かせた後で、太腿のスーツの裂けた部位を、医療スプレーを振った擦過傷ごとテープでグルグル巻き

にして手早く処置しながら、傾いた鉄塔を振り返った。

「中に誰か避難させてるんスか?他の班のひととかっス?」

 誰か隠れているなら、もう安全になったと言って呼んでこようかと、アルが話しかけると…、

「コイツは、このアンテナを気にしてやがったんじゃ」

 黒豚は機械人形に顎をしゃくり、ガシガシと頭を掻いて胡乱げな半眼になる。

 その挙動自体は何もおかしくない。地下空洞や、崩落点の縦穴内の遺構、設備内で何度も見た基本的な反応だった。

 「だからおかしい」。地上で、ここで、黒豚が今まで見たのと同じ挙動を取っていた事が…。

「そこの穴…、そっから人形が出たんじゃ」

 黒豚が顎をしゃくった先には、元は排水設備…暗渠を管理する機構の一部だったらしき物。四角い窪みと格子の蓋が蔦でデコ

レーションされ、風景に馴染んでいるコンクリートの地面は、一部の格子が下側からひっくり返されて開いていた。

「コイツは、ジオフロント、南エリアの遺構、崩落点内部、あと各地の「穴」でたまに見られる汎用駆除型の人形じゃ。本来の

持ち場はジオフロント内の巡回警備やら、設備に入り込んだ危険生物の駆除やら、そういうモンじゃがな」

「兵隊アリみたいな物って聞いた事あるっス。戦うし働くし見回りもするって…」

「その通りじゃ。コイツは地下とまだ繋がっとる穴を辿って這い上がって来たんじゃろうが、「それが何でなのか?」と考える

と…」

 プログラムや位置確認機能の不具合により、機械人形が地上まで繋がった穴を「ジオフロントの要管理設備」と誤認し、表層

に上がってきてしまう事故はちょくちょくある。だが、黒豚が、そして俵一家が知る限り、この近辺ではそういった誤認事故は

起きていない。この辺りに存在する縦穴や地下埋蔵設備類を、自動人形達は正しく「管轄外」と認識しているようなので。

 黒豚は鉄塔を見遣りながら数秒考え込んでいたが、やがて班員達を振り返る。

「お前らは崖下に降りてブッパ隊に合流、「とっつぁん」に報告じゃ。固まって守りを固めるか、他の班と連絡を取り合うか、

大親分を呼ぶか、とっつぁんが判断するじゃろ。俺は気になる所を調べてから合流する。…下手をすると…」

 指示を出した黒豚は、鋭い目で鉄塔と、その基部である崩れかけた建造物を睨んだ。

(今の一体で終わりじゃねぇ…)

「じゃあオレはお兄さんに同行するっス。「不測の事態には複数で行動」って所長にも言われたっス」

 シロクマは黒豚の横に進み出ると、ジロリと視線を向けられてキュッと首を縮めた。が、黒豚はアルが思ったように怒り出し

たり、戻れと言ったりはせず…。

「坊主」

「うス?」

「腹が決まってんなら、もう少し付き合え」

 ブスッと不愛想な顔でムラマツは言う。顔つきと表情は好意的ではないが…。

「頭も揺れて足も痛む。根性で何とかできねぇ事もある。なら、戦えるヤツがひとり居た方が安心じゃ」

 どうやら悪感情で険しい顔をしているのではなく、素で仏頂面なだけらしい。

 強情で頑固ではあるが、意地の張り所は弁える。張らねばならない時はともかく、意地を張る事が悪手にしかならないなら、

体面を取り繕わずに強情さを引っ込める。この黒田群松(くろだむらまつ)という男に限らず、俵一家はそういった面子ばかり

である。

「イエス・サー!」

 アルが敬礼して快諾すると、黒豚は拳銃のマガジンを入れ替えつつ、やや足を引き摺りながら、崩れかけの鉄塔…その根本側

の壁が大きく崩れてできた暗い穴に歩いてゆく。

 シロクマは大刀を鞘には納めず、肩に担いでその斜め後方すぐの位置に従う。リードはムラマツに任せるが、何が出てもすぐ

さま前へ飛び出せるポジショニングだった。

「予想が外れたらいいんじゃが、中に人形が出た原因…何かろくでもねぇモンがあるかもしれねぇ…」

 

 

 

 ズンと地響きを立て、展開された大弓が下端を地面に据えると、大猪の右手は腰の矢筒から手槍のような大矢を抜き、即座に

番えて狙いを定めた。

 ハヤタを認識した途端に、前置きも前振りもなく、突然疾走を開始した自動人形達が、土埃を上げながら丘の上を目指す。

 時速120キロの速度で二方向から迫る二体の機械人形。ハヤタはその近い方に鏃を向けて…。

「一づ」

 大弓が一瞬だけ赤い光を帯び、手槍のような矢が消失したように見える速度で手元から去る。

 矢を離した大猪の手元を中心に、空気が色を変えた。それは、爆発などが生じた刹那、煙や爆風が広がる直前の衝撃波が、球

体を形作って広がるのと同じ現象。

 設置固定式の長距離砲を放ったのと同等の衝撃が余波となるほどの非常識な弓勢。伏せたタケミの背中を暴風が叩き、射放た

れた大矢は音速を超えて、高速疾走する機械人形の胸部中央に命中。

 そのままガゴォンと音を立てて、動力中枢を丸ごと破壊される形で胸部に大穴が開いた機械人形の後方で、殆ど失速しなかっ

た矢が地面に接触し、爆風が巻き起こる。

 機械人形をたった一射で破壊せしめた矢の行方と、爆弾が落とされたような光景を殆ど確認する事もなく、大猪は弓を再び頭

上に掲げて二つ折りにした。

 その時には、押し退けられる大気が風圧の膜となって見えるほど加速してきたもう一体の機械人形が、距離50メートルまで

迫っている。

 跳躍は機械的でありながらしなやか。霧を孕んだ風を纏い、両手を前に突き出し、指先を射出する構えで大猪に迫る機械人形。

 情報共有により、ジオフロント侵入者の中でも「最重要脅威の一体」と認定されているハヤタへ、接触時から消耗を度外視し

た攻撃を仕掛ける有効性を、システムが弾き出した結果がこれだが…。

「三秒ルール、な」

 大猪が呟くなり、その巨体がブレて見えた。

 残像を伴って踏み込むその速度は、機械人形の移動よりも速い。

 ドンと踏み締める右の足。霧と空気を押し退ける左手。腰を沈めてアッパーカットを繰り出すように、左平手が機械人形の両

手を上へ押しやったと見えるや否や、射出された指は霧の薄い上空へ飛び去る。

 そして猪の巨体は時計回りに反転しつつ機械人形の右脇を抜けて後方へ移動。右手に握った畳んだ大弓…質量兵器と化したそ

れが赤光を帯びて硬質化。これを振り向きつつ半月を描いて頭上からスイングし…、

「二づ」

 片腕一本で機械人形の背中に叩きつける。

 ガンとドゴンとゴパン、接触と地面への激突と土砂が吹き上がる音をほぼ同時に上げて、「真正面に捉えた相手に背中から撃

墜された」機械人形が、垂直の柱状に土砂を噴き上げる中心点へ深くめり込む。

 土煙が少しおさまってようやく見えたのは、胸部を背中側からの一撃でペシャンコに圧壊され、衝撃で両腕と頭がもげ飛んだ

機械人形の残骸。転がって行って、苔と土埃に覆われた自動販売機の残骸に当たって止まった機械人形の頭部で、センサー群が

明滅していたが、それもすぐに消えてゆく。

 これが土肥の大親分。歴代通算で十名しか存在しない一等潜霧士の一角たる、俵早太の実力。機械人形すら枯草を引き抜くよ

うに殲滅する、現役最強のひとり。

「もう大丈夫だど」

 地面に伏せたまま土埃を被っているタケミに声をかけたハヤタは、大弓を再び背負い直す。

「え?あ、お、終わって…!?」

 困惑する少年は、半ば地面に埋もれている機械人形の残骸を呆然と見つめた。

(もしかして、今のが大親分の異能…!?)

 一等潜霧士の異能は、そのダイビングコードと同様に有名である。タケミもハヤタの異能名を知っているが、実際にどういう

物かはユージンから説明されてもよく理解できていなかった。

 異能はダイビングコードと同じ名称、「金剛」。ハヤタの場合は人間の時から瞳の色に変化が生じていないので外見からは判

断できないが、分類は便宜上「干渉型異能」に入れられている。

 その内容は、最大三秒間の身体強化。

 具体的には身体性能も頑強さも20倍に跳ね上がるという物で、常人の五倍以上の筋力を持つハヤタは、この異能により比喩

ではなく百人力となる。そしてその肉体もまた、20倍の加圧、20倍の衝撃、20倍の過熱、20倍の毒素や有害線類に耐え

られるようになる、「無敵の三秒ルール」とも呼べる異能。

 「便宜上は」干渉型というのは、自分の肉体という極めて限定的な範囲に干渉するタイプに酷似しているからなのだが、質量

も重量も組成成分もそのまま筋肉の出力が上昇し、皮膚や脂肪、被毛の手触りもそのまま耐久性が上がり、その増幅に骨格と関

節が耐えられるほど強化される…という仕様は原理不明。既存の知識の範疇に収まらない不可解な現象という特色においては、

ユージンのような法則型異能にも近しい物がある。

 判っている事は、この異能の作用時間中、ハヤタの肉体には既存の法則から逸脱した、独自のルールが布かれているらしいと

いう事だけ。このルール下では、既存の物体の強度、出力、耐久性は適応されず、ハヤタの肉体だけが理屈抜きに強靭化する。

 デメリットは、神経系や思考速度などについては変化がなく、強化した肉体を御するのはあくまでも本人の地力のため、神経

的な負担が大きい事がまず一点目。そして最大持続時間が三秒間で、連続使用はできず、再使用まで最短で十数秒間。使用回数

が重なるほどインターバルが伸びてゆく事が二点目。

 とはいえ、大概の場合これらのデメリットは問題にならない。何せ、ハヤタにこの異能を解放させたうえで、この一方的とし

か言いようがないルールを布かれた三秒間を、無事にやり過ごし、疲弊させられる存在など、殆ど居ないのだから。

(人形がこごらに出んのは…、初めででねぇが?)

 破壊した機械人形の残骸を見下ろしながら、ハヤタは思案する。

 自分の縄張りである土肥ゲート中心に、近隣エリアの何処に「地下の機械」が迷い出た事があったかは、記録に残っている限

りは全て頭に入れてある。今日ハヤタがタケミを伴って狩場に選んだのは、五等潜霧士も立ち入れる未制限区域…比較的安全で、

地下からの来訪者が確認された事のない地区だった。かつてジオフロントと繋がっていた、排気口排水溝などの地下構造は一部

残っているものの、それを辿って彼らが地上に上がって来た事はなく…。

(これが機械人形…。ジオフロントの常駐戦力…)

 腰が引けた格好で、機械人形の残骸を恐々眺めていたタケミは…。

「………いげねぇ!」

 突然何かに気付いたようなハヤタの声で跳び上がった。

「なななな何ですか大親分!?まだ居ます!?まだ居ますか!?機械にんぎょりゅっ…うぇふえふっ!」

 唾が気管に入って咳き込むタケミ。存外面倒見よく、その背中をさすってやるハヤタ。しかしそんな真似をしながらも口調に

は緊張が現れている。

「安全だど思ってだが、地下ど繋がってる穴がこごらにある!」

「あるんでひゅっ、けほ!あるんですか!?」

「割とある!」

「割とですか!」

「っつぅが結構あったがもしゃね!」

「結構なんですか!」

 今日の巻き狩りでは参加者が広範囲に散っている。特に勢子班は獲物を追い込むために行動範囲が広い。しかも少人数編成な

ので…。

『………』

 青褪めた顔を見合わせるハヤタとタケミ。

 もしも他に機械人形が出てきているとしたら?それに、機動性を重視した軽装かつ少人数の勢子班が出くわしたとしたら?

 特に今日は、俵一家の精鋭部隊…機械人形と単身で渡り合える主力達は、別件で方々に散っている。三等潜霧士ならば準備を

充分に整えた上で集団戦を挑むのが前提で、四等ならば十名以上でも交戦不推奨…、そんな機械人形が軽装の隊と遭遇したらど

うなるか…。

「どどどどどどうしましょう!?」

「まず連絡だな!こごで通信でぎっか?繋がんねがったらどっか高くて霧が薄いどごさ登って…」

 左腕を上げ、二の腕の内側にモニター兼コンソールが埋め込まれている手甲に触れ、案の定、通信不良になっている電波表示

を確認した大猪は、

「ん?」

 耳をピクッと立てて首を巡らせる。

 同時にタケミも、狼型ヘルメットが収音したモーター音に気付いた。

 少年のバイザーに表示されたのは、以前確認して記録されていた、潜霧用作業機のモーター駆動音と一致するという情報。

 霧が横に流れゆく向こうから、タカアシガニのようなシルエット…六脚の大型作業機がその巨体を現す。その上部で操縦席に

ついている人物を目にし、タケミはすぐに、飴をくれた狸だと確信した。

 隆起がある悪路を、時速40キロ以上でスムーズに前進してきた作業機が、ふたりの前で止まる。その上から飛び降りた丸い

狸は、ドシッと着地するなり…。

「済んまへん…、大親分…!」

 声と背中を震わせ、額を地面にこすりつけて土下座した。

 古い知り合いと久々に、霧の中、しかもこんな状況で再会する羽目になった大猪は、一度困惑顔になったが、すぐさま表情を

厳しくする。

「何があった?平治(へいじ)」

 自分を、一家を、避け続けてきたかつての「家族」と、この非常事態に顔を合わせる…。再会を喜ぶどころか、どうにも嫌な

予感しかしなかった。