第四話 「内々の話」

 昼食を終えたユージンがタケミを引き連れて訪れたのは、かつて小山臨海公園と呼ばれていた近辺だった。

 熱海中心部にアクセスする鉄道が敷かれ、通常の車両の他、貨物列車がひっきりなしに往復し、有事には列車砲が駆け込む防

衛ラインでもある。バスの便も多く、ひとの往来が多いこの近辺は店も娯楽施設も多く、ダイバーが集う広いバーもいくつかあ

る賑やかな区画となっている。

 ユージンはここの山側…つまり大穴側の斜面に穿たれた、大きな地下モール入り口で立ち止まり、人ごみの中で遅れていたタ

ケミが追いつくのを待った。

 潜霧士用の施設は伊豆の各所に必要だが、施設を建てるにも土地が限られているので、伊豆半島の沿岸部を取り巻く沿線の下

や、山肌に掘り込む形で、それらが集合した大規模な地下モールがいくつも作られている。

 一般人の立ち入りを部分的に制限するのにも都合が良く、紛れ込みを防ぎやすい半閉鎖空間なので、潜霧士御用達の店や、危

険生物の死骸やそれら由来の素材、大穴の中で見つかった品を取引する店やオークション会場、潜霧組合などは、基本的にモー

ル内に作られていた。

 ユージンが先代…つまりタケミの祖父を所長として働いていた頃から懇意にしている工房がここに店を構えている他、熱海で

最も大きい査定場…政府認可を受けている、危険生物やレリックの鑑定を正式に行う公的な施設もある。

 入り口近辺にはコンビニや土産物店、飲食店が軒を連ねながらも、モール中ほどから奥は関係者以外立ち入り禁止の専門区画。

観光と日常生活、潜霧と非日常が、壁どころかゲートや扉一枚で隣り合う現在の伊豆半島の縮図が、こういったモールにはある。

 モール中ほどにある、駅の改札にも似たゲートに歩み寄ると、ユージンは首にかけている認識票を摘まみ、成人男性の肩ほど

の高さにある読み取り装置に翳しつつ通過。

『認証、一等潜霧士「雷電」』

 電子音声と共にゲートに緑ランプが灯り、続くタケミもワタワタとシャツの下から認識票を引っ張り出し…。

「えぼっ!?」

 襟に引っかかって出て来なかった認識票の読み取りが遅れ、開かなかったバーにふくよかな腹部を痛打。むせながら改めて読

み取りにかけ、今度は無事通過する。

『認証、五等潜霧士「ウォルフ」』

 潜霧士のダイビングコードは、正規免許取得…つまり六等潜霧士の資格を得る際に申請して登録される。

 ユージンのダイビングコードはタケミの祖父につけて貰った、異能の名称と同じ。そしてタケミは、現在は死亡した物として

登録を抹消されている、行方不明の父が使用していたコードを貰っている。

 本名が被る事があっても、誰かによって登録済みのコードは使用できないため、霧中での相互識別にはダイビングコードが活

用される。

 雷電とコールした電子音声に反応し、近くに居た者達も気付いて視線を向ける中、ユージンはのっしのっしとタケミを先導し

てある店に入って行った。

 

「体重、98.2キロ…」

 身長と体重を測る計量器に、ボクサーブリーフ一枚の格好で乗せられたタケミは、数値を読み上げる工房長の声でビクンと震

え、プヨンと体を揺らす。

「は、はちっ…!?きゅうじゅう、はちっ!?てん、に!?」

 青褪める少年。これはヤバいと冷や汗をかく。もっとも、鍛えられて筋肉もついているので、標準をオーバーしている体重が

そのまま脂肪なわけではないが。

「身長は?」

「身長、166.7センチ…」

「おお、3ミリ伸びたじゃねぇか」

 工房長に確認したユージンが声をかけるも、タケミは喜べない。3ミリは誤差かもしれない。

 ここはモール内にある、潜霧士御用達の店の代表格、装備を造る「工房」。中でもネームバリューがある「相楽製作所」の一

室…工房長専用の作業室である。

 壁中に手入れやカスタム待ちの重火器、帯電武器などがかけられ、いくつものマネキンに作りかけのオーダーメイドスーツが

着せられており、各作業台には加工途中の素材や武器が乗ったままで、室内はひどくゴチャゴチャしていた。

「で、どうだ?そろそろ新調した方が良いだろ?」

「まぁ、そうだな…」

 ゴツい椅子にふんぞり返っているユージンが声をかけた相手…工房長は、その両目を覆っていた、バイクのライダーが着用す

る物にも似るゴツいグラスを額に上げた。

 現れた両目の周辺には黒い隈取。マズルが伸びたその顔は人間の物ではなく、作業用のツナギの襟元からは被毛がモサッと溢

れている。

 工房長は獣人…、狸に獣化した男である。中背で小太り、何を考えているか判り難い据わった目つきが特徴で、名は「相楽源

治(さがらげんじ)」という。

 ゲンジはこの工房の二代目の長であり、かつては潜霧士。ユージンより少し年下の42歳。ジオフロントに降りられる三等資

格まで取得したが、その後しばらくして引退し、以降は職人として活躍している。

 その引退理由は、「必要な素材を自力調達できるようになったから」。潜霧士になったのは職人としてその方が便利だったか

らである。引退しても免許返納は必須ではなく、許可を得ればダイブできるので、本人としては本職のために三等資格さえ取れ

ればよく、一等や二等を目指したり潜霧士として名声を得たりする必要は無かった。

 ゲンジは生まれついての職人気質で妥協を許さない性格。根暗と称されるほど人付き合いも愛想も悪いが、装備を造る腕は一

級品。タケミのスーツ類は勿論、ユージンの特殊繊維製ジャケットや銃器類も、彼が製作したりカスタムした品。人気のある職

人で、オーダーメイドの予約を取るのも大変。彼が手掛けた装備を着用する事は、東エリアをホームにする潜霧士にとって一種

のステータスシンボルにもなっている。

 電話一本で工房長に時間を取らせ、採寸と注文ができるのはユージンだからこそ。この工房にとっても、金熊は最優先で対応

する大口顧客である。

「こっちに…」

 巻き尺を手にしたゲンジに手招きされ、少年ミはしぶしぶ採寸に応じる。

 色白の餅肌にメジャーを這わせる狸の手がこそばゆく、フルフル震えるタケミ。肌に少し朱が差しているのは、また太ってし

まった体を間近で見られながら、正確に測られる事に恥じらいを感じてしまうせい。

「…腹は引っ込めるな…。自然体で測れない…」

「は、はいぃ…!」

 少しウェストを細くしようとしたタケミは、注意されてさらに赤くなる。

「…腹囲、1インチ…。肩回り0.5インチ…。太腿周りにも0.5インチ…。サイズアップが必要だ…」

「素材はタケミが仕留めた河童で足りるだろう?」

 ユージンがそう尋ね、ゲンジが頷く。少年が先日仕留めた河童…首を切断した個体は、胴体部分の皮を丸ごと使える、傷跡が

無い上物だった。若い個体だったようで質も良く、スーツの素材に最適である。

 「皮以外はくれてやるから工賃安くしろ」、と交渉するユージン。「皮以外の部位丸ごとでは、かなり釣りが出る…」、と応

じたゲンジは、

「色は、どうする…?」

 と、体を縮めて恥じらいながら胸と腹部を隠している少年に訊ねた。

「あの、同じ色で…!」

 迷わずに希望を伝えたタケミは「もう着替えて来て良い…」と狸に告げられると、いそいそと隣接する試着室に入って行った。

「…ユージンとお揃いのカラー、気に入っているんだな…」

 ボソリとゲンジが零すなり、ユージンはニヤリと破顔する。

「可愛いだろう。…おっと、今のは内緒だぜ?」

「急ぎで造る。一週間は、待たせない」

「ああ、そいつは構わねぇぜ。四等試験に通った後ぐらいにはピカピカのを着せてやりてぇって所でな。今のスーツも少しキツ

い以外は問題ねぇ状態なんだろ?」

「問題は…」

 ゲンジが言い淀み、ユージンは眉を上げた。

「何か異常でもあったのか?」

「異常はない、が、スーツ側の性能に問題がある…。あの子が着用して使うという条件下では…。いや、スーツ自体は正常で、

機能は完全に保たれている…。しかし…」

「…もうちっと簡単に頼むぜ」

 眉根を寄せたユージンに、ゲンジは軽く肩を竦めて見せた。

「エグゾスケルトンとしての機能が、「着用者の性能」追いつけなくなりつつある…。あの子の身体性能に対して、今のスーツ

では仕様上パワーサポートが不十分…。おそらく、加速に関しては、あまり恩恵が受けられていない…。プレーン仕様のスーツ

も、通常設定も、もう推奨できない…」

 ユージンから貰ったタケミのスーツの可動データをチェックしたゲンジは、少年の機敏さにスーツ側が追いつけなくなりつつ

ある事を、数値から察した。身体性能が跳ね上がる、ステージ7以上に到達した獣人などに見られるケースで、こうなるとスー

ツ側からのサポーツはあまり大きな恩恵をもたらせない。

 タケミのスーツは、サイズこそオーダーメイドだが、機能そのものは一般仕様。特別なカスタムもしていない。しかしもうこ

の仕様では、少年の運動性能を後押しするどころか追従できなくなりつつある。

「次のスーツは伸縮力と蠕動性能を高めにする事を勧める…。ジークフリート線を越えていない潜霧士に、こんな事を奨めるの

は…、あの子の父と祖父以来だな…」

「そうか…。そうかぁ…」

 ユージンは椅子の背もたれに体重をかけ、反るようにして天井を仰ぎ見ながら、口元を軽く緩ませた。

「頑張ってんだなぁ、アイツ…」

 

 タケミにとっては恥ずかしいイベント、体の採寸とスーツの発注を済ませたら、次は同じモール内の査定所へ向かう。

 ここは伊豆でも一二を争う大きな査定場で、熱海から最も近く、東岸では最大の規模。ユージンは長年ここの常連で、上客で

もある。この担当係員が生まれる前から活躍しており、場長や専務にも顔が利く。

 ユージンは河童一体を工房に直接持ち込んだが、一般的に危険生物はこの査定所を通して価格をつけて貰うと同時に、卸売り

業者への売却手続きの代行もして貰う。…いわば査定所とは、漁師と買い手を繋ぐ魚市場のような物である。

 査定所は政府管轄になっており、許可の無い業者には品物を降ろさない。セキュリティも万全である。

 が、ここを通さず、無認可の業者にも品物を卸す「闇市」も存在しており、流出は完全には防げていないのが実情。非合法で

の卸しは重罪だが、買い手が金に糸目をつけないため高値が約束される。素行が悪い潜霧士は金目当てで闇市に獲物を流す事も

厭わない。

 その査定所の中にある、空調がきいて快適な一室で…。

「それなりの値はつくと踏んどったが、その予想より一割は高いぜ…」

 河童の査定額を提示した若い女性係員を前に、ユージンは唸っていた。その右手にはバニラとコーヒー、二色が絡み合うアイ

スクリーム。

 査定所の接客室は、体育館のホールのような分別作業場にガラス張りで隣接し、危険生物や収穫品の査定や、解体作業の状況

を見学できる。素材のちょろまかしなどの不正防止のために、どこの査定場も似た構造になっていた。

「土蜘蛛の素材も高めの値がついたが、スーツやプロテクターの素材が高騰しとったのか?」

 ユージンが頭を吹き飛ばした河童の胴体と、タケミが切断した方の頭部、そして舌。それから黄金アケビ6個。昨日輸送した

分は河童一体と少しにアケビという持ち込み量だったのだが、先月の標準値よりだいぶ高い査定額がつけられていた。

「今はそうでもないですが、政府が大規模捜索を検討しているという噂があって、各工房が素材を多めに確保しています。余っ

て困る物でもないですしね」

 応じた女性係員に、ユージンは少し考えてから尋ねる。

「あの噂、信憑性高いのか…?サカキちゃんはどう思っとる?」

「個人的な意見ですが…。誤認という可能性もありますが政府側で何か動きがあるのは確かです。それが大規模捜索以外の何か

だったとしたら、空振りですけれども…」

 流石にこれは読み切れないと語る若い女性は、アイスクリーム片手に壁の窓に張り付いて、作業をじっと見ているタケミの後

ろ姿を一瞥した。

 作業が物珍しいので、ここへ来るとタケミはいつも窓に張り付いている。工場見学に来た子供のように熱心で微笑ましい。

「…椅子、あそこにお持ちしましょうか?」

 教室の半分ほどの広さの応接室は、一客に担当者ひとりの個室としてあてがわれるため、部屋に部外者は居ない。気を利かせ

ようとした女性に、しかしユージンは「構わん。落ち着いたらこっちに来て座るだろうぜ」と苦笑い。

 自分で危険生物を斬る時は怖がっているのに、死骸が腑分けされて計量されてゆくのは興味深そうに眺める。そんなタケミの

行動を…。

「ガラスの向こうなら、現実感が薄いから…でしょうか?」

「そんな所かもしれん。匂いも音もねぇ、何よりそこに命がねぇ、…自分が殺さなくても良い…。だから怖くもねぇ」

 女性は不思議がり、ユージンはそう評する。

「とりあえずだ、口振りからすると「政府側の動きがある」という点は、断言するんだな?」

「はい。…あら?まだお話しとか、していなかったんですか?」

 確認された女性は不思議そうな顔になる。

「うん?何を?誰と?」

「種島さんが監視チームを伴って、今朝伊豆入りしまして…」

「なんと」

 朝にタケミが見た船はそういう事かと、ユージンは納得する。そして…。

「こちらに顔を出した際に、ユージンさんの所へ内々に依頼したい事があるとおっしゃっていたそうですが…」

「なぬ!?」

 慌ててポケットを弄り、携帯通信機を取り出した。潜霧捜索所への電話も転送される設定になっていたのだが…。

 受信記録には名簿登録してある名前があった。時間的に、旅行客と記念写真を撮っていた頃である。

「だーっ!済まん!済まんなカズマちゃん!今タケミも連れて査定場に来とって…」

 急いで電話をかけ直した熊が大声で謝り始め、ビックリしたタケミは振り向いた拍子に…、

「あーっ!?」

 ボトッと、食べかけのソフトクリームを床に落とした。

 

 一時間後、ところ変わって神代潜霧捜索所の応接間…。

「いや、来させた上に待たせて、しかもこう言うのはなんだと思うが…」

 消耗品中心の機器類の買い出しなどは諦め、予定を大幅に切り上げて帰宅し、ソファーに座ったユージンは、向き合って座る

長身痩躯の優男に、済まなそうな顔を見せた。

 きっちりしたスーツ姿がいかにもお役人と見える風貌で、髪をキチッとオールバックに整えた中年である。黒髪だが、前髪の

中央から右のこめかみにかけては白髪で、そこだけ額に降りていた。

「無理だぜ、「種島室長」」

 ユージンは客人が連れて来た初対面の女性をチラリと見遣った。男と並んで座る、二十代前半と見える若い女性は、緊張した

面持ちで真っ直ぐ座り、脚の上に置いた両手をキュッと握っている。

 顔色が悪いなぁと、客にアイスコーヒーを出しながら、タケミは感じた。

 男の方は政府関係者。名は種島和真(たねじまかずま)。

 政府主導で大穴の探索などを行う際に、陣頭指揮を取ったり手配をしたりする政府の高官で、伊豆長期災害対策部門の一つ、

潜霧探索管理室の室長。事、大穴についての政策に関しては、政府側の現場担当第一人者と言える。

 ユージンとは彼が個人開業する前からの長い付き合いで、ちょくちょく依頼を持って、あるいは単に私用で巨漢と会いに訪れ

るので、タケミも比較的慣れている相手。

 しかし女性の方は判らない。ユージンとも自己紹介し合っていたので、初対面である事は間違いないが…。

(このひとが、霧に潜るの…?っていうか、潜れる…かな…?)

 無理、とユージンが言うのも当然だと、タケミは思った。

 潜霧士は資格を取るまでも大変で、筆記と実技の試験がいくつもある。仮免許の取得まで漕ぎつけても、六等の認定に至らな

いケースも少なくはない。そもそも、霧に潜れば駆け出しの三割が一年以内に命を落とし、五年続かないのが当たり前の過酷な

職業、いかに護衛があっても素人が大穴に足を踏み入れるのは自殺行為である。潜霧歴一年半のタケミですらそう考えるのだか

ら、ベテランのユージンが拒否するのは当たり前だった。

 カズマが持って来た話はこうだった。

 政府が用意したチームがこの女性を護衛し、一緒に潜霧する。ユージンには案内人兼不測の事態に備えた戦力として、同行し

て貰いたいという物…。

「無茶だとは、私も言いましたが…」

「「無茶」じゃねぇ。ワシは「無理」って言ってんだ、種島室長」

 巨漢はにべもなく言い放ち、カズマは女性を横目で見た。

 女性の眼差しに宿っている、頑ななまでに硬く、悲壮な決意は全く薄れていなかった。

 小さくため息をつき、カズマはユージンの説得を諦めずに口を開く。

 どうあっても潜る。この決定に変更はない。ユージンが駄目なら他の潜霧士を当たる事になるが、それでは危険度が増す。こ

の巨漢に引き受けて貰うのが最も安心できる。

「護衛チームは先週潜ったばかり、体は慣れています」

「先週?」

 政府の潜霧団が潜っていたのは初耳だとユージンが眉根を寄せるも、カズマはそれについての詳細説明を飛ばして先を続けた。

「今回の目的は、その先週の潜霧中に消息を断った、政府つき潜霧士一名の捜索です」

「…ちょっと待て…」

 聞いている話にひっかかり、大熊は軽く顔を顰めた。

「ワシらが先日仕留めた土蜘蛛の、情報の出どころ…。群れを探索中に発見し、逃走したが犠牲者一名との事だったが…。どこ

の事務所か発表無しで、所属潜霧士の情報も無かった…。ありゃあ、そっちの手の者か?」

「はい。政府付きの潜霧士チームが密かに行なった、テストダイブでした」

 苦渋の表情を見せるカズマ。政府が大規模捜索を検討しているという噂の出どころは、この動きを嗅ぎつけた所から出た物だ

とユージンは確信した。

「ヌシの知らん間にか」

「はい。今回の件は、現場の下見という話を鵜呑みにし、現地決定での潜霧を予見できなかった私の不明です」

 首を垂れるカズマに、ユージンは渋い顔。

 帰すつもりだったが、古馴染みが食い下がるなら話すら聞かないのは仁義にもとる。受けるかどうかは別として事情ぐらいは

聞いておこうと、少し腰を入れる。

「…で、そっちの娘さんは?潜る理由が何かは知らんが、潜霧訓練を受けたというのはそっちの中での話だろう?」

 政府の潜霧訓練を受けたという事は、政府関係者と見える。この問いに、カズマは「ある方の娘さんで…」と答えた。

「ん?ある方の娘?………「カスヤ・ミキ」…。粕谷…?粕谷環境大臣の娘か!」

 自己紹介で聞いた名前を思い出し、ピンと来たユージンが目を大きくする。

「はい。そして行方不明者は…、このミキさんの婚約者です」

 ユージンが額に手を当て、背もたれに体重をかけて天を仰いだ。

 一般人を伴ってのダイブ。非正規とはいえ政府許可の元での潜霧捜索なので、法的なリスクやペナルティはない。だが…。

(おそらくはもう死んどる、恋人探し、か…)

 リスクは、この依頼者側には大き過ぎる。

 遺体を探すという作業は、精神的にもとてつもない負担がかかる重労働である。さらに霧の中の死体は危険生物にとっては餌。

味を占めた個体が死体の傍に陣取っている事も多い。遺体や遺留品の探索は、危険生物との遭遇率が高い。

(死人探し…。断るべき案件だ。潜らせるのは避けた方が良い。娘さんにゃ悪いが危険過ぎるしキツ過ぎる。捜索は専門に任せ

て、帰って報せを待つのが一番良いだろうぜ)

 訓練を受けたとはいえ数日。潜霧士になるためのソレには勿論及ばず、気休めレベルの練習に過ぎない。効果など全くなく、

生存率の上昇には大して影響が無い。何より一般人には精神的にキツ過ぎる。

 素人の若い娘。それが霧に潜る理由は、おそらく生きていないだろうフィアンセを見つけるため…。

 気持ちが判るなどと、驕った事を言うつもりはユージンにはない。だが動機は判る。理由としては判る。命を賭して潜るに十

分な物だとも感じる。

 それでも、ここはプロに任せて報せを待てと、ユージンは言うつもりだった。が…。

「あ、あの…!所長、ボクも潜ります…。連れて行ってください…!」

 ユージンは耳を震わせた。が、こうなるだろうという気は薄々していた。

 初対面の相手から距離を取り、部屋の隅でずっと黙っていたタケミが、ユージンを真っ直ぐ見つめている。オドオドビクビク

しながら。

(言うと思ったぜ…)

 ユージンは話の途中で予感していた。

 人見知りで、他人と距離を取り、いつもビクビクしているタケミだが、今の話を聞けば黙っていないという事は…。

 

「引き受ける条件は一つ、アンタが同行しねぇ事だ。飲めるか種島室長」

 一考する、と述べて一度依頼人達を帰した後、ユージンは夜半になってからカズマに携帯で連絡を入れた。

『何故ですか?』

「ヌシの潜霧累計時間、今年に入っていくらになった?」

 自室と繋がっているバルコニーで、月の出た海を眺めながら、缶ビール片手に手すりに寄りかかる熊。彼が発したその問いに、

電話の向こうのカズマは沈黙で応じた。

「ヌシの前髪…、白髪じゃねぇな。四月にダリアのトコで飲んだ時はそんなに目立っちゃいなかったぜ。瞳はカラーコンタクト

で誤魔化しとるようだが…。いつ、ステージ4に入った?」

『………』

 図星だった。カズマの前髪はファッションと称せるように繕ってあったが、羽毛のような毛質になって色が抜けてしまってい

る。繰り返した潜霧により因子汚染が進行し、カズマの体は獣化が顕在化し始めていた。

『命に関わると決まった訳ではありません。私も問題なく…、そう、貴方達と同じになれる可能性もあるんですよ』

「下手糞な嘘なんてつくモンじゃねぇぜ、ええ?」

 稚拙な誤魔化しだと、ユージンは鼻で嗤う。

 自分の適合性などカズマならとっくの昔に調査しているだろう。そして、問題なく完全獣化可能だったなら、その旨を自分に

告げない訳がない、と。

 実際の所、カズマは霧中環境に適応した体質ではない。ジークフリート線を越えられる見込みは殆どなく、獣化が進行すれば

命を落とす可能性が高い。

「ヌシは獣になっちゃいかん。いかに率先して呼び掛けようと、政府内でも獣人も因子汚染も本能的に忌み嫌われとるのが実態。

ヌシは人間のまま、人間だから優位に事を運べる立場におれ。ヌシのような役人は替えがきかん、失うのは潜霧業界の損失だ」

 沈黙するカズマ。そしてユージンはフッと表情を緩める。

「建前はここまで。まぁ、何だ…。ワシはな、カズマちゃん…」

 熊親父は友人としての呼び方に戻すと、鼻上の一文字傷を人差し指で掻く。少し照れくさそうに。

「ただでさえ少ねぇ「人間の友達」が減るのは、御免なんだよ…」

『………』

 カズマの沈黙にため息が混じった。それは、忠告を受け入れた、仕方ないという溜息である。だが…。

『ユージンさん。貴方は私に「人間のまま」とおっしゃいますが、私は、獣人も人間だと認識しています。貴方と私は、何ら線

引きが必要ない、同じ国で生まれた同胞です。私にとって貴方は…。数少ない「年上の友達」です』

「…そうか…。そいつはどうも…」

 一つやり返されたなと、苦笑いしたユージンは、

「さて、捜索ポイントを教えて貰ったら、潜霧ルートはワシが決めて、それに従って貰う。明日中に計画を詰めて準備祖進め、

連絡を入れる。気象条件次第では明後日にも決行できるよう、そっちも支度を終えとくんだぜ」

『ありがとうございます、ユーさん…』

「それと…、今回は大人しく言う事聞かんだろうし、タケミも同行させる」

『それでお願いします。報酬はタケミ君の分もこちらからの依頼という事にしますので』

 政府側の依頼をこなした事は、昇級試験の実績審査では大きな加点になる。昇級試験が近い事を把握したカズマの心遣いに、

ユージンは「感謝する」と目を瞑って応じた。

『四等になれば、いよいよ「崩落点」まで行けますね』

「そうだな。タケミの夢にまた一歩近付く…」

 ユージンは言葉を切る。自室のドアをノックする音に、丸い耳が反応していた。

「詳しい話は改めて明日に」

『はい。どうぞよろしくお願いします』

 通話を打ち切った大熊は、バルコニーから室内を振り返って「開いとるぞ」と声をかけた。

「あの…」

 コソコソと首を縮め、半分開けたドアの影から顔を出したのは、ぽっちゃりした少年の青白い顔。

「ごめんなさい、所長…」

 あの場では衝動的に同行を強く申し出たが、もしかしたらユージンの判断の邪魔になったかもしれない。そう考え、タケミは

叱られる前提で謝りに来た。

 客が帰った後もユージンはずっと無口だった。きっと自分が先走ったような真似をした事で、相当頭に来ているのだろうと…。

「…こっちに来い、タケミ」

「はい…」

 顎をしゃくられ、壁という壁が地図と本棚で埋まっている部屋を横切り、少年はバルコニーに出る。

 ここはユージンの憩いの場。半径2メートル強の、南側へ半円状にせり出したバルコニーには、ドッシリしたウッドチェア二

つと、木材をそのまま組んだような素朴で重々しい四角いテーブルがセットしてある。屋根は無く、空を広く見渡せ、風と潮騒

が心地よい。

 沖へ伸びる半島を右手に臨み、海を眺められるそこで、巨熊はいつもウッドチェアに腰掛けて、煙管をくゆらせたり、酒を嘗

めたりしながら、物思いに耽っている。

 バルコニーの手すりに手を乗せて海に向き直ったユージンから、三歩ほど離れた位置で立ち止まったタケミは、巨熊が肩越し

に半面振り返って顎をしゃくると、しぶしぶ進み出て隣に並ぶ。

 小島の岸壁を叩く波の音と、海を抜ける夜風の声。会話は無く、気詰まりになった少年は手すり越しに眼下の暗い海へ視線を

落とした。

 長い沈黙を挟み、ユージンが口を開く。

「ヌシにしちゃあ珍しい、積極的な物言いだったじゃねぇか。ええ?」

「す、済みません…」

「勘違いすんな、責めとる訳じゃねぇ」

 ユージンはおもむろに片手を上げると、ガシッと掴むようにして少年の頭に置き、ワシャワシャと乱暴に撫でる。

「わ…!」

 驚きながらも、怒られると思っていたタケミはきょとんとし、師匠であり上司であり、父親のようでもある巨漢の顔を恐る恐

る見上げる。

 ユージンは微かにだが笑みを浮かべていた。口の端が少し上がった野太い笑みを。

 言葉の通り、ユージンは怒っていない。カズマ達を帰してから口数が少なかったのは、仕事を受けるのを前提にして、どう動

くのが確実か、安全かを熟考していたからである。

「他人事とは思えねぇ。そして、表層の探し人ひとり見つけられねぇなら「アイツ」を見つけるなんぞ夢物語…。ヌシが感じた

のはそんな所だろう」

「…は、はい…。そう…でした…」

 言い当てられたタケミは驚く。少年自身もあの時はそんな理由を自覚できず、後からそうだったと気付いた事を、ユージンは

最初から見透かしていた。そして巨熊は、そんなタケミの動機を尊重するべきだとも判断している。

「依頼は引き受ける事にした。いくつか条件はつけたが、ウチの主導で潜霧計画を練る。向こうはこっちの案内に従って貰うっ

て寸法だ」

 ユージンは片手をタケミの頭に置いたまま、反対の手で缶ビールを煽り、三分の二ほど残っていた中身を一気に飲み干して、

盛大に息をついた。

 溜息ではない。さぁやるか、という腹に気を込めた深い息である。

「ワシがスカウトポジションで先行、安全確認と確保をする。ヌシにはチェイサーと、一団のナビゲート、これを一人でこなさ

せる。できるな?」

 集団潜霧において各々の役割は重要である。最も重要で危険度が高いのは、先行確認役の「スカウト」。そして「チェイサー」

はスカウトと離れないよう本隊を牽引する、全体のペースを整える調整役。タケミは他の潜霧団との模擬訓練でチェイサーの練

習をした事はあるが、実戦は初めてである。

 だが、今回はユージンが無茶振りをしている訳では無い。政府のチームが護衛につくとはいえ、素人を囲んでの移動になる。

危険生物を排除するのではなく、そもそも遭遇させないよう事前除去するのが最も安全だと、ユージンは判断した。

 つまり巨熊は、先行して安全かどうかを確かめ、安全でないなら安全になるよう、単独で危険生物と交戦、排除する役目も兼

ねたスカウト。タケミはその後を、一同がはぐれないよう案内しつつ、安全確保しながら追走。政府のチームには女性の護衛に

専念して貰う。

 五等潜霧士一人に任せるには荷が勝ち過ぎる仕事だが、カズマが内密で話を持ち込んだこの件は、政府の醜聞に関わるため公

にはできない。他の同業者を頼れない以上、この布陣で事に当たる他ないのである。

 普段であれば、そんなの無理です難し過ぎます自信ありませんと、泣きつくタケミだが…。

「…はい!」

 ゴクリと唾を飲み込み、意を決して頷いた。

「おし!」

 その返答と視線を受け、ガシガシとタケミの頭を乱暴に掻き乱したユージンは、

「明日一日で支度を済ます。忙しくなるぜ、ええ?」

「はい!」

 発破をかけつつ、自らも気と表情を引き締めた。

 

 翌日、朝一番で水上バイクに乗り込んだユージンは、陸に上がるなりタケミと手分けし、必要な物を揃えて回った。

 捜索相手の生存は絶望的だが依頼者側としては一縷の望みもあるだろう。一刻も早く動きたいと、少なくともあの女性は思っ

ている。それに、時が経てば経つほど痕跡は探し難くなるので、ユージンとしてもやるなら早く取り掛かる方が良い。

 気象予報を確認するなり、明日の朝から霧に潜る予定で準備をするようにとカズマにも連絡を入れて、潜霧スケジュールを承

諾させた。

「5名プラス素人1名、そこにワシらの8名だ。荷物は増えるが、不測の事態に備えて「宵越し」の準備もしとくぜ」

「はい!」

 大穴の霧は夜間に濃さを増す。中で夜を越すのは推奨されないが、一流の潜霧士は日を跨ぐどころか、霧の中で数週間探索を

続ける事もある。そこで必要になるのが休息場所…霧がない安全な空間を確保するテントである。

 除染装置つきのテントはコンパクトで、救命具のように一気に膨らむ仕組みで携帯も容易。ユージンがいつも背負っている大

きなザックには、要救助者を見つけた時の為にいつも一式入っている。しかしテントはともかく、除染フィルターは使い捨てで、

装置を駆動させるバッテリーや発電機は重くてかさばる。足が鈍って潜霧スケジュールが狂っては本末転倒なので、計画に沿っ

て最低限の量だけ持ち込むのが鉄則である。

 物品を買い集めたら次は地図情報。今でも大穴のあちこちで建物が倒壊したり、小規模な地震で地割れが広がったりもしてい

るので、最新の地図は潜霧士にとって命綱である。専門の地図師や、現場で活動した潜霧士からの情報を元に更新され続けるそ

のデータを購入し、自分達の地図もアップデートしておく。特に今回は素人を連れ歩くため、普段とは違い「歩き易さ」を最重

要視する。

 最後に食料と飲料。大穴の中にも果物や野菜が実っており、最悪の場合は危険生物の肉を食すなどしてある程度は食い繋げる

が、これを気にしないのは潜霧士ぐらいの物。今回の護衛対象にはそこまで求められないので、携帯食料の類を纏めて準備する。

 半日で慌ただしく支度を済ませたら、戻って計画を煮詰める。

 授業にも使った会議室で、壁面スクリーンに最新版の探索周辺図を投影し、ユージンとタケミは潜霧ルートを選定し始めた。

「…で、この辺りは先日見て回った所だが…」

「歩き難いと感じる所はありませんでしたけど、ここの所、ビルからロープで降下するルートは…?」

「当然避ける。今回は手が塞がるルートは全て迂回、多少遠回りになろうと足で動けるルートに限定する」

「…この辺り、先月から続けて土蜘蛛が出ている所ですね…。ナマコが多かったから…」

「ここも大回りで回避だ。…と、そこの亀裂を最短ルートで回り込めなくなるが、時速換算で…」

「ボクだと一時間かからない距離です。歩き慣れていないひとが居る事と、濃霧注意報が当たる事も考えると…、回り込みでプ

ラス45分」

「上々だ、その計算で行く。となれば、この時間帯での小休止は、見晴らしが良いこの高台で入れるのが最適か」

「ここならボクも離れない範囲から見渡せます」

「おし、第二休憩ポイントはここにする」

 日没まで続いた打ち合わせで潜霧計画が固まると、ユージンはカズマに連絡を入れた。

 詳細な潜霧計画を告げて、データを送信すると伝えた上で、明朝、よほどの天候不順に見舞われない限りは潜霧捜索を決行す

る、と…。

 

 そして、ユージンは仕事前の酒断ちをし、心配性のタケミは器具類のチェックを五回も行ない、月が出て、沈んで…。

 

 

 

 濃い霧が微風で流れてゆく。

 有効視界は80メートル、潜霧日和とは言えない曇天下、総勢8名の探索団は大穴外周名物…「墓標群」を抜けてゆく。

 高層ビルが立ち並び、かつては伊豆の情報を発信する業者や、情報ビジネス、運搬業など、産業を担ってきたそこは、今や倒

壊したビルの跡地が歯抜けのように目立ち、山のような瓦礫が道を埋め尽くした、廃墟群となっている。

 大隆起を経てなお崩れなかったビルも、年々老朽化して外壁が崩落したり、倒れたりしているが、中央の三車線道路跡は瓦礫

に所々を埋められてなお、今でも比較的見晴らしが良いので、潜霧士達が重宝するルートの一つとなっている。

 そこを進む7つの人影を、先行していた一際大きな人影はビル群の終端で待っていた。

 5人は政府の潜霧チームだけあって、霧の中でも足取りはしっかりしており、歩行ペースに問題はない。しかしやはり、素人

の若い女性は足元がおぼつかなくなる場面も散見されて、全体のペースは遅くならざるを得ない。一応はユージンとタケミが打

ち合わせた潜霧計画内の範疇に収まっており、予定は狂っていないが…。

(…やはり解せんぜ…)

 スカウトのユージンは、立ち止まっている間も周囲の気配を探りながら、追いついて来る一団を見守りつつ考える。

 政府側のチーム5名は、ユージンの目から見てもそれなり。未熟でもないし経験が浅いとも見えなかった。にも関わらず、先

週は撤退をしくじって、同僚1名とはぐれている。

(土蜘蛛と至近距離遭遇でもしたのか…、何かあったと見るべきだな)

 息が上がっている女性にペースを合わせている一団を待ったユージンは、彼らが追いつくなり口を開いた。

「15分小休止。後、進行再開。…タケミ、ワシはぐるっと警戒して回ってから先行する。休憩中の見張りは頼んだぜ」

「はい!」

 タケミを護衛に残して、ユージンはまだ安全確認していない進行方向を中心に、半円状のルートでぐるりと巡る。タケミもそ

うだが、ユージンも一団を小休止させている間すら休憩はない。少しの間も気を抜けない潜霧が続く。

 思い思いに腰を下ろして休む一同の、ちょうど中心になる位置で休まされている女性は、最低限の装備であるスーツと器具類

の装備だけでも重そうに見えた。流石に政府の潜霧チームは野営用具一式装備に加えてアサルトライフルで武装しながらも、疲

れた様子は見せないが…。

(………)

 周囲を警戒しながらも、タケミは時折女性を気にしていた。

 粕谷美樹(かすやみき)。婚約者が霧の中から帰らない女性。

 正直、結婚とか婚約とか夫婦とか、そんな単語はピンと来ないタケミである。年頃の少年ではあるが、自分の両親を直接知ら

ない生い立ちで、言葉で知ってはいてもどういった関係性や繋がりなのかという事はイメージし辛い。

 ただ、漠然と思うのは…。

(辛い目に遭いながらも、やり遂げたいと思うくらい、大切な事なんだろうな…)

 おそらく婚約者は生きていない。虎女将ダリアや、友人のシロクマのように、霧の中で長時間生き永らえた例もあるが、それ

は年間潜霧数と失踪件数から見れば奇跡のような確率である。

 そして、もしかしたらと思いながら、ミキも、彼女を連れて来たカズマも、死亡している可能性が高い事実を内心受け入れて

いる事は、タケミにも薄々感じられている。

 だが、非合理だとは思わない。

 可能性がゼロではない事を確かめに行く…。これは当人にとっては必要な事なのだろうと、潜霧に挑む事実から窺える。

(「儀式」とか、「踏ん切り」とか、「けじめ」とか…)

 かつて、ユージンから幾度も聞いた。

 ひとは合理性だけでは生きていけない。生きていくためには、時に無駄と思えるような事も必要になる。何かを成すために、

一見無意味な事でもやり遂げなくては、先に進めないという事もある。

 完全に理解しているとは言い難いが、タケミも何となく、ユージンに言われた事の中身が判る。

(だって…、ボクも…、ミキさんみたいな理由で…)

 左腕のコンソールで時間表示を確認し、タケミは顔を上げた。

「じ、時間です…あの、出発します…!」

 自信なさげな少年の声で、霧の中で一斉に人影が立ち上がる。

 初経験となる、護衛込みの潜霧は、まだ始まったばかりだった。