第二十七話 「たぶんそれでもまだ平凡な日々」

「何でもう酔っとんじゃアンタ」

 午後七時。酔客の声がうるさいほどよく通る、焼き鳥メインの居酒屋の席で、ムチムチした黒豚がブスッとした顔でヘイジを

睨む。

「不可抗力やで…。捕まってもうたんや…」

 テーブルを挟んだ反対側の狸は、到着直後にゴールデンレトリーバー達に捕縛され、夕方まで湯屋に引き止められていた事を

説明した。控えめにしてはいたが飲まされた酒はまだ残っているし、延々と聞かされたツキノワグマの愚痴も耳に残っている。

 ここは土肥にある、安さがウリの焼き鳥居酒屋…ヘイジが昔からよく使っていた馴染みの店である。テーブル席には黒豚とキ

ジトラ猫が並んで座り、彼らと向き合ってヘイジと、その隣にビントロングの半獣人が座っていた。

 土肥の大親分の御側役にして懐刀、キジトラ猫の鋼虎丸(はがねとらまる)。

 精鋭部隊の観測手、ビントロングの半獣人の瀬田長尾(せたながお)。

 第二部隊の遊撃手、黒豚…デュロック種の黒田群松(くろだむらまつ)。

 この三名はかつてヘイジが俵一家所属だった頃、歳が近かったのでつるんでいた年下の面子である。

「ってか先輩があっさり捕まるとかさぁ、先生何で一線から退いたんだろうねぇ」

 ヘイジが自主的に破門の身となって一家を離れた後、観測手のポジションを引き継いだナガオが、先輩のコップにビールを注

ぎながら眉根を寄せた。

「機動性を求められない状況なら今でも現役で通りますよ。片脚じゃ移動で足を引っ張るからって、そこを気にして身を引いた

そうです。足を止めての殴り合いなら、今でも精鋭部隊顔負けです」

 この中では最年少のトラマルがテキパキとお通しとお絞りを寄せて、テーブル中央にスペースを作り、運ばれて来た大皿の串

焼き盛り合わせを置いて貰う。とにかく気が回る上に、本人も誰かの世話をするのが好きな性分。知らない者には小間使いと思

われがちな甲斐甲斐しさだが、実際にはこの青年、俵一家で大親分に次ぐ実績と実力の持ち主なのだから、名前と身分を明かせ

ばだいたい驚かれる。

 ヘイジを呼びつけて奢らせる会をセッティングした古馴染み達だが、しかし加減は弁えている。だから、自分達の稼ぎが少な

かった頃、この狸によく奢って貰ったこの店を選んだ。

 金が入用だったのは知っているが、神代潜霧捜索所に所属して収入が安定し、養うべきタツロウがユージンのツテで安全な場

所に移送され、諸事情あって特殊な扱いになったおかげで、生活費も治療費も心配なくなったとハヤタから聞いた。ならば十年

間音沙汰がなかったツケをちょっと払わせるぐらいは良いだろう、という悪友感覚である。

 乾杯の挨拶もなしに飲み始めている四人は、出て来た焼き鳥を思い思いに摘んで話を弾ませた。

 積もる話は山ほどあるが、十年という月日の間に起きた出来事は、一席二席では語り切れない。今日の所は申し合わせたよう

に互いの近況確認が主体になったが…。

「ヘイジさんとこのシロクマ、その後はどうじゃ?」

 黒豚が普段から据わっている目を向けて問うと、トラマルが面白がるように眉を上げた。

「アル君の事、気になるんですかマッツァン?」

「別に気になってねぇ。放っておけねぇって気がするだけじゃ」

「それ、気になってるって言いますよ?」

 トラマルが即座に突っ込み、黒豚は黙り込む。

「…放っておけねぇって気は別にしねぇ」

「撤回と訂正が雑…」

「既にちょっと酔っぱらってんねぇ」

 呆れるトラマルとケラケラ笑うナガオ。こんな具合で遠慮なくムラマツに突っ込んで行けるのは、同期のビントロングを除け

ばトラマルくらいのものである。気難しい上に理詰めの黒豚には、修羅場を潜った歴戦の精鋭達も強く出られない。

「アルはんはホンマに腕が立つわ。下手な二等と五分五分の腕前やで。ずっと海外働きの猟師やったさかい、大穴の中の知識が

若干追いついてへんけど、その辺りは大将が指導してはるし、ワイも教えてやれる事があるわ。気がええ子やで?朗らかで元気

一杯、素直で表裏無い性格や。作業機弄りも見とって面白かったて、今じゃ整備も手伝ってくれとる。こっちの方はえらい飲み

込み早いで~?ワイが動かせへん時の代打として、その内、乗り方憶えてもええな。いや待ち、ハナからボイジャーは飛ばし過

ぎや…。手ごろな別のモンに乗る機会があれば…」

 そこまで話してから、「そうそう」と狸は付け加えた。

「マツから貰うた小刀もえらい気に入っとるで~!もう他の刃物要らへんて、最近はコンバットナイフ持ち歩いてへん。補助武

器も持たへんで、得物の他にはトーチとアレだけや」

「………」

 黒豚は無言で、特に反応を示さなかったが、贈り物が大事に使われていると聞いてまんざらでもない気分である。

「ふたりとも、年末の昇格試験はどうするんでしょう?若いから焦らなくても良い気はしますけど」

 トラマルがふと思い出して口にした。土肥滞在中に身の回りの世話をしていたキジトラ猫は、タケミの目標…潜霧士の道を選

んだ第一の理由が何なのか、本人の口から聞いていた。霧に消えた一等潜霧士…父親である不破御影の遺骨を見つけて引き上げ

る事だと。

 十七歳で四等資格取得は、ペース的に言えばかなり早い。そして、現在の三等潜霧士に未成年は居ない。しかも、四等資格を

得てから一年も経たずに三等へ上がった者など、歴代でも数名しか居ないはず。もし年内に昇格すれば快挙と言える。何せ三等

潜霧士には、全域ではないにしろジオフロントへのダイブが許可される。範囲に制限があるとはいえ、地下大空洞に足を踏み入

れる事が可能となるラインなので、それまでの等級とは要求実績の桁が違う。

「機械人形討伐数二分の一体。あれもいくらか実績の助けにはなるじゃろうが…」

 先の事件でタケミもアルも、それぞれがヘイジとムラマツと二人掛かりで機械人形を討伐した。三等昇格の実績として機械人

形の撃退はかなりポイントが高いが、しかしそれだけでは届かない。潜霧とは戦う腕前が第一ではなく、踏破する技術と健脚ぶ

りが最も重要なのである。

「そういえば大親分が言ってたけど、タケミちゃんの危険生物駆除頭数、おかしいってね?いや傷物にしない腕もおかしいって

言ってたけど、場数踏み過ぎなんじゃね?」

 ビントロングが獅子唐をそれとなくヘイジの方に寄せ、代わりに何気なく軟骨を頂戴しながら言う。

「ユーさんからタケミちゃんとアルちゃんの実績聞き出したそうだけど、大型危険生物中心に平均の倍どころじゃない数を仕留

めてるらしいよ。大穴内の踏破範囲も含めて、並の四等上がりたての実績じゃなかったってさ」

「どんなスパルタじゃ」

 呟いた黒豚を他の三名が一斉に見た。それを鬼教官のお前が言うのか?という顔である。

「アルはんの方も、ダイブの時間と実績はともかく、各国で討伐した危険生物の分と、各国政府の感謝状が何通もあるみたいや

から、もうちょい頑張れば十分な実績になるわ」

 ヘイジはそう言って、通りかかった店員に「ビール大瓶二つ追加頼んます~!」と追加オーダーする。

「大将は近い内に、ふたりに南でダイブさせるつもりや。タケミはんもアルはんも行った事あらへんし」

 踏破エリアの広さはそのまま潜霧の経験として実績にカウントされる。新たな土地で潜霧するのは大切な事だった。しかし…。

「南かぁ…」

 ビントロングが微妙な表情を見せた。

 「本土」の住民から見れば、伊豆半島全域どこもかしこも人外魔境という認識になりがちだが、実際には半島内でも危険度や

過酷さの質が異なる。

 半島内で最も本土との往来が盛んで、潜霧のアクセスがよく、浅いダイブ数をこなせる熱海をはじめとする東エリア。

 やや五等以下立ち入り禁止地区が多く、危険度が高めではあるものの、比較的本土と行き来し易く、設備も充実している土肥

中心の西エリア。

 そして、最も過酷なのが南エリア。地殻変動の影響を最も大きく受ける南側は、年間数十センチ単位で地盤が上下し、長城と

建造物の寿命も短い。水道や電気などのライフラインも時に途絶し、平時ですら霧の成分が長城を越えて流出する。

 特に十年前の大規模流出事故では広範囲が停電し、長城が四ヵ所も裂け、風車が全基停止し、ウォールも一つ完全に壊滅し、

高密度の霧が溢れ出て一般人にも多くの犠牲が出た。これを境に南エリアの長城は破損個所の修繕と、何とか保っていた部分の

崩壊を繰り返している。

 それ以降、南エリアにおける霧の封じ込めは「可能な限り」が限度となっており、市街地の霧濃度は時に熱海近辺の大穴外周

と変わりないレベル…、つまりマスク無しでは人間が危険にさらされる数値までちょくちょく上昇する環境になっている。

 人間は生きられない土地…それが多くの者が南エリアに抱く印象。実際の所、現在南エリアに住民登録している人間は僅かに

しかおらず、九割九分九厘が獣化済みで、人間の姿を見かける事は殆ど無い。

 加えて言うと、そんな環境になっているので流通も滞っており、物資自体が不足しがちである。危険な上に、人も車も厳しい

基準の洗浄を出入りの度に課せられるため、運送業者も極々一部、少ない本数だけ配送を行なっている。さらに、十年前の地殻

変動で長城直下の地下輸送路が何十ヵ所も崩落したまま復旧されておらず、伊東側土肥側共に以南の輸送路利用ができなくなっ

ていた。

「作業機の輸送もできへんし、ボイジャーはトラックに積める重さでも大きさでもないよって、行くときは伊東最南のゲートか

ら走破せなあかんわ」

「丁度良い事じゃ。実績稼ぎになる」

 黒豚が合理的だと言いたげに頷き、他の三名は、さっきどの口がスパルタと言ったのだ?と一斉に顔を向けた。

「そう言えば…、タケミはんとアルはんにとっては、仕事抜きに行ってみたいトコやったらしいわ」

 ヘイジはそう呟くと、届いたばかりの瓶ビールを手酌でコップに注ぐ。

「ふたりが育った白神山地は、十年前の流出事故の被災者を多く受け入れとった。馴染みの友達の半数近くが獣人で、その中に

は南エリア出身者もだいぶ居るそうや…」

 あまり友達が居ない、と言うタケミが、しかし南エリアに行ってみたいと述べる理由が、ヘイジにはよく判らないのだが…。

(誰かに、故郷の現状確認でも頼まれたんやろか?)

 

 一方その頃…。

「で?混ぜられなくて暇だったからウチに来たんですか大親分?」

 湯屋の客室で、壮年の大猪はゴールデンレトリーバーの問いに対し、微かな溜息で返答した。

 風呂上がりのハヤタの前には、卓に置かれた豪勢な刺身の盛り合わせと、キリリと冷えた冷酒。体を流す介添えサービスから

引き続き、脇について酌をしつつ話し相手になるキンジロウは、「ヘイジ君に会いたかったなら、ついて行けばよかったじゃな

いですか」と笑う。なお、自分達が当のヘイジを昼間に拉致していた事は黙っている。

「んでも…」

「んでも?」

「オラが行ぐど…」

「行ぐど?」

「…みんな緊張すっから…」

「何ですかその可愛い理由」

 ヘイジを囲んで飲みに出たため、トラマルは居ない。そして、自分は呼ばれなかった。

 自分が混じったら皆がリラックスできないというのは理解しており、それで良いとも頭では思うのだが、気持ち的にはやっぱ

りちょっと寂しい。そんな大親分であった。

 

 

 

「マジすか!?メチャ高いアイスじゃないっスかこれ!?」

 ダリアが店に出て、マンションに独り残ったアルは、撮り貯めていたテレビ番組を観るお供にアイスを食べようとして、冷蔵

庫前で唸った。

 食後に食べるようにと義母が言っていた冷凍室のアイスは、ブランド物の高級品。ただし、バケツサイズである。

「独りで食べちゃって良いんス!?食べちゃうっスよ!?イェア!レッツパーティ!アイスパーティー!」

 冷凍庫に三つ入っているバケツアイスからチョコチップバニラをチョイスし、ご満悦でリビングに陣取るアル。

「アニメ観て~、ひと眠りして~、母ちゃんが帰って来る頃に起きて~、一緒にご飯して~、お疲れ様のマッサージするっス!

…ん~…。ご飯…?ご飯。ゴハン。GOHAN。…オレも料理少し覚えた方が良いっスかね?」

 シロクマは考える。得意としているタケミは例外として、がさつに見えるユージンも鍋料理や煮込み物、シチューなど、大味

でレパートリーもだいぶ限られるものの、料理はできる。ヘイジもそれなりに料理ができて、焼きビーフンや焼きそば、たこ焼

きなどを作っている。先日など癖になりそうな食感のフワフワした海鮮お好み焼きを食べさせてくれた。

 自分も何か料理ができたら、ダリアをもっと喜ばせられるのにと考え…。

「そうっス!料理の本とかになら、オレにもできそうなのが少しは載ってるはずっス!」

 腰を上げたアルは、抱えたバケツカップから大匙でアイスを口に運びつつ、ダリアの私室に移動した。

 そこは寝室とは別の部屋で、本棚が多く大画面テレビもある、第二のリビングのような場所。品の良い木製の…しかしマダム

の体と重みを受け止められる丈夫さと耐久性を備えたアームチェアやテーブルが設置され、様々な小物類が置いてあり、優雅に

アフタヌーンティーを楽しんでもよし、夜更けにブランデーを共に本を開いてもよしの、くつろぎ空間となっている。

 データブックが主流になっている昨今でも、ダリアはユージンと同じく今では珍しい物理媒体蒐集派。母国語である英語で記

された様々な図書が本棚に収納されている。
昔アルを膝に乗せて読み聞かせた童話集や、フルカラーのヒーローコミックが、今

も処分されずに本棚の端に残されていた。

「料理の本…。料理の本…。簡単な料理の本…。オレにも作れる料理の本出て来いっス~」

 バケツアイス片手にパクパク口元へ運びながら、しばし背表紙を検めて料理書を探していたアルは…。

「お、この辺り料理関係っス!」

 クッキングレシピ集などが並んでいる一ヵ所に辿り着き、バケツアイスを一旦テーブルに置いて、アイス容器から湿り気がつ

いた手を腹にこすりつけて拭う。そして、大きい事は良い事だが教科書は薄い方が良いの精神で、一番厚みが無い本を手に取る。

「あれ?これイタリア料理の本っス?いやオレ初心者っスから、煮つけとか焼き魚とかオーソドックスな日本料理が良いんスけ

ど…。キホン。キホンダイジ」

 他の本にしようかと思いながら、試しにページを捲っていたシロクマは、

「ん?パスタっスか…」

 日本料理ではないものの、馴染み深いオーソドックスな料理の写真で手を止める。

「そう言えば母ちゃん、よくスープスパとかミートソーススパ作ってるっス…。タケミもニンニクたっぷりのペペロンチーノ作

るっスね…」

 茹で方などは覚えなければいけないが、具材を変えて変化をつけられるという点に汎用性を見出すと、アルは「オーライオー

ライ!」と繰り返し頷いた。

「これちょっと借りてくっス!パスタ!良いじゃないんスかねパスタ!みんな嫌いじゃないはずっス!」

 椅子にドシッと腰を下ろし、左膝の上に右足を乗せる格好で水平にし、そこに広げた本を置いて、片手でアイスを口に運びつ

つ料理書に目を通す。

「アサリとトマトのスープパスタ…。さっぱりした味わい…。栄養価良し。食欲が無い時にも、と…。ほーほー…」

 モヤモヤボワンと、タケミと養母の反応を想像するアル。

 自分が作ったパスタを食べ、落ちそうなほっぺを両手で押さえている二人の顔を思い浮かべ…。

「イエス!パスタイエス!グーッドグーッドグーッドベーリグー!」

 急にテンションが上がって来た。

 

 

 

 キッチンのシンクに並べた洗い物と瓶を眺め、タケミはホウ…と満足げな溜息をこぼした。

 日没過ぎまで続いた網焼きパーティーも終わり、後片付けが済んだところである。

 後方のリビングからはテレビの音が聞こえて来るが、ユージンはそれを観ていない。ソファーの背もたれに頭を預け、天井を

仰ぐような格好で、ややうるさめの寝息を立てていた。相当な量の酒を飲んだので、顔の傷跡が紅潮しているのが目立つ。

 昼から夜まで、昼食とも夕食ともつかないバーベキュー。酒を飲んでツマミを食べるユージンにつきあい、半日過ごした少年

は、楽しかったなと満足感を噛み締める。

 ずっと酔っぱらったままのユージンは昔のように態度が柔らかく、いつの間にかタケミの事も「タケ坊」呼びに戻っていた。

 ユージンが気持ち良さそうに寝ているので、洗い物をして水音で起こしてしまうのも忍びなく、酒瓶を濯いだり食器を洗った

りするのは後回しにしておく。

(そろそろお風呂にしよう…)

 壁面パネルに表示されている給湯系の情報を確認し、もう湯船の六割まで溜まっている事に気付くと、タケミは足音を忍ばせ

てキッチンからリビングへ移動する。
ソファーにグデンと巨体を預けた金熊は脚を大きく開いており、着崩れた甚平の下から褌

の薄い布に覆われた股間が見えている。保護者のあられもない格好にドキドキしながら、少年は静かに部屋を出て…。

 

(幸せな一日だった…)

 湯船の傍で跪き、手桶で湯を掬った少年は、右の肩口から掛け湯をしながら一日を思い返す。

 何もしない休日だった。無為に過ごしたと言えなくもないほど、何もしていない。朝食を食べ、おかずになる魚を少し釣り、

洗濯機を回し、昼からはずっとユージンと一緒で…。

 年中通して気温が高い熱海で、半日も網焼きの火を前にしていた少年の身体は、汗ばんだ所に煙の匂いが沁みついている。が、

炭火の煙い匂いに紛れている、それ以外の微かな匂いを、人間の姿のままでも嗅覚が鋭い少年は嗅ぎ付けていた。

(所長の匂い…)

 隣り合って座り、肩を組まれたりもしたせいで、ユージンの甚平から金熊の体臭が少し移っている。熟れた雄の匂い。自分と

は違う、成熟した生き物の香り…。

 左肩にお湯をかける事を少し躊躇し、結局全部流すのだからと、勢いよくサパーッと被る。プニプニと肉付きの良い体の曲線

を湯が駆け降りて、白い張りのある肌から汗を落としてゆく。空いている方の手で、胸の下や腋の下などを撫でて汗や汚れを落

とす。特に腋の下、たわわな胸の下部、下腹部の段差や股の間など、汗のベタつきを感じていた箇所を湯が流れてゆくのは心地

よかった。

「はぁ…」

 手を止めたタケミは、床の冷たさを膝に感じつつ幸せの余韻に浸る。

 明日の午後にはアルが戻り、夜にはヘイジが戻り、週明けからはまた潜霧が始まる。危険で慌ただしい、しかし少年にとって

は普通の日常。

 そうして掛け湯で軽く身を清めていた少年は、背後で物音が聞こえて振り返る。

 ドアの際で床を踏む重々しい音に続き、擦りガラスの向こうが急に暗くなる。次いで、シャーッとドアがスライドし…。

「…ヒック!」

 酔っ払いのしゃっくりを耳にしながら、タケミは絶句した。浴室出入口には、全裸になっている巨熊の姿。

 どこもかしこも造りが大きい巨体。女性の胴体ほども太さがある上腕。少年の腕が何とか回る程度の太腿。盛り上がった筋肉

のラインで繋がる首と肩。発達した筋肉で盛り上がる分厚い胸。膝を抱えて丸まったら人が一人入りそうな太鼓腹。骨太な巨躯

に信じがたいほどの筋肉を搭載し、その上に分厚い脂肪と金色の被毛を纏う。左の鎖骨から鳩尾、右脇腹上部へ抜ける大きな裂

傷も、顔の傷と同様にアルコールで紅潮していた。

 ただただ大きく重々しい、単純にそれだけで感動を覚えるほどの巨体。…を、タケミはまともに見ていない。反射的に振り向

いた少年の目が捉えたのは、ピンポイントに金熊の股座。

 のしっと踏み出した太い脚。その付け根に、タケミの目は吸いつけられた。

 ユサプルンッ…。

 肉厚な股間の被毛が密集した茂みには、太く、それ故に短く見える陰茎。ゴロッと丸く見えるそれは先端まで分厚い包皮を被

り、体格に比べると小さく見えてしまうが、勃起時には直径4センチにもなる。肉厚なせいで根元が脂肪と被毛に埋まっている

だけで、サイズそのものは立派である。その下にはたっぷりとしたまん丸い陰嚢がぶら下がっていた。

「お?タケ坊入っとったか」

 やや目の焦点が合っていないユージンが、一瞬遅れてタケミを認識する。ヒック、と大きなしゃっくりをして巨体が揺れた。

その後ろの脱衣場の床には、甚平と赤褌が乱雑に脱ぎ散らかされている。

 浴室の灯りがついている意味にも、脱衣場にタケミの服がある事にも、気付けないほど金熊は酔っぱらっていた。大股に足を

踏み出すと、太鼓腹がゆさりと、そしてその下のモノがぷるりと、揺れて目立った。

 残像すら宙に焼き付けて首を戻し、視線を外す少年。しかし目にはユージンの股間がしっかり焼き付いている。

「しょ、しょしょっ…!!!」

 目を伏せている少年は、言おうとしている言葉が口から出ない。正確に言えば、声が出ない以前に何と言えば良いのか判断が

ついていないのだが。

 そんな少年の態度を他所に、ユージンは先客が居ても引き返すどころか…。

「おし!久しぶりに、一緒に風呂浸かるか!」

 ニカッと笑ってまさかの提案をした。

「!?!?!?」

 言葉も出ない少年にのっしのっしと歩み寄ると、その背中側から腋の下に手を入れ、ひょいっと持ち上げる。だいぶ体重があ

るにも関わらず、軽々とタケミを宙づりにし、壁際の流し場に運んで椅子の上に降ろすと、

「背中と頭洗ってやろうな!懐かしいなぁ!昔は実家に泊まりに行ったら、こうやって洗ってやったもんだぜ!」

「!?!?!?!?!?!?」

 大混乱の少年の反応に気付く事もなく、寄っているので声が大きいユージンはシャワーヘッドを取る。

(しょ、所長!?ボクもう子供じゃないですしお風呂!お風呂とか一緒に入って貰う歳じゃないですよ!?)

 などと言いたいのに声が出ないタケミ。なお、ほぼ毎回勝手に一緒に入って来るアルについては、昔からそうだし抵抗もない

し諦めてもいるのでノーカウント。そうこうしている間に背中へシャワーが注がれ、ユージンの手が撫でるように洗い始める。

(く、くすぐったい!でも気持ち良い…!)

 完全に硬直している少年の状態にも気付かず、すっかり昔の精神状態…子供をベッタベタに甘やかす世話焼き熊に戻っている

ユージンは、鼻歌混じりで上機嫌。

 ちなみに鼻歌は80年ほど昔、時代劇のエンディングテーマにもなった演歌。傷つきながらも後振り向かず、男なりゃこそ辛

くても、というフレーズがユージンのお気に入り。好みとセンスが相当二十世紀人寄りである。

「ヒック!ヌシのソープは泡がすげぇな。獣人用とは違うか!わはは!」

 タケミ用のボトルを取り手で泡立てているユージンは、酔っぱらっているのでボディソープと間違えてヘアシャンプーを使っ

ているが、全く気付かない。そしてシャワーでしっかり流した背中に、泡だらけにしたタオルを当てて軽く拭き始めた。

「優しくやっちゃあいるが、痛かったら言うんだぜ?ええ?」

 などとユージンは気遣うが、少年の背中を洗う手の動きは加減を間違えるどころか丁寧で優しい。タケミの父と幼少期から共

に過ごしているので、被毛に護られていない人間の肌への触れ方は心得ている。

 人間の頭を鷲掴みにして握り潰してしまえるほど大きく力強い手が、繊細なほど細かく丁寧に、泡立てたタオルで白い肌を清

めてゆく。時折「痒いトコねぇか?」「痛くねぇか?」とユージンが問うも、さっきから一言も発していない少年は頷くのみ。

「じゃあ次は頭な!ヒック!目ぇ閉じてろよ~、ザッポリ流すぜ!」

 時折しゃっくりを挟みながら少年に話しかけるユージンは、酔いのため、返事が無い事を何とも思っていない。呑気に、もう

シャンプーハットも要らなくなったのだなぁ、などと成長を喜んでいる。しかし成長したからもう頭など洗ってやらなくとも大

丈夫だという事には気付いていない。

 ユージンが酔っぱらっているのは別段珍しい事ではない。酒が好きなので潜霧の予定がない時は夜遅くまで楽しんでいる。が、

泥酔するほどの深酒をするようになったのはここ数ヶ月の事。

 タケミを引き取ってから一年以上の間は、自宅でも気を張っている事が多かった。いかに腕利きの潜霧士であろうと、後進の

指導経験が豊富であろうと、ユージンには子育て経験が無いのである。未成年を預かって潜霧士に育てるという生活は、金熊に

とっては未知の領域だった。

 だからしばらくは正体を失うほど飲んだりはせず、むしろ控えめにしてさえいた。

 それが今では、たまにではあるがグデグデになるほど酔うまで飲む。これは、タケミは大丈夫だと思えるようになったから。

 シラフの時は滅多に褒めず、口に出す事も少ないが、ユージンはもうタケミを一人前の潜霧士と認めている。歯痒く感じるほ

ど自信を持てず、怖がりで引っ込み思案な性格は変わらないが、腕前に限って言えば立派な物。

 本音を言えば、よくここまで指導について来てくれたと、よくここまで育ってくれたと、誇りにすら感じている。育ての親の

孫であり、兄弟分の息子であり、身元を預かる未成年であり、職場の部下であり、自慢の愛弟子…。ユージンにとってのタケミ

は、今やそんな複雑な関係の相手となっていた。

 目を閉じて頭を流され、太い指でワシャワシャと髪の毛を掻き分けるようにして洗われるタケミは…、

(夢…?夢かなこれ?夢かも?こんなのあり得ないし…)

 自分が眠っているのではないかと疑い、意識が逸れた瞬間にうっかりタイミングを間違えて息を吸い、鼻から水滴が入って激

しく咳き込んだ。

「おっと!大丈夫かタケ坊!?」

 ユージンがむせた少年の背中を優しくトントンと叩き、咳を促す。

「は、はい…!だいじょぶ、です…!」

 やっと声を出せた少年に、「そうか。偉いぜ」と笑いかけるユージン。

「流し終わりだ。風呂に浸かって良いぞ」

 金熊がそう促すも、少年はモジモジして…。

「あ、あの…」

「ん~?」

 腰を上げないタケミの顔を、肩越しに鼻先を寄せるように覗き込んだユージンは…。

「ボ、ボクも…、「おんちゃ」の背中、久しぶりに流してあげたいなって…」

 少年がボソボソとそう言うなり、目を大きくし、それから歯を剥いて耳を倒し、照れたような苦笑いを見せた。

「そ、そうかぁ!タケ坊が流してくれんのかぁ!じゃあ頼むかな!」

 嬉しそうに短い尻尾を上下にピコピコ揺すったユージンは、前屈みのままソロソロと場所を開けたタケミと入れ替わりに、椅

子を除けて床へ直に腰を下ろした。2メートル半のユージンは、床に直接胡坐をかく事でやっと膝立ちのタケミに丁度良い座高

になる。

 シャワーヘッドを取って湯をかける。触れた被毛越しに肉付きの良い体の感触が掌に伝わる。

 小さい頃は立ったまま、拙い手つきで流した、広く大きく頼もしい背中。潜霧士になり、後をついて回り、追いかけて、近付

くほどに遠さを実感する背中。

「あ~、そこそこ。気持ち良いぜ…!」

 機嫌のいいユージンは、しかし少し照れくさいのか、嬉しそうにしながらも耳を寝せていた。

 タケミに背を流されながらも、その両手は手桶で湯を汲み、首周りや胸、腋の下から脇腹などを洗っている。身体が大き過ぎ

るので、任せてばかりいては相手が大変である。だから昔からユージンは、タケミやアルに背を流して貰う間に、手が届く範囲

は自分で洗っていた。

 ボディソープを泡立てて背中を洗っているタケミは、鏡に映る自分の顔をチラリと確認し、同時に鏡越しのユージンの様子も

窺う。すっかり酔っぱらっているので眠たげにも見える金熊は下を向き、深いヘソに指を突っ込んでほじくるように洗っている

ので、鏡を確認している少年の視線には気付かない。

(顔、赤くなってるけど…、気付かれないかな…!?)

「おし!もう良いぜタケ坊!」

 タケミの思考は、股間まで洗い終わったユージンの声で中断させられた。

 シャワーヘッドを取り、仕上げにザバザバと頭から流したユージンは、手で顔を拭って雑に水気を切ると、振り向くなり両手

を伸ばした。

 唐突だったので反応できなかった少年は、腋の下に入れられた手で軽々と持ち上げられてしまう。

「さぁ浸かるぜ!そぉ~れっと!」

 タケミを持ち上げたまま笑っているユージンは、そのまま湯船の縁を跨ぎ越し…。

「わ、わ、わっ!」

 慌てる少年を捕まえたまま、ザブンと浴槽に身を沈めた。

 巨体が足を延ばして広い湯船に浸かると、押し出された湯が排水溝に殺到する。ゴゴゴゴ…と低い音を響かせて吸い込まれて

ゆく水が渦を巻き、ユージンの笑い声と混じり合った。

「わはははは!爺さんには湯が勿体ねぇって、渋い顔されたっけなぁ!」

 そんなユージンは足を延ばしてほぼ寝そべる格好、頭を湯船の縁に引っかける形で仰向け。その両腕で持ち上げられていたタ

ケミは、今は金熊の腹に跨る格好で上になっている。

「昔はこうやって「お船ごっこ」したモンだったが…。おし、頑張ってみるか」

 言うが早いか、ユージンは息を吸い込み腹を大きく膨らませる。が、もうすっかり大きくなったタケミを乗せていては、昔の

ようには浮かばない。

 しかし、タケミは昔を懐かしむどころではなかった。ユージンの腹に跨り、バランスを取る為に手をついている格好、昔は何

とも思わなかったが…。

(しょ、所長のお腹に、ボクの…、タマタマとかお尻が…!)

 乗せている事が申し訳なくなって、恥ずかしくなって、しかし焦りの余り身動きもできない。幸いにもユージンには股間のモ

ノの変化を悟られていないようだが…。

 しばし頑張って息を吸い込み、顔を真っ赤にして腹を膨らませていたユージンは、やがて息を吐いた。

「ブハッ!無理か…!デカくなったんだなぁ、タケ坊も…」

「ま、まだ…」

 ドキドキしながら、白い肌をすっかり紅潮させている少年が呟く。

「背とか…ぜんぜん…!」

「ん~?そうかぁ?…でもなぁ、ミカゲのヤツも一時期、身長が伸びなくなったって気にしてた事があったしなぁ…」

「え?」

 初耳だった少年は、恥ずかしさと困惑も忘れて金熊の顔を見つめる。

「中学出てから一回止まって、二十歳過ぎになってからまた伸びたんだぜ、アイツ。爺さんも子供の頃は小柄な方で、二十歳ぐ

らいの時に伸びたって言ってたな?ヌシも案外そうかもしれねぇ」

 夢の170台に到達するチャンスはある。少し希望を持てた少年は、

「おっと、肩が冷えちまうな」

「わっ!?」

 またユージンの手で持ち上げられ、ビーチボールでも浮かせるように軽く放られて反転、金熊に背を向ける格好で着水した。

「おし、ちゃんと浸かって温まれ!ヒック」

 肩を掴まれたタケミは、浴槽の底に寝そべるユージンの上で仰向けにされた。体勢としては寝湯に近いが、下は浴槽の床では

なく、どっしりした金熊の巨体…。

「!!!!!」

 背面に余すことなく密着したユージンの体、その感触と、裸体でくっついているという事実に、少年の胸はドコドコと激しく

鳴る。頭はユージンの顎の下で、後頭部が胸を枕にする格好。背中には出っ張った腹の感触が、呼吸で上下する動きまで伝わっ

て来る。

(や…柔らかい…!ムチムチで、ポヨンポヨン…!背中に当たって、き、気持ち良い…!)

 ユージンの丸みを帯びた腹に背中を押し上げられているタケミは、そこを支点に下半身が水中で浮いている格好。それだけに

密着した腹の感触は強く感じられて…、気付いてしまった。

(あれ?昔はこんなにお腹出てなかったはず…。え、え、え?じゃ、じゃあ今の感じに太ったのってここ数年の事?昼間に所長

が言ってたの本当の話!?)

 本当に自分が太らせてしまったのかもしれない、と…。

「ちゃんと体沈んどるかタケ坊?」

 全身が浸かっているか?冷えていないか?と気にするユージンが、タケミの両脇から湯を寄せるようにザプザプと波を立てた。

「ヌシらが小せぇ頃は、アル坊と二人纏めてこうやって抱っこしてやったモンだが、流石に今は一人で手に余るぜ。育ったモン

だ、本当にな…」

 懐かしそうに囁いたユージンの声が耳をくすぐる。

 胸をバクバクさせるタケミは、心臓の早まった鼓動が湯越しに伝わってユージンにも判ってしまうのではないかと心配したが、

金熊は気になっている様子も見せない。

 湯気に混じるユージンの息は、まだだいぶ酒気を帯びていて、呼吸は少し浅い。流し切れていなかったソープの残り香が、湯

気の香りと一緒に鼻孔へ侵入する。

 ずっとこうしていたいと、こうしていて欲しいと、少年は思う。

 もしも潜霧士の道を選ばなければ、ユージンは昔と同じ、こんな態度で接し続けてくれたのだろうか?一度そう考えてから、

だがそうなったら、ユージンは早めに自分を何処かへやっただろうと思い直す。

 タケミが潜霧士の道を選ばなかったなら、あえて伊豆半島に住まわせておく理由はない。住み慣れた白神山地に留まらせてお

くか、良い高校に通わせるために本土の何処かへ腰を落ち着かせるか…、どちらにせよ同居はせず、時々様子を見に来る生活に

なっていただろう。

 やはりこれで良かったのだと、タケミは思う。

 父の遺体を探し、弔い、長年判らなかった自分の親への感情を確かめたい。その目的はこの道でしか達せられない。

 厳しく接するようになったユージンだが、酔っぱらった時は昔と同じ態度や本音が見えて来るので、大事にされているという

実感もある。

(ボクに、これ以上の道はないんだ…)

 改めて再確認したタケミは、異音に気付いた。

「おんちゃ…」

 頭の上でゴポポポッと不気味な音がしている。

「所長っ!?」

 電源が落ちるように突然眠りに落ちたユージンは、少年の頭の重みで首から上が水没していた。

 早く引っ張り上げなければと、慌てて体を反転させたタケミは、ユージンの下にある浴槽の底に足をつこうとして…。

 ムニュッ。

(ムニュ?)

 ユージンの脚の間から膝をつこうとしたタケミが、太腿に感じた柔らかな感触。ムニュッとしてプニュッとしてフカッとして

ズシッとしているそれは…。

(タ……………タマタマ!?しょしょしょしょしょ所長のタマタマッ!?ごめんなさいごめんなさいごめんなさいぃっ!!!)

 何に触れたか知って慌てたタケミは、バランスを崩し、そのまま前のめりにユージンの上へ倒れ込んで、盛大な水しぶきを上

げる。その拍子に、体を支えようと反射的に出した手が、金熊の太鼓腹にボインとめり込んだ。流石にこれで目を覚ましたユー

ジンは、ザバッと首を起こして舌を出す。

「うぇっ…!気持ち良く湯を飲んでたぜ…。もう上がった方が良いな…!」

 咳き込むでもなく、単に風呂の湯を飲んだ事が不快で胃の辺りを撫でたユージンは、

「先上がるぜ。麦茶でも飲んで湯涼みだ。タケ坊ものぼせる前に上がれよ?…おっとそうだ!デザートも食ってねぇし、風呂上

がりに二人でアイスクリーム食うか!わはははは!」

 と、巨体から湯を滴らせて立ち上がった。なお、金熊が言う麦茶はビールの事である。

(そ、そう言えば…。海底でも真空でも平気な体質だって、前に言ってたっけ…)

 本当かどうかは判らないが、昔そういう事を言っていたなと、ひとり湯船に残った少年は呆然と考えていた。

 

 

 

 そして夜が明ける。

 いつも通りの時間に起き出し、朝日が差し込むキッチンで、少年は解凍しておいたシジミで味噌汁を作る。

 昨夜は風呂上がりにアイスを楽しんだ後、ユージンはすぐ寝てしまった。だいぶ酔っぱらっていたので無理もないが、かなり

早い就寝である。

 起きて来る頃には空腹だろうしアルコールも抜けているだろうなと、少年は冷蔵庫の中身をチェックしながら朝食を拵える。

(午後にはアル君も帰って来るし、買い出しに行った方がよさそう。潜霧用の消耗品類は大丈夫だったかな…。あとで所長に確

認しなくちゃ)

 バターをひいたフライパンで鮭の切り身を焼きながら、少年ははたと、昨夜の事を思い出して手を止めた。

 風呂の中で身を寄せ、背中に触れていた金熊の感触を思い出す。

 湯の中でたゆたう被毛の柔らかさ、脂肪の弾力と、息遣い。

 手で触れてみたかった…。そんな感想を抱いた少年は、バランスを崩した際に脚に当たった、ある物の感触まで思い出して赤

面する。

「おう、おはよう…」

 声を聞いてハッと我に返ったタケミは、丁度片面に火が通っていた鮭の切り身を急いでひっくり返した。

「おはようございます!」

 振り返ると、リビングにのっそり入って来た金熊は、まだ頭が完全に覚醒していないらしく、寝ぼけ眼でぼんやり顔。甚平の

紐が解けて前側を完全にはだける格好。股間を申し訳程度に覆う赤褌が丸出しの状態。

「水くれ、水…」

「はい」

 歩み寄るユージンに、タケミは手早くコップを出してカラカラッと氷を入れ、水を注いで差し出した。それを受け取り、喉を

上下させてゴックゴックと飲み干すと、一息ついたユージンは壁のパネルを見遣り、時間を確認した。

「だいぶ寝とったな…。どうりで喉が乾くはずだぜ」

 そんな事を呟くユージンの前で、タケミの目は、射し込む朝日で臍や肉の段差もはっきり判る、分厚い胸と丸出しの太鼓腹に

釘付け。

 無理矢理視線を剥がした少年は、「御飯すぐできます!」とフライパンに向き直った。

「おう。…シジミ汁かぁ…!」

 だいぶ抜けたとはいえまだアルコールが残っているのか、嬉しそうな声を漏らしたユージンは態度が普段より柔らかい。

「ゆうべは何時頃に寝た?庭の片付けをした辺りまでは覚えとるが…」

 網焼きセットを片付けてリビングに引っ込んで、居眠りしてからの記憶が飛んでいる。訪ねられたタケミは「たぶん十時くら

いに…」とモゴモゴ応じた。

(所長、酔っ払い過ぎて覚えてないんだ?昨日の事…)

「お、そうだ。夜にはヘイジも帰るし、その前にはアル坊も戻るだろう。食材の買い出しも要るだろうし、用具の補充もしてお

きてぇ所だ。昼飯は、買い物がてら外食にするか」

 ユージンは冷蔵庫の中を覗きながらそう言って、少年に顔を向けて笑いかけた。

「久しぶりに、ソフトクリーム食うか!」

「は、はい!」

 休日は今日まで。もう少しだけゆっくりできる。

 朝食の支度を進めながら、少年は幸せを噛み締めた。