第十八話 「緊急通達」

― 10年前 ― 

「輸血液足りないぞ!」

「もう輸送が途絶えてます!市街地まで霧が流出して、人間が入れません!」

 乱雑に空間を仕切るカーテンが揺れる。

 大声でのやり取りが飛び交う、青果市場の広いスペースを利用した仮設休憩所は、負傷者で溢れかえり野戦病院の様相を呈し

ていた。

 大地震で割れてしまった長城間際、風車も止まったその現場から最寄りのベースは、ひっきりなしに潜霧士が出入りしている。

 コンクリートの硬い床に段ボールと毛布を敷き、一時の休憩を貪る若い男。

 両腕を包帯で密封するように巻かれ、呆然と座り込む中年。

 麻酔も無しに腹部の傷を縫合され、苦痛の唸りを上げる雌熊。

 負傷していない者はごく僅か。交代で壁の割れ目を警護し、壁外への霧の流出点を封鎖し、危険生物の進出を阻止する土肥の

潜霧団は、総出で事に当たり、満身創痍で疲労困憊。ほぼ休みなしの防衛戦三日目だが、伊豆はどこも似たような有様で、救援

など望めない。

 南エリアは完全に音信不通。道もライフラインも途絶し、やり取りできていない。衛星写真では南西部の長城が確認できなく

なっているという、聞きたくもない情報だけは入って来た。

 土肥の潜霧士達の仕事はそれだけではない。市街地と大穴の内側を繋ぐ、「不認可潜霧」に用いられていた運搬通路が複数、

地震の影響で口を開けた。それがパイプとなってあちこちに霧と危険生物を流出させ、これに対処するためにも人員を割かれて

いる。

 切羽詰まった空気が、血と霧と熱と土と臓物の臭いで染め上げられ、濃密な死の匂いを帯びているその空間を、張りのあるガ

ラガラした声が走った。

「高田組はどうしてんだァ!?」

「主力の七名が重傷、ほぼ壊滅状態です!流石に下がらせましたが…」

「よォし!もう充分だァ、そのままローテーションから外せェ!病院に回した組はどうなったァ!?」

「指示された通りじゃ。重傷者を護送した足で、病院周辺の危険生物迎撃に入って貰っとる」

「それでいいぜェ。トリアージエリアから先は何があっても死守だァ!そんじゃこっちもォ、張り切って前線交代十五回目ェ!

…いや十六回目かァ?グフフ、俺様もいよいよ頭ん中グルグルしてきたぜェ!」

「十六回目で合っています。しかし若頭…」

「兄貴もそろそろ少し休むんじゃ!二日二晩指揮とりっぱなしじゃろうが!」

「グフフフフフ馬鹿言ってんじゃねェ!親父が交代なしに最前線で踏ん張ってんだァ、俺様が先に音ェ上げてられるかよォ!…

ところで、「流人」はどうだァ?」

「依然、所在が確認できません…。同行していた相葉組の全滅地点近辺に、痕跡はなかったとの報告が…」

「…そうかァ。長城の塞ぎ方は、進捗どうなってんだァ!?」

「相変わらず上からコンクリと瓦礫をドバドバ流し込んどる。七割がた埋まったようじゃが、防衛に回った隊もまだ気が抜けん

と、トッツァンが檄を飛ばしとる」

「らちがあかねェなァ…。交代要員掻き集めろォ!今回は俺様も出るぜェ!」

「じゃから!兄貴も休憩を取れと言っとろうが!」

「若頭!せめて小一時間程度の休憩をお願いします!」

「歩きながら休むから要らねェ!ってかテメェらも休んでねェだろうが、どの口で言ってんだァ?グフフ!それよりヘイジはど

うだ?出せるか?親父も観測手が不在じゃしっくり来ねェだろう。居るだけで良いから傍に置いてやりてェ」

「手当ては一応済んどるそうじゃが…」

「具合を聞いてみましょう。…ヘイジ!加減はどうか!」

 青毛の馬がカーテンを開ける。そこには担架を兼ねる簡素な寝台と、点滴台が置かれており、数時間前に負傷により退避して

きた狸が居る。…はずだった。

 抜かれた点滴のチューブが床付近まで下がって液体を点々と落とし、それなりの量の水たまりを作っている。血が滲んだ包帯

が担架の脇にとぐろを巻いており、スペースはもぬけの殻で…。

「ヘイジ…?」

 カーテンをおさえたまま、青馬は呆然と呟いていた。

 

 

 

 土下座する狸の頭を見下ろしたまま、大猪は「ヘイジ、話せ」と口を開いた。

「なるべぐ急ぎで、みじけぐ、あど判り易ぐ」

「は!」

 平伏したままの狸は、先日自分が請け負い、昨夜までに済ませた仕事についてハヤタに打ち明けた。

 「荷物」の配置を依頼された事。中身は判らない事。その置いた場所の一つに機械人形が姿を見せた事…。

「銭になる思て請け負ってもうた…。けど思えば、ありゃあ真っ当な潜霧団やないし、荷物も潜霧用の物資やありまへん…!」

 平伏したまま歯を噛み締める狸から端的な説明を聞き、ハヤタは軽く眉を顰める。

「たまたま、ってごどでねぐ…が?」

 中身不明の荷物を狸が置いて回った経緯については理解した。だが、それが原因で機械人形が表層まで上がって来たという彼

の言い分には、いささか突飛ではないかという気もする。これにはかつての身内を庇いたい…彼のせいではないと思いたいとい

う気持ちもあるにはあるが、それとは別に、原理が解らないのである。

 自動人形をコントロールする術は見つかっていない。狸が言う通りに「荷物」が機械人形を呼び寄せているならば、荷物置き

を依頼した連中は、その行動を制御するような手段を発見したという事になるが…。

「恐れながら…。コイツをご覧になって頂けますやろか?」

 跪いたまま顔を上げた狸は、話に耳を傾けはしたが納得はしていないハヤタに、双眼鏡を差し出した。

「こいづは?」

「は。ソイツで西側の送電所跡をご覧頂いて…」

 大猪は言われるままに、薄霧に霞む送電施設…もはや緑の中に埋没しているその亡骸に目を向け、双眼鏡を構え…、

「…!」

 気付いた。距離にして約1,200メートルある、蔦と草に覆われた緑の塊になっている送電所跡のすぐ傍。元は簡素な作業

小屋だった小さなコンクリートの一室付近に、白い機械の人形が佇んでいる事に。

「あそこにも置くように指示されとったんですわ…」

「つまり、本当にそいづらは、人形をおびぎ寄せる荷物だって事が…?」

 狸が言う通り、ハヤタもたまたまでは済ませられない物を感じた。どうなっているのかは分からないが、荷物と機械人形は無

関係ではないと考え直す。

「…ヘイジ。荷物の場所は?」

「地図データを共有しますわ。失礼して…」

 ヘイジと呼ばれた狸は、ハヤタのアームコンソールユニットに自分の物を接触させ、データを転送。大猪が左腕の上に浮き上

がらせたホログラムマップには、狸が置いて回った荷物の位置が、点滅する球体と付随する座標データで表示されるようになる。

「オラは近場がら確認して潰してぐ。ヘイジ、通信でぎる場所がら皆さ地図流して警告しろ。あど…」

 ハヤタは狸に、広域通信可能な場所に向かい、俵一家と傘下に情報を送るよう要請し、自分の肉声によるある指令を録音させ

た。俵一家全員への、現行の作業中断と、機械人形探索及び殲滅の令を…。

「タケミ」

「は、はい!」

 大猪は少年に目を向け、狸が乗って来た作業機を指さした。

「このヘイジって男に同行しろ。オラど一緒だど、おっかねぇ目に遭っちまうべがらな」

 

 

 

 その数分後。アルは黒豚のムラマツに従い、アンテナ設備の廃墟に近付いていた。

 巨大な三角コーンを鉄の骨組みで造ったような通信アンテナ設備。その基部である正方形の鉄筋コンクリート製建造物は、制

御装置や作業室、オフィスルームなどから成る。

 かつてはラジオの発信も行なわれ、放送室、収録設備も備えたそこは、あちこち大きな亀裂と崩落してできた穴に蝕まれ、罅

割れた床にはくるぶし程度まで水が溜まっていた。

 壊れた箇所や、元は窓だった四角い穴から光が入るだけの室内は薄暗く、日があたらない箇所にはミッチリとカビやコケが密

生している。

 よほど外敵が入って来ない場所なのだろう。無害な霧ナマコが体の下側を水に浸して、無警戒にくつろいでいる。

 大隆起の際にできた壁面の大きな亀裂から中に入った黒豚は、トーチで照らしながら視線を走らせた。錆びて頽れるように潰

れたスチールデスクに、空っぽになった資料棚、地震で壁から落ちたのだろう大型テレビモニターなどが、カビと埃にまみれた

オブジェと化しながら往年の景色を偲ばせる。

「仕事場だったんスかね…?」

 デスクの上に崩落した天井の破片などとゴチャゴチャになりながら乗っている、古い型のパソコンモニターを見遣り、アルは

担いだ大刀で肩をポンポンと叩く。

「事務室じゃな。確か放送設備なんかも揃っとったはず…。何か電波めいたモンでも出しとるんじゃろうか」

 機械人形がここを気にした理由について、黒豚は考える。基本的に彼らにとって地上の構造物は監視対象外なので、建物その

ものというよりは、何か別の要因に反応していたのではないかと。そしてその予想が正しければ、先の機械人形一体だけでは終

わらない可能性がある。

「…最近ひとが入ったみてぇじゃ」

 ムラマツがトーチで照らした足元…水が溜まった床には、沈殿した土や埃の上に霧ナマコ達が這った跡が残っている。その中

に、比較的はっきりしている靴の跡が残されていた。

「足跡…、そっちの部屋に続いてるっス」

 障害物を避けて奥の部屋まで行き、往復した足跡は、どうやら自分達と同じ亀裂から侵入したらしいとアルは読み解く。警戒

し、シロクマは先に立って得物を構え、黒豚と目配せし合い、扉が外れて落ちたせいでポッカリと長方形の穴になっている隣室

入り口に近付いた。

 静かに中を覗くアルと、トーチで照らした黒豚は、太いパイプやロッカーのような四角い金属の箱、無数のケーブルが壁面や

天井を這うそこが、空調や配電のコントロールを集めた制御室だった事を確信した。

 蔦のように切れたコードがぶら下がるそこは完全に死んでいる事が素人目にも判る、鉄塔が電波などを出していたとは到底思

えない荒廃ぶりだった。が、おかしな物には、ふたりともすぐに気付いている。

 壁の配電盤があったらしき四角い窪みに、大きなトランクが一つ、立てかけられるような形でスッポリ収まっていた。

「何スかねアレ…」

「開けてみなけりゃ判らんじゃろ」

 言うが早いか黒豚はバシャバシャと水を蹴立ててそれに近付き、手をかけながらアルを振り返る。

「少し下がれ。爆弾の類じゃあねぇと思うが、念の為じゃ」

「ラジャー!」

 一足一刀、何か起こればすぐにも大刀でトランクを両断できる位置についたアルの前で、黒豚は慎重にトランクを弄り、アー

ムコンソールで情報を確認し…。

「中から信号が出とる。内容は不明じゃが、何か発信し…」

 呟きが途切れ、黒豚がギリッと歯を噛み締めた。

 嫌な予感自体は的中した。が、こんな物が用意されているとは考えてもみなかった。

「くそったれが!」

 黒豚がトランクを開ける。立てられていたトランクの蓋を、ドアを手前に引くようにして開いたその中には…。

『………』

 トランクに詰め込まれていた物を目にして、アルと黒豚は絶句した。

 それは、トルソーという物に似ている。服飾品を展示したり、デッサンで利用したりする、人間の胴体部分だけを模した造形

物に。
だが、金属のフレームと装甲版でできており、隙間から何十本ものコードを挿入され、簡素な箱型の装置と連結されたそ

れは…。

「機械人形…!」

「その、胴体部分じゃな…」

 頭部も手足も無い、腹部から胸部までの機械人形は、完全には機能を停止していないようで、繋がれた箱型の機械から何らか

の制御を受けているように見えた。

 黒豚は数秒黙考していたが、やがてコード類を引っ掴むと、力任せにブチブチッと引き抜く。胴体部だけの機械人形がガクガ

ク痙攣し、アルが大刀を振り上げたが…。

「…何もしてこないっス?」

 胴体だけになっていた機械人形は、ムラマツがコード類を乱暴に取り除くと、完全に停止した。

「たぶん、無理矢理延命しとったようなモンじゃ。同型機に救難信号を出しながら、な…」

「ワッツ!?つまり、コイツがさっきの機械人形を呼んだって事っスか!?テリブル!」

 仰天したアルは、しかしすぐさま「ん…?」と眉根を寄せた。

「あれ?でも…、何かおかしくないっス…?」

 シロクマは少し記憶を手繰り、「そうっス!」と声を大きくした。

「霧で電波とか通らないはずっス!ジオフロントの天井まででも地表から確か…ええと…!4千500メートル!で、地下空洞

は最大で高さ2キロだから…底まで6千500メートルぐらいだったっスよね!?地下からコイツの信号で仲間が呼ばれるとか、

有り得ないっスよね!?」

 昇級試験用にユージンに叩き込まれた知識を引っ張り出したアルに、

「いいか?大穴ん中じゃ「有り得ないと決め付ける」事だけはすんな坊主」

 黒豚は半眼になって吐き捨てた。

「霧は、視野を狭めた奴から殺すんじゃ。消去法で正解を消しちまったら生き残れん」

 からくりが判らないだけで、おそらく理屈は通っていると、黒豚は感じている。アルが言う通り、霧の中では数百メートルで

電波が途絶する。通信の為に霧が薄い高所に登らなければならない事も多々ある。霧が濃ければもっと有効距離は短くなり、地

上よりも濃度が高まる地下ではさらに狭くなる。その点から考えれば確かに「有り得ない」が…、

(モンドの兄貴なら、繋がりを疑ってかかるはずじゃ…。こうまでしてある機械人形の死骸と、出て来た機械人形。無関係だっ

て断言すんのは…ちっとな)

 自分達が知らない要素や見落としている何かのせいで「有り得ないと決めつけている」だけではないか?と黒豚は思案した。

「坊主、戻って合流じゃ」

「ちょっと待ってっス!おっちゃ…お兄さん!この機械人形って…。その…、機械人形達はこんな事しないっスよね!?勝手に

こんなんなってる訳ないっスよね!?」

 アルの嫌悪感が滲んだ声を聞き、黒豚は面白くないという内心を顔全面に出しながら吐き捨てた。

「ひと以外にこんなろくでもねぇ真似をする奴はおらんじゃろ。「誰」の仕業じゃ?こいつぁ…」

 

 

 

 同時刻。変電施設跡に近付いた大猪は、胴体に大穴を空けて沈黙させた機械人形が転がるその脇で、コンクリートの壁の向こ

うを確認した。

 ヘイジから受け取った地図上の座標と一致するそこには、大型のトランクが置かれており、中を見たハヤタはムラマツとそっ

くりな反応を見せた。

 不快。一言で表すなら、ハヤタの表情に滲むのはその感情。

 機械人形は物である。物体である。高度な検知機器や運動システムを持つが、人工知能などは搭載されておらず、自動運転す

る車と何ら変わらない。

 だが、人間を模したその機械をダルマにして利用するその所業に、ひとの業と悪意を感じずにはいられない。

 大破した状態から外部機器で活かされていた機械人形は、ハヤタがコード類をむしり取ると、痙攣してから動きを止めた。そ

して大猪は、トランクの内壁に組みつけられていたボックスを注視する。
太い指が力任せにガワを割って露出させたそれは、ス

ピーカーの内部機器にも似た構造。どうやら全体的に見れば、機械人形を核にしてトランクその物を発信装置に見立てた物のよ

うである。

(こいづは、もしかすっと…)

 大猪は耳を立て、もう十年以上前にたまたま聞いたやり取りを思い出す。

 

「仲間意識とはちょっと違うけどナ。故障したら助けも求めるし、動けないのを助けにも行くんだよ。機械人形は」

「はァ~。AIすら積んでねェのに、今どきの人様よりよほど人っぽい行動するんじゃねェかァ?」

「限度はあるけどナ。霧の通信阻害は機械人形達の通信にも平等に影響してるから。ただ、信号をキャッチすれば、彼らは放置

しないんだよ」

「ふゥん。届きさえすればどこにでも駆け付けるって事かァ」

「理論上はネ。実際にどの程度までか、有効距離は未知数だけどナ」

 

 機械人形は、移動不能になれば仲間に援助を求める。そして、援助要請を受信すれば行動不能になった仲間を運搬する。そう

してレストアできる設備に運び込まれ、修繕されて再び動き出す…。

 ジオフロントの機械達、その「生態」とも呼べる仕組みに頭を巡らせながら、ハヤタは直感した。

 原理は判らない。機械人形がうろついている深さを考え、霧の中の有効通信距離を吟味すれば、救難信号の類が通るとは思え

ない。
だが、事実を元にこの状況を分析する。

 半壊した瀕死の機械人形の、救援要請が地下へ発せられていた。それが届き、実際に機械人形がおびき寄せられた。…そう考

えるのが自然である。

 このトランクに特殊な仕掛けがあるのかもしれないが、細かな事は技師などに見せなければ判らない。とにかく今は…。

(近ぇ順がら虱潰しに当だってぐしかねぇべ)

 大弓を担ぎ直し、ハヤタは霧が溜まり始めた平原へ目を向ける。タケミは狸に預けたが、その方が安全だった。既に一家を抜

けた男だが、信用できる相手である。何より…。

(オラど一緒に居っと、機械人形に狙わいっからな)

 幾度も地下空洞へ遠征し、その都度少なくない機械人形を破壊してきたハヤタは、彼らの共有データに最優先排除対象の脅威

として登録されている。同行させているとタケミにも危険が及ぶし、怖い思いをさせてしまうと考えたのが、あの狸に少年を預

けた理由であった。

 

「あの…、あなたは俵一家のひとだったんですね?ボク、知らなくて失礼しちゃって…」

 後ろからおどおどと話しかける少年に、作業機を疾走させながら「今は無関係やで」と狸が応じる。今の状況で謝る所から入

る話題とは、案外肝が太いのかもしれないと少し感心しながら。

「そういや名乗ってへんかったわ。ワイは相楽平治(さがらへいじ)、品漁りを生業にしとるフリーのダイバーや」

「あ。ボク不破武美です…。熱海にある小さい潜霧事務所の所員で…」

 名乗りに応じたタケミは、

(…ん?「サガラ」…?)

 珍しい、しかし聞いた事のある苗字に疑問を覚えたが、そこに言及する前に狸が警告する。

「こっから先、ちっと揺れるで。なるべく気を付けて揺れへんように運転してくけど、ダベってて舌でも噛んでもうたら普通に

下らへん。ガチーンッ!っていかんように気ぃつけてぇな」

「は、はい!」

 狸が駆る六脚作業機は、長い脚を曲げてやや低い姿勢。足先のローラーとクローを適切に切り替える事で、かなり旧式にも関

わらず時速50キロ以上で瓦礫の山や地割れだらけの路面跡を難なく走破してゆく。それは、接地面を確認しつつ、六本の脚の

先をそれぞれに適した形態に切り替える、この狸の操縦技術あっての速度と安定性だが…。

(凄い…!ヤベさんの所の皆さんよりも、操縦上手いかも…!)

 ヤベの所の潜霧士達が操縦する作業機は、二年前に出たばかりのモデルが大半な上に、全ての機体が最新鋭のアップデートを

重ねている。オートマチックウォーカー…自動踏破適応機能がっ搭載されており、操縦者は単に行きたい方向へ運転するだけで、

障害物や段差や地面の状況などを機体側が自動判定し、適切な姿勢制御を勝手に行なってくれる。

 だが、タケミが同乗させて貰っているこの機体は、既に生産が終了しているかなり旧式の機種。雑賀重工製特有の頑丈でタフ

なボディではあるものの、既に二十年前の型落ち品。おまけに、高級なオートマチックウォーカーを含むサポートシステムの類

は、費用の問題で未搭載。…つまり狸は、路面を自分の目と感覚で捉えながら、六本の脚の切り替えを全て適切なタイミングで

手動でこなし、この速度を出している。

 これはつまり、自動車で言うならタイヤごとに個別の操作を行ないながら、真っ黒に凍結した路面を高速運転しているような

もの。とんでもない器用さである。

 狸が警告したほど上下動は生じず、多少揺れはしても安定している機体の上で、タケミはアルの事を考える。

(アル君、遭わないといいな…。機械人形は小さい頃の心の傷になっているし…)

 シロクマが今しがた機械人形と遭遇し、さらに討伐までして、さらっとトラウマ克服を済ませている事など、流石に神ならぬ

身のタケミに想像できるはずもなかった。

 

 その、狸と少年を乗せて走る作業機の姿を…。

「裏切ったか!」

 双眼鏡で確認し、毒づく一団があった。

 殆どが黒いフルフェイスメットを被る集団は、成果を確認に出ていた先で、荷物を配置して回らせた狸が土肥の大親分と接触、

何らかの情報を提供した上で少年を一人預かって移動し始めた、その一部始終を確認していた。

「我らの理念の妨げになるか!」

「これだから下郎は!使って貰えた恩も忘れて不義を働くとは!」

 口々に悪態をつく男達は、同じデザインの黒いフルフェイスメットを被っている六名。その様子を、猿の獣人を脇に伴う、犬

のメットを被った狼の偉丈夫が、バイザー越しに冷ややかに眺めている。

(そもそもアイツは雇われや。理念がうんぬんも関係あらへん。だいたい、詳しい説明も無しに騙して使うたんは手前らの親玉

や。裏切った言うならこっち側なんやが…、狂信者ってのは視野が狭くてあかんな)

「どうする?」

「阻止に動いたと見るべきだろう。あいつは「呼び出し機」の全配置場所を知っている!」

「なら…」

「邪魔される前に止めるのが良いだろう」

(いや、そこは退きの一手や。こっちの存在を嗅ぎ回ってとる俵一家の精鋭共も、呼びかけに応じて結集するやろ)

 狼はそう思うが、口は挟まない。同行してはいるが仲間意識はなく、忠告してやる義理も感じない。そこへ…。

「おい、お前」

 黒メットのひとりが顔を向ける。

「曲がりなりにも俵一家の関係者だったんだろう?あの狸の特技や異能は判るか?」

 この問いと見下しているような口調を聞き咎め、隣で猿が不満げに口を開きかけたが、狼は視線でこれを制する。

「特技は失っとるわ。元は観測手やったが、十年前に目をやられとる。異能は、幻覚を見せるだけの下らんモンやった」

 黒メットが「幻覚?」と聞き返すと、

「視覚にだけ作用する干渉型や。有効射程3メートル以内に入ったモンに幻覚を見せられる。あくまで視覚にだけ作用する異能

で、嗅覚やら触覚やらの他の感覚は欺けへん」

 狼はそうざっくりと告げるなり踵を返した。

「成果は十分に見せてもろうたわ。俺はここで引き上げるで」

 情報は持ち帰ってナンボ。何より、期待した目当てが見つからなかったのでもう用はない。

 勝手な行動を取る狼を白い目で見送った男達は、悪態もそこそこに行動に移る。

 荷物の場所は判っている。狸の目的がそれならば、先回りも可能だった。

 一方、距離が十分に離れた所で、猿は狼に話しかけた。

「親分、よろしかったんですか?あんな口きかせて…!」

「吼えさせとけばええ。三下共に割く労力が惜しいわ。己の役割も自覚してへん、優先順位も判ってへん、使えん連中や」

「はぁ…。それでまぁ、あんな風に言ったんですか?」

 猿は合点が行った顔になる。狼は狸の異能などについて正直に話した。が、「包み隠さず」ではない。

 まるで、狸を侮るように仕向けるような表現と口ぶりで情報を伝えていたが…。

「まぁ大丈夫やろ。あの頭数で後れを取るなら、そもそも無能や。そうなったら、俺らが情報を持ち帰ってやらんといかん。大

層、有り難がられるやろ」

「なるほど!流石親分!」

 感心する猿の前を行きながら、狼は別の事を考える。個人的な目的の方は、今回は上手く行かなかったなと。

(あの北極熊のガキ、大親分預かりになっとる物と思うとったが、同行しとったんは人間のガキだけか…。当てが外れたわ)

 

「あそこの送電塔が一番近いんやけど…」

 作業機を駆りながら狸が呟く。マップで言えば手前側から少し逸れる位置にトランクがある。自動人形が居ないなら居ないで、

今の内に機能を止めた方が良い。だが、もしも居たらと考えると…。

(このニーチャンも危険にさらしてまう…)

 ヘイジは後ろに乗せているタケミを意識すると、逡巡を数秒で打ち切り、通信の為に高所へ向かう事を予定通り優先する。ハ

ヤタが少年を自分に預けた意味も理解できている。

(まずは通信や。その後はこのニーチャンを一家に預けて…。顔合わすの正直イヤやけど!)

 狸は霧の向こうに霞む、斜めに傾いた鉄の塔を目指し…。

「あれ?」

 少年の声に気付いた。

「ええと…、通信?繋がりそうな…、プツプツってノイズが入って来てます…」

「何やて?」

「俵一家の、巻き狩り隊で今日使っている通信パターンみたいですけど…」

(あちゃー…。ブロックしとったからなぁ…)

 狸は周囲を見渡す。高い位置ではないが、たまたま風に押されて霧が少し薄い合間に差し掛かっていた。ここならば少しは通

信できそうである。

「チャンスや…!通信可能な位置に陣取っとるモンがおるなら、ソイツにデータを送れば手間が省けるで!」

 

「危ないからオレだけで登るっスよお兄さん!」

 ギシギシ鳴る鉄塔の上でシロクマが声を張り上げる。

 先を登る黒豚は脚を負傷しているのでアルは心配しているのだが、痛みを我慢しているのか、それとも本当に平気なのか、ム

ラマツは錆と土埃にまみれた骨組みを危なげなく這い上がる。

 一度本隊と合流したムラマツとアルは、ツキノワグマのジンキチに次第を報告するなり、新たな情報を告げられた。

 本隊には、逃げ込んできたよその潜霧団から人形の発見報告がもたらされていた。ジンキチはこれを受けて腕利きを編成し、

二隊向かわせる準備中だった。つまり、他の場所でも同じ事が起きていたのである。

 範囲も規模も判らないが、それなりの戦力が必要になる。注意勧告をすべきだし、精鋭達を招集すべきでもある。

 ジンキチとムラマツの意見は一致し、黒豚は「トッツァン、俺に案があるんじゃが」と案を提示して…。

(すぐできるモンなんスね、こういうの…。アメージング!)

 黒豚に続くシロクマが大刀に加えて背負っているのは、有り合わせのコードと鉄の棒を繋ぎ、トランクに使われていたブース

ターなどの機材を流用した、簡素な電波増幅器。ムラマツは広域に警告を流すために、これを短時間で組み上げてのけた。
事態

は一刻を争うので、仕事は雑にならざるを得なかったと黒豚は言うが、不格好ではあるものの使用に充分耐える造りである。

「お前ひとりで登らせて、告知内容言えるか?」

 振り向きもせずに応じたムラマツに、アルは力強く頷く。

「うス!「人形出たから逃げるっス!オーバー!」…でどうっスか?」

「20点じゃ」

「低っ!」

「状況を伝える、散っとる連中に呼び掛ける、交戦可能な連中にだけトランクを探させる。…全部こなさんといかんのじゃ」

 鉄塔の天辺に辿り着いた黒豚は、足を横軸に絡ませて落ちないように体勢を決めると、追いついたアルから機材を受け取った。

そして塔についていた巨人が使う大皿のような発信装置の一つに、トーチでコード類を簡易溶接する。

「機械に強いんスね~…」

「こんなんじゃ強ぇ内に入らん。おい、溶接しとるトコじっと見んな。目ぇ悪くする」

 そうしてものの十数分で支度を整えた黒豚は、機材に自分のコンソールユニットを接続し、送信を開始し…。

「俵一家、黒田群松じゃ。非常事態につき全潜霧士にオープンコードで呼びかけとる。端的に言うと機械人形が出とる。アイツ

らをおびき寄せる機材があちこちにあるのが原因じゃ」

 ムラマツは俵一家、傘下の関係潜霧団、そして無関係な潜霧士達全てに緊急コードで呼びかける。受信をブロックしていない

限りは範囲内全ての潜霧士に声が届いているはずだった。

 各所に謎の機材が置かれ、機械人形がそれにおびき寄せられている。見た目はトランクで、中には機械人形の残骸が詰まって

いる。原理は判らないが事実、信じて貰う他ない。範囲は不明なため、戦える者は探索と応戦に協力を。自信が少しでもない者

は退避を。以上の事を、受信できなかった潜霧士のためにも、出会う端から確認含めて声掛けし、情報共有して欲しい。

 簡潔に判り易く、繰り返し誤認や冗談ではない事を強調して、ムラマツが二度目のアナウンスに入ろうとしたその時…。

(…通信?ウチの連中から返答か?)

 黒豚はアームコンソールを見つめ、全域放送を一度切る。表示された通信アドレスには見覚えが無いが、登録されているダイ

ビングコードにハッとした。

(ダイビングコード、「ムジナ」…!)

 慌てて直通回線に切り替えたムラマツは、

『…ども。ご無沙汰や…』

 ノイズ混じりでも聞き間違えるはずの無い、かつて馴染みだった声に耳を震わせた。

「ヘイジさん…!アンタ何処で何やっとったんじゃ!」

『近況報告諸々より、大親分直々の命でやる事があるで。一つ頼まれたってぇな』

 黒豚はハッと表情を引き締め、狸からの指示を聞き、預けられた仕事を承諾する。

 そして、ムラマツは再び全域に通信を送った。トランクの座標が含まれたマップ送信に、ハヤタが吹き込んだ肉声を合わせて。

『俵早太だ。…キヅいべげっとも、何とが頼む』

 これに、通信を受け取った全員が奮起した。

 土肥の大親分が「頼む」と言った。ならば、応えないわけにはいかないと…。

 大親分こと俵早太は、広く慕われ敬愛されている。その一声で多くの者が損得抜きで動くほどに。

(…ヘイジさんは…、通信封鎖しよったか。今でもまだ、皆に会いたくねぇようじゃ…)

 黒豚は常に険しい顔を、物憂げに沈ませていたが、すぐに気を取り直してアルを振り返る。

「これで良い。設置は完了、下までケーブルも引いた、あとは下から有線で通信できる。降りるぞ」

「うっス!それはそうと、お兄さんはちゃんと休んで治療受けるっスよ?血が止まらなくなったら大変っス」

「血なら血管締めて止めた。問題ねぇ」

「止まったんス?…ワッツ?今「止めた」って言ったっスか?ケッカンシメタ?」

 黒豚は「ああ」とぶっきらぼうに返事をして、一拍置いてから訝しげな顔をアルに向けた。

「血を止める事の何がおかしいんじゃ?」

「え?おかしくないっスか?」

「何が?」

「だから…」

「………」

「………」

 しばし沈黙したまま見つめ合い、黒豚は「おい、坊主お前もしかして…」と疑わしげな顔になる。

「「ダイバーズハイ」を体得しねぇままで、あの動きなのか…?ナマのままで機械人形の動きに対応できとったんじゃと、そう

いう事か…?いや…!」

 ムラマツは納得の表情になる。簡単にだがアルの経歴は聞いた。猟師として各国を渡り歩き、対危険生物の戦闘技能や経験は

一級品だと。だが考えてみれば、その経歴ならば伊豆での活動期間は必然的に短いはず。つまり腕前に反して大穴内…霧の中で

の経験は少なく…。

(まだ霧に順応するだけの累計潜霧時間に達してねぇんじゃ…。こいつはひょっとすると…!)

 化ける。

 霧に順応しておらず、異能も目覚めていない。この若いシロクマが、力を得るのはこれからなのだと確信した。

 

 

 

 そうして、広域に警告が発せられ、連絡要員として随所に張り込んでいた俵一家と傘下を経由し、土肥ゲートと潜霧士達にも

情報が伝わった。

 危険と判断して潜霧計画を取りやめにするダイバーも居れば、機械人形を仕留めて素材を得るチャンスだと息巻く中堅所もあ

る。俵一家と懇意な潜霧団はすぐさま助っ人に参じようと準備を整え、ゲートが人で溢れかえり、慌ただしく騒々しい声が飛び

交う中で…。

 前後を扉に挟まれた、長方形の部屋。

 四方が金属張りの密閉された部屋を、背後で閉じた扉を振り返りもせず、巨躯の金熊が歩き抜ける。

 靴音が反響する壁から、設置されたスキャナーが赤い光を投射し、歩を緩めず大股に征く巨漢を照らした。

 ゴツいブーツで固めた脚から上へ、腰を抜けて、胸を抜けて、首から下げた認識票を走査線がスキャンし、同時に生体識別も

終える。

『認証。ダイビングコード「雷電」』

 通行許可を告げる電子音声を残し、コバルトブルーの瞳は開いた扉の向こう…霧に煙る大穴の風景を睨む。

 大股に門を潜り、なだらかな傾斜に踏み入るなり前傾し、ドッドッドッと駆け出すユージンの表情は険しい。

(タケ坊…、アル坊…!)

 脚の回転は早まり、程無くトップスピードに至る。霧を巻いて駆ける巨体は、目に入った中で一番高いビルの廃墟へと向かう。

 加速をつけて跳び、壁面に靴底が接地するなり、ユージンの巨体にパリリッと放電が生じ、体表が燐光を帯びた。それを後方

へ爆ぜさせる格好で瞬間加速したユージンの体は、その勢いで壁を垂直に駆け上がる。

 ユージンの異能、雷電の欠点は消耗の激しさ。だが急激な消耗を抑える事をあえて考慮の外に置くほど、ユージンは急いでい

る。しかし…。

「………」

 屋上に跳び上がったそこで、ユージンは目を鋭く細めた。

 巨熊が来るのを待っていたように、一時凪いで溜まった霧が、立体の文字と図形を象った。

「よう、「きょうだい」。今日は何だ?」

 足を止めたユージンの周囲を、取り囲むように霧が蠢く。そして次々に図と文字を浮かび上がらせてゆくが、それは全てのト

ランクの在り処と、そこに向かって移動中の潜霧団などの位置、そして既に地上に這い上がったか、今まさに到達しようとして

いる自動人形の、正確な情報。

「恩に着るぜ…!」

 アルは俵一家の腕利き達と一緒におり、稼動している機械人形とすぐに遭遇するような位置関係にはない。こちらはひとまず

安心だが、問題は…。

「タケミが!?俵の親父殿と一緒じゃねぇだと?…アイツと一緒に居る…?」

 ユージンが目を剥いた。霧に記されたメッセージには、少年が「ある人物」に同行してトランクの一つに近付いている事と、

それを目指して上がって来ている機械人形がある事、そして…。

「タケミの方に接近中の集団…?俵一家でも、傘下でも、それこそ潜霧士でもねぇだと…?何者だ?」

 警戒心を前面に出して唸るユージンの眼前に、霧が提示したのは「unknown」の文字。

「ヌシに判別できねぇだと?一体…」

 だが、ユージンの問いに答えは返らなかった。さぁっと吹いた緩い風に見出された途端、霧が形作っていた文字は薙がれて均

されたように消えて、それきり動きが無くなった。

「嫌な予感がしよるぜ…!」

 金熊は吐き捨てるや否や、ビルの屋上端…タケミが居る方向へと疾走する。

「雷電、「突貫形態」!」

 唸り声を上げたユージンの両肩の後ろ、20センチほど離れた位置それぞれに、星雲のように渦巻く光の粒子が出現した。

 それらはエネルギーと力場で形成されたジェットエンジン。ただし、僅か数センチの厚みで吸気、圧縮、燃焼、放出を行ない、

数トンあるトラックを走行速度で押して行けるほどの推力を発揮する規格外な物。

 高い場所を選んだのは、この異能による推進力を活用し、障害物を無視して一気に距離を…それこそミサイルのように飛んで

稼ぐため。

 鏡映しのように二機出現した力場のエンジンは、キィィィィン…とノイズを漏らしながら回転を速めてゆき、程無くボウッと

光の粒子を吐き散らす。

 ビルの屋上から空中に跳躍したユージンの巨体は、ロケットブースターで運ばれるミサイルのように、二条の光の尾を引いて

大穴の上を飛翔した。