第四十四話 「漣に蔭る水鏡」
(さて)
コツンと踵を止めて、アライグマはビルを見上げた。
情報などない。調べた訳でもない。立ち入った事もない。しかしその建物に目当ての者が居る事を、マミヤは確信している。
(おそらくは重火器の類か、爆弾でも用意しているのだろうが)
勘でもないし賭けでもない。当てずっぽうでもなく偶然でもない。アライグマやその息子のレッサーパンダは、一般人に理解
できない推理や思考、法則性の把握により、一足飛びに「答え」に辿り着く。
夜市で人気があるのは午後八時からの競り市。客が最も増えるのはこのタイミング。被害を出すなら狙いはその時間帯と察し、
準備諸々の所要時間などから逆算し、潜むのに丁度いいポイントを割り出し、マミヤはここに居る。
だが、何故その位置などが詳細に、そして正確に割り出せるのかと余人が訊ねた所で、当人は説明しない。説明しても理解で
きないので無駄だと。
息子共々、マミヤは「異常者」である。只人の想像もつかない思考と理論により、傍から見れば過程を飛ばして答えに辿り着
いているような推測能力を備える。
それは異能ではなく、この父子が持つ「異常」。持って生まれた異常な思考力の賜物。常人から離れた倫理観と頭脳に起因す
る異常な思考性能。逆に言えば、この超高性能思考能力故に彼らは倫理観などを埋められない。道徳も規範も他者の行動を計る
物差しという、道具の域を出ない。
高度な合理的思考を得た視座から見れば、多くの倫理や道徳は非合理的に感じられる物。彼らの目には人と世界は無駄と余剰
が溢れた非合理的な物と映る。それ故に彼ら父子の言動は、一般的な思考力を有する者から見れば、ひどく冷淡で非情に見える。
そんな思考能力を有するマミヤの目には、今日の土肥で起こっていた事件は最初から「連続殺人事件」とは映っていない。
俵一家が隠している「何か」をあぶりだすために動いている連中が土肥に紛れ込み、そして計画を実行する前に殺されたとい
う結論へ、一足飛びに思考が到達している。その結論に至った根拠は、と言うと…本人に問えば「考えれば解る」としか答えず、
当然説明もしないだろう。
目を止めたのは、祭り期間中は休業中の、金具製造会社のオフィスと作業場が入ったビル。その裏手に回ったマミヤは非常階
段のチェーンを潜り、登り始める。硬い革靴の底が鉄の階段を踏む音は、しかし周囲に響かない。腹が出た中年太りの体型なが
ら足取りは軽快で、長い登り階段を苦にしている様子は見えない。
スイスイと登ってゆく動作は軽快過ぎて重量感が無く、まるで人形劇のよう。しかし踏み出す脚が太腿で下腹部を押し上げた
り、上下動で腹が揺れたり弾んだりしている様には重さを感じる。何とも奇妙な様子だが、ともかくアライグマは七階分の階段
を一息に上がり切って薄手の手袋を取り出し、非常口のドアノブを回す。
鍵がかかっていない事を疑ってもいない、あるいは開いている事を知っているような迷いの無い動作でドアを開け、ビル内に
踏み入ったマミヤは、足も止めずに左右に六つずつドアが並ぶ廊下に目を走らせ、ビル正面側にある一番手前のドアに歩み寄り、
立ち止まりもせずに引き開けた。
「誰だ!」
入室した瞬間に、横合いから黒光りする銃口と、それを覆うモナカ構造のサウンドサプレッサーを突き付けられた。
そこに何者かが居る事も承知で踏み込んだアライグマは、驚く事も慌てる事もなく、自分に向けられた銃…それを握る男を一
瞥し、次いで室内に視線を巡らせる。
窓際に並んでいた男達は五名、ドア脇に居た男を含めて合計六名。窓の傍には重火器の類が用意されている。装備の質は悪い。
目出し帽を被った男達もまた、あまり質が良いとは言えない。その辺りも想定通りだった。
(予想通り、つまらん。だが楽で良い)
横から銃を突き付けられ、他の男達が拳銃を抜いて歩み寄って来る状況でなお、マミヤは落ち着き払っていた。その両手はダ
ブルのスーツの脇でだらりと下がって、この状況ならば反射的に取りそうな防御行動すらない。
「そうだな。何処から話せばいいか…」
「手を上げろ!」
怒鳴られてもマミヤの態度は変わらない。淡々とした口調で話しながら、男達が窓から重火器で群衆を狙う単純な行動を計画
していた事を、武器の品揃えから看破する。想定通り過ぎて意外性も面白みも無いが、面倒も無くて助かる、というのが正直な
感想だった。
「いや、話した所で理解できまい。説明するだけ時間と労力の無駄だ。知った所で意味も無いだろう。だから結論だけ一応言っ
ておくが君達を始末する」
面倒臭そうで投げやりな口調。ぞんざいに言い放った死刑宣告は一息で、「溜め」すらない。
構えるでもなく、慌てるでもなく、泰然と佇むアライグマに向けられた銃口の一つが火を噴いた。
銃声は、しかし建物外まで響かない。例えサイレンサーが装着されていなかったとしても聞こえなかっただろう。「音」は、
その部屋の外へ出る事を許されなかった。壁と窓を隔てた通りには、変わらず夜市を楽しむ客で賑わう光景が広がっている。
「あ?」
銃撃した男が疑問の声を発した。
そこに突っ立っているだけのアライグマは、その場から動きもせず、そして無傷だった。
男の視線が少し動く。アライグマの右て方向に居た仕事仲間が、ゆらりと後ろへよろけ、そしてドウッと仰向けに倒れた。
目出し帽を被っている男の眉間には穴が開き、そこと後頭部からジワジワと赤黒く変色してゆく。
「異能持ちだ!」
男の一人が叫んだ。その声が緊張のあまり上ずってしまうのも、その光景を見たならば仕方がないと納得もする。
何事も無かったように佇むアライグマは、硝煙の匂いが気に入らないのか、それとも甲高い声が不快だったのか、鼻の上に小
皺を寄せた。
「何をした!?」
「どうやって…!」
改めて男達はマミヤを取り囲んだ。残り五名に銃を向けられたまま、アライグマの中年はやはり動かない。慌てる素振りも恐
れる様子もなく、泰然と、そしてやや面倒そうに、その場に立っているだけ。
そして、銃声が重なった。先に倒れた仲間が、アライグマを狙った弾丸を曲げられた事で死んだ事など誰も想像できなかった
から。
異能名「サウンド・オブ・サイレンス」。
音漏れを防ぐ防音能力。マミヤの異能は「公的には」そう登録されている。
それは嘘ではないが、しかし事実全てではない。むしろ大部分を隠匿した上で、できる事のほんの一部を挙げているだけ。
マミヤの左側で、右前方で、正面で、ほぼ同時に全ての男達が呻き、そして倒れた。全員が、仲間が撃った弾丸を浴びて。
アライグマは温度の無い視線を男達に這わせる。
(対象が五つともなると、流石に精度が落ちるな)
呻き声が一つだけ途絶えていない。腹を押さえた男が膝をついて、苦痛で喉を鳴らしている。
マミヤの異能、その特色は「屈折」。
ユージンなどから「究極の異能の一つ」と称されるそれは、音波を屈折させて音漏れを制御するだけではない。弾丸などの飛
翔物体ならば運動エネルギーを屈折させ、軌道を変えられる。
男達がマミヤに向けて撃った弾丸は、いずれも銃口から出た時点で、仲間のいずれかへ向かって軌道を屈折させられていた。
そしてこの異能が屈折させられる対象は、実に多く…。
(さて…)
這いずって逃げようとする男を冷淡に見下ろしながら、マミヤはほんの一瞬だけ考えた。
(あらかたの予想はついている。問い質した所で依頼者の情報は掴めない。吐かせる事は可能だが、こいつらが知っているのは
偽りだけ。今回も「ヘイジ君の時のように」首謀者には行きつけない)
背後に居る者が何なのかある程度察した上で、マミヤは情報源としての価値はない事を再確認し、右手をスッと前へ出した。
そしてその人差し指を、ツイッと横手の窓に向ける。まるで、出て行けと指示しているように。
「ひぎっ…」
這いずっていた男の動きが早くなった。
より正確には、男自身の動作が加速したのではなく、移動速度だけが上がっていた。
端的に言えば「落ちて」いた。壁に向かって。
「ひあ、あ、あ、あっ!」
床に血痕を残して「転げ落ちて」行った男は、その先でビル側面の窓を破り、すぐ脇に立つ隣の雑居ビルの壁にぶつかり、そ
こで屈折を解除され、先程マミヤが登って来た、自分達が行動後の退路として鍵を開けておいた非常階段の脇を「正しい方向に」
落下して行った。
サウンド・オブ・サイレンス。
ガラスが割れる音も、男が上げた悲鳴も、20メートル下のアスファルトに激突して潰れた音すらも、誰の耳にも届かない。
マミヤの異能は、重力までも屈折させる。
音波も重力も運動エネルギーも、可視光線も屈折でき、赤外線すら屈折させられる。故に、マミヤは監視カメラも警報装置も
すり抜けて侵入できる。
だが、こんな事を余人に知られるのは、本人にとってデメリットでしかない。
例え有用な情報が得られたとしても、あるいは命乞いされたとしても、マミヤはこの場からひとりも生かして帰す気はなかっ
た。異能を使うなら敵対者も証拠も痕跡も残さない。これまでずっとそうしてきたように。
指一本触れる事無く男達を始末したマミヤは、今回もいつも通り痕跡を残していない。男達は仲間割れで殺し合い、最後の一
人は怪我をして窓から逃げようとした所で滑落死…。そう見えるように始末している。警察は勿論、俵一家にも男達の死の真相
は判らないだろう。
ただし、あらかじめ自身の異能を教えておいたハヤタだけは、片付けたと報告すれば納得する。異能の開示は信用を得るだけ
でなく、その後の「恩の押し売り」の事も見据えて行なっていた。
(さて、次の地点へ急ぐか。ショートカットした方が早いな)
かくして、アライグマの中年は男が「落下して」破った窓に歩み寄ると、そのままひょいっと空中に身を躍らせた。
その靴底が壁面にコツンと触れる。
自分に働く重力のベクトルを屈折させたマミヤは、そのままコツコツと靴を鳴らし、しかし音を周囲に拡散させずに、壁面に
対して垂直に立った姿勢で屋上方向へ歩き去った。
それは、とても危険な男である。
力を持たせるべきでない異常性と人格を有する者に、最上級の異能と頭脳が備わっている。
だが、ユージンや潜霧管理室長であるカズマなど、秘密を共有する者達はマミヤを信用している。霧という「共通の敵」が存
在しているからたまたま国家、潜霧士、ひいては人類の味方になっているだけのマミヤだが、霧への憎悪と怒りは本物だから。
およそ道徳や倫理とは縁が無い、利用すべき物差しとしてしか見ていないこの男はしかし、かつて、ひとりの女性に恋をした。
人類の文化も世界の環境も悉く下らなくて非合理だと断じながら、マミヤはたった一人の女性と出会った事で、まぁこんな世
の中でも良いか、と思えた。この娘が暮らしているというだけで、世界にはある程度の価値がある、と。
そうして恋をし、愛し、愛され、結ばれ、子を成した。
マミヤは異常なまま、しかし驚くべき事に人並みに…否、人並み以上に家族を愛した。
妻を、長男を、次男を溺愛し、家族との生活を何より大切な宝とした。
だから、一つ間違えば世界の脅威にもなりかねなかった男は、その悪意を霧に向ける。ともすれば人類に向けかねなかった悪
意を、人類にとっての脅威に向けている。
マミヤにとって霧は、最愛の妻を奪い、最愛の息子達から母親を奪い、自分達からかつての容姿を奪い、長く続くはずだった
日常を奪った、不倶戴天の敵である。
そして、数分後。
(先回りされたか…)
アライグマは夜市の喧騒が聞こえるビルの屋上で、死体を見下ろしていた。
首を折られた死体。傍らに転がっている狙撃用ライフル。手すり越しに見下ろせる大通り。何処も狙いたい放題だが、おそら
くはあらかじめ仕掛けておいた爆発物やガス容器などを狙撃する予定だったのだろうと、マミヤは見抜いている。
(問題は、これをやったのが誰なのかという事だが…)
この狙撃手がテロを起こそうとしている一団である事は間違いない。そしてこれを仕留めたのは、それを止めようと「日中か
ら動き続けている誰か」だと確信している。
しかしその誰かの詳細な素性に思考が到達しない。少なくとも俵一家はまだ動いていないので違う。そもそも彼らであれば死
体をそのままにはしないだろうが。
(ユージン君ではない。彼は可能な限り人を殺さない。ライフルを持った人間程度なら軽くあしらって気を失わせる程度に留め
る。そもそもユージン君は今頃お楽しみの最中のはず…)
心当たりがないし、推理の材料になる情報もない。何か手掛かりはないかと、マミヤは左腕の袖を捲って腕時計を見る。
それは、一見すれば高級そうではあるが普通の腕時計に思える。しかし実際は様々な物を感知する特殊な検知器の機能を備え
た逸品。ナミが改造した特殊な装置である。
(…何だと?)
巡る針の後ろ、文字盤に偽装されたスクリーンに表示されているのは、暗号化された検知結果。それを確認したマミヤは眉を
顰めた。そして即座に端末を取り出し、愛息子…にはスルーされる可能性が高いので、そのパートナーに暗号変換したメッセー
ジを送信する。
(私の物ではない「OMGP」の残留反応が検知されている。つまり、ここにはついさっきまで…)
アライグマは死体とその周辺を眺め回し、手掛かりを探しながら考える。
(「ステージ9」が居た)
マミヤは狙撃手の死体を、改めて仔細に観察する。
(しかし異能による殺害ではない。脛骨を物理的に粉砕する直接的な殺害手段だ。では異能を使用したのは移動のためか、痕跡
を消すためといった補助的な目的からだろう)
何者かは判らないが、問答無用で消し飛ばすタイプの攻撃的な異能ではないと判断し、マミヤは次の予想地点へ移動を始めた。
その、さらに数分後。
(二人目)
後ろから抱える格好で屈強な牛を捕らえ、チョークスリーパーにも似た締め方でゴキリと首をへし折ったクロコダイルは、脱
力した男を静かに床へ寝せながら視線を走らせる。
貯水槽やキュービクル式受電設備、ソーラーパネルなどが並ぶビルの屋上。手投げ弾など直接火力の類を準備していた一団の
背後から死角を縫って接近したイズミは、四人の半数を気付かれる前に始末した。見晴らしが良い空間よりも、遮蔽物が多い場
所の方がイズミにとっては動き易い。
通りから賑やかな声が聞こえる。手すり際からちらりと見下ろせば、自分達が故も無く危害を加えられそうになっていた事な
ど知らぬまま、夜市を楽しむ人々の姿が見えた。
掘り出し物を求めて忙しく店を見比べる客。浴衣姿で屋台を覗くカップル。気の知れた仲間なのだろう男性のグループ。華や
かに着飾った若い女性の団体も見える。
もしかしたら…。
イズミは度々思うように、この時も想像した。
もしかしたら自分にもあんな風に、普通に生きられる未来があったのかもしれない、と。
選ぶ事はできた。養父母と義姉の元で穏やかに暮らす事もできた。むしろ、それこそが自分に望まれた生き方なのだろうとも
思う。
そっと胸に手を当てる。肉が分厚くて丘のように張り出した胸と、出っ張った腹の丁度中間…最も窪んでいる位置に収まって
いる懐中時計に触れ、軽く首を振る。
一瞬揺れた瞳は、大通りの群衆から離れた瞬間に光を消していた。サングラスで覆い隠した双眸は、褪めて濁ってドブ川のよ
うに昏い。
三人目が胸元の通信機に触れる。観光客を装うアロハシャツの胸元に厳つい軍事用通信機が装着され、弾帯ベルトが巻かれた
様は、シュールでありながら笑えない。
「おかしいな…」
男が呟いた。気付かれずにその背後ににじり寄り、肩の高さで両腕を広げ、拘束にかかるクロコダイル。
「どの班も通信に出ない。じきに時間だってのに、まだ回線を開いてないのか?」
準備が整うまで通信回線は開かない決まりだが、いくら何でも遅すぎると訝っている男の後ろで、
(え?いやあと一か所残ってんだけど?)
イズミは標的の首に右腕を回して、喉を起こさせるように締め上げながら、左手で顔の下半分を覆って口を塞ぐ。
クキッ…。
顎の下に入った太い腕で喉圧迫されながら、引き延ばされるように脛骨を折られた男が、苦痛を感じる暇も無く絶命する。
(もしかして、俵一家か警察が嗅ぎ付けて片付けてくれたかな?…あれ?この場合報酬ってどうなんだろ?オレがやったんじゃ
ない分はナシだったっけ?)
倒れる音を残さないよう、仕留めた標的をそっと床に横たえたイズミは、
(!)
即座にその場から飛び下がった。
巨体が信じ難い速度で退く。夜闇と僅かな反射光からなる残像を、微かな音と同時に飛来した弾丸が射貫く。
太陽光パネルの土台となっているコンクリートに跳弾し、散った火花が刹那の間、闇に溶け込むクロコダイルのシルエットを
浮かび上がらせる。
「通信しないんじゃあない。できない訳か」
しっかりしたコンクリートの土台の後ろに回り、屈みこんで身を隠したイズミは、自分を狙った相手の声で位置を割り出す。
「質が悪い者も混じっているとはいえ、半数は場数を踏んだ経験者だ。それを壊滅させる…。相当腕が立つ連中が用意されたん
だろう」
僅かな足音。靴底が床に接触する音すらしない、年季が入って習慣になっている手練の足音の殺し方だが、イズミは足裏と床
の間で擦れる、僅かな土埃の音を拾って相手の位置を探る。
「お前も同業者だな?しかし運が無い…」
イズミが隠れている太陽光パネルに、拳銃を向けながら歩み寄る男は、大柄なゴリラである。頬に火傷の跡が派手に残った厳
めしい顔で、瞳には暗い色が宿っていた。
男は、いわば軍人崩れである。軍事作戦で経験した人を殺す行為に毒され、問題行動の多さなどから放逐され、それでも知っ
てしまった殺しの快楽を忘れられず、殺しを生業にするに至った。
「客観的に見ても依頼達成は失敗だ。だが、手ぶらでは帰れない」
ゴリラが前進する。同業者が相手でも遅れは取らないという自信から、声を発して位置を知らせている。同時にそれは、姿が
見えない他の班員に状況を伝えるための物でもあったが、何の反応も無い事から、ゴリラは既に全員殺された物と察する。
それでもゴリラの余裕は揺るがない。頑強な体躯の獣人である上に、シャツの下には防弾ベストを着用しており、相手が拳銃
を持っていたとしても、目でも狙わなければ大した負傷にならない。その一方で握っている拳銃には、頑強な獣化タイプの獣人
の肉体も容易く貫通する弾丸が装填されている。
「殺し屋としてのプライドという物に係わる。せめてもの手土産に、始末させて貰うぞ」
パネルの影に近付き、素早く踏み込んで銃を構えたゴリラは、
「くっ!」
パンッと、下から手を叩かれて銃を弾き飛ばされた。夜空めがけて銃弾が撃ち上がり、身を隠した方と反対側…キュービクル
の影から飛び出した鰐は、銃を逸らした左手を引きつつ右腕を伸ばす。
異能を使用し、遮蔽物の向こうで位置を変えるのはイズミの得意とする所。このクロコダイルの場合、隠れた所にいつまでも
留まっているとは限らない。濁った水に潜って消えた鰐が、いつまでもそこには居ないように。
チッとゴリラの襟元を掠めたイズミの指先は、しかし相手の反応が良かったせいで喉を捕らえ損ねた。
「やはり腕利きか!手土産としては多少上等になるな、御同輩!」
獰猛に笑ったゴリラは、数メートル先でソーラーパネルに当たって落ちた拳銃には見向きもせず、腰に装着していた軍用ナイ
フを逆手で引き抜いた。
銀光が水平に走る。踏み込みながら振るわれたナイフがイズミの首筋に迫ったが、鰐は半歩後退して回避している。
「良い動きだ…!お前も元軍人か?殺し慣れているようだ!」
ファイティングポーズを取ったゴリラの楽し気にすら聞こえる言葉に、イズミは応じない。ただ醒めた目をサングラス越しに
向けるのみ。
「ふっ!」
呼気も鋭く踏み込んだゴリラの、鋭いナイフを下がって避ける鰐。しかし後方にもあまり余裕はない。すぐに手すりへ追い込
まれるのは目に見えていた。
だが、イズミは焦るでもなく少し考え事をする。
(御同輩って、お仲間とかそういう意味だよな?何でだ?)
イズミの価値観では、このゴリラと自分は違う。
男が言った殺し屋のプライドというものが、イズミには理解できない。底辺の底辺、あらゆる仕事の中で最も価値が無い職種、
それが自分達だとクロコダイルは考える。
そして、これも男が言った事だが、「せめてもの手土産に始末する」という行為が完全に理解不能。依頼された殺しは行なう
べきだが、それ以外は迷惑でしかない。求めていない殺しを行なったと報告されても、依頼主が迷惑するだけだとイズミは考え
る。それが所謂「殺し屋のプライド」に該当する物かどうかという事は意識していないが。
そして、ゴリラとイズミの違いは他にもあって…。
「どうした!反撃して来ないのか!?」
ゴリラは挑発混じりに鋭く突き込む。それを、大柄な上に肥えた体躯でありながら、機敏な身のこなしで避けるイズミ。しか
しクロコダイルはフットワークを刻むでもなく、殆どベタ足…床を踏み締めた状態で、上半身だけ先に逃がすような独特の体捌
き。太い尻尾の捻りでバランスを取り、最小限の動き…揺れるような動作で攻撃を捌いている。
回避してばかりで打って出て来ないイズミに対し、横振り、逆手突きと、連続して斬りつけるゴリラ。畳みかけるような攻撃
から、持ち替えての鋭い突き。優位性を確信してのそれが、命取りになった。
「………」
ゴリラが手元を見る。
ナイフが無い。突いて、引いた時には、もうナイフはイズミの手の中にあった。
突き出されたナイフを峰側から握り込むように掴んだ鰐は、そのままゴリラから奪っている。
「…は?」
素っ頓狂なゴリラの声に、床へ捨てられたナイフの音が重なった。
イズミとゴリラのもう一つの違いは「戦闘能力」。動体視力、反応速度、膂力、瞬発力などの基本性能だけでも大きな差があ
る。イズミの手数が少なかったので、ゴリラは自分が追い込んでいると、相手は手を出し損ねていると勘違いしていたが、実際
は違う。首を折って殺すため…つまり余計な傷を与えないために、イズミは手を絞っていただけ。逆に言えば殺し方を制限する
だけの余裕が常にあった。
イズミはその気になれば戦闘能力が高い大型危険生物すら仕留められる。数回しか経験はないが、殺害対象を追うために異能
を使って潜り込んだ大穴内では、運悪く遭遇した機械人形も破壊できた。資格を所持していないモグリではあるが、潜霧士のレ
ベルで言うならば、二等潜霧士の中でも腕利きと呼ばれる者達の大半を、イズミは異能抜きの単純な戦闘能力で上回る。「人」
を対象とする殺し屋としては、明らかにオーバースペックな生物である。
余裕どころか顔色まで失ったゴリラは素早く後退した。
戦力的に優位な状況で、あるいは非武装の相手を殺し慣れてきたゴリラは、自分よりも強い相手を避ける事で生き延びて来た
手練。実力差を看破した後の判断は早い。
二歩の後ずさりから反転まで一瞬。劣勢を悟ってから退却の判断に至るまでは大した早さだが、イズミは相手が動いた瞬間か
ら追走に入っている。
後ろからゴリラの太い首を握り、コンクリートも破砕する握力で捩じ折る。それで終わる…はずだった。
(マジか~)
クロコダイルは濁った昏い目で、面白くなさそうに見ていた。ゴリラが苦し紛れに筒状の手投げ弾を放る様を。
描く放物線の先がイズミには判っている。逃げながら慌てて放られたそれは見当違いの方向に飛んでいる。自分の方には向かっ
ておらず、手すりを越えて落ちていく方向…。その先には、夜市の群衆が居る。
クロコダイルは迷わなかった。それどころかろくに思考すらせず、放られた爆弾を追うように曲がった。
足が床を蹴る。手すりの上を巨体が越える。伸ばした手が爆弾に伸びる。
(これはまぁ、仕方ねぇよな)
落下に移りながら、イズミは手投げ弾を掴んだ。そして眼下の景色…人々で賑わう大通りを一瞥し、素早く視線を巡らせ、気
付かずに全力で逃げているゴリラを見遣り、屋上の様々な物を見比べて…。
(蔭(かげ)れ!)
空間が波打つ。異能で生じさせた歪みの中に、手投げ弾を放り込む。
公的に届出されていないため登録された異能名は存在しないが、イズミは自分の異能を、かつてそう形容した人物の言に倣い
「漣に蔭る水鏡(さざなみにかげるみずかがみ)」と呼んでいる。
この、空間を歪ませて他の座標と繋げ、一種のワープゲートを作る異能は、対象をイズミのみに限定しない。最大3秒間だけ
開通するゲートは、イズミ以外の人物も品物も自由に通り抜けられる。
イズミが手投げ弾を送った先は、貯水槽の中、水面の少し上。転送された手投げ弾はそのままタンクの中で水没し…。
ボズンッとくぐもった音と共にビル屋上の水槽が四方で短冊切りのように罅割れ、上面が吹き飛んで水柱が上がり、亀裂から
大量の水が溢れ出た。
「な、何だ!?」
爆発に備えて排気ファンの陰へ飛び込んだゴリラが声を漏らす。自分が放った爆弾が見当違いの方向に飛んだ事など想像もし
ていなかった彼は、破裂して水を吐き出すタンクに目を奪われた。イズミが転送した手投げ弾は貯水槽の水中で爆発したおかげ
で、水がクッションになり爆発力を弱められている。ばら撒かれるはずだった金属片は飛散せず、水と一緒にタンクから流れ出
る程度に留まった。
自分が投げた爆弾が貯水槽内に入ったのか?と困惑しているゴリラは、
「終わりを」
耳元に囁きを聞く。
「届けに来たぜ」
背後から回ってヒタッと顎を、そして額を押さえた手が、左右へ広げるように方向へ素早く動く。
コキュッ…と鳴ったその音は、首を水平に寝かせたゴリラがこの世で聞いた最後の音となった。
(やっべ~…!落っこちるかと思ったぜ!)
爆弾をキャッチして異能で転送し、そのまま落下したはずのイズミは、ふぅー、と安堵の息を吐いた。
イズミの異能は再使用にインターバルが必要で、即座に連続発動はできない。爆弾を空間の歪みに放り込んだ時点から計算す
れば、再使用可能になるよりもイズミが地面まで転落する方が早かった。本人もこの事を判っていながら、下の群衆を巻き込む
よりはマシとして、「仕方ない」と割り切った。
それでもこの場に戻って来られたのは、彼が所有する特殊な品のおかげである。
イズミの太い腰を締めているベルトには、いつの間にか細いロープが一部を雑に押し込んで挟まれる格好でぶら下がり、右腰
で揺れていた。
そのロープは市販のナイロン製ロープのような見た目だが、かつてジオフロントで試験的に制作されたレリックである。
「不動索(ふどうさく)」。不動明王が手にする索(なわ)にあやかって名付けられたそれは、直径2センチ、長さ1メート
ル程度の見た目だが、最小で15センチ、最長で108メートルまで伸縮自在。耐荷重量は80トンにも及び、所有者の意思で
生きているように動く。
不動索はゴムのように伸びるのとは原理が違い、伸びる時は縄目自体が増減して伸縮する。思念波でマッチングしているイズ
ミの意思で伸縮し、自在に動かせるそれは、空間ごと折り畳まれた状態にあり、必要な時にはズルリと引き出されるように伸び
るのである。
とはいえ、仕事中は手首に巻いて袖に隠し、普段はポケットに押し込んでいるそれの原理について、イズミ自身はこれを自分
に譲り、説明してくれた人物ほど詳しくは知らない。彼にとって重要なのは、それが役に立つ事と、懐中時計同様に大切な品で
あるという事。
今回もイズミはこれを伸ばして手すりに絡みつけ、落下を免れた上で、異能を再使用してゴリラの死角へ転移していた。不動
索はイズミが触れている限り思うままに動かせるので、フックすら必要ない。雑に放ったら絡みつけて結ぶだけで良いのも強み
である。
(何とか被害は出なかったぜ…)
と、ホッとしていたイズミだが、爆発音で騒然となった大通りの様子に気付いて慌てる。
(やっべぇ~!あと一か所残ってんだ、ひとが集まって移動し辛くなる前に向かわねぇと!)
水浸しになった床を足早に進み、隣のビルへ飛び移る…にはちょっと距離があるなと思い直したイズミは、異能を使用しよう
として、
(いや待てよ?念のために余力は多めに残しといた方が良いぜ?)
やはり止めた。今日は昼間から何度も使っている。精神疲労は自覚できないが、そろそろ精度の低下も心配なので温存した方
が良いだろう、と。
不動索を腰から抜いて伸ばし、ロープ投げの要領で頭上で回し始めて…、
(!)
イズミはその動作を中断して素早く物陰に隠れた。
ドアが開く音がした。侵入する際にイズミは使わなかった、屋上とビル内を繋ぐ非常口から。
(やっべぇ!!!見られたか!?)
位置関係を確認し、ドアが空いた所からは視界が通らないと気付いてホッとしたのも束の間。イズミはダラダラと脂汗を流し
始める。
ドアのすぐ傍にも、仕留めた内の一人が死体になって転がっていた。
(足音、立てちゃ、やべぇ、ぜ…っと!)
慎重にドアから遠ざかったイズミは、視線が通らない位置を縫って屋上の端まで移動し、出し惜しみできない状況になったの
で結局異能を使って空間跳躍。隣り合うビルの内部へ移動する。
一方…。
(なるほど判った。これが警察関係者が言う、首折り殺人鬼の「インビジブル」か…)
首を折られて事切れている、武装した男の死体を見下ろし、恰幅の良いアライグマは半眼になる。
死体は全部で四つ。見て回る必要も無くすぐさま把握したマミヤは、警察などが駆け付ける前に退散すべきだと踵を返した。
(さしあたってはこれで全部だ。今夜はこれ以上騒ぎが起こる事も無い。もう少し恩を売りたい所だったが…、標的を被らせた
相手が悪かったな)
水浸しの屋上に踏み入れば足跡を残してしまうので、段差を降りずに状況を確認していたマミヤは、階段を降りながら通信端
末を取り出した。
着信相手は…。
「ナミィ~!ダディですよぉ~!」
喜色悪いほどオクターブが上がった猫撫で声で、溺愛する愛息子からの通話に応じるアライグマ。デレッッッッッデレに緩ん
だ顔には、やり手の悪徳法律屋の面影はゼロである。
『キモッ。鼓膜と脳みそが融解するからキモい声やめるし』
「うん!やめる!で、ダディに何か用かなっ?欲しい物あるぅっ?」
声音はいくらか落ちた物の、表情と口調とテンションは変わらないマミヤ。ユージンはもう驚かないが、ヘイジなどが見たら
白目を剥いて放心すること請け合いである。
『用事があってタイキを通して連絡してきたのはそっちだし。欲しい物って言うなら父親と縁が切れる機会かな』
「相変わらずつれないなナルは。でも、ダディはそんな所も愛してるっ!」
端末にキスしそうな勢いのアライグマは、『切っていいかな?』と問われて「勿論ダメだよ」と即答。
『父さんとの長電話は時間の無駄だから端的に伝えるけれど、検知されたOMGPの残留反応はデータベースに記録されていな
いパターン…つまり現状で把握されているステージ9到達者の誰の物でもない、未知の物だった。当然ユーさんでもないし、土
肥の大親分も、その懐刀もパターン違い。こっちで把握していないステージ9がそこに居た事は間違いないね。この件について
は今の所、ぼくとこっちの主任とタイキだけの秘密にしてある。データ照合を行なった記録も消除済み。もっとも、ステージ9っ
ていう変異段階もOMGP反応についても「ぼくらラボ関係者や政府の一部、ユーさん達みたいな何人かの潜霧士くらいしか知
らない」から、部外者が見ても何を調べていたのかさっぱりだろうけどね』
「そうだな。ところでナミ、インビジブルっていう首折り殺人鬼の都市伝説は知っているかな?」
『タイキがそういうの好きだから、ある程度は。怖がりなくせにホラーとか怪談とかビクビク楽しむクチだから、タイキはぼく
よりそういう話に詳しいよ』
「なるほど。…ではタイキ君に確認して欲しいんだが、その怪談はいつごろから知られるようになったか、どんな物なのか、だ
いたいで良いから判らないかな?」
ナミが『ちょっと待って』と言って、傍に居たのだろう猪に確認を取る間に、マミヤはビルの裏手から屋外非常階段に出て、
ちょっとばかり重力を屈折させて跳躍距離を伸ばし、隣のビルの階段へ移る。
マミヤの肉体的スペックは人間とあまり変わらない。脂肪が多めの中年太り体型からも判るように鍛えてもいない。アルやタ
イキのような怪力も、トラマルやテンドウのような俊敏性も、ハヤタやジョウヤのような生物離れした身体性能も無い。同年代
の中年と比べれば多少スタミナなどはある方だが、獣化した身としては平凡な物。こういった常識から外れた移動経路は異能頼
みとなる。
『四十年くらい前から噂されているらしいってタイキは言っているよ。ただ、昔は被害者の死体も残さないとか、神隠しに遭わ
せるとか、そういうパターンだったみたい。で、最近主流になっている「首を折って殺す」っていうのは最近加わったレパート
リーじゃないかなってさ。首折り殺人鬼っていう類型の話は、タイキも「起きた」後で初めて聞いたんだって』
「ふむ…。以前は首を折るという話ではなかった、と。ダディもその認識だった」
隣のビルに侵入し、裏口から出て、何食わぬ顔で現場から離れながらマミヤは眉を上げる。以前耳にした時と、現在警察関係
者や若年層が噂している内容とでは食い違いがあるような気がしていたが、ようやくはっきりした。
(タイキ君が昏睡状態だった間に、インビジブルの噂は変質した。…およそ八年間か。鍵はその辺りにありそうだ)
マミヤは、元々知っていた都市伝説のインビジブル…その原型については、大隆起と因子汚染という未曽有の災禍の混乱で生
じた、自然発生的都市伝説だと考えている。警察が通称で呼ぶ殺人犯「インビジブル」は四十年前から活動していた訳では無く、
ここ数年の間に都市伝説に引っかけられて命名されたに過ぎない。
そして、都市伝説側…命名元となった側のインビジブルの内容が近年になって変化したのは、殺人犯「インビジブル」の犯行
が逆輸入されたせいである事は間違いない。
(時期を特定する事で出自に迫れる可能性は高い。ステージ9はそうそう発生するものではない。仮定のステージ9到達条件を
満たすケースとなると、だいぶ限られて来るが…)
マミヤは混乱が広がり始めている大通りに向かいながら、「助かった。また連絡する」と息子に告げる。
「タイキ君にもよろしく。あ、御飯ちゃんと食べたかな?何を食べたんだい?ちゃんと食べたかい?バランス良く食べているか
い?タイキ君が見ているから心配は無いと思うがダディはいつでもお前を気にかけているよナミ!もう白神山地は冷え始めてる
だろうから温かくして寝るんだよナミィ?」
『用事終わったね?じゃあうるさいから切るし』
冷徹な言葉と声音で通話を切られたマミヤは、ちょっと切なそうに端末に頬ずりしてからポケットに戻す。
(さて…。つまらない片付けだと思っていたが、存外興味深い物が見つかったな)
表情を消したアライグマは、バラバラに散ったパズルのピースを頭の中で組み上げ始める。
連続殺人犯「インビジブル」。その正体に、マミヤは既に迫りつつあった。
(何だこりゃ?)
血だらけの床に死体が転がるビルの一室で、イリエワニは困っているような顔で腕組みした。
最後の標的は、イズミが到着した時には残らず死んでいた。先に片付けた標的の一人が、通信が通じない事を訝っていたので、
もしかしたら何かあったのかもしれないと思ってはいたものの…。
(同士討ち?こんな事あんのか?)
男達は拳銃で撃ち合い、命を落としたように見えるが、どうにも腑に落ちない。
イズミは頭の程度が悪いと自称するが、座学や知識はともかく、思考能力と直感、観察力には優れている。言語化して整理は
できないが、現場をいくつも見て来た経験と動物的な直感が、この惨状に違和感を抱かせていた。
何より、イズミはあまり楽観的ではない。自分にとって都合が良い偶然起こる事など稀であるという観念で動いているので、
幸運をハナから当てにしていない。
そんなイズミの目から見て、この状況は明らかに「都合が良過ぎた」。
(そりゃあ殺し合ってくれたなら手間は省けるぜ。でもなぁ。仮にも「おれの雇い主」と同じトコが手配した連中が、仕事前に
モメて殺し合うなんて都合が良過ぎるだろ?)
現場に入って数秒考えたイズミは、懐から懐中時計を取り出して蓋を開ける。
「どう思うステラ?これたぶん同士討ちじゃなく、他の誰かがやったんだよな?」
周囲に何も居ない事は把握している上に、盗聴器や録音機が働いていれば警告されるので、イズミは憚る事無く懐中時計に話
しかけた。
―もしかしたら さっき屋上に登って来た「誰か」 かもしれない―
網膜に投影された文字を認識して、「ああ、さっきもステラ気にしてたよな」とイズミは顎を引く。
―イズミの言う通り 爆発音を聞きつけて来ただけかもしれない けれど 早過ぎる気がする―
「ん…。ステラにそう言われると、そうも思えて来るんだよなぁ…。俵一家かな?」
―もし彼らだったら片付けて行く気がするけれど 断言はできない イズミの物じゃないOMGPの残留反応が僅かにある―
「ん?」
イズミはきょとんとした顔になり、数度瞬きする。
「え~と…?するってぇと?オーエムジーピーはアレだから…、つまり…?」
―そう イズミ以外のステージ9がここに居た事になる 死んでいる皆さんは違うから 土地柄的には土肥の大親分がここで異
能を使った可能性もあるけれど だったらこんな死に方にはならないだろうという推論も成り立つ 先にも提示したけれど 後
始末がされていない点も 俵一家の仕業説の根拠が薄弱になってしまう点だ―
「ん~。ん~…?」
イズミはしばらく首を捻って考えて…。
「おれ以外に、野良のステージ9が居る…って、事…?なの…?か…?」
―その可能性が出て来たね けれど とりあえずは―
「とりあえずは?」
―この場を離れて休息するように勧めるよ 今日はだいぶ異能を使った 自覚するほどではないかもしれないけれど 疲労は間
違いなく蓄積している たっぷり食事を摂って休むように 野菜もね―
「うはははは!ちゃんと食うって野菜も!もう子供じゃねぇんだぜ!」
太鼓腹を揺すって笑ったイリエワニは、懐中時計を胸元にしまうと、眼鏡に指をかけてサングラス部分をパチンと上げ、現場
を後にした。