第七話 「猟師の帰国」

 慌ただしい足音が地下通路を駆け抜ける。

 人影は二つ、重なるように走っているが…。

「この先だな!?」

「は、はいぃ!だから、もう殴らないで…!」

 一人は捕縛した側。そしてもう片方は捕縛された側。顔をボコボコになるまで殴られ、腰の後ろで縛られた腕に紐をかけられ、

もうひとりの男に握られている。

「一体で間違い無いな!?」

 問う男は、顔が人間の物ではない。耳は頭頂部に寄った位置で尖り、鼻から顎にかけては前方に隆起し、口元には牙が覗く。

両肘と両膝から先、首から上が被毛に覆われ、頭部の骨格も変形して尻尾も生えた、だいぶ山猫系への獣化が進んだ姿である。

「………」

 縛られたまま案内させられている男は、押し黙った。

 ここは、米国の情報局が所在を掴んだ非合法な運び屋兼仲介業者。扱う品目は麻薬、銃器、そして…。

「土蜘蛛一体、お前らが保管している危険生物はそれだけで間違い無いかと訊いている!」

 ヤマネコが牙を剥いて怒鳴ると、男は身を竦ませて小さく悲鳴を上げた。

「に、二匹です!二匹居ます!」

「まったく…。調べはすぐに付くってのに、この期に及んで誤魔化せると思ったのか…」

 呆れた様子で零した山猫は、襟元の通信機に触れた。

「こちら「ブラボー」。悪い知らせ。本当は二匹。オーバー」

『こちら「チャーリー」、何でこのタイミングまでゲロらねぇんだよ、ったく…。オーバー』

 同僚のボヤきが返って来て、山猫は通路突き当たりに扉を認めた。

「湿度を保つためか…。地下にこんな陰気な隔離庫まで作りやがって…」

 危険生物や、大穴から見つかった生命進化研究所由来のオーパーツ…レリックは高値で取り引きされる。闇市に流す素行が悪

い潜霧士も居れば、無認可で大穴に忍び込む「潜り屋」なども居るため、こういった物流は絶える事が無い。

 汚染された物は伊豆半島に押し込められ、封じ込めは完璧。安全で何の心配もない。…という事に表向きはなっているが、本

当は違う。

 大隆起後、世界各国は支援のために軍や救助隊を伊豆に送り込んだ。名目上はそうでも、本当に人道支援だったのは一部。大

義名分を得て大穴の秘密を得る国、火事場泥棒的に富を持ち帰る国、どさくさに紛れて工作員を潜り込ませる国…。本当に多様

な思惑が絡み合った修羅場だった。

 その時に持ち出された各種サンプルは、各国の目を釘付けにした。

 生物兵器としてもマテリアルとしても価値がある危険生物。

 オーバーテクノロジーの塊であるレリック。

 ひとを別の物に作り替える霧の成分。

 何もかもが未知なる、そして垂涎の物。

 かくして、大穴は今日でも世界中がこっそりと、横目を向け続ける場所となっている。「最新の進化」を生産し続ける土壌と

して。
日々その構造を進化させ続ける危険生物は、その死骸や素材…あるいは生きたままで、闇市や裏ルートで伊豆の外へ、そ

して国外へと持ち出されている。

 そして、金が動けば反社会的組織も動く物である。

 非合法に伊豆の大穴から運び出された危険生物が、輸送中、あるいは保管先で脱走する事件は、こういった非合法な仲介屋が

起こす事が多い。

 案内させた男を捕らえたまま、山猫はドアの覗き窓から隔離倉庫の中を確認し…。

「おい!居ないぞ!」

「へ?」

 捕らえられている男が素っ頓狂な声を漏らし、鉄製のドアを人間離れした脚力で軽々と蹴り破った山猫は室内に突入。顔を顰

めたくなる生臭い湿気が充満するそこは、8メートル四方のコンクリ打ちっぱなし、いかにもやっつけで貯水槽を改造した倉庫

という見た目。

 部屋の中心には大きな檻が二つ並んでいたが、腐食していたらしい鉄柱が折り曲げられて、中身は居なくなっている。何処へ

行ったのかというと…。

「こちら「ブラボー」!土蜘蛛二匹が地上に出ている!」

 天井を見上げる山猫の目は、部屋の角の通気口付近からコンクリートが崩れ、上の階…地上の大型倉庫内に繋がる穴が空いて

いる事を確認した。

「迎撃班、急いで向か…」

『「アルファ」、ガッテンっス!オーバー!』

 山猫の声を遮るように一斉通信に名乗りを上げたのは、若い、少年の声だった。

 

 静まり返った深夜のコンビナート。貨物倉庫の壁が轟音と共に崩れ、鉄骨をひしゃげさせ、粉塵の中から蟹のような異形の生

物が姿を現す。

 頭部についた多くの目が周囲を伺い、港の灯りを認めて移動を開始する。

 湿気が多い、海風に誘われる土蜘蛛がコンクリートの地面を鋭い脚で駆けてゆく、その途中で…。

「ストーップ!」

 響いた声に続き、落下してきた何かがドォンと、地面を震わせて着地した。

 潜入した事務所側から300メートル超、平均の高さが15メートルの倉庫群を、最短距離で超えて来たそれは、着地で屈め

た体を起こし、背負った長大な得物に手をかける。

 海霧漂う倉庫の間で、スカイブルーの瞳が立ち止まった土蜘蛛達を見据えた。

「「アルファ」っス!対象確認、ハントしまっス!」

 襟元の無線機を左手で押さえて通信するなり、その大きく分厚い手が、背負った得物を抜き放つ。

 それは片刃の刀剣。艶を消した金属のようにも、セラミックのようにも見える漆黒の刀身は、ゆるく反り返っており、形状と

しては日本刀にも似ている。

 ただしそれは、刃渡り160センチ、身幅20センチ、柄は40センチ、全長2メートル余り。刃も分厚い100キロ超えの

重武装。

 たすき掛けした太いベルトで背負う鞘は、長大な刀身を吐き出すため、峰側に蝶番がついて開く形になっており、抜刀直後に

自動でバチンと閉じた。
夜霧に晒された漆黒の刀身を担ぎ、ポンポンと峰で肩を叩くその腕は丸太のように太く、超重量の武器

を軽々と持ち上げていた。

 纏うのはタイガーカモフラージュのグリーン迷彩ジャケット。ポケットが多数ついたダークグリーンの防弾防刃ベストをその

上に着用している。ズボンもジャケットと同色で、脛の半ばまでは軍用のブーツが覆っていた。

 肘までめくり上げたジャケットからは、真珠色の被毛を纏った腕が覗く。襟を閉めた首元から上も、同色の毛で覆われている。

ズボンの尻からは短く丸い尻尾がピョコンと飛び出しており、耳は人間よりも頭頂に寄った位置についている。

「今日で仕事納めにするんで、逃がす訳には行かないんスよ」

 口元を不敵な笑みで彩ったのは、真っ白な熊…北極熊の大男。

 身長はもう少しで2メートルといった所。腹回りがだいぶある肥えた体つきで、四肢は異様に太く、酒樽から丸太の手足が生

えているようなフォルムである。

 しかし、そのボリュームのある体躯とは裏腹に、声は若い。まだ少年の物である。

 獣化の進行が完了し、完全にシロクマの獣人になっている肥満体の巨漢少年は、警戒しているらしい土蜘蛛二匹を前に、

「レディ~…」

 軽く腰を落として背を丸め、体を撓めるなり、猛然と駆け出した。

「ゴー!」

 地面に震動が連続して広がる、巨体の突進。土蜘蛛の一体は反射的に飛びかかって迎え撃ち…。

「どっせーい!」

 腹から出した気合いの声と、ガゴンという激しい激突音が響いた。

 200キロ近い土蜘蛛が、飛びかかった格好のまま空中に静止している。真正面からシロクマが右腕一本で振り下ろした大太

刀を、顔面に受けて。

 激突の一瞬、勢いが拮抗して制止した僅かな間、頭部を割って50センチほど蟹に食い込ませた大太刀の分厚い峰に、北極熊

は左腕を当てつつ体重をかけて傾ける。

 まるで薪を割るように、食い込ませた刃を固定したまま、体重をかけて土蜘蛛を地面に叩きつけるシロクマ。頑強で重量があ

る刃はまるでギロチン。あっさりと蟹を両断し、コンクリの地面に深い亀裂を生じさせる。さらに…。

「も一丁!」

 両断した土蜘蛛を飛び越えて、シロクマはもう一体に向かった。鋭い鎌が弧を描いて迎撃に動き、潮霧を裂いて唸ったが、肉

を切り裂く音の代わりに激しい金属音が鳴り響く。

 飛び込みつつ刀を逆手に握り直し、鎌を受け止めつつ地面に突き刺して、柄に縋って支柱にする形で着地タイミングをずらし

た北極熊は、延長させた滞空から右足を繰り出す。

 ゴッと音が響いて土蜘蛛の顔面に靴底が命中、体が僅かに浮くほどの衝撃でバランスを崩す。その間に着地した北極熊は、思

い切り左足を後ろに引き、コンクリートに切っ先を突き刺している大太刀の峰に、そのゴツいブーツで蹴りを加えた。

「どぉすこいっ!」

 謎の気合いの声と共に、蹴られた大太刀は地面を抉りながら跳ね上げられ、蟹の前半分を下から両断した。

 会敵から六秒。巨大なダンビラを再び肩に担ぎ上げた北極熊は…。

「こちら「アルファ」。ハント完了っス!」

 通信機に触れ、快活に仕事の完了を告げた。

『オーケー!回収班、聞いたな!?仕事急げ!』

『ヒュー!今回も楽できたぜ!』

 口々にチームメンバーが通信で声を交わす中、シロクマは土蜘蛛の残骸から視線を上げ、夜霧漂う夜空を見上げた。

「バンクーバーの夜とも今夜でお別れっスか…」

 しみじみとそう呟いた直後、

「はぁ~…。お腹減ったっスねぇ~…」

 情緒もへったくれも無く腹の虫が鳴いて、巨漢少年はその場で切なそうに屈み込んだ。

『ところで「アルファ」』

 全体ではなく、単独回線でシロクマの所に山猫の声が届く。

『チケット買えたか?お袋さんと連絡ついたか?』

「買えたしついたっスよ~。…母ちゃんは帰国日忘れてたっスけど…」

『そうか、なら良い』

「良いんスか」

『空港までは送ってやる。忘れ物するなよ』

「うっス!お世話になりました!」

 ニカッと笑ったシロクマは、ふと思い出して顔を曇らせた。

「…あ。お土産買ってなかったっス…」

『仕方ないヤツだな…。送りながらどこか寄ってやる』

「やた!サンキューっス「ブラボー」!」

 

 そして、夜明けの少し後。

「ここまで来たら大丈夫っスよ「ブラボー」。チケット見せて荷物預けるだけっス。「チャーリー」も待ってるっスから、オレ

に構わないで戻っていいっス」

 振り向いた少年の口元に浮かぶ笑みを見て、半分山猫はつられるように笑った。

「オーケー。生きてこの仕事を続けていれば、またどこかの現場で組む事もあるだろう。その時はまた宜しく頼むぜ「アルファ」

…おっと。退任なんだ、もうコードじゃなくて良いんだったな」

「タハーッ!オレもだったっス!癖っスね、癖!じゃ、リーダー達にもお世話になりましたって、伝えて欲しいっス!」

 ニカッと開けっ広げな笑みを見せた少年の顔を、半分山猫は眩しそうに見上げた。

 パールホワイトの被毛が美しい、熊の顔がそこにある。成獣ではない。大人になり切っていないどころか、まだ若さに変わる

途中の幼さまで残る、少年の顔である。

 しかし目の前にいるその若い獣は、世界中を雇われて歩く「猟師」。しかもチームを組んで狩猟を行なう自分達とは違う、単

独での猟も行なうフリーランス。

 腕前は、一緒に仕事をしたこの二ヶ月で確認した。驚嘆すべきレベルだと。

 だが、半分山猫はそこに一抹の哀しさも覚える。

 今年17歳になる少年が、そこまでの戦闘技術を身につけざるを得なかった、その生い立ちと身の上に…。

「じゃ!」

 シロクマが笑いながら片手を上げる。別れ慣れているのだろう、そこには寂しさなどは覗えない。

「ああ」

 半分山猫が手を上げ返す。巨漢少年は踵を返し、搭乗受け付けに向かった。

 2メートル程の長さの布包みを斜めに背負い、お土産品類でパンパンに膨れたボストンバッグ二つを両手に吊るして。

「五ヶ月ぶりの日本っスね…。タケミ元気してるっスかねぇ?そだ!いきなり会いに行ったらビックラこくっスよきっと!オー

ケー!抜き打ち突発サプライズ訪問決定!イェア!」

 

 

 

 水泡が頭上に向かう。

 ゴーグル越しに見る水底に、収穫物を探して、少年は波打つ海面越しに注ぐ日差しを背に浴びながら、海中を泳いでいた。

 水泳用のトランクスを履き、足にはフィンを装着。シュノーケルつきゴーグルを着用して水平に泳ぎながら、タケミは手にし

た籠を見遣った。中身はトゲトゲの黒い物体…ウニである。

 今日は「霧抜き」で休みの日。タケミはスーツではなく水泳用装備で、霧ではなく小島の周辺で海中に潜っていた。

 神代潜霧捜索所は漁業権も持っている。金に困っている訳では無いが、新鮮な旬の物を気軽に採れる素潜りはユージンの趣味。

タケミも霧に潜るより先に海の潜り方を教わった。

 流れは穏やかで日差しも心地良い。海水越しに白い背中へ日光を浴び、また一つウニを獲ったタケミは息継ぎの為に浮上する。

「ぷはっ…」

 小島の桟橋近く、獲りすぎないようにしているので資源も豊富な島周辺は、いつでも何かが獲れる良い漁場。

(お昼はウニのぶっかけ飯か、炊き込みご飯にしようかな?所長もこの間、旬の終わりを少し気にしてたし…)

 結構集まったと、ホクホクしながら籠を覗き込んでウニを数え始めた少年は、

(あれ?)

 不意に手元が暗くなって、反射的に空を見上げた。

 入道雲かな?と思った。視界一杯を覆った物が白いので。

 しかしピントが合わない。思ったより近い。そして中心にはポコンと盛り上がりがあって…。

(あ、おヘソ)

 それがデベソであると気付いた瞬間、タケミの顔面は柔らかい重量物体に激突された。

 ボミュンとドッポォンがほぼ同時。唐突に体積が大きいものに侵入された海面が3メートル台の水柱を噴き上げる。

 ゴボボボッと水音が響く海中が、大量の泡で白く濁る。水以前に土手っ腹に顔が埋もれて息ができないタケミが、反射的にし

がみ付いたのは、腕が回り切らない太い胴。

 勢いがついた沈降が減速し、やがて止まると、ゴーグルの中で目を開けた少年は…。

「!」

 泡が舞って上がって行く中、自分の両肩に手を置いて向き合っている相手の顔を確認した。

「アル君!」

 ゴボボボッと空気が漏れるその声に、ニンマリ笑っている北極熊は大きく頷く事で応える。そしてタケミを太い腕で抱きかか

え、水を蹴って浮上してゆく。

「ぷは~っ…!」

「ブハッ!わははははは!」

 海面に出て息をつく少年と北極熊は、顔を見合わせて視線を交わし…。

「ビックリした…!いつ帰って来てたの!?」

「今朝っス!ビックリしたっスか!そースか!サプライズ成功!イェア!」

 驚きながらも笑みを見せるタケミと、目論見が上手く行ってガッツポーズするシロクマ。

 実は、水上バイクやボートで島に来たならタケミに気付かれると考えた彼は、サプライズというその一瞬にして刹那的な目的

の為に、荷物と衣類を袋に詰めて防水し、岸から遠泳して島に上陸。少年が素潜り中だと気付いてあの暴挙に出た。悪戯心を満

たすための行動力が半端ではない。

「久しぶりっス~!五ヵ月ぶり!」

 ガバっと両手を広げたシロクマに、少年がムギュッとハグされる。

「うん、久しぶり…!」

 熱烈な親愛のハグは少しきつくて、声を絞り出したタケミは腕が回り切らないほど大きな友人をハグし返し、届くギリギリの

範囲で背中を撫でた。

「もっと撫でてくれていいんスよ!?っていうかナデテ!」

「立ち泳ぎしながらは難しい…って待って。ちょっとキツくて、苦しい…かも…!」

「っと!ソーリーソーリーっス!」

 北極熊は腕に力が籠り過ぎていた事に気付き、パッと腕を開いて少年を解放した。

「また…、大きくなったね…」

 少年は馴染みのシロクマを、憧れの眼差しで見つめた。

 大きくなっただけではない。より逞しく、力強くなった。そして…。

「また、新しい傷…」

 タケミはシロクマの胸に指を這わせた。豊かな丘陵の中央に、人差し指ほどの長さで刻まれた、まだ新しいピンク色の傷跡が

見える。

 幼少期に負った、消えない深手の痕は昔から見ていた。左肩を覆うように、前から背面へ三条の掻き傷が走り、右胸の乳首上

あたりから首筋まで、真っすぐな裂傷が刻まれている。

 それらはもう目に馴染んでいるが、シロクマの体には薄いピンク色の浅い傷が、治っても治っても次々に刻まれる。

「名誉の勲章っス!エヘン!ホメテ!」

 器用に立ち泳ぎしながら腰に手を当てて胸を張るシロクマ。

 タケミは、少し辛い。

 普通はそうなのだ。変身する度に傷が全て治って消える自分とは違い、皆の怪我は治るとは限らない。だから、自分だけズル

をしているような、申し訳ない気分になってしまう。

 が、それはともかくとして…。

「ところでね、アル君?」

「うス!」

「パンツが…」

 少年が視線を横の海面に向けた。そこには、飛び込みからの急浮上の際に脱げていた、この太い腰とデカい尻のどの程度を覆

えるのか疑問なほど細い、虎縞模様のビキニパンツが浮いていて…。

「………」

 海中に視線を向け、出っ腹を両手で押さえて引っ込めて、その下を確認したシロクマは、

「…キャッ…!」

 恥じらう乙女のように、両頬を押さえてシナを作った。

 

「おう、そうかそうか。帰って来たか」

 ところ変わって、日陰になって風が心地よい家の北側。丸太をそのまま加工した武骨なキャンプテーブルとベンチのセットが

設置されている狭い庭で、甚平の上だけ羽織って褌を締めた金色の熊が笑みを見せた。

 休日の醍醐味「朝から酒三昧だらけ生活」を堪能中のユージンは、ほろ酔い気分である。

 テーブルを挟んだ反対側には、それぞれ水泳パンツ一丁で海から上がって来た少年達。

「またデカくなったんじゃねぇか?アル坊」

「うっス!あと1.5センチくらいで2メートルっス!ホメテ!」

「おし、褒める」

「イェア!」

 ガッツポーズを取るシロクマと並んで座る、夢の170センチ突破のめどがついていないタケミはちょっと寂しげな表情。

「あ、そうっス!お土産あるんスよお土産!まずは…。おっちゃんにこれっス!」

 シロクマがパンパンのボストンバッグから取り出したのは、真っ赤なティーシャツである。胸には白く何かがプリントされて

おり、よく見るとその文字は「
You 人」。漢字が面白いという感性を持ち合わせる海外の一部特有の謎デザインシャツである。

 ダジャレにしても、獣人のユージンから見れば微妙過ぎる。うっかり笑ったら怒らないだろうかと、恐々ユージンを窺ったタ

ケミだったが…。

「ありがとよ。どうだ?似合うか?」

 ほろ酔い熊親父は気を悪くする様子もなく、ティーシャツを広げて胸に当てて見せた。

「バッチリっス!」

 シロクマは親指を立てて力強く返事をしたが、何を持ってバッチリなのかタケミには判らない。丈が短いのでユージンが着た

ら確実にヘソ出しになる事も含めて何がバッチリなのか判らない。

「あと、タケミにはこれっス。背が伸びるかもしんないカルシウムサプリ、大瓶500グラム!」

 有り難いような気恥ずかしいような、デリケートゾーンにズカズカと踏みこんで来るシロクマの土産を、少年は赤面しながら

受け取る。

 この、大きな体に大きな腹に大きなデベソで全身真っ白、繊細さの無さや美的センスやその他諸々が外見や遺伝子よりも人間

離れしている、養母をして「前頭葉の一部とかをジオフロントに落っことして来ちまったのかもしれないね」と言わしめる北極

熊の少年は、「アルビレオ・アド・アストラ」。タケミと同い年で、今年17歳になる少年。

 活発で陽気でノリが良く楽天的。悪い男ではないのだが、色々と足りないのが玉に瑕。具体的には主に配慮とか繊細さとかが

足りない、ビックリするほど大雑把な性格である。

 彼はダリアが姉と義兄から引き取った甥で、旧姓を名乗ってはいるが戸籍上はダリアの養子となっている。彼女同様に帰化し

ているので一応日本人名もあるが、血筋的にはラテン系アメリカ人。もっとも、もはや人間の遺伝子は殆ど残っていないが。

 養母のダリアを「母ちゃん」と呼んで慕っており、親子仲は良好であるものの、アルが彼女に育てられた期間はそれほど長く

ない。これはダリアの子育て方法がどうのというよりも、酒場の女将という彼女の仕事が問題だったのである。

 仕事上、どうしても昼夜が逆転する生活サイクルになってしまう虎女将。養子はこの生活パターンに順応してしまい、夜行性

になりかけた。これはまずいと気付いた雌虎は、旧知であるタケミの祖父を頼って、アルの身柄を預けた。

 そうしてアルは、七つになる年から中学を卒業するまでの九年間、白神山地のタケミの祖父の家で育ったため、タケミとは幼

馴染と言える間柄である。もっとも、同じ家で寝起きする生活をずっと続けて来たので、世に言う幼馴染よりも身近な間柄だが。

 完全に獣化が進行しきったアルの因子汚染は、現在ステージ7。ジークフリート線を前例が少ない程スムーズに、肉体への負

担もあまりなく超えて獣化が進行した珍しい例。

 タケミと同じ日に潜霧士の仮免許を取得した同期であり、昇級ペースも一緒の五等潜霧士だが、
資格を取得してはいるものの、

メインとしている仕事の内容は潜霧ではなく、海外を仕事場にして世界中を飛び回っていた。前回帰国していたのは五ヵ月前で、

それもタケミが取ると聞いた五等の資格を一緒に取得するための一時帰国に過ぎない。基本的に国内を活動の場にしていない。

「母ちゃんからおっちゃんに電話入ってると思うっスけど…」

「ん?…おお、不在着信入ってるぜ…。後で謝ろう…」

 確認しようとしたアルに、ユージンは苦笑いを見せた。

「あ、じゃあオレから言うっスけど、また試験に備えて勉強教えて欲しいんス」

「おう。構わねぇぜ」

 あっさり快諾するユージン。タケミにも勉強させるのでアルにも一緒に教えるだけ。ダリアやアルから頼まれるだろうと予想

もしていたので、最初からその気である。

「ヤッター!って訳で、しばらくまた一緒に勉強っスね、タケミ!」

「う、うん!よろしくね!」

 アルが笑顔を向けると、タケミも普段見せないような明るい笑みを返す。人見知りで友人が殆ど居ない少年にとって、このシ

ロクマは例外のひとり。気兼ねせず接する事ができる相手である。

「…ところでタケミ、そろそろ昼飯の時間だな。アル坊も来た事だし、今日は何か出前でも取るか?」

「ヤッター!ゴハーン!」

 万歳するアル。タケミは「それなんですけど」と微笑して、ウニがたくさん獲れた事を告げようとし…。

「…あ」

『「あ」?』

 少年が漏らした声で、熊達が首を傾げる。

 タケミが素潜りで集めたウニは、アルのダイナミック過ぎるプランチャーが直撃した際に、全部零れて海底に帰って行ってし

まっていた。

「という訳で…、せめてカゴだけは探してきます…」

「そういうトコだぜアル坊…?」

「ウニゴハーン!?うひぃ~ん!」

 申し訳なさそうなタケミと、ガッカリするユージンと、嘆くアル。

 結局昼飯は、海上デリバリーに運んで貰ったピザになった。

 そして、戦闘性能にポテンシャルを全部振り分けたかのように学科試験の類がかなり危ういアルは、タケミと共にユージンの

教えを受けて試験に備える事になり…。

 

 

 

 その日の夜。伊豆半島西エリア、伊豆長岡。

「親分、四等試験の話、聞きやしたか?」

 煙ったように空気が白い中で、人影が二つ近付き、囁き声が漏れる。

 霧ではない。大穴の中ではない。そこはこの界隈にある温泉施設の一つで、温泉の熱と蒸気を利用した蒸し風呂を提供する店

の一室である。

 仕事上がりの潜霧士達が、除染を終えた後に入り浸る憩いの場。潜霧士専用に解放する部屋を持つ温泉もあるため、情報交換

の場としても重宝されている。

 この部屋には二十人近くの人影が見られるが、囁く男の周辺に居るのは、いずれも獣化が完全に済んだステージ7以上の潜霧

士だった。

「東エリアと合同で、土肥と伊東のゲートから出発したそれぞれの受験者が、早霧湖跡辺りで合流するように潜霧させる実地試

験になるそうですよ」

「東と?合同なんて珍しいな…」

 話しかけている影と話しかけられている影とはまた別の影が、意外そうな声を漏らす。

「日程がずれて、試験用に封鎖されるゲートや立ち入り制限地区が二日もそのままだと、潜りっぱぐれる奴も出るかららしい」

「それで合同にして、一回で済ませようって話か。試験官連中も何日も拘束されるより、忙しくても短時間で済んだ方が良いん

だろう」

「試験も甘くなるかもな。また低級な四等が増えるわけだ…」

「多いのか?今回四等を受ける連中…」

「相当居るらしいな。落ち続けている奴らもだいぶ溜まっているし…」

「そういう連中がマグレで受かったって仕方ないだろうに」

「そうだ。漁る人数が増えて場が荒れるだけ、死人だって出る、迷惑だぜ」

 男達の大半は四等潜霧士で、残りはそれ以上。四等潜霧士が増えるとそのまま商売敵が増えるという立場の者が多い。

「質の悪い四等なんぞ、数が増えたって迷惑ってもんで…。ねぇ親分?」

 同意を求められたのは、最初に話しかけられていた男。

 胡坐をかき、腕を組み、眼を閉じ、ずっと無言でいた男が、ゆっくり目を開ける。

 その男は眼光鋭い灰色狼の獣人。190センチを軽く超える長身に、筋肉質な厳つい体。

 鉄のような灰色の被毛に覆われた背中に刻まれている、左肩から右脇腹へ袈裟に横切る大きな裂傷痕が目を引く。

 蒸気の中にあってなお、その身に筋肉が刻んでいる濃い陰影がはっきり見て取れる、鍛え抜かれた体つきである。

「確かに、実力もそぐわん連中に、大手を振って崩落点辺りまでうろつかれるんは、目障りやな…」

 呟いた灰色狼は、薄く瞼を開けて鋼鉄のような灰銀色の瞳を覗かせる。

「お前らも、東の連中に仕事持ってかれるんは癪やろ」

 首にかけていたタオルを取り、顔を拭う灰色狼。その口元が獰猛な笑みを浮かべる。

「餞別や。少し篩にかけたろか…。のぉ?」

『へい!』

 その話が終わるなり、湯気の中で影が一つ、ソロリと動いた。

 蒸し風呂から出てゆく彼に、誰も視線を向けず、誰も注意を払わないが、完全に獣化が進み切ったキジトラ猫の獣人である。

 二十代だろう若い潜霧士だが、縞模様に混じっていくつもの大きな古傷があり、潜り抜けた死線の数を物語っていた。

(取り巻きもですが、あの親分にも困ったものです…)

 ふぅ、とため息をつき、桶で冷水を浴びて身も心も引き締めると…。

(確か次の四等試験は、熱海の大将が引き取った子も受ける予定だったはず…。東の皆様方と下手に衝突しないよう、手を打た

ないといけませんね…)

 

 一方その頃、酔っている時は何処までも無防備、今日もリビングのソファーにひっくり返って気持ち良くいびきをかいている

ユージンの腹に、タケミがそっと、冷え防止のタオルケットをかけてやっていると…。

「え?こっちに泊まり込みなの?」

「うっス!試験まではこっちに泊めて貰って規則正しい生活!って、母ちゃんがおっちゃんに頼んでくれたっス」

 日が暮れても帰る気配がないと思ったらそういう話になっていたのかと、後ろをくっついて回るアルを振り返ったタケミは納

得した。

「じゃあ、前の試験の時と同じだね?」

「うス!」

「…あれ?でも…」

 タケミは眉根を寄せて、プックリした頬に人差し指を這わせながら考える。客室は掃除してあっただろうか?と。

 少なくともこの数日間はユージンが掃除していた様子はない。タケミも今日聞いたので勿論掃除していない。つまり、雑多な

物が突っ込まれて物置のように手狭になっている上に、寝床用の布団やシーツも準備されていない。

 それでももしかしたらユージンが支度を済ませていたのかもしれないと、前回の試験の折にアルが寝起きしていた、タケミの

部屋の斜め向かいにある客室を覗くと…。

「…無理だね…」

「…うっス…」

 意見の一致をみてそっとドアを閉じる二人。おそらく資料や潜霧士会報などが詰まっている、勝手に処分したらユージンの雷

が落ちるだろう段ボール箱が、ベッドの上にまで積み上げられていた。

 一応もう一つの客間も覗いてみたが、こちらはもっと駄目。足の踏み場も無いほど荷物が詰め込まれている。おそらくもしも

の時の予備なのだろう、タケミが前に着ていたキツくなったスーツも、壁に吊るす形で保管してあった。

「仕方ないから、今日はダリアさんちに帰る?それともボクの部屋で寝る?」

「タケミの部屋で!」

 即答するアル。この時刻に、岩礁だらけの海辺を月明かりを頼りにして借りた水上バイクに傷をつけず走り抜ける自信はない。

 そして、アルはタケミの部屋に案内されるなり…。

「ヒャッホーウ!畳っスー!爺ちゃんの屋敷が懐かしーっス!ん~っ!ノスタルジィ~!」

 一歩踏み入るなり即座に寝転がり、壁の端までゴロゴロッと転がってゆく白い塊。

 土壁、板目の天井、格子細工に障子が貼られた窓。蛇の目の座布団に、ひじ掛け付きの座椅子と文机。年代物の仙台箪笥に、

壁際に畳んで寄せられた布団。床の間の横の壁にある、富士山が描かれた襖は押し入れである。

 タケミの部屋は畳を敷き詰めた和室。元はタケミの祖父が訪れた時に泊めるための部屋としてユージンが用意したので、好み

に合わせて客間の中では唯一和風の設え。入り口のドアやエアコンなどを除けば洋風の物が殆どない。

 面積はユージンの部屋と変わらないのだが、綺麗に整頓されて掃除も行き届いており、大型の本棚や大量の書籍などもないの

で、だいぶ広々としている。

「予備のお布団出すけど…」

 タケミは壁際から逆再生するような動きで転がって戻って来るアルを、畳とサイズ比較しながら呟いた。

「アル君…、また大きくなったから、お布団からはみ出そう…」

「ノープロブレム!コンクリとかタイルの上で寝る事も多いっスから、畳だけでも充分っス!」

「そういう訳には…」

 客室のベッドは全て大きいが、布団は人間基準で通常の物しかないし、予備を含めて二組。掛け布団は季節で替えるように複

数あるが、敷布団は二枚だけである。

「でも、寝る前にお風呂…」

「うっス!じゃあ早速一緒に行くっス!」

「うん。え?」

 一度頷いたタケミが聞き返す。

「一緒に?」

「昔みたいに一緒に寝るんスから、昔みたいに一緒に風呂も入るっス。こういうのは統一した方が良いんじゃないっスかね?統

一感大事!思い出すっスねー!爺ちゃんと三人で風呂に入って、歌とか歌ってたあの頃!」

「そう…かな…?…そうかも…」

 浮かんだ疑問も一瞬。何となくそれらしい事を言っているようでそうでもない謎理論と思い出語りにあっさり押し切られるタ

ケミ。基本、押しも弱いし押されても弱いのがこの少年である。

「そうと決まれば!」

 アルはガバッと両腕を広げると、ベアハッグで捕獲。そのままドスドスと廊下に出る。

「レッツ風呂っス!善は急げで急がばスピニング!トゥ!ホールド!」

「アル君!着替え着替え!」

「おっとテヘペロっス…!」

 今日の神代潜霧捜索所は、平時では考えられない程賑やかだが…。

「くかっ…。ふすーっ…」

 ソファーで泥酔しているユージンは、起きる様子も見せずにボリボリ腹を掻いていた。

 

 ユージンが暮らすために設計された家なので、基本的にサイズも間取りも金熊の巨体を基準にしてある。よって、風呂場は広

く、浴槽も大きい。

 熊親父が足を伸ばして寝そべりながら浸かれるサイズになっているので、浴槽は幅3メートル、奥行き2メートルにもなる上

にやや深い。

 洗い場のシャワーは一基だが、幅もある巨漢があちこちぶつけないようにスペースが広く取られ、大型の物品を洗う作業もこ

なせる設計。なお、タケミも獲った海産物はここで洗っている。

「これっスよこれー!」

 膝を抱えないと収まれないような狭いユニットバスやシャワーで身を清めるのが常だったアルは、広い浴室に大喜び。浴槽の

蓋を勢いよく外すなり、タライでザッパザッパ掛け湯を始める。

「シャワーで流すよ?」

「おっとサンクス!」

 面積が広い体を掛け湯で清めるのはなかなか手間がかかるので、タケミがシャワーヘッドを手にして背後に立つ。

 アルは屈んだまま湯船の縁に手をかけて支えにし、全身を軽く流す湯の感触を気持ちよさそうな顔で味わうが、その屈んだ格

好は白い達磨のよう。後ろから見ても脇腹がムッチリと横に張り出し、曲げた太腿の上に乗っている。肩幅もあり肩甲骨も広く、

幅広い尻の上にある短い尻尾だけサイズ感がだいぶ違う。

 大きく逞しくなりたいと思っているタケミには、羨ましい体躯と成長度合い。四方八方に大きくなるアルとは違い、自分は頑

張って食べても贅肉が増えるだけで背が伸びないのが悩みの種。

「あ~、懐かしいっスね~…」

「そうだね」

 白神山地の祖父の家で暮らしていた頃は、ボディシャンプーの洗い残しがあるシロクマを、仕上げにタケミがこうして流して

やっていた。

 タケミがシャワーを止めて「もういいよ」と告げるなり、アルは縁を跨いで浴槽内に踏み入り、向き直って「ヘイヘイ!カモ

ンッ!」と両腕を広げる。

「ちょっと待って…」

 来るように催促されたタケミは、自分も頭からシャワーを浴びて軽く身を清め、湯船の縁を跨いで…。

「キャーッチ!」

「わっ!」

 アルのハグで捕まり、また両足が浮く高さまで抱き上げられる。

「ん~!タケミの肌、相変わらずスベスベツルツルで気持ち良いっス!」

 全裸で胸を合わせ、ムニュムニュと擦りつけるアル。くすぐったいタケミは必死に堪えるが、それでも半笑いになってしまう。

「アル君、おヘソ当たってる…!うふふ、くすぐったい…!」

「つまんでクニュクニュしてくれていいんスよ?っていうかシテ!」

 アルが完全獣化したのは五歳の時の事。彼のこれまでの人生の中では三分の一にも満たない間で、記憶がある幼少期も短い。

「昔そうだった」という記憶と感触がおぼろげにあるものの、人間の体だった頃の感覚は殆ど思い出せない。普通の十六歳が、

五歳当時の自分の感覚など覚えていないように。

 だから、人間の肌の感触が珍しい。特にタケミのスベスベした肌はお気に入りである。

「やっぱりタケミ、ちょっと太ったっス?」

 遠慮のない感想でギクリとする少年。アルは湯船の中でタケミを下ろすと…。

「胸のプニプニ感が増えてるっス。肉増えたっスね」

 太い指でつつかれる胸を、感想でザクリと抉られる少年。感触が良くなったと喜んでいるだけで、アルに悪気は無い。

「ほら、摘まんだ感じとか前よりモチモチっス!「あっちの姿」も手触り良くなったんじゃないっスか?」

 乳首の上下から挟むようにタケミの胸を揉むアル。羞恥で逸らす少年の顔は真っ赤だった。

「痩せても太っても相変わらずキュートっスね~!あ、オレもちょっと成長したっスよ!カンロク、ついたっス!」

 シロクマはカラカラ笑って左手を腰に当て、ムッチリせり出した自分の腹をアピールするように右手でポンと叩いた。その震

動で真ん丸デベソがプルンと揺れる。同時に股間に埋もれて目立たないナニもプルンと揺れる。

「同じ熊っスからね!オレもあと30年くらいしたらおっちゃんみたいなナイスガイになるはずっスから、期待しとくっスよ!

…という訳で!」

 アルは少年の両手をガシッと掴む。

「今日からしばらく毎日、撫でたり揉んだりして貰うっスよー!」

 獣化が進んだ者の中には、動物のような衝動や癖が出る者も居る。あまりそういった部分を表に出さないユージンも、犬など

のように胴や背中を撫でられるのを心地良いと感じるし、ダリアのようにフレーメン反応が我慢できずに顔に出る者も居る。

 アルは幼い頃からそうだったが、くっついたりじゃれ合ったりという、幼獣のような直接的なスキンシップを好む傾向が強い。

「良いけど…、とりあえず、ね?」

 引っ張られた腕を白い被毛でフカフカ豊満な腹に押し付けられ、アルの主導でポヨポヨと弾ませられながら、タケミはアルを

見上げた。

「お風呂、ちゃんと入ろう?」

「えー!?「兄ちゃん」は相変わらずまじめっスー!」

「普通だと思うけど…」

 このふたり、行動する時は活発なアルが先導するし、体も大きいので勘違いされる事が多いのだが、タケミは七夕生まれでア

ルはクリスマス生まれ、タケミの方が半年ほど年上である。

 そして、アルは都合がいい時にタケミを兄ちゃん扱いする。

 

 そうして、背中を流し合い、一緒に湯船に浸かって子供の頃に見ていた特撮番組のテーマソングなどを合唱し、風呂上がりに

水羊羹を食べて、ソファーのユージンを揺さぶって起こして部屋に向かわせ、ふたりも就寝した。

 布団を二つ並べてくっつけ、はしゃぎ疲れもあってすぐに眠くなり…。

「えへへへへ…。タケミ~…、次あれに乗るっス~…」

 幸せな寝ぼけ顔で寝言を漏らすシロクマ。横臥しているその顔の前には、両腕で抱えた少年の太腿。そして…。

「う、う~ん…。う~ん…!」

 寝苦しそうに呻く声は、アルの股間の辺りから聞こえている。

 何がどうなったのか芸術的な寝相。ツームストンパイルドライバーの格好に近い。

 シロクマの太腿で頭部を挟み込まれた少年の眼前には、鬼が穿いていそうな虎縞模様の派手なトランクス。股座の肉で盛り上

がっている布地が目と鼻の先で、吸う空気は熱い上に蒸れている。寝苦しくない訳がない。

 抱き枕のようにされたタケミにとっては寝苦しい、そしてアルにとっては大変満足な一晩が過ぎて…。

 

 

 

(ちょっとキツい…)

 ひとつ前のスーツに袖を通し、タケミは太った事を嫌でも自覚させられた。

 朝から夕方まで、ユージンのぶっ通し授業を受けた後、夕食の支度を始める前の事。

 明日は実地訓練形式で指導を受ける事になったので、タケミは潜霧装備のチェックを行なっていた。

 先の仕事でタケミのスーツは大破してしまった。大百足の攻撃を避けた際に背中が切れ、さらに銃撃を受けて穴が空き、修繕

対応が難しい程の損傷を受けて。

 狼型のヘルメットも壊れてしまったので、ブーツと腕部コンソールユニット以外は装備を一新する事になる。

 幸いにも相楽製作所に新調を依頼した直後の出来事だったので、そう待たずに新しい装備は出来上がる予定だが…。

 

 一方ユージンは、テラスで電話を手にし、工房長のゲンジに作業の状況を確認していた。

 練習は良いが、試験での本番潜霧にはしっかりした装備で挑ませたい。しかし、注文当初の予定とは一部異なる仕様になった

せいで、作業は少し長引いていた。

『基本素材は、これまでの物と同じで河童の外皮を利用したが…、プロテクターは、土蜘蛛の甲殻に代わり、大百足の甲殻から

削り出した物を、採用して組み上げている…。収縮機能を支える組織も、大百足の多脚から採取した関節部由来の伸縮素材…。

今度のマスクは、ハイパーカーボンの外装に加え…』

 ゲンジの説明を聞きながら、ユージンは満足げに口の端を上げた。

 手加減できなかったので、貴重な牙や複眼類は頭部ごと吹き飛ばして傷物にしてしまったが、仕留めた大百足の素材は非常に

強力なマテリアルである。大穴表層をうろつく甲殻系の危険生物に、これ以上の素材となる種は存在しない。

 新たなスーツはこれまでのプレーン仕様ではなく、タケミのスピードに追従できるよう、制御機能にカスタムが加えられる。

スーツのメイン生地は河童の皮のままだが、プロテクター部分の強度はこれまでの物と段違い。衝撃に対してプロテクター部を

ちゃんと合わせて受ける事が出来るなら、耐久性は桁違いに跳ね上がる。
表層で手に入る素材で組み上げられる範囲では、望み

得る限り、タケミにとって最高のスーツと言える仕上がりになるだろう。

「前日までに間に合わせてくれりゃあ問題ねぇ。タケミならぶっつけ本番でも着こなすだろう」

『ヘルメットだけは、もうすぐ出来上がる…。店の者に預けておくから、明日の朝…、ダイブする前に工房に寄って行け…』

「恩に着る。酒の一本も土産に持って行く、仕事があけたら飲ってくれ」

 

 そしてアルは…。

(んぅ~…!知恵熱ってヤツっスか~…?)

 両手で頭を押さえ、ふらつきながら地下から上がって来る。授業後はしばらく机に突っ伏して動けなかった。

 このシロクマは技能も知識も、普通の潜霧士と比べてだいぶ偏っている。

 危険生物の追跡、及び直接戦闘における腕前は、四等どころか、ジオフロントを主な活動の場とする二等潜霧士達の一部にも

匹敵するレベルにある。が、霧中の環境及び探索に関する知識が非常に…、マズい。

 海外を飛び回って危険生物を狩猟し続けていたアルは、大穴内での活動経験が乏しい。これを試験までに埋めなければならな

いので、覚える事も学ぶ事もたくさんある。

(一人だけ落ちるのは格好悪いっスからね~…。ファイトファイトっス…!)

 階段の途中で足を止めたアルは、ピクピクと耳を震わせた。

(タケミの声っス!…ここは後ろから抱き着いてサプライズを狙うチャンス!ビックリさせるっスよ~…、イェア!)

 足音を忍ばせ、気配を消し、そ~っと階段を登ってゆくアルは…。

「もう、失敗しません…」

 自分に言い聞かせるような少年の、決意が滲む声を聞く。

「ミキさんみたいなひとも、ちゃんと助けられる…、立派な潜霧士になります…」

 音を立てずにタケミの部屋を覗いたアルは、少年が、胸元に上げた掌に向けて喋っているのを聞いた。

 少年の首から下げたドックタグ、その鎖には黒っぽい何かの破片が、穴をあけてタグと並べて通してある。

 ダークブラウンのチョコレートのような色のそれは、潜霧用ヘルメットの破片。少年の目の前で打ち砕かれた物。眼前で散っ

た命の痕跡。

 忘れられるはずもない、初めて気を許しつつあった人間の女性…。あの日あのひとと、一緒に霧に潜った証。彼女が確かに存

在した証。

 誓いを立てる少年は、ハッと振り返った。

 気配を消すのをやめたシロクマが、入り口に右腕を当てて寄りかかるような格好で、タケミを覗いていた。

「もしかしてちょっと元気ないかなー…、とは、昨日から思ってたんスよ」

 態度におかしな所は無かった。話していても違和感はなかった。が、ユージンの授業中や、潜霧に関する話の中で、時折タケ

ミは数秒固まるなどの妙な反応を見せていた。勉強に集中できていないのはこの少年には珍しい事だったから、大雑把なシロク

マでも気が付いた。

 何より、独りになって黙る時、物思いに耽りながら哀しそうな顔をしていた。その、自分が知らない、自分には向けられた事

のない表情の横顔が、アルには気になっていた。

 小さくため息を漏らして、アルは鼻先をクンッと上げる。

「水臭いっスね?何があったか言ってみるっスよ」

 口の端を少し上げ、眼が充血している少年に笑いかける。

「シラマツガモナカ食う時と一緒っス!辛い分も「ハンブンコ」、するっスから!」

 そっと、タケミは震える息を吐き出した。

 ミキが被っていたヘルメットの破片…、カズマに頼み込んで譲って貰った、遺品を握り締めて。

「あのね…。ボク、この間の仕事で…」

「うん…。うん…。ん…。そうスか…。うん…」

 時折鼻声になるタケミの声と、急かさずに相槌を打つアルの声を、

「………」

 ユージンはドアの外で、壁に背を預けて腕を組み、瞑目して聞いていた。

 喪失に慣れるには、タケミは若過ぎる。

 気持ちは判る、などとアルは言わない。だが、分かち合おうと言えるのがあの北極熊の美点だと、ユージンは思っている。

 そんな風に辛さも苦しさも喜びも分かち合って進める仲間が居れば、傷の痛みも和らぐし、耐える事もできるだろう。

 例え、自分が傍に居られなくなっても…。