第二十四話 「法律屋」

「好かれとるじゃねぇか、アイツ。ええ?」

 とっぷりと日が暮れた後、ユージンはカズマから報告を受けていた通信端末をポケットにしまうと、執務室で文書に目を通し

ているハヤタを見遣り、軽い苦笑で口元を緩めた。

 大猪が目を通しているのは、時代錯誤な連名血判状。

 一家の面子、懇意にしている傘下の親分連中、かつて一家で働いていた瑕物達、十年前に同じ地獄を見た仲間…。彼らがそれ

ぞれ纏めて手渡して来たのは、いずれも血判を押して署名した、ヘイジの助命嘆願。

 事が事だけに、今回はヘイジを大っぴらに庇いだてするのは難しい。街の元締めだからこそ、ハヤタの立場ではなおさら助け

舟を出せない。

 全員がそう考え、大親分の背を押すべく、口を揃えて「何でもするから助けてやってくれ」と嘆願したのである。

「ジンキチまで乗っかって…。珍しぐ勝手なごどして…」

 署名を指でなぞっていたハヤタが、目を閉じて呟く。

 昨夜、トラマルも何度か何かを言いかけて、その都度言葉を飲み込んでいた。

 時間外れの夕餉の折に、湯浴みの際に背を流していた折に、床に入って仮眠する折に、キジトラ猫は何度も、躊躇っては押し

黙る様子を見せた。脇に抱えて添い寝させた猫の頭を、促すように撫で、胸に顔を埋めるような格好で抱いて、言いたい事があ

るなら言うように促しもしたが、それでもトラマルは内心を口にしようとしなかった。

 出過ぎた真似はできないと、自制しての事。内心ではヘイジを助けて欲しいと、庇って欲しいと、思いながらも願いを口にで

きなかったのは…。

(二度と一家に迷惑かげねぇど、決めでっからだべな…。あどはまぁ、懇願したらオラが困っと思ったんだべ…)

 元よりハヤタはヘイジが不幸になる事など望んではいない。だからこそ、自分が表立って動けない代わりに、ユージンの策に

乗ったのである。

「で、考えてくれたか親父殿?ヘイジの処遇は」

 ユージンの問いでハヤタはゆっくり視線を向け、金熊のコバルトブルーの瞳を見つめた。

「まず、ヘイジの身柄を自由にでぎねぇべ」

「そうでもねぇ。こう言っちゃあ何だが、やっこさんを「政府側が放っておけねぇ」立場にまでしちまえば圏警も手は出せねぇ

訳だ。…タケミの人狼の姿をヘイジは見た。この点だけでワシとしても野放しにできんし、管理室も放置できねぇが…。そいつ

に加えて…」

 さらに、保護していた少年が第一級の経過観察対象となった。ヘイジが法的に彼の保護者であり後見人となっている事は、こ

の件に関して幸いする。潜霧探索管理室は勿論、政府管轄の研究部門がタツロウ少年の予後を観察する関係上、少年に何をする

にもヘイジの同意を求める必要が出て来るため、彼を収監などされては堪らない。よって彼らは、ヘイジの身柄については比較

的自由にできる状態に全力で留める。

「…そんな訳で、方々を巻き込みはしたが、ヘイジの身柄については何とかなる」

 改めて、ハヤタはユージンの手回しに驚いた。政府直轄部門と伊豆圏警、国家機関同士の力関係を利用して、自分達に有利な

方向へ事態を流すというこの手法は、それなりに汚い事や非合法な真似もして裏の秩序を維持している俵一家から見ても、数段

上の立ち回りと言える。

「あとは、潜霧探索管理室側に庇いだてする根拠…つまりヘイジが今回の事件の主要な要素じゃねぇ、「何が起きるか知らずに

実行役になった」って事を納得させる材料さえ揃えれば…、悪ぃ親父殿。ちょっと電話な」

 端末を取ったユージンは、待っていた相手の名を表示で読み取り、応答して…。

 

「…今のところは以上だ。また後で連絡する」

 車が行き交うガード下…沼津のゲート最寄りの立体駐車場脇で、通話を終えた男は端末をポケットにしまう。

 暗がりに立っているので少し離れると姿は全く見えなくなるが、仕立ての良いダブルのスーツを着込んだ成人男性である。

(これで全ゲートの入出記録は全て当たった。やはりと言うべきか、件の狸と接触したという連中、及び襲撃した連中の物と思

しき入出記録はない。簡単に突き止められるとは思っていなかったが、それはそれで現時点では好都合だ。「各ゲートでも侵入

を把握できていないような真っ当ではない相手に騙された」という体裁が整えられる)

 男の背はさほど高くない。むしろズングリと幅があるシルエットのせいで、実際よりも短躯に見える。

(不正口座からの入金という、金のやり取りについて黒い部分が見つかったのも追い風だ。まともな依頼人でない事は客観的に

も一目瞭然…。楽で結構だが、弁護の甲斐が無いという意味では肩透かしを食らったな)

 暗がりにポッと光が生じ、銀のライターで火を点けた手元と、煙草を咥えた口元…獣人のマズルが一瞬だけ浮かび上がる。

(押収した襲撃者の作業機、及び死体の残りカスや遺留品からも、圏警は身元を特定できるような情報を得られなかった。自分

達が正体を掴めない者の素性を察しろと言うのがどれだけナンセンスか、あのドーベルマンオマワリも理解できるだろう)

 立体駐車場に入る車のヘッドライトが、カーブで向きを変えて通過する一瞬、男の姿を僅かに照らし出した。

 スーツ姿の恰幅の良い体型。縞々の太い尻尾。独特な隈取が浮いた顔…。

 男は獣人…アライグマの壮年だった。目つきが鋭く人相が悪く、貫禄と同時に近寄り難さを感じさせる。

(連中がどうやって大穴内に入ったか?それは今のところ問題ではない。管理室への報告含めて調査が喫緊の課題になる潜霧組

合には多少同情するが、差し当たって私やユージン君が突き止める役ではない。こんな時にこそ苦労すべき立場の者が苦労して

然るべき事柄だ。私がすべき事は、「件の狸が騙されたのも仕方がない」、「得体が知れない連中である」、という事を補強す

る材料を可能な限り掻き集める事…)

 アライグマは紫煙に目を細めて、ここまでに揃えた情報を整理する。

 結局の所、交渉や議論とは、根っこのところで原始的な殴り合いの喧嘩と変わらないというのが、このアライグマの持論。

 より強くより多く殴れれば有利。その殴る回数と威力は、つまるところ証拠と情報の数と精度。これらをより揃え、より効果

的に使い、相手側がろくに殴り返せないように叩き伏せる…、それが交渉である。

(だが、揃えられる手札はこの辺りが限度。粘ってもそれほど良い情報は出て来ないだろう。金融取引情報を早めに押さえられ

たのは良かったな)

 ヘイジの口座に報酬を振り込んだ相手は存在しなかった。使われた口座は取引後、情報自体が消えている。最初から無かった

ように、である。

 金融機関内の何者かが内部で処理したのではないかという嫌疑がかかり、圏警が調査中だが、逆さにひっくり返してもあの不

正口座の方面からはこれ以上何も出て来ないと、アライグマは経験から察していた。

(相手も相当なものだ。もしもこれが「正体を掴め」という依頼だったなら、どれだけの大仕事になっていたか…。差し当たっ

ては、ユージン君が期待する結末には持って行けそうだ)

 ユージンが望んだのは、ヘイジを罪人にしない決着。そのために依頼を受けたアライグマは、この時点で必要な情報を固めて

支度を整え終えた。

 圏警よりも潜霧探索管理室よりも早く。

(何より不気味なのは、連中が持ち込んだトランクでも、機械人形を呼び寄せられた事でも、正体が掴めない事でもない)

 鼻から煙草の煙を吹き出しながら、アライグマは顔を顰める。

(動機が不透明だ。おそらく機械人形が掃討される所までが予定に入っていたこの件…、首謀者側があまりにも「得していない」)

 失敗したから得していないのではない。人形相当までがシナリオの内だと、アライグマは見抜いている。

 では、この件には何をもって首謀者側にとっての成功となるのか?一体何を得られたというのか?

 事件を起こした側の狙いが見えてこない事が、アライグマにとっては何より不気味だった。

 

 

 

 そして、三日が過ぎた。

 俵一家の本部である館。メンバーしか立ち入れない作戦区域となっている二十畳の和室で、キジトラ猫は卓上にシート型ディ

スプレイを広げ、展開した大穴内の立体地図を順番に指さした。

「熱海の大将から指摘があったので確認しましたが…。あのひとが予想された通り、全てのトランクは、いつかの時点で何処か

の班と接触距離になる配置になっていました」

「巻き狩りの移動経路に重ねであった、ってが?」

「全班が遭遇する事態にならなかったのは、トランクをヘイジさんに預けた連中も、機械人形の出現時刻まではコントロールも

把握もできなかったからでしょう」

 ツキノワグマが唸る。言われてみれば、全てのトランクは、班と機械人形が遭遇した位置だけでなく、移動した後、あるいは

移動予定だった範囲に設置してある。

「巻き狩りのスケジュールは公表していました。参加していない潜霧士の計画にも支障が出ないよう、あえて告知するいつもの

手法です。ですから、避けようと思えば避けられた。なのに、実際はこうです」

「流石に、狙ったとしか思えん状況じゃ」

 ムラマツに頷き、トラマルは顎に拳を当てて考える。

「あえてこのタイミングを狙った…。俵一家の怨恨…という線も捨てきれませんが、それにしては…」

 黒豚とツキノワグマは顔を見合わせた。心当たりが多過ぎる、という表情である。

「我ら一家に恨みを抱く者、あるいは潰れる事で利益を得られる者は多く、動機からの特定は難しいでしょう。ですが、損害を

与える事を狙ったなら悪手です。ほぼ総出となっている巻き狩りでは対処する戦力が短時間で集まります。巻き狩りではない小

規模演習などを狙われた方がダメージはありました」

「まぁ、想定外だったのは確かだが、結果的に鎮圧が早がった。運が良がった…と言うべぎがども思ってだが…。総力結集され

んのも見越してだって考えだ方が良いべがなぁ?」

「腹立たしい。まるで見つけて欲しかったようじゃ。全体の戦力把握…って事か?そうなら納得もできる。つまり…、今回のは

「試し撃ち」だったのか…」

 ムラマツがブスッとした顔で呟く。どうにも面白くない、と…。

 

(こっちの動ぎも、想定さ入れ込まいでだどしたら…)

 窓際から土肥の町並みの賑やかな灯りを見下ろしながら、大猪は半眼になっていた。

 浴衣を着崩して身に付け、尻を斜めに畳につけて窓枠に肘をかけ、片膝立てて座るハヤタの手には、清酒の四号瓶が一本。酒

器も用意せず肴も無しに、ラッパ飲みしている。

 くつろぐ格好にも関わらず、その瞳には酔いが見られない。厳めしいながらも普段はどこか茫洋としている顔も、今は険しい

表情になっていた。

(一家の戦力ど、土肥の潜霧士の俊敏さを侮って鎮圧さいだ…。そいな単純な話だべが…?)

 一人、酒瓶を共に思考を巡らせる大猪は、得体のしれない居心地の悪さを感じていた。

 俵一家の戦力を舐めてかかった輩が相手ならば、それなりに容易い。

 しかし、あれだけの真似をしでかす行動力と技術力を持つ連中が、こちらの戦力を見誤るようなお粗末な集団とは思い難い。

 全て把握し、入念に計算し、「後始末」まで俵一家と傘下に押し付けるつもりで計画されていたのだとしたら…。

(連中は「失敗してねぇ」。何ぞ、裏の思惑がチラついでるような気がすんな…)

 損得が判り難いこの件、やりあう相手の姿がどうにも見えて来ないのは、尻の据わりが悪すぎる。

 

「「あの男」はお仲間や部下共に言うたな。今回の実験は、俵一家主導の巻き狩りを狙って仕掛けると…」

 倉庫を思わせる、作業台や潜霧用の装備、武器類が雑多に置かれたその空間で、オレンジ色の薄暗いランプを囲み男達が座っ

ている。

 テーブルもパイプ椅子も傷んだ布張りソファーなども、廃屋などから失敬でもしてきたようなボロである。作業用の台なども、

随分と使い込まれて老朽化していた。

 換気扇は回っているが、音が殆どしない。そもそも室内の音が外へ漏れないように設計されており、隠れ家としてはもってこ

いだった。

 狼とともにここに潜み、組織の保護下に入っている子分達は、今回の事件を歓迎していた。「ちょっとした悪戯」に目くじら

を立てて、庇うどころか自分達を圏警に突き出したと、俵一家や傘下、土肥周辺の各組を憎んでいるので、騒動に巻き込まれて

良い気味だと思っている。

 そんな子分達の視線を浴びている狼は、「しかしや、本心は判らへん」と軽く首を振る。

「何でです?時期を被せたのは間違いないんでしょう?なら、実験ついでに、あわよくば土肥一帯の力を削ぐのが目的っていう

話は本当なんでしょう」

「そこや」

 猿の言葉に狼が鋭く応じた。

「機械人形をぶつければ、被害はでかい。生半可な潜霧士はまともに戦う事もできひんわ」

『ですよねぇ』

 猿を含む、狼の子分達が口を揃える。機械人形の恐ろしさは全員がよく知っていた。だが…。

「だから判らへん。あの男の「本心」がや。俵一家がおらんタイミングで仕掛ければ、有象無象が何十人も殺されたはずや」

『あ』

 確かに俵一家にぶつけるタイミングではあったが、結果的に言えば彼らのおかげで鎮圧がスピーディーに進んだ。熱海の大親

分まで出て来たのは想定外だったとしても、土肥ゲート周辺の連中のフットワークを考えれば、龍面を被るあの男が組織の仲間

達へ語った通り、「実験ついでに損害を与える事」が目的だったなら、計画に不備があった上に片手落ちという事になる。

「…「本心」が、判らんわ…」

 狼は目を鋭く細める。つくづく、気味が悪い男だ、と…。

 

 一方その頃、土肥の居酒屋…そこそこ賑わうチェーン店で、

「おう、ここだ」

 金の巨熊が、店内端のボックス席で手を上げた。

 喧騒が満たす通路を歩いてきた人相の悪い中年太りのアライグマは、四人掛けのテーブル席へ、ユージンと向き合う格好で腰

を下ろす。

「手間ぁかけたなマミさん」

「何の」

 ユージンの言葉に短く応じ、店員からおしぼりを受け取って生ビールの大ジョッキを注文したアライグマは、やおら右手を軽

く上げる。

 パチンッ…、と鳴らされた指。しかしその音は向き合って座るユージン以外には届かず、同時に店内の喧騒が壁を隔てたよう

に遠くなった。

「とりあえず二層張ったが、不足かな?」

「いいや充分だぜ。観察はしておいたが、聞き耳を立てとるモンも居ねぇ。席もワシが選んだし、「よからぬ機械」が出す妙な

ノイズの類も感じねぇ」

 ユージンは半分残っているジョッキのビールをガブリと飲み干し、アライグマが差し出した小指の爪程もないチップ…携帯端

末用の記録媒体を見遣る。

「潜霧探索管理室の動向についてはそっちが直接カズマ君から聞いているだろう。口座の金の流れ、現時点での圏警の動き、件

の少年の病状と治療経歴諸々、一纏めにしておいた。渡しておこう」

「助かる。…しかし、「こっちの方」は思惑通りに片付きそうだが、根っこの方がどうにも薄気味悪ぃぜ」

「おまたせしました」

 店員が近付いたその時だけ喧騒が戻る。

 ジョッキをアライグマが受け取り、ユージンが追加を頼んで、店員が再び遠ざかるなり、騒がしさがまたも遠のく。同様に、

ふたりの会話もまた外へは零れない。

「仕込んだ連中の素性は目星すらつかないが…、目的が何だったのか、君になら判るかね?」

 アライグマの問いに、金熊は「そうさな…」と半眼になった。

「確実なのは、目的が一つじゃねぇって事だ」

「ほう。聞かせてくれるかね?」

 ビールを一口喉に流し込んだアライグマに、ユージンは人差し指を立てて見せた。

「一つ、こいつは実験だ。連中にとっても機械人形を呼ぶトランクの仕掛けが上手く働くかどうかは、確実じゃあなかった。規

模がどの程度になるのかも含めてな」

「根拠は?」

「トランクの数が多過ぎる。あれは、適した場所やら何やら、上手く行く条件を探る目的もあったんだろう。理屈の上では完璧

でも外界と大穴の中じゃ環境が違い過ぎる。だから現地で、いろんな条件で、数多く試す必要があった」

「「規模がどの程度になるか」についても確信が持てなかった、と言ったな?それは…」

「簡単な事だ。どの程度の数の機械人形が上がって来るかが、仕組んだ連中にも読めなかった。信号が届く範囲の地下に、どの

程度の密度でひしめいとるのか、その時点に地下を覗きでもしなけりゃ判らん。逆に…」

 グビッとビールの残り一気にあおったユージンは、プハーッと大きく息をついた。

「一ヵ所だけトランクを置いたとして、その真下にスクネが潜っとったなら、それだけで計画が狂う。そこからは一体も地上に

出て来れねぇからな」

「人形と遭遇した直後に、逃げた先で彼とも出くわした地質調査隊は、本当に運が良かったな」

 アライグマがクックッと低く笑い、ユージンは肩を竦める。

「そんな訳でいくつもトランクを設置する必要があったが、それら全部が予想以上に働いて、想定外の規模になる可能性につい

て考慮した所で…俵一家が「安全装置」だ。こっちが二つ目と兼ね合いになってるぜ」

 ユージンは人差し指に続いて中指を立てた。

「目的の二つ目は、俵一家と土肥の戦力諸々確認。俵一家が大規模巻き狩り予定…、ここにぶつけりゃあ、俵一家と、協力しと

る傘下、頭数がだいぶ揃った状況から事が始まる。第一の目的が人形を呼べるかどうか効果の程を確認する所だとしたら、収拾

がつかねぇ程の効果があっても困る。だが、この条件下なら最悪の事態は回避できる上に、土肥ゲート近辺の潜霧士の動きのス

ピードも計れるって寸法だ」

「その、「収拾がつかないほどの事態」になる事自体を目論んでいたという線は消えるな。そうだったなら、もっと手薄な所を

狙って実験する。俵一家という蓋を用意する必要など無い訳だ」

「その通りだ。何にしても、巻き狩りを上手く利用された格好だな。ちょこちょこ実験してちゃあ足がつくし、警戒もされる。

だから一回で大規模に試して、一気にデータを集める必要があった。欠点の洗い出しや改良点の見定めも含めてな」

 お代わりのビールとトントロの塩焼きが届いて、一度話を中断したユージンは、

「相変わらず、頭の回転に恐れ入る。圏警辺りが聞いていたら、事情に詳し過ぎて首謀者の関係者かと疑うところだろう」

 というアライグマの言葉で思わず苦笑い。

「もっと疑われそうな話を続けるが、目的の三つ目は「立ち入り制限区域の変動」だ」

「制限区域の?…なるほど、これだけの事が起きたら見直しもかかるだろう」

「ああ。組合は新たな線引きの策定で忙しくなるだろうぜ。同時に、注意する目もそこに行きがちで、他所への警戒は薄くなる」

「…他の場所で同じ事をされる可能性もある、か…」

「警戒に越した事はねぇな。とはいえ、「再現可能」って点もタチが悪ぃ」

「………」

 アライグマが黙る。公表されていないが、回収されたトランクをいち早く分解して調べたデータは、俵一家とユージン、潜霧

管理室が共有していた。証拠品を押収した圏警も同じ結論に至っているだろう。

 トランクを押さえられたらこの仕組みが解明される事を、仕掛けた側は判っていたはずである。問題は、どうして大穴の中で

ありながら、電波が通りそうもない距離から機械人形をおびき寄せる事ができたのかという点だが…。

「信号を、霧の中を通さねぇで届けりゃいい」

「大穴の中で?霧を通さずに?どんなナゾナゾ…」

 ジョーク的な言い回しだと勘違いしかけたアライグマは、「本当にそうなのか!?」と目を見開く。

 ユージンは気付いていた。トランクが置かれた場所、その機能を発揮できる条件に。

「空間に満ちた霧の中、信号を遠距離まで飛ばす…、そんな機能はトランクについてねぇ。置き場所がキモだ。今回のトランク

設置場所は、どこも地下を通るケーブルトンネルや、それに類する配管なんかが切れてねぇ位置だった。つまり…、ある意味「

地下深くまで有線で信号を送りつける」って手段で機械人形共を呼び込んだのさ。落ち着いた頃を見計らってカズマちゃんにも

言うつもりだが…、おそらくこの予想は当たってる」

 廃墟の中でも、大隆起前のネットワーク構造体が切断されていない物件。かつ設置すればダイレクトに地下深くまで信号が届

けられるポイント。それがトランクの効果が発揮される条件。これは、材料を揃えて条件を満たす場所を見つければ、いつでも

再現できる。

「ここまで犯行声明も要求も無しだ。意思表示なしのテロなんぞ笑えない。…何をしたいんだろうな…」

 そんなアライグマの呟きに、

(むしろ、何を「させてぇ」のか…)

 ユージンは半眼になって思う。トランクを回収して調べればタネがバレる。模倣や再現を恐れないどころか、これはまるで…

(技術提供みてぇじゃねぇか。ええ?)

「そのチップにも記録してある事だが…。圏警の「協力者」から確認した話だ。トランクの中身に使われていた機械人形の製造

シリアルは、どれも回収記録が残っていないらしい。つまりゲートも組合も通過していない」

 アライグマはワイロで抱き込んでいる圏警の職員から入手した情報を告げる。

「だろうな。ゲートを通らずに大穴に入りヘイジに依頼した連中だ。アシがつかねぇように「自力で材料調達」したんだろうよ」

「そこまでの事ができる連中と、それだけの事を思い付ける連中に、何か心当たりは?」

「ん~…」

 ユージンは眉間に皺を寄せて唸る。

「そこなんだがなぁ問題は…。可能かどうかって点や、動機の面から考えても、一向に思い浮かばねぇ…。これだけの真似を実

際にしでかされてんのに、だ」

 育ての親である老人を筆頭に、幾人か、こんな事ができそうな故人の潜霧士が思い浮かんだが、彼らが生きていてもこんな事

をする理由はない。

 ただものではないという確信だけはあるが、しかし素性は全く思い至らない。

「ま、気が滅入る話はこの辺りにして…。遠慮しねぇで何でも頼んでくれよマミさん」

「どうせ奢られるなら焼き肉が良かったが」

「そいつはまぁ…」

 金熊はニヤリと頬を緩める。

「また今度、片付いた後に改めてな。焼肉って聞いたら黙ってねぇ育ち盛りが、ちぃとやかましいだろうし…」

「事務所に雇用した女将の養子か」

「ああ。それに、やっこさんと違ってねだる真似をしねぇが、焼肉ならタケミも喜ぶ」

「賑やかになりそうで結構だ」

 トントロを摘んで口に放り込み、アライグマは応じた。

 

 アライグマと別れ、タケミ達が待つ宿へ戻るタクシーを拾うために歩きながら、ユージンは考える。

 先程は三つの理由を提示したが、あえて言及しなかった事も他にあった。

(振るい落とし…。「淘汰」って理由もあるかもしれねぇな)

 機械人形と相対できる潜霧士はベテラン以上、腕利きに限られる。

 トランクで機械人形をおびき寄せてぶつけられれば、おのずと、地下へ赴けない潜霧士は淘汰される。

 加えて言うなら、相手の真意は別として「もしも自分があのトランクを扱うなら何を目的にするか?」という観点から、ユー

ジンは思う所があった。

(あれを再現して機械人形を地表におびき寄せれば、地下が手薄になる。ジオフロントにダイブし易くなるぜ。魅力的じゃねぇ

か、ええ?)

 金熊は口の端を吊り上げ、笑みを浮かべた。今にも獲物に食いつかんとしている猛獣のような、獰猛で凶悪な笑みである。

(そんな案は却下だ。絶対に認めねぇぜ。ええ?)

 無論それは、地下の地獄を地上に呼び出す行為になる。等級が低い潜霧士達がどれほど犠牲になるか判ったものではない。こ

れを他者が思い付く事もあるだろうと考えたユージンは、技術と手法が流出した時に備えて明確に禁止させるよう、カズマに話

を通しておく事を決めた。

(どんな輩だ?この絵を描いたのは…)

 得体が知れない相手だが、容易い相手でない事は確か。金熊は不機嫌そうな半眼で夜の闇を睨んでいた。

 

 

 

 そして、さらに二日後…。

「車椅子押して貰うのて、何や申し訳ない気分なんやなぁ…」

 この申し訳なさと不自由さを、あの子はずっと味わってきたのだなと、呟いた狸は噛み締めた。

 治療が一通り済み、集中治療室から出されたヘイジは、病室を移るでもなく車いすに乗せられ、そのまま病院から車へ移動さ

れた。そして俵一家の本部へと連れて来られている。

 骨折が完治していない右腕は三角巾で首から吊られ、まだ自力で歩行する事もできない狸の車いすを押し、介添えするのはキ

ジトラ猫。潜霧の際に身に付ける作務衣様式の装甲付き戦闘服姿で、腰には赤鞘の長ドスを帯びている。そして車の運転手も、

脇を固めるのも、俵一家の精鋭達。

 物々しい警戒態勢のまま、ヘイジは大親分の執務室である大広間まで連れてゆかれ…。

「では」

 道中殆ど口を開かなかったトラマルは、車いすから手を離し、一礼して踵を返した。

 車いすに座ったまま残されたヘイジは、自分に背を向けて立つ、大きな後ろ姿を見つめる。

 トラマル達とは違い、大猪は浴衣姿だった。が、その左手は朱色の長ドスを掴んでいる。

(まぁ、そらそうや…)

 ヘイジは耳を倒し、申し訳なさそうな、しかし穏やかにも見える笑みを浮かべる。

 大猪が振り返る。その静かな目が狸の顔を映した。

(これほどの事をしでかした…。迷惑もかけ通しで、どれだけ一家が損害被った事か…。界隈に示しをつけるためにも、ケジメ

は必要や)

 誰の目にも止まらず、顧みられる事もなく、六等星のような人生を送るはずだった。若頭の目に留まり、俵一家に加えられ、

一時とはいえ第一部隊に名を連ねた。感謝はあっても後悔はなく、むしろ至らず迷惑をかけた事を申し訳なく思う。

 そう。後悔はない。

 タツロウ少年が白神山地へ移送された事、症状が改善される見込みである事、潜霧探索管理室によって今後の生活と安全が保

障される事…、全てユージンから聞かされた。思い残す事は無い。

 ハヤタがドスの柄に手をかける。太い親指が鯉口を切る。

(…いや、心残りは…あったわ…)

 欲を言えば、タツロウが自分の脚で立ち上がった所を見てみたかった。もう安心だとこの目で確かめたかった。

 シュラリと、鞘擦れの音を立てて刃が走り、刃の光がヘイジの眼鏡を染めて…。

「………」

 刃を水平に寝せ、ピタリと止めたハヤタの顔を、ヘイジが見上げる。

「大親分…?」

 抜かれた長ドスは、よく見ればハヤタのドスではない。大猪の体に合わせた寸法になっている物と比べれば随分短く、刀身は

取り回しを重視した一尺八寸。

 刃がよく見えるようヘイジの目に晒しながら、ハヤタは言う。

「切っ先が欠げでだがら少し擦り上げさせだ。が、柄も鞘もそのまんまだ」

 狸の目が大きくなる。言われて初めて気が付いた。柄の浅い傷、鞘の擦れ痕、見覚えのあるそれは…。

「まさか…、ワイがお返しした…!?」

 かつて帯刀を許され、一家を抜ける際に返上した、十年前に手放した愛刀がそこにあった。

 トンと微かな音を立て、ドスを鞘に納めたハヤタは、それをクルリと回して差し出す。

「…斬らへんのですか!?」

 ヘイジの言葉に、ハヤタは軽く、ゆっくり、首を横に振った。

「もう身内でねぇオメェを、今回の件で一家が処断する権限はねぇ」

 ドスを握った拳を軽く狸の首元に押し付け、大猪は囁いた。

「達者でな」

「!!!」

 まじまじとハヤタの顔を窺うヘイジの目が、涙で曇った。

 少し寂しそうな笑みを浮かべる猪の顔が、滲んで見えなくなった。

 これだけの事をしてなお、この期に及んでなお、内外に示しをつける事を選ばず、自分を見逃した。拾われた恩に報いるどこ

ろか、大した働きもできず、迷惑ばかりかけた自分を、それでも…。

 応じる言葉が出て来ない。感謝の言葉すら烏滸がましく、狸はただ、俯いて肩を震わせる。

 長ドスの鞘を左手で掴む。そうしてやっと出てきた言葉は…。

「お世話に…なりました…!」

 

「今日あたりには、保護者の方から連絡くるかもって聞いてる」

 車いすを押して歩きながら、猪が口を開く。

 研究所の敷地内、境界を接している農園添いの舗装路は、車いすでの散歩も快適で、そそぐ日差しも心地良い。今日の白神山

地は風もなく、絶好の散歩日和。

 こちらへ移送されたタツロウは、治療中であり経過観察中だが、目に見えて調子が良くなっている。

「忙しいなら、無理しなくても大丈夫なんですけど…」

 答える声は車いすの上から。呼吸を補助する機械類が必要なくなった少年は、発声がしっかりしていた。

 黒いままだった右目は、薄青い左目と色が揃いつつある。顔の表面には産毛が目立ち始め、日が当たる角度によっては霜が降

りたように光って見える。目に見えない所でも機能不全が解消されつつあり、肌や唇の血色も良い。起きていられる時間も長く

なり、左半身は部分的に感覚を取り戻している。

 適正が無かったはずのタツロウの体に起きた変化については、「そもそもの獣化適性の検査結果に誤りがあった」という事に

された。テスターの精度は今現在でも改良が繰り返されており、かつては判定結果が確実性を大きく欠いていたため、ありえな

い話ではない。また、過ごしていた病院の方でもそれで話を通す事にしたので、第三者の調べが入っても真実に辿り着かれる心

配もない。

 施術からたった数日で、タツロウの体は獣化が進行し始めた。このペースならば一ヶ月程度で完全に獣化するだろうというの

が研究所の見立て。

 とはいえ、ずっと動けなかった少年はまだまだ手助けが要り、筋力と運動機能を取り戻すためにリハビリも必要。歩き回れる

ようになるまでの身の回りの世話と話し相手は、日中はタイキが担当する事になった。

 メディカルルームに入りっぱなしでは息が詰まるだろうし、気分転換のためにと、散歩に連れ出したタイキは「向こうも声が

聞きたいと思うぞ?」と笑いかける。

「落ち着いたら会いに来るだろうけど、それはそれとして声は聞きたいだろ?元気出るもんだよ、声を聞くのって」

「それは、まぁ…。そうかもです…!」

 これまでの自分を振り返って笑い返したタツロウと、大きく頷いているタイキを、研究所の地上部分…だいぶファンシーな外

見になっている「農業研究所」のテラスから、テーブルに頬杖をつく白衣のレッサーパンダが眺めている。

「はい、差し入れですよ」

 穏やかな声と共に視界の脇で大きな胸がユサッと揺れて、視線を動かしたナミの目に大柄で豊満な体型のホルスタイン婦人が

映った。

「ありがとうございます。…白桃ジュース?」

「新作。自信作なんですよ」

「頂きます」

 グラスを取り、ストローを咥えたレッサーパンダの頬が僅かに上がり、縞々の尻尾が揺れた。

「子供達、興味津々みたいですよ?転校生か、って」

「義務教育課程はネットコースで修了してますけど、高校の単位は無いので、来年度から一年生として入学する事になりますよ。

年下の後輩っていう存在で、田舎っ子達がロジックエラーを起こさなきゃ良いんですけどね」

「という事は、本人は高校進学を希望しているんですね?」

「はい。本人も、保護者も、あと監視義務が発生したタネジマ室長も。まっとうな進路に乗って貰わないと観察が大変になるか

らって。風来坊のヒッチハイカーにでもなられたら困るそうで」

「あらあら、それはそれは」

 穏やかに微笑むホルスタイン婦人。表向きは果物部門の責任者であり、地元果樹園の経営者であり、近年評判になったワイナ

リーのトップでもある婦人は、かつては大穴内の生態系について研究していた潜霧資格持ち。「上」の管理者として部外者に施

設を怪しまれないよう振舞う、いわばゲートキーパーかつ広報担当の役割を持つ。「下」で行なわれているこの研究所本来の事

業には直接関わってはいないものの、内容については情報共有されていた。

「…秋田犬ですかねぇ?」

 タツロウを眺めながら呟いた婦人を、ナミは「キモっ。何で判るんだし」と仰ぎ見る。

「毛色が何となくそれっぽいなっていう、勘です。…当たってたんです?」

「これだから元二等潜霧士は…。勘で真実に到達するからたちが悪いですよね」

 これからのタツロウは、潜霧探索管理室が用意する住まいで、経過観察されながら過ごす事になる。常時監視がついており、

研究所での定期身体検査を受ける義務もあるが、生活の自由度はそれなりに高い。保護者との面会も制限されず、望めば他県へ

移動する事もできる。これは少年の自由な人生をユージンが強く要望した結果だった。

 タツロウはこの白神山地で第二の人生を始める。そして、その保護者であるヘイジは…。

 

「…以上が、これから君に課せられる制約だ」

 まるで警察の取調室のような密室で、車いすに乗った狸は、机を挟んで向き合うアライグマの言葉を聞いていた。

 立ち合うのは潜霧探索管理室の職員…カズマの部下である黒服の一人。サングラスで視線を隠した男が壁際に控えた三人だけ

の部屋で、ヘイジは今後の扱いについて説明を受けた。

 結論から言えば、ヘイジは罪に問われなかった。

 事情を知らずに事件の片棒を担がされたという弁護を、圏警は当然突っぱねようとしたが…。

「では事が起こったのは圏警の落ち度とも言えるのでは?」

 と、アライグマは理屈をこねた。

「前代未聞の機械人形誘引による事件の勃発…。これを一介の潜霧士に予想できて、天下の圏警が予想できないのは理屈に合わ

ない。予期できていて然るべき事件に対して事前に何の警告もせず手も打っていないのは落ち度と言わずして何と言うのかな?」

 要するに…、一潜霧士が予想できていたならお前らもできて当たり前だろう?すると何か?可能性を承知の上で放置していた

のか?とアライグマはふっかけたのである。

 容易に予想できたはずという圏警の前提を、じゃあそっちはどうなのだ?と同じ土俵に引き込んで、糾弾を許さない。そうし

て泥仕合に引き込んで、結局は「誰であっても予想は困難だった」という結論までズルズルと引き摺って行く手法により、アラ

イグマはヘイジの無罪放免を勝ち取った。

 加えて、潜霧探索管理室もヘイジを重要参考人指名し、行動の監視を決定した上で、室長のカズマが、

「いやぁ、あんな真似ができるとは「予想もしていませんでした」。公的な管理部署としてお恥ずかしい限りです」

 と公言したので、圏警の面目もある程度保たれている。

 とはいえ、完全にお咎めなし、条件なし、とは行かない。ヘイジは既に厳重に秘匿されるべき情報に触れた。潜霧探索管理室

の重要参考人指名は無期限で、定期的な面談による所在確認と、情報秘匿の厳守及び違反罰則が義務付けられる。

 そして、身柄自体がある人物に預けられる…つまり身元引受人に面倒を見て貰う事になるのだが…。

「どないな御人でっしゃろ?ワイの身元引受人になんかなってもうたら、どないな誹謗中傷嫌がらせがあるか判らへんのに」

 溜息をつくヘイジ。自分がしでかした事は多くの者に迷惑をかけた。当事者達に良く思われないのは当然として、外野も黙っ

てはいないだろう。

「叩きたいモンは、ぎょうさん居るで…。何せ正当な批難や…」

「そうだな。責める正当な理由…口実で批難できるとなれば、食いつく連中はゴマンと居る」

 アライグマは頷き、「性善説というのは、まぁ上手い事を言った物だ」と鼻で嗤った。

「人は基本的に善い事をしたがる生き物だ。「善い行ないは気持ち良い」…人はそう感じる物だ。普段正しくない連中はなおの

事、な。だから正義の側に立ちたがる。そして正義に酔い痴れて、かくあるべしと悪を叩く。自分達は正しいという幻想を免罪

符に、自己肯定感マシマシでな。慈悲なく、加減なく、惨たらしく殺す事にかけては、正義のにわか信者になった一般市民の前

では、どんな蛮族や軍隊も素人同然だ」

 その目はどこまでも冷たく、その言葉は何処までも鋭い。場数を踏んできたヘイジですら、この男は本当にカタギなのか?と

疑わしくなるほど。

「十年前の大規模流出でもそうだった」

 ピクリと、ヘイジの耳が震えた。

「霧が漏れ出した近辺の、工事を請け負った業者や、下水道を管理していた自治体、あるいは当てずっぽうに選ばれた誰かが、

罪を着せたがり断罪したがる「正義の味方」の格好の餌食になった。第三者が「我々にも暴行させろ」とネット上で殺到する様

は、糞に群がる銀蠅を髣髴とさせたよ」

 力も感情も込められない淡々としたアライグマの声が、その怜悧さを強調する。

「もっとも、今回は「真実」の強度が高い。十分な強度だ。それに君の身元引受人は肉も面の皮も厚い。心配などしなくていい」

「真実…?」

 ヘイジが呟く。「真実て…、ワイが迷惑をかけた事は確かやし…」と。しかし…。

「何が真実か?そんなもの決まっている。「得する方」が真実だ」

 アライグマは鼻で笑い飛ばした。嫌な笑い方をする人だなぁと思いながらも、それを頼もしいともヘイジは感じる。

「何も知らずに片棒を担がされた被害者…君の立場はそれ以上でも以下でもない。糾弾されるべきはあんな事を思いついてやら

せた連中だ。そこに声が届かないから代わりに君を責めよう、…などという徹底されていない正義などに耳を貸す必要はない。

もっとも、当日の騒動で損害を被ったという連中からの賠償要求があれば、私に預けられた仕事なので「真摯に」対応するがね」

 さて、とアライグマはテーブルの上で指を噛ませ、両手を組んだ。

「私からの説明はここまでだ。君の身元引受人に引き合わせよう」

 アライグマが視線を送ると、壁際に立っていた黒服が頷き、ドアを開ける。入って来たのは…。

「…へ?」

 ヘイジの目が丸くなった。現れた身元引受人はよく知った顔で…。

「熱海の大将…」

「おう」

 金熊は軽く片手を上げる。狸は困惑と驚きで何度も瞬きしながらアライグマに視線を送り、説明を求めた。

「君は今後、そこの神代勇仁氏の管理下に置かれる。氏が君の監視役であり身元引受人という訳だ」

「監視役て、政府関係者やないんです?」

 思わず聞き返したヘイジは、ハッとして口を噤む。

 他の三名は何も言わない。政府関係者に代わって監視役になれるユージンの立場…、おそらくはそれすらも「秘匿情報」なの

だと察して。

「親父殿からも頼まれてる。これからよろしく頼むぜ。ええ?」

 質問には答えず、ニヤリと太い笑みを浮かべたユージンに、どんな顔をして良いか判らないヘイジが困惑気味に頷き、次いで

アライグマに目を向けた。

 この超法規的措置とも言える状態まで持ち込んだ立役者、この男は何者なのか?と改めて疑問を覚え…。

「む?そういえば、まだ名乗っていなかったか」

 アライグマはスーツの胸元に手を入れ、本革の名刺入れを取り出すと、スッと、白地に文字だけが記されたシンプルな名刺を

机に置く。

「磐梯真実也(ばんだいまみや)。神代潜霧捜索所の税金対策や厄介事相談を引き受けている、悪徳「法律屋」さ」

 ヘイジは目を見開いた。

 知っている。知っていた。十年前の大規模流出で、各方面に喧嘩をふっかけて回るように代理で訴訟を請け負って、被害者の

補償を勝ち取って回った男の名を知っていた。

 暴虐には悪逆を。負けを知らず、辣腕で知られた法律「屋」は、人間だったと記憶していたが、どうやら本人もその後因子汚

染を受けて獣化したらしい。

「あの…」

 ヘイジはマミヤにおずおずと告げた。

「ワイの養うてる子も、先生のおかげで保証金受け取れましたわ…。おおきに」

「礼は不要だ。聞き飽きている」

 憎まれ口を叩く悪人面のアライグマを、しかしヘイジは好感をもって眺めていた。

 

 一方その頃、今日付けで先に熱海へ帰される事になり、宿で荷造りしていた少年達は…。

「贈り物?ムラマツお兄さんから?オレにっス?」

 送りの車へ案内するために訪ねて来たキジトラ猫から桐箱を差し出され、アルが自分の顔を指さして瞬きする。

「はい。どうぞお納めください」

 アルが受け取った箱はずっしり重い。「お菓子とかじゃないっスね、これ…?」と呟くアル。脇から見ているタケミは、桐箱

にあの鍛冶の店の焼き印が押してある事に気付いた。

 蓋を開けてみたアルは、内側が高級酒でも収納するように布張りの緩衝材になっていた箱に入っている物を見て、パチパチと

瞬きする。

「ワッツ?ナイフ?」

 それは、白木造りの匕首のような刃物だった。しかし外観は匕首仕様でも、鞘の内に収められた刀身は違う。ドスなどのそれ

とは異なり、木の葉のように両側から先端にかけて細くなる片刃の小刀で、刃渡り15センチほどの刀身は程々の厚みを持つ。

「はい。潜霧作業に便利な山刀です」

 当初黒豚は、小太刀なり何なりサブウェポンとして使える「武器としての刃物」を贈ろうかと考えていた。が、ジュウゾウと

相談している内に、巨大なだんびらを両手で振り回すアルに、細身の刀剣を持たせても、荷物になるばかりで役立たないかもし

れないと思い直した。

 そして、河馬に提案して貰った中から選んだ、「実用ツール」としての刃物がこれ。耐久性重視で切れ味充分、長く使える一

品…。それが、ムラマツが決めた贈り物。

「摩耗にも腐食にも強く、粘りもある素材ですので、雑に使っても大丈夫との事です。何と言っても、記念になる品だと言って

いましたね」

「記念?何のっスか?」

 訊ねたアルに、トラマルは目を細めて笑いかけた。

「アル君とムラマツさんで仕留めた、機械人形の胸部フレーム材から削り出された刀身だそうですよ。機械人形討伐…、潜霧士

の誰もが経験できる事ではありませんから」

「え!」

 アルは目を丸くして山刀を見つめた。機械人形の特別強靭な、主要部を保護する上質なフレーム材から、端材や粉末が大量に

出る事も厭わず、惜しげもなく一本削り出された鈍色の刃…。形状を整えて研ぎ師が仕上げた、この世に一つのオーダーメイド

品。素朴な造りの柄すらも、アルの手の大きさを考慮し、握り易いようやや長めに仕立ててある。

「で…、でへ~っ!ムラマツお兄さん、何で直接渡してくれないんスかね!?」

 嬉しそうに笑いながら聞いたアルに、「照れ臭かったんでしょうね」と、ムラマツが聞いたら怒りそうなほどスッパリ答える

トラマル。

「それとは別に理由も…。俵一家は習慣的に、お礼などには実用的な刃物を贈るんですが、「縁が切れる」として刃物を贈られ

る事を忌む風習も一部にはあります。ですから、我々は刃物などを贈答する時、本人が直接渡すのではなく、間に仲介人を挟む

んですよ」

「そ、そうなんスか…!ジャパニーズ・エンギとかサホー・ルールって、引っかけるために存在してるんじゃないかっていうぐ

らい多くないっス?多いっスよ。多いがち」

「ええまぁそれは…、どうしてなんでしょうね?謎しきたりとかやたら多いですが…」

 とにかく、とトラマルは気を取り直してにこやかに微笑む。

「タケミ君にも、ジュウゾウ君から伝言を預かっています」

「ジュウゾウさんから!?」

 食いついた少年に、「はい」とニコニコしながら頷くキジトラ猫。

「「またおいでの折にはご連絡を」と…。再会できるのを楽しみにしているようです。ジュウゾウ君は歳の近い知り合いが少な

いので、今度はお店と言わず、何処かに遊びにでも連れだして頂ければ」

 何せ仕事一筋なので、若人らしい青春の楽しみ方をしていないのだと、キジトラ猫は訴える。

「は、はい…!じゃあ、あの…、次は…!」

「じゃあその時はオレも、ムラマツお兄さんに会いに来るっスよ!」

 などと言っている少年達は、

(やっぱりアル君、お兄さんが好きなんだよね)

(やっぱりタケミ、年上が好きなんスよね)

 何やら似たような事を考えていた。