第五十二話 「二面写真」
タケミが土肥へ発ち、ユージンが本土へ出て、イズミの家に遊びに行っていたアルがダリアのマンションに帰った頃、ヘイジ
はひとりボイジャー2が格納されている倉庫に籠り、チェックが終わった機体のデータをコックピットで眺めていた。
大型作業機と直接繋いだタブレットには、南エリア遠征の後で置換した新型パーツのマッチングが良好である事や、耐摩耗係
数の改善など、プラスの情報が何十行にも渡って列記されている。
サソリにもヤシガニにも似た大型ミストワーカーが駐機する周囲には、取り外された交換済パーツ類が並べられていた。外装
は傷みが無いので交換の必要は無い。性能向上のために置き換えた各種パーツは、余剰品をいくらか予備に回し、残りはあまり
劣化していないので中古品として売却できる。
ヘイジは難しい顔をしている。
予算無制限で改造を許された結果、性能自体は文句なしのレベル。大穴内で活躍している同格の大形作業機類…その最新型と
比較しても劣らないどころか、作業と戦闘の両面をこなせる点を考えれば、最も優れた作業機の一機と言っても過言ではない。
にもかかわらずヘイジが考えているのは、果たしてこれでユージンが望んだ水準に達したと考えてよいのだろうか?という事。
狸が思い出しているのは、南エリア遠征の際に機械人形と交戦した際の光景。
愛機は機械人形相手にしっかり仕事をこなし、ヤシガニのハサミを思わせる巨大な作業肢で見事に捕縛してのけた。
(問題はそこからや)
ボイジャー2の馬力は同サイズの作業機の平均出力を上回る。真珠銀と複合フレームで構成されている機械人形のボディも、
理論上はフルパワーなら圧断可能である。しかし…。
(ちょ~っと、時間がかかるんや…)
あの時、ボイジャー2は機械人形を捕縛したものの、一瞬で破壊するには至らなかった。結局は少年達と連携する事で仕留め
たが、捕らえた機械人形の破壊が遅れれば遅れるほど危険度は増すし、脱出される恐れも出てくる。特に、連携できない単体戦
闘の時や、機械人形複数を同時に相手取った時には、遅れが致命的な結果に結びつきかねない。
それに対する予防策として、ヘイジはボイジャー2のメイン作業肢…ハサミ型のアームにある物を仮設搭載したのだが…。
(ホンマに使えるやろか?)
何せこの仮設改良、発案があのシロクマである。ヘイジも一理あると考えて搭載を決めたが、実戦でどの程度の効果が出るか
は未知数。
実際に試してみるのは余裕がある状況下が望ましい。東京から呼び出しを食らったユージンの用事が済み次第、テストのため
の潜霧に付き合って貰おうと考えたヘイジは、
「ま、こういうのはいつの時代も男の子のロマンやさかい…。ふひっ…!」
ちょっと楽し気に怪しく笑った。
太陽が水平線の向こうに消えて、伊豆半島に宵闇が下りてくる。
今夜の神代潜霧捜索所は留守番のヘイジ一人だけ。ユージンが土産の取り寄せついでに与えた高級焼酎をお供に、狸が独りた
こ焼きパーティーを始めたその頃…。
(あ…!トラマルさんだ!)
土肥の駅構内で改札を抜けたタケミは、目につくところで待っていたキジトラ猫に微笑みかけられ、ホッと表情を緩めた。
「こんばんは。お世話になります…」
「ようこそ、お疲れ様です。御荷物は確かに受け取り、運び込ませました。会食を楽しみにしている大親分も首を長くして待っ
ていますから、ご用事が無ければ館へ直行致しますが…」
「は、はい。お願いします…」
トラマルの先導で駅から出れば、護衛を兼ねる運転手付きの車が待機していた。
「よ、お久しぶり!」
気さくに挨拶するビントロングに、オドオドしながらよろしくお願いしますと頭を下げて車に乗り込んだタケミは、
「今夜の所はゆっくり休んで頂いて、明日には同行するメンバーの一部と顔合わせを。乗り心地の慣らしを兼ねて数時間だけ作
業機のタンデムを経験して頂きます。本番にはお供できませんが、明日は私も同行しますので」
走り出した車の後部座席、少し緊張が強まって来た様子のタケミがコクコク頷くと、隣のトラマルは「大丈夫ですよ」と微笑
みかけた。
「運行責任者含めて、人当たりが良い面子が揃っています」
一応は新規ルートでの商い、第一印象は大事。交流交渉に向いた人員が中心になってチーム編成されている。なのでムラマツ
は最初から選考漏れしていた。
「ベテランが同行しますので、行程その物についてもご心配なく。大親分が若い頃から潜霧を共にしていた、私達の大先輩です」
トラマルはそう説明してから「今夜はリーダーとなる御二人も会食に同席致しますよ」と付け加え…。
「おう、来たなぁ!」
本部に連れて行かれたタケミを待ち構えていたのは、かつてこちらで狩りの仕方を体験学習する際にも会った、恰幅が良い壮
年の月ノ輪熊…俵一家のご意見番、板津甚吉だった。
「あ、こ、こんばんは…。イタヅ先生…」
潜霧関連事務所のロビーとは思えない、老舗旅館の玄関ホールのような和風建築の正面カウンター前で、隻脚の熊はニヤリと
笑う。指導した潜霧士から先生と呼ばれる事は多いが、直接指導していない若人にまでその呼び方を倣われると少々こそばゆい。
直々に巻き狩り指導を受けたアルとは違い、ハヤタに同行していたタケミはあまり話していない。大猪同様の岩手訛りのおか
げで、ほんのちょっぴり会話し易いものの、人見知りの少年は居心地悪そうに首を縮めている。
タケミのストレス反応をトップブリーダーのような鋭さで見抜いたトラマルは、「わざわざここで待っていらしたんですか?」
と直ちに会話を引き受けた。
「うんにゃ、今来たどごだ」
そう応じたジンキチは、勝手知ったる本部内を、先頭に立って歩き出す。
俵一家の本部は現役の潜霧士だけでなく、本部の雑用や事務を行う非実働潜霧関係者もその四倍以上は務めているので、まる
で大手ホテルのように人が多い。しかも武装や財産…大穴由来の希少素材などもここで管理しているので、奥へ入るには幾度も
セキュリティチェックがある。
道中すれ違う者達と気さくに挨拶を交わすジンキチの後ろで、丁寧にお辞儀されて歓迎されるタケミは落ち着かない。最上級
の賓客扱いを、心地良さではなく緊張感として味わってしまうのがこの少年である。
やがて、一般出入り可能な区画と、関係者のみ立ち入れる区画と、限定された人物のみ通れる区画を抜けて、タケミは今回初
めて通される部屋に案内された。
そこは、十二畳ほどの広さの飾り気がない和室だった。壁面に大型スクリーンが設えられ、掘り炬燵式のテーブル席になって
おり、清潔だが豪奢な置物や掛け軸などはない。
そこで、巨躯の大猪と、左腕が無いゴールデンレトリーバーが、ああだこうだとモニターのリモコンを弄りながら話している。
「ニュースでも流しとげばタケミも気ぃ紛れるってモンだべ?」
「若人ですよタケミ君は?ドラマとか映画とか流すべきでしょう」
「若ぇならアニメーションどが良いんでねぇが?ダンザイガーどが」
「血飛沫とオイル飛沫と爆発まみれのアニメで食卓が落ち着きますか」
「ユージンどがモンドは飯食いながら観でだど?」
「枠外の精神構造をした特殊な例を平均のように持ち出さないで下さい」
食中に流す映像をどうすべきか議論する事に集中していたふたりは、キジトラ猫がゴホンと咳払いするなり揃って振り向いた。
「おう!来たが!」
「いらっしゃいタケミ君」
にこやかな顔で歓迎されて恐縮するタケミ。
ハヤタにはそろそろ慣れて来た少年だが、キンジロウとは初めて土肥に来た際に一度会っただけ。それも瀕死の重傷を負った
ヘイジを運送する慌ただしい状況の最中だったので、ろくに会話もしていない。
緊張しながら改めて自己紹介するタケミに、
「はいこちらこそよろしくね。ところでタケミ君、初対面で不躾な質問を許して欲しいんだけれど…」
顔立ちが整っているゴールデンレトリーバーは、少年の正面に立って少し身を屈め、ずいっと顔を近付けた。圧を感じて腰が
逃げたタケミは、
「ジュースの好みは?まずは乾杯メニューの一杯目ね」
キンジロウが手品のようにペラリと、浴衣の袖の中から手首を返して出したソフトドリンクメニューを、目をしばたかせて見
つめた。
「今日のお通しに合うお勧めは、さっぱりした酸味と爽やかな甘みで味の切れがいい柚子ソーダ。柚子酒もお勧めだけれど、そ
れは大人になってから。林檎ジュースも良いけれど…、ははは!流石に君の故郷辺りの物には敵わないしね!」
若人から老人まで客慣れ接待慣れしているキンジの、さりげなく絡んで間合いを潰し、インパクトを与えつつも不快に思わせ
ないアプローチに、タケミはおずおずと、
「じゃ、じゃあ柚子ソーダにしてみます…。あの、ありがとうございます…」
不器用ながら、精いっぱい微笑み返した。
(さすが人気ホスト…!)
(人心掌握の手管…!)
タケミの態度を軟化させる困難さを知るハヤタとジンキチは、要領の良いキンジロウにちょっと嫉妬。
なお本日の献立は、形式通りの会食料理を望んだ年長二名の主張を、トラマルとキンジロウが抑えた特別メニュー。気取った
料理や堅苦しい会席フルコースではタケミが寛げないというキジトラ猫に、ゴールデンレトリーバーが知恵を添えて用意された。
夕食はお通しの山海珍味五皿から始まり、バショウカジキとカンパチ、アワビ、イセエビの御造り、イズカサゴのしゃぶしゃ
ぶ、キンメダイの煮物と、シンプルでありながら贅を凝らしたメニュー。
本土に出荷できないが美味で知られる土肥の鶏…霧に汚染されたという意味で遺伝子組み換え地鶏と、同じく霧に晒されたキ
ノコ類で作られた鶏五目飯が、赤味噌の汁物と共に供された後は、デザートの胡麻プリンがコースを締めくくる。
壮年コンビが主張した豚の棒葉焼きや、目の前で料理番が行なう海鮮網焼きなどは、ザックリと削られてしまった。キンジロ
ウ曰く「そういうのは少し歳を取ってからエンタメになるもんですよ」との事。
そもそもこの部屋を会場にしたのもキンジロウの案。大広間では広過ぎて落ち着かない手合いかもしれないと少年の事を把握
したレトリーバーは、程よい狭さの方が落ち着くだろうと考えたのである。このタケミ解像度の高さには要人警護のエキスパー
トであるトラマルも感動した。
横幅がある猪と熊が同じサイドに並び、対面にはキンジロウ、トラマル、端っこにタケミという席順。タケミを下座につける
事には年配組が難色を示したものの、少年が一番落ち着くのはこの席だとキンジロウが主張、トラマルも同意して押し切った。
そんなこんなで、仰々しい乾杯の音頭も堅苦しい挨拶も抜きに、タケミが気を抜けるように気配りされた夕食が始まり…。
「単純な仕事だが、往復で距離は相当稼ぐがらな。今夜ど明日は、準備含めで充分に英気養っとげ」
メニューの半分以上が片付く頃になると、指導役であり御意見番のジンキチは、ほろ酔い気分で笑いながら積極的にタケミに
話を振っていた。
「何もねくて拍子抜げすっかもしゃねげっと、気は抜がねぇで行ってござい」
見送る側となるハヤタも機嫌が良い。旧友の孫が新事業の実地試験を兼ねた試運転に参加するというこの状況に、かつて飛び
入りで混じる事があったタケミの父を思い出す。
「タケミ君、味変したかったら梨ジュースもお勧めだ。実は千葉で梨農園をしている元俵一家が居てね。梨だけは海上輸送で産
地直送。新鮮な上物に困らないんだ」
基本の応対は馴染めているトラマルに委ねながら、先回りして欲求を嗅ぎつけ、タイミング良く声をかけるキンジロウ。その
敏腕ホストっぷりを脳内メモしながら改めて観察するトラマル。
ユージンもアルも居ないので初めこそ緊張気味だったタケミも、少しずつ堅さが取れて微笑を見せるようになり、これまであ
まり接点が無かったジンキチ、キンジロウとも僅かながら打ち解けて行った。
(この分なら試運転は上手く行くかな?)
様子を見ていたトラマルは、きっとタケミは上手くやれるだろうと少し安心した。もし他のメンバーと馴染めなくとも、調整
するのはキンジロウの得意分野。このレトリーバーとさえ会話できるなら何とかなる。
(今回はメンバーの中にもお若い方が居ますし、話が合うと良いですが)
トラマルはタケミの道中を案じる。行程の多くは作業機での移動に費やされるので、会話が無くて困る場面は少ないかもしれ
ないが、気安く接する事ができる相手が居れば少しは楽しいだろうと。
一方、今夜はアルが帰っているので店員に後を任せ、早上がりしてきたダリアは、ふたりで夕餉を囲みながらシロクマの熱弁
を微笑ましい気持ちで聞いていた。
「で、たくさん見せて貰ったんスけど、どれもスゲーヤベーがち!あんな風に作れるんだって感動したっス!」
(よほど楽しかったんだろうねぇ)
絶え間なく喋り続けて、スプーンからポロポロと皿にピラフを落としている事にも気付かないアルの上機嫌ぶりを眺めるダリ
アまでが、我が事のように嬉しくなっている。
ビーフシチューは大変喜ばれた。
色々な話をたくさん聞けた。
ダンザイガーを見せて貰えた。
塗装ブースを使わせてくれると言った。
興奮冷めやらぬシロクマは、ふとイズミとのやり取りで気になった事…ラウドネスガーデンの予約は取り難いという話を思い
出し、養母に尋ねる。
「母ちゃんの店って普通の人は予約取り難いんスよね?」
「うん?まぁ現役ダイバー優先で席を取るからね」
当日の空きが出れば滑り込む事は可能だが、予約と予約の間の時間に限定されるなど、飛び込み利用は色々と面倒がある。そ
の事を告げた上で、雌虎は目を細めて頬を緩める。養子の困っているような残念そうな顔ですら愛おしくて。
「普通の予約は難しいっスか…。何ヶ月待ちとか我慢っスかね…」
「何か忘れてないかいアル?」
「へ?」
目を丸くしてから少し視線を上に向け、考え込んだアルは、
「アンタが予約するなら、潜霧士枠での受け付けだ」
店のルールは曲げない。が、潜霧士のアルが予約するなら正規手段で普通に入店するのも難しくない。
ダリアの言葉を受けて、二秒ほどかけてじんわりと笑顔になる。
「いいんスか!?」
「いいよ。ただし普通の客扱いだ。お代はしっかり貰うからね?それでも良けりゃ連れて来な」
「ヤッター!都合聞いて誘うっスー!潜霧士で良かったっス!ガチで!」
「潜霧士で良かった事にしちゃあ随分ささやか過ぎないかねぇ…?」
何はともあれ気が合う友人ができたようだと、ダリアは椅子の後ろに垂らした縞々の尻尾をゆったり揺らす。そして…。
(来店時には、多少めかしこんだ方が良いかねぇ…)
授業参観に初めて行く保護者のような気分にもなっていた。
同時刻。
風呂を済ませてリビングに上がって来たクロコダイルは、肌着のスパッツ一枚身に着けた格好で椅子に座り、安物のカップア
イスにスプーンを突き立てていた。
ラクトアイスがじんわりと溶けてスプーンの先端が少しずつ沈んでゆく様を眺めながら、イズミは思う。
食べなれたはずの合成チーズピザは、こんなに薄味だっただろうか?と。
より具体的には、味気ないし粉っぽくも感じた。栄養摂取が優先と心のどこかで割り切り、今まで意識して来なかったノイズ
を、今夜は明確に感じてしまった。
(ビーフシチューが美味過ぎたんだよなぁ…)
だが、過度に淡泊な印象を覚える食事は、それだけが原因だろうか。
昼はあって今はない、食卓を囲む誰かという存在の違いがそうさせるのではないだろうか。
そんな事を取り留めも無く考えていたイズミの正面で、夜のバラエティ番組を流していた壁のスクリーンが、前触れも無く切
り替わる。
『そろそろ良いかなイズミ』
視線を向けたクロコダイルの目に映ったのは、スクリーンの右半分を占拠するラフコリーの獣人。
二十代半ばから後半に見える若者は、フサフサした豊かな被毛が上品な印象を与える一方で、無表情な上に鋭い白銀の眼光が
冷たい印象を与える。
「おお。情報とか纏まったのか?」
『一通りはね』
真っ暗な背景の中に浮かんだコリーが左手を上げると、画面の右半分に様々なデータがウインドウ形式で浮かび上がった。そ
れらは、先の「仕事」の報酬として入手した情報や、その信憑性を裏打ちする追加調査の結果、そして独自に調べ上げた事柄と
の整合性を示す情報類。
『結論から言えば、潜霧探索管理室が「人造獣人開発計画」に関わっていた可能性は非常に高い。根拠は、真鶴の研究施設の設
計段階で当時の室長が視察していたという記録だ。完成後に「地下施設」まで立ち入っていたという記録は見つからなかったけ
れど…』
「「見つからなかった」んだな?「無かった」んじゃなくて」
『まさにそういうニュアンスと取ってくれて良いよ。無いと断言するだけの理由はない、という所さ』
モニターの中でコリーが指さす度に、指示されたウィンドウが拡大して前面へポップアップされ、イズミはその一つ一つを解
説を聞きながら確認し、吟味する。
『これだけの規模の地下設備を秘密裏に建造して、さらに消費電力、各種資材諸々を、潜霧探索管理室に露見しないよう極秘調
達できるとは考え難い。潜霧探索管理室側に情報を調整する者が居なければ、費用の流れまで無かった事にするのは無理じゃな
いかな。少なくとも、ワタシが突き止められないくらいに隠匿するのは簡単な事じゃない。内部事情に詳しく、そういった偽装
が行なえる以上は、相当な立場に居る者じゃないかなと考えている』
「…ステラ。潜霧探索管理室のトップは、よく伊豆に来てるんだっけ?」
『現場に足繁く通っているようだ。熱心にね』
コリーのそんな言葉に続いて表示されたのは、潜霧探索管理室長、種島和真の画像。政府内データベースにある、正面と側面
二通りの、証明写真のような二面写真。
イズミはその映像をじっと見つめ、記憶に焼き付けながら口を開く。
「伊豆に来てる時も、グレートウォールの中か…」
『だいたいはそうだろうね』
イズミの異能であれば、グレートウォール内に侵入する事は可能である。だが、内部の警備システムが厳重過ぎるので、侵入
できてもすぐに見つかってしまうのは想像に難くない。
『室長を拉致、尋問すれば情報は得られるだろうね』
「素直に教えてくれるもんじゃねぇと思うけどなぁ~…」
『拷問の手法については不足なく教えたと思うよ』
眉一つ動かさずに告げるラフコリー。イズミも表情を変化させないが、瞳が硬質の光を灯す。
『機会を待とう。急いては事を仕損じる。確実に接触、撤収できる状況は、どこかで必ず作れるよ』
「ああ、だよな…」
すっかり溶けたアイスを匙の端から垂らしながら口元に運び、イズミは視線を再度、カズマの顔画像に向ける。
(潜霧士の関係者か…。アルビレオさんも会った事あるのかなぁ?)
一方その頃、当のカズマは…。
「「流人」から報告があった懸念事項については以上です。…何か腑に落ちない事でも?」
下が透けて見えるガラステーブルを挟み、四人掛けのソファーを一人で占拠している金熊の巨漢に、部下から上がった報告を
伝えてから首を捻った。「変な表情ですが」と。
「ん?ああ、いや…」
ユージンは気を取り直すようにかぶりを振ると、冷酒が並々と注がれたぐい飲みを口元に寄せて、クイッとあおる。
「地殻変動が気になる時期に、アイツが霧から上がって来るのは珍しいな…って思ってな」
「補給のためでしょう。…と考えると、迫る何らかの異常を察して、腰を据えて調査するために補給をしておくため…とも取れ
ます」
「異常気象前の動物みてぇに、行動が指針になるヤツだぜ」
感心したり褒めたりしているというよりは、呆れているような口調のユージン。
ここは横浜。ベイブリッジを望むホテルのスイートルーム。東京への呼び出しがかかったユージンは、まずここで一晩宿泊す
る。東京の一部エリアである「特区」には出入りに制限が設けられており、伊豆半島に滞在した者は踏み入る前に検査を受ける
義務がある。これはカズマも同様で、結果待ちの待機は室長といえども例外にはならない。
どうせ身動きできないのだからと、酒を舐めながら濃厚なチーズを摘まんで晩酌を楽しんでいた。
とはいえ、話題にのぼるのは気楽な話ばかりではない。二人の仕事柄、話の内容は大穴絡みの物ばかりになる。しかも関係者
には聞かせられないような話までポンポン混じる。
「ご隠居は?」
「対応中です。老師が昨夜から入国していらっしゃいますので」
「早ぇな。暇なのか爺さん?」
「暇かどうかは私に言える事ではありませんが、たまの人里なので、お弟子さんに都会を見せたいとお考えになったようです」
「相変わらず弟子に甘ぇのなあの爺さん…。それはそうと、ご隠居も何かの審議とか入ってたんじゃねぇか?抜けて大丈夫かよ」
「いつもの影武者対応です」
「なるほど」
「「王」は明日の朝には入国なさるようです」
「遅れねぇとは思うが、ちょっと遅刻しただけでうるせぇからなぁ、やっこさんは…」
げんなりした顔のユージンに、カズマは申し訳なさそうな顔をする。
「気にすんな。気が重くても必要な事だからな。借金の返済を待って貰う交渉みてぇなモンでよ」
「借金しないのに気持ちが判るんですか?」
笑ったカズマに、金熊は頬をポリポリ掻きながら困った顔をする。
「何となくってぇか、ニュアンス的な?概念っつぅか?イメージだけは、まぁ、な…」
「あやふやですね」
「判ろうとはした」
「判らない方が健全ですよ」
そんな軽口を気軽に叩き合いながら、ふたりがゆったり過ごしている、ちょうどその頃…。
伊東のゲート付近では、紺色の夜に灯った町明かりが、霧の白さを帯びていた。
遅い時刻なので車通りも絶えており、出歩く人影も殆ど見えない。昼まで強かった日差しに温められた海水が夕暮れ以降に冷
やされ、海霧が出ているため、霧を恐れる本土からの客は屋内に引きこもっている。
閑散とした通りを、一つの影が行く。
ずんぐりとした影は仕立ての良いスーツを着込み、店仕舞いしている様々な商店の並びの中、「商い中」と記された赤提灯を
店頭で霧に滲ませているラーメン屋の前で足を止めた。
のれんを潜り、自動ドアを抜けると、「らっしゃい」「シャッセー!」「らっしゃっせ~」と厨房側から三人分の声が飛ぶ。
アライグマの獣人はカウンターも小上がりもガラガラな店内を一瞥するなり、迷う事無くカウンター席の一つ…先客が着いて
いるその横に腰を下ろした。
カウンター越しに手を伸ばした白黒のサルーキからお冷を受け取ったマミヤは、ゾゾゾッゾルゾルッと豪快に、そして軽快に、
音を立ててラーメンを啜っている隣の客に横目を向ける。
大きな男だった。身長もあるが分厚い体躯で、カウンターの丸椅子から尻が大きくはみ出ている。肩から腕まではどっしりと
太い肉の塊。背中も丸く張っており、法被のような上着の生地を張らせている。
太鼓腹が目を引く肥満した体型ではあるが、力士のような逞しい太り方で、四肢のみならず首も腰も骨格レベルで太く、重量
感がある。
ただ大きいだけではない。異様な風体とも言える格好をしている。
いかにも霧から上がりたてで、検疫を受けてゲートから出たばかりという、装備品をそのまま持ち歩く出で立ち。
法被のような衣服は青が基調で襟が黒く、上衣の袖や、膝上までの丈しかない下履きの裾などには、白く抜かれた波の紋が踊
る。目を引くのは肘や肩の側面など、要所に和甲冑のような重ね装甲板が装着されている事。
他の客が居ないのもあり、隣の椅子には背中に被る蓑をかけ、その上にベルトポーチなどの荷物を重ね、脇には大きな背負い
袋を置き、妙に大きな和傘を畳んで立てかけている。物騒にも荷物からは大きな鉈の柄が覗いているが、本人も店員も気にして
いない。
ラーメンどんぶりを両手で持ち、ゾゾゾーッとスープを飲み干して、空の器を一段高い配膳台へ置いた男は、狸である。ただ
しヘイジのような標準的な狸型とは違い、とりわけ体格が良い熊獣人などと見間違えそうな、濃い茶色と黒ずんだ被毛に覆われ
た巨体の狸だが。
「はぁ~っ!ここのラーメンを食べると地上に戻ったって実感するよ!どんなに長く潜って来ても、店長の味は変わらないネ!」
「あざす。店長、聞こえてて無視してますけど、言っときますね」
口の端を悪戯っぽく上げたサルーキが、火にかけている鍋の前で腕組みをしたまま動かない、湯気の向こうの人影を見遣りな
がら、「はいオマチ。背油マシマシトンコツ醤油す」と、空の器を下げつつ、交代で湯気立つどんぶりをカウンターに置いた。
麺が伸びたりスープが冷めるのを防ぐため、あらかじめオーダーされたお代わり分は、先の一杯が食べ終わるタイミングで提
供される。この店は健啖家が多い潜霧士が良く利用するため、複数杯のオーダーが珍しくない。そんな状態から生まれた心ばか
りのサービスがこれである。
「いただくよ!次の分はモヤシネギ辛味噌チャーシューメンを頼むよ。あ、それと餃子も追加で」
「はいマイド」
オーダーを追加した大狸に、その口が空になるのを待っていたアライグマは、メニュー表を指でなぞりながら「やあ。しばら
く、宿禰(すくね)君」と声をかけた。
「どうも。ご無沙汰してるよマミヤさん」
声をかけたアライグマに、大狸は少し顔を傾けて笑みを向けた。
霧から上がったばかりの自分が何故この店に居ると判ったのか。問い合わせも無く確信して足を運べたのはどうしてか。そん
な事を今さら訊ねる気にはならない。まともな思考での推測を飛び越して答えに辿り着くのがこの「法律屋」である事を、付き
合いが長い大狸は理解している。
「昼時に来ると戦争だというのに、今日は随分空いているな」
「濃霧注意報出てるからネ」
ガラガラの店内は、しかしマミヤには好都合。アライグマは海老ワンタンメンと餃子を注文すると、懐から携帯端末を取り出
し、大狸にも画面が見えるようにして中間へ置いた。
ラーメンを啜る口を一時止め、モニターを一瞥した狸の目に映ったのは、正面と側面から撮られたイリエワニの顔。宅配業者
のデータベース内からマミヤが失敬してきた、入江出海の履歴書用二面写真である。
「知っているかい?」
「いや、知らない顔だよ。彼がどうしたのかナ?」
「では、「殺し屋インビジブル」は知っているかね?」
質問に答えずに確認を続けるマミヤから一度視線を外し、カウンターの向こうをそれとなく窺った大狸は、アライグマの異能
が働いて会話が店員に聞かれない状態になっている事を確かめてから口を開く。
「名前くらいはネ。穴蔵生活が長いから詳しくはないけど、「実家」の誰かは判るかもナ…。「先代」に訊いてみるよ?」
「それには及ばない。真っ先に出自を疑ったので、隠神の里には問い合わせ済みだよ。かつて里を出た者の中に鰐系の獣人が居
たかどうか、ね。君が個人的に知っているならこれからする話が早く済むので、確認しただけだ」
「まぁ、ネ…。ウチで鍛えられたら殺し屋くらいなれるだろうし、無理もないナ」
マミヤが言及しなくとも大狸は察していた。この画像の鰐が「インビンジブル」なのだろう、と。
「それでだ。霧から上がるのを待ち構えて、一服もさせずに話を持ってきたのは他でもない。君にしか頼めそうにない仕事がで
きてしまったからだ。実は、この人物だが…」
アライグマが口を動かす。大狸だけがそれを聞く。丸みを帯びた耳がピクリと跳ねて、丸い目が思案するような半眼に変わる。
「未確認のステージ9か…。納得だよ。それなら確かにおいそれと下請けに投げる訳には行かないネ」
「事情を察して貰えて何よりだ。君の異能と技能なら、相手がステージ9でも滅多な事にはならないだろうからね」
「買い被られたら困るよ。相性にもよるからネ」
「だが実際の所、君の脅威に成り得る生物は大穴の内外含めて十にも満たない。君の異能「DOSA」はユージン君の「雷電」
に比肩する。制圧力や純粋な破壊力の面は勿論、君本人の生存技能の高さを考慮し、万に一つの事故も回避できると踏んで依頼
したい。報酬は…」
マミヤがピースサインのように人差し指と中指を立てて、それを向けられた大狸は「二千万とは、また随分高い仕事だナ」と
呆れ顔になったが…、
「いいや、二億だ」
マミヤの訂正を受けて胡乱な表情を見せ、端末が表示しているイズミの顔画像を再び覗き込んだ。
「第一級の上位存在か何かなんだよ?このひと」
「ここの会計も私が持とう」
質問に答える代わりにマミヤがサービスの意思表示をするが早いか、大狸はサッと手を挙げてカウンター向こうのサルーキに
合図する。
「水餃子とシュウマイと温玉丼とチャーハンとトッピング用のチャーシュー五枚とザーサイお願いするよ!」
ここぞとばかりに追加を申し込む大狸。そのオーダーが済むなり、一時解除した異能による音声屈折を再展開するアライグマ。
「…で。そこまでの大金を積むに値する依頼内容は、どんな物かナ?ナマミヤさん」
マミヤはサウンド・オブ・サイレンスを起動中にも関わらず声を潜め、それを聞く大狸は次第に眉根を寄せてゆき…。
翌朝、土肥。
ハヤタとトラマルの三人で朝食を囲んだ後、タケミはキジトラ猫の案内で本部を離れ、作業機が収められている整備倉庫へと
足を運んだ。
タケミを加えた面子でテスト運用計画が見直され、最終的にメンバー八名が二人ずつ作業機に分乗する、4ペア編成に落ち着
いていた。
八名の内二名がジンキチとキンジロウ…班長と副班長。残り五名にタケミを加えたメンバーで今回のテストに臨む。少年は意
外に感じたが、メンバーの内三名が人間だった。
作業機を駆るのは腕を買われた人員ばかり。タケミが乗る作業機の運転を務めるのは、数日前にこの倉庫で作業機の説明をし
てくれた、若いシェットランドシープドッグだった。
「前園柄持(まえぞのつかもち)と言います。よろしくお願いします…!」
客分を乗せる事になって緊張しているシェットランドシープドッグ…シェルティーは、少しぎこちなく手を差し出した。握手
する習慣に慣れていないタケミも、ギクシャクと手を握り返して名乗る。
「安全運転で行きますから、安心して任せて下さい…!」
やや硬い笑顔を見せるツカモチに、
「し、素人なので…、至らない所は、あの、ビシバシ注意して下さい…!」
引き攣った微笑で応じるタケミ。
この様子を眺めていたトラマルとキンジロウは、
(遠慮がち同士で、案外気が合うかも…)
(やっぱりこの組み合わせで正解かもな)
などと、それぞれ満足げである。
その場で簡単な自己紹介に続き、ジンキチから改めて明日の出発から到着までの予定について話があり、簡素なミーティング
が行われたが、乗せられてゆくだけのタケミ以外はこれ以前に入念な打ち合わせと調整が済んでいるため、短時間で顔合わせは
終了した。
明日に備えて各自早めに休むようにと月ノ輪熊が述べて、解散となったが…。
「タケミ君、何か気になります?」
作業機の方を見つめている少年に気付き、トラマルが気を利かせて声をかけた。立ち去ってゆくメンバーの中、若いシェット
ランドシープドッグは四機の高機動作業機を順番に覗き込み、計器などが表示される電光パネルや、水素バッテリーの装着口な
どをチェックしている。
「あ、いえ…。熱海であまり見ない形の作業機だから、珍しくて…」
「そうでしょうね。熱海や伊東は運搬作業機の老舗業者がありますし、信頼性が高くて丈夫な物が主流でしょう。高速移動がで
きる作業機は運転技術も求められますし、地下では使い勝手が悪いので、需要自体が少なめです」
例え危険生物を振り切れるほど移動速度が速くとも、舗装されている訳でもない大穴内を走行するのは危険が伴う上に操縦技
術が求められる。獣人の反応速度があっても御し切れないケースも多いので、好んで扱う者はそう多くない。
今回の任務で使用される四機も、俵一家が大手企業に特注で調整させた、一般販売には適さない代物である。
「…とはいえ、今回乗せられる分には安心ですよ。腕利きが揃っていますからね」
安心させるように少年へ微笑みかけたトラマルは、シェルティーに「ね、マエゾノさん」と話を振った。
「え!?あ、は、はいっ!」
真剣な顔で点検していたツカモチは、キジトラ猫の声で慌てて姿勢を正し、直立不動で向き直る。
「マエゾノさんはウチと長らく懇意にして貰っている、鈴木組の若手さんです。期待の新人、ですね」
「き、期待なんてそんな…!」
自分に自信がないシェルティーは慌てて謙遜するが、俵一家の関係者…引退潜霧士及び大小様々な四十八の傘下組織から、目
的に沿うテストメンバーとして選ばれた一人。作業機の操縦技術と、多少のマシントラブルにも対応できる技能と知識を併せ持
つ、メカニカルサポート要員として抜擢された精鋭である。
「期待されていると言ったら、フワさんこそそうでしょう?熱海の大将の直弟子、前途有望な少年潜霧士と聞いています」
照れているシェルティーから持ち上げられ、今度はタケミが赤面する。
「そ、そんな事ないです…!なかなか一人前って認めて貰えなくて…」
ユージンが一人前と判断する基準は、世間一般的に言えば超一流の水準だという事を、少年は知らない。
「神代潜霧捜索所も作業機を配備したんですよね?確か名称はボイジャー2と…」
興味がありそうなツカモチの眼差しを受けて、タケミは控えめに顎を引く。凄い作業機という認識はあるが、そもそも知識が
ないので細かい事を問われても答えられる自信が無く、がっかりさせてしまわないだろうかとドキドキしてしまう。
「どうですか?比べて、この機体は?」
「えと…。ど、どうって…」
答えに詰まるタケミ。
大型作業機である上に、戦闘行為まで含めた多目的設計のボイジャー2とは、サイズから構造まで完全に違う。懇意にしてい
るヤベチームが運用している、安定した運搬を目的とする中型作業機ともコンセプトが異なる。レーシングバイクを連想させる
流線形のボディはいかにも俊敏そうだったが、馴染みが無いので批評し辛い。
「流石に熱海の大将が誇らしげに言う機体には敵わないでしょうけれど、良い機体ですよ。安心して乗ってください」
ツカモチの言葉は単純なお世辞ではない。確かにボイジャー2はメーカーが直接カスタムしたこれらと比べれば、構造も古い
ハンドメイドの作業機である。操作系も複雑で、市販品の仕様からも外れた変則的な機体と言える。
しかし、変則的である事が即ち汎用性の低さには繋がらない。そういう意味でヘイジのハンドメイドであるボイジャー2は優
れている。踏破性、運搬性に加えて戦闘行動にも耐え得る…どころか機械人形との交戦すら視野に入れる無茶な注文を、実現し
てしまった稀有な作業機。巨体故の俊敏性の無さと、乗り手を選ぶ操作系の複雑さを除けば、求められた物を十分以上に体現し
た名機と言える。作業機を扱う者として、ツカモチは公表スペックからボイジャー2に興味津々だった。
「は、はい…。よろしくお願いします…。あの…」
安心してと言われたタケミは、それ以上に気になる所があって訊ねてみた。
「所長とお知り合いなんですか?」
「え"」
シェルティーの声が妙なブレ方をした。
タケミはツカモチの話を聞いている内に、ユージンとそれなりに長く話した事があるのではないか?と、内容や口ぶりから感
じた。しかしツカモチからすれば、会って話した場所と状況が未成年相手に説明するには若干不適切。「以前お世話になった事
がっ!あは、はは、は…!」と、シェルティーは詳細を伏せて誤魔化した。
(あ。確かマエゾノさんは湯屋で「アルバイト」を…。なるほど)
察したトラマルだったが、ここはあえて黙っておいた。言わぬが花を心得てこその、大親分の側役である。
とにもかくにも、タケミはともかくシェルティーの方からは話しかけてくれそうだと、多少安堵するトラマルであった。