第三十一話 「霧の影響」
足元に波が押し寄せては、さっと引いてゆく。霧に煙った海岸線で、潜霧スーツ姿の少年はチャプチャプとブーツを海に浸し
ていた。
「こんなに広い砂浜が…」
呟いたタケミの少し後ろで、グレートピレニーズが「隆起する度に海岸線の位置は変わるがね」と応じた。
伊豆半島は日本列島に潜り込むプレートに乗っている。40年前から激しくなった地殻変動の影響は、半島の端であるこの南
エリアで最も顕著に確認できた。
潜霧上りにタケミがジョウヤに連れられてきた海岸線は、かつて海底だった所。半島が乗ったプレートが潜り込みの皺寄せで
隆起し続け、沖合まで遠浅の岩礁が続いている。かつて半島南の玄関口だったこの一帯は、今や水深が足りず大型船が乗り付け
る事が不可能で、小型船ですら点在する岩礁と浅瀬に阻まれて上陸に難儀する有様だった。
帯状の砂浜は見渡す限り向こうまで連なっているが、海岸線と居住区画の間に当たる幅自体も広い。なだらか過ぎて満潮時の
冠水範囲が異様に広いため、この土地を有効活用する事も難しい。
南エリアの居住区は隆起と損壊の都合で、徐々に盛り上がって来る海側へ移動を繰り返しているが、いずれはこの辺りにも建
物ができ、海岸線は南下するのだろう。
「50メートルほど沖までは、だいたい腰の深さだ。安全な水遊びには持ってこいだろうけれど、いかんせん子供が来るには、
南エリア自体がそもそも危険すぎる」
「何だか、勿体ないですね…」
素直な感想を口にしてから、少年は不謹慎だったかも、と口を閉じた。しかしジョウヤは気を悪くする事も無く、「そうだね、
勿体ない」と微笑んで同意した。
「活かせる可能性がある物も、ここでは有効に活用できない。貝類を採り易くても、それを買い付ける業者が無い。…もっとも、
本土の人間は買わないだろうが…」
「ここ、貝が採れるんですか?」
「試しに潮干狩りしてみるかい?たくさん採れるよ」
驚いて振り返ったタケミに笑いかけるジョウヤ。
この近辺の満潮時に広く水没する砂浜は、漁師が居ない事もあって貝類が大量に生息している。遠浅の砂浜では天敵も少ない
ので、養殖するまでもなく勝手に増え続けている。とはいえ、貝だけ食べていても生きられないので、住民の胃袋を満たすには
不足だが。
そして、摂れるのに出荷もできないのが痛い。因子汚染されているという印象が強く、商品として捌けないので買い取る業者
が居ないのである。
霧に含まれる、生物の因子を変質させる成分は、端的に言えば塩に弱い。塩水をかければ無害になるという単純な話ではなく、
100%の除染にはならないが、それでも減衰効果は認められている。潜霧上りの洗浄で使われるのも塩素系の成分が含まれた
シャワーである。
そのため、塩分濃度が濃い海中の生物には、霧による因子汚染の影響は微々たる物。熱海で暮らす人間達よりも影響は少ない。
加えて言うならば因子汚染は伝染しない。因子汚染の原因物質は、生物の体内で働きを終えると分解されて無害になり、残留
しないので、因子汚染された魚介類を摂取しても汚染がうつる事は無い。
だが印象と言うのは大事な物で、科学的に安全と言われていても、気にせず摂取する人間は少ない。食べると獣化するという、
科学的に否定されている流言による風評被害もまた、伊豆半島近辺区域の悩み所であった。
「もうじき日没かな」
見えなくとも光の強弱は判るジョウヤが、迫る日没を察して少年を促す。
「そろそろ帰ろうか。もうじき皆も戻って来る。初めての土地で疲れただろう?今夜はゆっくり休むといい。明日もたくさん歩
くのだから」
まるで肉親に気遣われるような安堵感を覚えながら、頷いた少年はグレートピレニーズに従って歩き出し…。
「あづがっだっス~!」
憩いのシャワータイム、何故か来てしまったアルに後ろから抱き着かれ、少年は遣り辛そうにシャワーを浴びていた。
「シャワーもう水にしてよくないっスか?冷水で。冷水がちでヨロシクっス」
「まだ体火照ってる?」
「マシになった気がするようなそうでもないような感じっスねぇ。相変わらず気味。具合が悪い訳じゃないっスけど、いづい(
落ち着かない、しっくり来ない、などの意)っス」
トイレと洗面台が同室の、ホテルのようなシャワールーム。風呂桶の中に立ってシャワーしているタケミは、真後ろから巨体
のシロクマがくっついているので窮屈な事この上ない。
「タケミは今までこういうの無いんス?」
単に邪魔するだけでなく、くっついた後ろ側から少年の腋の下を通して前に腕を出しているアルは、豊満な曲面を描くタケミ
の胸と腹を、ソープを泡立てた手で撫で洗いしている。
「どうなんだろう?その内に経験するのかな?体はずっと霧に慣らして来ているから、アル君みたいにはならない可能性も…」
抱え込むように回しているアルの腕の中で、タケミはくるりと回って向き直り、シロクマの額に手を当てる。
「頭痛とかは無いんだよね?熱っぽいだけ?」
「そうっス~!でもそうして貰うと熱下がるっスね、カクジツ!」
嬉しそうに短い尾をピコピコ振るアルは、
「冷却シート出しておくね」
「サンクス!でも違うそうじゃない気味っス」
少年の提案で不満げな顔になってからふと気付く。
「そう言えばっスけど、タケミって生まれつき「そう」っスよね?霧に中てられて人狼化するようになったとかじゃなくて、生
まれた時から人狼で…」
アルには他意が無い事が判っているので、タケミは素直に「うん」と頷く。むしろアルなどが相手なら遠慮や警戒無しで話せ
て気楽ですらある。
「最初からそうだと、オレみたいに因子が霧の影響受けたりしないとか、そういう事ないっスか?」
便宜上人間という事になっているタケミは、偽装の一環で霧抜きなども行なうが、今の所は霧から影響らしい影響を受けた事
は無い。異能の発現を含めて、獣化に類するような肉体の変化が生じた所はない。そもそも、霧中環境に適応する過程で身に着
けるはずのダイバーズハイが、タケミは霧に潜る前から発現していたのだが…。
「最初から完成形だったりしないっスかね?」
「最初から…?う~ん…。でも異能がまだ…」
完成形と言われてもピンと来ない。何せタケミは異能を自覚しておらず、そういう意味ではステージ7以下に相当するとも言
える。
「人狼化が異能だったりしないっス?」
「違うっぽいって、研究所では言われてるけど…」
これは白神山地の研究所が満場一致で認めている所なのだが、タケミの人狼化は獣人が獲得する異能とは別枠の何かである。
細胞レベルでの組織の一新や、組成変換としか言いようのない現象、質量の変化まで伴う、未知のメカニズムを含んだ「変身
現象」ではあるが、体質的な物に近く、原理やしくみの謎はともかく立派な物理現象であると、馬の研究主任…ハンニバルは結
論付けている。これに関しては最初から疑ってかかって再調査、独自に論文に纏めたナミも、結局は全く同じ結論に至ったので、
先入観やイメージが影響した説ではないと言える。
「タケミの異能もどんなのか気になるっスね~。オレ、ビームとか出る派手なのが良いっス!オレも年取ったら所長みたいにな
るっスから、期待して待ってるんスよ~?」
デベソを押し付けるように、身をくねらせて合わせた腹をこすり付けるアルに、「うん」とタケミは生返事。いくらモーショ
ンをかけても糠に釘である。
(う~ん…。やっぱり中年くらいじゃないとタケミはときめかないんスか?でもオレもいつか中年っス。ナイスミドルっス。そ
れまで待つっス。オレは待てる弟っス。待てビレオ)
全然靡かないタケミに、しかしアルはめげない。いつか自分もナイスな中年になって少年のハートを鷲掴みにできると自信満
々である。それはともかく…。
「今日は一緒に寝て欲しいっス~!夜中に具合悪くなったりとかしたら重大案件!明日のスコヤカな潜霧のためにも!」
「え?う~ん…、念の為にそうした方が良いかな…」
兄弟感覚なので簡単に要望を通してしまうタケミであった。
そして、倉庫を借りてヘイジが機器類の調整を行ない、各々が夕食を終え、早めに休息に入った後、金熊は与えられた部屋の
窓際に椅子を寄せ、霧が流れてゆく様が良く見える灯りを眺め、冷たい紅茶を啜っていた。
この辺りで飲まれている紅茶は、市街地で放置気味に露地栽培された茶葉を利用している。
元はまともな緑茶の品種だったらしいが、因子汚染された結果、どういう訳か紅茶…ほぼダージリンの味になるという謎の変
異を遂げている。品質の査定はさておき、味も香りも良く、水出し紅茶にする事で高い抗酸化作用も持つ。いちいち品物が不足
する南エリアでは、この紅茶は数少ない嗜好品として重宝されていた。
(体の調子がいい。これだけ濃い霧の中に長時間浸かるのは、だいたい二年ぶりか…)
育ての親の訃報を受け、白神山地へ急行し、タケミを引き取ったあの年。あれ以来ユージンは短い潜霧を中心にし、すぐに戻
れる浅い域だけで活動するようになった。タケミを連れて潜るようになってからも、熱海中心の潜霧ばかりだったので、濃度が
高い霧は久しぶりである。
「おう。開いてるぜ」
ノックに応じて返事をすると、気圧差の抵抗を感じられる音と共にドアが開き、ゴーグルを胸元に下ろして眼鏡をかけた狸が
姿を見せた。
倉庫で作業して来たヘイジは、ツナギ型の作業服を腰まで下ろして、上半身はタンクトップ姿である。
「月乞いからの差し入れがあるぜ。ワシは飲まねぇから二本とも貰ってくれ」
金熊の指さし動作に促されて冷蔵庫に歩み寄ると、扉をあけて銀色のビール缶を目にしたヘイジは、ヒュウと口笛を吹く。
「おおきに。遠慮なくご馳走んなりますわ!」
南エリアでは缶ビールも貴重品。早速一本取り、ユージンと向き合って椅子にかけた狸は、
「ご苦労。で、ボイジャーの調整なんかは聞く意味もねぇから報告は求めねぇが、「バイト」の進みはどんな塩梅だ?」
依頼を受けて進めている現地調査について問われると、「それなりの進捗ですわ」と応じる。
「大将、「あやとり」てご存じで?」
プルタブを起こしつつ、狸はそう金熊に問う。
「指に紐をかける、あのあやとりか?」
「そのあやとりですわ。あれと似た印象があります。「ここ」には」
ピンと張りつめた雁字搦め。無数の糸が複雑に絡み、その形にピタリと定まった状態…、それが南エリアに対してヘイジが抱
いた印象。
「同時に、糸の掛け替え次第で変わるんやないかて、思いもしましたわ」
「なるほど。まぁ、その紐を切るも縒るも、ましてやどんな形に編み上げるのかもマミさんの仕事だ。報告についてはヌシに一
任するが、調査の手が足りねぇようなら報告しろ。ワシもそっちに回る」
「予定に変更でもあったんでしょか?」
「…やり過ぎた」
ヘイジの問いに、ユージンは渋い顔。
「いやワシのせいだけじゃねぇ…。だが、危険生物が潮でも引く様子で長城近辺から遠のいた」
(いや個人で動いてはったんやし、間違いなく大将だけのせいでしょ…)
「そんな訳で、駆除を兼ねた狩りはさほど忙しくなさそうだ。上がる時間も早まって、多少の余裕は生まれる」
「さいですか。ほな…」
ヘイジは襟元に手を突っ込み、豊満な胸の間をボリボリ掻きながら視線を上の方で彷徨わせながら考えて…。
「大将は、ここの医療従事者に顔見知りがおられますやろ?」
「ドクの事か?」
「へい。その「ベルゼルガ」センセで…」
「懐かしい綽名だな」
「医療品の物流やら価格やらは、一般用よりも業務用を当たった方が、具体的な数字固め易ぅなります。消費量が比較にならへ
んさかい、専門家に確認するのが一番や」
「なるほどな」
頷いたユージンは、ヘイジの働きぶりに満足する。
潜霧士としての経験、腕前などだけが評価すべき点ではない。単独で生き抜いてきた経験から、仕事の進め方や、どうするの
が効率的か、より良い成果を出すにはどうやるのが適切かといった所を、ヘイジは弁えている。
指示するまでもなく自己判断で効率よく仕事をこなし、遠征の副業のように受けた話を、潜霧や行動の予定を狂わせずに進行
させてくれる…。そんな狸は、長らく若手の面倒ばかり見て来たユージンにとって重宝する所員になっていた。
「今回はマミさん絡みの話だったから是非もねぇが、ヌシが対処できそうな仕事なら、今後は自己判断で取って来て構わねぇぜ」
「手に余らへん程度に…でしたらそうさせて貰いましょ。行きがけの駄賃にサブクエストもこなしとくんは稼ぎの王道やさかい、
ワイもよう遣っとりましたわ。ところで、明日はアルはんが隣のゲートまでの経路確認で、タケミはんが近くの巡回でした?ワ
イと大将は変更なしで…」
「そうだ。明日は今日ほど狩らねぇ…いや、狩れねぇだろうから、運搬の手は空くだろうよ」
「それなら、バイトの方も進められますわ」
ゴギュッと冷えたビールを喉に流し込み、ヘイジは満足げに息をつく。
「滞在予定日数中に、滞りなく済ませてみせましょ」
そして深夜…。
「ん…、うん…」
顔を顰めて寝苦しそうに呻くタケミ。丸みを帯びたその柔肌に汗の玉が浮いている理由は…、
(眠れないっス…。ウズウズするっス…。これも霧の影響っスか…?)
巨体のシロクマが横から抱き着き、簡易抱き枕にされているせいであった。除湿の空調も温度管理も出力がだいぶ控え目なの
で、室内はあまり涼しくない上に湿気が抜けきっておらず、掛け布団代わりのタオルケットは二枚ともベッドから追い出されて
床に落ちている。
体が火照っているだけでなく、目が冴えてしまっているアルは、寝付けないまま悶々と過ごしていた。痛い、苦しい、辛いと
いった類の物ではなく、単に落ち着かないのが眠れない原因。慣れないエリアでの潜霧活動で疲れていても不思議ではないのに、
疲労感は全く無い。潜霧中も感じていたのは暑さ故の不快感だけだった。
身体と頭脳と神経が休眠を求めるどころか興奮状態にあるシロクマは、モゾモゾと手を動かして自分の股間をまさぐる。
(チンチン固くなってるっス…。ガチガチがち…)
下腹部が熱くて、陰茎がツクンツクンと鼓動で脈打つ。体力が有り余り、神経系は興奮状態。このまま待っていても寝付けな
いと、アルはそっとタケミから離れて寝台を降り、振り返ってベッドに向かい、床に膝をつく。そして熱源から解放されたタケ
ミの寝顔が穏やかになり、かつ起き出しそうにない事を確認すると、
(パンツッ!)
派手な下着…今日はビビッドな色使いが目を引くイギリス国旗柄の下着をザッ!と下ろす。
(シャツ…!)
そしてタケミの腹の辺りで捲れているシャツの裾を摘んでソ~ッ…と胸まで捲る。
行動は大胆に、そして隠密に、である。風を切る勢いで戻った右手が掴むのは、デプンと出っ張った下っ腹の影からそそり立
つ、大きい…とはちょっと言えないし何なら控え目なサイズで忌憚なく言えば体格に比して小ぶり過ぎる上に子供の形状の陰茎。
(ムラムラがおさまんないと寝れないっス。ナイスでグッド、快適スリープのためにはこれが一番っス!今夜は目の前にオカズ
あるっスから…)
舌なめずりしたシロクマは、薄明りに浮かび上がる少年の色白で豊満なボディラインを鑑賞しつつ、熱い物を握った手を動か
し始めた。
夜中に警報が鳴るなどして目覚めた際にも周囲が見えるよう、小さなオレンジの電球が灯る薄暗い室内に、口を閉じて押し殺
した浅い呼吸が響く。
肥えた体を揺すりながら、アルは左手を下っ腹にかけて肉を持ち上げ、右手で自分の陰茎をしごきあげる。薄青い瞳は熱を帯
びて濡れ、ベッドの上で寝苦しそうに汗ばんでいる少年の肢体に、嘗め回すような視線を這わせる。
「くふー…!んくふー…!」
弄り始めてから間もなく、先端から透明な汁がとうとうと溢れて、勃起してなお分厚い包皮を被ったままの陰茎が、クチュク
チュと湿った音を立て始めた。
(タ…タケミ…!…はぁっ!タケミっ…!)
抑えてなお熱い息を鼻から漏らしながら、アルは腹肉を持ち上げていた左手を上へ滑らせ、自らの腹や胸を撫で始める。
巨体の揺れはだいぶダイナミックで、床もミシミシ軋むのだが、疲労しているタケミが起き出す様子は全く無い。
(もっと…!もっと撫でて欲しいっス!隅々まで…!もっと…!)
少年に愛撫されているという状況を想像しながら、シロクマは左手でデベソを摘み、クニュクニュと指で挟んで揉む。
(タケミ…、タケミ…!しゃぶって欲しいっス、オレの…)
熱っぽい鼻息を荒らげるアル。想像するのは、意中の少年が上目遣いに自分を見上げながら、ソレをしゃぶる姿…。
(オレのデベソ…!)
しゃぶって欲しい箇所が何だかだいぶ風変り。時折本人も口にしているが、「特殊性癖の塊」という自称は割と本当であった
りする。
(もっと、激しく…んっ!)
突然の事だった。昇りつめてきたと思しき状態から、ほぼ前触れなくいきなりシロクマの陰茎が射精する。
「くふっ!?んくっ…!んんんっ…!くっふー!」
ビッ、ビッ、と断続的に体液を発射する陰茎。飛び散らないように左手を上から被せて歯を食いしばるアルは…、早漏である。
驚くほど、早漏である。
脱衣込みで開始から二分でだいたい至るファスト自慰。しかも本人も予想外の速度でゴールするソロプレイ。ボタボタとベッ
ド下の床に白濁した濃い体液が、青臭い未成熟な雄の香をムワリと立ち昇らせる。
(はぁ~…。今日も早かったっス…!もうちょっと、長持ち気味?持続がち?長くやりたいんスけどね~…)
ふぅふぅと息を整えながら、アルはティッシュで雑に陰茎回りを拭い、床を拭いて、ゴミ箱に放り込むと、疲労感がある内に
と、パンツを戻して再びタケミに抱きつく。やや物足りないが、疲れが残っては困るので今夜の所は一回で我慢した。
しばらくして、寝室では二つの寝息が追いかけっこを始めた。
なお、アルが寝起きに生臭くなっている事は前々から日常茶飯事なので、寝起きに異臭を感じても、タケミは全く気にしない
し、自分がオカズにされている事にも気付いていない。怖がりな割に、妙な所で鈍くて図太い少年であった。
そして翌日。
前日にタケミが歩んだルートを、今度はアルが月乞いのメンバー達と共に往く。
「危険生物多くないっス?」
「駆除する者が少ないせいだ。ゲートとゲートの間はそれぞれをホームにする潜霧士のダイブルートの隙間になる。我々も頻繁
に見回っている訳ではない」
先行するマラミュートが斜め後方のシロクマに応じた。
月乞いがグループ行動する際の基本陣形は、アルにとっては初経験となるフォーメーション…「バンガードスタイル」である。
神代潜霧捜索所の基本は、安定した移動を主眼に置いた「ムービングスタイル」。先行してルートの安全性の確認と索敵を行
なうスカウト。スカウトと本隊の中継役を務める遊撃手であるチェイサー。運搬役であり隊のベースとなるキャリアー。その護
衛役のフェンサーと、最後尾の殿役であるエンドから成る縦列陣形がムービングスタイルの基本。現状はユージンがフェンサー
とエンドを兼任しているが、陣形その物は基本に則っている。
しかし基本的に四名一組の班編成で潜霧する月乞いは、キャリアーのポジションを中心に、前方に三名が扇状に展開した陣形
を基本とする。
彼らのバンガードスタイルは本来よりも少人数な纏まりになるが、チェイサーを置かずにスカウト複数名で索敵と相互連携の
遊撃を行なうこのフォーメーションは、危険を排除しながらスピーディーに進むのに適している。
その一方で、この陣形はキャリアーが接敵地点に近い事や、フェンサー…護衛を伴わない事から、側面攻撃や奇襲に対して脆
い。各々に求められる対応力、戦闘能力、前衛の殲滅力がそのまま効率と安全性に直結するため、隊全体の質が求められる。前
衛が討ち漏らすとキャリアーの被害に直結するため、特に前衛の殲滅力が重視されるのだが…。
(委細、問題無し。この腕ならば多少の戦闘で使い潰す心配は無いな)
テンドウは前衛の右翼を任せたアルの移動を音で把握しながら、軽く顎を引いた。
ここまでの戦闘は三度。いずれもテンドウが危険生物を把握し、先制攻撃を仕掛ける形で駆除したが、アルはこの戦闘全てに
速やかに駆け込んで援護を行なっている。チェイサーとして優れた資質を持っているとユージンが評する通り、アルは状況を見
ながら遊撃して回る柔軟な立ち回りで真価を発揮する。その腕前はテンドウや月乞いの手練れが一人前と認めるレベルに至って
いた。
(あと4、5回は戦闘行動を挟んでも予定にずれは出ないだろう。迅速、良い事だ)
そんなテンドウの胸中を知らず、アルは斜め前を往くマラミュートの背中を眺めて考え込む。
(アメージング…)
昨日と今日、テンドウの戦闘を間近で見たシロクマは、正直な所、壁の高さを思い知らされた。
マラミュートの得物は長い柄の先に槍の穂先と斧が備わった複合武器、ハルバードである。突き、斬り、叩き割り、引っかけ
る。様々な用途を穂先でこなす武器を器用に操り、獲物を仕留めるのだが…。
(会って二秒で敵が死ぬ。だいたい即死案件っス…)
異能も見せていない。特に変わった武器や戦闘方法を用いるのでもない。おそらくは基本戦闘技術しか披露していないのだろ
うが、テンドウの戦闘は圧巻の一言だった。
ポールウェポンを叩きつけられた土蜘蛛が、それ自体が巨大な刃物であったかのように両断される。スイングに巻き込まれた
野襖が、上下に分断されて宙を舞う。長柄武器の一振り…その勢いと速度だけで、強靭な危険生物の体躯が紙細工のように断ち
割られてゆく様は、もはや現実味を欠いていた。
特筆すべきは威力だけではなく、その戦速。アルの目測では人狼化したタケミの機動性に迫る速度で、大柄なマラミュートは
敵の群れを屠って回る。いわば、人狼化したタケミがアルの重い一撃を繰り出しながら駆けずり回るような有様。しかもそれが
粗雑で力任せなのではなく…。
(物凄く訓練されてる感じっス。動きに無駄が無いって言うか、止まった所からいきなり動いて敵を仕留めるの、トラマルさん
達みたいな「ブジュツめいたムーブ」だったっス。爺ちゃんが言ってた静と動のカンキューとかいうアレっスかね?)
テンドウは一等潜霧士。ユージンやハヤタと同じ、ダイバーとして最上位の存在のひとり。生きる伝説とはこういう物かと、
シロクマは肌身で格の違いを感じ取った。同時に…。
(でもなんか…)
シロクマは思う。このマラミュートの行動や所作に、「温度の無さ」を感じる、と。熱が無いというか、冷めているというか、
機械的というか…。
(冷静なトラマルさんとかとも違う、変な冷たさがあるんスよね…。そこが気味悪い感じするっス)
「…とはいえ、真面目で腕が立つテンドウにも、困った癖があってね」
一方その頃。ゲートからまっすぐに奥へとダイブしたジョウヤは、休憩中に問われた弟の事を、タケミに一通り語っていた。
「安全性と確実性を重視するために、目についた危険生物…特に危険度が高い個体などについては、スルーできる状況でも仕留
めに行く。後続の安全のためには良い事なんだが、労力と、戦闘による損耗を二の次に考えてしまうきらいがある。…まぁ、そ
ういう風に訓練されたから、骨身に沁みついてしまっているんだが…」
周囲より少し高い位置…朽ちた鉄柱が倒れて横たわる昔の岸壁跡にあぐらをかいているグレートピレニーズは、砂に埋もれた
その残骸の下…1メートルほど下の死角になる位置に座って水を飲んでいるタケミから、
「え?弟さんは、団長さんから訓練を受けたわけじゃないんですか?」
と問われると、何とも複雑そうな表情になった。
「テンドウは、ずっと実家で育てられたからね」
その当たり前な、何もおかしな所がない発言に、タケミは違和感を覚える。
「ええと…、団長さんは、実家で育った訳じゃないんですか?」
「十三の時に自分の判断で家を出て、南に腰を据えたからね。その頃は父も健在だったから」
「???」
疑問の表情になったタケミ、その内心を察してジョウヤは補足する。
「「字伏家」は、霧の原因究明と解決の為に存在すると言っても良い」
かつて、伊豆半島が大隆起に見舞われるよりも前から、字伏家は南の玄関口を護っていた。
研究都市伊豆の海側正門を護る字伏。大隆起当時の家長は、その矜持と意地から字伏家に厳命とも呼べる家訓を課した。
字伏の男児は霧に挑み、これを解決すべし。
そのために字伏一族郎党の全てを費やすべし。
ジョウヤも、その父も、それに殉じて霧に挑んだ。テンドウもそうなのだが…。
「僕はまだ良かった。だが、幼かったから南エリアの父の元で育てられず、実家…本家に残したままだったテンドウは…、「霧
に挑む者」として以外の生き方を知らない子に育ってしまった」
「…え?」
困惑するタケミに、グレートピレニーズは天を仰いで続ける。
「本家は、親族は、テンドウが類稀な資質に恵まれている事に気付いていた。だから、施したんだ。質の良い鋼を刀剣に仕上げ
るように、素質ある犬を狩猟用に訓練するように、「霧に挑むためだけの字伏」としての教育を…」
幼少期を、思春期を、学習と訓練に費やし、いかにして危険生物を殺し、機械人形を破壊するかという理を叩き込まれ、「例
え片道でも霧の底へ届くように」と、放たれれば戻らない矢のように鋭利に研ぎ澄まされた。
故に、ひととしての様々な物がテンドウには欠けている。世間一般の常識にも疎いのは、霧の中で生き、霧の中で死ぬために
「鍛造」されたから。本家に居た頃の彼は、機械人形と同程度に人間から離れた存在だった。
もしもジョウヤが、戦力補充の名目で本家から強引に引き剥がし、南へ連れて来なければ、今よりももっと人間性が欠けた生
き物として完成していただろう。今の時点ですら、潜霧士でなければ社会不適格者と言わざるを得ない、歪な価値観である。
「悪い子ではないんだ。ただ、色々と欠けてしまっているだけ。物事の優先順位がひとと違っていて、普通のひとが感じるよう
な情動がひどく偏ってはいるが、そこに悪意も悪気も無いんだ」
そう述べるジョウヤに、テンドウが特別心を寄せるのは、一種の擦り込みにも似ている。
霧の底への到達を目的に「鍛造」された少年にとって、外へと自分を連れ出した兄は、卵の殻の外に見た最初の存在。多少獲
得できた人間性も、ジョウヤが付き添う事で学べたから。
「…あの、実家って、そんなに怖い所…だったんですね…」
感想が失礼な物になりそうで、少しおどおどしながら言った少年に、
「その通りだよ。だから君は字伏本家とは関わらない方がいい」
ジョウヤは静かに、心の底から願う言葉を告げた。
「あれがゲートだ。では大休止」
到着した高台…二代前の長城の一部が元の形状も残さずに崩れてできた丘の上で、マラミュートは遠く霞む現役の長城と、そ
の上でゆっくり回る風車を指さした。
目的地に着いたら後は帰るだけ。淡々と休息を指示したマラミュートに、「え?近くとか見て回らないんス?」とアルが問う。
「見物したいなら休憩中に自由に行なってよし。この辺りは危険生物も少ないが、気は抜かないように」
「ワッツ?少ないんス?」
「駆逐されているからな」
短く応じたテンドウは、「機械人形の痕跡が無いか探してみる。四十分後に集合」とメンバーに告げると、単身で陸を下って
霧の中に消えた。
「ほら、水分補給」
パグがボトルを投げてよこし、シロクマはそれをキャッチして一気に飲み干す。調子は悪くないのだが、体温が下がらないの
が不快である。発汗しても湿度が高いせいでなかなか乾かない。
「何だったらそこらにある水源で顔とか洗って来ても良いぞ。テンドウも言ってたが、危険生物はあまり居ない。君ぐらいの腕
なら、注意しながらだったら一人でそこらを散歩しても大丈夫だろう」
これを聞いたアルは、水でも被れば暑さもましになるかと考え…。
(水音っス!水、それはウォーター!)
耳をピクつかせながら、水源を探って霧の中を進むシロクマ。
そこらに無害なナマコは居るが、危険生物の姿は無い。ゲートをホームにする潜霧士達がこまめに狩っているのかもしれない
と考えながらも、警戒を怠らずにアルは草を掻き分ける。
(これススキっスかね?背が高い草が多いっス)
砂地に岩が顔を出すエリアは、草が群生する水気が豊かなエリアに隣接していた。隆起した際に大きな変動があったのか、壁
のように聳え、地層を覗かせる崖が行く手に見えた。
地盤が盛り上がって切り立った崖を形成したそこは、蔦や草が茂って苔に彩られ、緑が豊か。崖の上から水が流れ落ち、あち
こちに細い滝が見える。
出発前にメンバーが言っていた「白糸滝群」とはあれの事だなと、シロクマは歩みを進める。
(確か、小川になったり泉になったりしてる所があるって話だったっス。頭から水被って体冷やしとくっスか!)
体の火照りは初日と比べればだいぶマシになってきたが、それでも蒸し暑くて不快な感覚には慣れない。水音を頼りに霧と草
の中を注意深く進んだアルは、やがて…。
(水場っス!なんか想像してたのとだいぶ違う系の水場っス!パラダイス!イェア!)
白い霧が漂う中、崖に囲まれた窪地のような場所にその水場はあった。ただし、直径30メートルはあろうかという、滝が注
いで溜まった水が、木立と草むらに覆われた泉を形成し、思っていた水場よりもだいぶ大物かつファンシーな景観になっている。
(妖精とかカミサマとか出て来そうっス!斧とか投げ込むと金銀ノーマル三重取りのタメニナル童話!)
体丸ごと浸かって水浴びできそうだと、喜び勇んで泉に接近しようとしたアルは、
(ん?)
耳をピクリと反応させ、滝の音や、小川となって流れてゆく物とは別種の水音を捉えるなり立ち止まって、素早く腰を屈める。
身を低くした警戒態勢でベストの胸ポケットに手を入れ、取り出したのは、オペラスコープ形式のコンパクトに収納される折
り畳み双眼鏡。高性能ではないが取り回しが良いシンプルな補助器具を開いて覗き、泉を注意深く観察したシロクマは、
(何か居るっスね…)
霧が立ち込める泉の水面上に、影を認めて目を凝らす。
危険生物かと、シルエットに様々な特徴の怪物を当て嵌めつつ、スコープのツマミを調整してピントを調節してゆくと…。
(ひと…。獣人っス)
そこには、水浴びする獣人の姿があった。
霧を映して白く見える水面に、全裸で太腿上部まで浸かっているのは、ずんぐりしたシルエット。
黒い手が泉の水を掬い、白い胸元を撫で上げ、豊満な乳房を下から持ち上げるようにしながら洗い流す。アルが耳にした水音
の正体は、この水浴びに伴う音だった。
体の大部分は明るい茶色だが、顎下や喉、胸や腹、手足の内側などは白い。肘と膝から先は黒い毛で覆われている。
それは若いキタキツネの獣人。体中どこもかしこも肉が厚く、被毛も密度が高く、丸々としているせいで、だいぶ狐のイメー
ジから離れているが。
比較する対象が少ない水上だが、感覚的にさほど大柄ではなく、中背であるとシロクマは認識する。タケミよりは少し背が高
いが、体重はもっとあるだろうというのがアルの印象。
胸などを手が撫でた際の肉のへこみ具合や揺れ方から、モチモチした体脂肪の厚さが窺える。ただし贅肉だけがついている訳
ではなく、太腿や二の腕は逞しく、肩も丸みを帯びて盛り上がっており、背中も肩甲骨付近が筋肉で膨れ、腹の背面側が浅いS
字を描いてヒップラインへ繋がってゆく。
その狐は、丸みを帯びた豊満な体でありながら、野性的でしなやかな強靭さを備えた体つきであった。
(若いっスね…。男?ん~…、あ。チンチンついてるから男っスね。二十歳ぐらいっス?オレより少し年上気味…。潜霧士っス
よね?首にタグ下げてるっス。…あれ?タグっスよね?なんかジャラジャラいっぱい吊るしてあるっス?)
スコープでその容姿を確認していたアルは、その区切られた視界の中心で、前触れもなく狐がこちらを向いた事でハッとした。
赤味を帯びた、磨かれた銅を思わせる瞳が、スコープのレンズ越しにアルを見返す。
肉眼での視認が難しい距離に加え、草木や霧もある。はっきり見えるはずはないのだが、アルは確信した。気付かれたと。
(何で気付いたんス!?)
覗き見に伴うちょっとした後ろめたさから手元がブレて、視界が揺れ動き、改めてスコープを戻した時には…。
(…居ないっス)
そこには狐の姿はなく、波打つ水面だけが見える。直後…。
「!」
ブワリと全身の被毛を逆立てて、アルは地べたに伏せた。その横手、1メートルも離れていない位置で、ヂッと音を立てて草
の葉が飛び散る。ほんの一瞬、赤く線が走ったように感じたが、実際に見たのか何かが光った反射なのか、アルには判断がつか
ない。千切れた葉の残骸を視界の隅で確認し、飛び散った範囲が直線状である事を把握し、狙撃された事を確信するのがせいぜ
いである。
(今のひとっスか!?危険生物と見間違えられた!?ってか素手だったっスよね!?あの位置から水際まで移動して武器を取っ
たんス!?それとも…)
異能。
その単語が脳裏を過ぎった瞬間、吹き散らされて宙を舞っていた草の葉が、一斉にヂュッと音を立てて白く染まり、灰になっ
て散り、霧に紛れる。
狙撃からコンマ数秒。遅れて感じた「熱」に、アルはゾクリとする。
草を飛ばして燃やし、瞬時に灰に変えた物の正体が何なのかは皆目判らないが、狙撃の射線は「まともな物」ではない。特殊
な弾丸かレリックの武装を用いた狙撃。あるいは異能による攻撃だと仮定し、同時に正確な位置は掴まれていないと考えたシロ
クマは、草葉を揺らして位置を特定される事を避け、移動したいのをグッと堪えて息を殺す。
声を上げてひとである事を訴えようかとも思ったが、止めた。
もしも、タケミが遭遇したような、ヘイジに工作をもちかけた正体不明の集団のような相手だったなら…、悪意や敵意がある
潜霧士だったなら…、その可能性を考えると声を上げるのは危険だった。
(やたらめったら撃ち込まれたらお手上げっスけど…!)
祈る気持ちで気配を殺し、二射目を警戒するアルだったが、
(…来ないっスね…)
五分経っても、十分経っても、続く狙撃は無く、射手が直接確認に来る事もなかった。
念のためにたっぷり時間を取って周囲を窺い、ソロソロと後退して泉から距離を取ったアルは、
「…誰なんスかね…」
水浴びを諦め、水源から遠ざかって休憩地に戻りながら呟いた。
全身が緊張の汗でじっとり湿り、体温も脈拍も上がっている。スコープ越しに見た銅色の双眸が、はっきりと記憶に焼き付い
ていた。
ただ者ではない。
月乞いのメンバーや俵一家の精鋭達など、最近腕利きの潜霧士をそれなりに見る機会があったアルは、一目見て確信していた。
俵一家の熟年ツキノワグマや、大親分の懐刀であるキジトラネコ。彼らに感じるのと似た「匂い」が、あの狐にもあったと。
泉から離れた草むらで、狐はブルルッと肥えた体を揺すって水気を跳ね飛ばす。
そして近くの低木珠の枝に吊るしていたレインコートのような薄手の外套を掴むと、バサリと翻し、まだ水が滴る丸い豊満な
体の上に羽織る。
その胸元で、太い紐に通された認識票が揺れた。
シャラン…と微かな音を立てたタグは、一枚ではない。複数枚が束ねて紐にかけられている。ただし、一枚を除いて中央にパ
ンチで穴が空けられたタグ…、引退か所持者死亡によって廃棄手続きをされた物だった。
狐はシートに包んで纏めた装備品を抱え、アルファベットの「H」のような形状の、グリップの上下に銃身があるゴツい銃器
を右手に引っ掴むと、
「………」
しばしその場に中腰のまま留まり、異形の銃に左手を添えて臨戦態勢を維持。耳を小刻みに動かして接近して来る者が無いか
確認してから、身を翻して駆け出した。
ボッ…、と、狐の丸い体に押し退けられた空気が暴れて唸る。明け方の辻風のように霧を裂き、その姿はあっという間に白い
風景に溶け込み消える。
人間離れどころか獣人離れした速度で彼方へ去った狐は、現場に痕跡らしい痕跡も残していなかった。