第三十話 「南エリアの生き方」

「オーライ!オーライ!」

 夕暮れ時でも目立つ、青色の発光誘導棒を振るパグ。路面などを傷つけないよう、足先をローラーにモード変更しているボイ

ジャー2を、振り返って視認しながらヘイジがバックさせ、集合居住棟の裏手側搬入口に乗り入れる。

「そのまま真っ直ぐー!真っ直ぐー!あと3メーター!」

 インフラ断絶時に人々の生命を支える、非常用備蓄品や各種用具類が積み上げられた格納庫内で、狸は大型作業機を壁にぶつ

けたり積荷を崩したりしないよう、慎重に操って降着姿勢を取らせる。

「コンテナはテイルアームで下ろしますわ。ぶつからへんよう離れとって~」

 ボイジャー2の背部に積んであるコンテナを、天井から吊る滑車とフックをかけて下ろすつもりだった一同に、ヘイジはそう

声をかけてレバーとスイッチを操作する。

 サソリのようなヤシガニのような、節足動物に似たフォルムのボイジャー2は、いわゆる手足に該当する肢の他に、尾に当た

る部分を持つ。普段はバランサーなどとして活用されているこれは、多重関節構造によって柔軟に動く立派な作業肢である。改

造元であるレッドアンタレスから機能を踏襲し、先端部分を交換できるアタッチメント方式が採用されており、今回コンテナ積

み下ろし用に装着してあるのは…、

(想定以上に使い勝手ええわ、このクローマニピュレーター)

 テイルアームユニット…非使用時は先端を揃えて錐型に纏まっている、四本の可動式クローを備えたアタッチメント。ただで

さえ複雑な操作性が輪をかけて劣悪になるが、このアタッチメントを装着した尾は、前腕に当たる大型クローユニット以上に繊

細な動作が可能なアームとなる。

「こりゃ凄い。機体もイカすが、それを使いこなす腕前も見事だ」

 生きている蛇のように滑らかに動いたテイルアームが、コンテナ上部のフックを摘み、揺れも小さく抑えて積荷を指定の場所

へ下ろす。狸の卓越した操作技術に月乞いのメンバー達も感嘆した。

「中身を検めて貰えますやろか?」

 コンテナのベルトをボイジャー2のテイルアームで器用に解いたヘイジが呼びかけ、パグが開封された中身の物資を確認する。

その間に狸は改めて格納庫内を見回した。

 倉庫としての利用が主体になっているのは確かだが、機械類を整備する作業場も兼ねているのが一目で判る。小物類を弄る作

業台の他、作業機などのメンテナンスもできる、天井走行型の小クレーンに、フックアームなども目に付いた。

 加えて、型落ちした四脚ホイール式の小型作業機が二台、倉庫の角に鎮座していた。レッドアンタレスほど古い機種でもなく、

後継機も生産されているメジャーなタイプで、潜霧に関わらず重作業にも活用される作業機である。それも、ヘイジの見立てで

は補修と改修が重ねられたカスタム機だが、長らく動いていないのか、かけられた半透明のビニールシートも埃まみれだった。

「優秀なキャリアーから見れば嘆かわしい有様だろうが」

 声に視線を動かせば、ボイジャー2の脇に立ったマラミュートが、ヘイジが眺めた作業機二台を見つめていた。

「片方の乗り手は四年前に、もう片方の乗り手も三年前に逝った。それ以降はあの有様だ。整備の腕がある者はここに居着かず、

エンジン回りの不調も直せず、乗り方を学ぶ余裕もない」

「こっちのエリアと、周辺の地形に馴染ませたカスタム機と見ましたわ。大切に乗られとったんやろな」

 ヘイジの発言を受けて、「判るのか?」とテンドウが機上に顔を向ける。

「他に代わりが無いとか、新型を調達できんかったとか、色んな理由があったんかもしれへんけど、手の加え方と外装の傷を見

れば、ず~っと働いて来たモンやて判りますわ」

 どんな潜霧士が乗ったのか、思いを馳せながらヘイジはテンドウに問う。

「思い出の品やったから、こうして残してはったんでしょ?」

 これに、マラミュートは「いや」と即答した。

「処分するのも手間がかかる。それならばと、いつか使うかもしれない機会を考えてそのまま保管していただけだ」

 マラミュートの淡々とした物言いから、少なくとも彼個人にはこの機体に特別な想いは皆無だと分かる。長く使った道具に愛

着を持つ事も多い潜霧士にしては、珍しいドライな言い方だった。

「弄ってもええなら、動かせるよう調整しときます?」

 試しに狸はそう提案した。自分一人でも何とかできそうな傷み具合だと見えたので。

「できるのか?しかし、最低限の器具はともかく部品類には殆どストックが無いぞ」

 テンドウが作業台の方を見遣る。保管してある予備パーツ類は少なく、あれだけで足りるのかどうかも素人には判らない。

「そこは遣り方次第ですわ。このボイジャーには潜霧中の機体トラブル対策で修繕用のパーツ類を多少積んどります。共通パー

ツと代替え品、あとは修繕で何とかしますわ」

 と、仕事を買って出るヘイジは、親切心半分で打算も半分。

(足回りの調整確認しとけば、ボイジャーにフィードバックさせられるわ。方向性を押さえられるだけでも予習になるで~!)

 ただ働きも損も避ける…それがヘイジの立ち回り。神代潜霧捜索所がおろそかにしがちな現実的エッセンスである。

(まぁついでに言うと…。確かにヤバいエリアではあるんやけど、ここには商売のタネもぎょうさん転がっとる。その辺り「依

頼」も貰っとるさかい、しっかり見極めさして貰いまっせ~)

 簡単ではない事は重々承知だが、ヘイジは南エリアの経済体制について思う所があった。

 地上に機械人形が出て来るエリア。複数人掛かりであればそれを危険無く駆除できる実力者が多いエリア。危険生物の生息模

様も他とは一線を画すエリア。そして、大隆起以前の遺品財産類が、最も回収されていないエリア…。

 潜霧で得られる収益の見込みが、他のエリアよりも高いのがこの南。それでも住民や潜霧士の羽振りが良くない上に、設備も

充実していないのは、ズバリ物流の問題が絡んでいるせい。

 買い付けに来る者が少ないので、腕利き揃いにも関わらず潜霧利益が効率的に金銭へ変換されない。余る素材は買い叩かれて

搬送されるか、買い手がつかないまま死蔵され、挙句破棄されるケースもある。そうして富になるはずの物が循環に乗り辛い上

に、手数用や運搬料、管理料や危険手当など、様々な名目の上乗せを課せられて搾り取られる。そしてこれは入って来る品につ

いても同様で、様々な物が含まれた金額はあからさまに足元を見た設定。年々酷くなっているこういった経済の欠陥が、南エリ

アが抱える問題の一つ。

 そして二つ目は、物流の体制そのもの。

 あまりに危険で恐ろしいが故に、南エリアへ入る運送業者は限られる。日常用物資運搬だけを見ても十分な量とは言えず、し

かもその運搬料が破格。…潜霧収穫物が貨幣代わりに運送料に充てられているのである。

 この中でもシェアの九割を握る独占体制を敷いている業者が曲者で、そういった品の取り扱い認可がある事、霧への心構えが

できているドライバーが居る事を強みにしており、他社との競合がほぼ行われていない状態。地元民側から見れば運送を切り上

げられては困るので、強く出られないという裏事情もある。

 この一社一強の単独体制が崩れるとすれば、競合する社が現れるか、陸路などの改善によって危険度が下がる事で参入社が増

えるか、なのだが…。

 もっとも、ここまでの情報はヘイジが調べて入手した物ではなく、南へ行くなら見て来て欲しいという、ある男からの依頼に

合わせて受け取った知識。

(何やら裏でやろうって腹積もりやな…。そういうの大好きやし、安うないバイト料も頂いとる。やれるだけ付き合いますわ!)

 それはそれとしてまずは実地検分だと、狸はテンドウに訊ねてみる。

「商店は殆ど無いて聞いとりますけど、電池やら何やら手に入れたい時は何処で調達したらええんでしょ?」

 さしあたっては物資の不足状態を確認しようと、ヘイジは行動を開始して…。

 

「なんスかこれ?固焼きパン?」

 食い千切ろうとするとメリメリ音を立てて抵抗する固いパンから口を放し、シロクマが眉根を寄せる。

「人間だと大変じゃないっスか?このタフガイ」

「スープに浸して食えば、人間でもいける」

 滞在中の寝泊まり用に用意された部屋の内、ユージンの居室に陣取って、熊二頭が夕食中。

 バターロールサイズのパンは生地が硬い上に密度が高く、口の中から唾液を吸い出してゆくほどパサパサ。保存が利く食用粉

末をこねて焼いた物…それがこのエリアの主食である。

 味と食感は悪いがカロリーだけは満点。これにビタミン錠などを合わせて摂取すれば必要な栄養素は賄える。

 スープはオニオンコンソメに近い味だが、こちらも粉末を湯で溶くインスタント品。カリウムやカルシウムなど必須栄養素を

含むものの、やはり味気ない。

 金熊はスープ皿にパンを浸しつつ齧り、アルもそれを真似てパンを噛み千切る。

「グルメに期待するなって聞いたっスけど…」

「実感したろう?」

「うっス…。ここの人達、毎食こうなんスか?」

「そうだな」

 飲用に浄化された水が入ったコップを眺め、ユージンは口を開いた。

 ここでは水道水の浄化すら不十分で、人間の飲用には向かないほど霧の成分が混入している。土壌にも流出した霧の成分が残

留する上に、元々海底の砂だった地質なので、殆どの作物がろくに育たない。海の幸だけは手に入るが、この辺りは遠浅の岩礁

で大型船は近付けず、深い所は波が荒くて常に白波が立ち、長い砂浜が続く地形なせいで入り江など養殖向きの場所もない。

 食料は運搬が容易な乾燥物や保存食の搬入に頼らざるを得ない上に、停電断水は日常茶飯事。飛行物迎撃レーザーと風車の維

持が優先されるため、非常時は容易に電力不足に陥る。相次ぐ地震などで管の断裂も多く、漏洩が危険なのでガスなどの可燃エ

ネルギーは使用されていない。

「今おさらいしてもハードモードっスね、ここ。経営シミュとかのクリア後解禁難度っスか。上級者向けっスか。せめて食べ物

はジャンクフードとか欲しいっス…」

「だから来る前に美味ぇラーメン食わせてやったろう?」

「早くも恋しいっス!そういえばカップ麺とかはどうなんスか?」

「ガワがかさばるからな。袋のラーメンなら少量は入って来てるはずだぜ」

「フソク!フソクがち!」

「勿論、缶ジュースの類もねぇ」

「ジゴク!ジゴクがち!」

 ひとしきり不満を並べたアルだったが、

「まぁしょうがないっスね。食えるだけマシっス」

 気持ちを切り替えてコンソメスープ味の湿りパンを齧る。この辺りは過酷な現場も経験した強みで、贅沢を言っても仕方がな

い状況ならばすぐに順応できるタフさがある。

「タケミまだ戻って来ないんスかね?」

「遅くなるだろうよ。積もる話もあるからな」

「ワッツ?ツモルハナシ?団長さんとタケミって、知り合いじゃないっスよね?」

「ん…。ま、まぁ、そうだな」

 ユージンは小さな窓に目をやって、すっかり暗くなった外を眺める。

 街灯りが極端に少ない南エリアは、夜間は霧で風景が白む。走行する車も無いので海鳴りと風の音しかしない静けさは、まる

で別世界のようでもある。

「明日は早ぇ、夜更かししねぇで早めに休んどけよ」

「うス。…ところで所長?オレ診てくれた先生、昔の知り合いっス?」

 マヌルネコの医師とユージンのやり取りを見ていて感じたアルの問いに、金熊は「二等の資格持ちだ」と応じた。

「ワシの一つ上でな。毒島衛(ぶすじままもる)…皆「ドク」って呼ぶ。潜霧士になるまでは特別自衛隊に所属する医官だった。

熱海と伊東をベースにダイブしていたんだが、十数年前に潜霧士としては引退した。今はああして医者をやってる」

「十何年前って…まだ若い頃にっスか?二等潜霧士だったのに辞めたんス?」

「引退は三十代中盤頃だったか。まぁ、色々あってな…。南エリアには銃後の護りが必要だ。そういう意味では適材だろう」

 大規模な設備の医療施設も無く、治療できる場所は診療所規模。当然医師の数も不足しているので、不測の事態にも対処でき、

自分の身を自分で守れるドクのような人物は南エリアにこそ必要だった。

「母ちゃんもっスけど、若い内に引退するひとも多いっスよね?」

「ダリアはまた別だが、潜霧は体力勝負だからな。肉体の全盛期、気力のピーク、そういう所を過ぎたら霧から上がるってヤツ

は多い。俵の親父殿みてぇに、全盛期が過ぎても衰えが殆どねぇ潜霧士や、司令塔として働く才覚がある連中は、歳を取っても

潜り続けるが」

 ユージンは水をグビッと飲み下し、アルは「ここビールとかも無いんス?」と首を傾げる。

「数は少ねぇが、ある事はある。だが酒はやめておく。明日もダイブするからな」

 今夜は飲酒を控えるユージン。タケミやアルが危険な状況になれば、アルコールが残っていても迷わず出撃するが、それでも

験担ぎを軽んじる事はない。

 ましてや南エリアは危険度が段違いなので、慣れるまでの数日は何があっても対処できるよう自分も大穴の中で待機しておく

つもりである。月乞いをはじめとするこちらの腕利きが同行するとはいっても、油断する気は毛頭なかった。

 

(たくさん話した…)

 質素な夕食を挟んでジョウヤの部屋から退室したタケミは、月乞いの夜間当番となっているメンバーの案内で、ユージンの部

屋の隣に案内された。

 メンバーの部屋は一塊にされており、ヘイジも既に部屋に入って休んでいる。

 簡素な部屋でスーツを脱ぎ、リビングにあたる狭い部屋で椅子に座って、タケミは小さく息をつく。

 乞われるままに色々話して、整理しながら喋るのに精一杯だったので、聞きたかった事を訊ねそびれてしまった。

(団長さん、話し易いひとだったから…、サツキ君の知り合いの事も訊けそう…)

 同級生が口にしたヤマギシという人物。自分達より少し年上のひと。

 長く南に留まり、十年前もここに居たジョウヤに頼めば、知り合いなどにその人物の事を確認して貰えるかもしれない。

 少し休んだらうとうとしてきて、小さな冷蔵庫に入っていた飲料水を一口飲んで、タケミは別室のベッドに倒れ込み…。

 

「機嫌が良いようですね兄者。熱海の大将とお会いするのは久方ぶり、積もる話もあるでしょう」

 深夜1時。短い仮眠を経て月乞いのミーティングルームに戻ったグレートピレニーズに、当番で詰めていたマラミュートが声

をかける。

「語らいたい事も多いでしょうから、時間は作ります」

「ありがとう、テンドウ。だが大丈夫だ」

 椅子を引いてくれた弟に応じながら腰を下ろしたジョウヤは、ホルスターに収まったままのトンファー二丁を、ゴトンとテー

ブルの上に置く。

 全長55センチ、二本一対のそれは、比重が重く頑強な合金でできている。グリップに比べて打突用のシャフト部が太くなっ

ており、ずっしりと重々しい。

 この、十分な速度と威力で打ち込めば真珠銀の装甲版すら叩き割る強度を備えた二振りの特注トンファー…ジオフロントから

回収した希少金属製のレリックこそがジョウヤの得物。リーチも短く、用いるならばほぼ肉弾戦となるこの武器を、しかし盲目

のグレートピレニーズは不自由なく使いこなす。

「明日はタケミ君を連れてウォールDまでのルート往復を行なう。テンドウは明後日、アルビレオ君を同ルート案内してあげて

おくれ」

「は!明日はゲートより半径十キロ範囲で探索、駆除活動を行ないます!」

「熱海の大将がゲート周辺の巡回を請け負ってくれたおかげで、久しぶりに気楽に離れられる。周辺の安全確保に加えて、目に

つく限りの駆除も請け負ってくれるそうだ。本当に助かる」

「しかし兄者、誰もつけなくて良いのですか?本当に?何でしたら同行しますが」

 ジョウヤは明日、タケミだけを連れて潜霧する。他所の若手を預かってのダイブでは不自由するのではないかとテンドウは気

にしたが…。

「問題ないさ、熱海の大将の直弟子だ。何よりユーさんは、彼がこのエリアで潜るのに相応しい実力だと判断したから連れて来

た。ペアを組むに不足は無い」

「…兄者がそこまで言われるなら…」

 と、顎を引いたテンドウではあるが、その瞳には不満の色。

「兄者。大将の所の人間の潜霧士の事、気になりますか?不破の血統ではありますが…」

 大好きな兄からマンツーマン指導を受ける少年にジェラシーを覚えるテンドウ。これに対してジョウヤは「そうだね。不破の

血統…。一等潜霧士の両親と祖父を持つ、血筋で言えばサラブレッドだ」と応じた。

(…実際には「もう一方の祖父も一等潜霧士」。単純に不破の血統というだけではないが)

 その事もまた、あの少年を取り巻く環境を複雑化させていると、ジョウヤは胸の内で呟く。

「安全安心な指導でしたら、沼津の実家側に任せればよろしいでしょう。字伏の技も学べます。兄者直々の指導でなくとも。な

くともっ」

「南エリアの潜霧だからこそ、実績にカウントされるからね」

 字伏の血筋は兄弟だけではない。沼津には本家と分家が陣取り、潜霧の技を磨いている。そちらなら安全な指導になるとテン

ドウが言うのも頷けるが、ジョウヤはタケミをそちらに近付けさせたくはない。そもそも、ユージンが比較的安全な沼津に居を

構える字伏家に、タケミを紹介していない理由は…。

(不干渉と決定された事ではあるが、心変わりが無いとも限らない。本家とタケミ君を接触させるのは得策ではない。彼を僕ら

に会わせる事についても、ユーさんには少なからず葛藤があったはずだ)

 弟に話していない事は、タケミの人狼化以外についても色々ある。いつかは話さなければならないと思いながらも、どう伝え

るべきか、伝えた場合テンドウがどんな反応をするか、ジョウヤは懸念していた。

 

 

 

 そして翌日。

(霧が一定方向に流れて行く…。長城には風車があるのに、海の方にゆっくり…)

 ここでは霧が南へ流れてゆく。風向きが変わる事もあるが、だいたいは陸から海へ向かってゆく。それを不思議がるタケミは、

(それにしても…。目が見えていないって、言われなかったら判らないくらいだ…)

 3メートルほど先を行くグレートピレニーズの広い背中を見つめ、嘆息した。

 ジョウヤの足取りには不安が無く、段差や傾斜をしっかり踏み締めて進んでゆく。目が見えている潜霧士よりもよほどしっか

りした歩みで、ペースは平均よりやや早め。ユージンに鍛えられたタケミの基本進行速度とほぼ同程度だった。

「止まって。野鉄砲だ」

 白い巨漢が潜めた声で告げ、右腕を水平に伸ばしてタケミを止める。一緒に屈んで物陰から目を凝らすと、濃い霧の流れが周

辺に見える、高さ3メートルほどのドーム状の岩塊…元は海底の岩礁の一部だったのだろう苔むした岩の上に、イタチのような

影が窺えた。

(本当だ…!全然気付けなかった…!)

 距離にして50メートル。屈んだジョウヤの後ろで姿勢を低くし、分厚い肩越しに覗ったタケミは冷や汗をかく。

 コブラのように長い毒牙に、鉤爪を持つ四本指、燕のような形状の先別れした尻尾、ハクビシンのようなシルエットなど、お

おまかな特徴が野襖(のぶすま)にも似ているソレは、亜種の野鉄砲(のでっぽう)。野襖よりも危険とされる生物である。

 体長は通常種の1.5倍近くある3メートル。尻尾も1メートル半はあり、全身がきめ細かい短毛に覆われている。体を彩る

白と灰色の斑模様は、アルなどが身に付けるタイガーパターンの迷彩服のように保護色となり、霧に溶け込みやすい。

 特筆すべきは、イタチよりはイヌ科のソレに近い頭部。野襖よりも攻撃的な彼らは、鋭い牙を備えた頑強なマズルの一噛みだ

けでも脅威。厚さ1センチの装甲版が簡単にひしゃげる噛合力で噛まれれば、ひとの腕や足が簡単にもげてしまう。

 通常種と比べて手足の間の飛翔膜は面積が狭く、空中機動では劣るが、四肢の爪は長大化しており、虎などのように先が鋭く

て湾曲した形状。単純に肉食獣としての機能性やポテンシャルでは純粋種を凌駕する。

 霧が濃い場所を好むので熱海などの長城近辺…大穴外周部では殆ど見られない危険生物なのだが、濃霧が晴れない南エリアに

は定着している。

(団長さんは、何で気付けたんだろう?)

 金色の目を光らせて獲物を探しているらしい野鉄砲の存在を、盲目のはずのジョウヤは気付かれる前に察知した。その鋭さに

タケミは感嘆する。

(これも、今までの行程で足取りに危なげがなかったのも、異能の作用なのかな?)

 タケミはジョウヤの異能について、「ドレッドノートには五感以外の物で対象を感知する力がある」とだけ知っている。まる

で直接的な回答を伏せる謎かけの一文のようだが、それしか判らない。

 潜霧士の異能は知られる事が弱点に繋がるケースもあるため、公開されていない場合もある。ヘイジのように限定的にしか公

表せず、その応用性などについては伏せている潜霧士も居る。ジョウヤの異能もそういった伏せ札の一つで、近しい者や公的機

関の担当部署以外には全貌が知られていない。

(五感以外の物…?何か超感覚みたいな物で、周りが見えているように行動できる?でもそれだけじゃない。単に感覚系の異能

だったら分類は「法則型」にならない。それに、「感知する異能」って表現するんじゃなく、「感知する力がある」って言われ

ているのも不自然だ。異能の真価は感知能力じゃなくて…、もっと別の…)

 伏せてある異能について問い質すのはマナー違反だと思いながらも、気になるのであれこれ考えてしまうタケミ。本人は自覚

していないが、いつも他者と距離を取って恐々と眺めている少年は、ジョウヤの事をもっと色々知りたくなっていた。

「…どうやら移動するようだ。迂回して接触を避けながら進もう」

「は、はい…」

 しばし警戒していたジョウヤは、野鉄砲が身を翻して霧の中へ歩き去ると、少年を促して移動を再開する。戦闘になるかもし

れないと不安がったタケミはホッとしたが…。

(団長さん、交戦を極力避けるスタイルなんだ…。今回は移動ルート確認のためのダイブだし、地元の潜霧士じゃないボクが居

るからかもだけれど…)

 ここまでの道中、ジョウヤは危険生物の存在をいち早く感知しては、止まってやり過ごしたり迂回したりと、戦闘を避けなが

ら少年を導いてきた。タケミは今日ここまでの道中で一度も黒夜叉を抜いていない。駆除が目的ではない潜霧では、不要な戦闘

行為を避けるのがこのダイバーのやり方なのだと、少年にもだんだん理解できてくる。

「この付近はウォールDとEの中間辺りになる。ゲートから大穴の奥を目指したら通らないからね、潜霧士が通りかかる頻度が

低い分、危険生物も多い。特に野鉄砲はこの辺りから北にかけて、個体ごとの縄張りが重なり合う格好で帯状に分布していてね。

ちょっとした地雷原のようにゲート間の行き来を阻む帯が出来上がっているのさ」

「帯状に…。つまり、戦闘を避けて行き来するためには、そこをこっそり抜けるか、北側を大回りして移動しなきゃいけないん

ですね…」

「そういう事だ。ただ、帯状の要注意エリア内にも危険度の差はある。今日は比較的抜け易いルート二つを使って往復するから、

覚えておいておくれ」

「は、はい…!」

 今回のダイブ目的は隣のゲートまでの往復だが、これは南エリアに慣れるための潜霧活動という以上の意味を持つ。南エリア

では停電や断水、地震も多く、いつ移動経路が寸断されて安全地帯が損なわれるか判らない。長城外側の陸路が損壊して使えな

い時、あるいは人為的な封鎖が行なわれた場合、大穴内を移動して他のゲートへ向かう必要に駆られるケースもあり得る。この

ダイブは、いわばルート確認しながらのタケミの避難訓練でもあった。

「しかしタケミ君は足が早い。この分だと予定よりだいぶ早く帰り着く事になりそうだ」

 夕暮れの帰還を想定していたジョウヤは、少年の健脚について言及し、頼もしそうに微笑む。

「予定の休憩ポイントだ。少し早いが一息入れよう」

「はい!」

 ジョウヤに先導されて、元は灯台だった物が倒壊し、岸壁の残骸と共に苔と蔦に覆われて緑の丘になっている所へ移動すると、

少年はマスクを取らずにストローで水分補給する。

「両親ともに一等潜霧士だと、プレッシャーもあるかい?君の腕前はそれに追われて出来上がった物だろうか?」

「あ、いえ、その…」

 タケミは口ごもり、ボトルから飲料水を飲んでいるジョウヤの反応を上目遣いに窺いながら、やや複雑な胸の内を語った。

 両親の記憶が無い。それが少年の中で親への気持ちを決め兼ねる原因になっている。自分を産んで無くなった母と、会った事

が無くて言伝にだけ聞く父…。居ないのが当たり前だったから向き合い方が判らないというのが、幼少期からの正直な感想。

 ただ、潜霧士になって、霧に潜って、同業者から話を聞いて、両親はそういう人達だったのだなと、祖父やユージンから聞い

ていた以外の側面について、印象を固める事ができつつある。

「凄いひとだったんだって、思うんですけれど…。雲の上のひとって言うか、お父さんもお母さんも遠過ぎて、潜霧士として自

分がどういう風にならなきゃっていう、指標とかにはならないって言いますか…。所長の指導について行くだけで必死だから、

あんまり意識できないかもです…。ただ」

「ただ?」

 思いついたように口調を変えたタケミに、ジョウヤは先を促した。

「所長とか、親しい同業のひととか、土肥の大親分さんに話がきけて、ちょっと距離が縮んだ印象です。失敗もするし、面白い

こともやらかした、って…」

「なるほど、それは良い」

 サラブレットと目され、周囲からプレッシャーをかけられ続けたりはしないか。それが重圧になって無理をしてはいないか。

そんな心配が杞憂であったと認識し、グレートピレニーズは微笑する。

「お母さんの事はどうかな?人となりが判ってきて、恋しくなったりは?」

「それは…、ええと…」

 不破陽子。一等潜霧士。自分の母。ユージンやダリアにとってはかつての同僚。色々と武勇伝もやらかしも聞かされた、超一

流のダイバーにして超一流のトラブル体質。

「…ダリアさんが、部分的に似てるって言いますけれど…。ホントかなっていう疑問が…」

「だはっ…!」

 突然妙な笑い声が聞こえ、顔を上げるタケミ。ジョウヤは口元を押さえて「失礼」と笑いを堪える。

「え?似て…ます?団長さんもお母さんの事、知ってますか?」

「まぁ、一等潜霧士だったから多少はね。だが、うん、似ている所もあるかもしれない…」

 見えない目を細め、グレートピレニーズは悔やむ。この目で顔立ちを確認できないのが残念だ、と。

「この名前も、お母さんが考えてくれたそうなんです。お爺さんもお父さんも名前に「ミ」が入るから、息子でも娘でも音にミ

が入る名前にしたがっていたって、お爺さんから聞きました」

「うん。良い名前だ」

「時々、女性の名前と間違えられたりしましたけど…」

 タケミは少し気恥ずかし気に視線を下げ、指を噛ませ合いながらモジモジ言う。

「そうなのかい?」

「団長さんの名前は素敵で良いですよね?幻想的で、不思議な印象の名前で…」

「でへっ…!」

 また妙な笑い声が聞こえ、顔を上げるタケミ。ジョウヤは口元を押さえて「失礼」と咳払いする。

「…僕ら字伏の家では、生まれた子供には交互に、昼夜に関する物を含んだ名前がつけられてきたんだ。僕らきょうだいもそう

だ。僕は夜に属する名前で、テンドウは昼に属する名前…というようにね」

「そうなんですか…。あの、それはずっと?」

「ずっと、だね。字伏家が伊豆と深く関りを持つよりも前、家系を辿れる限りのずっと昔からそうだった。君の家は?」

「たまたま、だったみたいです。お爺さんもお父さんもそういった意識はなく名前にミが入っていて、お母さんに言われて気付

いたって…」

「新しい伝統、と言えるかな?」

「そうなんでしょうか?」

 しばらく穏やかに雑談しながら休憩したふたりは、やがてつつがなく折り返し地点に到達し、遠目にウォールEのゲートを望

む地点から復路について…。

 

(なかなかやる。四等潜霧士…だったな?だったはずだ)

 マラミュートは霧の中、繰り広げられる狩猟を見つめていた。

 地面にめり込むほどの勢いで大刀を振りおろし、飛び退いたイタチのようなムササビのような巨大哺乳類を青い目で睨みつけ

るシロクマ。

 深く曲がった左脚、出っ張った腹が太腿に乗るほど曲げた腰、大刀を掴む両腕、それらが一気に連動して爆発的な駆動力を生

み出し、降り下ろされた重量物がバネ仕掛けのような勢いで跳ね上がる。

 カンッと軽い音が響いたかと思えば、バックジャンプした野襖の顔面が、跳ね上げられた黒大刀の切っ先で両断されていた。

(粗削りだ。が、それを補って余りある膂力、瞬発力、反応速度。逆に言えば粗削りである事を基礎身体能力が許容している)

 扱い難いはずの超重量の大刀を軽々と振り回し、危険生物を白兵戦で圧倒する。見栄えの良い武道の型などからはだいぶ外れ

ているが、タケミの祖父に基礎となる技や身のこなしを仕込まれ、実戦で磨き経験で裏打ちされた戦技は、殺傷性能と破壊性能

においては文句のつけようがない。強いて言うならば、体力の浪費を抑える為にもう少しモーションや姿勢を改修する余地があ

るという所。

「逸材だ」

 顔面を割られて暴れる野襖に追いすがり、必死の抵抗を制してとどめを刺すアルを眺めながらマラミュートが呟くと、

「テンドウがその評価とは珍しい」

 パグが難しい顔で唸った。彼自身もシロクマ少年の狩猟技術に舌を巻いている。そんな中でマラミュートだけが淡々と、アル

について分析している。

「狩るべくして狩る、壊すべくして壊す。狩猟についてはよく訓練されている。多くの潜霧士、多くの人々とは違い、生命を奪

う必要があるならば躊躇しない…、「行動に対する呵責の無さ」という点が優れている」

「…つまり、「比較的お前に近い」と?」

 パグの問いに「端的に言えば」とテンドウが頷く。

(この「潜霧するだけのために育てられた」字伏の次男坊に近い点を、褒めて良いんだか悪いんだか…)

 特殊な生い立ちのテンドウと比較し、パグの潜霧士は複雑な表情を見せる。

 アルが預けられた班では、ゲートから北進し駆除目的の潜霧が行なわれていた。その狩猟の遣り方も土肥などとはだいぶ違っ

ており、基本的に「一対一の状況を作り出して仕留める」という物。仕留める者以外は、集団で獲物を囲い込み、逃がさないよ

う包囲しつつ、周辺の警戒をこなす。これは機械人形が不意に現れる可能性があるが故の警戒態勢も兼ねた狩猟体制だった。

 とはいえ、野襖とタイマンをさせるというこの時点で、もはや普通の狩猟ではない。主力に求められる実力の水準がデタラメ

なのが、この南エリアの狩りである。

 もっとも、それができそうに感じられて、試しにやらせてみたら期待以上に問題なくこなしてしまったアルの狩猟技術に、南

の男達が驚かされる羽目になったのだが。

「あっづぅ!すっごい蒸ス!」

 野襖を仕留めるなり、アルは口を大きく開けて舌を出し、激しく喘いだ。

 霧が濃く湿度が高い上に、獣化因子が刺激されて活性化しているせいで、体の火照りがおさまらない。不調と言うほどでもな

いが、環境の差もあってすぐに体温が上がってしまう。

「お疲れ。解体は任せて休憩しておけ」

 シャツの裾を掴んで捲り上げ、デベソを晒してバフバフと空気を入れているアルに、パグが飲料水の入ったボトルを放る。

「どもっス!調子は良いのに暑いのが辛いっス…!熱海より10℃くらい高い気持ちっス!」

「地熱の影響はあるが、流石にそこまでは違わないだろう。ただ、体感温度はそうだな…。湿度のせいでかなり高いはずだ」

 捲り上げたシャツを腋で挟み、乳首から下を丸出しにした状態でドリンクを飲むアルに、パグはそう説明した。

 同じ大穴内でも南エリアは特に湿度が高く、ジオフロント直結の排気口がいくつも開いているので、地熱も廃熱されて気温が

高め。数字で言えば2℃前後高くなる程度だが、体感気温はだいぶ差がある。

「まぁ慣れだな、慣れ。獣人は自分で感じる暑さ寒さ以上に、高温にも低温にも耐えられる。気温が50℃ある中で長時間作業

しても火傷も負わず、肉体の機能は健全な状態で維持される。単に気持ちの面では辛いだけで」

「その辛い気持ちを何とかしたいんスけど…」

「繰り返すが、慣れだな、慣れ」

「慣れっスか~…。慣れるっスかね~」

「あと、この辺りはアブバッタが血を吸いに来るから、地獄の痒みと腫れに悩まされたくなかったら、その腹しまっとけ」

「早く言って欲しい気味な情報なんスけど!?」

 慌ててシャツを下ろしてしっかり腹を隠し、溜息をつくアル。ボトルは一気飲みで即座に空っぽになっていた。

(しかしだ、不慣れであってもこの動き、この働き、…大将のところの若手はふたりともこうなのか?であれば…)

 マラミュートは思案する。兄が連れて行った少年も、このシロクマと同等の腕利きだとするならば…。

(特に問題はない!腕が良いから目をかけているだけ!別に好感や好意による密着具合ではないという事!よからぬアレやコレ

の心配は無い!)

 人知れず何やら納得し、安堵もするテンドウであった。

 

「ほいほい、回収しまっせ~!」

 大型作業機の巨躯が安定した動作で近付くと、月乞いのメンバー達は大型の蟹のような危険生物…土蜘蛛の絶命を確認するな

り、離れて場所を開ける。

 ボイジャー2のハサミ型メインアームで息絶えている土蜘蛛を持ち上げ、テイルアームを併用して後部に積んだ籠…一夜漬け

で防護フェンスの残骸を溶接して造った簡素な構造のキャリーボックスに放り込むと、ヘイジはゴーグルに表示された確認デー

タをチェックする。

「前脚の収納鎌は無傷ですわ。大振りな逸品やで。研いでそのままナイフにできそうや」

「それは助かる!潜霧道具になる物は何でも、いくらでも欲しい所だ。何せこっちは何から何まで貧乏だからな!わはははは!」

 大弓を担いだガッシリしたピットブルが、ボイジャー2の上の狸を見上げて豪快に笑った。

 加工場や工房も少なく、職人自体が不足している南エリアでは、武装の調達やメンテナンスにも工夫が要る。月乞いに限らず

各潜霧団は、武具類や増設プロテクターなどに、危険生物や機械人形から剥ぎ取った物をそのまま活用していた。

 職人ほど本格的ではないが、この辺りのダイバーは加工技術に長けており、ナイフなどの小物や鏃などであれば誰でも危険生

物の素材から自作できる。今回の遠征では、時間を見て少年達にもそういった工夫を見て回らせたいと、ユージンもヘイジも考

えている。何かが足りない時、有効活用できる物を見つけて利用できるかどうかが、ダイブ中に生死を分かつ事もあるのだから。

「甲殻も厚くてヒビが無い。投げナイフが補給できるな」

「矢も増やせるし、小刀を新調したかった奴が誰か居たはず…」

 話しながらも周辺警戒態勢に戻り、移動を再開する三名のダイバーに、ボイジャー2を駆るヘイジが続く。

 月乞いは総勢12名だが、基本的に四人一組の班行動で潜霧活動を行なう。そして最低でも四名は不測の事態に備えてゲート

で待機するのが基本の体制。今日はジョウヤがタケミと行動し、テンドウ含む四名がアルの指導を行ない、他の四名が留守番し

ているため、ヘイジは三名の班に同行していた。

「しかし、凄まじいな…」

 パピヨンが唸る。霧の先、他の二名とヘイジには見えていない位置の、狩猟痕跡を異能の視力で確認して。

 ユージンはゲートを中心にした広範囲を気ままに単独行動し、目についた危険生物などを駆除して回っている。若手達の授業

料として成果品は丸々譲るという取り決めになっており、ヘイジ達の班は日課のエリア巡回をしつつ、これらの回収を行なう役

回りだった。

「このペースやったら、あと二回積んだらまたゲートまで降ろしに戻らなあかんわ」

「大猟ではありますがね」

 ボイジャー2の斜め前を往きながらパピヨンが笑う。

「まぁボイジャーの足回りの慣らしには丁度ええ移動量ですわ。たっぷり「経験」積まして貰いましょ」

 軽口を叩き合って次のポイントへ向かいながら、ヘイジは、ああやっぱりな、と何とも言えない寂寥感を抱く。

 タケミもアルも良い腕の潜霧士である。だが、それでもユージンについてゆくにはまだまだ実力不足。

 ヘイジですらそうである。キャリアーとしての運搬能力、簡易ベースとしての拠点性能を重宝がられてはいるが、肩を並べら

れる水準には無い。

 ただ「先へ進む」というだけならば、「深く潜る」というだけならば、ユージン独りの方が最高効率。彼と共に征ける者など、

現役の潜霧士を広く見渡しても数名しか居ない。

(独りの方が気楽で実力も出せる…。皮肉なモンやで…)

 

 煙る白の中、巨躯が一つ佇んでいる。

 孤影は仕留めた土蜘蛛を見下ろし、致命傷の一発…主神経節を破壊した素拳による顔面の陥没以外に損傷が無い事を確認する

と、撃たなかったリボルバーをホルスターに戻し、肩をほぐすように回しながら歩き出す。

「…よう「きょうだい」。今日は饒舌じゃねぇか?ええ?」

 笑い混じりに低く呟いたユージンの顔の横で、霧が流れを変えて文字を作る。

 歩み続ける巨漢のペースに合わせ、霧に浮かんだ文字は表示を続け、危険生物が居る最寄りの座標を伝える。

「霧が濃いから調子がいいか。だが、あまり繋ぐな。こう頻繁に送って寄越しちゃあ疲れちまうだろう?」

 答えの無い、座標情報だけを示す霧の文字列に、金熊は目を細めて微笑しながら話しかける。

 それは、幼かった頃のタケミに向けていたような、柔らかで優しい笑みだった。

「…大丈夫だ。表層だったら何処でも問題ねぇ、助けが無くとも独りでやって行ける。ワシを誰だと思っとるんだ?」

 ニヤリと、不敵に口元を歪めてユージンは呟く。

「兄ちゃんだぜ、ええ?」