第四十話 「やり残し」
四脚ホイール式の脚部が、クローを展開して砂地を掴む。
一人乗りバギーのような小型作業機が、ボディ両脇に密着させる形で収納していた作業アームを展開すると、乗っていた狸は
「バランサーハオッケーやな。ええ調子やで」と満足げに口元を綻ばせた。
「車みたいだと思ってましたけど、多脚型作業機とも似た感じになるんですね」
傍らで見守っていたタケミの感想に、ヘイジは「せやな、変形式やさかい普段はバギーみたいなモンや」と顎を引く。
「雑賀重工製軽作業機「ダブル・ダブル・スター」旧モデル。移動し易い軽量さと、メンテナンス性が高い単純構造がウリや。
作業時には踏ん張って安定した形態になる機能が重量の無さをフォローする…。安価ながらも設計思想が優れとる、ええミスト
ワーカーやで」
月乞いの倉庫に格納されていた作業機の一台を持ち出したヘイジは、整備したてのソレをポンと手で叩く。
「で、制限無しのフリー回転で、こうプロペラみたいに回せるようにしたったんやけど…」
人間の腕のように、肩、肘、手首と三ヵ所の関節を持つ左右の作業肢を、肘から先でギュンギュン大回転させて見せながらヘ
イジは砂浜に視線を這わせた。
「聞いた通り、放置されとる漁網が山積みや」
外では売れないので漁業では食っていけず、多くの漁業者は南エリアを去るか、廃業している。廃棄もままならないので一ヵ
所に纏めて放置されている網は、貝や海藻が絡みついたままだが…。
「お試しやさかい、アレでええやろ」
「ふむ。それでワタシは、あの網を海中に沈めて来るだけで良いのかな?」
のしっとタケミの脇に進み出たのは、スパッツのようなアンダーウェア一丁になったセイウチ。潜霧用の衣類を脱ぎ捨てて半
裸になったシオミチは、「助かりますわ」と狸に頷かれると、「心得た!」と、両腕を旨の前でガッポンガッポン交差させる。
肉付きの良い巨体が波打つように揺れる様から、頬を赤らめつつ目を逸らすタケミ。
「射出機能も付けへんとこの用途には半端やけど、コイツの構造上難しいで。網の設置が人力やと手間がかかってまうなー」
元々ヘイジはこの作業機を単に復帰させるつもりで修繕した。が、改良を施したおかげで作業肢周りの自由度と汎用性が向上
しているため、本来想定していなかった「この用途」にも対応できる。
ミストワーカーは霧の中で運用するため、素材レベルで腐食に強い構造になっているのも強みだった。塩に水分、細かな砂塵
などを被っても傷まず、動作不良も起こさない。勿論、沿岸で海水潮霧に晒されながらでも運用可能。
「ほな、準備開始や」
網に繋がる太い綱の端を作業機のアームクローがしっかり掴み、そのまま肘を張った所にかける格好で数度回転すると、巻き
取り用の回転軸のようになった。設置した網を一気に巻き取る程度は、この作業機でも可能である。
利用する漁網には目がさらに細かい網を貼り付け、貝を採取できるよう臨時仕立て。やっつけ仕事だが試運転のような物なの
で、そもそも最大効率までは目指していない。さらに、四方の辺にはヘイジが用意した三角錐型の錘…ボイジャー2に搭載され
ている、対危険生物用の金属片を大量にばら撒く追跡妨害用装備の中身が取り付けられ、準備は完了。
「これを沈めたら、あとは機械に任せて良いのかな?」
「お願いしますわ。巻き上げはできるんで、仕上げはこっちで」
セイウチが「では」と重量がある網を丸めて担ぎ、少年が「よ、よろしくお願いします…」とおずおず従う。
スーツ姿のタケミとスパッツ一丁のシオミチが網の設置係。遠浅の浜辺から海中へと入り、腰まで浸かって作業する。やる事
は原始的で、シオミチが見込んだ貝が居そうなところへ、網を広げて沈めるだけ。
シオミチが担いで運んだ網を、浅い浜にふたりで広げてゆく。風も無く波は穏やかなので作業自体は苦ではない。
(共同作業…!)
せっせと真面目に作業するタケミに萌えるシオミチ。なお、少年が自分を見辛そうにしている事にも気付いており、他人の裸
を正視できない初心さにも萌えている。
程なく作業は滞りなく終わり、いっぱいに広げた網の位置を確認して…。
「わっ!」
「おっと!」
沈めたばかりの網に、貝よりも先に爪先を捕らえられたタケミがバランスを崩して、セイウチが咄嗟に腕を出す。ボムンとム
ニュンの中間の感触がタケミを包み、脂肪層が厚いながらも内側に筋肉の弾力があるセイウチの裸体に支えられた少年は、マス
クの下で顔を真っ赤にして「す、す、済みません!」と詫び、慌てて離れようとして…。
「あわっ!?」
今度は踵側が網に引っかかって派手に体勢を崩す。素早く反応したシオミチの腕が少年の両肩を掴み、仰向けに倒れ込むのを
阻止しつつ、勢い余って自分に引きつけ過ぎ…。
ボムニュン…。
「はひっ!」
完全に真正面から抱擁される格好になった少年が妙な声を漏らす。柔らかくも逞しい肉感と、埋まるような懐の深さ。体格差
もあって、抱き寄せられたタケミは顔がシオミチの鳩尾あたりにある。メットのおかげで顔が直接接触はしていないが、腹の分
厚い脂肪に体が軽くめり込み、上からダプンと胸がのしかかっている。フルフェイスマスクで覆っている頭部はともかく、スー
ツ越しに感触がありありと伝わって来て、タケミの顔が真っ赤になった。
「す、済みません何回もっ!」
慌てる少年に「なんのなんの!」と笑って応じ、足元に気を付けるよう促して手を離したシオミチは、
(でかした!漁網!)
興奮のあまり鼻血が出そう。人間好きな上に年下好き、タケミをすっかり気に入っているが…、実はまだ素顔を見ていない。
そうして設置作業を終えた二人が戻るのを待ち、ヘイジは作業機のアームを稼働させて、網を引き揚げ始める。
「流石に抵抗あるわ…。専門やないから仕方ないけど、足回りもバランス良く弄らへんとダメやな…」
巻き上げる網の重さに作業機側が持って行かれそうになるのを、タイヤの逆回転と四肢のポジショニングで堪えさせる狸。ヘ
イジなど熟練の乗り手でなければ、作業機が前につんのめってしまいかねない作業になっている。
タケミが我が事のように胸の所でギュッと拳を握って見守り、シオミチが暴れる作業機を御するヘイジの腕前に感心しながら
眺める中、狸が巻き上げ速度と作業機の踏ん張りをコントロールしつつ海中からゴゾゴゾッと引きずり出す網が、程無く波打ち
際に顔を出し…。
「…多ぐねぇべが?」
セイウチが眉根を寄せた。砂を含んでこんもりと盛り上がった網は、砂浜を引き摺られながら寄って来る間に体積を減らし、
砂が網目から零れ落ちて中身が明らかになって来たが、予想よりも遥かに多い貝類が中に詰まっていた。
そもそも、貝を採取するための網ではない、取りこぼしも多い間に合わせの漁網。しかも深く砂を漁る事も出来ない、気持ち
沈み込んで表層を掻く程度の浅攫い。にもかかわらず、一度の採取で、軽く見積もって200キロほどにもなる量が獲れていた。
さらに、予想外だったのはその内訳で…。
「え…?アサリ…じゃないのもかなり混じってる…?」
網の傍で屈み、獲れた貝を手に取ってしげしげと見たタケミが呆気にとられた。狙ったアサリは当然として、その他に網目か
ら逃げ損ねた魚や、明らかにサイズが大きい二枚貝も二割ほど混じっている。
「これ、ハマグリです!こんなに獲れるなんて凄いですね!」
声を上ずらせる少年。しかし顔を向けられたセイウチは不思議顔。
「ん?んんん~?もともと居らん訳ではないものの、ハマグリが?こんなに?何故だ?」
元からハマグリも少し獲れたらしいが、本当に少数だったそうで、何故こんなに居るのか判らないというシオミチに、
「もしかして、漁業するひとがおらんようになって、しばらくそのまま放っておかれとった間に、生態系変わってもうたんやな
いです?」
ヘイジはそう仮説を語った。不漁を挟んで豊漁になる年があるように、あるいは長期の禁漁を挟んで個体数バランスに変化が
生じるように、このエリアでも予期しない生態系のバランス転換があったのでは?と。何せ一年や二年ではない長期に渡って、
ここで漁をする者は居なかったのだから、その間に何が増えて何が減っていてもおかしくはない。
そうでなくとも、南エリアは車が少なく工場なども無く、海に流れ込むのは化学物質以外の物。塩で霧の成分が無害化された
上で、湿度の高い地表から栄養素が注ぎ込まれるので、水をろ過するようにして栄養を摂取する貝類にとっては天国のような環
境である。
「沿岸部の養殖業なんかで、雨が多かった年は出来が良くなり易いて聞いた事がありますわ。ま、詳しい事は専門家にでも聞く
として…」
ヘイジはずっしり貝が詰まった網を見下ろして唸る。中には寿命で空っぽになっている貝も多数混じっている。多くが天寿を
全うしつつ増えまくっている事が覗える中身であった。
(…投網発射機能…、あるいは設置機能とか、月乞いの許可貰うて付けてまうか…。投網一発でコレや、管理を上手くできたら
緊急時の食料不安は解消されるし、日常的にある程度の数も採ってけるで…)
目敏いヘイジは気付いていた。
貝だけではない。この遠浅の広い砂浜に加え、沖の浅瀬に岩礁も長年手付かずだった。貝類が増えているのと同じく、海産資
源が期待できる。
勿論、売り物にしようとしても南エリア産な上に、因子汚染の風評被害も付きまとうのは確実なので、「外」には捌けない。
だが、ここの獣人は因子汚染が感染する物ではないと知っているし、獣人であれば産地など気にしない。伊豆半島内での提供で
あれば消費は見込めるし、南エリアで自家消費すれば他所からの食糧輸入にかかる金を低減させられる。
勿論問題は簡単ではない。海産物の確保にかけられる人手や、作業用の機材、効率化のノウハウなど、確認して解決すべき事
柄は少なくない。しかし、これは大きな一歩。アサリを採りに来なければ気付かなかった嬉しい誤算は、南エリアの境遇を少な
からず変えられる可能性がある。
(そらまぁ、潜霧に優る収入にはならへん。けど、ここでも食料をある程度賄えるて事実があったら、悪徳業者のあこぎな値段
で物流に頼る必要性は落ちるで。それに…)
狸は考える。土肥の大親分に相談すれば、労働力の問題はある程度解決するかもしれない、と。
俵一家は職にあぶれた潜霧士崩れや、引退者、獣化症状によって普通の働き口がなかなか見つからない一般人にも仕事を提供
する。湯屋の従業員や土産物屋、運転手に露天商、業種は様々で、個々にあった仕事が斡旋されると評判である。隻腕のゴール
デンレトリーバーなど「瑕者」も、ハヤタの後ろ盾などがあって今の仕事ができるようになった。
そして、職を求める獣人はいつの時代も居るものである。霧を恐れずにすむ獣人であれば、この南エリアでも働く気になるか
もしれない。
勿論、ある程度の水準で安全が担保できれば、の話である。
大親分の斡旋で仕事に就いて、結果として壁を超えて来た危険生物に殺された…などという事にでもなれば、ハヤタの顔に泥
を塗る。身の安全はある程度保証できなければならない。
作業用の機械については、作業機の簡単な改修で対応可能になる。引き揚げ作業時は土台に固定するなどの工夫さえ行なえば、
熟練でなくとも持って行かれたりはしない。
(ええ材料、意外とめっかるもんやで。先生にも併せて報告しとこ)
「あ、ヒラメだ…!」
網を広げて成果を確認していたタケミが声を上げる。大きな物から小ぶりな物まで、ヒラメも纏まった数が入っていた。
シオミチの見立てで獲れそうな位置を決めたとはいえ、網一投でこの成果。人力で網を沈めるのではなく、投射する格好で漁
を行なえば、おそらく魚はもっと獲れる。
「どないやろタケミはん?この食材で何かできます?」
少年の料理の腕やレパートリーは、住み込みで働くヘイジも良く知っている。狸の期待に、おくゆかしい少年は「たぶん…!」
と、小さく顎を引いて頷いた。
そして…。
「すっぱいがち!かなりすっぱいがち!やりすぎ気味っス!」
菜園跡地からサンプル用にトマトを収穫して来たアルは、調理室で合流したタケミに果実を差し出しながら顔を顰めた。トマ
トの酸っぱさもそうだが、何故か一緒に居る半裸のセイウチの存在も顔を顰める理由。暑いのか、シオミチはズボンを穿いたも
のの上は裸のままである。睨む空色の目はなかなか険しい。
なお、シオミチはそんなアルの態度に気付く事も無く…。
(ぽってり頬…!色白…!黒髪…!)
メットを外したタケミの素顔に釘付けである。そして濡れた下着は脱いだのでノーパンである。
「…本当だ。かなり酸っぱい…!」
月乞いが拠点を構える建物の調理場。ここなら霧も無いのでタケミはマスクを外し、アルが持って来たトマトを齧って味を確
かめた。
プチトマトにしてはやや大きくピンポン玉サイズで、実が厚くて皮に弾力があるせいで、かぶりついた感触は結構固め。確か
に酸味が強いがそれだけではなく、トマトの旨味も一緒に凝縮されているのか、香りはなかなかで味も濃い。
「これなら、酸味が薄まれば問題なく使える…!味加減次第だけど、スープスパに向いているかも…」
「イェア!オテガラ!オレのオテガラ案件!」
ドッスンドッスン小躍りするアル。漁を手伝ったというシオミチに成果は負けていないとアピール。
「じゃあもっと取って来るっス!どれぐらい要るっスか!?」
「ううん、これでもう充分かも」
アルはサンプルと言ったにも関わらず、トマトをその太い両腕と分厚い胸いっぱいの量を持ち込んでいた。トマトの濃さを考
えるとむしろ余りそうである。
「じゃあ、始めます…。頑張ります…!」
調味料は豊富だが偏っており、良い油も無いので揚げ物料理にはし辛いので、ヒラメや雑多な魚は切り身にする。身が少し残
るヒラメの骨などから出汁を取り、これをベースにトマトとアサリ、ハマグリを加えてスープパスタを作る。
今回はお試し料理なので、獲れた海産物全ては使わない。余分な貝類と魚は活きが良い物を中心に、水産加工場跡から拝借し
た簡素な生け簀に保管した。
それからヘイジは炊き出し用の大鍋と大きな寸胴鍋を借用しに、シオミチは保存庫へパスタを貰いにゆき、下準備に入ったタ
ケミの横で…。
「…あのオッチャン、どうするんスか?」
助手と称して残ったアルが、セイウチが出て行ったドアをジト目で眺めながらタケミに問う。兄大好きシロクマにとって、セ
イウチは降って湧いた障害物。ラブラブスキンシップに水を注す外敵に見えている。
「ケッコンとか言ってたっスよ?」
「あ、それは…」
魚を捌きながらタケミが応じる。
「友達になろうって言われた」
「ワッツ?トモ?ダチ?」
目を丸くするシロクマの隣で、包丁を小刻みに動かしてヒラメの身を骨から丁寧に削ぎつつ、少年は頬を赤らめながらここま
での経緯を説明する。
(友達っスか…。タケミが友達作るなんて珍しいっスね?)
幼少期から一緒に暮らしていたアルは、タケミが他者と距離を取りながら生活してきた事をよく知っている。その特異性を考
えれば用心と警戒で距離を詰め難くなるのは無理もなく、少年は近所の子供とも親しくつきあったりはしなかった。元々白神山
地に住んでいたタケミよりも、ダリアから預けられたアルの方が近所の交友関係に詳しいほど。…と言うよりも、アル以外に友
人を作れなかったタケミに対し、シロクマの方は地元の歳が近い男子ほぼ全員が友人だったのだが。
「アドレスとか、交換しちゃった…!」
喜んでいる少年の横顔を、貝を手洗いしながらシロクマは横目で伺い、それから視線を上に向ける。
(少ないっスからね~、友達…。タケミは年上のオッチャンとかの方が話し易そうっスから…。まぁケッコンじゃないからオー
ルオッケーオールグッド。オレは話が判るアルビレオ、わかビレオ)
うんうん頷いてひとり納得するアル。当然だがシオミチが「結婚を前提として友達付き合いから」というつもりでいる事には
気付いていない。やり取りを伝えたタケミが気付いていないのだから当たり前だが。
(そういう事ならオレも親しくするっス!兄ちゃんの数少ない友達、できる弟のオレはセッタイもできるがち!)
結婚されては困るが、タケミに友達ができたのならば話は別。喜ばしい事だと口元を綻ばせるアル。
かくして火種の元は一応取り除かれ、ヘイジとシオミチも戻り、道具と材料も揃って料理の支度は進む。
教えてもらう事ばかりで、大変な状況になっても手伝える事は限られている。そんな中で自分はどんな恩返しができるか?少
年はそう考えながら手を動かす。グレートピレニーズや月乞いのメンバー達に仕事で恩を返すのは難しくても、自分にできる事
で喜ばせられるかもしれないと思えば、自然と料理にも熱が入る。
(料理する男の子…!家庭的…!)
萌えを拾うシオミチは、タケミの手腕に見惚れている。
日を跨ぐなどして、大穴に長く潜る機会が多い潜霧士は、食材を現地調達して食す事も少なくない。持ち込む携帯食料を少な
くすれば、それだけ荷が軽くなり行軍も早まり、スタミナの消費も抑えられるからだが、そうでなくとも予定より滞在が長引い
た場合、霧の中で食う物を見つけて飢えを満たさなければならない。よって、腕利きやベテランほど調理技能が身についている
物で、ダリアのように引退後に飲食店を経営する場合もある。
だが、タケミの手際は傍から見ても必要水準を大きく上回る。シオミチの潜霧団にも料理が得意な者は居るが、それはあくま
でも仕事用で、必要最小限…言い換えれば粗い。ところが少年はプロと遜色ないのではないかというレベルで魚を切り身にし、
骨や鰭まで有効活用している。
シオミチが結婚後のキッチンの光景とエプロン姿のタケミを妄想している間に、三十人前以上の料理が流れるように支度され
てゆき、夕刻が近付いて…。
月乞いが会議などに使う広い部屋。初日に通されて以降、何度も足を運んだ部屋に居並ぶメンバーを、タケミは緊張しながら
見回す。
食事を振舞いたいという少年の要望を聞き入れて、見回りや警備のローテーションを他所の潜霧団と替え、メンバー全員が顔
を揃えていた。その他にも、ユージン、そしてやっと一息つけたドク、途中から手伝いに入ったシオミチも加わっており、それ
なりの大所帯になっている。
「貝とトマトのスープパスタと、ヒラメなど魚介のカルパッチョです」
緊張でやや声が硬いタケミと、配膳を手伝うアルとヘイジが各々の前に皿を置いてゆく。
「良い香りだね。本格的な料理は何週間ぶりだろう?」
「は。野鉄砲のグリルが最後です」
「それ、普通は料理って言わないんですよテンドウ君」
ジョウヤの問いに答えたテンドウに、パピヨンが呆れ顔で突っ込む。このマラミュートの認識では、生でさえなければ何でも
料理になってしまう。なお、彼にとってはカップ麺にお湯を注ぐ行為も料理であった。
「あ、あの、冷める前に、どうぞ…。あ、でも熱いかもです…!」
どっちだ?とてんぱっている少年を一斉に見遣る月乞い達だったが、グレートピレニーズは「そうだね」と顎を引いた。
「深部温度が軽い危険域…、慌てて食べたら口の中を火傷してしまう温度だ。ゆっくり味わいながら頂こう」
この言葉にアルとタケミが数度瞬きした。
(ワッツ?深部温度が判るんス?)
(軽い、危険域…?ジョウヤさんの異能って、やっぱり…)
少年は同行した際から気になっていた、ジョウヤの感覚の鋭さ…目が見えていないにも関わらず、自分以上に鋭い察知能力に
ついて、少し理解しつつあった。
(ジョウヤさんの異能は、危険、あるいは脅威…、そういった物を五感以外の何かで察知する異能?)
ただし、それだけでは説明がつかない事もある。揺れに対する反応などでは、「実際にそれが来る前に動く」という、妙な出
来事が記憶に新しい。迫る何かに対し、少し前に判っていたかのように動いている事が、ジョウヤには時々ある。
とはいえ、公開されていない異能の詳細を本人に問い質すのはマナー違反だと、ユージンから教えられている少年は、興味を
抑えて口には出さない。
「それでは、いただきます」
ジョウヤがフォークを取り、パスタを搦めて回し、口元に運ぶ。同じく他の面々も思い思いにパスタを絡め…。
「これは…!一味違…いや、麺の食感からしてまるで違う…!スープの塩気と酸味が程良く絡む…!」
思わずといった様子で手を止めたのは、ホワイトシェパード。
「んっ…!おいし…!」
「こりゃあいける…!パスタを塩ラーメンもどきにして食う以外の料理は久しぶりだ…!」
ハスキーが目を丸くし、パグも感心してウンウン頷く。なお、パスタの塩ラーメンもどきとは、時々パピヨンが作る賞味期限
間際の苦肉の在庫処分方法である。
一同を最も驚かせたのは、使用されたプチトマトが地元の自生種であるという少年からの説明。南エリアで栽培を放棄され、
自生するようになっていたトマトは、単に酸っぱいだけではない。霧が流れ出て湿度が多い環境に対応し、水分を遮断するよう
皮が厚くなり、種を護る為に果肉の密度が高まっていた。そこに蓄積されていたのは酸味だけではなく、トマトの味そのもの。
大ぶりな果実を凝縮したような塩梅に自己進化していた事に気付いたタケミは、トマトスープの配分を経験則からアレンジし、
少量でも充分な味付けになるこのトマトに合わせている。おまけに、このトマトは栄養価が高い。酸味のバランスだけが問題だ
が、食べ易くできれば貴重な栄養源になると、マヌルネコが顔つきは気怠そうなまま大層喜んだ。
また、貝類が豊富に獲れたのも嬉しい所。伸び伸び育ったアサリとハマグリは良い出汁でスープの味わいに深みを持たせてい
る。ヒラメの骨を湯でて取った出汁も合わさり、トマトの濃さに負けない磯の香りがスープの湯気に混じっていた。
パスタはあまり上等な品ではないが、それを補って有り余る味付け。絶妙な湯で加減で質の悪さを補い、丁寧に味を引き出し
たスープスパは、交代勤務で疲労が溜まった体に染み入る滋味となっていた。
料理とは、それ単体で完結する物ではない。他の料理で覚えた下拵えが、また別の料理で覚えた味付けが、さらに違う料理で
覚えた調味料の配分が、経験則と共に蓄積されてゆく。日頃から料理を工夫してユージン達を喜ばせようとしていたタケミの、
技の実りがこの味を開拓していた。
「どうだい?テンドウ」
ジョウヤに感想を聞かれた弟は、少し考えた。
単にバランスよく栄養を摂取するならば保存食の方が上。しかし効率が全てに勝る訳ではないと、テンドウは兄を通して学習
した。
食欲が湧かずに意欲が削がれるような食事は、充分な量を摂取し辛い場合もある。しかし美味であれば、口に合えば、生き物
は食事を摂り易くなる。いかに栄養効率が良くとも食せなければ無価値。栄養価で劣っていても、食せるならばこれに勝る。
生物の意欲という物は、何らかの行動を起こすに際して無視できない影響を与える。食事で言うならば、食欲がある方が摂取
し易い。
客観的に評価を述べるならば、このスープスパは…。
「良い食事だ」
論理的思考を端折り、端的に結論だけ口にするマラミュート。タケミはホッとした様子で胸をなでおろす。
「うむ!美味い!いくらでも食える!このカルパッチョも良い!新鮮で身もたっぷりだ!すぐ傍にこんな食材が豊富にあったと
は、いやはや盲点!」
セイウチが何度も顎を引いてはフォークを動かし、隣のマヌルネコも神妙な顔で首肯する。
「こちらでは、ビタミンなどは錠剤に頼りがちだ。あのトマトを食材利用できるのなら、また栽培する価値は大いにある。土地
はいくらでもあるし、勝手に繁殖するほど生命力が高いトマトだ、手間はさほどかからないだろう。貝類と併せて重宝する」
魚介とトマトの有効活用。これまで見向きもされなかった、期待すらされなかった、地産地消が可能な資産。保存がきく穀物
酢とオリーブオイル、唐辛子等の香辛料を用いて作られたカルパッチョは、錠剤で補いがちな栄養素を、味を楽しみながら摂取
できる料理。栄養学の見地から述べても、タブレットに頼らず摂取できるのは良い生活習慣になる。
この時点ではまだ誰も気づいていなかったが、南エリアで栽培放棄され、自主的に環境に適応、進化していたプチトマトは、
後日正式に独自品種として認定される事になる。そして強過ぎる酸味を上手く処理すれば美味となるこのトマトは、ダリアの店
や土肥の料亭を通してじわじわと知名度を上げ、南エリアの特産品として知られてゆくのだが、それはまた別の話。
(だ、団長さんは…、どう、かな…?)
ドキドキしながら見守るタケミ。グレートピレニーズは目が見えていないにも関わらず、フォークを器用に操って上品に食べ
ているが、自分自身の感想はまだ口にしていない。
(口に、あったかな…)
審査結果を待つような心持ちで見守るタケミが注視する先で、ジョウヤはパスタを食べ終えると、フォークを置き…。
(…スープは、気に入って貰えなかった…)
目を伏せる少年。だが、その直後にタケミは二度見した。
それまで静かに、上品に、音も立てずにパスタを食べていた巨漢は、皿を両手で掴んで持ち上げ、口をつけてズゾゾゾ~ッと
豪快に音を立ててスープを啜り始める。
目を丸くしているタケミの視線の先で、喉仏を上下させながらスープを残らず飲み干したジョウヤは、
「…でへっ!おかわり、あるかな?」
少し照れているような顔で、垂れ耳の基部を下げながら空の皿を上下させた。
「は、はい!まだまだありますから!」
嬉しそうに声を弾ませたタケミを、静かにしていたヘイジが微苦笑して眺める。
(ホンマの事を知らへんでも、タケミはんは団長はんを慕っとる。本能の方では身内やて何となく感じとるんかもなぁー…)
グゴギュルル…、と音がして狸が視線を巡らせると、配膳係のアルが突き出た腹をさすっていた。後で、と自分に言い聞かせ
ていたが、良い匂いに刺激されて我慢の限界が近い。口の中はヨダレでタプンタプンである。
「わはははは!お代わりついでに、キミらの分も用意して一緒に食べようか!ほれ、席ならここが空いている」
豪快に笑うシオミチが、ちゃっかり自分の左右…割と狭いスペースを示した。なお、まだノーパンである。
「せやな。反応は上々みたいやし、タケミはんもそろそろ肩の力抜いて、御相伴に預かりましょ!」
ヘイジに促された少年は、やっと緊張を解いてはにかみ笑いを見せた。
なお、タケミが今回使用した食材と調味料は、この街なら調達が容易な物と、備蓄に余裕がある品ばかり。少し工夫はしてあ
るが、難しい調理行程は踏んでおらず、再現が比較的簡単である。その他、今回は作らなかったトマトスープや煮込み料理など、
考案したいくつかのレシピなどと併せて、この魚介トマトスープパスタの製法はやがて南エリアに広まり、地元料理として定着
してゆく事になる。
そして…。
「ワシもおかわり」
身内故に、真っ先に感想を言うのは割けて沈黙していた金熊が、空っぽになった皿を持ち上げてみせた。
目を向けたタケミに軽く目を細め、目線だけで頷きを伝えるユージン。少し上がった口角と細めた目が、その満足度を物語っ
ていて…。
「はい!」
少年は嬉しくて、弾んだ声で返事をした。
(作業機のカスタム、魚介の確保、トマトの有効活用…。大掛かりにやれたら結構変わって来るで)
満足げに一同の様子を観察しながら、ヘイジは情報を纏めていた。
アルバイトの方も成果は上々。マミヤへ報告するついでに生活環境改善の相談もできるし、上手く転がればシノギ…商いにも
繋がる事なので、俵一家や傘下の親分達にも話を持ち掛けられる。
(問題は、栽培やら漁やらに従事する労力や。地元民いうても、ここに住んどるんは潜霧士の関係者やら組合や公務員の家族ば
かり。地元に限っても労働者はそれほど集まらへんし、外に求めた方が交流人口の上昇にも繋がるわ…。人手の確保に大親分が
一枚噛んでくれはったら、トントン拍子に行きよるで~…!何とか口説いてみましょか!)
来るまでは、どうなる物だろうかと悲観的だったが、何とかなりそうな算段もついて、狸はニンマリ口元を緩める。
(ほな、仲介料と情報提供料の交渉も、併せて頑張ろか!)
勿論、ただ働きはしないが。
そうして、短く慌ただしい神代潜霧捜索所の滞在期間は過ぎ、南エリアは長城の小規模修繕に追われながら日常に戻ってゆく。
熱海からの客が早朝に発った、その日の夕刻…。
(手料理まで食べられるとはね…)
月乞い本部の椅子に座り、メンバーが上げた報告書を音声読み上げで確認しながら、グレートピレニーズは頬を緩ませていた。
立派に育った。大事に育てられた。それが判っただけで満足だった。
そう、満足したはずが…。
ギシリと、体重を受けた椅子の背もたれが、寂しげな軋みを上げる。
背もたれに体を預けて天井に顔を向けながら、ジョウヤは大きな腹を大きなため息で上下させた。
(困ったものだなぁ…。「今度はこちらから会いに行く」…なんて、余計な約束まで取り付けてしまった)
苦笑いするグレートピレニーズ。
出発直前の一行に、今度は折を見て熱海へお邪魔するなどと言ってしまった。少年が喜んでくれたのは正直嬉しかったが、あ
まり構い過ぎるのはよくないなと自省する。字伏郎党の干渉を招くような接触はすべきでないし、何より彼はもう、立派なダイ
バーになりつつあるのだから…。
「兄者、よろしいですか」
突然ドアが開き、マラミュートが入室し、デスクを挟んだ位置で止まる。よろしいですか、と言いながらも答えを待たないの
はいつもの事。
「何かあったかい、テンドウ?」
「いえ、むしろ無いです」
「うん?」
「指示を受けた仕事は片付けましたので、すべき事がありません。次の指示を」
「早いね?」
「急ぎ片付ければ、熱海へ向かう時期を調整し易くなりますので。スケジュールを早急に先々まで消化するべきかと」
思わず笑いを堪えるジョウヤ。テンドウは「何か?」と疑問顔。
(熱海に行く気、満々のようだねテンドウ)
タケミが真実を知らないままにジョウヤを慕うように、テンドウもまた事実を明かされない内に少年を気にかけ始めている。
(どんなタイミングでテンドウに切り出すのが良いかな…。ねぇ、姉さん…)
「はぁ?熱海に?」
アザラシが素っ頓狂な声を上げ、隣のセイウチが「そう!」と無駄に力強く頷く。勢いの余り豊満な胸部がユサッと揺れた。
長城外壁修繕の技術者警護についていた豊平丸潜霧団は、交代で引き上げたばかり。除染ルームでシャワーを浴びている最中
なので、反響する水音に負けないよう自然に声が大きくなる。
「(未来の夫である)タケミちゃんの普段の仕事ぶり、暮らしぶり、遊びぶり、諸々ぶりをこの目で確かめておくべきだと考え
てな」
窪みが深い臍の中まで指でほじくるように洗い、隅々まで洗浄しながらシオミチが応じると、同僚達は困ったような顔をした。
「入ってる依頼が、二ヶ月向こうまで繋がってるんだけど?」
「急ぎ片付ける!」
「復旧の手伝いでそっちも押され気味なんだけど?」
「部隊を二つに分ける!」
「名軍師みたいなこと勢い良く言うけど、少人数なのに分けても効果なくない?」
「なせばなる!そも、熱海に行くならばだ!マダム・グラハルトが経営する噂の酒場、皆も興味はあるだろう?」
熱海に行くなら外せない、とダリアの酒場を挙げるセイウチ。これには他のメンバーも心を動かされる。食事や酒だけではな
く、潜霧士が集まる酒場は情報の宝庫。何かと役立つ話を聞けるだろうし、上手くすれば向こうの潜霧事務所などとツテができ
るかもしれない。
(ウチのトヨッペは他所から仕事取って来る甲斐性無いしな…)
(ツテで仕事を流して貰ったり、こっちに振って貰えたりすれば、色々と都合も良い…)
(南エリアにわざわざ熱海からダイバーを向ける依頼が出るくらいなんだから、現地に行って、こっちの仕事は直接申し込んで
貰えれば安値で受けるよってアピールするのもいいかな…)
メンバーはあれこれと、今後の潜霧団運営に有利に働く事を考える。
腕利きの潜霧士が優れた運営者であるとは限らないが、シオミチもいわばユージンと似たタイプで、金銭に無頓着過ぎて金儲
けに向いていない。資産運用資金運用の才は皆無で、儲け話を嗅ぎつけるのも下手糞、「潜霧に特化しまくったステ振りの甲斐
性無し」というのがメンバーの一致した見解。なので潜霧団の資金運用はトップであるシオミチ以外が行なっている有様である。
「まぁ、行くなら行くで、ちゃんとスケジュール調整ね」
「無論だ!そっちは任せた!仕事は任せろ!」
ドンと胸を叩き、力強く応じたシオミチは、
(熱海…!都会…!デート…!)
鈍色の瞳を恋する乙女のようにキラキラと輝かせ、予定が立つ前から舞い上がり気味。しばらくはタケミの事を考えるだけで
自家発電と充電ができそうである。
「伊東ゲートまであと一時間程度だ。最後まで気は抜くんじゃねぇぜ、ええ?」
「ついたらあのラーメン屋行きたいっス!」
「あ、賛成」
大穴内のルートを辿る帰路の終盤。一行は霧の中で足を止め、最後の休憩を取っていた。
今日は伊東で一泊し、明日には熱海へ帰還する。気を抜くなと言いながらも、ユージン自身も少しは警戒を解いているようで、
「おし、帰りの挨拶がてら、食いに行くか」と大きく頷いた。
「何やそろそろ、味が濃くて体に悪ぃモンが恋しいですわ」
「そいつは同感だぜ」
ボイジャー2から降り立って少年達に飴を配っていたヘイジも、軽口が言える程度に気を緩めており、金熊もそれを咎めない。
「慌ただしい滞在になったが、得る物はあったか?」
ユージンは少年達が揃って頷くと、「ならいい」と満足げに口の端を上げた。
少年達の実績は計画した以上に積めた。南エリアの未踏区画を捜索するのと、何か引揚げ物、あるいはそこそこの危険生物討
伐で、次の昇級試験に向けた実績を稼がせるつもりだったのだが、ふたりは機械人形の撃退で大きな成果を上げてくれた。
おまけに、月乞いや豊平丸潜霧団などの口添えもあり、危機対処についての協力感謝状が、南エリアの潜霧組合から出る事に
もなった。
(本当に、タケ坊は立派に育ったもんだぜ爺さん、ミカゲ、ヨウコ…。こいつはもう、ワシが育てたってちょっとぐらい自慢し
ても良いよな?)
ユージンの口元を、誇らしげでありながら少し寂し気げな笑みが彩った。
土肥での一件で、タケミもそろそろ一人前だと感じていたが、今回の件でその思いはさらに強まった。もう何処へ出しても恥
ずかしくないダイバーだと太鼓判を押せる。
三等潜霧士。ジオフロントへの降下が許されるダイバーの花形。素人が潜霧士と聞いて思い浮かべる、地下に挑む者達…。誰
もが到達できる訳ではないそのラインに、少年達はあっさりと手をかけた。
才能はある。だがそれだけではない。あれだけ臆病な少年が、それでも大穴に目を向け続け、己を磨き続けた結果が「ここ」。
三等になれば、タケミはついに父の遺体を捜索できる。見つかるかどうかはともかく、やっと目的に着手できる。
アルは勿論タケミに付き合うのだろう。自分達でも見つけられなかったミカゲの遺体が、そう簡単に見つかるとは思えないし、
もしかしたらもう判別不能な程に散逸してしまっているのかもしれないが、せめて痕跡程度は見つかる事を祈っている。
そうして目的を果たしたら、別の事をして生きるのも良い。ジオフロントへの潜霧で得られる富は、その後の人生を働かずに
慎ましく送れる程度にはなる。場合によっては一生遊んで暮らせるほどにもなる。そうでなくとも、タケミには祖父と両親が遺
した莫大な財産がある。満足できたら霧から上がるのも良い。
(随分待ったし待たせたが、御役御免が近いようだぜ…)
タケミがひとり立ちできるようになったら、今度こそ霧の底を目指す。ユージンはそう決めている。自分にもしもの事があっ
てもタケミが暮らして行けるよう、色々と手を回して。
「戻ったら休暇期間、久々ですわ」
「おう、タケミの霧抜きもあるからな。そろそろ挟まにゃならんぜ。それに、入っとった依頼もこなさねぇと」
ヘイジとユージンが並んで腰を下ろし、水を飲みながら言葉を交わす。
「はて?何か仕事入ってます?リストには上がってまへんけど…」
「ワシ個人宛てのメールで入った。組合から探し物関係でな。人手が必要な物でもなし、近場の用事だ。ヌシらは休みでいい。
とはいえ、ヌシはボイジャーの整備もあるか。…前々から言っとるが、例え短くとも作業した時間はちゃんと付けとけよ?その
分は勤務時間だぜ、ええ?」
「おおきに、そこは抜け目なく付けてますわ。で、近場の簡単な用事やったら、ワイでもええんやないですか?大将も留守中の
事やら相場の事やら、組合や他の事務所に聞いて回りたいトコでしょ?内容によってはワイが行きまっせ?」
「いや、簡単な仕事だから大丈夫だ」
ユージンが詳細を説明しないまま軽くタケミの方に目をやったので、ヘイジはそれ以上聞かなかった。「探し物」とはおそら
く行方不明者…死んでいるだろう潜霧士か政府関係者の遺体だろうと察して。
「一日二日で片付く件だ。そいつが済んだら休暇がてらいっぺん土肥に足を伸ばす。親父どんもそうだが、湯屋の方にも挨拶に
…何だ?嫌そうな顔しやがるじゃねぇか、ええ?」
「いえ別に嫌がってへんですよ?ワイもちょいと用事ありますしー?丁度ええですわー。大将もたまには羽やら鼻の下やらナニ
やら伸ばした方がええですしー?」
「ほ~う?なんなら一緒に行きつけの店に行くか?知り合いに「気立ての良いレトリーバー」が居るから紹介してやるぜ。ヌシ
も気に入るぜ。気が合うぜ。しばらく帰れねぇぜ」
「保護者同伴て歳でもありまへんし遠慮しときます。気立てのええレトリーバーはんもだいぶ間に合ってますんで結構ですわ」
軽くチクチクし合う大人達を他所に、少年達は飴玉を口の中で転がしながら、南エリアの出発を振り返っていた。
「そういえばアル君、ドク先生から何か貰ってたよね?」
口の中で飴玉を転がしながらタケミが問うと、アルは「うス。母ちゃんに預かり物っス」と応じた。
「オレの健診した時のカルテが入ったメモリーっスね。「保護者の方へ」って書いてあったっス」
未成年なので所見は親と共有すべし。マヌルネコ医師はそういう所がやけにキッチリしている男である。
「そろそろアルはんもダイバーズハイが出て来たりしてまへん?」
旗色が悪くてユージンの所から逃げてきたヘイジが、少年達の方に加わる。
「ないみたいっスね~。オレもハイしてビーム出したいっス。それであの妖精さんみたいに、月乞いのひとも認めるダイバーに
なるんス」
『妖精さん』
またこのシロクマは妙な事を言い出したな、とタケミとヘイジが声を揃えたが…。
「見たんスよ。南のフリーダイバーで、若くて、丸くて、狐の、泉の妖精さん。月乞いのひとは、腕利きのダイバーって言って
たっス」
「おい」
アルの発言にユージンが反応した。
「ヌシも見たのか?「ウォーリーセブン」を」
「あ、そういうダイビングコードだったっスね。見たっスよ?ウォールEまで行くときに」
「ほ?名前聞いた事あったわ。船の墓場の潜霧士でしたっけ?」
ヘイジだけでなく、タケミもそのコードにだけは聞き覚えがあった。自分達が潜霧士の資格を取るよりも少し前から、話題に
なっていた若手潜霧士だと聞いている。
「おう。ワシもジョウヤから聞くまではピンと来なかったが…、「山岸の倅」だってな」
「え」
少年の頭の隅で、故郷の熊がその名を口にした時の声が蘇った。
「ヤマギシ、っていう名前なんですか…?」
タケミの確認に、ユージンが「そうだ。ヌシらより少し年上辺りの若ぇ潜霧士だな」と。
「確か…、「ウィルバー・ブルペキュラ・山岸」って言ったか。お袋が外国の出だから、ハーフだな」
タケミの手が首元に伸び、スーツ下の認識票と黒い破片を押さえる。
居た。
生きていた。
テンドウから聞いた「殉職した山岸」の話で一度は誤解してしまったが、友人の尋ね人はその人物の息子…今話題にのぼった
「ウォーリーセブン」だと確信した。
(行かなくちゃ…、もう一度…)
少年は振り返る。やり残しがあった南の長城は、遥か彼方に消えている。
(また南に!次こそきっと、サツキ君の頼みを…!)
存命だと報告はできるが、どう過ごしているかは判らない。何よりタケミは、自分の故郷で友人が案じていたと、その人物に
告げたかった。
(会いに、今度必ず…!)