第二十五話 「それもまた平凡な日々」

 今日も賑やかな酒場の一角でテーブルを囲む四人に、オーナーである虎の婦人がノシノシと歩み寄る。

「はいよ、サイコロステーキ四人前と温野菜盛り、ハッシュドポテトと豚の角煮、鮭茶漬け御新香セットお待ち!」

 赤味を帯びる金色の巨体が見事な熊に、酒場の女主人であるダリアは「今日から新入りも一緒だね?」と、野暮ったい眼鏡を

かけた狸に目を向けながら問う。

 新メンバーを加えた神代潜霧捜索所の初ダイブはアクシデントもなく終わり、収集物の成果も上々だった。生存報告を兼ねる

潜霧後の打ち上げは恒例だが、今日はヘイジの顔見せでもある。

「おう。相楽平治、ウチのキャリアーだ」

 ユージンの発言を引き取る格好で「ヘイジです。よろしゅうマダム!」と眼鏡狸が応じる。「女将」と呼ぶより「マダム」と

呼んだ方が喜ぶと養子であるアルからアドバイスを貰っていたので、掴みはバッチリである。

「あいよ、ウチの息子共々よろしくね」

 雌虎が、知らない者が見たら噛み付かれそうに感じる笑みをニィッと見せると、聞いていたシロクマが嬉しそうに「えへ~!」

と顔を緩ませる。

(このひとが歴代十名しかおらへん一等星の一人…、ダリア・グラハルトはんか。引退してしばし経っとるはずやけど…)

 ヘイジは流石に一等潜霧士であるダリアの事を知っているが、今日まで面識はなかった。ダリアが現役だったのは二十年ほど

前なので、自分が潜霧士となる前の時代の人物である。が…。

(身のこなしが染み付いとるんやろなぁ)

 ゆったりとした足取り、豊満な体を揺らす歩調、それらが特徴的な名残をまだ留めている事にヘイジは気付いている。大股で

ありながら接地時間が長い歩き方は、何かがあった瞬間、即座に地を蹴るための物。一見すると揺れて見える体は、接地する脚

の方へ間を置かずに重心を乗せ換え続け、適度な分散を呼吸するレベルでこなしているが故の物。狸から見れば、食事を運んで

くる雌虎の歩みは、獲物に近付く狩人のそれだった。

 一方、ダリアもまたヘイジの事は知っている。

(ゲンジから聞いてた、家を出てったっていう、歳が離れた弟か…)

 古馴染みである工房長のゲンジから、縁を切った弟が居る事は数回だけ聞いていた。それが土肥へ流れて行った事も、十年前

に俵一家から離れた事も知っている。

(…兄貴とあんまり似てないねぇ)

 ゲンジは職人気質で表情が乏しく不愛想。しかしヘイジは表情豊かで愛想が良く明るい。背格好や顔立ちは多少似ているが、

受ける印象がかなり違う。

「で、どうだったんだい?新面子での最初の潜霧は」

 牛サイコロステーキが乗る、ずっしりした鉄の大皿をテーブル中央に置くダリア。前屈みになった雌虎のタユンッと揺れる豊

満なバストが顔のすぐ傍に来たヘイジは、

(婦人とええ勝負のド級バストやで…)

 タツロウの面倒を見て貰っている、隣家の未亡人であり研究所上層の責任者であるホルスタインの胸と脳内で比較する。なお、

ヘイジに女性の趣味はないので、比較には性的興味がまったく含まれていない。

「ん…。どうだった、ええ?」

 問われたユージンは、ビールの大ジョッキ片手に少年達に目を向け、泡だらけの口を開いた。

「え?えっと…、快適でした」

 突然振られて一瞬動揺したタケミが、運搬役であり移動拠点でもある自社専属キャリアーを伴う初のダイブについて、率直な

感想を述べる。

「新鮮っスよ!あとタノシイ?オモシロイ?ユカイ?とにかく何かイイっス!イイがち!」

 語彙もそうだが表現も怪しいシロクマ。しかし言いたい事は何となく伝わって、養母は「そりゃあ結構だね」と頷いた。

「採用者にお祝いだ、新入り繋がりで一本サービスするから、この中から好きなの選んどきな」

 西瓜を寄せ合ったような胸の谷間にムンズと深く指を突っ込んだダリアは、本日入荷の日本酒のメモ書きをテーブルに置いて

引き返す。

「おおきにマダム!………?」

 ダリアの露出が大きい背中に礼を言ったヘイジは、雌虎の向こうにちらりと見えた、別のテーブルへ向かうウェイトレスの猫

女性に目を止める。灰色の若い猫には、僅かにだが記憶を刺激する面影があった。

(あの娘、確か…!)

 ヘイジの視線と表情に気付いたユージンは、小声で囁いた。

「言い忘れとったが、ダリアは行き場がねぇモンを率先して雇っとる。ここの従業員も半数近くが、ダリアが身請けや解放をし

たディスポーザブルダイバーだ」

「…そうですか…。ま、ちょっとだけ、気分ええですわ…」

 そんな大人達の会話を他所に、シロクマはサイコロステーキを頬張りながらメニューを広げて追加された品をチェックしつつ

タケミに擦り寄り話しかけている。同時進行が忙しい。

「柿シャーベットってあるっスよ柿シャーベット!デザートに試すっス!」

「え?今まで見た事ないデザートだけど…、今季からの新メニューかな?」

「料理の開発はまず実験、実験の為にまず発見、発見のためにまず開拓、って母ちゃん言ってるっス。つまり料理人はエクスプ

ローラーっス!」

 騒がしい酒場の喧騒、食事と酒を共にする仲間。ヘイジは昔を思い出し、微苦笑する。

(こないな仕事明けの打ち上げ、また経験できるとは思ってへんかったわ…)

 

 

 

 狸が加入してからというもの、ボイジャー2の操作性をヘイジにマッチングさせる微調整を兼ねて、神代潜霧捜索所は簡単な

依頼を受けながら浅い潜霧を繰り返した。

 主に有用な素材類を確保し、目につけば危険生物も狩る、演習のよう難度低めのダイブである。素材の探索と収集は、大穴内

の事がまだあまり学習できていないアルの訓練にもなっており、メンバーの技能の擦り合わせと全体的なアップデートに効果が

あった。

 そしてこの日も、組合が発見報告を受けた危険生物駆除のため、熱海ゲートから出発し…。

「一番スピア貰いっス!」

 巨大なカニのような危険生物目掛け、駆けこむ勢いと体重を乗せ、左肩を前に出した半身の状態から、アルが黒い大刀を振り

上げ、降り下ろす。

 後方から頭上を通って前方まで、黒いグラデーションを描く虹のような剣閃が霧に上書きされると、迎え撃つように繰り出さ

れた土蜘蛛のハサミが、関節と全く関係ない甲殻部分であっさり破断される。

 叩き落とすように断ち切られたシャコの腕のような鎌付きハサミが地面に跳ね、出っ腹を掠めて脇へ飛んでゆくのにも目もく

れず、シロクマは地面に叩き込んだ大刀を反動で跳ね上げさせて引き戻し、反対のハサミでの反撃に備えつつ叫んだ。

「左っス!」

「了解!」

 サッと霧を掻き分けてアルの後方へ下がるように動いたのは、黒い狼メットを被った少年。

 ガウンッと鉄板を殴りつけたような音が響き、シャコパンチを繰り出した土蜘蛛の腕を、アルは盾代わりにして前方に構えた

鬼包丁で受け止める。大の大人が軽々と吹き飛ぶか、胸から上を木っ端微塵にされる強烈なパンチだが、大刀の腹で受け止めた

シロクマはブーツの踵をほんの僅かに滑らせただけ。全身で贅肉と被毛がブルンッと震える程の衝撃を、交代せずに受けきって

見せる。

 アルが攻撃を受け止め損ねる事を最初から考えず、絶対の信頼を置いている少年は、シロクマの後方を通過して土蜘蛛の左を

狙ったポジションスイッチを実行。

 青と紺色の残像を白いキャンバスに置き去りにし、体が大きいアルの背後を通過する格好で土蜘蛛の視界から一瞬消え、ハサ

ミを失った左側の懐に滑り込んで太刀を一閃。水平に寝かせた黒夜叉が一番前の脚に刃を接触させたかと思えば、少年は回転し

て刀も体も加速させ、吸い付くように接触したままの単分子ブレードが、強固な甲殻をカッと軽い音を立てて切断した。

 ザリリリッと前傾姿勢で制動をかけ、回転の勢いを殺しながら5メートルほど滑って向き直った少年のバイザーには、最前の

脚は勿論、続いて二番目と三番目の脚も切断されて横倒しになる土蜘蛛の姿。

 シロクマが初撃で主力の片方を奪い、想定した反撃を受け止め、その間にできる相手の隙をついて少年が仕掛けて戦闘力を奪

う…。息が合ったコンビネーションで土蜘蛛を無力化し、頭部に大剣を叩き込んで絶命させたアルは、愛刀をチンと鞘に戻しな

がら歩み寄った少年に「ヘイ!」と笑顔で片手を上げる。

「うん!」

 パンッと軽やかな音を立てるハイタッチ。しかしアルは右腕で得物を握ったまま、少年も鞘に左手を添え、親指で鍔を軽く押

し、いつでも鯉口を切れる状態。

「じゃ、二匹目っス!」

「うん。近いはず…」

 目撃報告では土蜘蛛が三体。発見者が気付かない個体が他に居たとしても、最低残り二体である。注意深く視線を巡らせ、バ

イザーの表示にも気を配りながら周囲を探るタケミに対し、アルは完全に動きを止めて鼻先を上げ、スンスンと匂いを嗅ぎつつ、

腕まくりして露出させている前腕や、頬、うなじなどに意識を集中する。

 「霧に順応した生命体」とも称される獣人の肌感覚や嗅覚は、集中する事で人間とは比べ物にならない感度を誇るセンサーと

なる。潜霧や戦闘のスタイル、活動範囲や狙う獲物によっては、俵一家の黒豚のように酸や毒対策で露出を押さえた装備で身を

固める者も居るが、多くの獣人はこの索敵性能を活かすために軽装や薄着を好む。

 素肌に前をはだけたジャケットを羽織り、胸の前面や腹、喉などを大きく露出させているユージンなど最たる例だが、俵一家

の精鋭達も肌を締め付けない作務衣のような構造の装束。南エリアで生き残っている腕利き達も、普通の軍用品である丈夫な布

製の戦闘服を着用するのが主流である。

(ダイバーズハイができれば、もっと鋭くなるって所長は言うっスけど…)

 まだダイバーズハイが掴めないアルだが、以前よりも感覚を研ぎ澄ませられている自覚はある。この繰り返しと、環境から受

けるストレスで神経が最適化されてゆく過程で、ダイバーズハイの兆しを得られるとユージンもダリアも言っている。逆に言え

ば、潜霧経験そのものが体得の条件とも言えるので、頑張れば早く身に付くという物でもない。

「ん…、震動っス!」

 シロクマが顔を上げ、斜めに傾いたコンクリート壁…元は三階部分までの二面だけが残ったビルの残骸に目を向ける。タケミ

のバイザーも視界に反応情報を投影しているが…。

「たぶん二体目~っス!」

「あ、待ってアル君!」

 バイザーの表示を読み取って気付いたタケミが止める。一瞬遅れて、アルは…。

「ワッツ?」

 自分の視界に重なって見える、半透明な景色に気付いた。

 あちこちから鉄筋が覗くボロボロのコンクリート壁。それを背にする土蜘蛛。それらの手前にはコンソールパネルと操縦桿を

握るグローブが見えて…。

 急停止したアルの前方から、ズシンッと、地を這う震動が走って来た。

「あ~、先越されたっスね!」

 大刀を肩に担いで、ポンポンと軽く叩いて苦笑いするアルも、先に信号で気付いていたタケミも、散開捜索開始前にセットし

た異能…「スタンダード・チープ」で送られてきたライブ映像で仔細を把握した。

「標的発見や。ほな、やるでボイジャー!」

 トリガーと無数のスイッチが配置されたグリップを下げる格好で引き込み、狸が愛機に呼び掛ける。土蜘蛛は平均で200キ

ロを超えるサイズだが、向き合った紺色の重作業機…ボイジャー2の前では小さく見えた。

 ボディ前方…いわゆる頭部に当たる位置の複合センサーで、土蜘蛛をロックオンした光学カメラをブゥンッと発光させたボイ

ジャー2がサソリにも似た体躯を捻り、ヤシガニのような右側三脚をやや下げて踏ん張る。

 直後、土蜘蛛の右前肢が翻り、畳んだ鎌を伸ばして繰り出されたが、ヘイジは歩行脚を操作していた手を素早く左の操縦桿へ

移動させ、クランク状に折れる軌道でガコンッと操作、コマンドを入力する。これに応えてボイジャー2の作業肢…サソリのハ

サミを思わせる腕の左側が持ち上がりつつクローを開き、土蜘蛛の腕にクロスカウンターのように合わせて伸び、付け根近くで

ガシッと掴む。

 攻撃を受け止めたかと思えば、狸はもう次の操作に移っており、六本の足先で走破用クローが上がってタイヤが下がり、爪先

をローラー駆動に切り替えた機体が、左脚を後退回転、右足を前進回転させてボディを反時計回りに捻る。本来は重量とサイズ

故に鈍重なはずのボイジャー2は、脚のローラー回転によって小回りを利かせられるよう改良してある。回転などの方向転換運

動の機敏性は、乗り心地はともかく小型作業機にもそう劣る物ではない。

 風を切って体勢を変える重作業機は、その加速をハサミを閉じた右前肢に集約し、斜め45度でチョップするように振りおろ

し…。
ゴシャァッと、重々しい破砕音と共に、応戦する格好で振り上げられた左前肢の鎌ごと、土蜘蛛が床に沈んだ。

 素材となったレッドアンタレスの仕様書には、ハサミのような前脚二つは主作業肢と記載されているのだが、構造自体は大型

危険生物との格闘戦にも耐えられるように設計されている。ボイジャー2の躯体強度や耐久性についてはレッドアンタレスの基

本思想をそのまま活かしてあるので、乗り手が動かす事さえ可能で相手の動きに反応できるならば、この通り危険生物相手の格

闘戦も可能。

 そもそも、ユージンが要求したのが「機械人形と戦えるスペック」なのである。ボイジャー2はヘイジの手で、表層の危険生

物相手ならば問題なく制圧可能なレベルに組み上げられていた。

「もう一丁!」

 狸が操作レバーを、今度は両方ともガガゴンッと左右非対称のクランク軌道で降ろす。ボイジャー2は先に土蜘蛛の右前肢を

捕らえていた作業肢に加え、クローを開いた右の作業肢で土蜘蛛の左前肢の付け根を掴むと、

「…とケチな事言わず、サービスで三丁は行っとくで!」

 レバーを握る狸の腕と連動するように前脚を振り上げ、土蜘蛛を軽々とリフトアップし、床に叩きつける。

 ズドォン、ズドォン、ズドォン…、と、豪快でパワフルなボディスラムを繰り返すボイジャー2は、まるで機械ではなく生き

物のような動きを披露し、一方的に土蜘蛛を沈黙させた。

 しかしこの動き、実はとんでもなく高度な操作で行なわれている。

 ボイジャー2は最新鋭機が備える繊細な作業能力を、黎明期の作業機が持つ手動性と堅牢さで発揮させるという、アル曰く「

ビルドコンセプトがクレイジー。でもそこがベリグー」な代物。

 六脚の歩行肢は単独操作と連動操作を自由に切り替えでき、片側一本から三本まで任意切り替えでまとめた操作も可能。そし

てそれぞれのクローユニットとローラーユニットの切り替えも自由にできる。

 自由度が高い操作系…と言えば聞こえは良いが、複雑極まりない八割手動方式は、最新式に乗り慣れたキャリアーなら敬遠す

るレベル。何せ合計九本の作業肢を持つボイジャー2を細やかに操作するために、左右どちらの手でも補助入力ができるように

してあるため、100%乗りこなすとなれば操縦難度と操作の忙しさは殺人的なレベルになる。

 土蜘蛛を仕留める一連の動きの最中、ヘイジは操縦桿を握ったり放したり、前面コンソールにタッチ入力して脚のアタッチメ

ントを切り替えたり、ローラー駆動と回転速度をフットペダルでコントロールしたり、目線入力でキャッチ&スラムのターゲッ

ティングを行なったり、グラップリングクローの圧力をグリップのトリガーで微調整したりしている。足場が崩落しないか、対

物センサーの数値も読み取り、異能で同僚に生中継しながら…。

「まずまずやで。けど、機械人形と殴り合えるのが大将の注文やしな~…。この程度はワイもボイジャーも鼻歌混じりでこなせ

なアカンわ」

 沈黙した土蜘蛛からクローを外したボイジャーのコンソールを、軽くポンポンと労うように叩いたヘイジは…。

「お?」

 視界の隅で霧を裂いた一条の閃光に気付く。

 異能、雷電の発砲光。所長も一体仕留めた事を確認したヘイジが、ボイジャー2に土蜘蛛を引き摺らせて廃墟を下り、少年達

と合流すると…。

「おし、そっちも済んだな」

 仕留めた土蜘蛛を軽々と担ぎ上げ、片手にリボルバー式の拳銃をぶら下げた金熊がズッシズッシと歩いて来る。

 頭部の急所、神経中枢に一発。傷が殆ど無い、素材として理想の状態で狩猟するその腕前に、慣れているタケミとアルはとも

かく、ヘイジは鳥肌が立ってしまった。腕利き揃いの俵一家ですら、こんな「素敵な殺し方」ができる者は限られる。

 ちなみに、俵一家で最も綺麗に殺せるのは親分のハヤタ。だいたいの場合は急所を矢で射るが、疵物にしたくない時は素手で

絞め殺す。

「報告があったのは三体だけだが、念の為に周辺捜索してから引き上げるぜ。その前に…、まずは飯だな。昼休憩にするか」

 獲物を地面にドサリと下ろした所長の宣言で、シロクマが「イェア!」と両拳を突き上げて喜んだ。

 

「ベーリグー!ナマッハムッスキッ!ナマッハムッスキッ!でも今日はピーナッツバターサンド無いんス?」

「今日は生ハムとタマゴとツナとイチゴジャムしか作らなかったよ。ピーナッツとベーコンレタスはまた今度ね」

「約束っスよ~?」

 潜霧作業中の大休止。元は集合住宅の駐車場だった瓦礫の間のスペース、溜まった霧の中でランチボックスを開けているシロ

クマが、並んで座っている少年にグイグイ擦り寄りながら念を押す。

 今日も昼を跨いで日暮れには上がる一日潜霧なので、食料は一回分。タケミが用意したサンドイッチセットのみ。アイスコー

ヒー入りのカップを片手に、ユージンは瓦礫が重なって少し高くなった位置に座って、食事を摂りながら周囲を警戒中。

 ボイジャー2はメインの作業肢である大型のクローアームを前方に掲げ、間に渡したシートを後部から伸びた尾にあたる作業

肢が真ん中で持ち上げ、少年達の上で三角屋根の形に尖らせている。テントを張るでもなく即席で屋根がある場所を作れるのは

素敵だなぁと、タケミは頭上を見上げて感じた。

 操縦席後部のボックスなどを固定できるキャリー部分には、仕留めた土蜘蛛が三匹纏めてワイヤーで縛り付けられていた。徒

歩での潜霧では機動力が削がれるので諦めるか、数回に分けて運ぶだけの重量があっても、ボイジャー2に積み込めば行動に支

障なく、往復の必要もない。

 そのように便利さを噛み締めている少年の姿を、ヘイジは美味い美味いとタマゴサンドを頬張りつつ、改めて眺める。

(霧の中に人間が、素顔を晒した状態でおる…。タケミはんは大丈夫やて教えられとっても、なかなか慣れへんで)

 屋根が目隠しになっている上に、ユージンが見張っている事もあり、タケミは狼型のヘルメットを外して顔を霧に晒したまま

食事している。ヘイジは潜霧士の基本知識や、本能レベルで染みついている常識のせいで、大丈夫だと教えられてなお、タケミ

が普通にマスクを外す光景でヒヤヒヤしてしまう癖がなかなか抜けない。普通なら大慌てでマスクを被せにゆく所なのだから。

(唯一無二、類似例ゼロの人狼…なぁ…)

 タケミが狼獣人の姿に「変身」する事については、ユージンから改めて詳しく説明を受けた。現時点では彼の他にこういった

例が居ない事も。

 霧に対する絶対的な耐性を持ち、人間の姿と獣人の姿をある程度自由に切り替えられる…。しかしながら、タケミの存在はイ

レギュラー過ぎ、人狼化現象は応用も再現も不可能で、新たな角度で霧を克服するヒントにはなり得なかった。

 だが、不可能だと専門家が結論を出しても、世論の感情はそれを受け入れられないだろう。ありもしない「もしかしたら」を

求める声が高まるのは容易に予想でき、その結果タケミがどうなるかも想像できる。だから、タケミの人狼化現象についての情

報が伏せられている事にも納得が行ったし、現在の処置に文句も無い。

(不憫やで…)

 ヘイジは少年本人が居ない時に、サシ飲みしながらユージンから聞かされていた。その素性を隠さなければならない事と、同

類が地球上に一人も居ないという状況から、タケミは誰に対しても臆病な性質になったのだと。

 他所の区域では避けられる事が多い獣人ですら、タケミに比べれば「同じ境遇の者が居る孤独ではない存在」。しかしタケミ

は違う。同種、同族、同じ境遇と言える存在が一切居ない。

 「異物」である自分が他者からどう思われているのか、どう見えているのか、タケミはそれを意識して生きて来なければなら

なかった。

(不憫と言えば、こっちもや…)

 狸は少年と並ぶシロクマをそれとなく見遣る。

 明朗快活でいつも元気なアルを見ていると想像もできないが、こっちも大概な素性だった。

 事故でジオフロントに下り、そこから救助されて生還した事や、その後は実の両親の元で暮らせなくなり伯母であるダリアの

養子になった事。

 しかしダリアの所で生活サイクルが原因で夜行性少年になりかけ、元上司であるタケミの祖父の屋敷に預けられ、白神山地で

少年期を過ごした事。

 そして中学を出て潜霧資格を得てからは、流出案件を狩って回る猟師として世界中を点々と渡り歩いていた事など、生い立ち

についてユージンから聞かされた。

 忌憚のない感想を口にするならば、正直な所「胸糞悪い」の一言だった。もしもダリアが居なかったら、まだ幼かったアルは

一体どうなっていたのか?そう考えるとヘイジははらわたが煮えくり返る想いだった。

 そんな、それぞれが普通なら遊びたい盛りで、まだ学校に通っているような年頃でありながら霧に挑む少年達…他の選択肢を

選ばなかった二人に対し、

(ワイがしっかり守ったらなアカン…!)

 ヘイジは保護者感覚をだいぶ強めに刺激されている。潜霧士としての腕前や腕っぷしが確かでも、社会的にはまだ誰かが庇護

しなければいけない年代なのだと。

 そして少年達もまた、ヘイジに対する印象は良い。判り易く友好的な上に、自分達を気遣い可愛がってくれているのが判る。

 タケミは、自分の素性を知られている狸に対しては警戒しなくて良いので気が楽。おどおどと窺うまでもなく、自分に好意的

なので安心感がある。

 そしてアルは、素材や物品の在り処を嗅ぎつけるヘイジの目星の付け方や経験、作業機を組み上げるメカニックの腕に感心し

ている。

 キャリアーを組み込む形での潜霧も、コンビネーションは最初からそこそこ優良だった。元からユージンがキャリアーのポジ

ションに入る形で演習をさせていたので、チェイサーとしてタケミとヘイジ&ボイジャー2の間を取り持つアルの動きは及第点。

 スカウトのタケミはボイジャー2の重さとサイズを考えたルート取りを強いられるが、自信が持てない性格であるが故に用心

深くて、計画のルートの他に2ルート3ルート考えながら動く癖があったので、その都度適した進行ラインを選択できている。

 何より、少年達は初の自社用作業機であるボイジャー2の利便性に、安心感と興味を多大に抱いている。アルの方は単純にメ

カである事と造形が気に入っているというのもあるが。

「作業機は物品運搬だけが役目じゃねぇ。怪我人を運ぶ担架にもなるし、何より長時間潜霧じゃベースキャンプの中心になる。

瓦礫を除けて休める場所を作るののも役立つし、発電設備にもなり、壁にもなり、目印にもなる。俵一家なんかもジオフロント

に降りる時は二、三台降下させるぜ」

 ユージンからそう説明を受けていた少年達は、こうして休憩する際に屋根を作ってくれるボイジャー2から、その有り難みを

早くも実感していた。

「そう言えば、来週は潜霧予定無しやったな。今日でしばらく霧とお別れやで」

 アイスコーヒーのお代わりを注ぎながらヘイジが思い出す。

 霧に対して絶対的な耐性を持ち、高濃度の霧に晒されても全く影響を受けないタケミだが、表向きは「ステージ2止まりの人

間潜霧士」である。偽装の為、他の人間の潜霧士同様に因子汚染率を低下させる期間…霧抜きを定期的に取らなければならない。

「おう。それに来週はワシも別件の仕事が入っとるし、アルにもやらせる事がある。丁度いい」

 ひとの身長よりも高い位置で瓦礫に座っている金熊が会話に混ざり、シロクマが「ホワァ~イ?」と不思議そうな声で鳴いた。

「組合の新人研修で講師を頼まれた。アル、受講を申し込んでおくからヌシも出席しろ」

「ワッツ?何でオレもっスか?」

 自分はもう四等潜霧士、全然新人ではないと不思議がるアルだったが…。

「ヌシは探索と霧の基本知識が新人だ。身体能力と戦闘技能と踏破性能以外…、座学中心の知識は新人だ。だいたい新人という

事だ。つまり新人だ。だから新人研修を受けに来い」

「シンジン多いっス!ワードシンジンに偏りがち!っていうかオレ研修とか好きじゃないっス~」

「ほう…。ワシの講義を受けたかぁねぇ、とぬかすか…?」

 ユージンの声が低くなり、目がスゥッと細められると、

「イエッサー!ツツシンデ研修オウケイタシマス!」

 アルは慌てて敬礼した。

「ほなワイは…、そうやな」

 ヘイジは少し視線を上げて考えてから、タケミに目を向けた。

「大将もアルはんも忙しいようやし、タケミはんワイとデートせぇへん?」

「デ…」

「デ…」

 タケミが、次いでアルが、口をパクパクさせた。

 

 

 

 そして翌週。

 ワイシャツにスラックス、サスペンダーに伊達眼鏡と、講師用余所行きルックに身を固めたユージンに連れられ、水気を失っ

た菜っ葉のようにヘンニョリとしなだれたシロクマが研修に向かったその日…。

「目当ては回路周りのちんまい部品や」

 タケミはヘイジと共に、伊東ゲート近くの地下モールに来ていた。

 ヘイジが言ったデートとは、何の事は無い、地理に明るいタケミに案内して貰っての店探しである。

「ボイジャーのセンサー周りは純正品がもうあらへん。定期的に交換せなあかん消耗品やさかい、品揃えがええトコ、やっすい

トコは押さえたかったんや。案内感謝やで!」

「い、いえ…!本当にその、案内しかできないですけど…」

 十年間ずっと西エリア中心に活動していたヘイジは、東エリア側の街並みの地理には疎い。タケミはユージンに連れられて伊

東ゲートにも来ていたので、案内だけならつつがなくこなせた。

 何せヘイジは、縁を切った兄…ゲンジが長を務める工房には近付き難いので、熱海でも他の店を当たるか、アルかタケミにお

使いを頼むしかない。自分の目で品定めできるよう、目当ての品を取り扱っている店は押さえておきたかった。

 特に相場は潜霧活動の成果で日々変動するので、潜霧士が多く需要が増えやすい熱海よりも、離れた場所の方が安くなったり

もする。元々節約生活が肌身に沁みついているヘイジはこういう所が気になる性分。使うべき時には出費を惜しまない一方で不

要な散財は避けるユージンと、部分的に似てもいる。

「ボイジャー2はまだハイハイ始めたばっかの赤ん坊みたいなモンや。自分の足で歩いた場所がまだまだ少ないから、どないな

足場にどないな歩き方が合っとるか判ってへん。今はワイが目星をつけたパーツで仮対応しとるけど、その内にボイジャー2自

身の癖と特徴が判ってきたら、それに合わせたパーツに変えてったらなアカン。何せオリジナルのレッドアンタレスの製造が終

了しとる上に半分手作りやさかい、メーカー純正品や推奨品なんてあらへんからな。そこらは一緒に歩きながら、おいおいバー

ジョンアップや」

 地下モールの、ジャンク品含めてパーツを取り扱っている店で、ヘイジは品物を物色しながらそう説明した。

 こういった店は作業機を駆る者だけでなく、電子部品を搭載する道具や武装を自分で調整する潜霧士も利用する。技術さえあ

れば、工房に高い金を払って調達する他に、自分で得物を組み上げる事もできるので、費用を浮かせるためにクラフト技術を習

得する潜霧士は少なくない。

 ヘイジは正にそのタイプ。兄のゲンジには流石に及ばないが、トーチを自前改造し、作業機を組み上げて調整するなど、機械

弄りの腕も知識も相当な物である。

 とはいえ、自前のクラフトが最適解とは言えない。確かに安くつく事もあるし、特注品相当の物をほぼ材料費などだけで自作

できるのは強みだが、結局の所は専門の職人が専門の設備を活用して仕上げた品にはだいたい敵わない。拙いハンドメイドの装

備に命を預け、最終的に裏切られる者も後を断たない。結局は潜霧の腕と同様に、クラフトも相応の腕が無ければ自分の命を縮

める結果になる。

「…あ。そういえば、前の機体からデータを引き継いだって…。それでも赤ちゃんみたいな物なんですか?」

 少年の問いに、ヒューズ類の品定めをしていた狸は「ああ、それな」と眼鏡のつるを押し上げる。

「先代ボイジャーからインサートできたデータは、ワイの操作の癖に挙動を合わせる機能だけやった。OSも簡素なモンやった

さかい、例え自爆させへんかったとしても、引き継げるのはその程度や。ボイジャー2はカメラ光らせたりとかである程度アン

サーバックするようになっとるけど、先代はホンマに作業用の機械やったわ」

 説明を聞き、タケミは先代ボイジャーが本当に自律性が無い機械だったと理解するのと同時に、どうして作業機にはサポート

AIなどが積まれていないのだろうかと疑問に感じた。

「あの…、作業機って、オペレーティングシステムは色々な種類があって、メーカーでも特色があるって、ヤベさんの所で聞い

た事があるんですけど…」

 おずおずと、自分は見当違いな事を訊いていないだろうかという自信の無さを覗かせながら、タケミは質問した。

「自律タイプって、無いですよね?車だと、ほぼ自動で、AIが運転をコントロールする専用の物とかもあるのに…」

「AIなぁ…」

 少年の言葉を聞きながら、ヘイジは難しい顔になった。タケミに言うべきかどうか、と考え込んで。

 四等以下…大穴表層の探索のみ許されている潜霧士に与えられるジオフロントの情報には、制限がかかっている。三等潜霧士

の資格を得ると、ジオフロントに関する情報の一部が正式に解禁される…、つまり基本的には「そこへ至る資格を持つ者に必要

に応じて段階的に情報が開示される」という仕組みになっている。

 とはいえ、不必要に積極的な開示を行なうのは避けるよう潜霧法で定められているとはいえ、かつて黎明期のダイバー達が立

法に関わったこの決まり事は、四角四面の柔軟性に欠ける物ではない。既に邂逅した事、接触した事が明らかな潜霧士に対して

は、等級が未満であっても情報開示に差し支えは無いという決まりもある。

 タケミはまだジオフロントへダイブする資格を持たないが、機械人形と交戦、これを撃破した実績は潜霧組合にも正式に登録

されている。ならば、機械人形に関する情報として「アレ」の話を少しぐらい伝えても問題は無いだろうと、ヘイジは判断した。

 だが、店内ですべき話でもない。場所は変えた方が良い。

「…そろそろ出よか。小腹も減ってきたし~」

 狸は手にしていた品物を棚に戻すと、少年を促し店を出て…。

 

「講習トータル9時間とか、聞いてないっス…。ホワイ?何これゴーモン?」

 昼休みになり、ぐったりしながら会場ビル内の自販機コーナーを訪れていた。弁当はタケミが用意してくれたが、飲み物は現

地調達である。

 典型的な授業中居眠り&暇潰し少年であったアルは、こういった講習が苦手。しかも講師のユージンが居眠りさせないために

逐一問題を振ってくるので油断できない。

「しかもオレの他全員六等潜霧士じゃないっスか~…。居心地悪いっスよ…」

「ヌシの座学は一般レベルの四等から遅れとる。今日ぐれぇの講習が丁度良い」

 出て来たスポーツドリンクを取ろうと屈んだシロクマは、背後から聞こえた野太い声で凍り付く。

「寝てないっスよ!?」

「知っとる。寝かす気なんぞねぇからちょくちょく例題を当てとるんだぜ。ええ?」

 ワイシャツにサスペンダー姿のユージンの片手にも、アルと同じずっしりした弁当箱入りの袋が吊るされていた。

「三等試験にタケミが合格してヌシだけが落ちるのは嫌だろう?基礎知識は覚えとけ」

 ヘイジの調整に付き合って潜霧する事で、大穴内の植物や有効な物資、生存知識や探索のイロハについては、アルは対話形式

で学習し、遅れを取り戻しつつあった。興味がある事や実地での学習に強いと狸も褒めていたが、問題は大穴を取り巻く環境や

政治、体制、規則の話である。こればかりはデータ教本を主体にした学習でしか覚えられない。

「あと三分の二だ。頑張れ」

「ヘル過ぎるっス…!過酷…。過酷気味…。このビル今日からコキュートスって呼ぶっス…」

「終わったら、帰りは…」

 ユージンはニィッと口の端を上げた。

「晩飯はタケミ達と別だからな。特別にワシのイチオシ…ダリアともよく行っとった店に連れてって、美味いトンテキを食わし

てやる」

「イエア!ガンバリマス!」

 俄然やる気になったアルと、満足げに「その調子だ」と頷いたユージンは…。

「あの…」

 申し訳なさそうな、控え目な大きさの声で揃って耳を震わせ、振り返る。

 衝立で仕切られた自販機コーナー入り口に、若い人間が立っていた。二十歳になったかならないかという青年で、講習を受け

ていた六等潜霧士の一人である。

「おっと済まなかった。今どくよ」

 余所行き用の顔…ハイソサエティな組合講師の紳士を装うユージンが、狭いスペースに巨漢の熊がふたりも居ては邪魔だろう

と、アルを引っ張って退くと…。

「あ、いえ!そうではなくて!」

 青年は慌てた様子で背筋を伸ばし、首を左右に振った。

「自分、年内に五等資格に挑戦するんですが!今日の講習は大変ためになります!熱海の大将から直々に教訓を学べて光栄です!

有り難うございます!」

「ん?あ、いや…」

 ユージンは何やらこそばゆそうに、軽く顔を顰めて困ったような顔を見せた。

「個人の経験則と体験がだいぶ混じった講義になってしまうが、君達が生き抜く役に立つなら何よりだとも」

 そんなユージンの言葉を聞くと、青年は嬉しそうに頭を下げて立ち去った。

 その様子を見ていたアルは、「嬉しくないんスか?」と訊ねた。

「一等潜霧士なんて、ダイバーから見たらヒーローっスよ。憧れるキモチってヤツっス!」

 慕われて嬉しいだろうと、笑顔を見せたアルだったが…。

「ヒーローなんかじゃねぇ」

 ユージンはアルに顔を向けず、青年が去った方を眺めたまま吐き捨てた。

「誰かを死地に向かわせる動機になっちまうようなモンは、英雄なんて呼んで持て囃すべきじゃねぇ。そんなモンは、船を迷わ

して漂流させる凶星と何も変わりねぇ」

 ユージンの苦々しい声に、アルは言葉を失う。

 金熊はずっと見てきた。霧に潜り続け、大穴を歩き続け、幾人も幾人も死んでゆくのを見続けてきた。

 教鞭を取り、生きるコツを、死なずに済む知識を、若い潜霧士に、自分達に続く者達に、伝え続けては見送ってきた。

 今日のように講習で会い、言葉を交わしたきり、生きて会う事が二度となかった潜霧士は数知れない。

 大穴の中で顔を合わせ、一時行動を共にし、その一度限りで逝ってしまう若人を何人も見た。

 大成できる者も、生きて引退できる者も、そう多くない。大半は霧の中に濡れた骨を残して終わる…それが潜霧士という職業

である。

 やや間をおいて逡巡してから、アルは訊ねてみた。

「…もしかして、オレとタケミが潜霧資格取るのも反対だったんスか?」

「当然だ」

 即答されて鼻白むアル。背を向けているユージンの表情は覗えない。が…。

「だが、それはヌシらが選んだ道だ。ヌシらの人生、ヌシらの未来、ヌシらが進む道…、それを決める権限はヌシらにこそ与え

られるべきだ。ワシがどう思おうと、それを決める権利はワシにはねぇ」

 自分は、自分の生き方を自分で決めた。

 そうして選んだ生き方を、育ての親は否定しなかった。

 ならば、他の誰かの生き方に、選択に、自分が口を挟むのは筋が通らない。

「ヌシらがそう決めた以上、ワシはできる限りをしてやるだけだ。今日の講習もその一つ。…アル坊」

 不意に、昔ながらの呼び方に戻って、ユージンは振り向いた。

「ヌシは選んだな。海外で動けば、嫌でも両親の目に、耳に、ヌシの活躍が届いたろうに、ヌシはタケミの横を選んだ。ひとの

目に触れねぇ、大穴に挑む道を選んだ…。後悔はしてねぇか?」

 アルやタケミが小さかった頃の、たまに訪ねて来る気のいい中年の顔に戻り、金熊は北極熊に訊ねる。

 とっくに決めた事だった。もう選んだ道だった。なのにアルは、真っすぐに自分を見つめ、顔を映し込むコバルトブルーの瞳

に、軽々しく返答する事を躊躇った。

This is…」

 やがて、アルはユージンの顔を真っ直ぐに見上げて口を開く。

「…the only way for me(オレにこれ以上の道はないっス)」

「…そうか」

 ユージンはほんの少し口角を緩めると、すぐに所長としての顔つきに戻った。

「午後が本番だ。「最後まで付き合う気なら、最後まで気を抜くんじゃねぇ」ぜ。ええ?」

「!」

 背を向けたユージンの言葉が、講習の事ばかりを指しているのではないと気付いたアルは、背筋を伸ばしてビシッと敬礼の姿

勢を取った。

Yes sir!」

 そうしてアルと離れたユージンは講師用の控室に移動し、弁当箱を開け、トマトソースがけのポークソテーを見て「奮発しや

がって…」と嬉しそうに耳を倒し…、

「あ」

 アルと話をしていて、当初の目的を忘れた事に気付いた。

(茶、買ってねぇ…)

 ガシガシと頭を掻きながら弁当に蓋をし、渋々尻を上げて自販機コーナーへ戻る金熊。

 あそこにまだアルが居たら、あんな話の後で締まらないなと、顔を顰めながら…。