第十九話 「それは普通に下らない」

― 12年前 ―

 日がそろそろ傾こうかという、夕暮れ近付く時刻。

 伊豆半島西側、土肥の沿線に並ぶ小さな店や民宿、釣り船屋の裏路地を、テポテポと太った狸が歩いてゆく。

 まだ暖かい秋の日差しに照らされる、瞼が重そうな顔には疲れが見られて、狸は何度も生あくびを噛み殺していた。

 目指す先は寝床の安アパート。とはいえ、そこに帰るのも今月一杯で終わり。来月からは俵一家の本拠地である館に居室を与

えられる事が決まっている。

 爪先を上げるのもおっくうそうな足取りで歩む狸は、ふと足を止めて民家の裏庭を見遣った。漁師と民宿の二足草鞋で生計を

立てるその家の一人息子が、軽トラックが出払って広くなった駐車場で、サッカーボールを転がし遊んでいる。

「ただいまタツロウ。幼稚園終わったんか?」

 狸が顔を柔和に崩して声をかけると、顔を上げた小さな男の子は「あ!おかえり、へいじにいちゃん!」と顔を輝かせた。

 アパート隣の一家は、狸がここへ住みついた、駆け出し潜霧士だった頃からの付き合い。収入が安定せず、ひもじい思いをす

る事も多かった狸に、民宿のオーナーである老夫婦と、その娘婿夫婦は、料理が余るからといつも食事を振舞ってくれていた。

 今では狸も一人前の潜霧士で、収益が必要経費をだいぶ上回り生活にも余裕が出て来たのだが、それでも隣人はちょくちょく

食事に招いてくれる。そしてこの日も…。

「じいちゃんが、きょうへいじにいちゃんがかえってくるから、ばんごはんいっしょにするっていってた!」

 駆けよって来た幼子に、屈んで目線を合わせた狸は、頭を撫でてやりながら頷く。

「ほ!そら有り難いわ!丁度土産もあったんや、喜んで邪魔するで!」

「そうだ!へいじにいちゃんが、もぐってたうちにね!じいちゃんとばあちゃんがランドセルかってくれた!」

「ほうほう!ついに買うてもろたんやな!何色のにしたん?やっぱ青やら群青やら、今どきの流行りの色やろか?」

「ううん!くろいのにした!」

「かーっ!渋いの選びよるで!黒いランドセルしょってる子なんて、今どき逆に珍しいんとちゃう?」

 男の子の脇の下に両手を入れて、高い高いしてやりながら、狸は斜陽に照らされる幼子の顔を眩しそうに目を細めて見つめる。

(タツロウも来年から一年生…。ワイがここに住み始めた頃は捕まり歩きの赤ん坊やったのに、子供はあっという間に大きゅう

なってまうわ…!)

 修学祝いに贈る物をそろそろ決めなければと考えた狸は、その頃にはもう自分は一家の根城に住んでいるのだなと、少し寂し

い気分を味わう。

 霧に潜れば必ず得る物があるわけではない。危険生物を狩る腕、物品を見つける勘、目ぼしい場所や危険なエリアを見極める

経験、それらが物になっていない内は空振りも多く、成果を上げる事もままならない。そもそも駆け出しのまま重傷を負って引

退したり、命を落とす潜霧士は少なくないのである。依頼を預けるだけの信頼度を得られていない潜霧士には、仕事もなかなか

斡旋されない。

 狸も同様で、腕前が認められ、仕事が増えるまでは、収入どころか仕事すらない手持無沙汰な日々も多かった。そんな時間は

ベビーシッター代わりにこの子の面倒を見たりもしてきたので、狸にとってはもう親戚の子のような感覚。

(今まで通りには会えへんて言うたら、泣いてまうやろか…)

 自分が引っ越したら寂しがるかなと考えて、アパートを引き払う事を、男の子にはまだ言い出せていなかった。

 

「今日までの潜霧では一家の本隊に加わってたんだって?」

「耳早いわ~若旦那!どっから聞いたん!?」

「組合の只見さんが、自分の事のように言って回ってたわよ」

「二十歳で大親分の傍に就かせられるなんて大抜擢じゃないか!」

 テーブルが四つある食堂で鍋を囲み、狸は民宿の五人家族に持て成された。

 夕食の鍋料理は、この辺りでは貴重な牛肉…それも狸が数年ぶりに口にする神戸牛でのすき焼き。隣人一家がだいぶ奮発した

事が窺える。

 狸が持参した土産は、世話になっているお隣さんに振舞えと、兄貴分の若頭が持たせてくれた日本酒。桐箱入りの越乃寒梅は、

取って置きのコレクションを譲ってくれたもの。

 仕事が軌道に乗る前の、まだ十代半ばだった頃から世話を焼いてきたお隣さんは、もう狸にとってただの隣人という枠に収ま

らない存在になっていた。子供の面倒を見て貰う事も多かったので、一家にとっても狸はもう他人ではない。土肥に暮らしてい

れば獣人も見慣れるのだろう、親類にも獣化した者は居ないという話だったが、この家族は最初から狸を普通の若者として扱っ

ていた。

 腹をすかしながら、カップ麺を買うか一食抜くかで悩んでいた頃の、未熟だった狸はもうここには居ない。土肥の顔役である

俵一家、その若頭に目をかけられ、二年下積みして正式に面子に加えられた。今では期待の若手として土肥の潜霧組合も評価し

ている。

「ワイの才能とかやなくて、たまたま異能が大親分と相性良かっただけですわ」

 と謙遜する狸だが、民宿を営む家族は知っている。俵一家だけでなく傘下の組からも面子に加えたいという声が上がるほど彼

の仕事ぶりは目を引いていると、潜霧組合の職員達から噂が流れて来るので。

 家族は狸の仕事を、「霧に挑んで鎮静化させる潜霧士の立派な行ない」と捉えている。

 だが実際には、獲物争いや潜霧士同士のいざこざ、時には殺しにまで発展するトラブルなどもあり、決して綺麗な仕事ばかり

ではない。そんな内情までは言う必要もなく、言うべきでもないのだが、汚い部分を隠して皆に接する事で、狸は申し訳ない気

分になる。

 自分の印象が悪くなるから言わないのではなく、不要な事まで知ってしまったらこの家族に迷惑がかかる事も有り得るから、

言う事ができない。…そんな理由があっても隠し事は隠し事だと、済まない気分になるほど、狸にとってこの家族は特別だった。

「今回は縦穴深くまで降りてたんだろう?そうでなくとも五日も霧に潜ってたんだし、くたびれてるだろう。たーんと食って栄

養をつけなさいよ」

 祖母がすき焼きを牛肉たっぷりでよそってくれて、狸は恐縮しつつも照れ隠しに腹鼓を打つ。

「おおきにお婆ちゃん!けどあんまり食い過ぎるとまた太ってまうで」

「気にすんな気にすんな!大親分だって恰幅が良いじゃないか!」

「せやけどワイはタッパがないからな~。もうちっと背が伸びれば良かったんやけど、あとは単にまん丸くなってくだけですわ」

「へいじにいちゃんは、せがのびないの?なんで?」

 男の子の素朴な問いに、「背が伸びる時期は決まっとるんやで?」と狸が応じる。

「タツロウも伸びる時に背ぇ伸ばしとき。でないとワイみたいな真ん丸になってまうで~?」

「え~?ぼくおなじでいいよ?」

 どっと笑いが弾ける。狸も声を出してひとしきり笑い、「それだとモテへんで~!」と男の子の肩をつついた。

「潜霧明けだし、明日から何日かは非番になるんだろう?泊まって行ったらどうだい」

「ええ、部屋も空いてますしねぇ」

「タツロウも遊んで貰いたがってたから、疲れない程度に構ってやってくれないか?」

 口々にそう言われた狸が少し遠慮がちに迷った末に、期待の視線に折れて「ほな、せっかくやしお言葉に甘えて…」と応じる

と、男の子は喜びに顔を輝かせる。

「じゃ、おふろいっしょにはいろ!あとね!あと、テレビいっしょにみる!」

「夜更かしはダメやけど、ちょっとならええで。お母はんに怒られんトコまでな?」

 自分は果報者だと、狸は感じていた。

 伊豆では貴重な牛肉ですきやき。招かれた民宿はその日も客が居なかった。漁業と釣り船と民宿を掛け持ちしても、収入が思

わしくない月が頻繁にあったにも関わらず、腹回りにこんなに肉がつくほど、いつでも飯を恵んでくれた。

 いくらしてもしたりない感謝。いつか報いようと常々思ってきた。

 なのに…。

 10年前のあの日、霧が何もかもを白く埋めてしまった。

 

 

 

「予定変更や!近場のトランクに向かうで!」

 黒豚の広域通信は渡りに船だった。ハヤタの命を予定とは大幅に異なる格好で果たせた狸は、作業機を方向転換させて最も近

いトランク設置場所へ向かう。

「人形がおったら遠目に監視だけや。おらへんかったらトランク確保、バラして機能を止める。可能な限り戦闘はせぇへんから

安心しときや」

「は、はい…!」

 頷いたタケミが、「…中身が、機械人形の残骸なんて…」とひとりごちる。怖いのだろう、声が震えていた。

(そらビックリもするやろ。こわいやろ。ワイも驚いとるわ…)

 申し訳ないと思う。同時に、機械人形をパーツにした謎の装置を運ばされていたと知って、正直悪寒を覚えて嫌な汗をかいた。

(やっぱ厄ネタやったわ…。気付きもせんでこないな危険物運んどったとは…、ワイもヤキが回ったモンやで…)

 恐ろしい品だと思う。その効果や作用は勿論、これをいくつも準備できる事も、造ろうと考えたその発想すらも恐ろしい。

 作業機を走らせながら、狸は位置情報を再確認し…。

「!」

 見晴らしが良い開けた場所。こんな所なら危険生物の駆除作業も楽だなぁと、昔の習慣で狩りの配置を考えたその瞬間に、ヘ

イジはハッとした。

 微かな反射光は、まさに「自分だったらあそこに狙撃手を配置する」と見遣った、ショートケーキを子供が遊び食いしたよう

な無惨な残骸に成り果てている、かつてのショッピングモール上に見えた。

「伏せるんや!」

 ヘイジが警告した次の瞬間、作業機の後方でパスンッと地面が弾けた。

 目的のポイント目前で、狸は気付く。「依頼主」は成果を確認に来ていた。そして、それを邪魔する事が可能な自分が、行動

を起こした事を確認した。となれば向こうが取る行動は…。

(うかつやで!ヤキが回ったわ!我ながら余裕無くし過ぎや!)

 しがみついているタケミが悲鳴を上げる程の急旋回。六本脚の作業機は土煙を上げながらターンする。

 そのまま、遮蔽物になるコンビニとガソリンスタンドの廃墟が並んで残るかつての大通り脇へ進入しつつ、作業機は後部の外

装を一部展開、中から筒状の物を転げ落とす。

 それは地面に落ちるや否や霧よりも真っ白な煙を周囲に噴射し、視界を遮って狸達の姿を覆い隠した。

 煙を突き抜けてライフルの弾が通過し、ガイィンとコンビニの店頭パネルに穴を穿つ。

「うううう撃たれてる!?」

「この距離と煙やったらそうそう当たるもんやないで!安心したってや!」

 タケミを落ち着かせようとそう言った狸だったが、狙って当てる事ができなくとも、運が悪ければ当たってしまう。大きく構

えてはいられないので、廃墟を盾にする格好で狙撃から逃れるルートに進入していた。

「ちっ!外した!」

「煙幕とはこざかしい!」

 狙撃点の高台からワイヤーで降下し、黒いフルフェイスメットを被った男達が作業機に乗り込む。狸の物とは違い、軽量で移

動速度に優れた機種で、輝くほど傷が無い流線型のボディを見るだけで最新式と判る。
レース用のフルカウルオートバイに、タ

イヤを備えた四肢を生やしたようなそれら三台に、男達は二人ずつ分乗して追跡に移った。

(あかん!西京モーターズのハイスピードキャリアー!ラピッドラビッツの最新機種や!移動速度じゃ勝負にならへん!)

 隠密行動度外視で吹き上がる甲高い駆動音を耳にし、廃墟の隙間から桜色の流線型を確認した狸が唾を飲む。ヘイジの愛機は

一昔前の旧型をコツコツとレストアして乗り続けている、骨董品一歩手前の機体。何せ20年前に生産が終了しており、修理用

の純正パーツも手に入らない、型落ちと表現するのも憚られるほど古い機種である。そもそも、用途としては元々スピードより

も踏破性と積載量、現場作業でのパワーを重視した重機寄りの大型作業機なので、足の速さを競っては勝ち目がない。

 ヘイジの判断は早かった。表情を引き締めた狸は作業機の脚を広げる形にし、腹ばいになるほどすれすれにして、作業機ごと

敵の視界から一旦消える。そして減速しつつ素早く周囲を確認し、タケミに告げた。

「そこの民家二階、潰れて見えとるけど屋根裏が中空構造やで。物置か何かやったんかな。急いであそこに隠れるんや」

「え?隠れ…」

「ワイは何とかあいつらハメてみるわ。終わるまで出てきたらダメやで?」

 故障したように見せかけ、作業機を傾かせた格好で停めると、狸はタケミを押し上げる格好で民家の二階ベランダに登らせ、

窓も潰れたそこに空いている狭い隙間に入らせる。

「は、ハメるって、何をするんですか…!?」

 迫る駆動音にビクビクしながら聞いたタケミに、狸はニマッと笑ってウインクして見せた。

「企業秘密、勘弁したってや!とにかく、何があっても出てきたらあかんで?」

 

 

 

「止まっているぞ!」

「故障したか?旧型のオンボロで無理なスピードを出したからだろう」

 男達がマシンの速度を緩めた先で、狸は両手を上げて降参のポーズを取っていた。その後ろでは、傾いて横転したような格好

の作業機が沈黙している。

「降参降参、手荒な真似はせんといて~。この通り丸腰や」

 その場でくるりと一回転するヘイジは、小刀もトーチも帯びていない。

 止まっている作業機の上に荷物が纏められており、テントなども含むのだろう大荷物には、上から砂塵よけの黒い布が被せて

あった。

(二人乗りに見えていたが…)

(後ろのは荷物か)

 乗せていたタケミが居た位置にヘイジは荷物を偽装として配置したのだが、男達はまんまと騙された。

「独りか?」

「独りや。大親分に、情報提供の見返りに護衛のひとりもつけてくれるようにお願いしてみたんやけど、やっぱ破門の身は信用

されへんわ」

 ボヤく言外に、情報を売り込んで儲けようとしたと匂わせる狸を、男達は冷ややかに見つめる。

 何らかの罠という事も考え、周辺を警戒しつつボディチェックし、録音や通信が行なわれていない事を確認した男達は、手を

上げたまま大人しくしているヘイジに銃を突きつけた。

「連中の行動は?どうせトランクの破壊か回収に動くだろうが…」

「その通りですわ。マップと通信内容はこのコンソールに…。丸ごと譲りますさかい見逃したってぇな」

 男達は頷き合う。計画が邪魔されるにしても、俵一家内での情報伝達記録があれば行動指針の参考にもできる。ヘイジのアー

ムコンソールは持ち帰るに値する情報源だった。

「金欲しさに、俵一家に情報を売ろうとしたのか?」

「結局、そんな輩は信用されない」

「せやなぁ。まぁ、埋め合わせはするで?また雇っ…」

 パンッと銃声が響いた。

 狸は目を見開き、鳩尾を押さえてよろめく。

「あ………?」

 腹を押さえた手を顔の前に上げ、真っ赤に染まった掌を見ながら、狸はブフッと血を吐いた。

「言っただろう。そんな輩は信用されない、と。勿論我々も信用しない」

 拳銃を構えた男の言葉に銃声が続き、狸の眉間に穴が空いて、ゴーグルが飛んだ。

 どうっと仰向けに倒れたヘイジを前に、しかし男達はすぐにアームコンソールの回収にかからず、一旦数歩後退する。

「射程3メートル、だったな」

「ここまで離れて消えないなら、この死体も幻覚ではないか」

「ああ。センサーが血の匂いを検知している。幻ではない」

 その様子を、民家の潰れた二階の中から、壁面の亀裂を通してタケミは見ていた。

「………」

 体が小刻みに震える。

「……………」

 無意識に、首からかけているヘルメットの破片に触れる。

「…………………」

 ゆっくりと、その体が力んで怒張するようにシルエットを膨れ上がらせ…。

 ボンッ、と突然音がしたのは、男達の頭上だった。

 廃墟の壁を内から突き破るように、黒い人影が宙を舞う。

「危険生物!?」

「機械人形か!」

 実態を掴めていない男達の前に、ソレはザシッと着地した。

 黒いダイビングスーツ。黒い狼を象ったヘルメット。黒い一振りの刀。

 バイザー内で冷ややかに目を細めている少年は、男達からは判らないが、黒い狼の顔になっていた。黒狼は男達の数と位置関

係を一瞥で把握し、口を開く。

「あなた達は、もう怖くない…」

 低く、冷たく、囁きが霧を震わせる。普段の少年とは声のトーンが全く違う、別人のような平坦さである。

「あなた達は、殺していい人達だから、怖くない」

 乱入者の正体を確認する前に、男がひとりソレに発砲した。否、しようとしたのだが、叶わなかった。

 黒い影は霧の中にチンッと金属音を響かせる。瞬き一つよりも短い間に、前傾姿勢で静止した黒狼は、男まで2メートル弱の

位置まで接近している。そして振り切った黒刀が鈍く煌めいたその先で、宙に舞っているのは黒光りする金属の塊…斬り飛ばさ

れた拳銃の前半分。

 霧すらも、その移動から一拍遅れて荒れ狂う。身体能力が人間と比較にならないレベルまで向上する獣人は少なくないが、こ

れほどのスピードで動ける者は殆ど居ない。機械人形を除けば、こんなスピードで移動する相手を見るのは男達も初めてだった。

「撃て!」

 反応は早かった。呆気にとられるほどの高速移動と攻撃を目の当たりにしながら、男達は応戦に移る。六対一、自分に向けら

れる六つの敵意に意識を分散させられながらも…。

「速…」

「当たらない!」

「同士討ちに気をつけろ!」

 霧に黒影を刻んで残すかのような、本体を目で追う事すら困難な高速移動で、黒狼は銃撃を全て回避する。

 その目は男達の手元と銃口を常に確認し、射線を把握したうえで発砲タイミングを捉えており、事前に射線から逃れるという

先手を取った回避を行なう。その加速と負荷に人間の体であれば耐えられないが…。

「ぎゃっ!」

 悲鳴を上げ、左腕を腋の下から斬り飛ばされた男を、低く這うような姿勢から見上げる黒狼。人狼化した少年の機動性は、し

かし異能による物ではない。彼はまだ異能を発現できていない。目で追う事すら困難なそのスピードを単純な身体性能と、「霧

の中で生き続けた者への祝福」だけで叩き出している。

 近距離からの銃撃を一発たりとも受けず、着実に敵の戦力を削いでゆく黒狼の双眸は、暗く、重く、冷たい。その硬質な輝き

を宿す瞳には、臆病ながら礼儀正しいいつもの少年の眼差しはなく、排除すべき障害を無感動に、作業するように、取り除くだ

けの意図しか映っていない。

 冷静に、効率的に、深追いしてとどめを刺すなどの動きが停滞する行動を本能的に避け、黒狼は男達の武器、腕、そして足を、

正確に躊躇いなく刻んで戦闘能力を奪ってゆく。

「退け!」

 男達の中の最後尾、マシンに近い位置に戻った男が、取り出したスプレー缶のような物を構える。指向性圧力弾。側面が観音

開きに展開し、ビーズ大の細かな散弾を爆風と共に放射する範囲攻撃兵器である。扇状に広がる攻撃範囲は回避困難で、しかも

範囲自体は規定からブレないため、隊列さえ整えれば混戦の隙をついて使う事もできる。

 なお、これは強靭な皮膚や外骨格を持つ危険生物や、機械人形には殆ど効果が無い。あくまでも人間を効率的に殺傷するため

の兵器であり、まっとうな潜霧士は所持もしていない。

 マスクの下で黒狼の瞳が光る。彼我の距離、間に居る敵、爆弾の起動時間、それらを計って退避するか攻め込むかの判断を下

そうとしたその瞬間…。

「何があっても出てきたらあかんて、言うたやんか…」

 その、呆れているような、それでいて申し訳なさそうな声は、爆弾の頂部からピンを引き抜こうとしていた男の背後から、唐

突に聞こえた。

「え」

 疑問の声を発し終える余裕もなく、黒メットの顔の下半分に、背後から左腋の下を通ってきた肉厚な平手がベタリとあてがわ

れる。
腕の動きを制限され、左手が右手に握った爆弾のピンに届かなくなった男は、そのまま顎を上げさせられるように上を向

かされ…、

「ええぶっ!」

 喉元をスッと、鋭い刃物で綺麗に裂かれた。

 その時点で異変に気付いた男達が振り向くと、そこには首から噴水のように血を撒き散らす同僚と、その背後に立ち、鍔も無

い短刀…ドスで喉をかっさばいてのけた狸の姿。

「…ヘイジ…さん…?」

 黒狼の瞳に感情が戻る。次いで安堵と混乱がごちゃ混ぜになって目がグルグルした。

「え!?撃たれ…えっ!?えええ!?」

 先ほどまでの機械のような冷静さはどこへやら、あわあわと振り向いたタケミの目に映るのは、さきほどヘイジが撃たれて倒

れた位置に残る派手な血痕。

 それは、家禽…具体的にはガチョウやニワトリの血を詰めた血袋の中身。自身の異能の欠点を把握しているヘイジが常備して

いる、匂いを出して嗅覚やセンサー類を欺くための小道具である。

「どういう事だ!?異能の射程範囲外のはず…」

 混乱する男達の前で、ヘイジが殺害した男を離し、倒れゆくその死体の手から素早く爆弾を失敬し、その姿が霧に溶けるよう

にスゥッと消える。

「3メートルどころか、8メートル以上離れているぞ!?」

「何故幻覚が見える!?」

 腰からスパークする伸縮式警棒を抜き、互いの死角をカバーするように隣り合って身構えた男の片方は、

「詳しいんやな?ワイの異能の事、全部やないにしろ何処で聞けたんやろ?」

 耳元でその声を聞いた。

 巡らせた視界を缶のような物が遮った。それは、男の肩に底面の吸着テープで固定され、既に側面を開いている、炸裂寸前の

指向性圧力爆弾。

 ボムッとくぐもった音を立てて、放射状に爆風を発散させたそれが、男二人の肩から上を纏めて吹き飛ばす。

「情報が間違っている!射程は3メートルどころじゃないぞ!」

 半数が殺された事で、男達の声にはもう余裕が欠片もない。

 「幻覚を見せる異能」。あの狼が黒メット達に告げたヘイジの異能についての情報は正しい。が、嘘こそついていないが事実

全てではなかった。

 視覚に作用する干渉型。有効射程3メートル以内に入った者に幻覚を見せる。あくまでも視覚にのみ作用する異能で、他の五

感は欺けない…。

 こう聞いていた男達は、「射程3メートルに入った者だけが幻覚を見せられる異能」だと解釈した。だが実際には発動条件と

ルールの解釈を間違えている。

 「一度でも射程3メートルに入った者」を、異能を行使する対象として登録。以降は有効時間である30分強が経過するまで、

相手の視覚情報へ自由にインタラプト…いわゆる「視界ジャック」を行なって幻を見せる。

 簡単に言えば、一度でも3メートル以内に近付いた相手に、以降30分以上は自由に視界ジャックできる…。それがヘイジの

異能の特性である。

 ジオフロントの機械類や、視覚に頼らない危険生物には通用せず、あまりにもささやかで、弱々しく、たいして役に立たない

異能…。狸はそんな自嘲を込め、かつて兄貴分から貰った名を捨て、今はこの異能をこう呼んでいる。

「スタンダード・チープ(それは普通に下らない)」

 姿を消したままの狸の囁き声と共に、男達の視界が暗転した。ヘイジが資格情報にインタラプトして捻じ込んだのは、光もさ

さない真の闇。

 男達は人生最後の光景すら見る事も叶わず、滞りなく、全員がヘイジに処理された。

 

「…信号なんかは出てへんな…。通信もされてへん。オーケーオーケー。…済まんかったなぁ。ワイだけで処理するつもりやっ

たけど…、説明足りてへんかったわ」

 屈みこんで男達の所持品をまさぐりながら、ヘイジは後ろで立ち尽くしているタケミに話しかける。

「説明の時間も取れへんかったから、丸々任して貰うつもりやったんやけど…。結果的に荒事させてもうたわ…」

「そ、そう…だったんですか…」

 少し声が枯れているタケミが応じる。自分が人狼化してしまっている事に今気付いたが、幸いスーツとメットで全身が覆われ

ており、尻尾もスーツの中。ヘイジには気付かれていない。

 気のいい男に見えた狸の、暗殺の手法。それは実に手際が良く、いかにも慣れている様子で…。

(そういう事を、ずっとしてきたひと…なのかな…?)

 状況を整える手管からして熟練の手並みだった。男達を待ち受けて接触する際、武装解除をして抵抗の意志が無いと偽ったヘ

イジは、男達がボディチェックを含めて確認しに近付く事を確実視していた。

 他の誰かへ通信で状況を知らせていないか、何らかの罠を仕込んでいないか、確かめずにはいられない状況。まんまと近付い

た男達を異能の射程に収め、あっさりと口封じに遭ったように見せかけ、油断して立ち去りかけた所を狙い、少年に現場を見せ

ないよう始末する…。それがヘイジの書いたシナリオだった。

 計算外だったのはタケミが飛び出して来た事。人数差もあるし、大人しそうな少年にも見えていたので、こんな大胆な行動を

取るとは思っていなかった。

 そもそもヘイジはタケミを異能の対象に取っておらず、少年は幻覚を見せられていない。だが、自分の異能の欠点…欺けるの

は視覚情報のみで、音や匂いはごまかせないヘイジは、男達を騙すために実際に倒れ込み、音の演出もしていた。タケミはこの

演技を見て、撃たれて倒れたと思い込み、飛び出してしまった。

 見くびったと言うべきか見誤ったと言うべきか、タケミの行動も計算外だったが、腕前もまた計算外だった。

(大親分と狩りをしとった間は、加減しとったんやな…。「ハイ」になっとったとしても、あんな動きは誰でもできるモンやな

い。逸材やでホンマ)

 動きの速さが段違いだった。あんなスピードで動ける者など獣人ですらそう居ない。よほど良いサポート機能がついた特注の

スーツなのだろうと考えながら、タケミを振り返ったヘイジは深々と頭を下げた。

「危ない目に遭わしてもうたわ。済まんなぁ、ホンマに…」

「い、いえ!大丈夫でしたし、その…!」

 謝られて慌てるタケミ。少年自身は悪く思ってはいないのだが、ヘイジは憤懣やるかたない。

(こないな子供に、普通に下らへん汚れ仕事の現場をまじまじと見せてもうた…。まっとうな潜霧士やったら関わるべきやない

修羅場に立ち合わせてもうた…。まったくワイは、昔も今も普通に下らへん…)

 カバーを被せて死体をなるべく見せないようにしたものの、狸は自分を許せない。あまりにも至らなかった、と…。

 男達の死体は後で俵一家に委ねる事にし、トランクの処置に向かうべく作業機を起こしたヘイジは、後部にタケミを乗せ…。

(ん?)

 男達の死体を振り返る。樹脂製の黒いカバーを被せた六つの盛り上がりに違和感を覚えたのだが…。

「え…?縮んで…る?」

 タケミの声が終わる前に狸は作業機を飛び降り、駆け寄ってカバーを捲った。そこには、纏ったスーツごとブスブスと、腐り

落ちるように崩れてゆく六つの死体…。

「どないしたらこうなるんや…!」

 ヘイジが唸る。おそらく死体から情報を抜き出されないようにするためなのだろう。絶命時に腐食性薬物が「自分を処理する」

ように、何らかのインプラントを体内に埋め込んでいたらしい。

 獣人の嗅覚が危険と判断する、強烈な刺激臭を伴う煙を発しながら、男達の死体はやがて、燃え尽きた新聞紙のような一握り

の塵だけになってしまった。

(認識を改めなあかん…。想像以上に厄ネタやで、あの集団…。おそらく作業機械の方には身元に繋がるようなデータは入って

へん。解析しても手掛かりにはならんやろな…)

 狸は素早く身を翻すと、作業機に飛び乗って走行を開始した。

 

「あそこや。あの中にトランクを運び込んだんやけど…」

 目標地点であるボウリング場跡を、距離を取って作業機を停めた狸が双眼鏡で確認する。

「機械人形は…、居ないみたい…です?」

 かつてはランドマークとなっていた巨大なボウリングピンのオブジェは何処かへ行ってしまい、面白みのない四角い箱となっ

ている建物を、タケミも遠目に眺める。

 元々広い駐車場だった周辺は、雑草こそ茂っているが見晴らしは良く、霧に煙っていても視線は広く通る。少なくとも機械人

形らしき影は周囲には見えないが…。

「もう中に入っとった~、なんてオチもありそうやけど、それにしては「ガワ」が綺麗なままやさかい、う~ん、どうやろな?」

 狸がトランクを設置したのは、三階建ての建物の最上階かつ一番西側の部屋。営業時はボウリング場各部の電光式パネルやモ

ニター類を管理していた電算室である。もしも機械人形が最短距離でトランクを確認するなら、劣化している壁を破って三階に

直接侵入しそうだというのがヘイジの意見。

「なんせ中はあちこち崩落しとるし、階段も崩れて埋まっとったし、連中の性能考えると、わざわざ中に入って人のためのルー

ト通るとは思えへん。連中にとっちゃそんなん非効率やからな」

「あ…!信号とかを直接受信して、位置が判ってるなら、労力が少ない侵入経路を選ぶんですね?機械人形にしたら劣化した壁

なんか障害の内にも入らないから…」

「そういうこっちゃ。まぁ他の危険生物なんかも入り込んでへんとは限らんし、注意は怠れへんけどな」

 作業機を前進させながら、ヘイジは考える。

 タケミを外で待機させても良いが、目の届かない所の方が危険とも思えた。先程の立ち回りを見る限り、相手が「ひと」であ

れば後れを取る事はそうそう無いだろう。俵の大親分が目をかけるのも頷けると、素直に実力を評価できる。だが、相手が機械

人形ならどうかと言うと…。

(外で待たしとって、ワイが中でトランク確認しとる間に人形に襲われる…なんてのは勘弁やな。普通に下らへんでそれ…。そ

れに、さっきからどっか調子悪そうやし…)

 酷い人死にを六人分も目の当たりにしたせいだろうかと、タケミを窺うヘイジ。しかし少年は…、

(お尻が尻尾で窮屈…!気持ちが落ち着かないから?なかなか人間に戻れない…!)

 人狼化が解除されなくて困っているだけで、不調ではない。むしろ人狼化している間は身体性能も普段より増しているので、

戦力的には充実していると言える。問題は、狸にこの変化を気付かれないようにしなければいけない事だが…。

(どうか、機械人形とか危険生物と接触しませんように…!)

 激しく動くとボロが出てしまう可能性が高いので、タケミは何かと遭遇しないよう願った。

「人形おらんように祈るけど、別行動中に万一襲われるより、一緒に動いとった方がええやろ。ツーマンセルスタイルで中入る

で?ワイが先行、後方警戒頼むわ」

「は、はい…!」

 建物の裏口すぐ傍で作業機を停め、狸が先行する格好でボウリング場の職員専用口に近付く。タケミは「あの」と、自分のヘ

ルメットの耳を指しながら、自分の装備のある特長について説明した。

「僕の潜霧用ユニット、マスクの収音装置と連動して機械が出すノイズ音を拾って、判別するツールが付いてるんですけど…。

中から何かのノイズをキャッチしました」

「ホンマ!?」

 狸が振り返る。ヘイジのコンソールユニットも各種計測機器も、あまり金をかけないよう、安価な型落ち品を自前のメンテナ

ンスで繋いでいる品々。性能的には最新基準からかなり遅れているので、探索は自分の五感頼みである。

 だがタケミのヘルメットの収音装置とデバイスの判定システムは新型どころではない。最新鋭の基準に加えて、ユージンが古

馴染みのゲンジ工房長に頼み込んで開発させた一品物。収音によるデータが十分揃えば、その発生源の正体を判別してバイザー

に表示する。この照合用データベースは、既存の作業機類の固有パターンは勿論、ユージンが提供したプライベートな行動記録

から抜き出した、金熊がこれまでに遭遇した全ての機械人形やジオフロント産の自律兵器も網羅されており、識別できる機種は

非常に膨大で、判定の精度も極めて高い。

「あの…、反応が微弱だから、でしょうか…、収音データが足りなくて、位置の特定もできないし、何なのかも判定されてない

んですけど…。これってもしかして、トランクに詰められた機械人形の…?」

「そうかもしれへん。ってか便利な機能やな~、ワイも欲しいわそのツール。何処で買えるんか後で教えたって。…高かったら

手が出ぇへんけど…」

 少なくとも機械人形はまだここにあると判断し、ふたりは廃墟に侵入する。狸が先行でタケミが後方担当なのは、何かあった

時にすぐさま引き返して情報を持ち帰らせるため。これは少年の安全を高めるだけでなく、自分よりもタケミの方が素早く機敏

だと確認した上での、ヘイジの配慮である。

(このひと集団潜霧に…、ううん、それだけじゃない。少人数での班行動にも慣れてる感じがする…)

 こういった場所で襲われる事が日常だった。ヘイジの用心深さからは、そんな過去が窺い知れた。それに、先ほど襲撃者を始

末してのけた手腕を見ても実力の確かさは判る。どうして俵一家を離れたのかは分からないが、土肥の大親分が自分を預けたの

は、腕を見込んでの事だったのだと納得した。

(それに、たぶん…)

 ハヤタはヘイジを信頼している。そうでなければユージンから預かった客の身柄を任せたりはしないと、大人や組織の関係や

付き合いに疎いタケミでも判る。

 湿気に満ちて床があちこち抜け、壁も所々崩れて内部にまで霧が溜まっている廃墟の中を、狸は物陰を利用して移動し、タケ

ミを先導する。それは待ち伏せや不意打ちが可能なポイントを注視しつつ、銃撃の射線を遮蔽物で切りながらの移動。先の事も

あったので、人為的な妨害も視野に入れている。

 侵入後は一言も声を交わしていないが、ハンドサインで出される指示と、アイコンタクトでの確認は的確で、タケミは行動に

迷わない。事前に狸が言った、従業員用の階段で移動するという進路計画に従い、崩れた壁の向こうにだだっぴろいレーンエリ

アを垣間見ながら、ふたりは三階に到達した。

 平手を広げるストップの指示に続き、ヘイジが立てた掌でゆっくり二度手招き。指示に従い歩行速度ですぐ後ろについたタケ

ミは、狸が指さした先に、鉄扉が蝶番ごと壁から外れ、こちらに向かって倒れて空けた四角い空洞を認める。

 目標発見のハンドサインに頷き、より注意深く移動を再開して、狸は部屋の中を入り口で注意深く気配を覗ってから入る。タ

ケミもそれに従い、部屋の入り口を潜った所で止まり…。

(あれがトランク…?)

 狸が迷わずに移動した先で手をかけた、想像よりも大きい大型トランクを見つめる。

(さて、鬼が出るか蛇が出るか人形が出るか!まぁ人形は入っとるんやけど)

 狸がロックを外して蓋を開けると、そこには胴体だけになった人形の残骸が押し込まれていた。しかし…。

(…妙やな?)

 機械人形の胴体部分には、同封された何らかの機材から伸びた無数のコード類が潜り込んでいる。明らかに元々の部品ではな

いと判る機材側は、ヘイジが確認してみたところ、

(これ、動いてへんのか?これで正しいんか?いや、救難信号は人形側から出るモンで、それを人為的に拡大するやら増幅する

やらするんがこの機材やと思うんやけど…。無意味なランプって訳はあらへん。たぶん電飾で作動中かどうか判るモンのはず…)

 機材側は小さなランプの明滅で作動中かどうか確認できる仕様らしいのだが、見ていても点滅などが確認できなかった。

 不良品。そんな単語がヘイジの脳裏を過ぎった。あるいはセッティングする時点までは問題なかったのかもしれないが、そも

そも材料が機械人形の残骸である。いくつかのトランクで何らかの不具合が起きていてもおかしくはない。

(まぁ、それならそれでええ。安全に破壊できるってモンや。まずはこの機材を取り外してっと…)

 狸は伸ばした手を止める。機材のランプが一瞬だけ、プツッ…と明滅した。

(え?)

 同時にタケミが目を見開く。

 依然として判別できていないノイズ、それとは別に、今まさに一瞬だけ、センサーがノイズを拾った。

(え?え…?)

 戸惑う黒狼の背中を冷や汗が濡らす。

 ここに侵入する寸前に拾ったノイズは、今もデータ不足で判定を保留されている。それとは別に拾ったノイズは、正体を判定

できていないとはいえ、発生源の情報は正確に表示された。その発生位置は、ヘイジの目の前のトランクで…。

「ヘ、ヘイジさん!機械人形は、ここに来てます!」

 大慌てで警告したタケミのバイザー内に、駆動ノイズの増大と、データ照合が進むパーセンテージの表記が映し出され、警告

メッセージが表示される。

「汎用駆除型ですっ!位置は…っ!?」

 ヘイジが振り返ったのと、照合を終えたタケミの背後で壁を貫き、白い腕が現れたのは、同時だった。

 異音と気配に反応して前へ身を投げ出したタケミの背後で、脆くなった壁を突き崩して姿を見せたのは、成人男性ほどのサイ

ズの無機質な人形。

 狸の見立て通り、トランク側に不具合があった。材料にされた機械人形の損傷が激し過ぎたのである。だが、完全には停止し

ていなかった機械人形の残骸は、微弱な信号を途切れ途切れに出しており、増幅器材はこれをキャッチした時だけ作動してラン

プを光らせていた。

 だから、それを辿ってやってきた機械人形は、信号発生源の位置をなかなか特定できず、最短で駆け付ける事もできず、辿り

着いたこの廃墟の中で自らの駆動系も消音モードにし、途切れがちな信号の再発信を待っていた。

 その断続発信に、ふたりはあまりにも悪いタイミングで居合わせてしまった。

「簡単には行かへんかったわ!」

 ヘイジは機材のコードを引き千切って装置を止めると、腰のドスを左で逆手に引き抜き、くるりと持ち替えて構える。

 様々な用途を持つジオフロント製の機械類の中でも、機械人形…特に駆除型と呼ばれる機種は対人殺傷に優れる。とりわけこ

の「一つ目小僧」と潜霧士が呼ぶこの量産タイプは、多数運用の強みを活かしたデータのフィードバックによって常にバージョ

ンアップが重ねられており、駆動プログラムも検知システムも搭載武器も、人を駆除する方向性に進化し続けている。

 タケミも抜き身の刀を構えるが、狸は「退がるんや!」と声を上げ、腰の高さでドスを握り締め、大股に踏み込み前へ出た。

この動きに反応した機械人形の顔面で、メインカメラの単眼ライトが強く発光した。

 何しとるんやワイ?と、ヘイジは自分でも思う。死んでしまったらおしまいで、銭も稼げない。ろくに武装もしていない状態

で、真正面から馬鹿正直に戦うべき相手ではない。アホちゃうか?と正直思う。

 ここでやり合うのはリスクが大き過ぎる。逃げの一手だと頭では考えている。ここで万が一にも命を落とすのは、普通に下ら

ない。

 なのに、退く事ができない。タケミよりも下がって安全を確保する事ができない。十年間くすぶり続けた悔やみが、目の前の

少年に重なってしまう。

 

―魂が死ぬから嫌だぜェ―

 

 ヘイジはふと、懐かしい声を思い出し、そして納得した。

 ああ、あれはこういう意味だったのか、と。

 割に合わない事。採算が取れない事。メリットがない事。リスクが大きい事…。そんな事をあえて押し通す際に、兄貴分はよ

く言っていた。

 今なら判る。

 ここで譲ったら、退いたら、逃げたら死ぬ。命があっても魂が。

 あの言葉はきっと、こういう事なのだろうと。