第二十二話 「自切り」
「なるほど…。有り難う、有益な情報だよ」
アロマエキスが焚かれているのか、壁の燭台に甘い香りの火が灯る、まるで美術品倉庫のように絵画や彫像が飾られた部屋の
中心で、アーム付きのチェアに座った男が礼を言う。
小さな丸いテーブルを挟み、2メートルほど離れて向き合うのは、勧められた椅子にも座ろうとしない狼。その立ち位置は、
影になって顔が見えない男と、物理的にも精神的にも距離を感じさせた。
190センチの筋肉質な体躯に、潜霧用のスーツ…人間が着用するような全身を覆うタイプのそれを身に付け、帯刀している
狼は、マズル周りに直打ちで取り付けられた補強金属帯を、蝋燭の灯りで光らせながら口を開く。
「実験は成功…って事でええんやな?」
「ああ、成功だとも。損失は痛いがね」
成果の確認に出た部隊は半数以上が戻らなかった。ヘイジの口封じを行なおうとして返り討ちにあったので、情報を持ち帰っ
たのは狼達…干渉を行なわなかった者達だけ。それでも成功かと確認する狼に、男は事実上そうだと答えた事になる。
「俺が言うのも角が立ちよるが、帰らんかった連中は、遅かれ早かれ足手纏いになったやろ。あいつらは、一番大事な仕事が何
なのか判ってへんかった。いつか手痛い失敗をやらかしとったはずや。早々に手切れができたんは、案外良かったんかもしれへ
んな」
「手厳しいな。しかし君の言う事ももっともだよ。ただ、彼らは彼らで信念と情熱をもって事に当たってくれた。その事には感
謝しかない」
確かに損害ではあるが、結果的に質の悪い人員を切り捨てられたという捉え方をすれば得にもなる。そんな狼の非情な発言を、
男はただの嫌味や揶揄とは受け取らず、メリットとしての側面を否定しない。
しかし、気が逸って命を散らし、結果的には「成果の確認情報を持ち帰らなかった」という失態を犯した者達を罵倒もしない。
加えて言うなら、忠誠心で動いている訳ではないと公言している狼のスタンスについても理解を示し、咎めもしない。
それらが、建前やポーズではなく男の本心だという事を、狼は薄々理解し始めた。
だから思う。「薄気味悪い」と。ここで耳障りな言葉で態度を咎めるならばまだ判り易いのだが…。
(頭の程度が悪い連中が、こぞって忠誠を誓いよるんも、判らんでもないわ)
狼は男にも組織にも気を許しておらず、理念に賛同している訳でもない。世間から隠れる活動の場として身を寄せているだけ
で、居候の代償として労力を提供してはいるが、組織の目的も、彼らがどんな事を成すのかも、関心は無い。
そんな立場なので視点も自然と距離をおいた物になるのだが、組織に心酔するメンバー達の態度を見るに、男への忠誠心や信
頼の強さは客観的にもかなり強固と感じている。
この非合法組織の事を、構成員達は「評議会」と呼んでいた。新参の狼には知らされていない事も判らない事も多いが、この
男…大穴へ赴く際には東洋龍を象ったマスクを被る男が、最高幹部の一人である事は理解している。
「マジラ」と名乗っているが、偽名だろうと察してはいる。特別な形状のマスクを被った者達は、皆が十二神将に因んだ名で
呼ばれているので。
「…そろそろ戻る。次の仕事が決まったら、よろしゅう頼むわ」
狼が退室し、男はテーブルの上で組んだ手の指を立てたり曲げたりと、軽く動かす。
「…実証はできた。しかし今回の件の意図、どれほどの者に勘付かれるか…」
そして男は微笑んだ。
「少なくとも、君は気付くのだろうなユージン…。私の大敵(アークエネミー)…」
夕刻のニュースはいつも通りの平穏な日常を流す。
大穴の中で起きた事は、よほどの事でない限りニュースにはされない。情報が制限されるのもあるが、大穴の中で事故が起き
たり死者が出たりするのは日常茶飯事で、危険生物や機械人形が現れるのは当たり前なので、今回のように極めて珍しいケース
であっても、特別報道されたりはしない。
ただ、いつものように濃霧注意報や濃度予報などが流され、何処かの地区の破損していた風車や壁の補修が終了したような話
に軽く触れられただけ。
「元気ないっスね~」
ニュースをBGMにする部屋食の晩飯、箸が止まっているタケミの向かいで、手毬寿司をバクバク食べていたアルが口を開く。
宿が用意してくれた部屋出しの夕食は、会席と変わらない豪勢さ。潜霧の後は美味い物で精をつけるというのは何処の潜霧士
も変わらないらしく、霧から上がったふたりには、ネタ八種の手毬寿司や蒸しアワビ、豚トロの塩焼きに牛スジ肉の壺煮込みな
ど、特別贅沢な夕餉が振舞われている。だが、狸が一命をとりとめたと聞いて安心したはずの少年は、心ここにあらずといった
様子で…。
「ん…。ちょっと、疲れたのかも…」
嘘ではないが、真相からは少しずれた返事。口数が異様に少ないタケミを、しかしアルは追求したりはせず、「今日は早めに
寝るっスか~」と言っておくに留めた。
元気がない…あるいは考え事に囚われがちな理由については、薄々判っている。それは、タケミと合流して霧から上がった際
に、自分が見聞きした事と関係があるのだと…。
「救急です。洗浄は最低限、隔離車両で病院まで…」
ヘイジを運んできたトライク部隊のひとりが、ゲートの特別搬出室で壁の無線機越しに係員に告げる。
担架に固定された狸の呼吸は浅く、見守るタケミは不安で顔が真っ青だった。
「大丈夫。コイツしぶといから、死にはしないさ」
タケミの肩を、左目近辺が抉れ傷になって失われているパグが、励ますように笑いかけつつ叩いた。
アルはその様子を黙って見ていた。途中でトライク部隊に拾われたシロクマは、タケミから簡単に状況を聞いて、この瀕死の
狸が少年の恩人であると理解した。機械人形から守り、共に戦い、そして倒れた…。兄弟同然の大切な少年を救ってくれたなら、
アルにとっても恩人に等しい。
助かって欲しいと祈りながら、不安げな少年を眺めて心を痛める。
やがて進行ルートが制限される非常用ゲートが開き、簡易除染を受けたヘイジは最低限の付き添いと共に外へ出された。アル
とタケミは残ったトライク隊のメンバーと共に正規の除染を受け、ゲートのロビーへ移動し…。
「サガラヘイジ?どっかで聞いたような…」
少年が足を止めたのは、出撃待機列に並ぶ潜霧士達の声に反応しての事だった。
「あれだよ、十年前に俵一家破門されたヤツ」
「…そうだっけ?アタシは名前とか全然覚えてないけどな~」
「ってかまだ潜霧してたのか。足洗ったんだと思ってたぜ」
「こっちのゲートじゃ見かけなかったしな」
「何やって破門になったんだ?」
「さぁ?でも、ろくなもんじゃねぇさ。若頭に目をかけられてたのに破門だなんてよ」
「金でも持ち逃げしたのかね?」
「だったら、土肥ゲートにも近付けないわけだな」
立ち尽くす少年に気付いたパグが、「行こうか。宿まで送るから」と促す。
(何だか、普通の一家の仲間とか、一緒に巻き狩りに参加してた他の潜霧団みたいに仲が良い感じじゃ、なさそうって思っては
いたけど…)
タケミは、ハヤタとヘイジのやり取りを思い出す。それから、通信可能なタイミングで話していた、俵一家の誰かとの会話も。
(破門って…、クビみたいなもの?でも、大親分はヘイジさんを嫌ってるように見えなかったし、通信してたひとだって…)
そんな少年の様子を、アルは黙って考え込みながら見つめていた。
「失礼します。デザートをお持ちしました…おや?」
水菓子…大振りに切られたメロンを運んできたトラマルが、タケミの食事が殆ど進んでいない事に気付いて眉根を寄せた。
「疲れすぎて食欲がありませんか?失礼しました、もう少し軽めの、あっさりした物を手配すべきでした…。お蕎麦などの方が
良いですかね?」
「あ!いえ!そんなことないです!美味しいです!」
作ってくれたひとに失礼だと、慌てたタケミだったが…。
「トラマルさん、「ハモン」って何スか?」
出し抜けにアルが問う。言葉の意味は分からなかったが、ゲートで潜霧士達のやり取りを聞いて、蔑み混じりの会話だったと
いう事は何となく感じていた。そしてアルはタケミの事となると鋭い。少年が気になっている事は、きっとあの会話に起因する
と直感している。
「破門…ですか」
滅多に使われない言葉なので、シロクマが問いたい事が何なのか、トラマルもすぐに理解する。
「ヘイジさんの事ですね?」
ピクリと、タケミの眉が上がった。おそるおそるキジトラ猫を見遣る少年と、答えを待つアル、ふたりの視線を把握しながら、
トラマルは口を開いた。
「破門…つまり縁切り。会社でいえばクビという所でしょう」
「あの狸のひと、そのハモンをされたんスか?つまり、クビになったモトジュウギョウインって事っス?」
アルの問いには迷いも躊躇いもない。危険生物に真っ向から一太刀浴びせるのと同じ真っ直ぐさで、聞き難いような内容でも
確認した。しきたりや社会通念などをあまり知らない事もあり、俵一家の内々に留まるような話であろうと遠慮は無い。
部外者が突っ込んだ事情を訊くのは失礼だと思い、タケミは「アル君…」と諫めようとしたが…。
「確かに、破門の扱いではあります。ですが、「破門された」んじゃないんです」
トラマルは言い淀む事も、部外者だからと返答を避ける事もなく、あっさりとふたりに告げた。
「熱海の大将も御存知の事ですので、お二人にはお話ししておくべきでしょう。…ヘイジさんはかつて、俵一家の第一部隊で、
大親分の専属サポート役をこなしていたひとです」
「えぇと…、レギュラー?スタメン?そんな感じっス?」
「そうですね。最大戦力チームという意味で」
アルの問いにそう応じて、トラマルは軽くため息をつく。
なのに、どうして…。
タケミには、キジトラ猫が漏らしたため息が、そのように聞こえた。
「ヘイジさんは破門を言い渡された訳じゃなく、「自切り」で一家から離れました」
「ワッツ?ジギリ?」
また判らない単語が出てきて、シロクマが青い目を何度もしばたかせる。
「自分を切る…つまり、自ら破門という扱いにしたのです…」
そしてトラマルは少年達に語った。十年前に起こり、土肥にも襲い掛かった霧の大規模流出事故、その最中にヘイジが取った
行動について。
「一家内では止める声もあったんですよ…。なのに、あのひとは…」
土肥の潜霧組合に調査が入ったのは夕刻。ヘイジのアパートが押さえられるのも早かった。
日没前には口座、取引情報、提出された潜霧計画書、ゲート通行記録など、ヘイジに関するあらゆる物が伊豆「圏警」調査本
部の管理下に置かれ、俵一家の事務所や関係先にも監視がついた。
ヘイジが運び込まれた病院も例外ではなく、俵一家と大親分の手前、流石に病室前に張り込む事は避けられたが、病院は完全
に包囲され、出入りは隙間なく監視されている。
限りなくクロに近い重要参考人と目されたヘイジの周辺では、方々に手が回り…。
清潔な広いロビーの談話スペース。ソファーが並び自動販売機と本棚が置かれ、テレビが設置された真ん前で、車いすに座っ
た少年は画面を見つめている。
窓の外は暗く、灯りも見えない。テレビが置かれたそこには他に人がおらず、ぼんやりとテレビを眺めている少年の胸は呼吸
で上下し、目は瞬きをしているが、身じろぎなどが殆ど見られず、まるで人形のように静かだった。
日本人の顔立ちだが、その容姿はあちこちが奇妙だった。
右眼は黒いが、左目だけが薄青い。唇の左側からだけ、犬歯が少しはみ出して見える。サラサラした髪の毛は頭の左側三分の
一ほどが明るい薄茶色になり、毛質が変わって立ち上がっている。左手の手首から先は、頭の左側を覆う毛髪と同じ色の、明る
い茶色の産毛に覆われていた。
水色の患者衣の上に桜色のカーディガンを羽織り、腰から下には朱色のブランケットがかけられている。これは、体温調整が
できない少年の病状に対策したものである。
十代後半だが顔立ちはやや幼く、妙に線が細くて、肌の血色が悪く、青白いのが印象的。
よく見れば、車いすには点滴や観測器具、様々なチューブやコード、バッテリー類がみっしりと設置されており、少年の左鼻
孔にも透明なチューブが差し込まれ、鼻下にテープで止められている。
少年は、体の左側が機能不全になっている。任意の運動が行なえないだけでなく、左目は見えず、左肺はろくに動かない。左
半身は大部分が生理的機能の大半すら不全に陥っており、人的手段によるサポートを受けなければ生きる事もできない。
脳も十分な働きができておらず、余分な処理ができないためか、一日の三分の二は眠って過ごす。入院してから十年ほど、一
度も外に出た事は無い。
少年の症状は因子汚染ステージ3。十年前の大規模流出事故において、高濃度の霧を吸い込んでしまった被災者である。検査
結果によれば獣化の適正は極めて低く、激変による即死こそまぬがれたが、症状の改善はほぼ見込めない。
だが、まだ「助かった」訳ではない。少年は機械によるサポートがなければ生命活動が維持できないばかりか、徐々に弱って
いる。
数日から数週間で次第に変化に順応し、内臓機能のバランスが取られる通常のステージ3到達者とは違い、適性が極めて低い
上に霧への耐性が常人以下だった少年の内臓は、人間のままの部位と獣化した部位が混在しながら、機能の擦り合わせが進まず、
部分的に機能不全を起こしていた。
らない臓器不全に悩まされている。確かに即死は免れたが、その代わり、少しずつ死んでゆく状態になったとも言える。
それでも彼の「保護者」は、保険や政府の保証の対象とならない新薬、新治療とされる物を、望みが僅かでもあれば受けさせ
られてきた。結果はこの通りだが、少年の症状改善の為に保護者は金を惜しまなかった。
「タツロウ君、そろそろお部屋に戻る?」
恰幅の良い人間の女性看護師が、ポツンとテレビを眺めている少年に声をかけ、歩み寄った。
「あ…。もうそんな時間でした?」
少年がくぐもった声で応じる。口も左半分の感覚が無く、舌も不自由なため、どうしても発音に難が出てしまう。
時間が判らなかったのだから、やはりテレビなど観ていない。頭では別の事を考えているのだなと、看護師は思う。
「サガラさんきっと忙しいのね。でも明日は来るかもしれないわ。毎週必ず会いに来てくれるでしょう?」
「うん…、そう、ですね…」
特殊な病院の特殊な病棟…、保険がきかない高額な治療も受けられるここに少年を預け、向こう30年分にもなる額の入院費
用も先払いしている保護者は、最低でも毎週一度は会いに来ていた。家族を全員亡くし、高度な汚染と獣化の発症で親戚にも縁
を切られた少年にとって、もう身内と呼べる相手は彼しかいない。
だが、仕事が忙しいのか、保護者は珍しくしばらく顔を見せていない。最後に来てからもう十日になるのだが…。
こちらからは連絡の取りようがない。電話は向こうからかかって来るだけ。少年や病院からはメールを送って応答して貰うだ
け。やり取りが制限されているのは、保護者が危険な仕事や人に言えない仕事をしているからである。
車いすを押して、看護師が少年を個室へ連れてゆく。
(兄ちゃん…。どうしたんだろう…)
と、少年が表情を曇らせる。そこへ…。
「?」
看護師が足を止めた。
温かなクリーム色の通路の向こう、出入り口もある他病棟への連絡路の自動ドアが開き、男が三名入って来る。
病院の者ではない。外部の者だが、もうとっくに面会時間は過ぎており、そもそも予約なしでは面会できない。
黒いスーツ姿で、一様に目元をサングラスで隠している屈強な男達は、真っすぐに、つかつかと、少年と看護師に歩み寄る。
異様な三名に気付いた他のスタッフも、何事かと視線を向けたり、歩み寄ったり、警備室への直通連絡用パネルに手を伸ばした
りしている。
「犬養達朗(いぬかいたつろう)君だね?」
男の一人が少年を見下ろし、もう一名は懐から黒い手帳を取り出してスタッフに見せ、もう一名は同じく懐に手を入れはした
が、それを抜かない。
「一緒に来て貰うよ」
男のサングラスに、少年の不安そうな顔が映り込んだ。
所変わって、俵一家の事務所である、老舗宿のような館の一室で…。
「ヘイジは、子供を一人養ってたらしい。十年前の大流出事故の被災者だ」
金熊は端末を卓の上に置き、大猪に見せた。広い畳敷きの部屋の中央、小さな卓を挟んで密談している二人以外にひとは無く、
盗聴防止のために若い衆がフロアじゅうに立って見張っている。
ユージンが見せた端末のモニターが映しているのは、ある長期入院患者の記録。獣化の兆候が見える正面向きの少年の顔が見
える。
「イヌカイ…タツロウ…?」
呟いたハヤタは、一拍置いてハッとした。
民宿犬養。ヘイジが駆け出しの頃から、隣の家族の世話になっていたと、かつて聞いた事があった。確か小漁師と民宿の掛け
持ちで…。
「まさが…。事故で、全員ダメだったって聞いでだど…?」
ハヤタから掻い摘んだ説明を受けて、ユージンは「協力者」に集めさせた情報を語った。
「ヘイジの住処はえらく安いアパートだった。組合と税務署も調べたが、やっこさんの稼ぎからすりゃあ質素過ぎるし、口座の
貯蓄も殆どねぇ。で、身を粉にするような働き方をして、掻き集めるようにどんな仕事でもやって、節約もして稼いだ金は何処
に行ったかって言うと…」
察した大猪が唸る。
「その生き残った子を…」
「ああ、ずっと養ってきたんだ。ステージ3で、ジークフリート線を越えられる見込みもねぇ、機械のサポートが無きゃ生きら
れねぇ上に、長生きできなくなっちまった子供をな」
霧の流出への対策については、基本的には土肥の各事業所や家庭で備えがしてあった。
ただし、長城の完成以降は霧に脅かされる事も無く、対策グッズも避難訓練もおざなりな物になってゆき、数十年の内に危機
感と共に忘れられて行った。
民宿である犬養家にも客室には備えのマスクが設置してあったが、家族各々のマスクは使用期限がとっくに切れていた。一人
息子の分だけは生まれてから用意した物だったので比較的新しかったが、それでも吸着部の劣化などがあって完璧ではなかった。
その結果、家族に庇われ部屋に押し込められたタツロウ少年は、激変による物理的致命傷を負う事だけは避けられたものの、
高濃度の霧を徐々に吸い込む事で変質が始まり、ヘイジが駆け付けた時には…。
大猪の顔色がサッと変わった。頭に血が昇って鼻や目の周りなど、肌が見える辺りが紅潮する。
「だったら猶更!あん時、一家がら抜げねがったら、養うのもなんぼが楽だったろうに!子供保護したって一言おっせでけだら、
オラほでもやれっ事が色々…!」
何故自分達に一言も教えなかったのだと悔やむハヤタに、「気を使ったんだろうぜ」と、ユージンは軽く目を瞑る。
「チャランポランなお調子者に見えて、酷く義理堅ぇ男だ。自分は一家を抜けなきゃならねぇ、そしてこれ以上迷惑はかけられ
ねぇ、そう判断したんだろう。やっこさんの「ジギリ」は、全部覚悟の上だったって事だ…」
ヘイジは破門となり、俵一家を離れた。
その情報自体は正しいが、ひとの主観が入って、覚えやすい方に印象が固まっている。
俵一家の家長、俵早太は、相楽平治を破門していない。クビにしてもいないし追い出してもいない。その筋の用語で言えば自
切り…。あの狸自身が、自発的破門という格好で一家を出たのである。
ヘイジは十年前、負傷して前線から戻された後、黙って治療所から姿を消した。無断だったのは褒められた事ではないが、彼
が向かったのは恩人家族の安否確認のため。地域民を保護するという見地から言えば、行動自体は間違いではない。
ただ、立場が問題だった。当時のヘイジは将来を期待される若手で、大親分の「目」となり、精鋭部隊の一員として配備され
ていた。いわば、大親分とヘイジは配備上、狙撃手と観測手の関係で、ハヤタの超長距離狙撃を、ヘイジはその異能をもって支
えていた。
何せヘイジの異能は、相手の視野に働きかけて幻を見せるという物。これを応用する事で、相手の視野に自分が見ている景色
を割り込ませたり重ねたりもできる。ヘイジが光学補正機器や望遠鏡を駆使して確認する狙撃対象や周辺の情報を、ハヤタは言
語などでの説明なしで、時差ゼロでダイレクトに得られる。自分が見ているのも同然に、である。…これが戦術運用的にどれだ
け強力であるのかは、大猪の大弓の威力と精度を知る者であれば想像に難くない。
だが、ヘイジはその時、負傷して下がらせられ、治療の最中に姿を消した。前線で皆が奮闘を続けている中、そのまま無断で
姿を消したのは役目の放棄とも見られかねない。事情を知った一家内に文句を言う者は居なくとも、共に轡を並べて事に当たり、
少なくない人的被害を出した傘下や友好組織などは、これをどう見るか…。
だがハヤタはヘイジを処分できない。個人的には狸の行動を人道と仁義に沿う物と判断していたし、恩人の安否確認に向かっ
た部下を咎めたとなれば、頭目としての人物評にも傷が付く。しかしヘイジが咎め無しでそのまま残っては、最前線で血を流し
た傘下や他所の親分達に示しがつかない。
だから、ヘイジはジギリした。ハヤタの評判を落とさず、一家のメンツも保たれ、世間体も悪くならず、一応のケジメがつけ
られる…と。彼がたった一つだけ思いついた責任の取り方が、それだった。
ハヤタはヘイジの十年間に思いを馳せる。身寄りのない子を養い、治療するため、金を稼ぐべく大穴に潜り続けた。誰も頼ら
ず孤独に潜った十年間に。
それは、恩人達に報いる事ができなかった自分への罰なのか、一家に尽くし切れなかった自分への罰なのか…。
「…ヘイジの情報、いづの間に集めだ?」
少し冷静になってきた所で、ハヤタは気付いた。ユージンが提供した情報の精度や質、量の異常さに。
大穴から戻ってすぐに行動を始めていたとしても、ここまで進めるのは不可能。数時間単位では到底調べがつく事ではないし、
何より今は圏警なども動いているのだから、情報取得には制限が多い。調べているのを察知しただけで誰かが飛んでくるか、動
かないよう警告されるだろう。
「タケミが、少し前に知らない狸の潜霧士と会ってた、…って言ってな。飴玉を貰ったのに名前訊きそびれちまったんだと」
ユージンは軽く肩をすくめる。「そいつがきっかけだった。引っかかりも初動も偶然だったぜ」と。
「タケミは熱海の同業者の顔をだいたい覚えてる。アイツが知らねぇなら他所をホームにしてる奴か新参だろうと考えた。まぁ、
古い型の作業機を使ってたなら新参じゃねぇから前者だろうとは思ったが。で、その時思い出したのがヘイジの事だ。格好も変
わってるし、重機に乗ってたってのもあって、まさかタケミが出会ったのがアイツ本人とは思っちゃいなかったが、ヘイジは今
どうしてんのかなぁ…ってよ」
そして、相楽平治の現在について少し前に調べさせていたのだと、ユージンは言ったが…。
「誰さ、どうやって調べさせらいんだ?そいな情報、短期間で…」
驚いているハヤタに、
「蛇の道は蛇って言葉な、ありゃあ正しいと、ワシも独立してから流石に勉強したぜ」
金熊はニヤリと口角を上げて応じた。
「今じゃ頼れる頭脳役と、事務所の経理なんかも含めて顧問契約結んでる。それに、「付き合いが長ぇ友達」も世話焼くのが好
きな奴でな」
「いづの間にが、こなれだモンだな…」
決して愚かではなかったが、若い頃はかなり直情的で向こう見ずだった金熊が、どんな手段を使ってか情報を掻き集めて、裏
から素早く手を回し対処する様子に、ハヤタは驚かされた。総出で事後処理に当たっている上に、圏警に任意で聴取を受けてい
るメンバーも多いので人手が割けず、初動が遅れたとはいえ、俵一家も舌を巻くような手配の良さである。
「清濁併せ呑む。事を成すなら手段を選ぶな。…ってな。親父殿やモンドを見てて覚えた事だぜ。こんな時にどういう事を考え
るヤツが居るか、不利な状況に立たねぇ為にはどうすりゃ良いか、今の自分の弱みは何処か、攻められて困る場所は何処か…」
金熊のセリフで、ハヤタはハッとした。
「ヘイジが養ってだ、その子の身柄は!?」
当然、その身柄を欲しがる者は多い。ユージンに調べられたのだから、調査が進めばいずれそこに辿り着く。圏警もそうだが、
もしかしたらヘイジに仕事を依頼した側が手を回して人質に取るやもと、焦ったハヤタだったが…。
「そっちも抜かりはねぇ。「たぶんこうなって来る」ってのは、おおよそ予測できたんでな。霧から上がった直後から動いてお
いたぜ」
端末を手に取り、ユージンは「そろそろか」と呟いた。
「ええ。一報頂くのが早かったのは幸いしましたね。病院を出た直後に圏警の車両とすれ違いました。…いえ、すぐにバレる心
配はありません。搬送は何処からどう見ても一般のワゴン車でしていますから」
長身痩躯の中年優男が、車に揺られながら状況を説明する。黒髪をキチッとオールバックに整えているが、前髪の中央から右
のこめかみにかけては白髪化しており、その部分だけ毛質が変わって額に降りていた。
『仕事増やして悪ぃなカズマちゃん』
「いえいえ。こっちの本筋の仕事とも密接なラインなので、増えたという訳でもないんですよ。どのみち人形大発生の件でしば
らくこっちを飛び回りますしね」
潜霧探索管理室の室長、種島和真は、機械人形大量発生の報を受けて情報収集に回る傍ら、ユージンからの連絡で、ヘイジが
養っているタツロウの身柄確保に動いていた。
ワゴン車の運転席と助手席には黒服が、一般人にしか見えない私服に着替えて座っている。カズマと並んで座る男も、伊豆観
光者を装いアロハシャツ姿。そして窓にスモークが利かされた最後部には、座席を倒してフラットにしたスペースに車いすが固
定され、ふくよかな女性看護師と少年が並んでいる。
圏警に連れ去られては行動が制限されてしまうので、懇意にしている上部機関…政府直轄の潜霧探索管理室にあえて預けよう
というのがユージンの考えだった。そちらならばある程度の要望も通るので、少年が無下に扱われる事だけはない。
「こちら本来の立場から言っても、調査に協力して欲しい重要参考人の身内。心証を良くするためにも粗末には扱えません。人
道的にも業務的にも個人的にも、丁重に扱う以外に道はないですよ。…ところで、「白神山地の研究所」から人員受け入れ準備
をするよう連絡を受けましたが…」
『おう。そっちにもワシの方から手を回した』
「…まさか…」
『そのまさかだ。今回は我儘、通させて貰うぜ』
カズマは「判りました」と応じ、内心で珍しいなと感じた。
(白神山地の研究所から派遣される人員は、施術を行なえる誰か…。同時に持ち出されたのは…)
ユージンが決めた事だと、カズマはそれ以上考えるのをやめた。
「とりあえず中間報告は以上です。到着後にまた連絡します」
『ああ。今度時間作って奢らせてくれ』
通話を終えたカズマは、後ろの座席を振り返る。
「看護師さんにも同行を急遽強要するような格好になった上に、息苦しい思いをさせてしまって済みませんね。もう少しの辛抱
ですので…」
「いえ、院長から直々に指名もされましたし、ケアは確かに欠かせませんから、一緒に行くのは良いんですけれど…。タツロウ
君の体は疲れやすいんです。休ませてあげられるところに行けるんですか?」
病院の責任者にはカズマから話を通してあった。一刻を争うので事前にゆっくり説明をする暇も無く、押しかけて事情を話す
格好にはなってしまったが、正式に政府からの要請で少年の移送に協力して貰っている。タッチの差で空振りになった圏警は歯
噛みしているところだが…。
「そこは問題ありません。今向かっているのはグレートウォール内の医療研究施設です」
カズマが答えると、看護師の目が丸くなった。
グレートウォール。半島と「本土」を隔てる絶対防衛戦にして、文字通りの巨大な壁。立体構造型都市とも各機関及び自衛隊
駐屯基地とも言える、一般人不可侵区域。
「私達、入って大丈夫なんですか…?」
「ええ。許可は下りていますのでご心配なく。まぁ、立ち入れる箇所は限定されますがね」
ユージンはこれも見越して自分に頼んだのだろうと、カズマは確信していた。
公的機関に属する者でも、グレートウォール内に許可なく立ち入る事はできず、圏警もまたその例外ではない。特に、これか
ら少年を受け入れる場所は、出入りが厳重に制限されている。そこに白神山地の研究所から呼び寄せたスタッフを立ち入らせる
許可まで含め、カズマは正規の手続きを取って手配を済ませたが…。
不安そうな少年の存在を、振り返る事無く背中で感じながら、カズマは思う。
(ユーさんが自分から「血清」の使用を指示するなんて、珍しい事だ…)
「つまり、っスよ?タヌキのひとはお世話になったファミリーの様子を確認に行った。でも立場から言うとあんまり良くない事
だった。でも一般人を護るのは俵一家サイドはオーケーだった。でも同業者とか関係者は仕事放棄だと思って不満だった。でも
お世話になったひとを助けに行ったタヌキさんを処分すると大親分の評判もダウン、だいたい大親分もタヌキさん処分したくな
い。でもケジメ・インシデントだからムザイホーメンにしたら周りがブーイング。…だ、だから…えーと…、タヌキさんはジギ
リ?自分で自分を処分してマルクオサマルをした…、で良いっス?」
「でも」が多くて、話している内に自分でも混乱してくるアルに、トラマルが頷く。
「普段は、皆を笑わせたり、調子よく振る舞ったり、ムードメーカーを買って出るせいでカルく見えてしまうひとでしたが、本
当はとても義理堅くて思慮深いひとなんです…。なるべく何処にも角が立たない落とし前の付け方はアレだと判断したんでしょ
う。自分だけが不名誉を被る事、これまでのようには稼げない事、立場も収入も全部失う事を理解した上で…」
「あの…」
タケミが控え目にキジトラ猫に訊ねた。
「ヘイジさんは、その…、今度は…、どういった扱いになるんでしょう…?」
「…事が事ですから、きっと簡単には収まりませんが…」
言葉を選んでトラマルは応じた。少年を安心させるように微笑みかけて。
「悪いようにはならないよう、俵一家と縁者全員でバックアップします」
その頃、歓楽街の一角…、俵一家縁の湯屋。
バックヤード兼仮眠室兼ダベリ場…つまり雑多な事で使われる畳敷きの休憩室に、いずれも四肢いずれかの欠損や古傷が目立
つ、十数名の男達が並び、平伏して首を垂れている。
男達と向き合う格好で胡坐をかいているのは、左脚が太腿から義足になっているツキノワグマ。
板津甚吉は渋い顔で、男達の先頭で頭を下げているゴールデンレトリーバーを見つめている。
「話は分がった。調整して、何とが時間作ってみっか」
「有り難うございます。先生」
『有り難うございます!』
ゴールデンレトリーバーのキンジロウに続き、皆も揃って礼の言葉を告げる。この部屋に居るのは、リバーストライクで救援
に駆け付けた者達だった。
「呼びつけだ上に雁首揃えで何の話がど思えば…。今夜は「湯男」の人出、足りでんのが?」
「今夜我々は客を取れません。「臨時非番」ですよ、大穴に入りましたからね」
片脚のビーグルが応じる。霧に潜った日は客を取らないのがこの湯屋のしきたりなので、リバーストライクに乗って出撃した
男達は、今夜は待機組になっていた。除染が充分でも抵抗感がある客は居る。密室で長時間を共にする上、サービス内容によっ
ては肌を重ねる事もあるので、この辺りの情報はオープンにした方が顧客の信頼に繋がるのである。
自分達を「瑕物」と呼ぶ彼らは、十年前の事故で奮戦し潜霧士生命を断たれた者達が大半である。こうして第二の人生を送っ
ている彼らの中にはヘイジと同年代の者も多い。同じ地獄を見て、同じように誰かを失って、同じように消えない傷を負った。
その同族意識は去ってしまったヘイジに対しても変わらない。
「二宮金次郎以下、瑕物四十五名、要望は同じです。どうか、よろしくお願いします」
ゴールデンレトリーバーの言葉に、ツキノワグマは軽くため息をつき…。
「間違ぇんでねぇ」
ゴールデンレトリーバー達が注視する。ツキノワグマは、仕方がない奴らだとでも言いたげな微苦笑を浮かべていた。
「そごにはオレも含まんだ。疵物総員、四十七士の連判状で大親分に申し入れっからな」
『有り難うございます!』
キンジロウ達が全員揃って頭を下げ、ジンキチは苦笑いのまま頷いた。
圏警の要求に対し、カズマ室長が柔らかくもしたたかな態度で対応して受け流す、国家権力同士での駆け引きと暗闘が続いた
一夜が、ようやく明ける。
空が白み始めた頃、容態が安定したヘイジは意識を取り戻した。
絶対安静ではあったが峠は越えたとして、第一報を受けた俵一家もホッとしたが、同時に、大変になるのはここからだと腹も
括った。
例の治療水槽からは出られないものの、一通り医師の診察を受け、駆け付けたハヤタとの面通し…文字通り顔を見せあう程度
の顔合わせを終えた後、
(結局、ワイは一家に迷惑かけとる…。普通に下らへん…)
水槽の溶液に横たわり、身動きもできないまま、肺が本調子でないヘイジは胸の内だけで嘆息した。
「イヌカイタツロウ君は保護済」。大親分がたった一文、どうやらわざわざ用意してきたらしい手持ちサイズのホワイトボー
ドに書いて、透明な壁越しに知らせてくれた。振ってアピールするので若干読み辛かったが、見間違えはしていない。
(普通に…下らへん…!)
涙が溢れた。情けなくて、申し訳なくて、有り難くて。
保護していた少年の事まで判っているのなら、きっと何から何まで知られてしまっただろう。その上で、大親分達は自分のた
めに動いてくれた。
具合が落ち着いたら取り調べが始まるだろうが、包み隠さず、知っている事を洗いざらい話すと決めている。
自分が片棒を担いだ大事件は、なぁなぁで許されて良いスケールではない。責任を、今度こそ…。
一方その頃。
「うわ~…。この角度からグレートウォール見るの初めてだ…。威圧感すご…!」
大穴を囲む長城の最北…伊豆半島と「本土」を隔て、湯河原から沼津までにかけて聳える、山脈と見紛うような巨大な壁。他
の物にも増して巨大な風車がずらりと並ぶグレートウォールを湯河原側最上部出入り口から見渡し、体格がいい猪の青年は呆気
にとられた様子で口をポカンと開けていた。
二十代前半の猪は牙も立派に伸びているが、表情や態度はまだ少年のようにあどけなく、景色に驚き圧倒されているのが顔で
判る。
朝霧にけむる、平均高度800メートルのグレートウォールの、大穴側に沿って湾曲したその威容はまるでダムのようでもあ
る。一つの街と呼べる規模の最終防壁であると同時に、軍事基地でもあり、最前線観測基地、そして大穴についての様々な研究
や調査を行なう場。大穴を囲むどの部分の長城よりも高く厚く、上部に備えた風車の数も桁違いのそこは、霧を大穴方向に流す
事はあっても、決して「本土」には入れさせない。
ここに入る事を許されるのは基本的に関係者のみ。送迎のマイクロバスで長い坂を登った先、グレートウォール頂上部側の駐
車場から一望する半島はまさに絶景だった。
「この壁の中に入るのか…。って言うかホントにオレも入って良いのかな…?」
ゴツくて大きなアタッシュスケースを片手で軽々と保持している猪に、
「当たり前でしょ。タイキはボクの助手なんだから」
景色には目もくれず入り口に続くスロープへ向かっていたレッサーパンダが、足を止めて振り向きながら応じる。こちらは猪
とは対照的に小柄である。
「いや、ナミはここの中にも居た事あるんだし、入るの抵抗ないかもだけどさぁ…」
大きな体を縮めて居心地悪そうにする猪に、レッサーパンダは軽く肩を竦めて答えた。
「ボクだって平気じゃないよ。元同僚とか多いし、敷居が高いよね」
(絶対嘘だ!!!)
レッサーパンダの涼しい顔を見て猪は確信する。
このレッサーパンダは政府の研究機関勤めで、元々は研究畑の中央…主研究機関に在籍していた。そしてその当時はグレート
ウォール内の研究室にも頻繁に出入りしている。
上司やら何やらと色々あって、数ヶ月前に抜擢される形で白神山地の研究所に移った。…のは確かだが、おそらくこの青年は
元同僚などと顔を合わせる事を気まずく感じたりはしていないと猪は確信している。何せこのレッサーパンダは、興味がない相
手には道端の石ころ程度の関心しか払わない。相手にどう思われようが気にならないし、相手がどうなろうが知った事ではない
のである。
「じゃ、行くよタイキ。タネジマ室長もお待ちかねなんだから」
「う~…、緊張するなぁ…」
磐梯波(ばんだいなみ)と井上大樹(いのうえたいき)。白神山地の研究所に勤務するスタッフ二名は、ユージンの要請を受
けて現地入りした。
目的は、イヌカイタツロウという少年との接触。
(オレ達と同じ…。十年前、違う場所で、同じように被害に遭った子か…)
タイキは相棒を窺うが、レッサーパンダはいつも通りで、特段何か感じている様子もない。
かつて「沼津の大規模流出事故」で大切な物をいくつも失った青年達は、「土肥の大規模流出事故」で似たような境遇になっ
た少年に会う。